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投稿コメント一覧 (42コメント)

  • 1930年代の朝鮮では、人肉商が大流行





                     人肉商とは、人身売買業のことです!!



    1930年代には10代の少女らが誘拐される事件が頻発し、中国などに養女などの名目で売却されていた。斡旋業者は恐喝を行ったり、また路上で誘拐して売却していた。朝鮮総督府警察はたびたびこうした業者を逮捕し、1939年には中国への養女供与を禁止している。当時の人身売買および少女誘拐事件については警察の発表などを受けて朝鮮の新聞東亜日報や毎日新報(毎日申報。現・ソウル新聞)、また時代日報、中外日報で報道されている。


    1932年3月には、巡査出身の33歳の男が遊郭業者とともの少女を恐喝し、誘拐した容疑で検挙された(東亜日報)。

    翌1933年5月5日の東亜日報には「民籍を偽造 醜業を強制 悪魔のような遊郭業者の所業 犯人逮捕へ」という見出しで、漢南楼の娼妓斡旋業者だった呉正渙が慶尚南道山清邑で16歳の少女を350円で買い、年齢詐称のため兄弟の戸籍で営業許可を取ろうとしていたこと警察の調べで発覚したと報道した。

    同1933年6月30日の東亜日報では、少女を路上で誘拐し中国に売却していた男がソウル市鐘路警察によって逮捕され、さらに誘拐された少女が35歳の干濱海に20ウォンで売却された後に殺害されたと報道。

    1934年4月14日の東亜日報は、災害地で処女が誘拐されたと報道。同1934年7月17日には、養父から金弘植という業者に売却されたという11歳の少女が警察に保護されている。

    1936年3月15日の東亜日報では「春窮を弄ぶ悪魔!農村に人肉商跳梁 就職を甘餌に処女等誘出 烏山でも一名が被捉。」との見出しで、ソウル近郊の農村烏山で「人肉商」(人身売買)業者が処女を誘拐していることが報道されている。

  • >>No. 1108

    マルマンって、なんやねん??

    マルハンのことけえーー??

  • 何をいちゃもんつけたいんだ??



              「法令が禁じた学校での政治活動だ」



                     それがどうした??



          あしなが育英会奨学金への寄付で集めたお金は??



               連合の政治活動資金にした。 残りは、朝鮮学校へ寄付さ!!



                 何か、文句あるのか??  エエッ!!



    山梨県教職員組合(略称:山教組)は、民主党の輿石東参院幹事長(当時)の2004年夏に行われた参議院議員選挙に向けて、校長、教頭を含む小中学校教職員らから組織的に選挙資金を集めたとして、産経新聞に報道された。

    産経新聞は、この資金集めが山教組の9つの地域支部や傘下の校長組合、教頭組合を通じ、「カンパ」や「選挙闘争資金」の名目で、山教組の指令により、半強制的に実施されていると報じた。同紙には複数の教員による「資金は輿石東への政治献金として裏口座でプールされた」という証言が掲載された。

    教員組合による選挙資金集めは、教員の政治活動などを禁じた教育公務員特例法に違反する疑いもあるほか、献金には領収書も発行されておらず、政治資金規正法(不記載、虚偽記載)に抵触する可能性も指摘された。山梨県教育委員会は、山教組委員長や校長ら19人を処分したが、文部科学省は再調査を求めた。

    また国会でもこの問題が取りあげられ、「法令が禁じた学校での政治活動だ」との追及がなされた。その後、山教組幹部ら2人が政治資金規正法違反で罰金30万円の略式命令を受け、山梨県教育委員会も24人に対し、停職などの懲戒処分を行った。

    山教組幹部らは「教育基本法改正を前に狙い撃ちされた」と批判したが、こうした山教組の姿勢には批判の声もあがった。また、全国で日教組の組織率が低下している中、山教組は100%近い組織率を維持している。

    ○山教組が呼びかけた募金について
    産経新聞の報道によると、2009年5月に開催された、山梨県教職員組合(山教組)の定期大会で「子どもの学び保障救援カンパ」が採択され、主にあしなが育英会奨学金への寄付を名目として約1億7000万円が集まったが、実際にあしなが育英会に寄付された金額はそのうちの7000万円のみであった。

    残りの1億円については日教組が加盟する日本労働組合総連合会(連合)に寄付され、その後連合から日教組に助成金として3750万円が交付されたとされる。それを今度は全額、朝鮮学校への支援金に回した。 この報道に対し連合と日教組側は、寄付金の使途は就学支援に限定し、募金の趣旨に沿っているので問題ないとしている。

  • いじめを苦にして自殺??




                組織を守るため、調査を妨害しろ!!




          大事なのは、政治活動だ!! その為には、組織を守ることだ!!



        子供の一人や二人の命よりも、組織のほうが大事なんだアーー!!




    ○北海道滝川市でのいじめ調査に対する妨害
    2005年、滝川市立江部乙小学校にて、小学6年生の女子児童がいじめを苦にして自殺した。(滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件)

    この事件について、北海道教育委員会が2006年12月にいじめの実態の調査を実施しようとしたが、北海道教職員組合の執行部は、同組合の21ヶ所の支部に対して調査に協力しないよう指示していたことが報道され、いじめの隠蔽であると批判された。校長は減給、教頭と当時の担任教諭は訓告となった。

    法務省札幌法務局も事件について調査した結果、この事件を人権侵害事件であると認定した。

    ○北海道教職員組合の政治資金規正法違反事件
    2010年2月15日、北海道教職員組合(北教組)が民主党の小林千代美衆議院議員に対し第45回衆議院議員総選挙の選挙対策費用として1600万円を渡したことに関し札幌地検は政治資金規正法違反容疑で札幌地検が札幌市中央区の北教組本部や小林千代美の選挙対策委員長を務めた北海道教職員組合委員長代理の自宅マンションなど数ヶ所を家宅捜索し、翌3月1日に北海道教職員組合の委員長代理、同書記長、及び会計委員の3人と小林陣営の会計責任者を同法違反の疑いで逮捕した。

    なお、同事件に対し北教組は札幌地検に対し「不当な組織弾圧」とした資料を配付しただけで事件への説明は無く、「外部からの問い合わせには一切答えないように」と道内支部に対しかん口令を敷いた。

  • 「この子達の親は悪人です!」



                  警察官、自衛官は悪人だあーー!!



    思想教育について感銘!!



                   最も尊敬する人物は、金日成!!




    ○自衛官や警察官の子供に対するいじめ教育
    日本教職員組合の組合員の中には、自衛官や警察官への差別意識を持つ者、彼らの子供を差別的に扱う者がいたとして、組織としての日教組の体質と結び付けた批判もある。

    佐々淳行は自著や産経新聞において、日教組組合員の教師が、警察官と自衛官の子供を立たせて「この子達の親は悪人です!」と吊し上げた事を記している。佐々は激怒してその教師を家庭訪問させたが、教師は反省の弁を述べるでもなく、自民党や自衛隊、警察を非難するばかりであった。業を煮やした佐々が、教育委員会に訴え出て免職させると言うと、教師は一転して土下座して謝罪し始め、「みんな日教組の指示によるもの」と述べたという。

    また、同紙社会部次長・大野敏明は、「自衛隊員の息子として教師から虐めを受け、登校拒否になった」と記している。同じく自衛官の息子だった友人は内申書の評価を下げられており、親の職業を言いたがらない者もいたと語っている。


    日教組は支持政党である日本社会党が朝鮮労働党との関係を強化した1970年代から北朝鮮との連帯を強調し、訪朝団の派遣を積極的に行い、北朝鮮の指導者を賛美した時期があった。

    1971年から1983年まで委員長だった槙枝元文は1972年4月の「金日成誕生60周年」に際して訪朝し、同国の教育制度を絶賛した。同年、制度検討委員だった岩井章も北朝鮮における思想教育について感銘を受けたと述べた。槙枝は、最も尊敬する人物として金日成をあげ、1991年(平成3年)には北朝鮮から親善勲章第1級を授与されている。

    晩年、拉致を知ってからは、家族が北朝鮮の話題をふっても乗らなくなったという。息子の一臣は「あの国を許せないという思いが募り、自分のミスジャッジに整理がつかなくなったのでは」と語っている。

    北朝鮮の公式政治思想である主体思想を信奉する団体日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会では日教組関係者が歴代会長職を務めており、2006年には福島県教組委員長、日教組副委員長を歴任した同会の清野和彦会長一行が朝鮮総連中央会館を訪問し、朝鮮総連の徐萬述議長から同会の主催で行われる「日朝友好親善を深めるための第30回全国交流集会」に送られてきた朝鮮対外文化連絡協会名義の祝旗を伝達されている。

    ○北朝鮮による日本人拉致問題への対応
    2003年1月25日から28日にかけて奈良県で開催された第52次教育研究全国集会では、北朝鮮による日本人拉致問題を主題にした報告は皆無で、「北朝鮮の国家犯罪は過去の日本の朝鮮統治で相殺される」とする認識が目立った。日朝関係への言及が多い「平和教育」の分科会では、「小泉内閣は拉致問題を最大限利用し、ナショナリズムを煽り立てながら、イラクや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を壊滅しようとしているブッシュに付き従って参戦しようとしている」(東京教組)、「いたずらに拉致問題や不審船問題を取り上げ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にたいする敵意感を倍増させている。また日教組は、拉致問題を扱った教科書について「北朝鮮敵視」であると批判した。

    日教組は2003年度の運動方針に、北朝鮮の官製教職員団体である朝鮮教育文化職業同盟との交流を掲げていた。日本国内では、朝鮮総聯の傘下団体である在日本朝鮮人教職員同盟(教職同)とも連携しており、交流集会・研究会を共催している。

  • 千年進入され、千回とも敵を撃退した!!



              しかし、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない!!



    黄 文雄(こう ぶんゆう、1938年 - )は中華民国の評論家、経済史研究者。専攻は西洋経済史。拓殖大学日本文化研究所客員教授。主権回復を目指す会顧問、世界戦略総合研究所評議員。

    1964年に留学のため来日した。早稲田大学商学部卒。明治大学大学院文学研究科博士前期課程修了。台湾独立建国連盟日本本部委員長。

    自身が台湾で誕生したという強い意識や、かつての中国国民党による台湾人(内省人)弾圧行為に対する憤りから、台湾正名運動に賛同しており、中華民国の国号を用いず、一貫して『台湾』『台湾政府』と呼称している。

    台湾のみならず、韓国・朝鮮もまた日本による統治が近代化へのステップであったとしている。また満州は中国ではなく、独立国であるという説を唱えている。また、漢民族の衰退について、原因を「儒教の猛毒性」に求め、さらに、中国人の民族性は中華思想に基づく人種差別であり、自己中心的と批判している。

    一方、韓国人の民族性は「事大主義と従属国根性が染みついた」と批判している。中国が唯一日本に勝てる要素は常任理事国である事くらいであると主張。

    日・中・韓の三者で行なわれる歴史研究会には日本側として当初から参加しているが、中国、韓国から来る代表はほとんどが政府の息のかかった人物であり、自国の歴史観を認めさせるうえで議論を始めようとすることを激しく非難し、「問題解決のためには政治問題にしないことである」と主張し続けている。

    <朝鮮半島論>
    黄は19世紀末の東アジアにおいて、清国からみた朝鮮半島観および朝鮮政策について、清国の属国であったベトナムがすでにフランスに横領されたこともあり、残る属国の朝鮮を死守しようとしていたとし、新疆や台湾のように朝鮮も中国の正式な領土にするため『朝鮮省』を設立し、郡県制とする断行案を検討していたという。

    また1882年の壬午事変の鎮圧に際して、呉長慶 は『遼東三省と左堤右挈し、実に東方の一大塀障』、つまり中国の遼東三省と朝鮮半島で守りを固めれば怖いものなし、と考えていたとしている。

    また、黄は、呉長慶の幕下にあり積極的な対外政策を論じてきた張謇の『朝鮮善後六策』について、京城帝国大学教授の田保橋潔のまとめを引用しながら、それまでの東三省から朝鮮省をも含めて『東四省』とし、清国が李朝国王を廃して監国にする、つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前にもあったと指摘している。たとえば、明の朱元璋が、李氏朝鮮をつくった李成桂に対して監国の地位を下賜し、国王の地位を与えなかったのもそのためとされる。

    なお、この「朝鮮省」設置について、朝鮮人は『小中華』から『大中華』への昇格だと喜び、「これまで大中国人やら大中華人になりたくてもなれなかったシナ人かぶれの両班にとっては、願ってもない恩寵」であったとしている。

    すなわち黄によれば、朝鮮は漢の時代から中国の一部であり、「封国」でなく「外藩」として帰属してきたし、朝鮮を建国したのは中国の箕子だと、中国人は主張していると指摘している。また、中国が中華民国になった近現代でも、中国人の朝鮮版図観は変わっておらず、たとえば蒋介石は戦後対日処理を協議した1943年11月のカイロ会談に際して船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している。

    さらに黄は、「宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、朝鮮の両班の鉄則のようなものだ」とし、千余年来、「千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が兵を引いたという歴史事実が繰り返されている」としている。

    また韓国は秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で焦土と化し、三百年もへても立ち直れなかったとして日本を糾弾するが、「倭乱のひどさを強調したいという気持ちはわからないでもない。しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。もしあるとすれば、もっと恥を知るべきであろう。

    戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退したという自慢話と、三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己嫌悪と羞恥心はないのであろうか」と批判している。

  • 3年間はじっとしていろ!!





                    密入国の時効は3年やあーー





           あとは何とかなるさ!!





              最後は、生活保護、老齢給付金、年金ももらえるさ!!





    在日韓国・朝鮮人の来日事由について、一般的には「日本の植民地支配に起因して渡日し、そのまま在留した人、およびその子孫」とされていますが、実際にはそういう人たちは、きわめて少数派であり、戦後(解放後)に密航で来日した人がかなりの数というか、大部分を占めております。

    戦後のどさくさにまぎれた、また、朝鮮戦争の混乱にまぎれて不法に日本に密入国した在日の人たちは、かつての不法行為についてはすでに清算・解決し、現在は合法的な在留資格を得ていると思われます。しかし彼らがどのようにして合法的な在留資格を得たのかについて、まず、ほとんどの日本人が知りません。 なぜならば、政治家も日本のマスコミも、絶対に触れたがらないからです。なぜなんでしょう???

     
    密入国の時効は3年ですから、密航して摘発されることなく3年を過ごせば、罪に問われることはなくなります。しかし不法滞在状態は続きます。  

    次にその間に日本に合法的に在留している人と結婚して子供を作ります。子供は配偶者の合法的在留資格を継承しますので、この家族は不法滞在者一人と他は合法滞在者という構成になります。それから頃合い(大抵の場合子供が入学する時期)を見て「私は密入国者です」と警察や入管に出頭します。当然密入国の経緯等の取り調べを受けますが、すでに家庭を支えている大黒柱となっています。彼一人を本国強制送還することは難しく、多くの場合法務大臣から特別在留許可を貰うことになります。

    最初は在留期限一ヵ月を繰り返しますが、何事もなく過ごせば三ヵ月、六ヵ月、一年‥‥と長くなり、最終的には一般永住資格を持つこともあります。  出頭して自分の身分を明らかにするまでは、不法滞在がバレやしないかとヒヤヒヤしながら、目立つような行動をせず、絶対に警察沙汰にならないように気をつけて生活します。

    密航者が日本に定着するまでは、だいたい以上のような経過をした人が多いようです。それ以外の場合もありますが、過去の経緯はどうであれ、現在は合法的に在留しています。自分の来日経緯を「密航だ」と堂々と語る在日がいるのは、捜査当局の取り調べを経たうえで、法務大臣より特別在留許可を得たからです。

    また、1965年に日韓基本条約が締結されるまでは、いくら日本側で密航者・不法入国者を摘発しても、韓国側が強制送還をまったく受け付けませんでした。それどころか、悪名高い李承晩ラインのせいで、多くの日本漁船が韓国側に拿捕され、たくさんの日本漁船員が、劣悪な環境下で長期拘留されました。

    その、拘留された日本漁船員の解放・帰国の条件として、日本国内で摘発・拘束されている密入国者や凶悪な犯罪を犯した在日朝鮮人・韓国人の日本国内への無条件釈放を要求されたのであります。韓国側は、韓国への強制送還は一切受け付けませんでした。

  • NHKとは???





    NHKとは「日本ハングル協会」の略語です。

    NHKにも、在日枠があるという話を聞いたことがありませんか?

    ご参考までに、下記参照こう!

    <<あるテレビ局OBが、しゃべったこと・・・

    1960年代,テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題 (例えば「朝鮮民主人民共和国」を“北朝鮮”と呼んでしまった、など)に対して、朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。

    抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に“在日枠”が密かに設けられる。総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に「お願い」をしてさらに弱みを握られるなど、素人のような甘い対応で身動きがとれなくなっていく。>>

  • 千年進入され、千回とも敵を撃退した!!



              しかし、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない!!



    黄 文雄(こう ぶんゆう、1938年 - )は中華民国の評論家、経済史研究者。専攻は西洋経済史。拓殖大学日本文化研究所客員教授。主権回復を目指す会顧問、世界戦略総合研究所評議員。

    1964年に留学のため来日した。早稲田大学商学部卒。明治大学大学院文学研究科博士前期課程修了。台湾独立建国連盟日本本部委員長。

    自身が台湾で誕生したという強い意識や、かつての中国国民党による台湾人(内省人)弾圧行為に対する憤りから、台湾正名運動に賛同しており、中華民国の国号を用いず、一貫して『台湾』『台湾政府』と呼称している。

    台湾のみならず、韓国・朝鮮もまた日本による統治が近代化へのステップであったとしている。また満州は中国ではなく、独立国であるという説を唱えている。また、漢民族の衰退について、原因を「儒教の猛毒性」に求め、さらに、中国人の民族性は中華思想に基づく人種差別であり、自己中心的と批判している。

    一方、韓国人の民族性は「事大主義と従属国根性が染みついた」と批判している。中国が唯一日本に勝てる要素は常任理事国である事くらいであると主張。

    日・中・韓の三者で行なわれる歴史研究会には日本側として当初から参加しているが、中国、韓国から来る代表はほとんどが政府の息のかかった人物であり、自国の歴史観を認めさせるうえで議論を始めようとすることを激しく非難し、「問題解決のためには政治問題にしないことである」と主張し続けている。

    <朝鮮半島論>
    黄は19世紀末の東アジアにおいて、清国からみた朝鮮半島観および朝鮮政策について、清国の属国であったベトナムがすでにフランスに横領されたこともあり、残る属国の朝鮮を死守しようとしていたとし、新疆や台湾のように朝鮮も中国の正式な領土にするため『朝鮮省』を設立し、郡県制とする断行案を検討していたという。

    また1882年の壬午事変の鎮圧に際して、呉長慶 は『遼東三省と左堤右挈し、実に東方の一大塀障』、つまり中国の遼東三省と朝鮮半島で守りを固めれば怖いものなし、と考えていたとしている。

    また、黄は、呉長慶の幕下にあり積極的な対外政策を論じてきた張謇の『朝鮮善後六策』について、京城帝国大学教授の田保橋潔のまとめを引用しながら、それまでの東三省から朝鮮省をも含めて『東四省』とし、清国が李朝国王を廃して監国にする、つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前にもあったと指摘している。たとえば、明の朱元璋が、李氏朝鮮をつくった李成桂に対して監国の地位を下賜し、国王の地位を与えなかったのもそのためとされる。

    なお、この「朝鮮省」設置について、朝鮮人は『小中華』から『大中華』への昇格だと喜び、「これまで大中国人やら大中華人になりたくてもなれなかったシナ人かぶれの両班にとっては、願ってもない恩寵」であったとしている。

    すなわち黄によれば、朝鮮は漢の時代から中国の一部であり、「封国」でなく「外藩」として帰属してきたし、朝鮮を建国したのは中国の箕子だと、中国人は主張していると指摘している。また、中国が中華民国になった近現代でも、中国人の朝鮮版図観は変わっておらず、たとえば蒋介石は戦後対日処理を協議した1943年11月のカイロ会談に際して船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している。

    さらに黄は、「宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、朝鮮の両班の鉄則のようなものだ」とし、千余年来、「千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が兵を引いたという歴史事実が繰り返されている」としている。

    また韓国は秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で焦土と化し、三百年もへても立ち直れなかったとして日本を糾弾するが、「倭乱のひどさを強調したいという気持ちはわからないでもない。しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。もしあるとすれば、もっと恥を知るべきであろう。

    戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退したという自慢話と、三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己嫌悪と羞恥心はないのであろうか」と批判している。

  • ああ、無情!!    


    老いても、なお犯される元慰安婦たち!


    鬼畜のなせる業か!!


          韓国元慰安婦施設の実態!!!





    ナヌムの家(나눔의집、ナヌメチプ=朝鮮語で「分かち合いの家」の意、英語名:House of Sharing)は、かつて日本軍の慰安婦であったと主張する高齢の韓国人女性(「ハルモニ」=おばあさん と呼ばれている)数名が、日韓の若者を中心としたボランティアスタッフとともに共同生活を送る韓国京畿道広州市にある民間の施設であり、「被害の歴史を昇華させ、世界的な歴史と平和、人権の聖地にすること」を目的に掲げている。

    1年間の来訪者数は1万人。そのうち3000~5000人が日本からの訪問者である。

    大学生など若年層や市民団体・社会運動関係者を中心とした日本人も訪れ、女性たちの体験談に耳を傾けている。日本の日教組関係者をはじめとする学校関係者や、贖罪のために朝鮮半島を訪問する日本人の来訪者も多い。日本人男性が「日本人の罪」と向き合うためにボランティアスタッフとして滞在している。

    毎週水曜日には、ソウルの日本大使館前で日本政府による公式謝罪と正式な賠償を求めるデモを行っている(いわゆる水曜デモ)。

    このデモには、2001年(平成13年)、民主党の参議院議員岡崎トミ子がプラカードをもって参加した。同議員の脇で日の丸にバツをつけたプラカードなど日本を愚弄・非難する内容のプラカードを持った参加者が多数いたため、「国費で訪韓した日本の国会議員が反日デモに参加するとは何事だ」と産経新聞などの保守派から多くの批判の声が上がった。

    2001年2月にナヌムの家の園長である僧侶の慧眞(ヘジン)が、当時収監していた老婆や女性職員十数名に対して性交渉を強要した事実が暴露された。韓国性暴力相談所に女性職員が「慧眞が園長という地位を利用して、1997年2月から1998年の5月までひと月に2、3回ずつ性関係を強要した」と告発したことで公になった。慧眞は非を認め、辞任するに至った。罪には問われなかった。なお、慧眞は告発される前の2000年12月に開催された「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」に参加しコメントを残している。

    慰安婦問題に関わってきた山下英愛(やましたよんえ、ブリティッシュコロンビア大学アジア研究所客員研究員)は、この事件について「慰安婦運動」をしている者達が、この事件の真相究明と解決のための積極的な行動をしなかったことを挙げて、同じ性暴力でありながら加害者(日本)を責める「慰安婦運動」は、性暴力運動というよりも、韓国独特の民族運動的性格なものといえるのではないか、と論じている。

  • 何が問題なのだ!!





                      生きていくために日本へ行くんだ!!





                   それが精神的“強制連行”だ!!




    『朝日新聞』1955年8月18日「65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち密入国者が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内(1都8県)では、この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった。全国ではこのざっと10倍になり、捕まらないのはそのまた数倍に上るだろうという」

    また、『朝日新聞』1959年6月16日「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ」また、『朝日新聞』1959年12月15日天声人語「韓国から日本に逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。昭和二十一年から昨年末までに密入国でつかまった者が五万二千人、未逮捕一万五千人で、密入国の実数はその数倍とみられる」また、『産経新聞』1950年6月28日には、「終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる」という記事が掲載されている。

    当時の総理大臣である吉田茂も「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)において、在日朝鮮人の半数は不法入国者で、大多数の朝鮮人は日本経済の復興に全く貢献せず、多くは法の常習的違反者で、共産主義者など政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であることを伝えている。

    <韓国による在日朝鮮人密入国者送還拒否>
    1952年5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国に強制送還したが、韓国政府は125人の引き取りを拒否し日本に送り返したため、逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は収容所からの即時釈放を要求、これに在日朝鮮統一民主戦線が同調して「逆送還者奪還闘争」が開始され、1952年11月11日には暴動が発生した(大村収容所事件)。

    1955年(昭和30年)12月8日の第23回国会衆議院法務委員会では、韓国は日本政府が摘発した密入国者や犯罪者の送還を拒否し、さらにこれらを日本国内で釈放し居住させるよう要求していたことが明かされた。

    同会議で入国管理局長内田藤雄は、当時日本の刑務所にいる犯罪者約6万の1割が朝鮮人であり、凶悪な犯罪者は出入国管理令二十四条第四項リ号に基づき退去強制したが、韓国政府が「戦前からいる朝鮮人は日本に永住権があり、日本が一方的に退去強制するのは妥当でない」として引き取りに応じないため収容が長期化していると語った。当時、通常の国家であれば一月以内に相手国が引き取るので収容生活は短期で済んだ。

    また、李承晩ラインを超えたとして拿捕抑留された日本人漁民を韓国は引き渡さないという背景もあるなか、韓国は日本人漁民の釈放と引き換えに朝鮮人犯罪者を釈放せよと要請した。内田入国管理局長は「こういうことで一歩退いて一つの既成事実を作られますと、それを種にして将来非常に悪い朝鮮人でも退去させることができない、実際上これらの者に対する管理行政上非常な支障を来たすおそれがある」ので、当局としては反対すると答弁した。

  • いまだに続く沈黙と隠蔽・・・







               ほうかむりを決め込んだ朝日新聞の罪と罰!!







    ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に挙行される慰安婦デモに同行した学生たちは、「日本を批判すると同時に、韓国人も歴史認識について反省しなければ」と発言するようになり、「韓国軍性奴隷の問題を隠し続け、今でも反省の色を見せていない」韓国の国家権力を批判する。

     「なぜ日本だけが…」と憤慨する橋下発言と通じ合う「総ざんげ」の志向と見ることもできるが、残念ながら、当分はマイノリティーの域にとどまるでしょう。


    韓国・慶南大客員教授、金貴玉(キム・グィオック)教授の調査は、日本ではまだあまり知られていないのではないでしょうか。

    ところが、これについては意外や意外、朝日新聞が2002年2月23日に報道しています(紙面掲載は2月24日)。

    10年以上も前の記事なのでasahi.comにはもう残っていませんが。

    以下、朝日新聞の記事抜粋。



    <引用


    <朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表>

     朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったことが23日、立命館大学(京都市北区)で開かれている「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム日本大会(朝日新聞社後援)で明らかにされた。韓国軍慰安婦について日本で公になったのは初めて。発表した韓国・慶南大客員教授の金貴玉(キム・ギオク)さん(40)=社会学=は「日本軍の慰安婦制度をまねたものではないか」とみている。



    引用終わり>



    日本軍の慰安婦問題「だけ」を追及したい朝日新聞としては、韓国に不利になるような報道をするのは不本意だったに違いありません。
    シンポジウムを後援した立場上、いやいや報道せざるを得なかったものかと。



    「軍慰安婦は日・米・韓にまたがる問題。米兵の慰安所利用実態も明らかにしたい」と話す金貴玉さん=京都市北区の立命館大学で

    金さんは96年、離散家族のインタビューの中で、「50年10月、韓国軍の捕虜になり、軍慰安隊の女性と出会った」という男性の証言を得た。以後5年間インタビューを重ね、「直接慰安所を利用した」「軍に拉致されて慰安婦にされかかった」という男女8人の証言を聞いた。

    さらに金さんは、韓国の陸軍本部が56年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』に「固定式慰安所-特殊慰安隊」の記述を見つけた。設置目的として「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」とあり、4カ所、89人の慰安婦が52年だけで20万4560回の慰安を行った、と記す特殊慰安隊実績統計表が付されている。

    証言と併せ、軍隊が直接経営していた慰安所があった、と金さんは結論づけた。

    軍関係者の証言の中には、軍の補給品は第1から第4までしかないのに、「第5種補給品」の受領指令があり、一個中隊に「昼間8時間の制限で6人の慰安婦があてがわれた」とする内容のものもある。

    どんな人が慰安婦になったかは明らかではないが、朝鮮戦争時に娼婦(しょうふ)が急増し、30万人にも及んだことから、金さんは「戦時の強姦(ごうかん)や夫の戦死がきっかけで慰安婦になった民間人も少なくない」と見ている。

    金さんは「設置主体だった陸軍の幹部の多くは日本軍の経験者だった。韓国軍の慰安婦が名乗り出るためには、日本軍慰安婦問題の解決が欠かせない。韓国政府と、当時軍統帥権を握っていた米国の責任も追及したい」と話している。

  • 父親が犯した、このおぞましい犯罪とどう、向き合うのか!!!





                   朴クネ韓国大統領!!!







    韓国は、果たして歴史を直視することができるか!!


            

    1966年2月、ベトナムビンディン省に駐屯していた大韓民国陸軍首都師団(通称猛虎部隊)(en)は早朝にタイビン村(Thái Bình /太平)を訪れ、住民68名を1ヶ所に集めると銃撃を加えるとともに手榴弾を投げつけて婦女子を含む65名を殺害した。生存者はわずか3名であった。

    タイビン村では虐殺された犠牲者名を記した慰霊碑と事件を記録した壁画が設けられ、生存者が虐殺の証言を行っている。2008年現在のベトナムでは韓国軍によって少なくとも十数万人が虐殺されたとも、あるいは、30万人を超すベトナム人が虐殺されたとも言われている。

    1966年2月26日、南ベトナムビンディン省タイソン県(ベトナム語版)ビンアン村のゴザイ集落を訪れた韓国陸軍首都機械化歩兵師団(英語版)(猛虎部隊)は住民380人を集めると一時間のうちに一人残らず虐殺した。首都師団はゴダイの虐殺と並行してビンアン村の近隣にあるタイヴィン村で1,200人を虐殺するタイヴィン虐殺を行った。

    1968年2月12日、韓国海兵隊第2海兵旅団(青龍部隊)(en)は南ベトナムクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村で民間人虐殺事件を起こし、その日のうちにアメリカ軍・南ベトナム軍によって犯行が明らかにされていたが、2月25日に再び、同じクアンナム省のハミ村で女・老人・子供・135人を虐殺した。3人だけを残して全員殺害された村もあった。殺害方法は村民を広場に集め、一斉に射撃を加えたり、手榴弾を投げつけたりして実行された。

    フォンニィ・フォンニャットの虐殺やタイビン村虐殺事件など、このような事件がたびたび引き起こされ、10万人以上が韓国軍の犠牲になったとも、あるいは、30万人を超す犠牲者数だったとも言われている。

    このため、アメリカ軍内部では韓国軍を完全な後方部隊とするか、ベトコンが完全に支配していて誰を殺しても問題とされない地域に配置転換するべきであるとした検討が行われた。

    1968年2月12日、フォンニィ・フォンニャット村を訪れた韓国海兵隊第2海兵師団(青龍部隊)第1大隊は婦女子を集めると至近距離から銃殺、刺殺し火を付け立ち去った。ところが、その日のうちにアメリカ海兵隊員4名、南ベトナム兵26名からなる部隊が現場に到着してしまった。アメリカ・ベトナム兵は生存者へ手当を施し、病院へ搬送した。また、J・ボーン伍長によって事件現場の撮影が行われた。事件後に生き残った村人たちは犠牲者の遺体を国道1号線に並べて抗議の意思を示した。

    韓国軍によって引き起こされた数々の虐殺によって少なくとも民間人十数万人が殺害されており、あるいは、30万人を超す犠牲者の数だったとも言われている。


    韓国兵は残忍なやり方で女をレイプしてから殺すケースが多く、アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女にとって恐怖の的だった。また妊婦や子供は井戸に落とし、助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだ。生き残った村人はバラバラになった遺体を井戸から引き上げ、盛り土をしただけの簡単な墓に家族の遺体を葬った。

    2000年には、韓国陸軍の蔡命新将軍は数々の事件について、我々は誰にも償いをする必要はないと、明確に述べている。

  • ええっ!!



    日本が先制攻撃を受ける???



             いるんですよ! 世の中には、というか、お隣には!




               パラノイアックな、お目出度い人が!!




           はい、この人!!




                  前々韓国大統領



    盧武鉉・・


    2003年~2008年、弁護士出身、金泳三に見出され大統領までの登り詰めたが、金泳三は盧武鉉を大統領にしたのは大きな間違いであったとJNNのインタビューに答えている。

    内部から大統領弾劾訴追を受け、一時職務停止を受けるも復権、2006年4月21日付のワシントンポストは、盧武鉉政権が海上保安庁の竹島周辺海域海洋調査を阻止するために日本政府への具体的な圧力として、「島根県内の防衛庁(現防衛省)施設」に対する軍事攻撃を検討していたと報道していた。2012年7月には、盧武鉉の元側近が「盧武鉉大統領は、アメリカに対し、日本を仮想敵国とするよう申請していた」と韓国の新聞社が報道している。


          大統領末期は、不正蓄財により側近や親族が逮捕され、退任後は妻まで捜査対象となり、盧武鉉自身も捜査対象となったことから、2009年5月23日自ら命を絶った。

    自業自得。

    天罰テキメン!!

  • 「この子達の親は悪人です!」



                  警察官、自衛官は悪人だあーー!!



    思想教育について感銘!!



                   最も尊敬する人物は、金日成!!




    ○自衛官や警察官の子供に対するいじめ教育
    日本教職員組合の組合員の中には、自衛官や警察官への差別意識を持つ者、彼らの子供を差別的に扱う者がいたとして、組織としての日教組の体質と結び付けた批判もある。

    佐々淳行は自著や産経新聞において、日教組組合員の教師が、警察官と自衛官の子供を立たせて「この子達の親は悪人です!」と吊し上げた事を記している。佐々は激怒してその教師を家庭訪問させたが、教師は反省の弁を述べるでもなく、自民党や自衛隊、警察を非難するばかりであった。業を煮やした佐々が、教育委員会に訴え出て免職させると言うと、教師は一転して土下座して謝罪し始め、「みんな日教組の指示によるもの」と述べたという。

    また、同紙社会部次長・大野敏明は、「自衛隊員の息子として教師から虐めを受け、登校拒否になった」と記している。同じく自衛官の息子だった友人は内申書の評価を下げられており、親の職業を言いたがらない者もいたと語っている。


    日教組は支持政党である日本社会党が朝鮮労働党との関係を強化した1970年代から北朝鮮との連帯を強調し、訪朝団の派遣を積極的に行い、北朝鮮の指導者を賛美した時期があった。

    1971年から1983年まで委員長だった槙枝元文は1972年4月の「金日成誕生60周年」に際して訪朝し、同国の教育制度を絶賛した。同年、制度検討委員だった岩井章も北朝鮮における思想教育について感銘を受けたと述べた。槙枝は、最も尊敬する人物として金日成をあげ、1991年(平成3年)には北朝鮮から親善勲章第1級を授与されている。

    晩年、拉致を知ってからは、家族が北朝鮮の話題をふっても乗らなくなったという。息子の一臣は「あの国を許せないという思いが募り、自分のミスジャッジに整理がつかなくなったのでは」と語っている。

    北朝鮮の公式政治思想である主体思想を信奉する団体日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会では日教組関係者が歴代会長職を務めており、2006年には福島県教組委員長、日教組副委員長を歴任した同会の清野和彦会長一行が朝鮮総連中央会館を訪問し、朝鮮総連の徐萬述議長から同会の主催で行われる「日朝友好親善を深めるための第30回全国交流集会」に送られてきた朝鮮対外文化連絡協会名義の祝旗を伝達されている。

    ○北朝鮮による日本人拉致問題への対応
    2003年1月25日から28日にかけて奈良県で開催された第52次教育研究全国集会では、北朝鮮による日本人拉致問題を主題にした報告は皆無で、「北朝鮮の国家犯罪は過去の日本の朝鮮統治で相殺される」とする認識が目立った。日朝関係への言及が多い「平和教育」の分科会では、「小泉内閣は拉致問題を最大限利用し、ナショナリズムを煽り立てながら、イラクや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を壊滅しようとしているブッシュに付き従って参戦しようとしている」(東京教組)、「いたずらに拉致問題や不審船問題を取り上げ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にたいする敵意感を倍増させている。また日教組は、拉致問題を扱った教科書について「北朝鮮敵視」であると批判した。

    日教組は2003年度の運動方針に、北朝鮮の官製教職員団体である朝鮮教育文化職業同盟との交流を掲げていた。日本国内では、朝鮮総聯の傘下団体である在日本朝鮮人教職員同盟(教職同)とも連携しており、交流集会・研究会を共催している。

  • ソウルからノボセヨ!




    のぼせ上がりは、日常茶飯事!!






                  妄想・妄言が湯水のごとく湧き出る!!






          北と中国には、ただひたすら恭順の意を表しながら・・・





    日本人が知らない、これが朝鮮人の対日意識・認識だああーー!!




    これは、今年(2013年)3月11日の朝鮮中央日報日本語版のコラムに載っていた記事です。
    抜粋します。


    <引用始まり>

    ”先週末、数人の歴史学者と一緒に対馬に行った。 釜山から対馬までは50キロ。福岡からは138キロだ。 対馬は近いうえ、韓国との縁も深くて長い。 『古事記』と『日本書紀』によると、百済の王仁博士が375年、『千字文』1冊と『論語』10冊を持って海を渡り、最初に到着したのが対馬の鰐浦だった。 ここに「百済国王仁博士顕彰碑」がある。 そのほかにも対馬には韓国に関連した遺跡が多い。

    そのためか、対馬はもともと韓国の領土であり、返還されるべきだという主張も多い。 現役陸軍大佐のキム・サンフン氏もその一人だ。 根拠はこうだ。 「白頭山は頭、大関嶺は脊椎、嶺南は対馬、湖南は耽羅を両足とする(以白山為頭 大嶺為脊 嶺南之対馬 湖南之耽羅 為両趾)」。1750年代に制作された「海東地図」に書かれている。 19世紀に作成された慶尚道地図でも対馬は朝鮮の領土だ。

    さらに1945年に発行された「解放記念版最新朝鮮全図」でも、対馬は厳格に私たちの領土だ。 韓国の地図だけでない。 征韓論の始祖格である林子平が1785年に作った『三国通覧図説』の地図でも対馬は朝鮮のものだ。

    地図だけではない。 初代大統領の李承晩(イ・スンマン)は1948年8月15日、大韓民国政府樹立の3日後に行った最初の会見で「対馬返還」を要求した。 翌年の年頭会見でもこう述べた。 「対馬返還は私たちの失地を回復するものだ。 日人が何と言っても、歴史はどうにもならない」。しかし韓国戦争(1950-53)が始まり、「対馬返還」は戦争の砲声に埋もれてしまった。 しかし対馬失地回復運動は今も続いている。 ”

    <引用を終わり>


    大手のマスメディが、公然とこんな侮日記事を、日常的に書いているのです。
    侮日、反日を毎日のように煽り立てるのです!
    のぼせあがった朝鮮人が、なんと多いことかと!!

  • 「この子達の親は悪人です!」



                  警察官、自衛官は悪人だあーー!!



    思想教育について感銘!!



                   最も尊敬する人物は、金日成!!




    ○自衛官や警察官の子供に対するいじめ教育
    日本教職員組合の組合員の中には、自衛官や警察官への差別意識を持つ者、彼らの子供を差別的に扱う者がいたとして、組織としての日教組の体質と結び付けた批判もある。

    佐々淳行は自著や産経新聞において、日教組組合員の教師が、警察官と自衛官の子供を立たせて「この子達の親は悪人です!」と吊し上げた事を記している。佐々は激怒してその教師を家庭訪問させたが、教師は反省の弁を述べるでもなく、自民党や自衛隊、警察を非難するばかりであった。業を煮やした佐々が、教育委員会に訴え出て免職させると言うと、教師は一転して土下座して謝罪し始め、「みんな日教組の指示によるもの」と述べたという。

    また、同紙社会部次長・大野敏明は、「自衛隊員の息子として教師から虐めを受け、登校拒否になった」と記している。同じく自衛官の息子だった友人は内申書の評価を下げられており、親の職業を言いたがらない者もいたと語っている。


    日教組は支持政党である日本社会党が朝鮮労働党との関係を強化した1970年代から北朝鮮との連帯を強調し、訪朝団の派遣を積極的に行い、北朝鮮の指導者を賛美した時期があった。

    1971年から1983年まで委員長だった槙枝元文は1972年4月の「金日成誕生60周年」に際して訪朝し、同国の教育制度を絶賛した。同年、制度検討委員だった岩井章も北朝鮮における思想教育について感銘を受けたと述べた。槙枝は、最も尊敬する人物として金日成をあげ、1991年(平成3年)には北朝鮮から親善勲章第1級を授与されている。

    晩年、拉致を知ってからは、家族が北朝鮮の話題をふっても乗らなくなったという。息子の一臣は「あの国を許せないという思いが募り、自分のミスジャッジに整理がつかなくなったのでは」と語っている。

    北朝鮮の公式政治思想である主体思想を信奉する団体日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会では日教組関係者が歴代会長職を務めており、2006年には福島県教組委員長、日教組副委員長を歴任した同会の清野和彦会長一行が朝鮮総連中央会館を訪問し、朝鮮総連の徐萬述議長から同会の主催で行われる「日朝友好親善を深めるための第30回全国交流集会」に送られてきた朝鮮対外文化連絡協会名義の祝旗を伝達されている。

    ○北朝鮮による日本人拉致問題への対応
    2003年1月25日から28日にかけて奈良県で開催された第52次教育研究全国集会では、北朝鮮による日本人拉致問題を主題にした報告は皆無で、「北朝鮮の国家犯罪は過去の日本の朝鮮統治で相殺される」とする認識が目立った。日朝関係への言及が多い「平和教育」の分科会では、「小泉内閣は拉致問題を最大限利用し、ナショナリズムを煽り立てながら、イラクや朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を壊滅しようとしているブッシュに付き従って参戦しようとしている」(東京教組)、「いたずらに拉致問題や不審船問題を取り上げ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にたいする敵意感を倍増させている。また日教組は、拉致問題を扱った教科書について「北朝鮮敵視」であると批判した。

    日教組は2003年度の運動方針に、北朝鮮の官製教職員団体である朝鮮教育文化職業同盟との交流を掲げていた。日本国内では、朝鮮総聯の傘下団体である在日本朝鮮人教職員同盟(教職同)とも連携しており、交流集会・研究会を共催している。

  • 歴史認識の鎖国化を嘆く!!





               チンイルパ=親日派のレッテルを貼られても・・・





                         なおも、史実を弁ず!!





    1990年代から2000年代にかけて、「民族史観」を誇張が多いとして批判したり、「民族史観」とは異なる見解が韓国内からも提示されるようになっています。

    金完燮(キム・ワンソプ、1963年 - )韓国人評論家・作家・教育家・言論人。光州生まれ。サレジオ高校-ソウル大学中退。光州事件の市民軍に参加した、熱烈な韓国民主化運動の闘士。韓国が民主化されて後、オーストラリアに移住するが、そこで劇的に対日観が変わった!!!

    金完燮は、当時の朝鮮は腐敗した李朝の統治により混乱の極みにあった非常に貧しい国であり、日本が野望を持って進出するような富も文化もなかった、としています。彼によれば近代日本の歩みは列強、特に当時極東へ進出しつつあったロシアとの長きにわたる戦いであり、日清戦争から日露戦争そして韓国併合に至る一連の出来事は全て日本の独立を守るための行為であった、と。

    当初日本は、福沢諭吉の門下生の金・玉均を始めとする日本で文明に触れた朝鮮人を通して、朝鮮が清から独立し近代国家となって日本にとっての同盟国となることを望んでいた。しかしながら朝鮮人自身の手で朝鮮を改革しようとする試みは頓挫し、福沢諭吉が脱亜論を著したように方針を転換。日本自らの手で清、そしてロシアから朝鮮半島を守り、朝鮮を近代化する道を選んだ、と。

    その後日本は朝鮮を「日本化」することによって教養ある日本人を増大させることによる国力の増加を目指し、積極的にインフラへ投資した。朝鮮が自分たちで独立を保ち、近代化を成し遂げることが出来れば併合されることもなかったであろうし、日本によるこれらの植民地政策がなければ近代化することもなかったであろう、として韓国における歴史教育を批判しています。

    これらの言動・著作から彼は親日派とされ、苛烈な弾圧を受け、ほぼ、社会的に抹殺状態であります。

  • 何ゆえに、創作工房と化したのか???






             日夜繰り返される歪曲、捏造の協奏曲!!






                歴史は、作曲・編曲の繰り返しでしかない!!






    「戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前には約200万人となった。増加した100万人のうち70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。

    残りの30万人は大部分鉱工業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令によるものはごく少数である。(中略)

    終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引き上げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引き上げ計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち75%が帰還している。(中略)

    現在、登録されている在日朝鮮人は総数61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、
    戦時中に徴用労働者としてきた者は245人に過ぎず、現在日本に居住している者は、犯罪者を除き、自由意志によって残留した者である。」

    1959年7月13日朝日新聞

    在日は「強制連行」ではない。by朝日新聞(!)


    今と言ってる事が全然違いますね。

  • 全国初のケースです。



    うそ・捏造展示物を強制観覧させられた精神的苦痛を、裁判所がどう判断するか!!



     だまされた市民と小中学生は、数百万人!!!



              まさか!!



                  市民の税金で、だまし展示館!!!



               慰謝料請求できます!!!



    財団法人大阪国際平和センター(通称:ピースおおさか)は、大阪市にある、戦争と平和に関する調査研究や展示を行っている施設。
    平成元年(1989年)、大阪府と大阪市の出資により財団法人大阪国際平和センターが設立され、平成3年(1991年)に開設された。

    大阪大空襲など50回を超えるアメリカ軍の無差別爆撃により、一面の焼け野原となり戦争で大きな被害を受けた大阪において、それらの被害を記録し、戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため大阪府と大阪市が共同で設置した。

    開館から2011年9月までに166万人が訪れており、来場者の過半数は課外授業などで訪れる小中学生等である。

    捏造展示
    朝鮮コーナーでは、「昭和14年(1939年)以降、朝鮮人を強制的に日本に連行した」と解説するなど捏造展示を行い続けてきた。また、業者による労働者の募集なども全て実質的には強制連行だったとした解説文を付してきた。

    1939年以降に日本に連行された朝鮮人の証拠写真として、戦前朝鮮に建設された水豊ダムの作業現場を撮影した写真を展示、また1926年9月9日付の新聞に掲載された写真を「虐待された土木労働者」と題して展示、1932年に撮影された写真2枚を「鉄道工事場での朝鮮人虐殺」として展示していた。これらは1991年の開館時から2011年10月28日までの20年以上に渡り展示された。展示を企画した担当者がすでに他界しており、どのような経緯で誤った写真を展示したのか不明だという。

    組織
    • 顧問:橋下徹(大阪府知事)、平松邦夫(大阪市長)
    • 会長:武者小路公秀(元国連大学副学長)
    • 理事長:金児曉嗣(相愛大学長)
    • 常務理事:倉田清
    • 理事:綛山哲男、川口清一、近藤康之、高橋叡子、永井哲郎、もず唱平、福田昌弘、元木健、森下曉
    (2010年4月1日現在)

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