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投稿コメント一覧 (3894コメント)

  • ツルゲーネフは19世紀ロシアの作家。
    同時代にトルストイやドストエフスキーがいます。

    高校生の頃、ロシア文学を読み耽った時期がありまして、
    ツルゲーネフにも手を出しました。
    何作か読んだんですが、ストーリーが記憶に残っているものは皆無です。
    結局、文学史を追ううえで読んでおく必要に迫られた、
    という程度のつまらない動機だったためでしょう。

    あらすじをネットで調べてみたところ、
    「パリの社交界で奔放な生活を送る妻に愛想をつかして、
    単身でロシアに戻ってきた貴族の男。
    遠縁の家で、成長したそこの娘に恋をしてしまう。
    彼女は慎み深い物静かな女性で信仰に厚く、妻とは好対照。
    パリに残した妻が死んだという報せを受け彼女に告白するが、
    それは誤報で、とつぜん妻が目の前に現れる。
    彼女は心を打ちひしがれ修道院に、妻は男のもとを去り再びパリへ」

    と、まあ、ありふれた三角関係のロマンスの破局に見えますね。
    でもね、たったひとつ心に残っている場面があるんです。
    それはこの物語の結び、エピローグにある小さな、小さな逸話でして。

    この貴族の男、すったもんだの挙句、自分の領地の館に戻るんです。
    そこには懐かしい穏やかな生活が待っているんですが、
    しかし、長年そこで働いてきた老婆の死に立ち会うことになる。
    領地の片隅にある掘立小屋で、彼女は死の床についていて、
    今日、明日にも逝こうとしている。

    でも、老婆の信仰には一点の曇りもない。
    ただ神にまっすぐ向き合い、
    ありのままに自分の運命を受け入れている。
    働きづめだった一生からようやく解放され、
    いま神の御許に召されようとしている、
    ただそのことに感謝しているんです。

    それを見た時の男の感懐なんですが、
    「信仰には教育も身分も役に立たないんだな、
    いやそれは逆に邪魔なのかもしれない。」
    正確にはそのセリフ、どんな内容だったのか覚えていませんが、
    なんだかそんなことを呟いて、この小説は終わるんですね。
    その場面だけが、未だに記憶に残っておりまして、
    今朝目がさめる時、なぜか夢うつつに思いだしておりました。

  • >>No. 7779

    予想外のお答えでした。。。
    まだいろいろな引き出しを持っていそうですね。
    これからもよろしく。

  • >>No. 7782

    >なんだと思われました〜?^^;

    具体的なイメージがあったわけじゃないんですが、、、
    人文分野かなぁ、と、根拠もなく、ただ漠然と。

    植物かあ、だから「詩情溢れる花」なんですね、なるほど。

    +++++++++++++++++++++++

    ついでに、独り言を。

    明け方、夢で目をさましました。
    日本大使館の廊下で大使と立ち話を、
    というよりなんとか歓心を買おうと、あれこれ話題を出しているのはぼくの方で。

    つぎに突然場面が変わると、
    コンクリートの打ちっぱなしの壁に、ひとりでしがみついてるんだ。
    足元は奈落で底が見えない。
    ぶら下がっているのは奥行きのある窓の桟らしい。
    そりゃあもう落ちまいと必死で、そこによじ登ろうと片足をかけたところで。。。
    目が覚めた。

    ここも長くなるから、そろそろ帰国しろ、なんて話にならないかと。
    (でも大使館とは何の雇用関係もありません。)
    ま、日本もいいけど、まだここを離れたくもないし、
    という気持ちが夢になって現れたのかもしれません。

  • >>No. 7593

    「小島屋」だった。ふと思い出した。
    伊東屋は文房具屋だもんね。。。

  • >>No. 7800

    「小嶋屋」だったか、そっか、そっかあ。
    ぼくが良く行ったのは、駅前左手の雑居ビルの2階にあったほう。
    今はもうなくなったようだけど、
    ロシア極東からの帰りにはそこによって食べた。
    ついでにお土産に乾麺を買って帰ったっけ。

    新潟駅を出て右側に行った飲食店街のなかにもあったな。
    そこでは何人かと一緒にへぎそばをたべたことがある。
    うん、とてもおいしかった。

    伊東屋本店は銀座ですね。
    青山に支店、二子玉川の高島屋5階にもあるな。
    ほかにもいろいろなところに出店してるんだろうけど。

  • >>No. 7801

    「植物にかかわる詩」、という本のタイトルなんですね?
    英語で詩を読むのは、難しくありませんか?
    T.S.エリオットが好きで、
    Wast Landを原文で読んだ記憶があります。
    アメリカから英国に帰化した変わり種ですよね?
    なんだか、アメリカの臭いがしない詩人でした。

    こちらは通算すると7年半になります。
    でも今回は5年なので、普通はそろそろ、という感じ。
    日本より治安がよい国は少ないでしょうが、
    命を狙われるなんてことは、
    夜道の一人歩きなんてことをしいなければ大丈夫(だと思う)。
    傷害、ひったくりの類はもちろんありますが。

    ぼくは、ファスト・フード店で、
    座席の背もたれにジャンパーを掛けて食事をしていたら、
    財布を掏られたり、なんやかんやで、
    総額ではたぶん5千ドル相当やられてます。
    まあ、ぼくがボンヤリしているのが悪いのですが。

    でも、なんだかこの街には愛着が強くて、
    ひとびとも街のたたずまいも、全部ひっくるめて好きなんですね。
    まあ、組織の一員である以上、好みや勝手は通じませんが。

  • 人の夢と書いて「儚い」と読むぐらいだから、
    目覚めたとたんに消えてしまう、
    なにか見たようだけど、まるで覚えていない。
    せいぜい目覚めて数分は残影が残っているけれど、
    やがてハカナク消えて行く。
    そんなもんですよね?

    でも、消えない夢もあるようです。
    ほら、オベール司教の見た夢。
    聖ミカエル(仏語ではミシェル)が現れて、
    「沖合の岩礁に聖堂を建てなさい!」
    司教は『所詮夢じゃないか』と軽んじて、
    1度、2度と聞き流していた。
    ところが3度目にはついに頭に穴を開けられて。。。
    その夢が司教を困難な事業に取り組ませた。
    さらに後代にも司教の夢は引き継がれて、
    その小島全体が要塞のような修道院に変わるんですね。
    ええ、「モン・サン・ミシェル」。

    そんな「夢」と比較するのは怖れ多いんですが。
    ぼくにも記憶に残ってる夢がありましてね。
    ええ、多少宗教と関わりがあるんです。

    10年以上前になりますでしょうか、
    仏教関連の書物を読み漁った時期がありました。
    そんな時に「法然」上人の伝記が出まして、
    すぐに買って読みました。
    その中に7世紀の唐の地の浄土教に関する記述がありました。
    善導門下の修行僧だったでしょうか、
    浄土への憧れがあまりに強く、早くそこに行きたい。
    その想いが募って、とうとう投身自殺してしまう。
    それが非常に濃く記憶に残りまして。
    そりゃちょっと違うんじゃないか、本末転倒だろう、と。
    まあ、簡単に言えば、
    私にとってその挿話は非常にショッキングだったんですね。

    その晩でした、夢を見ましてね。
    それはどうやら山腹の寺からの光景のようでした。
    薄墨色の曇天の下、見渡す限り寒々とした山並みが連なって。
    緑の葉もまばらな針葉樹に覆われている。
    寺の前庭、切り開かれた下り斜面の先に、一本の高い木が立っている。
    やはり葉のまばらな針葉樹でまっすぐに。杉でしょうか。
    そこに黒い僧衣と数珠を身にまとい、
    30代ほどの若い僧侶が現れて、木を攀じ登って行く。
    で頂上近くから思いきりよく飛びおりてしまうんです。

    その直後、場面は暗転したかと思うと、
    やがて暗闇の向こうに小さな金色の点が現れ、
    ゆっくりとこちらに近づいてくる、姿を次第に現しながら。
    それはきっと阿弥陀仏坐像なのでしょう。
    ただ金色なのは胴体だけ。
    顔と手足は暗色なので背景の闇にまぎれて良く見えない。
    喩えは悪いけれど、招き猫ほどの大きさになったところで止まり、
    しばらく中空に浮いていたと思ったら、パッと消えた。

    それだけのことなんですが、とても印象に残っておりまして。
    目覚めたあとも、その場面を何度も何度も反芻して、
    「いったいそりゃあどういう意味なんだ」
    と自分に問いなおしてみたけれど、よく分からない。
    ただなんとなくさびしい、
    それでいてどこか別次元の世界につながるドアの前に立たされた、
    そんな感覚が残りました。

    聖ミカエルの出現と比較するつもりはまったくないのですが、
    宗教にまつわる夢と言うことで引き合いに出させて頂きました。
    とはいえ、凡俗の悲しいところで、
    そのなかから意味のあるメッセージを見つけ出すわけでもなく、
    なになすところもなく、従来どおりの生活を続け、
    今日までのんべんだらりと生きております。

  • >>No. 7810

    そうですよね、夢が人を具体的な行動に駆り立てる。
    その結果、見た人のその後の人生を大きく変えてしまう。
    その人に大きな成果を成し遂げさせてしまう。
    そんなことがあるようですね。
    不幸にしてぼくには、眠りのなかに無作為に現れる夢のせいで、
    なにかをしでかそうと思ったことは、これまでありませんが。
    「死ぬまでにこれだけはぜひやりたい」という強い希望、
    という意味での夢はあるにはあるんですが。。。

    どちらの夢とも違うんですが、白昼夢と言っていいのか、
    聖ベルナデットが出会った出来事を思い出しました。
    ピレネー山脈のふもとの貧乏な家庭に生まれた病弱な少女。
    学校にも行けずフランス語の読み書きも不自由なまま14歳に。
    ある日薪を集めにある洞窟の近くに来たところで、
    ベルナデットちゃん、ある女性に出会うんですね。
    その女性が示したところに清冽な泉が湧きだして、飲むことができた。
    それからベルナデットちゃんはここに来ると遭うんです、都合18回も。
    神父に「次に遭ったら名前を尋ねる」よう言われたところ、
    「無原罪の聖母マリアです」と名乗ったそうな、ラテン語で。
    もちろんベルナデットちゃんはラテン語なんて知りませんから、
    聞いたままを神父に、それから村中が大騒ぎになる。

    それからその水を浴びると眼病がなおる、萎えた足が立つ。
    ようは「奇跡が起きる」とルルドの泉は一躍有名に。
    各地から巡礼者が訪れるまでになって、、、
    でも、ベルナデットちゃんは奇跡にはいたって冷淡だったそうです。
    人から聞かれても、
    「わたしは奇跡を見ていませんので、知りません」
    たぶん、現世ご利益には無関心だったのでしょう。
    彼女は確かに現世には存在しないはずの聖母マリアに出会った。
    そういう確信があったのだろうし、現世の向こうの世界を見ていた。
    現世の出来ごとにはもはや関心が起きようがない。
    たぶんそういうことだったんじゃないでしょうか。
    で、その後彼女はそのまま修道院に入ってしまう。
    フランス中部のヌブールという町にある女子修道院に。

    実は去年の冬にリヨンから車に乗ってル・ピュイをまわり、
    周辺の小さな村々にある教会の「黒い聖母像」を見て回ったんです。
    妻が見たがりましてね、
    ヌブールの修道院に納められた「聖ベルナデット」のご遺体を。
    腐らなかったそうなんです。
    で、礼拝堂の中でガラス・ケースに収められ、観覧ができる。
    失礼な言い方になりますが、ぼくには亡骸を見る趣味はないんです。
    だから、あまり熱心に探しませんでした。
    ヌブールについたのはもう夕方だったし、閉館時間まで数十分だ、
    間に合うはずもないと言って、妻を説き伏せて、そのまま次の町へ。。。

    でもぼくには、何か後ろ髪を引かれる想いが残っていたんですね。
    去年の夏にボルドーからツールーズまで旅行をしたとき、
    ぼくの方から提案して寄りました、このルルドの泉。
    妻もぼくも、奇跡にあやかりたいと強く願う気持ちはありません。
    別な言い方をすれば、
    ある場所でしか起こり得ない奇跡というものを信じることができない。
    ただ、聖ベルナデットが聖母マリアに出会ったという地を見たいだけ、、、
    いやあ、聞きしにまさる混雑ぶりで、泉の周辺はものすごい人だかり。
    行列にならんで、数秒泉の前に立ち止まっただけで、
    人ゴミをかきわけ、かきわけ、ほうほうの体でそこを後にしました。

    聖ベルナデットにとって、
    それがカトリック教会にとって奇跡だったかどうか、
    それは本当に些細なことなんだろうと思うんですね。
    その体験は極めて個人的なもので、
    それが貧困にあえぎ、病気にあえぐ彼女の生きる支えになった、
    そしてそれが彼女を修道院に駆り立てたんだ、
    ということが、その出来事のもっとも本質的な意味なんだ、
    そんな風に思えるんです。
    彼女にとってはその体験を他人が信じようが信じまいが、
    あまり重要なことではなかったんでしょうね、きっと。

    夢から話がそれましたが、ふと考えたものですから。

  • >>No. 7811

    ええ、エリオットが論じられるとき、
    エズラ・パウンドの名前を良く目にしましたが、
    その著作に触れたことはありません。

    エリオットに行きつくきっかけは、
    戦後詩の鮎川信夫をはじめとする「荒地」派の詩人でした。
    戦前の詩人、村野四郎だったか、
    エリオットの一節をまねるような一行を描いていた、
    「『四月は残酷な月』というほどのこともないけれど、
    親猫が子猫を食べている月だ」
    うろ覚えですが、、、

    かれらがそれほどまでに傾倒する詩人って
    いったいどんな作品を描いているんだ。
    それがエリオットの
    “Wasteland”(さきほどはミス・スペルでした、浅学ぶりを暴露^^;)
    に行きついた経緯です。

    「アルフレッド…の恋唄」
    鮎川も訳しているようですが、ぼくが読んだのは上田保訳。
    >悪意にみちた
    >ながい議論のようにつづいて
    >逃げばのない疑問にひきずりこむ街……

    その頃のロンドンの煤けた町並みがぼんやりとよみがえるようで。
    そちらにお住まいですと、ちょっとひっかかるかも知れないけど。
    裏通りをさ迷う詩人の漂泊のこころがえがかれているようで。

    こちらは朝はしとしと雨でしたが、
    ちょっと用事があって近所まで徒歩で出かけました。
    昼から雪に変わりまして、雪を全身に浴びながら帰ってきました。
    いま、家に垂れこめてまったりしているところです。

  • >>No. 7815

    >私は無宗教でして、宗教関係のお話は全く駄目なんですが^^;

    そうでしたか。。。
    それでは随分と退屈な話だったでしょうね、それも長々と。
    でも、他ではまず話すことのない話題が書けて気が晴れました。
    この場を提供して頂いたことに、感謝!

  • 以下お願い:
    ①一覧リストを固定できるようにしてほしい。
     (現在でも一覧リストに変更する機能はあるが、
      ページを変えるごとに変更し直す必要あり、面倒。)
    ②メッセージのタイトル、または投稿者名をクリックすることで、
     その過去投稿を時系列でソーティングする機能を加えてほしい。
     (投稿者の多いスレでは関心ある人・ものだけピック・アップして読みたい。)
    ③上記②に関しては、現在でも投稿者名をクリックすると、
     すべての過去投稿が表示される機能はあるが、
     それとは別に特定のスレに限定して、という意味。補足です。
     (そのスレでの話題の流れに沿って遡って読みたい、ということ。)

    それから、以前に書いたことの繰り返しになりますが、
    ブラボー・ブーイングの数で文字の大きさを変えるのは止めて頂きたい。
    なんだか特定の投稿者に対する匿名の好き嫌い、
    特に懲罰的な意思表示を感じてしまって、気分が悪い。
    第一読みづらい。

  • 一覧表示をフィックスできるようになったんだぁ。。。
    あっしが昨日「ご意見スレッド」にそうするよう頼んだおかげ、
    じゃあないんだろうけど。(かなり前から?)

    あと文字の大きさを変えないでくれると、読みやすいんだがなぁ。
    それでも、ブーイングの多いカキコも、
    一応読める字の大きさにはなったんでつね。

    でもさ、文字の大きさを変えるってえのは、
    どう考えてもやりすぎじゃないだろうか。。。読みにくい。
    (とだいぶ前に「ご意見」しといた。)
    それが楽しい、って人の方が多いとは、
    あっしにはとても思えないんでつが。

    管理者側、フォントを変えるのが「一押しの売り」
    って勢い込んで、引くに引けなくなってね?

    ま、ともかく。
    これなら投稿者の多い8411でも、使えるかも。

  • >>No. 793

    ①一覧表示の固定:すでに変更済みと、さきほど気付きましたので、撤回します。
    ②③もタイトルをクリックすることで、それまでの交信が読めるのは良いと思う。

    ところで、文字の大きさを換える代わりに、
    ブラボー/ブーイングの数をメーター表示にしてもらえませんか?
    ほら、You Tubeのように、ただし色つきで。
    緑と赤に二等分表示できれば分かりやすいと思いますが。

  • 小学生のころ、よく喰らいませんでした?「甘納豆」。

    合掌するように指を組んで、人差し指だけ突き出して。
    二本ぴったり合わせて、ピンと、針のように。
    かたまって話に夢中になってる連中を見つけると、
    気取られねえように、こっそり背後から忍び寄って。
    机に手なんかついて前かがみになってる野郎を狙って。
    ヤロウ、うん、男のことね。

    やおら、
    「甘納豆ォォォオオオーーーッ!」
    と叫んで、股間にプスッ、と、二本の人差し指を。
    なぜか知らねえが、あっしらの地方じゃ、
    これを「甘納豆」と呼んでました。

    不意を喰らったヤツの驚くのなんのって、
    そこがまた面白い。
    でもね、ただじゃ済まねえんだな、これが。
    「痛ッ!」
    とか言って跳ね上がったかと思うと、
    「アニすんでえ、このやろっ!」
    追い回されたあげくヤツの仲間に取り押さえられて、
    逆にとびきり痛えのを喰らわされる。
    「ヘッ、ざまあ。目には目を、歯には歯を、ってんだ」

    そう、「目には目を」って、小学生でも知ってまさぁね。
    で、これね、「シャリヤ法」ってんだそうです。
    そう、イスラム世界の不文律。
    コーランという、神対個々人の戒律を示した書がありますが、
    それだけにとどまらない。
    社会全体の秩序を統べる規律まで含んでるもんです。

    教祖は言わずと知れた預言者モハメッド。
    このひと、もとをただせば武将だったそうでして、
    復讐の連鎖を断つことにも心を配ったんでしょう。
    つまり視角を奪われたら、相手の視角を奪ってよろしい。
    だがそれを超える仕返しは禁じたんですね。

    むかしあるアメリカ人が
    サウジ・アラビアの砂漠の一本道を車を走らせていた。
    目の前に突然飛び出して来たベドウィンの少年。
    避けきれねえで跳ねちまい、死なせてしまった。
    その場にいた少年の父親は、詫びるアメリカ人の手足を縛った。
    そして道路に突き倒すと事故を起こした車で
    その上を何度も行き来して轢き殺してしまった。
    それからこのベドウィンの父親、
    「さて、これで我が法での裁きは終えた。
    今度はオマイの法で裁かれることにしよう」
    そう言って、アメリカ大使館に出向いたという。
    これ、実話だそうです。

    あちらじゃ人の命を奪うのに、故意か過失かの区別はねえ。
    どちらも殺人だそうでして、命をもって償わなきゃならねえ。
    なんとも悲惨な話には違いないんですが、
    ただこの父親、相手の国の法をないがしろにはしねえんだ。
    そういう姿勢が救いと言えば救いではある。

    彼らは言うんです、
    元来イスラム教は異教にも寛容な宗教だ、ってね。
    たしかに支配下に置いた人民に
    イスラム教への改宗を強制することはねえようだし、
    人殺しを奨励している宗教なんてないだろうからね。
    ただ、イスラム世界への攻撃に対しては、
    過剰なまでの防衛本能が働く、というのも事実のようだ。
    これも十字軍との聖戦以来の習い性でしょうかねえ?

    9.11以来、イスラム世界に対して、異質なもの、
    なにか怖いものを見るような視線が向けられている。
    アメリカの前政権はあの事件をきっかけに、
    テロとの関係が曖昧なまま、イラクの世俗政権を倒しちまった。
    それが逆にイスラム武装勢力を
    ますます刺激することになったのは
    なんとも皮肉なことでありました。

    おととし始まった民主化を旗印にした「アラブの春」。
    エジプトやチュニジアという腐敗した政権が倒された。
    シリアの世俗政権は、今崖っぷちにある。
    だが民主化の掛け声に反して、イスラム勢力が支持を集めている。
    そして、つい先だってのアルジェリアの事件。
    イスラム過激派に強硬な姿勢を取る軍事政権は、
    人質の命より連中に屈しない姿勢を内外に示す道を選んだ。

    もちろんイスラム世界に自分たちの価値観を押し付ける
    キリスト教圏への強い反発もあるんだろうけれど、
    「シャリア法」と「近代法」とのせめぎ合いという
    イスラム世界内部の事情もあるんでしょうね。

    だとしても日本人を標的にする根拠はまるでないように見える。
    「異教徒に対しては、手当たりしだいに無差別攻撃だ」
    ってんなら、もはやまともなムスリムの支持も得られめえ。
    武装勢力を名乗る盗賊集団、自壊の道を行くしかねえと思うけど。

    日本人10人を含む犠牲者のご冥福をお祈りします。
    (長文につき、数分後に自動消滅します。)

  • と言ったら、ヴィンテージもの。
    年代が古いほどよろしい、ってなことを言いますな。
    まあ手間暇かけた分、値段も高くなる、、、
    ってなそんな簡単なもんでもねーよーで、
    ワイン蔵の杜氏やらその醸造の仕方、
    その年のブドウの出来、不出来にもよるそうですが。

    そこへ行くってえと、蕪の漬物なんてえのは、
    まだラクチンなよーですね。
    古い樽にぎっしり詰め込んで、重石をのっけて、
    だいどこの隅っこでほったらかしでも間違いがねえ。

    この蕪の古漬けってえヤツが、あっしゃあ好物でして。
    ミズナの漬けモンなんざあ、
    もう父さんじゃねえか、なんて頃から浸かってますな。
    お新香も頂くんですが、これも漬けっぱなしで、
    いつの間にやら新香じゃなくなってたり。
    ま、中には潰れちまったなんてえのも。。。

    自慢にもなにもならねえんですが、
    とにもかくにもあっしゃあモノグサでして。
    いえね、蕪を買うときゃあ、いろいろ吟味はするんです。
    そりゃもう夜も寝られねえほどにね。
    ところがいったん買って、樽に詰め込んじまうと、
    あとは忘れちまうんですね、きれいさっぱり。

    時代遅れかもしれませんが、ちょっと気取りゃあ
    「バイ・アンド・ホールド」
    ってんでしょうか。
    実のところは、毎日発酵具合を確かめるのがどうにも億劫だ。
    だいいち神経がすり減っちまう、ってわけでして。

    だけどなんかのご縁で同じ蕪を買ったんだ。
    どんな漬け方してんのか、てえのもあるんですが、
    それよりここでのみなさんのお話聞いてますってえと、
    ひとり勝手に親しみを味わってるってえ次第でして。
    こんな場違いな野郎ではありますが、
    たまには会話の仲間入りをさせてもらいてえ。

    ところが、要領よく話をまとめるのが大の苦手ときてる。
    ついつい、いつも牛の涎になっちまう。
    もうすこし短くするよう気をつけてえとは思いますが、
    お気に障るみなさまには予めお詫びかたがた、
    あっしのアイコンみつけたら、
    どうぞハナっからすっ飛ばして頂きますよう、
    ひらにお願い申し上げまする。

    追伸
    先週の「ヤルタの亡霊」は一瞬で消されたけど、
    ゆんべの「甘納豆」はまだ生き残ってるなあ。
    サクる基準がよう分からん。

  • >>No. 949860

    先斗町さま、ご無沙汰しております。

    先週から2000字弱の投稿、二度しておりますが、
    アップする分には、特に問題ありませんでした。
    先週アップしたヤツは、すぐに削除されましたが、
    なぜか、その理由は分かりません。
    規定違反なのか、どなたかが違反報告されたのか。
    内容はいつもどおりのばかばかしいモンで、
    私自身は違反とは思っておりませんが。
    ですから、システム上の問題じゃあないと思います。
    どうぞ、引き続き全文一挙掲載、トライしてください。
    アップできるはずです。たのしみにしています。

    ところで、これまでテキストリームでは
    メッセージ一覧表示ができないと思い込んでおりまして。
    私のは場所フサギになるだけと、柄にもなく遠慮してたんです。
    それに最小の文字じゃとても読めない、
    私のは最小になること確実だってんで、遠ざかっておりました。
    一覧表示可、最小文字でも読める大きさになったと知って、
    投稿再開しています。
    幸い、みなさんが私の投稿の文字を読みやすいように
    最小のフォントに換えてくださるものですから、
    長文でもジャマにもならねえし、さらりと読むにはちょうどいいし、
    ってんで、これからもこの辺をウロチョロしようと思います。
    引き続きごひいきのほど、よろしくお願いします。

    恭一拝

  • >>No. 949925

    こんばんは。
    一式さんの元HNで
    私が推測している方は2人ほどいらっしゃるんですが、
    えぐるような鋭さは、多分、、、

    ともあれ、これからもよろしくお願いします。

  • >>No. 949924

    いつも過去投稿の発掘、ありがとう。
    つまり、掲示板のSerial No.で掘り起こし可能ってことっすか?
    なにがでてくるか、こわいな。

  • >>No. 949940

    無垢さん、こんばんは。
    いつも投稿、拝見してます。

    今日書きましたように、ぼくはずぼらな漬物屋、
    ですんで、寄らば切るごとき相場師はもう恐れ多くて。
    でもいつか役に立つかも、と思いつつ。

    週末の夜をとうぞまったり、ごゆっくり。

  • 最近あんまり見ませんが、
    子供の頃はよく見かけたもんです。
    暗くてじめじめした所なんかにね、
    ぬめぬめとした粘液を吐きながら壁を這ったり。

    そう、ナメクジ。
    あんまり姿形の美しいもんとは思えなかったなぁ。
    で、これを見つけますってえと、塩を持って来て、ね?
    ぶっかけませんでした、山盛りに?
    男ならきっと身に覚えがあるでしょう。

    シュワシュワっと小さくなったかと思うと、
    しまいにゃ姿が消えちまう。
    お亡くなりになっちまうそうですね、
    大量の塩をかけられたりすると。
    身体のほとんどは水分だ、それが吸いだされるそうで。
    要するに脱水症状。

    この残虐さ、男児には共通してあるようだ。
    実験気分の面白半分であるにはしても、
    つまるところは立派な破壊衝動。
    ブザマな姿は見たくねえと、塩をかけちまう。

    ま、女児にもイヤなものを見たくねえ、
    って気持ちは共通するんだろうが、
    「キャッ」と悲鳴をあげて逃げちまう。
    塩をかけるためにわざわざ追いかけるなんてマネは、
    虫愛ずる姫君以外にゃ、あんまりしそうもねえ。

    逆に快楽を得たいがために、
    つまんだり、さすったり、こすったり。
    するってえとムクムクと大きくなる、ってえのも男の特徴だ。
    TEXTREAMの設計やってる連中って、
    欲求不満の男が多いような気がするのは、あっしだけかな。

    まあ大きいと嬉しいのは女性も同じでしょうが、
    小せえヤツはまっぴらごめんこうむりたいということなのか、
    最近、婀娜っぽい女性たちの姿がここから消えたような気が。
    それとも、なにかイヤなものでも見たんでしょうかねえ?

    とにもかくにも、「野郎の児戯に類するお遊び」、
    てな感じがいたしますね、TEXTREAM見てますってえと。
    こんな建てつけに仕上げた連中、
    人間の心理がどんなものか、どんな結果につながるものか、
    あまりお分かりになってねえような気がします。

    なにも学術論文や文芸作品を読もうってんじゃねえんだ、
    他愛のない雑談に、いちいちGOODもBADもあるめえ、ってね。
    おんなじことをおっしゃる方が多かったようで、
    その後文字の大小の差は縮まりましたが、
    それでもなお基本仕様は頑固に変えねえようだ。

    でもさ、こんなことをしていたら結局書き手が減って、
    ここも限界集落化しかねねえ。
    「看板をあちこちに建てて広告料を稼ぐんだ、
    そのために人を集めてるんだぜえ」
    ってんなら、なんだか逆のことをやってるような、、、
    どこかに甚だしい勘違いがありそうですなぁ。。。

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