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投稿コメント一覧 (464コメント)

  • こんばんは(⌒▽⌒)

    今日も私のお母さんは、私の食事中に、私の自室に入って何かを探している。

    見つかったのかな?宝物。

    気に入った物と気に入らない物は必ず持って行ってしまう。捨てられちゃったりもする。

    もう、90歳だから仕方ない。

    怒っちゃあ、、、可哀想。

    何考えてるんだろうね?

    もう諦めた。

  • 神を否定すると言うのは、親を否定する事と同じです。

    親を信じられない者は神を信じない、信じられないと言う傾向があることに気がつきませんか?

    このことは私の意見に過ぎないのかも知れませんが、、、、、、

    自分が親を信じられなかった(親の愛を信じられなかった)時が一時あったのです。その時、神を否定し疎かにしていました。

    今は素直に神様の恵みに感謝出来るようになったのです。

    樹齢何年だろう?と思える大きな樹木を見ても、神様の愛を実感し、
    長い年月に頭が下がる思いになります。
    同時に自分は何をしていたのだ?という反省の念が湧いてきます。

    私達は生まれた時から自分の親を、自分の親として認識するようになった。
    でも、どうして親だ、と分かるのでしょう?
    自分が母の胎内から出てきたのを自分の目で見た訳でもありません。

    母を母だと思うこのことは、正に信仰なのです。この信仰については誰も疑問に思わない。似ているから、と疑うこともない。親子であると、安心しきっている。

    親の親の親の親の親の親の親の親の・・・・・親の親は神様なのですよね?

    だからこうも言えるのです、、、、、親を信じない者が何故神を信ずることができる!?
    と。

  • >>No. 121459

    実在する神様を、貴方は否定しているようです。

    宮本武蔵の才能を実在のものとして崇めているのですか?
    そうですね、彼は一種の天才ですものね。
    でも、実際会ったことがあるのですか?
    本を読んだり、人から聞いたりして、また遺物を見たりして、
    彼のことを知っているのでしょう。

    では、イエスは知ることが出来ませんか?
    余りに昔の人過ぎて、情報が少なくあやふやですね?(^∇^)

    是非、親を信じるように、気持ちを魂を3つに戻して、、、素直になってね?


    > 人間が創造した神よりリアルな神
    >
    > 人間が想像した仏よりリアルな仏
    >
    > 人間が創作した現人神より天皇だ
    >
    > 映画の水戸黄門より実在の光圀公
    >
    > 小説の宮本武蔵より二天一流の人
    >
    > 本に洗脳された二次元のヲタクよ
    >
    > リアルな三次元の現実世界を知れ
    >
    > あるがままに世を観て真実を悟れ
    >
    > 心と行いを浄めただ黙って坐って
    >
    > 事実を如実にあるがままに観じよ
    >
    > さすれば真実を知り真の理を知る
    >
    > 目覚めた者、覚者たちの道を知れ
    >
    > 無明の闇の住人よ(・◇・)/~~~

  • 私は聖職者の(聖書の)言葉にコレは訂正が必要なんじゃあない!?と、思う箇所があります。

    それは、「神の愛が最高で、神の愛は絶対である。神を愛しなさい」です。

    私はどうも此れにはうなづくことが出来ません。

    親兄弟を・・・と言うのなら合点が行くのですが。

  • >>No. 121466

    私は偽善者以上の罪悪を重ねてきた者です。

    命はないものと覚悟しています。

    でも、最近神様の愛を実感しているようです。

    静かに老いて死んで行ける自信がつきました。


    > 君は髪の毛を染めたことが無いのかね?
    >
    > 自分に素直になって事実を認めるがよい
    >
    > まず自分の眼から無明を取りされ偽善者

  • >>No. 121464

    何かを恨んでいるのですね?

  • >>No. 121472

    あまりに無垢な純粋さを具えた人は、傷つき易く、世の中に背中を見せたがりますが、

    そんな人程神様は愛されて心配されて泣いていらっしゃる、と聞いた事があります。


    > 悪と嘘偽りと偽善者を憎み
    >
    > 正義と愛と真実を愛する
    >
    > 宇宙一バカなサムライ
    >
    > それが私であろう…
    >
    > ほな ( ^_^)/~~~

  • >>No. 121473

    霊的な愛については親兄弟関係なく、地球上の全てに神の愛のある事を実感することがあるので、それについては分かるのですが、、、、

    親兄弟をトコトン信じ愛し尽くして、尚その愛情関係が疑わしいのなら、それが現実である事を受け入れて「親兄弟だから」「親兄弟なのに」と言う甘えを捨てて、真に一対一の人間として接し、愛し合うことができると思うのです。

    その状態の愛こそが最高なのだ。と、説明すべきだと思うんです。聖職者も聖書も。


    >
    > >それは、「神の愛が最高で、神の愛は絶対である。神を愛しなさい」です。
    >
    > >私はどうも此れにはうなづくことが出来ません。
    >
    > >親兄弟を・・・と言うのなら合点が行くのですが。
    >
    >
    > 親兄弟を愛するというのは、肉の愛です。 もちろんそれが悪いということではないですけど。
    >
    > 霊的な愛というのは、肉を離れたものでしょう。

  • 思うのよ、、、、、、神の愛を期待する以前に、依存を削ぎ落とし、一人前に人・神を愛せるようになるのが先だと。

  • ちょっと芸術の話になりますが、、、、

    芸術する時、創作中です、集中して一心不乱に創作に夢中でいると
    、自分を動かす他の力が働き、共同作業のようにして物が出来上がります。
    宇宙の気を集めることが出来た瞬間でしょうね。
    そう言う時にできた作品は、自分でも「えっ!」と思うほどの出来栄えだったりします。

    ここで言っている「他の力」とは神様の力でしょうか?

    集中しきった時、自分も神様も区別は無いのです。

  • >>No. 121480

    神を無条件に愛するの・・・・・・・・・・・!!

    なるほど!

    神様のなさることならば受け入れられるように・・・・・

    全て、受け入れなさい!

    って言う感じですね?


    > >親兄弟をトコトン信じ愛し尽くして、尚その愛情関係が疑わしいのなら、それが現実である事を受け入れて「親兄弟だから」「親兄弟なのに」と言う甘えを捨てて、真に一対一の人間として接し、愛し合うことができると思うのです。
    >
    > >その状態の愛こそが最高なのだ。と、説明すべきだと思うんです。聖職者も聖書も。
    >
    >
    > 既に教えているのではないでしょうか。
    >
    > 「神を愛し、隣人を愛しなさい。」と。 神を愛する心で隣人を愛しなさい、ということでしょう。

  • なんてったって『甘えるんじゃあない!』が基本ですよね?

    誰にも依存しない。

    まず無理ですが(^∇^)



    神はいるかいないかの話ですが、、、、、、何を指して神と言うのか、によって答えは様々のような気がしますね?

  • >>No. 121489

    イエス様って復活して(九死に一生を得て)日本へ亡命していたんでしょ?

    場合によっては、弟のイスキリ?とか言う人が代わりに十字架に付けられた、って言う話もありますね?

    イエス様の亡命先は日本の青森。


    > 八甲田山のお話
    > 現地の「7」人の勇士と「31」連隊とのあいだの堅い約束は守ってください。
    > BY 「東(TO)奥(O)日報」
    > 以降、青森で31連隊が道案内の女性に従って通った場所に公式にキリストの墓があっても
    > だれもそこを突っ込まなくなったのは..
    > 「シーッ」
    > 内緒である。

  • 何故復活したなどと言うのか?

    「では何処に行ったの?」「その後どうなさったの?」と言う問いが後に残ります。

    そこで、日ユ同祖と青森のイエス様を発見する。

    コレはユダヤ民族、イスラエル人の希望の光となるでしょう。

    九死に一生を得て、即ち復活したコトを信じていて良かった、報われましたね?

  • >>No. 121487

    はい、確かにそうです!

    申し訳ありません。


    > 何もしてくれない神に依存して感謝するのではなく人に共依存して生きてることを自覚しなさい! 笑

  • 赤い実さん。。。。

    男性のあばら骨から遺伝子操作で女性を作ったのが、旧約の創世記に登場する「神の子ら」ですよ。これも信じる信じないになりますが。

    でも、コレだけはある言えます。。。。イエスはこう言った輩とは別格だと。

  • >>No. 121542

    十戒をモーゼがいただいたのは、シナイ山で、燃える芝から神の声が聞こえたそうですよ。


    > 燃える柴の話の場所というのは、エジプトのシナイ山の麓 ということですか?
    >
    > 聖カテリーナ教会で調べたら、シナイ山の麓とありましたが。
    > そして、十戒が授けられた場所ともありました。
    >
    > つまり、燃える柴の話の場所と十戒の授けられた場所というのは、近いのですか?
    >
    > もちろん、時間の経過はあるでしょうけれど、二つは近い場所ですか?

  • >>No. 121545

    シナイ山に登って、十戒を手にしたのです。それを手に下山し、皆の様子を見て憤慨したのでは?

  • >>No. 121546

    あのー、モーセはエジプトの王女に川で拾われ、エジプトで育ちましたが、遠く旅に出ました。その旅先で賢い女性と結婚し子にも恵まれました。そこがシナイ山の麓近くでした。モーセはシナイ山の頂上付近で神の声を聞き、モーセは神様の声の通りエジプトへ同胞たちを助けに行くのです。

    ああああ後は、旧約聖書をお読みください。


    > というか・・・モーセが逃れた地 といっても、エジプトの中で、だったのですね。
    >
    > 地図上でいうと、エジプトより右のほうのどこか(エジプトではない国)に逃れたのかと思っていました(笑)
    >
    > 右のほう、って とてもとてもおおざっぱな言い方ですが。

  • >>No. 121544

    わからないんじゃあ、、、、モグリだね!(^∇^)v


    > お~、信じるのですね。 それはそれで・・です。
    > ちなみに、johさんは、「わからない」そうです。

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