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No.227388
邪馬台国は女王の所有する大規模…
2017/03/05 09:56
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No.227389
邪馬台国は女王の所都として紹介…
2017/03/05 10:26
邪馬台国は女王の所都として紹介されてるだけの都で7万余戸、人口30万以上の大都市。ローマや洛陽級
まあ、ありえない、実在しないかも?方向は東南だけど奈良ならその規模の遺跡があるんでそ?????
邪馬台国は当時の日本人の発音でヤマダもしくはヤマトなんでそ?
もう邪馬台国は大和で女王国は伊都で北九州できまりでいいんでないかな?????
侏儒国は種子島周辺から身長120センチ前後の縄文人骨が大量に出土ているから種子島確定でそ?
その北4000里が女王国なら女王国は伊都。邪馬台国は女王の都があり7万余戸の都市と紹介されてるだけ。
倭地が九州ならおそらく周遊可能な街道や一里塚や宿場町まで整備されていたんでそ?5000余里と距離まででている。
邪馬台国が九州内の国なら距離が表示されてないのはおかしい?????
伊都から薩摩までなら2500余里とかでそ?
倭地、女王国の地理[編集]
女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 黑齒國復在其東南 船行一年可至
參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里
倭地、女王国について説明があり、「倭地について參問(情報を収集)すると、海中の洲島の上に絶在していて、或いは絶え、或いは連なり、一周めぐるのに五千里ばかりである。」とある。後述する短里説によれば倭地は一周400km弱となる[注釈 5]。女王國から東に1,000里ほど海を渡れば、また倭種の国があることや、その倭種の国からは南に、小人の国である侏儒国があるがこの地は女王国からは4,000里である、などと説明されている。それとは別にまた船行一年にて行ける所として裸国と黒歯国があった。 -
No.18
魏志倭人伝に記載されている女王…
2017/03/13 21:38
魏志倭人伝に記載されている女王国は邪馬台国ではなく伊都国だと思います。
東南陸行五百里、到伊都國 丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐 -
No.20
この二つはわかりません。が魏志…
2017/03/13 21:54
この二つはわかりません。が魏志倭人伝に記載されている倭地の中にはないと思われます。
南至投馬國、水行二十曰 可五萬餘戸
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月 可七萬餘戸
參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里
倭地は5000余里(1周400Km弱)の島なので、島の中に7万戸(人口35万人)の都市があれば、正確な距離が記載されるでしょう。また水行ではなく、陸行五百里とかの記載になるはずです。 -
No.21
女王國東渡海千餘里 復有國 皆…
2017/03/13 22:17
女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種
女王国を伊都とすれば復有國 皆倭種は山口県?出雲や吉備も考えれます。 -
No.22
又有侏儒國在其南 人長三四尺 …
2017/03/13 22:23
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
種子島が侏儒国であると比定される動きが、一部に出ている。これは、種子島から発掘された弥生期から古墳時代にかけての人骨の調査結果で、「極端な」短頭、低頭、低身長特徴を持ち、魏志倭人伝に記述されている侏儒國の人類学的特徴と一致しているとの見解による。 この特徴は同時期の人骨が発見されている沖縄や九州、本州などには見られない特徴で「小人並」の成人の人骨は種子島だけにしか見られないとのことである。 邪馬台国九州説を唱える者の中には、種子島は九州北部から短里という概念で約四千里、南方に位置することにもなるので、比定する者がいる。
女王国を伊都国とせず記述のあいまいな邪馬台国にするのが間違いと気づけないかな?
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 可七萬餘戸 -
No.28
この地は女王国(鹿児島県&宮崎…
2017/03/14 08:43
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No.29
纒向遺跡 土器・遺物は九州…
2017/03/14 08:47
>>No. 24
纒向遺跡
土器・遺物は九州から関東にかけて、および日本海側を含み、それ以前の外来系遺物に比べてきわめて広範囲であり、弥生時代以前にはみられない規模の広汎な地域交流があったことを物語っている -
No.31
平城京の人口は20万。邪馬台国…
2017/03/14 08:58
平城京の人口は20万。邪馬台国7万余戸。ここが問題
纒向遺跡の範囲はJR巻向駅を中心に東西約2km・南北約1.5kmにおよび、およそ楕円形の平面形状となって、その面積は3km2(300万m2)に達する。 -
No.32
侏儒國を種子島に比定すると女王…
2017/03/14 09:00
侏儒國を種子島に比定すると女王国は九州北部に限定される
女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 -
No.34
邪馬台国は女王国の所都、(所有…
2017/03/14 09:11
邪馬台国は女王国の所都、(所有する都)で7万余戸(人口35~50万)の洛陽級の都といっている。
魏の曹操も洛陽にずっと滞在していたわけではないよね?ほとんど最前線にいた?
南至邪馬壹國 女王之所都 可七萬餘戸
到伊都國 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 使往來常所駐 -
No.35
縄文海進(じょうもんかいしん、…
2017/03/14 09:22
縄文海進(じょうもんかいしん、有楽町海進)は、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のことである。海面が今より2-3メートル高かったと言われ、縄文時代前期の約6,000年前にピークを迎えたとされている。気候は現在より温暖・湿潤で年平均で1-2℃気温が高かった。世界的には、完新世海進、後氷期海進(Holocene glacial retreat)と呼ばれる。
最終氷期の最寒冷期後、約19000年前から始まった海面上昇は、沖積層の堆積より速かったので、日本では最終氷期に大河によって海岸から奥深くまで浸食された河谷には海が入り込み、関東平野では古鬼怒湾(鬼怒川)や奥東京湾(利根川、渡良瀬川)[1]を形成した。なおその後は沖積層の堆積が追いついたので、現在の低地平野となっている[2]。
1926年時点の関東平野地図に、縄文海進時代の海進領域(斜線部)を重ねた地図
世界的には、最寒冷期後の海水面の上昇は年間1-2cmの速度を示し、場所によっては上昇は100mに達した。しかしこの現象が見られるのは氷床から遠い地域だけであり、氷床のあった北欧などでは見られない。厚さ数千メートルに及んだ氷床が溶け重みがなくなって海面上昇速度以上に陸地が隆起したからである。その典型がノルウェーのフィヨルド地形である。
縄文海進は、貝塚の存在から提唱されたものである。海岸線付近に多数あるはずの貝塚が、内陸部で発見されたことから海進説が唱えられた。当初は、日本で活発に起きている火山噴火や地震による沈降説も唱えられたが、その後、海水面の上昇が世界的に発生していたことが確認され裏付けられた -
No.36
宝島も当時は人口50万の大都市…
2017/03/14 09:24
宝島も当時は人口50万の大都市があってもおかしくなかったのかな?
平安海進(へいあんかいしん)とは、8世紀から12世紀にかけて発生した大規模な海水準の上昇(海進現象)のこと。ロットネスト海進とも呼ばれているが、日本における当該時期が平安時代と重なるためにこの名称が用いられている。
ローズ・フェアブリッジ教授(en)の海水準曲線によると、8世紀初頭(日本の奈良時代初期)の海水面は、現在の海水面より約1メートル低かった。10世紀初頭には現在の海水面まで上昇した。11世紀前半には現在の海水面より約50センチメートル低くなった。12世紀初頭に現在の海水面より約50センチメートル高くなった[1]。
日本においても平安海進の影響は大きく、特に縄文海進の時にも大規模な海進が生じた関東地方ではそれが顕著であった。例えば、戸籍の一部が残されていることで知られている下総国葛飾郡大嶋郷は現在の東京都葛飾区及び江戸川区の太日川(江戸川)の自然堤防及びその周辺にあったと推定され、現地では大嶋郷の集落の一部とみられる遺跡(葛飾区の新宿町遺跡など)が発見されているが、8世紀まで順調に発展してきた集落が9世紀に入ると突然姿を消している。それを裏付けるかのように承平年間に著された『和名類聚抄』の郷名の一覧からは大嶋郷の名前は姿を消している。こうした変化は海進によって現在の東京低地(東京都の下町地域の低地)への大規模な海水の浸水・荒廃化をもたらしたことが原因と考えられ、また周辺地域の陸路・水路の交通路や交易圏の動向にも大きな影響を与えたと考えられている[2]。しかし一方で、同地域の江戸川沿いの海抜は比較的高く[3]、0.5メートルほどの海進では水没しない地域が大半であるため、大嶋郷の荒廃化について原因は定かではない -
No.37
こう考えるのが普通でしょ? …
2017/03/14 09:33
こう考えるのが普通でしょ?
平城時代の(狭義の)日本では、平城京(纒向遺跡)を中心に、南?に大宰府(伊都国)、北に鎮守府兼陸奥国府の多賀城’投馬国)を建てて一大拠点とした。

女王国は伊都で決まったのではな…
2017/03/05 09:53
女王国は伊都で決まったのではないでしょうか?