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投稿コメント一覧 (169コメント)

  • >>No. 24892

    ※そうですなあ

     四度は昼間の気温としては寒いですねえ。雪が降ってさみいよ、という天候の時の気温でしょう。その意味では、冬場にわざわざ来るバカいねえよ(笑)。夏ならたぶん涼しいでしょうね。来るなら夏にいらっしゃい。レモン牛乳くらいならご馳走いたしますよ(貧乏なもんで)。餃子市の観光資源か。観光地だという認識がなかったので考えたことがなかったけど、笑えるものは多少ありますね。「宇都宮タワー」なんてものがあったりする。デザインはほとんど東京タワーのパクリ。で、一回り小さく低いというのが笑えるところです。それから、城をつくっちゃったことですかねえ。本物は戊辰戦争の時に官軍との戦いで焼けちゃった。で、二十一世紀になって「再建」したわけだ。いかにもハリボテ然たる城をね。地方は金がないから仕方がないんですけどね。しかし、東武鉄道って都民にどの程度なじみがあるんですかねえ。何とかという特急があったけど、それは日光に行く電車で、東武宇都宮駅には鈍行しか来ないと記憶していますが…確か栃木駅で乗り換えを余儀なくされるはずです。「姫宮なな」の出身地の交通事情は実に何ともお寒い限りで。

  • >>No. 24889

    ※ちょっとちょっと

     ハルちゃんまた来たの? 以前も鹿沼に来たとか言ってたよなあ。今度は大谷石の採石場か…いや、私の住処からさらに辺境なんで行ったことないですね。いかにも何かの映画の撮影現場に使われたらしい。何の映画か知らないけれど。あのフランク・ロイド・ライトの設計した帝国ホテルに使われたそうですなあ。でも、正直言って、わざわざ高いガソリン燃やして来るほど面白いものあるか、というのが本音だねえ。まあ、ここだけの話だけど、観光地のような顔をしているけど、あそこはね…政治犯を送って酷使する収容所なんですよ。県の方針に楯突くやつら(LRT反対等)を令状なしで逮捕してどしどし送り込んでいるというもっぱらのうわさであります。最近は塩原町で環境庁に刃向かったやつらが新顔で送られてくるそうです。あ、この件、他言は無用ぞ。私の身辺にも危険が及ぶからね(笑)。

     個性と言われれば確かにそうですな、ナホト姉さんの語り口は。何だか、目隠しして象を手触りで表現するみたいなところがありますねえ。何だか表面がしわしわで、無駄にでかくて、時々「ぱおー」と雄叫びを上げて、牙が生えていて…なんて語られていくうちに、段々と迷宮に入っていく感がある。ワシも去年、いわゆる「ナホトワールド」の洗礼を受けて以来、そういう小説もあると知った次第であります。実際、私には歯が立たなかったのは事実ですな。でも、ケチつけるようだけど、あの文章でエンターテイメントに臨むのはかなりむずかしいような。姉さんにはちと失礼であるが。八兵衛兄ぃも哲学みたいな作品をものする人だけど、取り合えず表面的な字面は理解できる。ナホト姉さんの場合、それさえわからない箇所があるんだよな。私のような頭が散文的な人間はもうお手上げってことになる。しかし、自分の道を極めて下さい、というのを励ましと考えていいのだろうか。勝手に好きなようなやれ…というような投げたもの言いに私には聞えるのだが。ともあれ、あんまり贔屓筋の言葉ばかりに耳貸さないほうがいいと思うなあ。

     ところで、ちくわさん。何か祈りましたか? 「一発必中」とかさ(笑)。考えてみれば、博打の神さまっていますかね。「勝馬神社」ってあってもいいような気がするけど。何、どっかのしけた神社の神主にちくわさんが納まればいいのさ。私は「勝馬投票券」というあの言葉はかなりひねった皮肉だと思うけどね。

  • >>No. 24883

    ※まあね

     時代劇とか時代小説ってのはそこに眼目があるんだから…キャラクター造形に成功するかしないか。隻腕隻眼の丹下左膳とか投げ銭の平次親分とかさ。が、ストーリーそのものが面白いかどうかというと首を傾げざるを得ない。似たり寄ったりのストーリーを繰り返しているのではないですか。文章とストーリー運びで勝負しているブンガク畑の諸君には信じられない話でしょう。それでも売れているというのは、読者の年齢層が比較的高いからね。この話、前読んだことなかったっけ? …と疑うようなセンスはすり切れていて、持っているのは繰り返しのストーリーを忘却してしまう鈍感力だけ。だって、読んでる当人だって同じ話を同じ人間に百回くらい(想像)してるんでしょう。でも、この世代を引っつかまえれば、食いっぱぐれはないかも知れない。そりゃまあ、上の世代からくたばっていなくなるけど、年を取らない人間はいないんで、どんどん後から補充される。佐×英×先生もうまいことやったもんだよなあ。ガキ世代は数が少ないし、連中は飽きっぽいからだめです。一時期もてはやされた「携帯小説」なるものはほとんど話題にもならなくなったな。メディアがスマートフォンとやらに変わっちゃったことがその原因だろうけどさ。

     しかし、ちくわさん。「バッテリー」というから、あさのあつこの小説の話でもするのかと思ったら、例え話が「巨人の星」とはねえ。人間はこうしておっさん、おばはんになっていくんだなあ(笑)。ともあれ、充電の必要なバッテリーつきのガジェットが増えつつあるよなあ。パソコンにしても携帯電話にしても外に持ち出して使わない人間もいるんだから、バッテリーなしを選択できるようにして欲しいもんだ。近々またバッテリーつき機器が一つ増えるし。さてと、あちきも今日ドジを踏んでしまった。現状では、明日の分の飯を前日の夜に炊いて、翌日は電子レンジ等であっためて食うことにしているのですが、炊き上がったばかりの飯の熱気をある程度逃がすためにジャーのふたを開けておいたのだけど、閉じるのを忘れて寝ちゃったのな。翌日それに気がつきましたが、表面がぱりぱりになって、もう食えたもんじゃありません。しょうがないから、本日は出来合いの弁当でしのいだ次第であります。今はどうだか知んないけど、京の人間は飯は日にいっぺんしか炊かんそうですね。寒い間は「京方式」でしのがねばなりません。

  • >>No. 24880

    ※要するに

     何か授賞するにしても、一冊の本にするに足る分量を書けるようになることが肝要であると。私はそのように思ったけど、それが本題ならば言葉が無駄に多いよ(笑)。私も二十…年を越したので、二十一年前になりますが、女の子向けライトノベルが応募の皮切りだったからね。因みに、もうそのレーベルはありません。メディア自体が消滅しちゃうという怖い現実があるからねえ。もう新刊は出ないのです。新古書店に並んでいることはあるけれど、何と三冊で百円という叩き売り状態だからねえ。その程度の意味しかないんだよ。今くらい、文芸の意味が問われている時代はないでしょう。正直言って、ナホト姉さんが言われるところの、細々と本を出せる余地があるのかどうか、私にはわからない。先に私は自トピで「超弩級の才能は存在しないかも知れない」と言ったけど、それはガラスの天井をぶち破ってベストセラーをかっとばす怪物のことであります。才能の問題ですらないかも知れない。その作が必要とされる状況の下で…いや、その以前に、そのブツを用意していて、編集者を説き伏せる交渉能力を持っているような御仁がどの程度いるだろうか。作品として秀逸なものを生み出せればいいというものではないんですね。それをどうやって売り込むか、営業力の問題になっちゃうんだよな。ともあれ、その主導権を取るのは作品そのものであることに変わりはありません。そこら辺を今年の追及テーマにすべきなのではないかと。

     やっぱり、エンターテイメントを考えるならば、畢竟「キャラが立って」いないとだめであると思うな。誰とは言わないけど、現役の某時代作家はシリーズをいくつも持っているけど、ストーリーは「つまらねえ」の一言に尽きる。が、それは私の一了見であって、そうは思わない…何だろうねえ、主要人物が常に同じということに安定性を見出す読者が多いのではないだろうか。時代小説の読者は比較的年配が多いですからね。その意味では、現代小説の書き手は大変ですよ。ナホト姉さんも誰を読者としてターゲットにすればいいのかわからないのではないか。ともあれ、キャラクターを魅力的に見せるにはどうするか、それも研究課題ではないかと思いますが、いかがでしょうか。もっとも、これは王道がないんだよねえ。かく言う私だって、そういうノウハウを持ち合わせているという自信はないもんね。なかなかむずかしいもんですよ。

  • ※年頭に寄す

     さて、この時節にこういうことを言うのは何だけど、全然めでたいという感興がわいてこないな。「別にめでたい日があるわけではなく、おめでたい人間がいるだけだ」というのは、私の格言としては秀逸なものと自負していますが。先に別トピで言ったけれど、年末年始の行事をめでたいと感じるには、いろいろと克服すべき要件があるということですね。「それも幸福の一形体には違いはない」と私は日和ってみせたけど、漱石流に言えば「豚的幸福」だ。具体的に慶すべき何があるのか呈示してもらいたいものだな。まあ、そんなものはないが。元旦はスーパーは営業しないので、仕方なく私も買出しに行ったけど、芋を洗うような混雑ぶり。明日にでも戦争が起こるんで、篭城すべく食料を手に入れようという気迫に満ちている。ところが、日が落ちるや、段々と辺りの雰囲気が通夜っぽくなっちゃうんだよな。戒厳令でも発布されたんじゃないかと。でも、そういう風潮に逆らうというのは少々勇気がいるわね。日本人が「雰囲気の民族」と言われる所以であります(今考えついただけですが)。しかし、世間の人々ってのは毎年毎年同じことをやっていることに疲労を感じないのだろうか。そこら辺が「おめでたい」っていうんだよ。別にいいじゃん、明日が13月1日でも。何か不都合があるのだろうか。

     おっ、一句浮かんだぞ。「来年こそは 来年こそは と大晦日」…今「ちっ」と舌打ちしたやつがいると思う。でも、事実は事実だわな。そういう希望的観測はまず実現しないものよ。「明日はきっと何かある」…って、根拠のない希望にすがるやつらはまず己の今後の去就について考えたほうがいいんじゃないの。私は憂えているんですよ。そのカテゴリーの存在理由というものについてね。こんだけ面子が集まっているのに、お互いどういうものを書いているのかさえ知らないのではないか。それで切磋琢磨しようったって、闇の中の立会稽古みたいなもんよ。…って、応募したことのないやつが何を抜かす、という向きもあろう。それも道理である。が、落ちるとわかっているものをわざわざ書き送るバカがいるだろうか。この直前書き込んだヒロやんの記述を当てこすっているようだけど、事実その通りなのです(笑)。自分一人で何とかなるのなら、もうすでに誰かが頭角を現しているはずであろう。残念ながら、ここには超弩級の才能の士はいないのでしょうな。

  • >>No. 24863

    ※さてねえ

     ちくわさんとこの収集日が何曜日か知らないけど、よその(もちろん遠くの)収集所に夜陰に乗じて置いてきちゃうってのはどうです? それから…これはばらされちゃ困るけど(掲示板で何を抜かす)、私は基本的に前日の夜中に夜陰に乗じて(忍者じゃあるまいし)置いてきちゃうんだよね。同行の志は必ずいるんだけど、日によって誰も置いてないという時がある。自分が最初だとちとやりにくいですわね。それ以前にゴミを置いてくる「同志」がいれば、「自分だけじゃないもんね」という自分への言いわけができる(笑)。下らない葛藤ですけどね。しかし、ゴミの入れ方ってのもちょっと気をつけないとね。薬の袋とか身元の割れるものは奥のほうに突っ込んで、見えるところには入れないとか。しかし、大掃除の何のとかまびすしいことですな。時間がないのなら、大掃除なんて正月にやればいいじゃん。別に法律で禁じられているわけじゃないし。実際、正月に何かやることあります? テレビガイド見ても、全然見る番組ないし。しかし、お節料理って完全で目で味わうもんですな。その面子は甘ったるそうなものばっかりだもん。おとそって飲んだことないけど、要するに清酒ができる以前の「濁酒」でしょう。血糖値上がりそうだ。いや、私は「手帳」持ちだからね。

     さて、こういうことは野暮ったいのでいささか迷ったけど、今年の当トピックの一年を俯瞰しようか。まず、たみぃさんが発生…失礼、登場したことは大きかったのではないか。貢献度はかなり高いと評価されるので、みんなお義理で拍手でもしてやってくれ(笑)。私的に言うと、「石田批判」が図に当たったというのが意外であった。やつを目ざわりだと思っているやつがこれほど多いとは思わなかったな。つまり、やつは作家外活動で耳目を集めているので、何者なのかわからないという憾みがある。筆禍ならぬ舌禍のほうが多いということですな。ナホト姉さんの御作を拝読した時の衝撃も忘れられないねえ。何度も読み返しても感想らしいものがわいてこなかった。ワシはこんなに頭が悪かったのか、と実感させられた一件でした。それから、これは掲示板外の話ですが、八兵衛兄ぃと師匠氏との確執が顕在化したことです。どう始末がついたのか私は存じません。まあ、こんなところにしておくか。では、紳士淑女の諸君、先のことはわからんけど、雑煮の食い収めにならざることを切に祈る。

  • >>No. 24859

    ※そう言えば

     落語にもちょくちょく細川越中守って出てきますね。「竹の水仙」だっけ。落語の左甚五郎というと、たいてい飄々とキャラクターなんだけど、宿の亭主が「おい、驚くなよ。肥後熊本の細川越中守さまがお買い上げになるそうだ」「おお、越中か」「バカやろ、そんな褌みたいな言い方すると首が飛ぶぞ」てな具合に。私も元首相に言ってみたいもんだ。「おーい、越中。おめえこの頃テレビにも面見せねえで、土こねなんかしてるそうだけど、元気してっかー」なんてね。やっぱり、そんな勇気はねえな(笑)。これ、有名な話だけど、元首相は「うちは火事で焼け出されてから貧乏になって」なんて言うそうだけど、この火事ってのは応仁の乱のことだそうで。もっとも、細川のかっちゃん…そういう気安い言い方しちゃいけないのか、細川右京太夫どのはもう一方の総帥だったけどね。ちくわさん、東京都下でそういう広い土地を占めているというのは、だいたい昔は大名とか旗本の屋敷って場合が多いのではないか。そもそも武士の街だから、いい土地はみんな侍が取っちまう。残りのスラムに下々は押し込められていただけで…それでも「公方さまのお膝元でぃ」とすごむ八っつぁん熊さんがいたわけだ。江戸っ子なんてたわいのないもんよ。誰かに当てこすったわけじゃないけど(笑)。

     さて、年末年始の行事なんてものは従来、私にとって鼻で笑うものだった。愚者の祭典…そういう安っぽい行事に乗っかって感じるチープな幸福感をまず疑ったほうがいいわ、と笑い飛ばすためにあった。もちろん、クリスマスも正月もつまらない小市民的なイベントに違いはないが、それを幸福だと思うにはある種の道具立てがいるんですわねえ。まず、家族と認識し得る共同体がなければなければならない。一人でやったら、これくらい虚しいものはないもんね。さらに、それを実行に移すだけの金銭的余裕がなければならない。それを考えると、確かにチープで無内容ではあるけれど、それもまた幸福の一形体ではなかろうか、と思うようになってきた(いや、単に日和っただけかも)。気力の衰えもあるな。「孤高」と思っていたものがただの孤独だとわかってきた。年越しそばなんてバカバカしくて、わざとマカロニグラタンをつくって食ったことがあったねえ。「人生ってのはぶっとく短くでいいんでぃ」という心意気だと粋がっていたけど、所詮、ただのやせ我慢だったんだな。

  • >>No. 24843

    ※ややや?

     私もその商法に引っかかったぞ。私の場合、ペブシコーラだけど、王冠の裏をめくって「当たり」だったら、ヤマトの下敷きがもらえる。ところが、これが一種類じゃなくて八種類もあるんだな。全部集めようとして、六十本くらいもペプシを飲んだ記憶がある。それ以来、背の延びが止まったちゃった。1978年、「さらヤマ」が公開された年ですね。そんだけ身体を張って全種類、手に入れたのに、いつどういう経緯でなくしたのかわからない。しかし、続きものの映画には門外漢には何がどうなってんだか全然わかんないところがありますな。ハルちゃんのご意見であるが、私は「スターウォーズ」はテレビでしか見たことないんで、順番がどうなっているんだか、頭の中でごっちゃだったりする。そのエピソード1というのはガキの頃のダースベイダーを扱った作でしたっけ? ところで、12月24日に「やあ、今日はクリスマスデブだねえ」…という発言はまずいのだろうか。特に本当にデブがいる時は言いたくなっちゃうんだよねえ(言わないけどさ)。正月にハルちゃんから「春画新年」なんてメールがきたりしてね(笑)。誰でもいいから、私の度肝を抜くようなメールを寄せてくれないもんかなあ。今から私も正月用の不幸ワードを考えているところですけどね。

     ところで、紳士淑女の諸君らに尋ねたき儀、これあり。この時節なので、おでんというものが登場することが多くなったのだけど、実のところ、いろんな具が入ったフルスペックのおでんなぞつくった日には食いきれないので、ちくわとコンニャクをおでんの出汁で煮るという程度にとどめている。しかし、これではただのおでん風の煮物に過ぎないのではないか、という気がしてならない。このほかに何を加えれば、おでんとしての体裁が整うのであろうか。何しろ、食うのは私一人なので、この手の簡易版が多いのであります。ともあれ、諸君らの「おでん観」をうかがう次第であります。そう言えば、関東のおでんに特有なのが、あのハンペンというやつだけど、あの歯ごたえのなさが情けなくて、私は入れたことはないねえ。考えてみれば、ガキの時分通っていた駄菓子屋ではなぜかおでんなぞ商っていたりする。私はちくわだのコンニャクという三下ネタしか食えないが、我が友Mは似抜き玉子などという高級ネタを口にしていた。何となれば、Mの手には銀色の五十円玉が握られていたのであった。

  • >>No. 24835

    ※いやいや

     そういう表記もできないでしょうね。「言葉狩り」をやっていることを認めることになるからね。以前、そういうことを誰かが言っていたけど。全部「ひらがな」なら通ると思うけど、それはちょっと読みにくいわねえ。ダニエル・キイスの「アルジャーノンに花束を」じゃないんだからね(笑)。でも、ちくわさん、揚げ足取るようだけど、春画の持ち込みに失敗した話を生徒に得々と(かどうかは知らないけど)語るのも世間の聞こえはよくないような気がする。「不潔よ。教育委員会に訴えてやる」なんて潔癖派の女子生徒が…ああ、そうか、当時はまだ男子高でしたっけね(受けをねらいました)。うーん、でも、逆らうようだけど、私の手元に「色道禁秘抄」上下巻というものがありまして、春画が載っちゃあいるんですけど、芸術とも思わないし猥褻感も感じないんだよな。まあ、江戸時代の人間の性意識はどういうものか、というところにしか興味ないんだよね。いや、要するに、春画から芸術性なり猥褻性を感じるにはちょっと想像力が必要ではないかと思うんだなあ。私みたいに頭の中が散文的な人間はなかなか感性が堅いというわけで…ちくわさんは面白い先生に英語を習ったんだなあ、と言いたいのでございます(笑)。あ、ところで、それ、もちろん男の先生ですよね。

     しかし、ナホト姉さんも変な夢をご覧になりますなあ。ろうそく職人ね…妙に納得しちゃったけど。でも、キャンドルではないと思うんですよね。私は和ろうそくの職人だと思ったな。溶けたろうを手で直接擦りつけて少しずつ太くしていくというあれね。しかし、和ろうそくとクリスマスってほとんど親和性がないですね。使う状況がかなり限られているような気がする。丑三つ時に藁人形を打ちつけに行く時とか、ちょっと言いにくいけど、荒縄というものと組で使われるかなり特殊な状況とか。何だか、次第に伊藤晴雨の世界になってきたけど(笑)。しかし、漏れ聞くに、江戸時代、ろうそくってのは高かったそうですなあ。金持ちしか使えない。しかも暗かった。時代考証を忠実に再現したら、時代劇なんてものは成立しない。行灯の灯りなんてもっと暗い。演出で明るく見せかけているだけなんですね。ともあれ、ろうそくって火付の道具になるよな。ある日突然、播磨屋が打ち込んできて「火付盗賊改方 長谷川平蔵である。狐火のちくわ、神妙にいたせ!」…なんちゃってね。(笑)。

  • >>No. 24825

    ※いけない言葉

     その検閲官はたぶんクジラのしおふき(漢字じゃだめなのね)に欲情するタイプなんじゃないの。そういう手合いを変態(これ、漢字でも大丈夫)と言うのだがな。私も以前「人間動物園」について一席ぶった時、引っかかったんですよ。いろいろやばそうな言葉を削って試したんだけど、最終的に何が問題だったと思います? 「きょこん」です。漢字で書くとだめ。春画にふさわしい言葉だけど、園芸の話でも使わないこともないのではないか。ちくわさん、ここはお互いが持っている情報をいっぺんつき合わせたほうがいいのではないだろうか。これまた春画向きの言葉ですが、「かんぜんむしゅうせい」もだめです。それに、発見者がちくわさんだったか誰だったかおぼえてないんだけど、「じょろう」って漢字で書くと引っかかるんだよね。「じょろうぐも」の話はしてはいけないわけだ(笑)。まったく、変えれば変えるほど掲示板は使いにくくなるし。話は変わるけど(いや、変わってないか)、「北斎漫画」という映画っていつ公開されたんでしたっけ。劇中でタコ絵の実演をなされた…いや、名前出さなくても知っているでしょう。その後出された写真集といい、あの御仁くらい男たちに生きる力を与えた人はいないのではないか、と賛辞を述べさせていただきます。

     それにしても、宮尾登美子の「序の舞」読んだことあります? 確か、三十年前くらいに公開された映画では、背に腹は代えられず枕絵を描いたシーンがあったような気がするんですよ。すなわち、日本画家なら描けるんじゃないかと。ちくわさんの恩師もそういう危ない橋を渡らず、つてをたどって誰かに描いてもらうという手もあったんではないかと。だいたい、教師が猥褻図画(官憲から見ればそうです)を持ち込もうとしたなんてのは世間の聞こえがよくないのではないかと。どうしても江戸時代のオリジナルにこだわるのならしょーがないけど。でも、やっぱりタコ絵は想像で描いたんでしょうね。素人の手慰みと比較しては恐縮だけど、私とて頭の中でこしらえた図だから。現代において春画はつくられているのかというのも積年の疑問なんだけど、やはり実態は藪の中ですわなあ。いや、藪ったって別の意味で言ってんじゃないですよ(笑)。しかし、ちくわさん。この話題、いい加減やめたほうがいいんじゃないの。いかに芸術論争の論陣を張っても、ご婦人方には受けはよくないからね。

  • >>No. 24820

    ※滅相もないこって

     いや、描けるというほど描けないからねえ。本当に自在に何でも描けるなら漫画家にでもなっているって(笑)。それに、私はペンで線を引くんです。筆で線を引けなんて無理無理。浮世絵師が手もナニも抜いてない(笑)のは当然でしょう。片手間に「まあ、こんなもんでいいか」という安直な態度で描いたもんじゃないからね。当時の技術の粋を集めた…単なるエロ画ではないですからね。あちき風情にはとてもとても…そもそも美術の専門教育を受けたことがないしね。しかし、春の風さんと何で春画の話をしなければいけないんだろう(笑)。ともあれ、ハルちゃんは小説も写真も清廉潔白なので、春画なんてものに興味を示すのは至極意外であった(笑)。描いて売れるんなら、「エロ事師」になってもいいけどね。まあ、今さら無理でしょうな。ともあれ、この辺でこのネタ打ち止めにしましょうぜ。実際問題、この先「シュン」ちゃんって呼ばれても私は知らないからね(笑)。

     ところで、眠りが浅いせいか変な夢ばっか見るのですな。どういうわけかフランス人に取り囲まれている。どっかの学校らしい。その中心に私が立っているのですよ。フルチンでさ(笑)。モデルをやらされているという状況らしい。男のモデルといっても筋肉隆々タイプのみに需要があるとは限らず、青白き優男風も必要らしい、と兄ぃへのメールに書いたような気がするけど、まさかの夢の中で自分が出演(?)するとは思わなかった(笑)。でも、そういう状況ってあり得るだろうか。あからさまにそうは言わないけど、やつらは腹の中では東洋人は人間扱いしてないだろうなあ、と。またぞろ「人間動物園」という考え方を持ち出すようだけど、動物扱いになるところを、寸でのところで我々の祖先は属国化から守ってくれたわけだ。いや、夢の中の私は少々フランス語を介するサルとして売り飛ばされてきたんじゃないかな(笑)。この後は「動物園」にぶち込まれるんじゃないか。ひょっとすると、別のところから取っ捕まえてきたメスとつがいかも知れないねえ。実際、ピアニストの中村紘子のエッセイに物騒なことが書いてあったのを思い出した。試着室の床が突然抜けて日本人の女を麻袋に詰めて、アルジェリア辺りに売り飛ばしちゃう、という話。どこまで本当だかわかんないけど。

  • >>No. 24817

    ※おいおい

     あんまり春画、春画と礼賛するんじゃないよ(笑)。ご婦人には受けはよくないんだから。それにしても、失礼ながら、ハルちゃんに画才ってあったっけ? 写真は確かにうまいけどね。私も今から美術スクールに通ったら、多少絵がうまくなんのかな、なんて考えたことがあるけど、名画をものするには結局、才能だからなあ。小説でも何でもその辺は同じだけど。しかし、この件に関しては積年の疑問があるんですよね(また始まった)。浮世絵師が心血を注いで描いた春画はモデルがいたのだろうか、それとも想像で描いたのだろうか。というのも、春画に描かれる男のナニは無茶苦茶でかいじゃないですか。少女漫画の女の子の目ン玉がやたらでかいのと同じで、デフォルメだとは思うんですがねえ。その四千円で買った本に何か書いてない? それから、春画というのは現在も描かれているのだろうか。例えば、売れない日本画家が裏商売でやっているとか。まあ、写真というものがあるけれど、あからさまに猥褻図書で、売買したのがばれたら手が後ろに回っちゃうもんね。まあ、今回の展覧会は元首相が主催者だしね。因みに、殿さまはいましたかね?

  • >>No. 24815

    ※へえ、それは初耳

     ちくわさん、そのタイトルで書けるエピソードがあるんですか。確かこの前、比翼連理って言ってたじゃないか。もっとも、玄宗皇帝と楊貴妃のコスプレするのが趣味だ、という意味で言ったのかも知れないけど(笑)。「女房が他人に見える時」か…なかなか含蓄のある言葉ですなあ。例えば、亭主が生きるか死ぬかという瀬戸際で「病は気から」と言われたとか(中×根元総理、今どうしてっかなあ)。丑三つ時に藁人形を手にどっかに出かけていったとか(八ッ墓村か)。しかし、あれですな。人類二百万年の歴史において、男女間の関わり方の公理が未だに確立されてはおらん、というのは実に難儀ですな。八兵衛兄ぃはこの遠大なテーマに挑んでいるそうで、しきりに私に小むずかしい問答を仕掛けてくる。私だけじゃ手に余るんだけどなあ、と本心では思っているんだけど(笑)。あるいは、妻帯者、及び人妻から意見を募っても、その夫婦に個別の掟しか出てこないと思っているのかも知れない。

     さて、はなはだ余談ではあります。今日、テレビ東京のニュースで見たのですが、警察犬というとシェパードとかドーベルマンとか精悍な犬を想像するのが普通ではないかと思うのですが、プードルってのはさすがに冗談だと思ったねえ。別に犬種差別をするわけではないが、プードルというと何だか笑っちゃうんだよな。きゃつらの主任務はその鋭い嗅覚を利用して何かものをさがすことにありますが、シェパード等は小さなものをさがすのがちと苦手なそうなのです。というのも、歩幅が大きいので嗅覚の効く範囲が大雑把になっちゃうんだな。プードルだと、ちょこまかちょこまかした歩き方に従って、嗅覚の範囲もゆっくりと移動する…したがって、小さなものも見つけられるという道理になる。道理はわかったけれど、生きたぬいぐるみみたいな(褒めているわけではない)風体で「警察犬です」といばられてもねえ。ほかの犬種もどうかと思うのよ。ビーグル犬は真面目さを疑うし、ウェルシュコーギーは「ちくわ」みたいだし(笑)。白と黒のカラーリングで言うわけじゃないけど、似合うのはボーダーコリーくらいじゃないか。和犬というのが案外似合わないというのはどういうことでしょうね。不適任というよりも、サツの旦那方もイメージに合わんということを心得ているのではないかな。和犬は真面目そうではあるが、フレンドリー過ぎるのではないか。

  • ※春の祭典

     さて、今回の書き込みはご婦人方は読んではいかん。一応警告したからね。よって、後でねじ込むのはなしね。というのも、単なるスケベ話じゃないんですよ。ストラヴィンスキーの「春の祭典」…聴いたことある人はいると思う。初演は音楽史上に残るような大スキャンダルになったので有名だけど、現代音楽としてはすでにもう古典ではあるな。私も曲自体は何度も聴いたことがあるけれど、バレエのほうは映像メディアでさえ一度も見たことがない。そういうわけで、どういう衣装で踊っているのか全然知らないのですよ。森下洋子の著書を見た限りでは、身体にぴったりした肉襦袢(古い表現だねえ)風の衣装だったので、そういうものかな、と思っていたんだけど、この前すげえ映像を見てしまった。いけにえに選ばれた乙女が踊る「いけにえの踊り」で全編は終わるんだけど、びっくらこいたのはそのダンサーは真っ裸だったのよ。しかも、いけにえに選ばれた時点で、着衣を剥ぎ取られるという演出だった。あくまで当人が納得の上の演出だとはわかっているのですが、これはなかなか陰惨な光景であります。まあ、あくまで芸術なんで「かんぜんむしゅうせい」ということもあるけどね。しかし、全裸バレエなんてものが本当にこの世にあるとは思わなかったな。というわけで、その映像がどこにあるかは明示しません。あくまで自主規制であります。興味のあるやつは勝手にさがすべし。

     しかし、その手のコンテンポラリーダンスのような真っ裸パーフォーマンスをたまにネット上で見つけるのだけど、正直言って、何を表現したいのだかまったくわかりかねる。最初の頃こそ、「おお、男も女ももろ出しじゃねえか」と思うのだけど、段々とそのパーフォーマンスがもろ出しでやる必然性があるのか疑惑の念を持ち始めるのですね。そもそも、男のチ×ポ見て面白いわけがないんだからさ。そう言えば、うろおぼえなんだけど、八兵衛兄ぃがその昔、美術館でアルバイトしていた折、なぜか突然、肩を叩かれて「君、なかなかいい身体をしているねえ。どうだ、一つ小づかい稼ぎをしないか」と言われたとか。兄ぃが芸術の人柱になって(文字通り)一肌脱いだのか、そこまでは知らない。しかし、視点によって、同じものが美とエロと位置づけが変わってしまうのはつくづく面妖ですわねえ。しかも、取り締まるお上自体がこれという評価基準を持っていないらしいようで。

  • >>No. 24791

    ※あのね

    >館長じゃないけどもっとこう下種い犯罪の容疑で捕まってたら書けないだろうな。

     何だか引っかかるな。何ゆえ私がいちいち引き合いに出されなきゃなんないのか(笑)。あたかも、自分の恥だろうと身内の恥だろう面白おかしく書きまくって受けをねらうやつと言わんばかりではないか。私だって本当にやばいことは書きませんよ。人さまの軒先からエロ本をガメてきたとか、それとは逆に夜陰に乗じて真夜中の公園にエロ本を捨ててきたり…と、いずれにしても、つまらない一件ですよ。そう言や、八兵衛兄ぃが少し前にそういう立場にあったなあ。どういうネタかは言えないけど、できれば書きたくないテーマで小説を構想するように師匠氏に強いられたらしい。ともあれ、さらけ出したくないものをあえてさらけ出すというのはなかなかできないもんですよ。私でさえあるのよ、メールでさえネタにしたことがないという一件が。しかし、中学生にしては肝がすわっているねえ。タイトルでまず釣っちゃうてのはかなりの手練だ。ちょっと、我々も考えてみようか。「父が母になった」…これもなかなかいいな。「キリヤマ、ウルトラ警備隊辞めるってよ」…二番煎じだな。「春の風、春画を描く」…あり得ない状況が何となく面白いけどね。ともあれ、ちくわさん、自らをさらけ出す姿勢こそ肝要であります。もちろん、別にストリップやれって言ってるんじゃないですぞ(笑)。


     しかし、先の書き込みの冒頭を私は「しょせん女房は他人でスパイ」と読んでしまった(笑)。池波正太郎の小説によれば、何もなければそのまま実直な家臣として生涯を終えるが、その時がきたら躊躇なく主家を裏切るという草の者の話があったけれど、その類かと一瞬思ったな。単に「゛」と「゜」と誤認しただけなのね。でも、あれだ。戦国時代においては本当に他家から嫁いできた女はスバイだと思われていた。例なんていくらでもあるけど、信長の娘、徳姫の事例が顕著ですかねえ。単なるでまかせか証拠をつかんでいたのか知らないけれど、「徳川は(当時はまだ松平か)武田と通じている」と親父に知らせたわけですな。その結果が、松平信康の切腹、家康の正室、築山の謀殺という顛末と相なった。八兵衛兄ぃにこの徳姫の一件をどう思うか訊いてみようかな(笑)。ちくわさんはどう思います? 不仲な人間を排除するためには、女はでっち上げもいとわないかということですね。

  • >>No. 24774

    ※うんにゃ

     必ずしも離婚に限ったことではないけれど、もっと広い意味における男女関係についてご下門になられました(兄ぃがね)。しかし、亭主のどういう言動に対して備前長船を抜くか(浅野内匠頭か)興味ありますね。常々思うのですが、亭主がいい年こいてエロビデオ見ながらセ×ズリこいている現場を見られたというのは離婚事由になるのかねえ。もしそうなら、妻帯者はセン×リしてはいけないということになるか。いや、あくまで一般論であって、ちくわ家がどうこうと申し上げているわけではありません(笑)。ちくわさん、唐突に変なことを言いますが、ご内儀を何て呼びます? もちろん、「ハニー」ではないということはわかっているけど(笑)。今、気がついたんですが、フランス語では女も妻も同じ単語…femmeなんですね。このことは何かを意味しているのか、と。ともすれば、男は妻が女であることを忘れがちで、何気ない一言、何気ない一挙で備前長船(しつこいな)を抜かせる。ところで、以前、読売新聞の掲示板で飯にふりかけをかけて食う亭主に離婚宣言するという、文字通り噴飯もののトピックがあったことを思い出します。ご内儀はふりかけ飯に抵抗感がおありだろうか。しかし、業務スーパーでも行けばあんのかも知れないけど、「のりたま」にも業務用サイズってあるんだな。1キロのビッグサイズってどういう用途なのかねえ。それから、「キャベツのうまだれ」なるものが福岡にはあるんですかい。そんなもの見たことないなあ。

     ところで、ナホト姉さん。八兵衛兄ぃが私にご下問になった理由は、まず第一に立場にこだわらず思うところを直言するからでありましょう。実際、公の場に出したらちっとまじいな、特に女房族の顰蹙買うだろうな…という文言もありましたね。かつてやり玉に挙げたことがあるけど、小坂明子の「あなた」という人口に膾炙した歌がありました。「あなたが~い~て欲しい」と熱唱したことでごまかされているけど、この「あなた」の序列は犬より低いんですよ。「愛」があるとすれば「自己愛」しかない。「あなた」はヒロインの欲するライフスタイルを実現する手段に過ぎない。だから、「愛しいあなたは今どこに」なのよ。要するに、逃げられたんだな。読売新聞の掲示板見ると、その手の「夢見る乙女」がわんさといます。姉さんも犬飼われてましたっけ。家庭内の序列をどう考えていらっしゃいますか。

  • >>No. 24770

    ※脱肛?

     だっちょじゃないよね。人さまの創作活動を妨げる気はないので、終わるまで待ってるつもりだったけど、叩き台が出来たんなら茶々入れてもいいか(笑)。ところで、八兵衛兄ぃから先週宿題もらいましてね。ようようのこと昨日でっち上げてメールでお答えしたところです。しかし、文学中年ってのは何でああ小むずかしいことを考えるのかね。どういう設問か知りたい人は兄ぃにメールでお問い合わせ下さい。意見求められるかも知んないけど(笑)。それにしても、ちくわさん、今回は残念でございましたな。いや、決してちくわさんの力量不足ではない。畢竟、落ちたのはニュートンのせいなのだ…そんなところでその場しのぎの慰めの言葉といたします(笑)。ところで、はなはだ唐突だけど、ちくわさんはご内儀を今もって比翼連理と思っておられますか? 兄ぃの質問とは畢竟そういうことでしてね…何で一人者の私に訊くのか(笑)。

     ところで、学校の教師ってのは、時に生徒を自己表現の手段として私用で使うことがありますな。運動会における体育教師の張り切り様と言ったらない。いっぱしの軍司令官気取りでワシら統帥権を振りかざすもんよ。前も言ったと思うけど、北島三郎のド演歌に振りをつけて、我々を文字通り躍らせた教師が小学生当時いたっけねえ。そう言えば、今年は組体操の是非が取り沙汰されたもんだけど、確かにまだ身体のできてない小中学生にやらせるのは危険じゃないですかい。といっても、私もやらされたけどさ。場合によっちゃ、作曲家気取りの音楽教師が暴走することがありますね。御自ら作詞作曲をなされた「何とか音頭」というのを歌わされたことがある。今もメロディの一部をおぼえているけど、これがスカプラな歌でねえ。校歌というのは作曲家の先生方の大事な収入源だったらしいですよ。文豪の三男坊が昔エッセイに書いていたのを読んだことがある。要するに、作曲家先生の作品ってのは現代音楽だからね、大して金になんないのよ。ブンガクが売れねえのと同じ。武満徹の「ノヴェンバーステップス」はそれなりに受けたけど。そう言や、作曲家を兼ねる某指揮者(名前は言えません。各々検索してちょ)の作で交響曲「名古屋」ってのがあったのね。私はFMでいっぺんだけ聴いたことがあるけど、全然記憶に残ってない。あれって再演されたことあんのかねえ。もっとも、名古屋はオーケストラを持っているもんなあ。

  • >>No. 2061

    ※おいでやす

     まさか本当にコメントぶちかますとは思ってなかった。ともあれ、久しぶりに反応があった。うれしいな(いや、本当に)。極論ぶち上げるのが私の役目なんでね。以前は受けたんだけど、最近は受けなくなりましてね。それがゆえに、ほとんど反応がなくなりました。それにしても、まおまおさん、まだその画像使っているんだ。考えてみりゃ、ここ二年ばかり掲示板でお見かけしたことがありませんな。書き逃げって…別に私は怒りゃしないって(笑)。「こんなもんでどうかな」ってのは、人によっていろんな解釈があるわけですよ。私は取り合えずそう解釈しました、というわけです。ただ、私は見解の異なる人と議論はいたさんのです。そもそも、自分の意見が正しいなどとは全然思っていないんだもん。というより、元々、信念のない人間で、極論ぶち上げるのが好きな人間だしね。ただなあ、金曜日になるとですね、どうも共産党系のシンパらしいんだけど、「戦争反対」のプラカードを掲げた連中が近所に現れるわけですよ。いや、主張したいことがあるなら自分で言えよ、と思うんだけど、通行人と目が合うとただプラカードを見せるだけ。「うざってえやつら」と私は常々思ってたんですね。ただの雇われアルバイトなんですかね。やつらからは信念は感じられなかったなあ。

     でも、まおまおさんのその姿勢は私は評価してるのですよ。受け入れられない意見には歯向かうその姿勢。私も例外じゃないんですけどね、馴れ合いの関係を打ち過ごすうちに、だんだん牙を抜かれていくんですよ。それじゃいかんと私も思うのですが、残念ながら、私自身が気力を失っていくのがわかるんですよ。言いわけするわけじゃないけど、私だけじゃござんせんよ。もう掲示板に姿見せなくなって久しい人間がいるでしょう。そういう意味では、ほとんど死トピとなり果てた我がトピックが上がっていたことがうれしかったねえ。八兵衛兄ぃとはかろうじてメールの関係はあるけど、お互いに爺むせえ話題ばっかり。表面的に威勢のいいことを言っていても、だいたい「虚勢」ですぞ。本物の勢いではないのです。残念ながら、我がトピックはもう終わりだろうな。ともあれ「まおブロ」はまだまだ健在よ。私などいなくてもどうだっていいけど、たまにお邪魔させていただきます。

  • ※ファイアフォックス

     ちくわさん、三十年ほどに「ファイアフォックス」という映画がありましたっけ。誤解されてはよくないので、IEの互換ブラウザのことでないのです。まだソ連があった時代、東西の軍事バランスを覆すようなとてもない戦闘機を突如として現れたという設定。ミグ31。名づけてNATOコード名、ファイアフォックス。マッハ5を越える最高速度で飛び、完全なるステルス性を持ち、パイロットの思考に応じて火器を制御する思考慣性システム…まあ、現代でさえ実現できていない夢の性能ですが、クリント・イーストウッド扮するミッチェル・ガントをソ連に潜り込ませて、同機を奪取する…早い話がかっぱらってくるという設定の映画でした。ちくわさんも何度か見たと思う。原作者であるところの、クレイグ・トーマスが例のベレンコ中尉事件にヒントを得て書いたという話なんですけどね。しかし、可哀想なのがKGBの警備責任者のミハイル・コンタルスキー大佐ですよ。寄りにもよって、共産党書記長が視察にくるその日に、ガントに虎の子の戦闘機をかっぱらわれたんだから。おそらく、あまりいい未来はなかったでしょうな。
     
     しかし、架空の戦闘機の後に実際に同じ型番の戦闘機が登場するというのは珍しいものです。もちろん、現実のミグ31は違う。NATOコード名、フォックスハウンド。せいぜい前任機のミグ25の改良版でしかない。ミグ25は迎撃戦闘機で、まず高空に飛び上がってアメリカの戦略爆撃機を迎撃するのが主任務の単能戦闘機で、ミグ31はそれ以外の脅威を阻止し得る迎撃機として改良されたわけだ。さて、劇中の「ファイアフォックス」が一時的にそうなったように、エンジンのフレームアウト(突然停止)が超音速機には起こりやすい。かのアメリカ空軍のSR-71も同じ問題を抱えていたそうで、空中でエンジンが止まるくらい怖いことはないですわな。しかし、この映画によって「与圧服」という概念を知った。超音速のレベルではどのくらいのGがかかるんだろうか。もちろん、体験したくないけどね。ついては、ミグ31のユーチューブ映像を下記に(↓)におつけする次第です。いや、実にでかい戦闘機だなと思いましたよ。かつてプラモデルでつくったことがあったけど、実物を見るとでかさがわかるわなあ。

    https://www.youtube.com/watch?v=9qSdHhik7aU

  • ※話の腰を折って悪いけど

     ちくわさん、小むずかしい話をなさっていますな。拙には何のことやらさっぱり(笑)。ところで、読売新聞のサイトにも掲示板があります。ヤフーのそれとは違って一点質問形式でトピックを立てたトピ主の問いかけに答えるという仕掛けで。でね、昔「アニメの国にこういう掲示板があったら」という設定のトピックが立ったのですね。普段は見ているだけですが、その時だけ投稿したことがあります。「宇宙戦艦ヤマト(旧)」の森雪の労働環境についてです。ほかの連中は専門職なのに、彼女だけがなぜか複数の職務を兼任している。しかも、彼女の部下ってのは人間じゃない。それも、彼女によこしまな感情(?)を抱いているロボット。スカートめくり二件、おさわり一件、職務中の爆弾発言一件…と前科がある。たまりかねて、艦長に訴えると、何だか軽くいなされてごまかされちゃう。私も何だか書いていて可愛そうになってきた。しかし、あの看護婦モード時の制服をどう思います? 当時は何とも思ってなかったけど、あのミニスカートの看護服には医学的合理性は全然ないですよね。別に擁護するわけじゃないが、あれじゃスカートめくりを誘発するわな。

     さて、現実世界の病院の看護婦の制服だけど、病院の世話になり始めたのはちょうど五年前。それから、様々な病院を渡り歩いたけど、いわゆる「看護婦さん」スタイルというものはどの病院でも一掃されていた。いかにも、看護婦さんが移動するのはだいたい早足。動きやすいスラックスに替わったのは確かに合理性がある。まあ、別に私も病院には基本的に薬をもらいに行くのであって、看護婦さんの姿を(アナライザーみたいに横目を使って)愛でに行くわけではない。確か、ちくわさんも昔同じようなことを言っていたような…何となくわびしいなあ、と。そう言えば、いわゆる「ナースキャップ」というのも見なくなった。日頃の業務に必要か必要でないかと言えば、やっぱり必要ではなかろう。しかし、看護婦になった儀式として「戴帽式」というものがあるように、看護婦の魂だと思うのだが、彼女らは魂をどこへしまってしまったのだろうか。誰かに質問しているように取られるかも知れないけど、まあ気のせいだ(笑)。ところで、背中に新規に赤い発疹が出てきた。空気が乾燥しているせいかどうかは知らん。ともあれ、新しい塗り薬をもらってきました。去年の二の舞は嫌だし。

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