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No.5655
Re: 一月後の世界
2013/07/29 17:27
>>No. 5650
戦いが終わって、 明治の世になったら、 ドラマが 急に 橋田壽賀子調に なったような感じがした。
歴史ドラマから 橋田的な 人間ドラマになる予感。
夫婦間のすれ違いとか、 これから 出てくる 新島襄 との絡みとか
とくに 夫の川崎を 戦死させると 思っていたので、 生きているとなれば
新島襄 の登場は 人間関係を 複雑化する。 ということで ドラマを盛り上げる 計算かな。
山本覚馬 と 彼を世話する女、 と 覚馬 の妻
この脚本家は、 どろどろの 人間ドラマへと 展開して いくつもりなのかな。
まあ、ともあれ、 八重と 新島が どのように 出会い、関係していくのかが
当面の見所ということ なんでしょうね。 -
No.5668
Re: 離縁が三つ
2013/08/11 10:39
>>No. 5658
> 娘みねが夫は政府のお偉いさん、衆議院議員だそうだから、晩年の生活は心配無かったんじゃないか?
なるほどね、 調べてみると、 同志社女子 に入るようですね。
この 「同志社」 の名称は 山本覚馬 によるものだとは 知りませんでした。 -
No.5672
Re: 離縁が三つ
2013/08/19 19:43
>>No. 5668
> 娘みねが夫は政府のお偉いさん、衆議院議員だそうだから、晩年の生活は心配無かったんじゃないか?
明治15年 24才で 死去
ということです。 意外に短命でしたね。
覚馬と八重の 母親の佐久ですか、意外に長命、1896年まで 生きた。 -
No.5676
Re: 明治8年
2013/08/27 00:57
>>No. 5675
みね 役 が 変わってましたが、 前回までの子役と 性格の雰囲気が あわない。子役は 落ち着いた風情があったが、成長した みねは その落ち着きがない。 役作りに もう少し一貫性を持たしてほしいね
-
No.5679
Re: 斎藤改め藤田
2013/09/03 05:02
>>No. 5678
教室の 女子生徒たちが 「新撰組」という言葉に反応して 斉藤の顔を いっさいに 見つめた 演出が
秀逸でした。
斉藤が 大正まで生きたのにもかかわらず、書いたものを残さなかったのは残念でしたね。
同じ大正まで生きた 永倉のほうは いろいろと残しているんですけどね。 -
No.5685
Re: キリスト学校設立で苦労してる。
2013/09/10 18:02
>>No. 5682
天下国家とは関係ない、かなり細かなことがドラマで取り上げられていましたね。こんな感じであと三ヵ月半もだらだとやっていくということだな。 当時の京都での、キリスト教と 大学設立にからむエピソードか。大河ドラマとは思えないくらい 細かい話だ(笑
-
No.5688
Re: 学園ドラマかな?
2013/09/18 19:25
>>No. 5686
> 彼らに感謝の念が無い
とは言っても、授業料払ってるんだろうし、しかも今でいうバイトしてやっと払ってるんだろうから、希望するような授業を受けられていないとすれば、不満に思のは当然だろうな。 -
No.5691
Re: 戦跡西南戦争
2013/09/26 03:10
>>No. 5689
会津人の活躍をきいて、母親の佐久が 「これで会津の汚名がはらされて目出度い」 とか何とか言って、すでになくなっている夫などに 「報告しなくちゃなんべ」 といって仏壇に向こうところが 印象的な演出だった。というのは、それを見ている八重の心理が微妙で、かならずしも母親と一致していないことを伺わせるような つくりになっていたから。目出度がる母親と、かならずしも そういう感じでない八重。このふたりの温度差が なかなかうまく演出されていましたね。
-
No.5696
Re: みねの恋心
2013/09/30 21:00
>>No. 5694
番組の出だし、母親の佐久が聖書を読んでいる。
時栄が「また読んでいるんですか?」みたいなことを言う。
まあ、いずにしても、山本一家が「京都」で 生活していること自体が
かなり不思議な感じがします。
会津が京都守護職として京都に来ていないければ 将来 八重たちが京都に来ることはなかったわけだし、
覚馬が 薩摩藩邸に囚われていないければ、山本一家が京都に住みつくことはなかっただろうしね。
いずれにしても、他の会津の残党から見た場合、この時期の山本一家は そうとう恵まれていたと思いますよ。
会津の残党は、結局は二つに分かれた。 山本家や山川家のように 端とはいえ、体制側になんとか
食い込めた人たちと、津軽にあって、体制の外に押しやられたままで困窮を極めている人たち、ということか。
前々回、 山川浩のところに 会津の残党たちが来ていて、士族による反乱に加わるとか何とか 揉めている場面がありましたが、 あれなんかは、 体制側に付く会津人たと、要領や才覚がないため付けない会津人たちによって 会津残党が二極分解していることを示すシーンだった。
まあ、体制側に食い込めるかどうかというのは、会津残党にとっては「生きるか死ぬか」の差といえば
言い過ぎかもしれないが、生活水準ということからすれば 雲泥の差だったろう。
新島譲と八重の新居が出ていましたが、あれだけの整えられた新居を手に入れることができた八重の境遇というのは、この時期の他の会津人が見れば どのように映っただろうか。
母親の佐久はキリスト教に帰依し、同志社で働くことになるし、 覚馬も同志社に関係するようになるし、
八重も当然そうだ。 これは、経済論的に見れは、山本家が一斉に同志社で働き、そこから
賃金を得るような体制に持っていったとも見える。 口の悪いやつならば、同志社が 山本家に食いものに
されたというかもしれない。 わたしは、そこまでは言いませんが。 まあ、しかし、あれだけの
苦難を通ってきた山本家からすれば、生きることに必死だったはずだ。
まあ、しかし、よく言えば、、山本家が創立期の同志社を支えたということになる。 大河ドラマ的には、良いほうの見方をとりたいね。(笑 -
No.5700
Re: 板挟み
2013/10/11 19:47
>>No. 5699
府議会の場面が「おっ」という感じだった。
Wiki
> 第1回京都府会選挙では上京区で51票を獲得して選出され、最初の府会議員の一人となり、初代議長にもなった
史実として記せばこういう文章になるんでしょうが、それをドラマで映像化すると、「おっ」という感じで想像力が膨らむ。やはり、映像の力は大きいね。 -
No.5702
Re: 41話
2013/10/15 22:26
>>No. 5701
なるほど、ここからは、八重の近親者がどんどん死んでいく話になるのかな。(笑
みねが死に、母親が死に、譲が死に、兄の覚馬が死んでいく、
ドラマ上で八重の周囲にあった人たちがすべていなくなってしまう。
長生きした八重というのは、前半性を支えた人たちがいない中で
生きていったということになるのかな。
ドラマ上のこととはいえ、なんか一抹の寂しさが漂う八重の後半生だ。
まあ、せめて、若死にしたみねがね、もうすこし生きてほしかったということでしょ。
小堺が演じている岩倉具視が 会議の席上すこし咳をしていた。
まあ、こういうドラマでは、何の前振りなく咳をするということは、
なにか病にかかってますよ、というお知らせの定番。
ということは、「もうじき死にますよ」ということを臭わせている。(笑 -
No.5706
Re: うらとの再会
2013/10/23 23:37
>>No. 5703
けっこう 盛り上がった回だったと思います。 少なくとも私自身の中では。 (笑) この回で最終回にしてもよかったくらいだ。うらの 自分は「会津で生きていく」という言葉が ポイントでしょうね。 会津の生き残りが 二つに分かれたことを印象つげるせりふだった。体制側に何とか食い込めた 会津の残党と、会津の土地で生きていくものたち。
-
No.5709
Re: 八重と大山の腕相撲
2013/10/30 18:03
>>No. 5708
秋吉久美子が演ずる山川家の母が「会津のために日本に尽くす」というようなことを言っていた。
山川家は、この母だけではなく、息子たちもそういう意識だ。
自分が国のために尽くして誉れを上げようと努力するのは「会津のため」だ。
「お前をアメリカにやったのは、日本で活躍して、それで<会津の汚名を晴らしてもらいたい>からだ」
というような発言だ。
山川家に対して、 八重たちの山本家からは そういうせりふはもう出てこない。
西南の役で 山川が指揮する抜刀隊が華々しい戦果を上げたときに、それを知った
八重の母親の佐久が、
これで「会津の汚名をそそぐ」ことが出来たといって すでに亡くなっている夫の仏壇のまえに
正座したのは、 山川家の母親の心情と同じだが、八重はそういう母親に加わらず
一緒に仏壇の前に座ることはなかった。
この時点で、国(=明治政府)のために何かするのは「会津のために」だという「藩」意識が薄れてきていることを示した描き方だった。
その何回かの前の回で、覚馬が 薩摩に対する復讐心のような偏狭な心から抜け出すにはどうしたらいいか、
八重に問う場面があったと思うが、その解答として山本家は キリスト教に帰依するというドラマの
つくりになっていた。
それと、山川家が 働いた金の一部を会津の残党のために仕送りしていることを思わせる
やりとりにも注目した。
なるほど、そういうことはあったかもしれない。
前に わたしは、「会津の残党が分裂した」と書いたけれども。
「会津のために国に奉仕する」という心情があれば、体制側に食い込んで あるていど恵まれた境遇にあるものたちが、金の一部を残された会津ためのに使うというのは納得のいく行為だ。
それにたいして、山本家は 郷里に教会を建てることでむくいようとする。
まあ、どちらも 郷里愛があることは確かだが、そのむくい方は 異なっていた。
山本家と山川家が、当時の 愛国と愛郷(=藩に対する忠義)のはざまで、異なる経路の発展を遂げていることを
描けていると思った。
そのなかにあって捨松と襄の意識のあり方は 他とは少し異なっていた。
襄の 「日本のために~が必要です」という言葉に表れている。
「日本のために大学を設立することが重要です」というように。
襄のキリスト教布教も そういう思いから来ているように描かれている。
また、捨松が アメリカで10年間過ごしたことが 日本をひとつの国として意識することにつながっている。
捨松と秋吉久美子演じる母親のあいだのやりとりに、ふたりの意識のずれのようなものが表現されている。
この山川の母が、「おまえを海外に出したのは会津のためだ」と言い聞かせるところがある。
それにたいして、娘の捨松には すこし戸惑いがある。
ただ母の勢いに押されるばかりだ。
同時に、捨松が大山巌に 「条約改正のためならば」と述べるところがある。
つまり、「日本のためならば」ということで、おそらくここでは 「会津のため」という意識を超えている。
不平等条約の改正は、会津のためではなく、 日本のためなのだ。
ここで、アメリカに長くいた 捨松と襄が 日本のひとつの国としてとらえる感性を身につけたことを
示した。
この脚本家 よく勉強している。深いとこまでよく考えていると思いましたね。
感心しました。 -
No.5712
Re: 粗忽な遺書
2013/11/07 03:18
>>No. 5711
遺書が英文で書かれていたのが よくかわないところだが、
まあ、それはいいとして、募金活動のために襄が欧米を回っているのが描かれていた。
当時の 物価水準の差からすれば、欧米で集められたお金の価値は、日本にもってくれば
相当高かったのにちがいない。アメリカのキリスト教系組織を背景とする襄の学校は、
資金の面では、日本の他の学校組織よりも 格段に優位な立場に立てたということになる。
がゆえに、資金の出し手であるアメリカの宣教師組織が、実質の運営も握っているという話は
なるほどと思った。
女子教育の対立については、八重のほうが、マナーしか教えようとしないアメリカ人女性教師よりも先進的に描かれているのは皮肉的だが、
こういうアメリカの女性教師たちは 宣教師だから、ああいう極めて保守的な言動になったということ
なんでしょう。もっと普通に教育に受けたアメリカの女性たちが日本に来て教えることがあったならば、
ああいう極めて保守的な言動にはならなかったはずたが、しかし 当時では アメリカでも
女が高等教育を受けることは そう多くはなかったはずだから、アメリカの女性が日本にきて、
マナー以外のことを教えるということは 簡単には起こりえなかったかもしれないな。
前々回、捨松が アメリカで吸収した学問を日本の学校を教えたいというのがあったが、
捨松のような存在は 当時の日本の教育界のおいて貴重なはずだったが、残念ながらそれをいかすことは出来なかった。 -
No.5714
Re: 不義が有ったのか?時栄
2013/11/14 01:42
>>No. 5713
番組の冒頭で 久栄 というのが出てくる。
八重に 「あの人が嫌い」と訴える場面だ。
「あの人がいると おっかさんがおかしくなる」と久栄。
えっ、久栄 って だれだっけ、この女性は誰? と 戸惑った。
みね と混同したりして、みねが 時栄を「おっかさん」と呼ぶか。
まあ、義理の母だから呼ばないことはないかと思ったりしながら、
やっとわかった。前回まで 子供の役で出ていた 時栄の実子だ。(笑)
たしか、襄が、5万ドルの寄付が集まったと言っていたな。
えっ、5万ドル?、すさまじい額だ。
今のレートだと 500万円といったところが、これが当時では 莫大な
価値になったに違いない。
当時のアメリカにおいてすら 5万ドルはかなりの額には違いないから、
それを日本にもってくれは、その価値は何倍もなった。
まあ、1980年代のアメリカは 油田などが発掘され、鉄道がひかれ、産業の勃興期で
これだけの金額を東洋人に寄付する力があったということなんでしょう。
だから、最後のナレーションで この寄付金のおかげで
同志社の近代建築による校舎が次々に建ち、国内の布教も大いに進んだと
言っていたのは うなづける。
この襄の集めた寄付は 絶大な威力を発揮したことになる。 -
No.5717
Re: 駆け落ち等と重大事でも無い大河も珍しい。
2013/11/23 17:52
>>No. 5715
八重が みねの赤ん坊を抱くところで、みねから 赤ん坊の首の持ち方で さりげなく注意される場面がある。ここで、八重が母親であることを経験していないことを示した。
別の場面で、久栄が 実の母親でもないのに母親になったつもりでいるんですか、ときつい言い方をする。
また、北海道で、ユキが 母親として振舞おうとすることよりも、八重さんが八重さんとしてあることで
久栄のこともうまくいく、いうようなことをアドバイスする。
襄は、同志社の生徒たちがぼくたちの子供、と八重に説く。
----------
山川健次郎が、小説を読んでいる学生たちに、そんな下らんものを読んでいるのかと言って、嗜める場面がある。 東京大学は東京帝国大学になったのだ、として、学生たちの奮起を促す。
山川家は 会津の家老の格で、その分 会津藩の汚名を晴らしたい気持ちが強い。
皮肉なことに、そのことが山川家を 明治政府の末端としての一翼を担わせることになった。
兄は 明治政府の警察に奉職したし、妹は政府の高官の妻になって不平等条約改正「努力」のための一助となったし、弟は 帝国大学のために働く。
八重たちが 京都にあって、同志社という私学に関わることが 当事でいう民権的だとすれば、
山川家は 国権の側についたということになる。
ドラマ上では、襄が民権の板垣退助にあって 大学設立の助力を願う場面がある。
東京帝国大学は官僚養成のための教育機関だと、伊藤博文が述べる場面があって、
襄たちの向かう方向と対比させている。
同じ会津残党の 山本と 山川では、 行く方向が異なったをことを示した。
------------
八重の口からは 「日本のため」という ことばは出てこない。
八重は、襄の夢が自分の夢として、そこに自分の人生の射程を合わせた。
その襄は、私学を興隆させることが 「日本のため」だと信じている。
その同志社を出た徳富が 小説家を目指したが、そのような小説というものをくだらないものとする
東京帝国大学の 山川健次郎を対比させて見せている。
その点では、健次郎が極めて保守的に描かれているが、
そこには「会津の汚名を晴らすため」という強い動機が底流にある。
これは、帰属意識の二重性というものだが、 こういう場合 しばしば他の人たち以上に
極端になることがある。 極端になることで 国への忠誠心をことさら示そうとするのだ。 -
No.5723
ものすごく面白いとうわけでもないが
2013/12/05 04:27
捨松が 、看護を学ぶ会で、八重を紹介するときに、会津での戦を引き合いに出したが、それにたいする周りの反応は特別 ぎすぎすしたものではなく、至って平穏なものだった。
かなり前の回で、襄が開始した女子のための聖書を使っての英語塾の場面で、女子生徒の一部が 八重が会津出身であることを知ってざわつくところがあった。また、学校を辞めると言い出す女子生徒もまでいた。そういう反応と比べると、看護を学ぶ会でのちょっとしたやりとりは、
会津戦争が時代の経過の中で風化してきていることを思わせる場面だった。
20年以上たって、八重や捨松が会津の者であろうと そのことが周囲の人たちから特異な反応を引き出すことがなくなってきたということだ。
まあ、たしかに20年という年月は それだけ長いということではあるが、それ以上に 日本において
流動化が増したということでもある。 封建体制下にあって 藩として固定されていれば、会津は会津として、
薩摩は薩摩として残り続けることになった。 そうなれば、反逆したものとしての会津も そのまま永続したはずだ。 明治になって、藩がなくなり、住む場所も移動も自由になった。八重たちが米沢から京に出て、そこに住み着くことができたし、移動性については 今回は八重は汽車で東京に行ったことに示めされている。
また、それまで藩に分かれていたのが 日本という国家に統合していく過程は、
会津も薩摩も日本人としての意識を獲得する過程にあったということだ。
八重が会津で戦ったことを 捨松が冗談のように言って、それが 周囲からきつい反応を引き出さなかったことで、見事に時代の流れを描いた。
むろん、この明治初期にあって、日本のほんどの人々が 日本人としての意識をもつことは
初めての経験だったが、そのなかで会津の人々が日本に同化するためには他の人たち以上に意識的な努力を必要としたはずだ。
その努力の必要性をなくするのには、20年という歳月は まだ短い。
人々に 幕末動乱の記憶はまだ残っているからだ。
------------
今回の回で、襄は「愛国と自由」を学生たちに書き残した。その前に、大隈が襲われたことを聞いて、 それは真の愛国心ではないと叫んだ。
襄は私学の興隆が日本のためだとする点において、愛国者的な立場に身をおいていたが、
その前の回で、 襄は、議会開設を目前にして 自律する個人を生み出さなければならないと述べていたはずだ。
そのために同志社を大学にするのだと。
この 自律する個人とは、 慶応の福沢の 「個人の独立なくして一国の独立もない」という思想と同じだ。
襄と福沢は 欧米の市民がどういうものかを知っていたので、その分 日本に対して 欠如感を明確に
持っていたはずだ。
襄は 大学教育を通して、市民を生み出せると思っていたのかもしれない。そう信じていたから、
あれだけ命を削ってがんばれたとのかもしれないと ドラマから思える。
つまり、大学がなぜ必要かということと、それが日本のためになるということを使命感として
抱いていなければ、あれだけの鬼気迫る努力は成り立たないだろう。
前の回で、八重が 「日本のためとか、大学のためとかいうよりも わたしは襄に生きいてほしい」
と言うようなことを述べるくだりがあった。
譲と福沢は 欧米の市民の本質を知っていた。だから、それが日本人にかけていることをよく知っていた。
襄が 大学によって、欠けているものを埋め合わせることができると思っていたのかもしれない。
それからさらに、14,5年たって、夏目漱石は、日本人の市民化については、襄ほど 楽観的ではない。
むしろ、かなり辛らつだ。
漱石も 襄と同様に、欧米の事情に通暁していた。
ただし、襄と違って、漱石は 襄以後の 日本を知りえる立場にあった。
大学によっては市民は生み出せないと 漱石は認識できたことになる。 -
No.5727
Re: もう一人の主役覚馬が亡くなりました。
2013/12/11 21:13
>>No. 5726
「会津では雪が降っているころか」と覚馬。
障子を開いて 外の空気を入れさせる。
そこで、 おそらく寒気が中に流れて、覚馬は 会津の
空気の中にいる感じになったのではないか。
そのとき、心の中で 覚馬は郷土の会津にいた。
佐久の 「ご苦労さまでした」という台詞もよかった。
武家の女のことば、という感じだ。
-------
同志社の卒業式で 覚馬は反戦平和を訴えた。
一方 言論活動をする徳富蘇峰は 開戦の報に舞い上がる。従軍記者の募集をする。
ナレーションは、「言論人の多くが開戦を支持した」と語る。
弟の徳富蘆花に話しかける若い娘ですら高揚していることからすると、これは たんに「支持」する以上に、戦意を高揚することに言論が加担していることを画面は印象付けている。
覚馬と蘇峰は 襄の最も近いところにいた二人として描かれていたが、
近づく戦争に対して異なる姿勢をとったということになる。
わたしからすれば、 「反戦平和」も、 徳富らのような新聞による「国威発揚」や「戦意高揚」も どっちもどっちとみえる。
まあ、NHKとしは 覚馬を通して訴えた反戦平和を視聴者によく印象付けたいということなんでしょう。
これまでの大河でも、執拗に 反戦平和を登場人物たちに語らせている。
平清盛から龍馬伝にいたるまで 反戦平和を語らせているが、そのたびに わしたなんぞは
しらけた気分になった。
「戦争は悪だ」というのは、今の日本人のかなりの部分に心地よく聞こえるだろうから、
戦闘場面の多い歴史ドラマを制作する上で、批判をかわすための言い訳としても、
反戦平和の要素を中に入れ込んでおきたいということなのかもしれない。
少なくても、ドラマの中では 襄は「自律して考える市民」を構想したはずであり、それをわたしなりに解釈すれば、
戦争の是非は「自律して考える市民」が 判断すべきということになる。
問題なのは、集団に流れる人々にが熱狂して ひとつの方向に走ることであり、そこで突き進む
戦争は悪だということだ。
これは はっきりしている。
ドラマで 襄の近くにある人物として描かれていた 徳富蘇峰が、戦意高揚をあおる言論活動に関与したというのは なかなかおもしろい。
これにたいして、ドラマは 覚馬の「反戦平和」を対置することで、バランスをとろうとしたのかもしれない。
-----------------
「今ごろ会津では雪が降っているだろうか」
障子を開けると 庭が見えて、そこから外気が入ってくる。
目の見えない 覚馬であるがゆえに、冷たい空気が
会津の風景をまざまざと脳裏に浮かばせたのではないか。
みねが産後に若死にしときに もっとも嘆き悲しんだ 佐久が
「ごくろうさまでした」と 気丈に振舞う。
このことばに 結構 じーんときて、感動した (笑)
しばらく教育や京都市の行政などのなどの文民として活動してきた感のある山本家が、このときは会津以来の武家に戻った場面だった。 -
No.5730
Re: 最終話は意味不明だった。…
2013/12/16 21:11
>>No. 5728
まず情緒的なことを言うと、
最後の回想シーンは 正直言って 心を揺さぶられた。(笑)
しかも、「深く」揺さぶられるものだった。
これは、単なる回想シーンの形にはなっていない。
不思議な映像だ。
これまでの大河ならば、 子供時代からの画像をずっと見せていくことで、
この一年間を懐かしく回顧させるやり方をとったが、今回はそういうやり方をとらなかった。
現在の八重が 過去の若き日の八重を見つめる、しかも 見つめている八重を視聴者が
さらに見ている という形をとった。
複雑な構成だが、そのことで 40年近くの時間を隔たりを 「最後の銃弾一発」に込めるという
演出となった。
40年近くで 八重がどのように変化したか、 その全ドラマを通しての変化、あるいはその全ての思いが、
この銃弾一発に込められた。
単純明快にして、潔(いさぎよ)く、そして力強い 終わり方だった。

Re: みんな京都へ
2013/02/19 12:08
ここの 会津が 京に 入っていくくだりは よく描けているな。
なぜ会津が 火中の栗を拾ったのか という部分は、これまでのドラマでは
なかなか描かれなかったからな。
いいね、この部分は。
郷里の会津にいる人たちの不安感とか
容保 が 幕府や宮中の 老獪な ものたちに 翻弄されるさま とか