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投稿コメント一覧 (24コメント)

  • 「関与度合い」「関係性」の大小(多寡)だけが対象への優先性を決するのであれば

    その指示通りに行為することは〝倫理道徳〟の問題でもなんでもなく

    ただの「惰性」である。

    一定の作業だけを遂行するロボットに〝倫理観念〟など有るわけがないように

    「関与度合い」「関係性」の大小(多寡)だけで対象への優先性を決することに馴れてしまった人間にも

    〝倫理観念〟は無いのだ。

    そういう人間は、バカの一つ覚えのように動物を虐待している。

    直接手を下さずとも、動物たちの「非人間的」で劣悪な環境を黙認しているだけでも

    虐待に加担している共犯なのだ。

    自分自身から、自分の周りから何も〝倫理道徳〟的な〝おもい〟に動かされる徴候が見られないなら

    もうその人間集団は、〝倫理道徳〟的に死んでいると看做される。

    そんな人間社会は、ソドムとゴモラのように焼き尽くされるだろう・・・・・・

  • 労働者の解放を目的として、ときに「暴力」を手段とした革命行為は

    末端の無知蒙昧な人間によって、その「暴力」が目的化してしまったことにより

    無意味な血で血を洗う「修羅場」を現象させてしまったのである。

    それとまったく同様な事態が

    野良猫を保護する場面で繰り返されているのではないだろうか・・・・・

    野良猫との共存を目的として、ときにTNRという「暴力」を手段とする保護活動は

    末端の過剰な情動性に駆られてしまう人間によって、その「暴力」が目的化されているのだ。

    野良猫たちは今・・・・・・

    行き場を失いなおかつ去勢されるという

    あまりにも悲惨な状態におかれているのである。

  • 本来は賞賛されてしかるべき目的的行為は

    情報処理能力に長けているだけの、心が「伽藍堂」な

    ゾンビのような人間によって

    いつも忌まわしき事態に変えられてきたのだ。


    野良猫たちの悲惨な現実を見よ!!


    おまえたちに充実した心があるのならば

    その命の声なき声を聞くがいい・・・・

  • >>No. 1

    <三位一体>は、言うまでもなく〝神〟〝聖霊〟〝イエス・キリスト〟を
    指している。
    では、このうち、〝神〟の概念は、ハチャメチャな解釈(主に哲学と心理
    学によるもの)によって、どう捉えられてきたのだろうか?
    また、それは、意識学的にどう乗り越えられねばならないのだろうか?
    若干、論じてみることにしよう。

    まず、哲学的に歪められた〝神〟の概念によると、
    最終的に「〝神〟とは人間がつくりだしたもの」であるらしい。(苦笑)
    この人生経験ゼロに等しい苦労知らずの書物バカが編み出した噴飯ものの
    解釈の基礎には、「感覚的対象の意味を問う」という哲学的思考の限界が
    如実に現れているのだ。

    〝神〟はしょせん対象化されている何かなんだろ。だったら、その対象化
    をやめればいいだけじゃんw ほら(考えなければ)もう〝神〟なんていない♪

    哲学は、これ以上の〝神〟を、いまだに表現できないでいる(唖然)
    クズ哲学(屑鉄)とはよく言ったもので、それはもはや思考の原理というよりは
    人間の正常な意識を阻害するゴミクズに等しいのである。


    〝神〟とは≪全≫であり、対象化されたものは、すべて相対的な事象に過ぎない。
    まずは、これだけでもいいから死ぬほど暗誦しろwwwwww


    次に、心理学的には〝神〟は、どう解釈されるのか見てみよう。
    あらためて概観すると、よくこんな考えで生きていけるもんだと呆れてしまう(笑)
    20歳までに【精神死】を迎えても何とも感じない日本人の憐れさを痛切に思い
    知らされるようなのである。

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