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投稿コメント一覧 (54コメント)

  • >私は明日死ぬとわかったらどのような
    >医学的手段を講じても生きたいと思います
    >それがタブーとか倫理違反とか言われても
    >生命の本質がそこにあります

    生命の本質との事ですが、何を持って本質と主張されているのでしょうか?
    そしてそれは、宇宙を生命だと主張する以上、宇宙にとっても当てはまるって事なんですよね?

  • >>No. 5020

    宇宙を生命とみなす様な発想の元では、他人の子宮を移植して妊娠を試みるような
    生命倫理に対するタブーみたいなものはどの様に解釈されるのでしょうか?
    倫理など人間の側の勝手な観念であって、この世に存在し技術的に可能な行為はすべて肯定されてしかるべきなのでしょうか?

  • >>No. 110263

    >凡神は星々の存在が前提にある。
    >しかし、凡神の神は存在しない!
    >凡神は物理的なつながりから、発生したものであろう!

    これだと、人間よりもずっと高度な構造をしているはずの神が、
    より単純な構造に過ぎない人間よりも先に出来上がるという
    構造的矛盾を含む事になりませんか?

  • >>No. 110261

    >凡神は宇宙の星々が重力などで結び付き、自我を形成して、存在している。

    これだと、神様の自我というのは星々の存在を前提としちゃうので、
    神様よりも星々の方が先に生まれている必要があるんじゃない?

  • 道半ば
     届かぬカセイ
         露と消え

  • >>No. 108342

    >その目的は自我とは知性とは何なのかを、探る為・・・

    神が知性を調べてどうするの?
    自我を調べてどうなるの?

  • >>No. 108283

    お返事ありがとうございます。

    >新約聖書と旧約聖書で喪に対する考え方が違うという事なのでしょうか?

    死んだら魂が天に召されるというキリスト教との宗教性の差なのかと思っていましたが、
    そうではなくて、ユダヤ教には喪に服す作法の用意があるが、
    キリスト教は個人の弔う気持ちに委ねているという事のようですね。
    またキリスト教は宗派が多様化し過ぎてしまっている事も背景にありそうですね。
    ある宗派では土葬しないで火葬や散骨でもOKなのだそうです。
    信心の無い人が見捨てられた結果で無いといいのですが。

  • >>No. 108281

    イケメンモテ男さんはじめまして。
    キリスト教の方に伺いたいのですが、キリスト教とユダヤ教では喪中に対する方針が異なる様ですが、
    これは新約聖書と旧約聖書で喪に対する考え方が違うという事なのでしょうか?

  • >>No. 108272

    >だから、あなた自身はどんな宗教儀礼をするのか訊いているんだよ。

    俺は無宗教なので直葬で構わないのですが、家族には慕われているので仏式になると思います。
    弔うのはあくまで家族なので、家族に任せます。

  • >>No. 108269

    >他の人はどうか知らんが、俺の場合はそうだよ。
    残された遺族が一番やりやすい方法で処理してもらって結構。
    おそらくは世間体もあるだろうから、ごく一般的な普通の葬儀をするんじゃねーかな?

    死者を弔うという発想そのものが宗教的発想に基づくものだと考えていますので、
    葬式を行うという時点で無宗教ではないと考えます。
    宗教は何千年と時間をかけて、独自の文化的価値観を構築してきましたが、
    無宗教者は独自の文化的価値観を構築せずに、宗教の作った価値観(アイデア)にただ乗りするばかりではありませんでしたか?
    鬼光さんも無宗教か知りませんが、遺族に任せるなどと表面的には自分の意志ではないかの様に言いながら
    結局は宗教の用意した儀礼にただ乗りしようとしてますよね。(金銭的な意味ではなくアイデアという意味ですよ)

    >それで、あなた自身はどんな「行うべき儀礼」をするのかね?
    「行うべき」と言うからには、誰にでも当てはまる正しい行いなんだろうね?

    死者を弔う上では、宗教儀礼だけが正しい行いだと思いますよ。

  • >>No. 108266

    >何をもって「行うべき儀礼」と言っているのかね?

    宗教には宗教観に裏打ちされた儀礼の用意がありますが、
    無宗教の人には何の用意もないのではないですか?という意味です。

    海底葬であれ、フリーズドライ葬であれ、それのみではただの死体処理で、
    宗教的な意味合い無くして死者の弔いに相当すると言えるのか、甚だ疑問です。
    天葬や鳥葬とて、グロいとはいえ宗教儀礼であるからこそ死者を弔う意味がそこに生まれるのであって、
    ただの死体処理とは一線を画すものになるのだと私は見ています。

  • 無宗教の人って、葬式どうするの?死んだら遺体は生ゴミ処理機に直行でOK?
    それとも肉食動物の餌にしちゃってもいい?無宗教の人にとっては遺体なんてただの生ゴミでしょ?
    死んだ後に行うべき儀礼の持ち合わせもないなんて、文明人の最後としてはあまりにもお粗末なのかもしれないけどね。


    あと遺骨を海に撒くのはやめて欲しい。マジ気持ち悪いから。

  • >>No. 105


    >子供(命)を芸術作品としないのであれば、受胎告知や洗礼といった作品が芸術として評価を得ているのは何故なんでしょうか?

    子供をモチーフにしている事をもって芸術とされているのではなくて、表現に対する工夫こそが評価されているのだと思います。

  • 顕在意識というのは五感情報を統合処理するための機関って感じ。
    でも五感情報っていうのは情報形式が独特過ぎるので、
    脳内に用意された特別な領域内でしか情報を取り扱えない模様。
    つまり意識と無意識の意思疎通が断絶しているのは、
    お互いの取り扱う情報形式にギャップがあり過ぎるからなのでしょうね。

  • >>No. 99

    >構図、もモチーフも、「ソレをどうするか」は全て「模倣」でしょ!?
    >「人間には絶対作り出すことの出来ない物」以外は「全て模倣」なのです。

    「人間には絶対作り出すことの出来ない物」以外はすべて芸術って事なのですね。
    別にそれでも構いませんが、こうなってくると発言が漠然とし過ぎていて
    一体何が言いたかったのか分かりませんね(笑)
    誤解を受けるような「模倣」という単語選択も必要なかったみたいですし。

  • >>No. 94

    >全てであり唯一です。
    >人間は「作り出そう」と、神様の「創造」の技術を一生懸命「真似ている」状態です。

    芸術が神様の技術を真似ているとする以上、神様の存在を前提としているのは明らか。
    では芸術というものが神様の存在を前提として成立するとするならば、
    芸術というのは神様という概念よりも前には存在しないという事になりますよね。
    「全てであり唯一」というのがイスラム教の神を指しているのなら、イスラム教が伝播していない文明においては
    芸術は成立しないという事になりますがいかがでしょうか?

  • >>No. 89

    ここでいう神様とは、どの宗教の神様の事なのでしょうか?

  • >>No. 87

    >私は神の創造したもの以外は、全て模倣とします。

    人工的なものという意味なのでしょうか?

  • >>No. 85

    芸術は模倣行為が主体なのではなくて、その事を通して他の事を主張しているんだと思います。
    例えば美意識だとか宗教的主張だとか社会風刺だとか。だから純粋な模倣なんて芸術性としては低いんだと思います。

  • >>No. 84

    では撮影行為に習熟しているもの同士が同じカメラで撮影した場合、作品としての優劣はどのあたりに現れるとお考えですか?
    私の見立てでは、作品の構図とかモチーフ選定といった、模倣では説明できない部分が決め手になると思いますがどうでしょう?

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