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投稿コメント一覧 (307コメント)

  • >>No. 5737

    「わたしはあきらめねえ」
    最後の銃弾を撃った八重のことば。
    同時に、これが ドラマの中での 八重の最後のことばになった。

    周囲には 瓦礫の山が広がっている。

    この瓦礫は敵の砲弾によって築かれたものだが、
    象徴するのは それだけではない。


    西田敏行演ずる 西郷頼母 との会話。
    「お前は桜だ」

    何度も蘇る桜の花を、八重に例えだ。

    そのとき、頼母は、
    散っては 「何度も」 咲く花である 八重に、

    「なんども」「なんども」

    と 力を込めた。

    「瓦礫」は、敵方の砲弾によって築かれたものだが、
    それが象徴するのは、
    大震災に見舞われた福島の瓦礫であったりもする。

    それだけではないだろう。
    日本は、何度も繰り返し 大震災に見舞われて 瓦礫を見てきた。

    地震国の 日本は、これからも 瓦礫を見続けることになる。

    瓦礫の中で
    「わたしはあきらめねえ」
     と言ったときの 八重は、

    福島の人々を象徴しているが、また 日本に住む人々にたいしてのことばでもあるだろう。


    頼母との会話の中で
    八重は 「桜の花は散らす風をうらまねえ。ただ一生懸命に咲いている」
    と言った。

    「散らす風」とは、戦争だったり 自然の大災害だったりする。
    「向こうからやってくる」風に 散らされても、
    「なんども」「なんども」再び咲いてみせる。

    散らされても 「わたしはあきらめねえ」「また一生懸命咲くだけだ」
    と八重。

  • >>No. 5739

    病の重い松平容保が 山川兄弟と話している場面。
    容保は、会津を滅ぼしたことについて 当事の自らの政策の過ちを述べた。
    過ちの理由としては、幕府に対する忠義と 帝に対する忠義に
    偏りすぎたこと。 忠義に重きを置きすぎたことで、現実的判断を損ねたということを
    容保が認識したことになる。

    それに対して、山川の兄は、会津が最後まで抵抗をしてなければ、忠義を重んずる武士の本分を示すものはだれもいなかったではないか、というようなことを言って反論した。

    忠義は武士の本分、というか武士道の本分だ。
    戦う集団としての武士ならば、忠義に拘ることはない。
    なぜならば、能力の低い主人に仕えることは、一族の破滅もたらしかねないからであり、
    能力のある武士ならば、 能力の高い主人に乗り換える。
    場合によって、主人を追い出し 自分が大名におさまる、あるいは 主筋のほかの誰かを
    主に据える。

    乱世であればあるほど、忠義の要素は薄れることになる。

    皮肉なことに、徳川の太平の世になって、秩序がひかれ、戦う集団としての武士の機能が低下したときに、
    忠義が美徳となった。

    松平容保の会津は忠義という観念に取り付かれていたことになる。

    それからすると、「西郷や大久保の薩摩」は駆け引き上手で、 会津からすると 「狡賢い」ということになるかもしれないが、「西郷や大久保の薩摩」は武士として実際的、実践的であり、かえって本来の武士だという
    言い方も出来るかもしれない。

    すこし余計なことを言うと、 西郷と大久保は 明治政府の中核に収まり、島津家をことさら優遇することはなかった。島津家からすると、かれらに裏切られたと思ったかもしれない。
    そういう意味では、西郷と大久保は忠義者ではなかった。
    また、天皇も かれらにとっては 統治の道具であったはずだ、 西郷と大久保は、そのように割り切れる
    冷徹さをもっていた

    松平容保が 徳川と帝に深い忠義を捧げたのとは対照的だ。 

    では、どちらが本来の武士にふさわしいのか (笑)。

  • >>No. 5739

    孝明天皇のご宸翰(しんかん)、つまり手紙だが、
    これついての松平容保の理屈が なかなかわかりにくい。
    ドラマ上で、容保は これを極めて大切なものとして肌身離さずもっていたが、
    それを公開しなかったことについて、公開すれば世の乱れの元になるとか、そういう
    話だ。
    実際の容保は どう思っていたか知らないが、 ドラマ上では
    そのようになっている。

    「公開すれば世の乱れの元になる」

    これは、理屈としてはちょっと難しいのでは。
    私ならば、史実はともかくとして、
    ご宸翰を公開することは 会津の生き残りの人々の利益にならないと
    容保が考えたというようにするほうが より説得的ではなかったか。

    容保や家老の山川たちは 明治政府とともに歩むことを選んだわけで、
    そういうことからすれば、ご宸翰を公開することは そのためにはならない。
    あるいは、会津の残党を分裂させる火種にもなりかねない。

    西南の役の前に、会津の残党の一部が 山川浩の屋敷に押しかけ、氏族の乱に加わるように
    談判するシーンがあった。
    というように、会津の残党は 一枚岩ではない。
    ご宸翰の存在が明らかになれば、それを根拠として、このような会津の一部のグループが
    明治政府への反乱分子となったはずだ。

    となれば、政府と融和している容保や家老の山川たちを苦境に陥れることに
    なっただろう。

    というようにしたほうが、ドラマを面白くしたはずですけどね。

    結局、「公開すれば世の乱れの元になる」というのは、
    NHKの大河らしいきれい事だろう

  • No.5750

    新撰組

    2014/01/17 02:43

    NHKは、近年 新撰組を二回ほどドラマ化している。
    大河ドラマと、BS時代劇。

    大河のほうはほとんどみなかった。
    BSでは、司馬遼太郎の「新撰組血風録」をやった。

    この「新撰組血風録」をみて、NHKは 新撰組を やっちゃけないと思いましたね。

    そう思わせた場面が、隊士たち数名が 芹沢鴨を 夜 急襲するところ。
    なんと、そこで 土方と 芹沢が チャンバラを始めたのだ。

    チャンバラは 2,3分も続いたのかな、庭など駆け回るような大立ち回りだ。

    司馬遼太郎の原作では、 土方たちが芹沢の寝込みを襲うことになっている。
    数名で襲うのだ。 
    芹沢は酒によって 女と布団のなかに寝ている。

    そこを 芹沢が刀を握るまでもなく、斬殺する。
    この冷徹さ。 

    この冷徹さに 見ているものはしびれるのだ。

    NHKは、この通りには描けない。
    おそらく、残忍で冷酷すぎるからか。

    新撰組の物語の魅力は、土方やその周囲を冷酷で冷徹な男として描くことから生じる。
    土方らをそのように描くことで、かえって男たちの孤独や不安をかもし出す。

    そのように描けないのであれば、新撰組をドラマ化しちゃいけないな。
    NHK は ダークヒーロー きっちり描けない。
    どうしても 甘くなってしまう。

     民放のテレビ局は テレビ草創期から新撰組を繰り返しドラマ化してきたが、その蓄積と伝統を
    壊してしまってるんだよ。

  • >>No. 5744

    小田原城を囲む秀吉の陣。黒田官兵衛 が馬で駆けつけ、
    秀吉に「それがしにお任せを」と言って そこを離れ、敵方の砦の前まで来て馬を下りる。
    すると 櫓の上から 矢や鉄砲か放たれる。
    単なる脅しの域を超えて、官兵衛を狙った矢や鉄砲と見える。
    しかし、当たりそうになっても 官兵衛 一向にひるむところがない。

    漫画だよ、こりゃ。

    まあ、歴史ドラマではなく、時代劇としてならば、楽しめるかもしれない。

  • >>No. 5757

    小便をたれた息子のことで、父親の職隆が 「なさけない」みたいなことをこというと、
    戸田菜穂演ずる母親が 「でも 万吉は優しい心根を持っている」と応ずる。
    そうすると、父親は 「武士としてやさしいだけでは務まらない」みいなことを言った。

    冒頭のシーンでの、小田原城を前にしての 「生きられよ、命を粗末になさるな」と敵方に叫ぶ官兵衛。
    これらの二つのシーンを合わせると、
    どうやら、「命を大切にする 心根の優しい軍師 官兵衛」というイメージを作ろうとしているようだな。(苦笑

    心配していたように なりそうだ。(笑)

  • >>No. 5763

    馬で通りかかる信長、
    木の上のサルらしきものを見つけると、そのサルがその木から落下してくる。
    それが藤吉朗だが、馬上の信長に向かって 仕官を申し出る。
    「信長様はいずれ天下を取るお方」、だから仕官したいというのだが、
    この時期、天下などということは、信長にも、そのほかの大名にも
    念頭にあるはずがない。
    まだ 桶狭間の前だ。
    大勢力として 今川がいて、武田がいて、上杉がいて、さらに毛利がいて、
    信長は 尾張を治めるのさえ苦闘している時期だ。
    どの大名も、自分の領土と、さらにその周囲の勢力との争いに勢力を傾けている。
    ましてや、藤吉朗に 天下などという発想があるはずがない。

    まあ、しかし、昔から この種の 物語には、
    英雄が 生まれたときから天下を取る定めとして描くことがつきものだった。

    秀吉が 生誕としたき、陽の光に包まれたとか、
    信長がまだ吉法師 と名乗っていた幼少のとき、流浪の僧侶が近づいてきて、
    じっと 顔を見る。「お前は異相をしている。いずれ大事を成す器だ」とか、
    そういう話だ。

    そこには、常人の及ばない、人知を超えた運命の定めが これらの英雄にすでにあったのだと
    思わせる仕組みになっている。

    今回の 大河での、藤吉朗が 「いずれ天下をとるお方」と 信長に喝破するというのは、
    運命の定めを感ずるというのではなく、藤吉朗なりの情報収集の結果、ほかの大名と比べて
    信長の将来性を見極めたという話しのつくりになっている。

    かつての 運命の定めを現象に見るという 話しのもって行きかたよりも、
    藤吉朗の情報収集と分析によって 信長の将来性を判断したということで、
    話のつくりが巧妙になっている。

    がしかし、 この時期、桶狭間の前、いくら藤吉朗の頭脳が冴え渡っていても、
    信長が天下をとる器であるということを発想すること自体がありえなかっただろう。
    信長のことよりも、 この時期 どの大名にとっても 天下は共通の課題にはなっていない。
    だから、藤吉朗が このとき 天下を信長に結びつけるための発想条件そのものが
    なかったことになる。

    現代人のわれわれは、戦国武将というのは はじめからだれもが 「天下をとる」ために争っていたと
    思いがちだが、 むしろ自分たちの領国の防衛と拡大が 大方の関心事であったはずだ。

    といういうものの、 それこそ江戸時代の 講談や浪曲から、
    英雄譚では、 偉人は生まれたときから そのように定められた星のもとに
    生まれたという 語り口なっているわけで、
    まあまあ 細かなところまで 文句をつけてもしょうがない。

    いいんじゃないですか

    許容範囲内です。 時代劇として楽しみたい

  • >>No. 5764

    「かかってこい!」
    息子の万吉を父親の職隆 が木刀で鍛えているシーン。
    それを戸田菜穂演ずる母親がハラハラしながら見ている。

    あとで、母親が 万吉に 「父上はお前を憎くて ああしているわけではないのですよ。」
    と言い聞かせようとすると、万吉は 「父上が嫌いです」。

    ここで父子の葛藤を見せたわけだが、その後 野武士を使った策略を見破った万吉を
    父は見直した。  親子の葛藤はここまで。

    戦国物の大河ドラマというと、親子兄弟の葛藤はつきものだった。場合によって、骨肉の争いにまで発展する。武田信玄とその父、上杉謙信だと、その兄、伊達政宗は その母。 信長も 弟との生死をかけた
    闘争が描かれた。

    それからすると、 ここで描かれた 黒田官兵衛の、この父子の葛藤は 軽いね。

  • >>No. 5764


    大河ドラマで 軍師を描いたのは、過去に 村田蔵六があるけれども、
    村田の場合は、 蘭学から始まり西洋軍学を独習したことによる軍事技術者ということであり、
    その近代性において、中世戦国期の 黒田官兵衛とは 簡単には比較できない。
    大河ドラマのなかで わたしに 最初からもう一度見たいと思わせる作品は、
    この蔵六が主人公であった 「花神」ですね。
    可能ならば もう一度全編みたい。しかし、映像は残されていない。

    「花神」から「軍師官兵衛」へというふうに思い起こすと、
    大河ドラマが いかに角が取れて丸くなってきたかだな。

    「花神」では村田蔵六を徹底した合理主義者として描いた。
    風采があがらず偏屈な性格だが、見た目からして格好よくない、ある意味で臆病な変わり者をそのまま描いたという点で、この当時の 大河ドラマが 周囲の色々なことに気を使わないで 制作が可能で
    あったことを感じさせる。

    にもかかわらず、「花神」の村田蔵六から触発されるものがあった。

    一方、颯爽(さっそう)として男らしい「軍師官兵衛」をみても おそらく触発されるものはないだろうな。
    なぜかというと、「軍師官兵衛」は どうせ脚本家の頭の中で 作り出されたものだと
    「感じさせてしまう」からだ。

    その点、「花神」の村田蔵六は 視聴者にリアリティを「感じさせる」。
    たんに 脚本家などの制作者たちの造形を越えた何かを「感じさせる」。

    こう思えるときに、歴史ドラマは 真に生きる。

  • >>No. 5769

    万吉が苦労してとってきた薬草を戸田菜穂演ずる母親が
    もらうと、約束してほしいと息子に言った。「父上の言うことをよく聞くこと。」
    それに、「まっすぐ生きること」。
    主に この二つのことを母親は万吉に言った。

    ドラマ上では、これが 母親が息子に言い渡した 今生での最後の言葉ということになる
    とすると、万吉にとっては これはかなり重い約束ということになる。

    約束というと、一神教のキリスト教やユダヤ教での「神との約束」が思い浮かぶ。
    神との約束とは、神との契約と言い換えてもいいが、それが 人間の行いを律するのだ。

    それにたいして、亡くなった身近な人との 約束が それなりに重きを成すような感じられるのは、日本人ならではだろう。
    別れ際に 母が「あなたのことをずっと見守っていますからね」と言った。
    約束した上で、「見守る」と わざわざ念押ししているのだ。
    万吉は 約束を守るかどうかを、母親に生涯 見守られていくことになる。

    都知事選に出馬した ドクター中松が、なんで なんども選挙に出るのかと問われて、
    戦友との約束を果たすためだと語った。
    ソチで、浅田真央が、亡き母が 見守っていると感じたと 述べていたことがあった。

    まあ、これは、万吉と亡くなる寸前の母親との約束、あるいは見守り の構造と同じだ。

    亡くなっても 身近な人をなんとなく感ずるというのは、 中国などの儒教的な祖先崇拝とは異なる
    日本人独特の宗教的な感覚といっていい。

  • No.5790

    宮本武蔵

    2014/03/10 20:37

    今週土日の 木村拓哉の「宮本武蔵」が どういうのか楽しみにしてます。

    「宮本武蔵」を題材にした大河ドラマは  2003年の放送。
    このときは、あまり期待したほどの出来ではなかったという印象。


    これまでテレビで放映された「宮本武蔵」はいくつもあると思いますが、
    映像が残されている中で、わたしが 傑作と思っているのは 
    役所広司の「宮本武蔵」(1984年)。

    これもNHKだから、同じ題材で NHKは 一年間のシリーズで二回やったことになる。

    1) 役所広司の「宮本武蔵」(1984年)
    2) NHK大河ドラマ「武蔵」(2003年)

    大河ドラマの「武蔵」(2003年)よりも、この役所広司の「宮本武蔵」(1984年)
    のほうが 格段によかった。 
    テレビでの「宮本武蔵」の決定版といってもいいのではないか。

    それくらい いい作品を作ったのに、 なぜか 大河の枠では 駄作になってしまう。


    武蔵としての役所広司もよかったが、 お通をやった古手川裕子が ひじょうによかった。
    古手川裕子、このとき25歳かな、お通として まさに はまり役だった。


    なぜこんなふうに 大河ドラマを作れないのかな(笑
    大河だラマだと 変に力が入るのか

  • >>No. 5790

    木村拓哉の「宮本武蔵」をみてつくづく感じたのは、
    こういう物語を支える 広範な層の消失だな。
    物語としての 「宮本武蔵」を知っている 読者や視聴者の分厚い層が
    崩壊した時代において、こういう作り方が主流にならざえるをえないのかもしれない。

    それと、原作の版権が 原作者の死後50年ということで 消滅したということがある。

    吉川英治「宮本武蔵」を支えていたものがなくなったのだ。
    となれば、この古典化したともいえる通俗小説は 錨がはずれた船のように
    漂流することになる。

    少なくとも かつてならば、原作に沿うように ドラマ化することで視聴者の支持を得ることが
    期待できたが、そういう読者層や視聴者が消滅したので、そこに依拠して制作することが難しくなった。
    「宮本武蔵」を古典として保つことが無理な時代に突入したということだ。

    つまり、かつては 「宮本武蔵」を知っている層がこの物語を分厚い空気のように覆っていた。
    その層が消滅してしまったのだ。
    となれば、 これは単なる通俗的な話としてしか見えない。
    深い意味のある エピソードと感じられたものが、もはや心に響かない。
    沢庵の言葉も、柳生石舟斎の言葉も、陳腐な言葉としてしか受け止められない。

    物語「宮本武蔵」であることの必然性が感じられない。 

    たんに 名前が「宮本武蔵」となっているだけで、ほかの物語と入れ替え可能なように
    感じられてしまう。

    こういう今のような時代状況では、派手な殺陣やアクションに頼ることになる。
    かつての「宮本武蔵」ならば、殺陣は 十分に抑制されたものだった。
    そのことが却ってドラマの重厚さを増す効果を出した。

    「宮本武蔵」の定番のエピソードに行き当たっても、それが定番であることすら知らないので、なんら感動することのない現代の視聴者を前にしては、
    こういう抑制的な演出は 使えなくなった。
    よって、アクションを刺激的なものにして 視聴者の興味をひきつけようとすることになる。

    これが、 古典としての力を持ちにくくなった時代における テレビドラマ「宮本武蔵」から見える時代状況だ。

  • >>No. 5764

    織田信長、熱田神社の前、
    兵士たちに 「これに勝利すれば  この先に天下がある」あるとか
    そんなことを言っていたな。

    桶狭間の戦いで、「この先に天下がある」といって、
    将兵たちに檄を飛ばすはずがない。

    天下などという前に、今川の大軍を前にして織田家の命運がかかっているのだ。
    まさに風前の灯という状況で、はるかかなたにある 天下
    がどうのこうのと言うはずがないし、考える余地もなかった。

    桶狭間の戦いというと、民放も含めて、数多くのドラマで描かれてきたが、
    これから桶狭間に赴こうとするところで、信長が 「この先に天下がある」と叫ぶシーンを入れたドラマが過去にあったか。

  • >>No. 5793

    守役の目をかすめて
    万吉が向かったのは広峯明神で、
    御師の伊吹善右衛門の話を聞くためだった。

    御師は五穀豊穣のお札を売り歩くために、いろいろなところに行くということなので、
    旅の話を聞きたいということなのだろう。
    このとき、伊吹善右衛門は山口から帰ってきたらしく、
    キリシタンのことを万吉に語っている。

    この時代は 全国各地を歩き回る人々の話しを聞くのが娯楽のひとつだったろう。
    その意味では、武芸者も 語りの娯楽を提供するのに適した人材だった。

    宮本武蔵の 物語はそういう中でうまれたはずだ。
    武芸者は、人々に語りの娯楽を提供することを期待されてもいただろう。

    武蔵は実体験を膨らまして話したが、それが伊織という弟子によって
    伝えられ、さらに江戸時代に花開いた講談などの話芸によってさらに
    膨らまされた。
    昭和になると 吉川英治が 娯楽小説として味付けしたものが
    現代にまでドラマとして演じられたきた。

    つまりは、武蔵のほら話の上に さらに法螺が二重三重に重ねられて、
    吉川英治という稀代の 伝奇小説家よって 時代小説の名作となって
    今にいたわるというわけだ。

    伊吹善右衛門の話を聞く少年万吉の目は輝いていた。
    それと同じように 宮本武蔵の話を聞く 伊織たちの目も輝いていたはずだ。

    法螺話が悪いわけではない。
    この時代は、誰かの話を聞くのが娯楽だったのだ。

  • >>No. 5796

    赤松の使者として 西方寺の円満が訪ねてきて、
    職隆を説得する場面。
    職隆は、「小寺の殿に拾われた身でござる」といって、
    姫路と御着の領土を与えるといわれても、円満の申し出を断固として拒否する。

    ここで、恩に厚い実直な職隆の性格を描いている。
    それからすると、万吉の祖父に当たる重隆は、実利を重視するように見える。
    目薬の商売で力を発揮し、その地で勢力を伸ばし、御着の殿の目に留まり、召抱えられた
    のだ。

    次の場面で、母のために薬草を取りに 万吉とおたつが龍野の龍神池に侵入したところで、
    赤松に囚われる。
    そのことを知って、職隆の弟が 「私が行きましょう」というのを制して、
    「いや、わしが行く」といって、職隆自身が龍野に赴く。
    そこで、赤松政秀によって 家臣になるように説得されるが、ここでも断固として拒否する。

    このシーンがこの回で 最大に盛り上がるところでしょうね。

    ここで、興味深いのは、赤松が敵方だといっても、まだ先鋭的な敵対関係にまで
    至っていないのではないかということをうかがわせた。

    ゆるやかな敵対関係というか、まだ血で血を争うようなところまで至っていない、
    そんな感じでしょうか。

  • 7日(月)の NHKニュースで 4年前の「龍馬伝」の映像が流れたのは、 坂本龍馬の手紙が見つかった
    ことを伝えるためだ。
    土佐藩重臣の後藤象二郎に宛てたものだという。

    それには、龍馬が 福井藩の三岡八郎(後の由利公正)とあって話したことが書かれている。
    由利公正は、 幕府の財政について、大変残念なもので 「銀座のみ」というようなことを言ったそうだ。
    「銀座のみ」と語ったところに、かれの幕府財政の理解の確かなものを感じさせる。

    幕府の財政というと、おそらく 田沼意次が およそ初めて 日本で 近代的な経済政策を実行しようとした。それが、1770代から80年代にかけてだから、 龍馬たちよりもおよそ100年近く前だ。
    田沼は、米(こめ)経済と 貨幣鋳造に頼る 幕府財政を変革しようとした。
    つまり、由利公正の言った「銀座のみ」から脱却しようとしたのだ。

    これが、のちに松平定信などの保守派によって否定されることになって、
    幕末の大詰めで 由利公正の見た幕府財政の現状となったのだろう。

    由利公正は 横井湘南から 財政を学んだのか。
    横井湘南は儒学者であり、 儒学に 財政論があるはずがない。
    おそろく、西洋からの知識を何らかの形で 得ていたのではないか。

    アダムスミスが 「国富論」を発表したのは 1776年。
    奇しくも 田沼意次の時代と一致する。

    ヨーロッパの 財政論や貨幣論は それよりも200年程度は古い。
    それらの蓄積があって、アダムスミスによる 「国富論」に至った。

    オランダ経由で、間接的に 財政学の知見が日本へ流入していたかもしれない。

    経済政策の 改革派は、倫理的保守派とぶつかることが多い。
    倫理的保守派の 松平定信からすれば、貨幣経済を推進しようとする田沼意次
    が 堕落と見えたかもしれない。
    というよりも、 実態的に 堕落した部分はあったかもしれない。
    田沼が 批判されたのは、 現代で言えば、 新自由主義経済派といわれた竹中平蔵が
    倫理的に批判される構造と 似ている。

  • 冒頭、元服を済ませた息子の官兵衛に 職隆が高台から、
    下に広がる山々などの風景を示す場面があった。
    姫路は 敵方の龍野に対する防波堤の役割を果たしているのだと、
    職隆は 官兵衛に言い聞かせる。

    ここで、視聴者の便宜もあってか、御着と龍野、姫路の地理的関係が述べられている。
    視聴者にとって、これが けっこう厄介だからだろう。

    地域名と人物について、たとえば
    尾張の信長、三河の家康、甲斐の武田、越後の上杉
    といえば、 まあまあ それなりにイメージできるが、
    御着の小寺、龍野の赤松、姫路の黒田といわれても、そう簡単には
    地名と人物名が結びついてこない。

    ドラマの中で、 御着 だとか 龍野だとか 地名のみが
    語られても、途方にくれる。

    祖父の重隆が 「御着の殿に拾われた」といっても、
    えー、御着? すぐに 小寺に結びつかない。
    ということで、慣れるまでに しばらく時間がかかる。

  • >>No. 5807

    まあ、あれだな、小寺の殿の 鶴太郎、いまひとつだな。
    なんで 演技がこう硬いのかな。

    お笑い芸人でありながら、役者としてうまいなと思うのは、原田泰造 だな。

    大河ドラマでは、 篤姫で 大久保利通、 龍馬伝で 近藤勇を演じた。
    どちらも 独特の存在感を見せていた。

    この人を見始めた当時、本業がどちらなのか 私自身
    よく分からなかった。

    あれっ、芸人なのかな、それとも 役者なのか、
    みたいなことで、 まごついたが、
    しかし、あま、どちらにしても、 原田泰造 はいいね。

  • 左京進とのライバル争いか。
    というよりも、左京進のほうが勝手に仕掛けてきているという感じであって、
    憎まれ役を演ずるということなんでしょう。

    赤松が小寺領内に侵入してきたということで、近習として 左京進とともに官兵衛も出陣。

    前回 裏切って赤松に走った石川の隊が 引くと見せかけて 左京進たちをおびき寄せるシーン。
    それて見て、官兵衛が父の職隆の隊とともに 別の道を通って、左京進たちを襲う敵の背後を突き、
    左京進たちを救う。
    「余計なことをするな、目薬屋」と左京進。

    この一連の兵の動き、、あまりに出来すぎてるわな。 こんなにうまくいかんでしょ。

    たとえば、引くと見せかけて おびき寄せる。
    こういう作戦は当然あるでしょ。

    ただ、前回もそうだったが、描き方が軽すぎる。
    こんなにうまくいかんでしょ、と思ってしまうくらいに、戦(いくさ)というか 用兵の描き方が
    ちゃっちい。

    それと、引くと見せかけて おびき寄せるというのも、それをやる方にとっても、けっこうリスクのある作戦だ。引くときに 敵に背中を見せるわけだからな。

    相当慎重にやる必要があるが、そういうところも描かないから、どうしてもちゅっちいように
    感じられてしまうのだ。

  • >>No. 5809

    浦上というのがでてきましたね。
    これで、赤松に、小寺、黒田。 
    それに加えて浦上ですか。

    四つも出てくると、 頭がパンクしそうです(笑

    調べるほどの興味もないですが、
    元々は、小寺と浦上は 赤松の傘下にあったらしいな。

    まあ、この程度でいいでしょ。

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