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投稿コメント一覧 (974コメント)

  • >>No. 38

    > 敢えて、ホッブスやロックを持ち出しても良いけどね。今更その内容の「正当性」を吟味するという段階よりは、現にほぼ全ての国で世界人権宣言が批准され、日本でも「基本的人権の尊重」が憲法の原則となっている。この「事実性」に基づくと理解するべきだと思うよ。

    ホッブズやロックを持ち出す必要はありません。その(自然権や自然法の)「正当性」を吟味しようなどとは思っていません。一方、その「事実性」に安住することも潔しとしません。現代における意義や機能をより深く分析するべきだと考えているのです。

    (聞いた話ですが)昔テレビの討論番組で、「…人権が…人権の…」と連呼する弁護士に対してある評論家が「あんた人権、人権って繰り返すけど、人権って一体何なんだ言ってみろ。」と問い質したところ、件の弁護士は「人権…、ヒューマンライツ…」と言ったきり絶句したそうです。
    自然権や自然法、人権とは果たして何なのか。別の視点から言うと、それらは何のために存在するのか。常にこれらを明らかにしようとする姿勢が求められると思っています。憲法の条文に書いてあるからといって、そこで思考停止してはダメではないでしょうか。

  • >>No. 40

    ???
    よく分かりません。

    > こういう話は難しいよね。
    > 要するに、憲法が国の最高法規である以上、それを飛び越して自然法が認められるとすれば普通の文理解釈として説明がつかないよね。だから、これらは特殊な解釈として説明するしかない。
    >
    > 端的に一例を言えば、人間には私的領域と公的領域があって、私的領域での契約が自然法、そして公的領域での契約が憲法という考え方。そして私的領域が公的領域よりも優越するという近代的観念に基づく思想でしょう。

    憲法等々と「自然法」は対立・競合したり、適用領域が異なるようなものではなく、後者が前者を裏打ちする関係にあると理解しています。
    もっとも、私自身はここでの議論に「自然法」を持ち出しても、ほとんど意味がないと思っていることは前述のとおりです。

  • >>No. 42

    > >私自身はここでの議論に「自然法」を持ち出しても、ほとんど意味がないと思っていることは前述のとおりです。
    >
    > 自殺が不可罰であるのは当然としても、一般に「自殺は違法である」ということを説明する原理は、「それがある種の倫理規範に合致する」からだよね。
    > そして基本的人権を普遍的価値と認めるならば、全ての倫理規範の最大公約数ということになるよね。だとすれば、基本的人権の淵源である「自然法」を持ち出す必要性があると考えるのが自然だと思うよ。

    申し訳ないですが、歴史認識を欠き、「倫理規範」という(中身のよく分からない)言葉で思考を停止した考え方としか見えません。
    自殺不可罰も基本的人権普遍価値も現代の日本においては一般に認められているものですが、時間・空間を変えるとたちまち成り立たなくなることが少なくありません。ここで、では、なぜ、これらが現代の日本で成り立っているのか、と考えることが重要であると思うのですが。

  • >>No. 44

    > あのね、自殺に対する社会的忌避の振る舞いは、日本の歴史上で既に存在(御霊信仰)することは、最初に説明したよね。
    > そういう倫理規範が変わらず「現代の日本で成り立っている」ということじゃん。
    >
    > 君の主張する事を正当化する為のは、一体全体、「日本の何処の空間でどんな時間(時代)に成り立っていないと明白に言えるのか」を説明するべきじゃん。

    じゃあ、切腹はどうですか。刑罰ではなく、称賛される場合もあったのでは。

  • >>No. 46

    > >じゃあ、切腹はどうですか。刑罰ではなく、称賛される場合もあったのでは。
    >
    > 尊厳を保っての自害は、自殺と尊厳死が区別できるように、切腹は名誉を認めた行為であって一般的な自殺の違法性は問われないじゃん。

    切腹は「日本の歴史上で既に存在」する「御霊信仰」から外れるわけですね。そのために「一般的な自殺の違法性は問われない」のですね。
    じゃあ、介錯人は現代の日本でも自殺関与罪に問われないということですか?


    > それとも、君は自殺も尊厳死も同じ違法であると考えるのですか?

    尊厳死とは、重くて深いテーマを軽く持ち出したものですな。その定義や成立要件、考察すべき事柄など論点は多岐にわたり、(御霊信仰などは顧慮する必要もなく)議論百出が予想されると思いますが、私は、尊厳死も自殺の一種であり、それは違法であるというところから考えを始めるべきである、との立場です。

  • >>No. 48

    > じゃあ、介錯人は現代の日本でも自殺関与罪に問われないということですか?
    >
    > 本件での実行行為は本人による切腹が現実的危険ある行為である、且つ死に至る危険行為であることを認識、認容していることが明白である。また、本件に於ける因果関係をみるに、介在事情の異常性を考えれば、介錯人は社会通念上の形式的義務を果たしたに過ぎなく大きいとは言えない。また、介在事情の結果への寄与度についても、本件では実行行為が本人による切腹であり死亡の主因であって、介錯人の行為は本人の死期を若干早めたに過ぎず結果への寄与度は小さいと言える。
    > 従って、自殺関与罪には当たらないと考えます。

    w(°o°)w
    殺人であるというなら分かりますが、自殺関与罪にも当たらないとは、無知も極まれりとしか言いようがありません。通常、介錯は同意殺人に該当します。


    > >尊厳死とは、重くて深いテーマを軽く持ち出したものですな。その定義や成立要件、考察すべき事柄など論点は多岐にわたり、(御霊信仰などは顧慮する必要もなく)議論百出が予想されると思いますが、私は、尊厳死も自殺の一種であり、それは違法であるというところから考えを始めるべきである、との立場です。
    >
    > 違法性阻却事由に関して行為無価値論の立場で言えば、当該事由の「違法性」とは社会倫理規範に違反する法益侵害と解されている。従って、個人の尊厳を一定程度認めた上での自害行為は阻却事由になりうる。故に、尊厳死と自殺は区別可能であると考えます。

    またまた論点がずれています。尊厳死の違法如何に答えたのであって、(無関係ではないですが)区別云々は言っていません。ただ、ここでのテーマからして、この問題に深入りするのは避けたいと思います。

  • >>No. 50

    > >殺人であるというなら分かりますが、自殺関与罪にも当たらないとは、無知も極まれりとしか言いようがありません。通常、介錯は同意殺人に該当します。
    >
    > 君さあ、自分で勝手に意見表明するのは自由だけどね。それは何の説明にもなっていないじゃん。
    > じゃあ、君に聞くけどさあ。
    > 「介錯」とは【介錯(かいしゃく)は、切腹に際し、本人を即死させてその負担と苦痛を軽減するため、介助者が背後から切腹人の首を刀で斬る行為。(ウイキペディアより)】ということだよね。
    > つまり、介錯は「負担と苦痛を軽減するため」の殺人だよね。これって、医師が末期患者の「負担と苦痛を軽減するため」に行う尊厳死とでは、介在事情が積極的か消極的かの違いだけで、本質的には同じことじゃん。

    悪いですが、お笑いとしか言えない意見ですな。もっとしっかりネットで勉強してください。


    > じゃあ、君の判断に従えば、介錯が同意殺人なら尊厳死は自殺関与になるじゃん。それを君が認めるということだよね?

    なんで介錯と尊厳死が同じレベルで語られるのかさっぱり分からん。(ただ、「介錯が同意殺人なら尊厳死は自殺関与になるじゃん。」には、まずは一定の条件の下で、当然、肯定します。)
    そして、敢えて付言すれば、本当に言いたくないですが、“馬鹿かお前は!!”

  • >>No. 1

    消費増税に賛成!
    歳費削減や政党交付金の廃止とタイトルはどう関係するのか?
    ジコチューの無知な輩が多い。

  • >>No. 12

    所詮この程度ですか。やっぱりこの掲示板は程度低過ぎということで。でわ。

  • >>No. 9

    おまえ、うるさい。
    本論から外れた妄言は邪魔やし。

  • 同感。
    物理的な長時間労働や肉体的な過労だけが常に過労死の要因となるわけではない。職場のパワハラや疎外感など精神的なダメージも大きく関わるものである。一部の新聞等では採り上げていたが、残業時間の長短だけに問題を矮小化してはこの事件の本質を見誤る。

  • >>No. 15

    やっぱりこれだけやね。本論に沿った投稿ができない者の辞書には下品な罵詈雑言しかない。哀れ…

  • >>No. 1

    最近少し思うのは、近代市民社会の生成期において物理的・有形的な力(暴力)が威力を持ち、それが趨勢を決してきたが、それでは被害が大き過ぎるので、そのためシステムとして選挙等による多数決という、いわばゲームで勝ち負けを決する仕組みを人間社会は作り上げたのかな、と。
    民主主義との関係については、議論が進めば、更に考えを深めるということで。

  • >>No. 7

    「個人の基本的権利と価値」って、どういうものだと思いますか。

  • >>No. 20

    長時間労働の規制に意味がないわけではないが、議論されるべきは、自殺に至らないまでも”うつ病”近くまで追い詰められるパワハラ等の実態の解析や効果的な対策ではないかと思う。

  • >>No. 13

    > 人の行為や言動とは当人にとってその場の最善の選択だということを知ることが大事です
    > 強盗、殺人、いじめ、当人にとっての最善の選択であるということです
    > この最善の選択を裁こうとするところに無理があり説得力に欠けるということです

     なぜ無理があり、説得力に欠けるのか?人を裁くのは(当面は)人しかないでしょう。これだけでは全く説得力に欠ける言説です。

    > この強盗、殺人、いじめに対する裁きは犯罪へといざなう環境への裁きこそが解決策です
    > 死刑を執行するなら死刑相当の裁きを犯罪へと向かわせた環境をも裁かなくては公平ではありません
    > この環境を無視した裁きは見せしめのリンチにほかなりません

     「環境を裁く」とはどういうことか?これも、これだけでは全く説得力に欠ける言説です。より詳しく具体的な説明が必要です。(できるのであれば)

  • >>No. 17

     また論点がずれています。

     ここでのテーマは「国家が(社会の同意を背景に)行う刑罰制度として人の生命を奪うこと。」であり、一般論として人を殺すことではないはずです。論点をずらしたうえ、根拠不明確な「ほぼ絶対の法則」を持ち出して感覚だけで発言されても、それはいかがなものかと。

     しかも、挙げられているのは有事の戦闘行為や正当防衛で説明し得るもので、死刑制度の議論にはほとんど役が立たない。

     いろいろ思いはお持ちのようなので、もうちょっと慎重に考えを巡らせてほしいな、と。

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