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投稿コメント一覧 (7313コメント)

  • >>No. 94037

    その日の夜、支店長というのがやってきて書類を返し、なんだかんだと妻に言い訳をしている。
    やはりこたつに入って、本を読んでいた僕にとってはうるさいことこの上なし。
    出ていき、支店長に言った。
    「融資できるのか、できないのか」
    「いや奥さんにもご説明しているとおり」
    「うるさい!!できないのなら、とっとと帰れ」
    そして妻に、
    「はやく追い出せ。できないはなしを聞いてても仕方ないやろ。
     塩でもぶつけてやれ!!」

    支店長はぼくの怒鳴り声におびえて^^すぐに飛び出ていった。

    翌日妻は保険会社へ電話して、800万の貸し出しを依頼。
    その翌日、三宮へ受け取りに行った。

    妻「やはり、さくら銀行にしたらよかったねえ。
    さくら銀行やったら土地の持ち主の??さん、垂水区の大地主さんて
    知ってるから、こんなことにならなかったのかも。
    ごめんね。わたしが悪かったわ」
    「かまへん、どうせ尼崎中心の地方銀行や。うそをつくほうが悪い。
     借りるのは他のところで借りれるのやから。気にするな」

    銀行は最初の話からと最後の話までは、かなり違う場合があるようです。
    ほこりもくそもないのですね!!
    その時、損をするかどうかで決めるだけ。
    あぶなかったら、うそもつき放題。

    次回は三和銀行がぼくの得意先から芦屋市の土地、200坪を奪い取った話を書きましょう。

    三和銀行の赤司って頭取が副頭取だった時に、ぼくがさかなを売りにいったはなしも書きましょうか。
    ものすごいですよ!!
    吝嗇もここまで行くか!!です!!

    付記 保険会社はすぐに800万出してくれましたよ。とうぜん!!
     そして半年後には知り合いに800万借りて、保険会社へ返済。
     最初から知り合いに借りたらよかったわ^^
     無利子です。もちろん!!
     金持ちの得意先に頼んだので^^;;

     もちろん10年ほどで返しました。
     その得意先にはどんな無理でもききました。
     もちろん無理を言う得意先ではありませんが(^______^);;

  • テープはいろいろ 正法眼蔵の10巻ものは 全部 入ってる
    ほか すこし

    永平広録 の 前半部の 現代語訳を いれた

    後半部は 全集本(訳つき)であるが

    まだ 出ていない

      出たら 送る

    テープは しばらく 聞いていないので

    きけるかどうか わからん(^____^);;


    たぶん 大丈夫だろう^^;;


         近日 豆 ほかを 送る

              今月下旬か??

  • で 見れる

    見なさい  3分30秒のしんぼうや!!


    http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/news_business/p7da80b83f23fdca2f3ccc6c90fa90701

    そこらに ざらざら この程度やったら いるけどね

     (^___________^)

    ぼくの 美人GF のほうが はるかに 上や!!

  • >>No. 6159

    アホばかりかな^^

    外務省は 金とオンナで 籠絡されてるし!!

  • >>No. 94089

    こんな大きなtintinなのに 一人しか知らない(^___^)

     ほうさいは いいなあ!!

           たくさんで!!

  • >>No. 94077

    うん なにをしても 怒らない猫もいますよ

    うちにも^^


       小さい時から   育て上げたのは!!


     この 赤ん坊が たわむれているのは 雄猫じゃね!!

  • >>No. 94076

    理解できない^^


    http://special.movies.yahoo.co.jp/detail/20130610213764/

    この映画 おもしろそうや!!

     見るぞ!!  DVDで!!

  • >>No. 15728

    しなそば は あっさり (日本風ラーメン)

    ラーメンは^^ 中華ラーメン

         あぶらだらけ!!

            年寄りは 即 下痢


    http://special.movies.yahoo.co.jp/detail/20130610213764/

    この映画の 10分あたりが おもろい!!

  • >>No. 15731

    IMADEさん^^

     戒壇あとが 残ってるだけでも すごいやん^^

    インドでは 仏教徒はほとんどいない

    スリランカでは なぜか 戦争ばかりしている

    東南アジアの 仏教は どうも  おかしな具合である

    もちろん すばらしい点も 残ってるにせよですが!!

    中国も 戦争ばかりで 仏教そのものも かなり 変質している


    日本仏教が いちばん すばらしいですよ


      パーリー5部 は ほとんど 漢訳されています

        ほんとうの 仏教をしている方たち (道元さまを 先頭に)

             阿含仏教経典を ちゃんと 正確に 勉強していますよ^^


                    律も ちゃんとね( しぶりつ ごぶりつ 他の ビナヤなども
                                   漢訳がありますから)


              大乗戒律は 小乗(とまあ いちおうですが)戒律を 前提としたものです!!

              大乗戒律だけの 僧侶は にせものですよ^^

  • >>No. 94106

    うん 立派なもんや!!

    太いほうが いいらしいよ

    妻ってのは!!

    ドストエフスキーも よめさんの アンナに

    言っている

    きみが もうすこし 太かったら と^^

    アンナ夫人も そこそこ 太かったんだけど

    まあ ともかく ロシアは寒いからのお!!

  • WIKIPEDIAより引用
    *******
    石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日)は、
    昭和期の俳人。本名哲大(てつお)。
    正岡子規、高浜虚子を生んだ近代俳句発祥の地、愛媛県温泉郡垣生村(はぶむら)
    (現・松山市西垣生)に生まれた。
    明治大学文芸科中退。戦後の俳壇を先導し、俳句文学に大きな功績を残した。
    長男の石田修大は日本経済新聞社の元論説委員で、現在は流通経済大学法学部教授。
    日本経済新聞では「私の履歴書」の担当記者でもあった。
    また伝記や句集を編んだ俳人の友人に村山古郷や楠本憲吉がいる。
    バスを待ち大路の春をうたがはず(『鶴の眼』)
    吹きおこる秋風鶴をあゆましむ(『鶴の眼』)
    雁やのこるものみな美しき(『病鴈』)
    霜の墓抱起されしとき見たり(『雨覆』)

    +++++++
    別にこの方がどうということはないのですが、
    阪神大地震の前に住んでいた東灘区の家、その家で父は半世紀近くを過ごしました。
    となりの芦屋市に、高浜虚子の文学館があります。
    西隣りすぐに我が家があります。そして、高浜虚子の文学館へは
    ぼくの家から300メートルもないのですが、一度も行ったことがありません。
    今もって!!
    正岡子規の全集を持っていますが、あまり読んでいない。
    この石田波郷さんはまったく知らなかった^^;;

    大正2年といえば、わが父親が生まれた年で、まあ恐ろしいほどの貧乏人のこどもとして
    苦労をして、苦労して、
    その阪神大震災の日の昼頃、心臓麻痺であの世ゆき。
    享年82歳だったっけ??墓は東灘区の深江に村営の墓地があり、
    そこには57歳で亡くなった母が1975年に納骨されている。

    明治大学へ行けるほどの石田さんちが金持ちということと違って、まあ貧乏な家に生まれて、
    苦労して苦労して亡くなった。
    もっとも、もっと苦労したのは僕だったのかもしれないが
    (^__________________^);;
    まあ運命ってのはどうなってるんでしょうねえ??

    ビルマでは第55師団の師団長の当番兵として三代の師団長に仕えたという
    不思議な体験をしている。
    最初の師団長はまあふつうというか凡庸。
    次の師団長は英才で不撓不屈の立派な方。
    最後はまあすさまじく下品でわけのわからないおとこ。
    このおとこは満州事変を自分がおこしたといっていつも力んでいた人間。

    師団司令部にずっといた兵隊ってのは父親ぐらいなものでしょうが、
    なんで??司令部にずっといることになったのかをまず書きます。

  • 2013・6・11 火 石田波郷という詩人

    WIKIPEDIAより引用
    *******
    石田 波郷(いしだ はきょう、1913年(大正2年)3月18日 - 1969年(昭和44年)11月21日)は、
    昭和期の俳人。本名哲大(てつお)。
    正岡子規、高浜虚子を生んだ近代俳句発祥の地、愛媛県温泉郡垣生村(はぶむら)
    (現・松山市西垣生)に生まれた。
    明治大学文芸科中退。戦後の俳壇を先導し、俳句文学に大きな功績を残した。
    長男の石田修大は日本経済新聞社の元論説委員で、現在は流通経済大学法学部教授。
    日本経済新聞では「私の履歴書」の担当記者でもあった。
    また伝記や句集を編んだ俳人の友人に村山古郷や楠本憲吉がいる。
    バスを待ち大路の春をうたがはず(『鶴の眼』)
    吹きおこる秋風鶴をあゆましむ(『鶴の眼』)
    雁やのこるものみな美しき(『病鴈』)
    霜の墓抱起されしとき見たり(『雨覆』)

    +++++++
    別にこの方がどうということはないのですが、
    阪神大地震の前に住んでいた東灘区の家、その家で父は半世紀近くを過ごしました。
    となりの芦屋市に、高浜虚子の文学館があります。
    芦屋市の西隣りすぐに神戸市東灘区深江があります。
    高浜虚子の文学館へは
    ぼくの家から300メートルもないのですが、一度も行ったことがありません。
    今もって!!
    正岡子規の全集を持っていますが、あまり読んでいない。
    この石田波郷さんはまったく知らなかった^^;;

    大正2年といえば、わが父親が生まれた年で、まあ恐ろしいほどの貧乏人のこどもとして
    苦労をして、苦労して、
    その阪神大震災の日の昼頃、心臓麻痺であの世ゆき。
    享年82歳だったっけ??墓は東灘区の深江に村営の墓地があり、
    そこには57歳で亡くなった母が1975年に納骨されている。

    明治大学へ行けるほどの石田さんちが金持ちということと違って、まあ貧乏な家に生まれて、
    苦労して苦労して亡くなった。
    もっとも、もっと苦労したのは僕だったのかもしれないが
    (^__________________^);;
    まあ運命ってのはどうなってるんでしょうねえ??

    ビルマでは第55師団の師団長の当番兵として三代の師団長に仕えたという
    不思議な体験をしている。
    最初の師団長はまあふつうというか凡庸。
    次の師団長は英才で不撓不屈の立派な方。
    最後はまあすさまじく下品でわけのわからないおとこ。
    このおとこは満州事変を自分がおこしたといっていつも力んでいた人間。

    師団司令部にずっといた兵隊ってのは父親ぐらいなものでしょうが、
    なんで??司令部にずっといることになったのかをまず書きます。
    次回(^__________^);;

  • >>No. 94172

    はい やっと 地獄へいってくれて

     助かりました!!


       死後は しごく^^ 安泰です


           病気もなおるのが 早かった 完治はしていないけど!!



      オザワも はよ しね!!  日本のために

  • >>No. 94160

    これは まだ ブスな写真ですね

    もっと いいのもあるはずですよ


      20歳ほど 下だったのかな??

  • >>No. 94161

    新約聖書が 彼の 愛読書でしたからね


     シベリアの 収容所へいくとき

           なんとかの乱で^^::

              やはり ウラルのほうへ 流刑されている ご婦人に


      もらったとか


         聖書って しかし 誤訳ですね

                本たちって のも 困るけど

             ほんまに 性的なほうが 多いのではないかと^^

                   旧約のほうは 特に 性書^^

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