ここから本文です

投稿コメント一覧 (1コメント)

  • >>No. 1

    ショーシャンクさんの仰るように、大乗仏教にも上座仏教にもゴータマ仏陀の真の教えはそのまま残っておらず、小さな小さなカケラがいくつか見いだせる程度です。
    そもそも仏教とは、苦しんでいる人それぞれの境地(レベル)に合わせて説かれた”対機説法”であるにも関わらず、それらを寄せ集めて一緒くたにしてしまったせいでおかしなことになってしまいました。
    (数回の結集時、レベル分けして体系化する人が居れば、今のような事にはなっていなかったでしょう)
    それ故、比古はお釈迦さんも学んだはずのヴェーダ(特にアドヴァイタ・ヴェーダーンタ)を並行して学び、現存する仏教からゴータマ仏陀の教えも掘り起こすことが出来、教学はあまり必要としなくなりました。


    1000ほどまで読ませていただいて、ショーシャンクさんの探究の参考になるかもしれない書籍などをご紹介させていただきます。

    仏僧では『信心名/僧璨(そうさん)』『塩山仮名法語/抜隊得勝(ばっすいとくしょう)』
    これらは、論ではなく真理を直指し過ぎているので全く一般受けしません。

    在俗で『気楽なさとり方/宝彩有菜』(シリーズで6~7冊)には、四聖諦や十二縁起などのゴータマ仏陀の教えが論理的に解説されてます。
    悟りや解脱に向かうための下地作りに最適な知的理解ができます。


    以下、個人的見解。

    ”苦”とは「<自我>という働き。自他分別する分離意識そのもの」のことで感覚のことではありません。”苦”が”苦しみ”を生み、”苦しい”となります。
    <この世>や<わたし>があるという妄想に溺れている限り、苦であることは避けられません。
    楽しみは苦しみを引き立てる為にあるもので、楽とは未苦のことです。楽しいは行き着けば必ず苦しいになります。
    二元のこの世界では、どちらかを滅することはできません。
    ”解脱”とは、<自我>という幻想から解き放たれること、<この世>という夢から脱することです。(輪廻転生も夢のうちで「”私”が輪廻の輪から解脱する」と妄想する限り、それも謂わば夢の中です)
    ”悟り”とは、そこに至る過程(四向四果)のことです。

    大乗仏教の根本的な間違いは、「夢の中で苦しんでいる人たちの苦しみを和らげようとしている夢を見ている」ことです。『自分が見ている夢の中で苦しんでいる全ての人が目を覚ますまで自分は目を覚まさない』というのは無知からくる愚かさです。

本文はここまでです このページの先頭へ