ここから本文です

投稿コメント一覧 (34コメント)


  • 271 、272 、 わたしは、出離の楽しみを得た。それは凡夫の味わい得ないものである。それは、戒律や誓いだけによっても、また博学によっても、また瞑想を体現しても、またひとり離れて臥すことによっても、得られないものである。修行僧よ。汚れが消え失せない限りは、油断するな。

  • 地下鉄サリンのテロ事件から21年…

    今だに変な宗教と変な教祖を信じ

    熱を上げる洗脳アフォがいる…

  • ただいま帰宅 なう (・◇・)/

    天丼セットが美味そうだったので

    つい食べたけど満足しました…ささやかな幸せ♪

    朝の話ではないが満足すること、足るを知ることが幸せだと思う

    ガキどもに我唯知足などの言葉を使って理解するだろうか?

    オトナでも??だろう…それよりも、それで満足しなさい、足るを知れ!

    といった方が簡単だし相手もすぐに理解するであろう…

    大乗系ほど無学な民に対して不親切で慈愛、配慮が足らない

    まるでユダヤかバラモン祭祀の如くプライドばかり高い経典バカが多い

    菩薩行がしたいなら子供目線まで己れが低くなり簡単な言葉か方便で

    そうでなければ広く民衆に仏法が浸透するはずが無い

    大乗中国仏教では漢字の呪文を唱えさせるぐらいが関の山

  • しかし試しに

    この感情?の賛成反対を

    取り入れたけど役に立たなそ…(・◇・)/~~~

  • >>No. 41

    お釈迦さまが死ぬ直前の言葉だから

    こういうことを弟子に言われたのかも

    マッサージイスでうたた寝してたわw 今からジムへ(笑)(・◇・)/~~

  • 今日は早めにジムで精進して来ますわ…

    そのあとは温泉で水行、サウナ行の予定ですし

    夕飯は家で精進鍋の予定だから夕方には帰ると思いまふ (・◇・)/~~~

  • たとえば 諸法無我 という漢字熟語…

    多くの者が理解できなかったり曲解するので

    私はあえて諸法非我という言葉を使っているがホントはどっちでもいい

    ただの漢字、言葉…わかりやすい日本語で言うと

    何処にも我など無い、我が物など無い、自己など無いということだろう

    心臓がアナタなのか?脳がアナタなのか?墓や骨、位牌がアナタなのか?

    死ねば現金だろうと株だろうと土地だろうと持ってイくことはでき無い

    自分の身体でさえ…ましてや我が子がなんで我が物であろうか?

    そういうことを伝えたいのだろうが

    自分は存在していないなどと曲解して使うアフォがいるのも事実…

    このように今後は日本語でわかりやすく仏教を広めて行くべきである

    早く中国仏教の洗脳とらわれから解かれ脱し

    言葉などに執着せずくだらぬ煩悩を捨て精進するべき

    上座を好む性質の汝の想いはすでに皆に見透かされている

  • 漢字や熟語を使うと

    なんか偉く賢くなった気分になるのだろう

    だが己れの為には何の役にもたたず、かえってマイナスぢゃ(・◇・)/

  • さて、昼の精進料理を作ろ

    では、また…

    (・◇・)/~~~

  • >>No. 33

    なるべく漢字熟語(中国語)は使わない方がいいのでは?

    文字自体に意味があるし曲解する原因になっている

    日本人だからパーリ語からの日本語訳が1番いい

  • 弟子たちよ、いつも一心に仏道を求めなさい。世間のあらゆるものは、いずれ壊れてなくなってしまうのだ。弟子たちよ、しばらく静かにして、話をしてはならない。時はまさに過ぎ去っていく。私の最期がやってきた。これが私の最後の説法である。

  • 世界は、実に危うくもろく、常住なものなど存在しない。私が今死ぬということは、悪い病から解放されるようなものである。これこそ、捨て去るべき最悪のものである。それはいわゆる「身体」というもので、生・老・病・死の海に沈んでいる。どうして智慧ある者が、敵のように捨てるべき身体をなくして、喜ばないでいられるだろうか。

  • 弟子たちよ、悲しんではならない。私がたとえ何万年と生きようとも、生まれたものは必ず滅びるのである。生まれたのに滅びないということは決してない。自分も他人も幸せになる方法は、皆が理解した。私がこれ以上生きていても、もう説くことはない。救うべき者は、神でも人でも全て救うことができた。まだ救っていない者にも、いずれ救われるように教えを遺した。今後、弟子たちが、教えを伝えて実践していけば、私は教えとして生き続け、死ぬことはない。だから知るべきである。世界は、すべて無常であって、出会いがあれば必ず別れがくる。悲しんではならない。世界の真実がそうなのだ。お前たちも努力して早く悟りを開き、智慧の明かりによって無知の闇を照らしなさい。

  • お釈迦様、ここにいる弟子たちは、四つの真理について理解しており疑問はありません。まだ修行を完成していないものは、お釈迦様が亡くなると大いに悲しむでしょう。修行を始めたばかりでも、お釈迦様の説法を聞けばたちまち救われるからです。それは真夜中に、稲妻で照らされて道が分かるようなものです。一方、修行を完成し、苦しみの海を渡った者も、お釈迦様が亡くなれば「お釈迦様が亡くなるのは、何と早いことだろう」と思うことでしょう。

    アヌルッダはこのように語り、弟子たちは皆、四つの真理を理解していたが、お釈迦様は、大勢の修行者の修行が堅固であるように、慈悲の心で再びお説きになった。

  • 弟子たちよ、苦しみと、その原因と、原因をなくすことと、そのための修行という四つの真理について疑問があったら、今すぐ質問しなさい。疑問を残して答えを出さないのはいけない。お釈迦様はこのように三度問いかけられたが、誰も質問する者はいなかった。弟子たちにはもう疑問がなかったからである。その時、アヌルッダが、弟子たちの心を察してお釈迦様に申し上げた。

    お釈迦様、たとえ月が熱くなり、太陽が冷たくなったとしても、お釈迦様がお説きになった四つの真理は決して変わりません。お釈迦様がお説きになった苦しみの真実は本当に苦しみです。安楽に変わることはありえません。原因の真実は、まさに苦しみの原因であって、ほかに別の原因はありません。苦しみがなくなれば、原因がなくなるのですから、結果もなくなります。苦しみをなくす修行こそ、真の修行です。ほかの修行はありえません。

  • 弟子たちよ、数々の功徳の中でも、いつも一心に怠け心を、敵のようにして完全に捨て去るよう努めなさい。私が教えようとしたことは、全て説き尽くした。お前たちはただこれを実践するだけである。山間、沢、樹の下、森林、静かな部屋のどこにいても、授けられた教えを心に留め、忘れないようにしなさい。いつも自ら努力して実践し続けなさい。何もなさないまま、虚しく過ごして死んでしまえば後悔することになるだろう。私は、良医のように病をよく知って薬を処方したのである。薬を飲むか飲まないかは医者の責任ではない。あるいは、道案内のように、順路を示したのである。これを聞いて進まないのは、先導者の過失ではない。

  • 弟子たちよ、無意味な議論をすると、心が乱れるものである。心が乱れれば修行していても悟りを開くことはできない。だから弟子たちよ、心を乱す無意味な議論は即刻やめなさい。お前たちが心の平安を得ようと思うならば、無意味な議論の過ちをなくしなさい。これを「不戯論」と名づける。

  • 弟子たちよ、智慧があれば欲や執着もない。いつも自分自身を省みて過失のないようにしなさい。そうすれば、私の教えの中で悟りを開くことができるだろう。そうしない人はもう修行者ではない。かといって在家信者でもない。中途半端で名づけようがない人である。真実の智慧とは、老・病・死の海を渡る丈夫な舟である。あるいは無明という暗闇を照らす大いなる灯明である。すべての病の苦しみを治す良薬である。煩悩の樹を切り倒す鋭利な斧である。だからお前たちよ、智慧の話を聞き、智慧への思いを巡らし、智慧を実践することで、自ら功徳を積みなさい。智慧の輝きがあるならば、神通力がなくても、真理を明らかに見ることができる人になれる。これを「智慧」と名付ける。

  • 弟子たちよ、心をよく制御する人は、坐禅をして心を静めている。心が静まれば、世間の無常で移り変わる有様を知ることができる。だからお前たちよ、いつも努力して坐禅を学びなさい。いつも坐禅を行なっていれば、心が乱れることはない。それは水を大事に使う家が、堤防を作るようなものである。修行する人も同じで、智慧という水のために正しく坐禅をして、智慧という水を漏らさないようにするのである。これを「禅定」と名付ける。

  • 弟子たちよ、師匠や仲間を探すよりも、自身の信念を忘れないに越したことはない。信念を忘れなければ、いろいろな煩悩が盗賊のように心に侵入することはできない。だからお前たちよ、いつも信念を心に持ち続けなさい。信念をなくしたら、さまざまな功徳を失ってしまうだろう。逆に信念が強ければ、欲望が盗賊のように心の中に侵入したとしても、それによって惑わされることはない。鎧を着て戦場に入れば、恐れるものがないようなものである。これを「不忘念」と名づける。

本文はここまでです このページの先頭へ