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投稿コメント一覧 (7コメント)

  • ・・・、まさか、ノーリアクションだなんて(ノд-。)クスン

    死刑存廃ははやらない?

    よーし、今度は法律カテで「もしもアメリカが死刑廃止国になったなら」だ。

    (‐^▽^‐) オーホッホ

  • >>No. 3

    超亀レス失礼。

    >相模原の大量殺人事件を見ても、死刑廃止と言っている奴がいれば、アホ。

    そこは目下の論点ではない、・・・、と言いたいけれど。

    相模原の加害者は、終身刑ではダメで死刑にしなければならない根拠は何か、と尋ねると、うまく答えられない人も多いのよねえ。

  • >>No. 6

    超過目レス失礼(なんちゅう変換じゃw)

    たしかに、・・・

    「死刑になりたいから殺した」という事件があると、
    「嘘だ」「言い訳だ」と主張するネット死刑存置派がいるな。

    日本で殺人による死亡者は、300~500人だったかな。
    一方、年間の自殺者は3万人レベル。

    自殺志願者の中には、
    「自分で死ぬ勇気がないから死刑にしてもらおう」
    「自分をこんなふうにした社会に復讐して死刑になろう」
    「どうせ死ぬなら大量殺人で目立ってやろう」
    と考える人間もいそうだな。

    なにせ、3万人。「いない」という方が不自然。

  • >>No. 7

    超亀レス失礼。

    >⇒ 刑罰制度は懲役刑がなくても成立する、刑罰制度は罰金刑がなくても成立する…。
    >  なぜ死刑にだけ焦点を当てるのでしょうか。

    懲役刑がなくて刑罰制度が成立すると思いますか。

    刑罰制度の刑罰は、財産(罰金)刑・自由(禁錮・懲役)刑・死刑、に分類される。
    罰金は補助的刑罰。
    刑罰制度のメインは自由刑。
    死刑は例外的刑罰。

    罰金廃止は死刑とは別問題だが、どーでもいい議論になりそう。
    自由刑を廃止して死刑を残すのは極論でしょう。

    成立の条件が、刑罰制度が社会的役割を果たすか否かであるならば、死刑がなくてもなんとかなる、と考えることができる。

    とゆーか、
    死刑がなくても刑罰制度が成立する、は廃止国を見ればわかる。
    自由刑のない刑罰制度は存在しない。
    刑罰制度には自由刑が必要だ、ということでしょう。
    _________________

    >「冤罪じゃない凶悪犯を死刑にするには、死刑制度が必要である」
    >  「死刑制度を認めれば、冤罪死刑を認めることになる」
    > ⇒ この2文を並列するのは矛盾です。冤罪じゃない凶悪犯の存在を認めているので
    >  あれば、その場合にだけ死刑を適用すればよいのです。明らかに冤罪ではない凶悪
    >  犯は死刑に処せられて然るべきでしょう。(死刑を肯定する意見であれば)

    じゃあ、冤罪じゃない凶悪犯を、凶悪犯、と呼びましょう。

    冤罪根拠の死刑廃止派は、冤罪死刑リスクを否定する。

    凶悪犯を死刑にする、ならば、死刑制度が存在する。
    死刑制度が存在する、ならば、冤罪死刑リスクが存在する。
    すなわち、

    凶悪犯を死刑にする、ならば、(死刑制度の)冤罪死刑リスクが存在する。
    論理的等価で書き換えれば、
    冤罪死刑リスクが存在しない、ならば、凶悪犯を死刑にしない(対偶)。

    冤罪死刑リスクが存在しない(=冤罪死刑リスクを否定する)(廃止派の主張)
    冤罪死刑リスクが存在しない、ならば、凶悪犯を死刑にしない。
    すなわち、
    凶悪犯を死刑にしない。

    かくして、冤罪根拠の死刑廃止は、冤罪じゃない凶悪犯を死刑にできないことが、論理的に証明、されるのでございますよ。

  • >>No. 11

    「死刑がなくても刑罰制度は成立する」
    「自由刑を廃止すれば、刑罰制度は社会的役割を果たすことができない」
    を理解されたのかどうか、はっきりしないのですが。

    次のように考えることもできる。
    ______________________

    冤罪根拠の死刑廃止派が考えるのは、
    「無実の人間が死刑になることはあってはならない」なんだけど、
    そんな主観的主張を強調しなくても死刑廃止の理屈はできる。

    それは、・・・

    「刑罰制度の冤罪リスクはどこまでが許容範囲であるか」と考えること。

    「刑罰制度には冤罪リスクがある」
    これは客観的事実であり、否定できない。

    あってはならないハズの冤罪リスクを認めなければならない理由は「我々社会に刑罰制度が必要」だからだ。

    だとしたら、

    「刑罰制度が成立する」ことが許容範囲を決めるだろう。

    そして、死刑がなくても刑罰制度は成立する。

    刑罰制度が必要だから冤罪リスクも認めるしかないのだが、冤罪死刑リスクは必ずしも認める必要はない。

    と、考える。

    冤罪根拠の刑罰廃止の基準が、「刑罰制度が成立するか否か」であれば、
    死刑は廃止できる。

  • <冤罪根拠の死刑廃止箇条書き論、・・・、なんてな〆(・・ )・改>


    冤罪はあってはならない。

    しかし、

    刑罰制度には冤罪リスクがある。
    これは客観的事実である。

    だから、

    我々は、刑罰に冤罪リスクがあることを認めなければならない。

    そこで、

    刑罰制度の冤罪リスクはどこまでが許容範囲であるのか。
    その許容基準はどこに置かれるべきか。

    と考えることができる。

    冤罪リスクを認めなければならない理由は、我々社会に刑罰制度が必要であるからだ。

    だったら、

    「刑罰制度の成立」が冤罪リスクの許容基準となる、と考えられる。

    死刑がなくても刑罰制度は成立する(廃止諸国のように)。

    だから、

    死刑は刑罰の冤罪リスク許容基準を超えている。

    だから、

    死刑は廃止すべきである。

    結論、

    死刑は廃止すべきである。
    ーーーーーーーーーーーーーーー
    (このトピ、まだ消えてなかったんだねえ)

  • このスレ、残ってるのだねえ・・・

    「もしもアメリカが死刑廃止国になったなら・・・」

    これを書いたのはオバマ政権のときだった。
    当時、最高裁判事の9人は、保守派4、リベラル4、中道1、でバランスが取れてた。
    判事の任期は終身だが、中道派のケネディ判事が高齢を理由に退任することになった。

    そして今はトランプ政権時代。

    当然、バリバリ保守派が新判事になりそう。
    最高裁の勢力図は一気に保守に傾くことになる。
    というわけで、この日本の死刑廃止のシナリオは遠くなったわけだ。

    「だから言ったでしょ、(ノ≧?≦)てへぺろ」

    も、当分書けそうにない(*ノ_<*)エーン。
    (民主党政権時に最高裁判事の二人くらいでも死んだりしてくれれば・・・・・・)

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