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投稿コメント一覧 (4067コメント)

  • こんばんは。
    384さん、はじめまして、95歳・老兵の和紙屋紫蘭です。
    ヨタヨタの老人ですが、よろしくお願いいたします。

     山人さん、
     シランの中学の部活は弓道部でした。正課に剣道があり、あちこち叩かれて痛い目に遭っているので、せめて部活だけは叩かれずに済む弓道部にしました。(^^♪

     外語には、弓道部がなく射撃部に入りました。弓も鉄砲も同じように遠方の的を狙うので、シランの性にあったのか、よく当たり、関西学生射撃大会で二位に入ったこともあります。毎週土曜日には、当時、大阪城内にあった城南射撃場に通って実弾射撃をしたものです。
     学生射撃指導員の資格も貰ったので、軍隊に入っても何かと役立ちました。

     石丸投手からホームランを打ったおさななじみのヒロちゃんは剣道部と野球部の掛け持ちでした。どちらもあまりうまくはないのに、要するに出しゃばりだったんですね。彼は僧侶のくせに女性にも甘く、パイプカットをしたり、同僚の女先生をバイクに乗せて登校したりして、教育委員会の覚えが悪く、とうとう校長には成れずに平教員のまま定年間近で亡くなりました。

     その前には、自分のお寺も原因不明の出火で焼失し、彼は罪滅ぼしに四国八十八か所目巡りに出かけたいと言っていたの、59歳で肝臓がんで亡くなりました。
     ヒロちゃんとは幼いころから、小学、中学も一緒、おまけに予備士官学校も同期の桜で、彼は仙台、紫蘭は豊橋でしたが・・

     お手てつないで道草を食いながら仲良く幼稚園に通い、子供のころは彼のお寺の周りのカラタチの塀の穴から潜り込んで、近所のガキどもと境内で日の暮れるまで遊んだものでした。

      「からたちの花」北原白秋

       ♪からたちの花が咲いたよ
        白い白い花だよ

        からたちのとげはいたいよ。
        青い青い針のとげだよ

     昔は、塀の代わりにカラタチの生垣がよく使われました。
    彼のお寺もですが母校の中学の塀もカラタチの生垣で、所々に生徒たちがが近道するための穴が開いていました。太いトゲで腕を刺されたり洋服を破ってしまったり・・

         (カラタチの花)   しらん

  •  難波ですか・・懐かしい!
    学生時代に粉浜の下宿から南海電車で通学していましたが、帰りにはいつも高島屋に立ち寄って、よく買い食いしたものです。
     あるとき、上階のレストランで「古川ロッパ」と「杉狂児」が食事をしているのを見た事が在ります。ロッパの同じ日の日記にも同じことが書いてあるので間違いありません。
     ロッパはすごい大食漢で、二人分食べるために杉狂児をダシにして連れて行ったとか。。(^^♪

     シランが初めて高島屋の地下大食堂でハンバーグを食べた時は、初めて大都会に出てきた田舎少年には「世の中にはこんなに旨いものがあるのか‥」と目からうろこが落ちる思いでした。

     食糧難の時代なので、肉よりも野菜だらけのハンバーグだったに違いありませんが。。(よほど腹が減っていたのかも。。)

          (昭和初期の高島屋)   しらん

  •  みなさん、こんにちは。
    いよいよプロ野球もまもなく開幕ですね。
     野球と言えば、紫蘭も小学校時代には友達と野球クラブを作ってあちこち他所の小学校に遠征したりしたものです。母校の佐賀中学に入って紫蘭は弓道部に入り野球とは縁が切れましたが、幼なじみのヒロちゃんは野球部に入って二塁を守って居ました。気立てのやさしい彼は、野球は余りうまいとも思われませんでしたが、佐賀商との対校試合で、彼が打った三遊間の球がイレギュラーしてコロコロと校庭の端まで転がって行き、思わぬランニングホームランとなって1-0で勝ったのを思い出します。その後ヒロちゃんは、同窓会の酒席で「あの剛球の石丸投手からホームランを打った男」として冷やかされていました。

     その時の相手の佐賀商の石丸進一投手は剛球投手として当時の野球少年の憧れの的でした。彼は卒業後は父親の借金を返すために、高収入のプロ野球の名古屋軍に入り、戦前最後のノーヒッットノーランを記録するなど20勝投手として活躍しましたが、学徒出陣(*日大夜間部)で、航空隊に入り大刀洗飛行場から鹿屋へ向い、沖縄に特攻出撃して戦死しました。

     石丸投手は出撃前に、10球ほどキャッチボールをして、「これで思い残すことはない」と機上の人となり、片道燃料で沖縄へと出撃していきました。この話は「人間の翼」と言う映画にもなりました。

     最後の遺書には「葉隠れ武士、敢闘精神、日本野球は・・」で途切れているそうです。友人の朝野少尉が「この期に及んでまだ野球か!」と叫ぶと、彼はは機上から「おう!俺は野球じゃ、俺には野球しかないんじゃ!!」と叫んで鹿屋へと飛び立ったそうです。 
     出撃の時、機上からボールを包んで投げ捨てた日の丸の鉢巻きには「われ人生二十四歳にして尽きる  忠孝の二字」と記してあったそうです。
      
     東京ド-ムのそばにある鎮魂碑には、同じく戦死した巨人軍の沢村栄治と並んで彼の名が刻銘されて居るとか。。
     プロ野球選手としては特攻で戦死したのは彼だけでした。石丸投手と同級だったシランの兄もビルマで戦死しました。
     勝ち目のない無駄な戦さために、多くの有為の若者の命と青春が断たれました。
     甲子園のセンバツも間近か、多き野球少年たちに幸あれ。。     
      (プロ野球、名古屋軍時代の石丸投手)

                        しらん

  •  こんにちは。
    検索していたら、昔の甲府駅前(昭和21年)の写真が出ていました。
     甲府は一度、北岳に登った時に通過しただけ、街中を歩いたことはありませんが、今もチンチン電車はあるんでしょうか。
      懐かしい。

                    紫蘭

  • >>No. 80

    春さん、こにちは。
     昭和トピの方にシンデレラさんからコメントが入っています。
    春さんを待ち焦がれているようですよー。

    > 春さん、おひさしぶりです、ああ、夢ではないかしら、お逢いできてうれしいです、ほんとに、うれしいです、こんなにうれしいことは、100年ぶりではないかしら、ほんとに、夢ではないかしら、と思ってほほをつねってみました、ああ、痛い痛い、やっぱりほんとなんですね、もう会えないかと、夜もおちおち眠れませんでした、ご飯ものどをとおりませんでした、おかげでダイエットができましたが、
    > 春さん、逢いたくて、逢いたくて、なだそうそう、うれしくて、なだそうそう、 大袈裟だなあ!!!!
    > 大風呂敷はやめろ、みえすいたウソをつくな、はい、すみんません、>

    もうすぐ春 春さんが100年ぶりに来た。 嬉しそうですね ( *´艸`)

     *こちらにはシンデレラさんのほかに、福岡の年配のオバサンさんが二人おられます。男性はタンゴ男爵さんと将棋人生さん。
    春さんも、歌謡トピを作られたらどうですか?簡単にできますよ。

    書き込みは「なんでもとーく」の下にある「投稿フォームを開く」から、適当に書き込んでください。投稿欄の右上にある「人力補助はここ」をクリックすると、文字の大きさや色付け、下線、大文字などを書くことができます。

     画像は、左下の「画像ファイルのアップロードをする」をクリックすると、下の方に画像の参照欄が三つ出てきますので、参照をクリックして、マイピクチァに保存して居る写真を適当にUPしてください。

         ♪コブシ咲く南国の春     しらん

  • >>No. 82

     バウさん、こんにちは。
    わこさんも見えられたそうですね。よろしくお伝えください。

    ヤフーブログは12月で終わるそうなので、一応「アメンバーブログに同じく95歳ブログ「紫蘭の部屋」で開設していますが、まだ空き家同然です。
     
     ヤフーブログとは勝手が違いなかなかうまくいきませんが、95歳の手習いで頑張って勉強しています。12月までは今まで通り、ヤフーのブログと二刀流で行きます。

       アメンバーブログ
       95歳ブログ「紫蘭の部屋」
        https://ameblo.jp/siran13tb/

          (ハクモクレン)    しらん

  • >>No. 214

    往馬山人さん、
     外語は語学が専門ですが、夫々の専攻語学のほかに、国語、漢文、英語、言語学、法律、経済、商業、地理、西洋史、教練体育、などがあり、簿記や習字、タイプライターの授業まであります。

     言葉の学校だけに、国語や漢文には特に関心が深く、国語では平家物語、古事記、万葉集なども習いました。当時の文化サークルには短歌に造詣が深い国文の教授が指導する「短歌俳句愛好会」があり、好きな生徒たちが学校食堂の二階で毎週土曜の午後に集まって、例会が開かれていました。後に前衛俳句で活躍した「赤尾兜子」などもメンバーの一人でした。
     (司馬さんも、紫蘭も入っていませんが・・)

     学徒出陣で軍隊に入るとき、級友みんなでに武運長久祈願のため、石清水八幡宮にお参りしました。
     そのとき、赤尾が私に作ってくれた俳句です。

      ひぐらしや空蒼々と君が眸(め)に    兜子

     その他、在学中に彼が作った俳句(入隊前)

      黄砂降る国へ行く日は兵として
       年用意われには胸に隠す遺書
      ほろぶものすべて帰らず年暮るる
       征(ゆ)きて死ね 寒の没日(いりひ)といま別れ
       思うことなし ただ白菊の吹き散るか 
         
      (出征当日の次の句がこの句集の最後です。)

       ああ兄妹の重なり見えず寒き顔    兜子

        (石清水八幡宮前にて)   しらん

  • >>No. 207

     往馬山人さん、
    お孫さんは高校受験ですか・・昔を思い出しますね。
    息子の時は近くの公衆電話に飛んで行って、家に知らせたものでした。今はその息子の娘(孫娘)が今年から大学院に入ります。
     早いものです。

     昨日、物干し台で洗濯物を干していたら、どこからか蛍の光が聞こえてきました。中学の卒業式だったんですね。恐らく卒業生が巣立っていくとき、校門で在校生が見送って歌っていたのでしょう。
     今は「蛍の光」もあまり流行らないようですね。

     ほたるの光、窓の雪
     書(ふみ)よむ月日、重ねつつ
     いつしか年も、すぎの戸を
     明けてぞ、けさは、別れゆく

     俳句は学生の頃、クラスの自称文学青年たちが集まって同人誌の真似事みたいなものを作っていたので、時々俳句や詩を投稿していました。その時の仲間が長じて、一流俳人になり、三人から句集を送ってもらったりしたので、自分では作りませんが、俳句には関心があり、手元にはいつも歳時記を用意しております。

     戦時中なので、特別には卒業式はなかったようです・・ 

          (コブシ咲く)    しらん

  • >>No. 204

     おや、
    ゆめさん、こんばんは。
    前のようにどんどん書き込んでください。待っていますよ。
    メダカさんはお元気かなぁ‥

     自然公園の河津桜が咲き始めました。    しらん

  • こんばんは。
    最近、シラサギやアオサギが増えましたね。佐賀でも至る所の水辺で見かけます。 
     アオサギは獲物にネライを定めて、何時までもじっと動かないですね。
     そして魚を捕るときの素早さ・・こちらが待ちくたびれて、少し近づくと、さっと飛んで行ってしまいます。  
                           しらん

          夕風や水青鷺(アオサギ)の脛(すね)をうつ   蕪村

  • こんばんは、2か月に一度の内科検診日、例のごとく2時間待ちの5分間診察です。血圧の薬、緩下剤、かゆみ止めクリームに貼り薬を貰って、にわか雨に降られながら帰ってきました。

     カチガラスは、カラスと違って人なつっこく、人間が近づいてもあまり逃げようとはせず、地上の虫なんかをつついています。
    韓国生まれにしては意地悪ではないようです。

     十津川は、日本一大きい村だそうで、山また山の辺境、人里離れているので独特の気風があったようですね。幕末、最初の勤王派の挙兵と言われる「大和天誅組」は十津川の郷士たちでした。
     司馬さんは母の実家が奈良の当麻町に有ったので、幼いころはこのあたりの古墳などで、土器のかけらや弓の矢じりなどを拾い集めたそうですから、奈良には特別の思い入れがあったのかもしれません。

     うちの庭の沈丁花もほころび始めました。今日のように湿気が多い日は一段と香りが強いようです。夕暮れには何処からともなく沈丁花の甘い匂いが、部屋に忍びびこんできます。

        沈丁の匂うくらがりばかりかな   石原八束

                    しらん

  • >>No. 188

     はんめいさん、こんにちは。
    佐賀は農村県なので、米や麦の収穫期にはカラスの大軍が田んぼの落ち葉拾いにワンサと集まってきます。以前は町のゴミ漁りもひどかったですが、最近は組み立て式の網のゴミ箱が出来て、残飯あらしのカラスの被害も少なくなりました。

     カラスと言えば、日本で唯一、佐賀平野一帯だけに「カチガラス」という小型のカラスが生息しています。カラスのように全身真っ黒けではなく、胸の部分が白いのが特徴です。カチガラスは豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」で朝鮮に出兵した時、佐賀・鍋島藩主が「カチ・カチ・カチ」と鳴くこの鳥を見て『勝ち、勝ち』とは縁起が良いと持ち帰って保護したのがこのカチガラスの由来だと言われています。

     「カチガラス」は正式には「カササギ」ですが、サギといっても鷺ではなく、カラスの一族です。  
     田んぼの穀類や木の実から昆虫まで食べる雑食性で、カラスよりも一段小さくひよどり位ですが、羽と体に白い色が混じっていて、佐賀地方では「カチガラス」と呼ばれています。
     
    冬には楠の木や電柱に小枝を集めて、丸い巣を作り、佐賀平野の冬の風物詩にもなっていますが、電柱上の巣は時には停電の原因にもなるので、冬の電力会社は巣の除去に追われています。
                    しらん

  •  かづら橋は、男橋の手前にある「女橋」の方が低くて、渡りやすいようですね。
     山深いので、秋の紅葉が素晴らしいようです。

        (かづら橋・女橋)      しらん

  • 皆さん、こんばんは。
    三月の年度末は、道路工事が急に多くなりますね。予算を食いつぶすためでしょうか、こちらでも、水道管やガス管をあちこちで取り換えています。何でも、地震にも強い管に取り換えるとか・・

     はんめいさん、
     そうなんです、佐賀城の外堀の周りにはクスの大木が多くて、県庁一帯もこの楠の樹がカラスのねぐらになっています。そのカラスの白いフンが車道、舗道に一杯広がって、おじさんおばさんたちがその清掃に追われています。これがなかなか取れないんですよね。

     いつか鷹狩りのお姉さんが、鷹を放って追い払いましたが、大した効果はなかったです。でもカラスの大軍が中国からやってきているとは知りませんでしたね。だから意地悪いのかなぁ‥正月のお地蔵さんのお供えの餅はすぐに持っていかれるし、いつか頭を小突かれそうになったこともあります、この野郎!!

     往馬山人さん、
    司馬さんは忙しいのか、同窓会にはあまり顔を出しませんでした。彼が死んだ後、同期生が集まってよく同窓会を開きました。彼の作品にちなんで、京都、十津川、徳島、高知、淡路島など・・
     十津川も「十津川街道」と「空海の風景」にちなんだ場所でした。 

     吊り橋と言えば四国の奥祖谷の「かづら橋」が有名ですね。
    行ったことはありませんが、四国に住んでいる息子が秋に写真を送ってくれました。

             (かづら橋・男橋)      しらん

  •   時には古い歌でも・・

      ♪「名月赤城山」 東海林太郎

        https://youtu.be/5Bgrq5ydkcI

     男心に 男がほれて
     雁が鳴いてゆく 赤城山
     澄んだ夜空に まん丸月夜
     今宵横笛 誰が吹く 

                しらん

  •  谷瀬の吊り橋は、一度に20名しか渡れません。
     時には、途中で揺り落とされてしまう人もいるとか・・
     おお、こわ・・

                    しらん

  • >>No. 178

     こんばんは。
    奈良の吊り橋と言えば、十津川の谷瀬の吊り橋を渡ったことがあります。
    但し30歩ほど・・

     一歩一歩ゆらゆら揺れるし、怖くてとても渡れたものではありません。 何しろ長さ、297m、そのころは「日本一長い吊り橋」でしたから・・
     
     20年ほど前、司馬遼太郎の街道をゆくの「十津川街道」にちなんで、十津川温泉で同窓会を開いたときでした。
     同行した友達、もうみんな死んでしまいました・・(-_-;)

                   しらん

  • >>No. 60

    ばうさん、こんばんは。
    松本城が懐かしいです。

    春さんも、わこさんも元気で良かったですね。
    シンデレラさんがシランのteacupu掲示板「昭和は遠くなりにけり」に見えています。先日まで風邪でしたが、元気に前のような楽しいコメントを呉れてています。

     「昭和は遠くなりにけり」 ↓クリック
       https://9204.teacup.com/siran13tb/bbs

     ところで、ヤフーブログも8月で終わりだそうですが、どうされます?
    シランも目下、何処に引っ越すか思案中・・
    春さん、わこさんによろしく・・

          (柳川の下げもん)     しらん

  • >>No. 150

     往馬山人さん、昨夜の雨のせいか、今朝はしっとりと温かい春の気配が感じられます。春はもうすぐそこのようですね。 

    シランの青春は戦時中なので、無味乾燥、何の色つやもありません。まして佐賀は葉隠れの伝統を受け継ぎ、男女7歳にして席を同じうせずの土地柄のうえ、母校の中学も質実剛健、剛毅朴訥の校風なので町で女学生と出会ってもお互いには知らん顔して通り過ぎるほど・・

     紫蘭も小学3年生から中学、外語、予備士官学校、旧制大学と男子校ばかり・・全く色気のない世界で過ごしました。今の若い人がほんとに羨ましです。

     あ、ただ一つの思い出は
     「小学1年のとき、同級に君代さんという女生徒がいました。大きな目とオカッパ頭をよく覚えています。
        
    或る日、担任の生田先生が生徒たちに「この組で、一番お利口さんは誰ですか?」と尋ねると、君代ちゃんが手を上げて
     「ハーイ、紫蘭ちゃんデース!」 
    続いて紫蘭が手を上げて
     「ハーイ、君代ちゃんデース!」と言ったのを覚えてます。ただそれだけ・・
     ハハハー・・
     
    私の小学時代の女の子についての記憶は、この一こまだけですが、数十年たって同窓会で偶然出会って見ると、君代ちゃんは【東京女子大】を出て、立派な英語の先生になっていて、出版物まであるとか・・
     
    しかし、彼女は中年太りのせいか、少々おなかが突き出ていて、いかにも才気溢れる女史然とした偉大なオバサンになってしまっていました。そこには、幼い頃のあのつぶらな瞳の可愛い女の子の一かけらもなかったのでほんとにガッカリしました。。 
     うわさによると、君ちゃんは夫と別れて以来、男出入りの激しい、気性の強い文筆家であるという話でした。

        チャンチャン。。    しらん

  • >>No. 148

    はんめいさん、こんばんは。

    ハハハー、10年前は、シャンとしてまだまだ若いでしょう?
    背中も曲がっていないし‥
     可愛いこちゃんだったので、マイクを分捕ってレポーターに逆インタビューをしてやりました(*_*)

     そのあと数年たって、88歳ブロガーとして別の娘にラジオインタビューされ、また2,3年して今度はテレビのインタビュー・・

     年を取ったおかげで、少しは顔を売りました。

       (3歳の時はもっと若いですよー)(^_-)-☆

                     しらん

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