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No.30
弟子たちよ、悲しんではならない…
2016/03/20 10:45
弟子たちよ、悲しんではならない。私がたとえ何万年と生きようとも、生まれたものは必ず滅びるのである。生まれたのに滅びないということは決してない。自分も他人も幸せになる方法は、皆が理解した。私がこれ以上生きていても、もう説くことはない。救うべき者は、神でも人でも全て救うことができた。まだ救っていない者にも、いずれ救われるように教えを遺した。今後、弟子たちが、教えを伝えて実践していけば、私は教えとして生き続け、死ぬことはない。だから知るべきである。世界は、すべて無常であって、出会いがあれば必ず別れがくる。悲しんではならない。世界の真実がそうなのだ。お前たちも努力して早く悟りを開き、智慧の明かりによって無知の闇を照らしなさい。
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No.31
賛成
世界は、実に危うくもろく、常住…
2016/03/20 10:46
世界は、実に危うくもろく、常住なものなど存在しない。私が今死ぬということは、悪い病から解放されるようなものである。これこそ、捨て去るべき最悪のものである。それはいわゆる「身体」というもので、生・老・病・死の海に沈んでいる。どうして智慧ある者が、敵のように捨てるべき身体をなくして、喜ばないでいられるだろうか。
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No.32
弟子たちよ、いつも一心に仏道を…
2016/03/20 10:46
弟子たちよ、いつも一心に仏道を求めなさい。世間のあらゆるものは、いずれ壊れてなくなってしまうのだ。弟子たちよ、しばらく静かにして、話をしてはならない。時はまさに過ぎ去っていく。私の最期がやってきた。これが私の最後の説法である。
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No.34
なるべく漢字熟語(中国語)は使…
2016/03/20 10:56
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No.38
漢字や熟語を使うと なん…
2016/03/20 11:40
漢字や熟語を使うと
なんか偉く賢くなった気分になるのだろう
だが己れの為には何の役にもたたず、かえってマイナスぢゃ(・◇・)/ -
No.39
たとえば 諸法無我 という漢字…
2016/03/20 11:45
たとえば 諸法無我 という漢字熟語…
多くの者が理解できなかったり曲解するので
私はあえて諸法非我という言葉を使っているがホントはどっちでもいい
ただの漢字、言葉…わかりやすい日本語で言うと
何処にも我など無い、我が物など無い、自己など無いということだろう
心臓がアナタなのか?脳がアナタなのか?墓や骨、位牌がアナタなのか?
死ねば現金だろうと株だろうと土地だろうと持ってイくことはでき無い
自分の身体でさえ…ましてや我が子がなんで我が物であろうか?
そういうことを伝えたいのだろうが
自分は存在していないなどと曲解して使うアフォがいるのも事実…
このように今後は日本語でわかりやすく仏教を広めて行くべきである
早く中国仏教の洗脳とらわれから解かれ脱し
言葉などに執着せずくだらぬ煩悩を捨て精進するべき
上座を好む性質の汝の想いはすでに皆に見透かされている -
No.40
今日は早めにジムで精進して来ま…
2016/03/20 12:22
今日は早めにジムで精進して来ますわ…
そのあとは温泉で水行、サウナ行の予定ですし
夕飯は家で精進鍋の予定だから夕方には帰ると思いまふ (・◇・)/~~~ -
No.42
お釈迦さまが死ぬ直前の言葉だか…
2016/03/20 13:54
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No.44
ただいま帰宅 なう (・◇・)…
2016/03/20 18:57
ただいま帰宅 なう (・◇・)/
天丼セットが美味そうだったので
つい食べたけど満足しました…ささやかな幸せ♪
朝の話ではないが満足すること、足るを知ることが幸せだと思う
ガキどもに我唯知足などの言葉を使って理解するだろうか?
オトナでも??だろう…それよりも、それで満足しなさい、足るを知れ!
といった方が簡単だし相手もすぐに理解するであろう…
大乗系ほど無学な民に対して不親切で慈愛、配慮が足らない
まるでユダヤかバラモン祭祀の如くプライドばかり高い経典バカが多い
菩薩行がしたいなら子供目線まで己れが低くなり簡単な言葉か方便で
そうでなければ広く民衆に仏法が浸透するはずが無い
大乗中国仏教では漢字の呪文を唱えさせるぐらいが関の山 -
No.45
271 、272 、 わたしは…
2016/03/21 06:01
271 、272 、 わたしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。


お釈迦様、ここにいる弟子たちは…
2016/03/20 10:43
お釈迦様、ここにいる弟子たちは、四つの真理について理解しており疑問はありません。まだ修行を完成していないものは、お釈迦様が亡くなると大いに悲しむでしょう。修行を始めたばかりでも、お釈迦様の説法を聞けばたちまち救われるからです。それは真夜中に、稲妻で照らされて道が分かるようなものです。一方、修行を完成し、苦しみの海を渡った者も、お釈迦様が亡くなれば「お釈迦様が亡くなるのは、何と早いことだろう」と思うことでしょう。
アヌルッダはこのように語り、弟子たちは皆、四つの真理を理解していたが、お釈迦様は、大勢の修行者の修行が堅固であるように、慈悲の心で再びお説きになった。