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投稿コメント一覧 (1325コメント)

  • >>No. 46584

    > 《朝鮮は拉致被害者を返せ!犯人を引き渡せ!責任者を処罰せよ!賠償をしろ!》
    この言葉は日本国民の声であり、どの筋からも非難されるものではない。
    川崎市長も、まさか、禁止とは言わないだろう。
    いや、この市長のことだから、北のコメントである
    「北に入国した事実は無い」と、拉致犯人擁護の発言をするのかなあ。
    このような発言をしたら市役所に抗議をしよう。

     名誉毀損の本の事前に出版差し止めできるか?の問題と同じ。
     結論としてら事前に出版差し止めはできない。
     それは名誉毀損された者が毀損された事実と証拠を提示して損害賠償を求める事ができ名誉回復の手段がある事と、もし、事前に出版差し止めができると検閲になるからです。
     今回の許可されたヘイトデモを中止させた行為は強要罪に該当すると思います。
     デモについては考え方は同じ。
     デモも自分達の主張を態度や言語で発表する表現のひとつです。
     だから、いわゆる公安条例は公共の安全を保持する上に直接危険を及ぼすおそれがあると明らかに認められる場合を除き、許可をしなければならないとなっている。
     強要罪は『第223条 生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。』ですから、適法なデモを出発点を大勢で封鎖してデモを出発させない行為は人に対する直接的な有形力の公私ですから典型的な暴行でいからね。
     後はデモ主催者が被害届を出すかどうかの問題。

  • >>No. 75337

    > > 二万~四万の中国軍に対して最大の火力ブレン303軽機関銃の8千人の義勇兵を含む軍ですから、非常に少ない軍隊ですね。
    > 事実上の独立状態だったとは言え,「近代国家」とは程遠い状態だから,政府(と言えるものが有ったとして)に直属する兵士は少なかったろうね。この辺のことを解説した資料を読んだ気がするが,今検索しても分からない。ただ,以下の2chスレで,マニアックな世界史オタの人達が語り合ってるが,チベット侵攻にも色々複雑な側面のあったことは伺える。
    http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1383316729/

     事実上の独立状態とか近代国家に程遠いとかチベット侵攻の複雑な側面とかの君の主観の話を聞いているのではなく、君の言う『20世紀中盤も、兵力は持っていた。近代兵器が有ったかは兎も角、人数的には意外と多かったはず』に対して『1935年のチベットの人口は 372万人で中国侵攻時の1950年のチベット軍は軽機関銃が最大の火力で義勇兵を含む軍は8000人で侵攻する中国軍2万人~4万人に比べて人員は遙かに少なく装備は極めて貧弱』なのがわかったかい?って事を言っているだけどね。

  • >>No. 75347

    > 同じ Wiki でも,1855年の「ネパール・チベット戦争」の記事では,チベット軍は10万人弱となっている。
    それでも,戦力半数以下のネパールに対して劣勢だったのは,内紛が起こったせいらしい。
    ま,少なくとも 19世紀には,10万人近い軍事力を擁していた。どこの国にも直接には占領されてないのに,その後の100年間で何か有ったのかね?

    戦争に至る経緯は『清国が阿片戦争で敗れ、太平天国の乱で勃発ですっかり弱体化し、以前のようにチベットに援軍を派遣できないと悟ったネパールはそれまでに両国間で国境紛争があったが、1854年にはチベットでネパール商人の暴行が発生し、数人のネパール商人が殺害されネパールはチベットが善処しなかったことを理由とし、チベットに1000万ルピーの賠償を要求したが、首都カトマンズに来訪したチベットの代表団は50万ルピーまでは支払可能としたため、ネパールは拒否したが結局、チベットの代表団は期限までに戻ってこなければ拒否回答と理解してほしいと、政府の最終回答を仰ぐため帰国した。だが、チベットの代表団が戻ってくることはなかったため、1855年3月にネパールはチベットに宣戦布告の書簡を送った 』です。
     ネパールと戦争になる状態だったから軍や義勇兵を増やした結果が約10万の軍隊です。
     平時は軍は少なく有事は増やすです。
     ところでチベット軍10万人とネパール軍三万五千人の戦争の結果は両者が講話したタパタリ条約ではチベットには毎年1万ルピーの貢納やネパール商人の関税免除が定められるなど、チベットのネパールへの従属性を強めるものでネパールに有利な内容でした。
     つまりはネパールが勝ったという事。
     ネパール軍三万五千人はネパールチベット戦争に投入されたネパール軍の数でネパール軍の全数ではない。
     それとwikiによるとネパールチベット戦争について
    …清・ネパール戦争を第一次ネパール・チベット戦争と数えることもあるため、この戦争は第二次ネパール・チベット戦争とも呼ばれる…
    とあります。
     当時の大国の清と戦う力がネパールにあったという事。

  • >>No. 46601

    > 善良な国民の発言を封じ込めようとする恐ろしい強権を発動した川崎市長。
    この市長、もしかしたら、隣組制度で住民の相互監視を図ろうとしているのかなあ。

     多分、人権に配意した進歩的な市長のふりをしているのでしょうね。
     肝心の相手の言論を抑圧して反対意見に肩入れしている事に気づかない。

  • >>No. 28766

    > >社会党左派の労農派は戦前の『戦前の非日本共産党系マルクス主義者集団。1927年創刊の雑誌『労農』に依ったので、こう呼ばれる』 に源を発しているのは事実だよ。
    > 労農派、講座派の論争において、労農派を非共産党と君が断じていながら、両者ね中身が同じ共産党と言うのは、CNNのイラク戦争報道と同じく、真実ではないと言うこと。どうも皮肉が分からない御仁だなあ。
    で、アベノミクスは最近アベノミスと揶揄されてるが、安倍氏は労農派だったのか?

    必死に話を逸らしているね。
     誰かの「連合は反共云々」と言う投稿に「自治労、日教組、日本ユニオン等が連合に入っており特に日本ユニオンは全共闘の闘士が作った組合で極左」と返信したら君が「日本ユニオンは希な存在で代表は社会党から選挙に出た」旨を言うから『社会党の主流派の左派は労農派マルクス主義に基づく政治路線を志向した勢力で名前が共産党でないだけで中身は共産党と同じで、「労農派(ろうのうは)は、戦前の日本共産党系マルクス主義者集団。1927年創刊の雑誌『労農』に依ったので、こう呼ばれる。」のとおり戦前の共産党ですと答え社会党はマルクス主義の党ですからいわゆるアカ』と答えています。
     それに連合は社会党系の総評と民社党系の同盟それにそれらとは別の中立系の労組が集まった連合体の組合ですから、元々、連合は社会党系の労組を含んでおり、連合=反共ではないと言っている。
     だから連合=反共ではないのがわかったかい?と聞いている。
     『アベノミクスは最近アベノミスと揶揄されてるが、安倍氏は労農派だったのか』について私は君とアベノミクスについて議論したり安倍が労農派であるとかないとか議論したかい?
     していたのは連合は反共であるかないかです。
     だから話を必死で逸らしていると言っている。
     社会党左派は労農派マルクス主義に基づく政治路線を志向した勢力ですから共産主義の党で、名前を共産党としていないだけ。
     名前が共産党ないけど朝鮮労働党は共産主義政党です。
     それと同じ事。

  • >>No. 46614

    > この市長さん、きっと、きっと、その筋の人から、
    選挙で当選できるように、
    支援を受けているのだろうなあ。
    日本人成りすましの人たちから。

     民主主義の精神を語るものとして『私は君の主張には大反対するが、君が主張する機会は生命を賭しても守る』旨の言葉があるが、デモを有形力を行使して中止させた人は結局はこの精神がない利己主義者だね。
     言葉を変えたら独裁言論弾圧だね。

  • >>No. 75358

    > >ネパールと戦争になる状態だったから軍や義勇兵を増やした結果が約10万の軍隊です。
    平時は軍は少なく有事は増やすです。
    > モンゴル帝国を描いた入門書とか読むと分かるけど,中世の遊牧民国家は大体そういうもん。兵士と一般人の区別が曖昧だし,傭兵の率も高い。当時のチベットは,まだ中世を色濃く残していたってことでは。

      1800年代は19世紀で近世だけどね。
     モンゴルは12世紀。
     そして議論の始まりの中国のチベット侵攻は1950年で20世紀で歴史で言えば現在史です。

    > >つまりはネパールが勝ったという事。
    > Wiki だと,チベット側に内紛があったのも原因の一つと書かれてるね。

     ネパールが勝った事実を言っている。

    > >当時の大国の清と戦う力がネパールにあったという事。
    > 中国の歴代王朝の,勢力圏ギリギリの位置にあった小国は何処もそうだよ。中国側も おいそれとは大軍での遠征は出来ないことを活かして,服従・挑発・反抗を繰り返す。「広義の宗主国」である中国に対し,条件闘争をしかけてるとも言える。

     ネパールはイギリスに援助を要請していますからその頃は中国の属国ではありませんよ。
     清ネパール戦争で講和になったのは清がネパールに攻め入り大きな損害を出した事とイギリスの介入を恐れて講和しています。
     
    > ・・・で,1950年のチベット侵攻だけど,「数だけならそれなりの兵力は有ったが,チベット上層部に内紛があり,まとまった反抗が出来なかった」というのを何処かで読んだ記憶がある。でも,今は見つからない。そこで,「1855年には10万人の兵力を集めることが出来た」というのを傍証としてあげた。19世紀後半~20世紀前半のチベットは,当然近代化を図ったわけだし,そもそも この期間は事実上の独立状態にあった。兵力が10分の1に減ったとは思えんが。

     チベットの人口推移です。
    xizang.is-mine.net/population.html
    1737年 約800万人
    1904年 約500万~600万人
    1935年 372万人  
     チベットの人口は1800年代には500万人~800万人あったという事は1935年の二倍以上があったのと頻繁に国境紛争があったかなかったかの差で兵士の数に現れているのと君が理解できなくてもそれが事実。

  • >>No. 28783

    その1
    > 連合は反共だよ。
    別に必死ではない。労働貴族は、やがて役割を終える。ストも打たない、非正規雇用拡大に何も抵抗しない、憲法破壊に何か発言してるんか?ネットでは伝わらんな。
    今時、労農派と講座派を同一視したり、北朝鮮王朝を同列視するなんて、古過ぎて笑っちゃうね。ま、その程度の話は別トピでもっとくだらないこと書いてるから、驚かない。

    『社会党の主流派の左派は労農派マルクス主義に基づく政治路線を志向した勢力。労農派(ろうのうは)は、戦前の日本共産党系マルクス主義者集団。1927年創刊の雑誌『労農』に依ったので、こう呼ばれる』のマルクス主義集団はアカではないのかいと言っている。
     講座派はコミンテルンから27年テーゼと32年テーゼという指令を受けた日本のマルキストの主流派はこの革命指令を金科玉条のように押し戴き、それに忠実に、天皇性及び資本主義発達の歴史を図式化してみせた。そして昭和7(1932)年から翌年にかけて「日本資本主義発達史講座」という学術論文が刊行され、時の知識階級に非常に大きな影響を及ぼした。
     労農派(ろうのうは)は、戦前の非日本共産党系マルクス主義者集団。
     講座派も労農派も同じマルクス主義者でソ連の指示でできたかどうかの差。

    > 中国は日本ほど科学的社会主義理論は発展していない。北朝鮮なんて、権力を私物化してるだけの前近代的国家だ。封建領主さながらだ。あんな連中と日本共産党が同列視されて、日共さんも気の毒だ。
    その程度の話しだ。

     中共も日共も同じマルクス主義の党。
     頭につく名前が違うだけで中身には変わりはない。
     それに共産主義国家誕生の一番国家ソ連は元々は最初から独裁国家。
     ソ連に自由なんかあったっけ?
     
    > きみ、その手の話は君にまかせるから、勝手にかいてればいい。 ただ、連合は反共だったし今も反共だ。だからといって思想信条の自由だから、反共自体を責めはしない。ただ、日共さんについて先入観があり過ぎるだけだから、じかんが解決するだろう。

     反共は連合以前の民社党系の同盟の話。
     日共に先入観なんぞない、あると言うなら日共について君との議論の中で事実以外で書いている部分を示してね。
     日共はマルクス主義の党であり、社会党左派もマルクス主義の集団で、ふつうこれらをアカと言うと言っている。

  • >>No. 28808

    その2
    > かく言う小生は、議会制民主主義を否定するなら、それは発達した資本主義における科学的社会主義と言う自称を、日共さんには許さない。
    労農派、講座派の違いが分からない方が、文献もしめさず勝手に解釈するのは、いただけないが、君は反共攻撃の一環で大いに恥をかけばいい。

     既に示した様に
    …講座派はコミンテルンから27年テーゼと32年テーゼという指令を受けた日本のマルキストの主流派はこの革命指令を金科玉条のように押し戴き、それに忠実に、天皇性及び資本主義発達の歴史を図式化してみせた。そして昭和7(1932)年から翌年にかけて「日本資本主義発達史講座」という学術論文が刊行され、時の知識階級に非常に大きな影響を及ぼした。労農派(ろうのうは)は、戦前の非日本共産党系マルクス主義者集団…
    のとおり単に日共であるかないかの違いで中身はマルクス集団で同じ。
     マルクス主義集団いわゆるアカ。
     共産党と極左の違いだよ。
     元々の理論はマルクス主義で世界同時革命か一国単独革命かの差だよ。
      
    > 小生は、過去の発展段階の制約が条件づけた論争の総括は君に任せて、現代日本の、特に、国民会議の「日本資本主義分析」に興味があるから、マクロ経済学の限界やら金融財政政策の矛盾について、一言で言うならアベノミスについて研究してみたい。

     わたしゃそんな事に興味はない連合は全て反共と言う人に対して元々、連合は反共の同盟とマルクス主義実現を目指す社会党左派を主力とする総評と中立系の三者の連合体だから「連合=反共」ではないと言っている。
     私が言った事は「過去の発展段階の制約が条件づけた論争の総括」 でなく過去の事を制約なしに事実のみを示している。
     社会党左派は労農派マルクス主義に基づく政治路線を志向した勢力でないのかな?
     「社会党左派は労農派マルクス主義に基づく政治路線を志向した勢力」は事実だよね。
     講座派は「コミンテルンから27年テーゼと32年テーゼという指令を受けた日本のマルキストの主流派」であるのも事実だよね?
     
    > 黒田日銀の国債買取や借換債が、この先どういう影響を国民に与えるのか、調べていく。

     それは君と私の議論の社会党左派はアカかどうかの議論と関係ないね。
     調べたければご自由に。
     その結果をわざわざ私に投稿しなくていいよ。
     今の君と私の議論に関係ないからね。

  • >>No. 75366

    > > 1800年代は19世紀で近世だけどね。モンゴルは12世紀。
    > 百も承知で書いてるよ。
    議論は分かれてるが,チベットは20世紀まで「農奴」が居たと言う説がある(中国だけでなく,欧米にも そう説く学者が居る)。この説の是非は兎も角,「遅れた社会」だったのは確か。

     19世紀ネパールチベット戦争や20世紀1950年の中国によるチベット侵攻はチベットが遅れた社会かに関係あるの?それが12世紀のモンゴル帝国と関係あるの?
    > >  ネパールはイギリスに援助を要請していますからその頃は中国の属国ではありませんよ。
    > それも知ってる。
    ただ,清朝に朝貢していた時期もあり,ま,つかず離れずと言った関係。中国の歴代の王朝の周辺国も,僻地の小国はそんなもん。日本人は「中華思想」を大袈裟に捉えるが,現実には,朝貢する方も,バランスを取りながら,うまいことやってた。

     知っていて「広義の宗主国である中国に対し,条件闘争をしかけてるとも言える。」と言うかい?
     朝貢していたのなら過去、日本は中国の王朝にに朝貢していたがその頃も今も中国は日本の宗主国とは言わない。
      
    > ・・・それにしても,1855年に10万の兵力を動員できた国(あるいは,勢力)が,その後,事実上の独立状態でいれたのに,近代化の努力はしたのに,なんで 1950年には8千人しか兵を動かせないんだよ? やはり,上層部で内輪揉めがあって,潜在的な兵力を生かせなかったんじゃないの?

     簡単だよ長期間戦ってないから武器も人員の貧弱だった。
     だから中国のチベット侵攻時に軽機関銃が最大の火力だった。
     軽機関銃で大砲や戦車には勝てない。
     日本の終戦時でも国民に竹槍訓練したのは配備する小銃がなかった。
     それと同じ。

  • >>No. 75424

    その1
    > >19世紀ネパールチベット戦争や20世紀1950年の中国によるチベット侵攻はチベットが遅れた社会かに関係あるの?それが12世紀のモンゴル帝国と関係あるの?
    > チベットの社会体制を話題にしてたからな。中世を温存した社会だから,モンゴルを例えに出して良いだろ。

    君との議論は
    …75333
    Larks' Tongues
    6月7日 13:39
    >>75332
    >チベットは武力を持っていなかったのだから。

    よく誤解されるが、チベットは特段、平和主義だったわけではない。完全な独立国だった中世には、むしろ好戦的だった。20世紀中盤も、兵力は持っていた。近代兵器が有ったかは兎も角、人数的には意外と多かったはず。
    チベットは、実は地域差が大きく(方言が激しいので、遠隔地同士だと会話もできない)、一枚岩で抵抗しなかったのも、あっさり負けた理由と言われている。…
    の通り20世紀中盤(中国のチベット侵攻)の事なのに12世紀のモンゴルの話と関係あるの?と言っている。
     モンゴルの話は君が75358で持ち出してきたもの。
     中国のチベット侵攻→ネパールチベット戦争→モンゴル帝国と話を変えるから中国のチベット侵攻の話と関係あるの?と言っているんだけどね。

    > > 知っていて「広義の宗主国である中国に対し,条件闘争をしかけてるとも言える。」と言うかい?
    > 言ったけど,何か?
    ネパール・チベット戦争は,ネパールが中国に送った使節団が,チベット内で十分な面倒を見てもらえなかったのも原因らしい。だいたい「朝貢」という言葉を重く取りすぎなんだよ。基本,中国からの「持ち出し」の方が多いし,朝貢する側も,「もっと旨味をくれないと,朝貢を止めるよ」と言う態度に出て交渉する。(ま,余りにも調子にのると攻め込まれるので,引き際が肝心だが。)
    あ。チベット自身は,「藩部」といって,単なる朝貢国より 遥かに従属度が高かった。

     だから言っているでしょ。
     それが「20世紀中盤も、兵力は持っていたチベットあっさり負けた中国がチベット侵攻の話と関係あるの?」と言っている。

  • >>No. 75424

    その2
    > > 簡単だよ長期間戦ってないから武器も人員の貧弱だった。
    > Wiki の「チベットの歴史」を見ても,
    その後、英国主導のチベット近代化は進められ、1922年にはインドと電報線が結ばれ、1924年には水力発電所、兵器工場、郵便制度、警察組織も作られた。パンチェン・ラマ9世はこの近代改革に反対し、1923年に中華民国に亡命した。近代化政策により、チベット軍が急激に力を付けため,ダライ・ラマ13世は [[中略]] 1925年に軍最高司令官のツァロン・シャペを解任した・・・
    とある。

     それが中国チベット侵攻に対してチベットがあっさり負けた事と何か関係あるの?と言っている。
     あっさり負けたのは大砲や戦車を保有する中国軍に対して最大火力が軽機関銃のチベットが勝てる事はない。
     「軽機関銃(けいきかんじゅう, Light machine gun, LMG)は、三脚や銃架に乗せて固定的に運用する重機関銃に対して、一人で持ち歩きできるぐらいに軽量化した野戦用の機関銃を指す。持続射撃能力を妥協して軽便性を重視した結果、ボックス型の弾倉を用いることが多く、銃身交換機能が無いものも多い。」
     自動小銃に毛が生えた程度のものが最大火力で戦車や重火器を装備した中国軍に勝てないのは誰でもわかる事。

    > 1855年には,10万人の兵力を動員でき,1920年代には,軍事を含めての近代化に一定の成功を収めている。それが,何で1950年には8千人しか動員できないんだよ。上の記事にも兆候があるように,上層部が一枚岩じゃないのも,原因だろ?

     100年も立てば動員可能数は変わる。
     日本は70年前に日本内地の人口8500万で600万人の兵を動員しましたが、今は1億二千万で23万人です。
     人口は四千万人増えて動員力は70年経てば4%になってます。

  • >>No. 75462

    > >  100年も立てば動員可能数は変わる。
    > 100年ではない。1920年代には,チベットは,軍事を含め社会の近代化を図り,一定の成果は上がったようだ。Wiki の「チベットの歴史」を見ても,
    ーーーーー
    その後、英国主導のチベット近代化は進められ、1922年にはインドと電報線が結ばれ、1924年には水力発電所、兵器工場、郵便制度、警察組織も作られた。パンチェン・ラマ9世はこの近代改革に反対し、1923年に中華民国に亡命した。近代化政策により、チベット軍が急激に力を付けた・・・・
    ーーーーー
    これは,チベット侵攻の25年前の話。
    同じく wiki で,先代の「ダライラマ13世」の記事を見ても,軍の整備に力を入れていたこと,一定の成果と一定の挫折が有った事が描かれている。そりゃ,遊牧民の多い「中世」を色濃く残した社会だし,超山奥の内陸部だし,近代化しようと思っても,自ずと限界はある。あと,小規模な軍事衝突は断続的に有ったみたい。
    チベット侵攻時に,8千人しか動員できなかったのは,君が言うような「内戦の無い平和な状態で,軍を減らしていたから」ではなく,上述のような社会的・地理的制約で「近代化」に限界があったことと,上層部の内輪もめ+地域差の激しさで,上手く纏まれなかったのが原因と思う。

     
     君の示した文の中に20世紀半ばにチベットが大兵力と近代兵器を持っていた記述はないけどね。
     100年も経てばは1855年のネパールチベット戦争と1950年の中国のチベット侵攻とのこと。
     「 20世紀中盤も、兵力は持っていた。近代兵器が有ったかは兎も角、人数的には意外と多かったはず…一枚岩で抵抗しなかったのも、あっさり負けた理由と言われている」と言う君に資料を示して中国は戦車や大砲を配備した2万人~4万人の中国軍が、最大火力が軽機関銃で義勇兵を含めた8千人の武器、兵力共大幅に劣るチベット軍を破ったと答えている。
     だから言っているでしょ、中国のチベット侵攻の話にネパールチベット戦争やモンゴル帝国は関係あるの?とね。
     中国のチベット侵攻は兵力も少なく大した装備もないチベット軍が負けたのをわかったかい?と言っている

  • >>No. 1475

    > かなり変だと思う。アンケート調査結果では8割が彼は適任ではないと言い、9割は間違ったことをしているという。自分的には決定的な数字だと思っていたが冷静に考えるに、何故10~20%がそうは思わないのだろう?
    日本国内にはワンサと反日工作員がいる。沖縄などは当に工作員の巣窟になっていると思われる現実を考えれば、その10~20%の大半はきっと・・・、の判断もできる。権力に縛られていなければ素直な感想はきっと100%に近いだろう。

     桝添のやった事は何もかも理屈をつけて政治資金で支出する、自己資産形成行為であるのは間違いない。
     だから、マイク若しくはアンケート調査に回答する者は本音は兎も角として桝添の言う事に納得しないと多くの人は答えると思う。
     残りの少ない1~2割はいわゆる多くの者とは違う事を言う天の邪鬼ではないかな?と思う。

    > そして今、彼は絶体絶命のピンチに追い込まれていて助かる道はほぼ完全に閉ざされているにも係わらず、各?メディアは彼個人のみを貪り食うようにターゲットにしている。なにか不自然だ?彼は着ぐるみパンダに利用されていたのじゃないだろうか?

     結局は政治資金規正法の支出の部分は法曹関係者が『政治活動のためだと言われたら立件は難しい』と言う様に最後は違反するかどうかがポイントと思う。
     それから言えば会議の相手の元記者の出版会社社長の名前を明らかに出来るかとその人が絶対に当日、桝添と会議ができないと証明する資料が集められるかにかかっていると思う。
     その社長が既に亡くなった人であっても同じ。

    > 他に適任とされる人物はいないと云うがそんなバカな話はない。着ぐるみを素直に着てくれる適当な人がいないということなんだろうと思う。金を払えば慰安婦問題(捏造)はチャラにすると隣国の女ボス、99%の人はそんなバカな!?と思ったことだろう。

    > 憲法改正が本当に日本国民にとって正しいことなのか?少し疑わしくなってきている。疑惑材料もけっこう多いが、表面化しない大きな影の組織が操っていても不思議ではない。小異を捨てて大同につこうと言いたげだが、国会自体が疑惑の総合商社なのかも知れない。

     例えがよくわからん。

  • >>No. 75489

    > > 中国のチベット侵攻は兵力も少なく大した装備もないチベット軍が負けたのをわかったかい?と言っている
    > チベットが現実に動員した兵力が少なかったことは最初から分かっている。その原因が,「チベットが兵力を持たない平和な国だったから」ではなく,「19世紀には10万人の兵力を保持し,20世紀も軍の近代化に努力していた(←ここまでは事実)が,何らかの事情(内輪もめ,など)で活用できなかったのでは」と言うのが私の主張だ。

     君との議論は19世紀の話でなく君の『チベットは特段、平和主義だったわけではない。完全な独立国だった中世には、むしろ好戦的だった。20世紀中盤も、兵力は持っていた。近代兵器が有ったかは兎も角、人数的には意外と多かったはず。チベットは、実は地域差が大きく(方言が激しいので、遠隔地同士だと会話もできない)、一枚岩で抵抗しなかったのも、あっさり負けた理由と言われている』の20世紀中頃の話です。
     だから19世紀のネパールチベット戦争や12世紀のモンゴル帝国の事を持ち出す君に中国がチベットに侵攻の事と何か関係あるの?と聞いている。

    > >中国のチベット侵攻の話にネパールチベット戦争やモンゴル帝国は関係あるの?とね
    > 話の「脇筋」としては関係ある。チベットが「中世」を色濃く残した社会だったのは,誰もが認めるところだろう。日本で例えれば,各藩の兵力を合計すると相当数に上るが,幕府直轄軍は少ない・・・みたいなケースは,封建社会では有り勝ちな事だ。

     徳川幕府の旗本御家人は約2万2500人で各々は定められた部下を連れて参軍するから約八万の直轄軍があり旗本八万騎と言われています。
     八万はどこの藩よりも多いね。
     でも、それって1950年中国がチベット侵攻とは何の関係もない日本の話だね。
     過去は10万人あっても、義勇兵込みで八千人で軽機関銃が最大火力のチベット軍が人員・装備で勝る中国軍に負けたのが理解できたか?と聞いている。
     
    > あと,ネパールは,「朝貢」のあり方について述べている。「宗主国←→属国」と言うのは建前で,朝貢をする方も受ける方も,損得づく・計算づくでやってると言う話。特に,遠征の難しい僻地の国はね。

     宗主国と属国の関係だからチベットは負けたの?
     大した人員も装備もないチベット軍が負けたの理解したかい?って事を聞いている。

  • >>No. 75529

    > >だから19世紀のネパールチベット戦争や12世紀のモンゴル帝国の事を持ち出す君に中国がチベットに侵攻の事と何か関係あるの?と聞いている。
    > 何度も言うが,ネパールチベット戦争は,「チベットは,19世紀中盤には10万人近い兵力を持ったいた」という証拠として上げた。
    その後も,チベットの周辺では,小規模な武力衝突は続き,1920年代にはダライラマ13世が,軍を含めた近代化を試み,一定の成功を収めている。 なんで,1950年に8千人まで減るんだよ。人数は居たが,使わなかった・使えなかった・・・と見るのが自然だろ。

    自然か人工か知らない君の見解を聞いてなく、何度も言っているが『1950年の中国のチベット侵攻にチベットが簡単に敗れたのは大兵力と近代兵器もいくばくか備えながら国が一枚岩でないから負けた』と言う君に資料を示して『義勇兵を入れて僅か八千人で最大火力が軽機関銃のチベット軍が大砲戦車装備の2万人~4万人の中国軍に負けた事がわかったかい?』と聞いている。
     
    > >  徳川幕府の旗本御家人は約2万2500人で各々は定められた部下を連れて参軍するから約八万の直轄軍があり旗本八万騎と言われています。  八万はどこの藩よりも多いね。
    > でも,戊辰戦争では,実にあっさりと負けている。潜在的な兵力を持っていることと,実際に行使する・行使できることは別・・・といういい例だ。特に,封建制社会の場合ね。

     戊辰戦争は新政府軍と実質は会津藩と長岡藩の戦いで幕府軍の戦いではないし、幕府軍が鳥羽伏見の戦いや会津が戊辰戦争で負けた事からチベットは1950年に負けたのかい?
     
    > >  宗主国と属国の関係だからチベットは負けたの?
    > ネパールの話は,チベットとは別個に,「中国にとって朝貢とは何か?」という,また別の(私にとっては)興味深い論点としてあげている。僻地の国にとって,朝貢ってのは,形式的な話だったということ。

     朝貢について君が興味を持っているかでなく私は1950年の中国のチベット侵攻に対してチベットが10万の大兵力とそれなりの兵器を備えながら国内が一枚岩で簡単に負けたのでなく、義勇兵を入れて僅か八千人の兵力と最大火力が軽機関銃である兵力、火力とも貧弱でったから負けたのがわかったかい?と聞いているんだよ。
     何回もね。

  • >>No. 1523

    > 何かある。あれだけ知事職にこだわる何かが。裏社会との繋がり?
    長い付き合いだという「出版社の社長」さんも人が悪い。「都知事選出馬の相談には正月でも駆けつけてくれた」のに「政治生命を絶たれるかもしれない」もっと厳しいこの局面でも名前を明かしてくれないなんてね。

     元記者の出版社社長について言うと思ったが名前を明らかにしなかったね。
     最後に亡くなった人の名前を出すのかな?
     当日、桝添と会えないと証明する客観的資料が存在しないのを最終確認してから亡くなった人の名前を出したら死人に口なしで確認のしようがない。
     最後は知事の不信任が可決されたら都議会解散し、新しい都議会が再び不信任を可決したら落選を覚悟して辞職して立候補するつもりかもと思う。
     そうすれば、少なくても何ヶ月は知事でいる事ができる。
     全ての選挙はそうだが一度、当選させると逮捕されて禁固や懲役の判決が下りない限り本人を簡単に辞めさせる事はできないという事。

  • >>No. 75555

    > ポスト知事は、櫻井パパか。

     櫻井パパは出るとしたら自民党になるのかな?
     共産党はないと思うけどね。
     自民櫻井、民進党・共産党レンホーになるのかな?

  • >>No. 75539

    > だから,実際に応戦した者が少なかったのは,最初から分かっている。ただそれは,「チベットが平和主義の国だから」ということを意味しない・・と言っている。わずか100年前の1855年には,チベット10万近い兵力を擁していた。20世紀前半も,軍の近代化にむけ,努力していた。なぜ,「1950年に兵力が8千人だけ」と言えるのだね。
     
     中国チベット侵攻で検索してごらん。
     中国軍2万~4万人でチベット軍は義勇兵を併せて八千人で最大火力が軽機関銃の資料が出てくるよ。
     その資料に書かれている事実がわかったかい?と何回も言っている。
     百年前に十万人近い兵力があったのに何故八千人に?と思うなら理由を自分を調べたらよい。
     中国が侵攻した時に8千人の兵力と最大火力が軽機関銃の現実を私は言っている。 
     
    > 君は最初,「100年間,国境紛争が無かったから,兵員を減らした」と言った,しかし実際には,小さな軍事衝突は断続的に存在した。次に君は,「19世紀と比べ,1950年には人口が減ってたから」と言った。これは,まあ否定しがたいだろう。でも,まさか人口が10分の1になった訳ではない。

     私が言ったのは19世紀の時はネパールとの国境紛争が頻繁しており、有事だから兵力を多くしたと言っている。
     よく見ましょうね。
     そして人口は20世紀に比べて多かったのは既に貼り付けた資料の
    1737年 約800万人
    1904年 約500万~600万人
    1935年 372万人
    1951年 115万人
    の通りチベット侵攻時より人口が多かったのは事実。

    > 結局,徳川の譜代大名の多くが鳥羽伏見に参加しなかったように,チベットも,多くの勢力が,対人民解放軍戦に参加しないかったんじゃないの?

     あのー戊辰戦争は戊辰戦争は新政府軍と実質は会津藩・長岡藩の戦いで幕府軍の戦いではないは理解したかい?って聞いているんだけどね。

    > あと君は,議論に広がりが無さ過ぎだよ。君が,ネパールについて色々言ってきたから,チベットの話とは全く別に,「朝貢のあり方とは」みたいな話にも,興味は当然広がるだろうと思った。

     ネパールチベット戦争やモンゴル帝国を持ち出し中国のチベット侵攻の話を逸らそうとして話を広げようとした君ですよ。
     朝貢なんて話に関係ねーと言っている。

  • >>No. 75554

    > 都民の要求は:
    1)真相究明
      新聞社の社長は実在するのか(=会議はしたのか、虚偽か)
      招待した団体はどこだ。
    2)罰則付きの審議=「百条委員会」
      あくまで事実に迫ること

    3)でマスゾエが罰則を受けても「だんまり」を決め込む場合
      不信任案提出
      辞職
    要するに、事実の解明に迫る姿勢が甘い、努力が足らん!
    議員の意欲・知恵・能力の欠如が目立つ。

     与野党ともこれで幕引きしたいという事。
     野党も山尾をはじめ政治資金規正法に違反する問題はあるし都議会の所属議員も大なり小なり政治資金規制法の問題があるから、そのブーメランの直撃は避けたいだろうし、与党は参議院選挙で桝添の問題で巻き添えになりたくないのだろうね。
     後は桝添が根性悪を丸出しにして議会を解散するかどうかだけ。
     桝添は根性悪をすると思うよ。

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