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投稿コメント一覧 (35コメント)

  • >>No. 588

    せっかく書いたのに、操作ミスで消えちゃいました。

    秋らしくなってきました。
    この秋らしいって感じがいいなって思う。
    野は柔らかな秋が覆いかぶさり、
    田んぼの真ん中で、秋の顔がいたるところで陽なたぼっこをしてる。
    あの真ん中に横たわり、寝そべって、日なが、あくび呆けていたい。
    陽が野を駆け回るように、この野を一日かけて、一周してまわりたい。
    いいな。


    つばさんちにも、秋はノックしてきていますか?  ふうたんは、どうだろう。



  •    彼方の扉を開けて秋がくる。
       おはようと彼はやってくるのだろうか。
       初めて会ったような顔をして、彼はやってくるのだろうか。
       彼は去年の私を知っているのだろうか。
       過年の私のことを覚えている秋だろうか。
       扉を押し開いて、忍び寄ってくる秋に
       私は気づかれてしまうのだろうか。
       その秋の投げた投網に私ははひっかかってしまうのだろうか。


       秋が何度も私を呼び止める。
       その秋は私の夏を、私の冬を知っているのだろうか。
       去年遭遇した秋と同じ手相をしているのだろうか。
       去年の秋からの何か言付けを携えてきているのだろうか。


       扉を開けて彼はやってくる。
       私の上空に白い風を巻き起こしながら、
       彼は音もなく、私の部屋に落葉してくる。
       どっさりと一年分の収穫の成長を微笑ませながら、彼はやってくる。
       一年の間、この部屋に閉じこもってきた私に、
       雲や空や海の青さを振り返りさせようと、
       今年も白い秋が訪れてこようとしている。
       私はここで、彼の差し出す握手の手を握ったらいいかどうかを迷っている。

  • >>No. 348




    空からゆっくりと下りてくる春。

    芝居の緞帳のように、黄昏時には春のカーテンの裾が

    そっとだけ頬にかかります。

    でもそのカーテンも春寒の強風に追いやられて、

    陽は雪の山の地平線に沈んでゆきます。

    すっかり陽の沈んだ食卓には、色鮮やかな春野菜が顔を出しています。

    ときには、近づく春の気配が空気の中に漂い、

    僕の胸は過ぎ去ったいくつかの春の感触を想い起こしてゆきます。




    近づく春を前にして、春は近づいてくるのではなくって、いつもそばにいて、

    ただ恥ずかしがって、はにかんで、僕らの前に飛び出してこなかったような気がします。

    闇に潜んでいた春。恥ずかしがり屋の春さん。はにかみやさんの春さん。

    いつ、どの窓から飛び込んでいこうかしらと、窓辺の前でためらっている春。

    明日の朝は、ゆっくりと窓を押し開いて、

    窓にかかっていた春の吐息の露を優しくぬぐってやれば、

    その顔はさわやかになり、

    きっとその窓から一番早く春が飛び込んでくるような気がします。









  • 小さな涙の子が一人、遠い森に住んでいました。

    おかあさんはいませんでした。

    小さな涙の子は、森の木陰から、青い空を見るのが好きでした。

    でも、いつも森の影から空を仰ぎ見るだけで、

    本当に広い空は決して見ようとしませんでした。

    お空ではその子の姿を見つけようと、幸せを運ぶ鳥が舞っていました。

    小さな涙の子はその鳥にも姿を見られまいと、

    そっと青空を眺めるばかりでした。

    見たくて見たくてしようがなかった青空だったのに、

    どうしてその子は青空を思いっきり仰がなかったのでしょう。

    それは青い空を舞っている鳥や、青い空から降り注いでくる光たちに

    自分の姿を見られてしまうよりは、

    ずっとずっと先に、おかあさんに自分の姿を見つけてほしかったからです。




    小さな涙の子のおかあさんは、その森のはずれで、

    涙の子のために服を洗っていました。

    迸る汗をぬぐいもせずに、小さな涙の子の服を一生懸命に洗っていました。

    いつか並んで青空の前に立とうと思って、

    おかあさんの手がくたくたになるくらいに、涙でぐっしょりと濡れた子の洋服を

    洗っていたのでした。

    そんなことも知らず、涙の子は今日も、一人ぼっちで森の木陰から、

    青空の端っこを眺めているのでした。

    おかあさんの洗う服の涙の染みは、いつまで経っても落ちません。

    その涙の染みが落ちないと、あの子のそばには帰れないと思って、

    いつまでもいつまでもおかあさんは、洗い物をしています。

    その間に、青空を垣間見て、小さな涙の子は、とめどもなく涙を流し続けているのです。

    空で二人の母子をさがそうと幸せの鳥が舞い続けたまま、

    今日は終わりを告げようとしているかのようです。










  •  
     


       夏目漱石の「草枕」だったかなあ。

       智に働けば角が立つ。情に流されれば棹される。の言葉。

       人がいやになるということ。

       人がいやのじゃない。

       制度がいや。

       この世の中の仕組みがいやなのだと思う。

       仕組みの前に人がいると思う。

       素の人間、生まれたままの人間そのものだったら、いいと思う。




       ものも仕組みもみんななくしてしまえばいい。

       かき消えてしまえばいい。

       みんな素っ裸で、生きていることを願いたい。



       この仕組みだらけの、制度だらけの、傀儡。

       透明に生きていたい。

       制度や隠れ蓑に縛られた人は、それに守られているとも思っているだろう。

       言葉や、財産や、地位や、認識などというものに囲まれて、囲われて

       豚のように生きている。。。。

       この世は、あの世に行くためのぶくぶく形だけ太った養豚場。

       何を争い、何を競争し、何を守るのか。




       いつの間にか、それらと戦う自分がいて、

       それはまるで、ミイラ取りがミイラになっている様。

       わが手を染める行為。

       私って、やはり高邁なのかなあ。

       人を見下している部分がある。

       強いエリート意識。偽物だけど。

       人生で、いちばん最初に、競争を放棄したもの。

       でも競争はどこまでも追いかけてくる。

       人をみたら、泥棒ではなくって、人をみたら競争と思え。

       どこかに染みつきすぎてる。



       条件反射のように。

       人をみたら、敵か味方かを瞬時に見極め、その相手に対する態勢を整える。

       まるで条件反射。

       やだやだ。

       競争をやめさせるために、天下をとる者もいるかもしれない。




       自民党をぶっ潰すために総裁になった人のように。

       もういいよ、そんな話。

       社会という名のうるさいくらいの井戸端会議。

       社会という墓場がなければ、この世は生まれたままの姿でいられたのに。



       誰だ、人間は社会的動物だなんて、麻薬を降り注いだのは。

       私は衆議院の解散ではなく、どこかの芸能人のように「家族の解散」でもなく、

       人間社会の、人間世界の解散を宣言する。

       解散したままで、招集はない。

       解散したら、解散したままにしろって。

       また集まるならば、そんなの解散じゃないって。

       ふざけんな、大枚をはいた、かくれんぼごっこじゃねえの?

       人間も、国家も、人類も、そろそろ解散しごろじゃないの?



       いつも、この世に誰もいない状態のことを夢想しつづけてきた。

       見渡す限りの青い海。

       空想少年は、この煩わしい娑婆がうとましく思えてた。

       ああ、この世に人間がいるなんて。

       ああ、どこまで行っても人間の亡霊がついてくるなんて。



       昔読んだ、南条あやさん。

       私の名前をいつか誰も呼ばなくなるまで・・・・のような言葉。

       死んだ後まで、人にまとわれたり、死んだあとまで、

       墓の前まで、人にまとわりついてこられるなんて。

       はあ、南条あやなんて、どこのどいつやら。



       忘れてしまったよ、君の望み通り。

       人間世界のおさらばさ。



       にんげんって、それぞれ100億光年の宇宙の彼方よりも、

       はるかはるか遠いところに、ひっそりと隠れているような、

       瞬時のきらめきときらめきのようなもの。

       その光と光が出会うことは永遠にないことを願う。

       光りはどこまでも直進し、どこまで行っても交じりあうことはない。

       それが光の光りたるゆえん。

       それが人の人たるゆえん。

  • >>No. 5043

     
     
     
     
     
    ごめんね、つばめさん。


    戸惑わせてしまってるかもしれない。


    今日は、いつものように

    おどけられないや・・・・・・。




    疲れてるのでしょう。

    また来ますね。










         えがたん・・・・・・。

  • >>No. 5041

     
     
     
    こんばんは。

    私、以前に言ったことがあるかもしれないんですが、

    「人」というイメージのものは、嫌いなんです。

    口幅ったいのですが。

    告発でもないけど、こんなことを叫んでいたんでは、

    日本では、村八分になりそうです。江戸時代の五人組制度。

    ある人がいけないことをすると、廻りがよってたかって、叩く。ちくる。・・・・

    やだねえ。



    私が好きな人は、これも前に言ったことがあるような気がするんだけど、

    その人の前で堂々と、お前が嫌いだと言っても何の抵抗もない状況。

    自分自身に抵抗のないこと。

    お前が嫌いだと言わせてくれる「人」が好きだなんていうのは、

    何とパラドックスめいていることか。




    「幸せに〜」のこと。

    別に恥ずかしくはないと思いますよ。

    私が何度も何度も、自分の中で交わしてきた会話、自分の中で、ああでもない、

    こうでもない内なる哲学(それを私は、形而上学と名付けていました)

    の中に、短冊のように垂れ下がっていた「ひとつの命題」でした。

    そんな大げさなものじゃないけど。




    話は変わるんだけど、今日、心が折れるっていうのは、

    こういうことなのかなあと思う瞬間がありました。

    私、何かの拍子にポキッと折れてしまい、心が萎えててしまうようなことが

    ときどき起こるんです。

    急に、恋から冷めてしまうように(私の場合は、冷める恋なんて、本当の恋じゃないと思っているんですが)

    心が急にある限界に達すると、その場所が沸点のように、

    自分の気力が失せていってしまう。

    そんなものを今日感じました。

    昔にも、そんな感じのことがありました。

    自分が精一杯やったと思える地点があって、それは自分の中の尺度、自分の中の基準なんだろうけど、

    そんな場所がある。

    所詮、人に注げる情熱なんていうものは、たかが知れてるからかなと思う。








    普通じゃない感想っていうのは、

    あ、こいつ今まで会ってきた来た人とは全く違うなあと感じられること。

    私、昨日の酔漢から見た世の中の見え方のように、

    相手が鬼なのか自分が鬼なのか、相手が鬼ならば自分は人だし、

    相手が人ならば、自分は鬼でいたいと思うような気持ち。




    お前が生きているんなら、この世には生きていたくないよみたいな、

    はげしい気持ち。



    私、生まれて、いい意味で「人」だなあと思える人に会ったことは

    ほとんどありません。

    2〜3人です。

    キリストもそのひとりかな。

    あの人は、普通の人だったと思うんです。私にとってはごく当たり前。

    血が流れていて、心を持っているならば、誰でもキリストなんじゃないの?

    って思う。

    彼の、天国云々の言葉の意味はよくわからないけど、

    人間としての言葉の意味だったらよくわかる。





    いやはや、独りごちた。





    つばめさんの考え方の傾向って、

    何かを分析しようとして、解析しようとして、整然と論理を展開させ、

    思考していってるって感じのイメージがありますね。

    でも読んでいて、もっとつばめさんらしく、何よりも「つばめちっく」な

    つばめさんのバックグラウンドを感じられるような、

    そんな、つばめさんの体温を感じられるものをみてみたいと

    思います。





    私の場合は、いつもすでに結論があります。

    それは感情です。その感情を言うことが、あらゆることの目的でもあり、

    結論でもあります。

    自分の感情を素直に表すものが言葉だったり、理屈だったり、

    こうしてのんべんだらりと喋くりまわる。

    自分の心の中にある感情、心の中の真実は、

    あらゆる論理の前提であり、それ以上でもないし、それ以下でも

    ないと思います。

    あは、こんなこと、何十年ぶりに言ってるような気がする。 
     
     
     



    「人」という言葉を、私はそれぞれ違う意味で言っていると思います。

    言語表現は、とても難しいですよね。

     
    あなあなかしこ、あなかしこ。(笑)

  • >>No. 5039

     
     

     
     
     

    すみません。

    前の前の投稿を読み直していたら、

    はっきりと確信を抱きました。

    なんてしゃあしゃあと書いてますね。



    ・・・・・一つだけ言えることは、確信。



    私にとってあらゆることが確信だし、その確信の一角が崩れると、

    この前みたいに、救急車で運ばれなければならないような地点に追い込まれてしまうような気がする。

    大げさですが、ふと去年、久しぶりに救急車に乗った時の気持ちを

    想い出しました。

    私、とことん自分を問い詰めてしまう癖があるので、

    そのときの天地がひっくり返ったような感覚を想い出してしまったのです。



    何だか、へんな話になってきちゃったけど。

    おやすみィ。

  • >>No. 5014

     





    こんばんは。


    確信、というように形容するものではなくって、

    心の中にいた自然。

    を感じたときのことでした。

    はっきりとそれを感じたのは、そのときだけでした。

    心の中にはっきりと刻みこんでくる、そんなタイミング的なことだったと思います。


    人に対する感想、イメージはとても平凡な、ありきたりな、普通の感想しかないんですけど、

    (ここで丁寧語になっていたりするのは、ありきたりななどとの形容が、

    つばめさまを、やな思いにさせるのかなと・・・思ってか思わないでか、

    ですます調になってるううう。

    なんでだろう。この言葉だけの通信は、メールのやり取りと同じくらい気を使います。

    あの言葉、この言葉で、物の言いようによって、さまざまな受け止め方ができますからね・・・。ト書き、いと長し。)



    人の世は窮屈ですね。

    人ってどこに向かって生きているんだろうって思う。

    愚直で、不器用で、(この言葉、両方とも嫌いですが、というのも、その言葉を使う時は、

    相手、他者のことを言う時に使う言葉じゃないですか。

    つまり逆に自分はそうではないということをその言外に示し、

    ただ傍観者的に語ってるという気がするからです。)

    私の人に対して行っていることは、みな演技。

    季節の風さんだったかな。

    その人間稼業という、言わば演技の、人間稼業という言葉に共感をしてくれたのは。

    (またまた私の忘年会だったら、ごめんなさいですが)




    お酒を飲んだ後、電車に乗ったことありませんか。

    あるとき、下戸なんですが、酔って電車に乗って、周りの人を見ていたら、

    みんな虚ろで、まるで魂をどこかに置いてきてしまった人のように、

    その電車の乗客たちをしげしげと見ていたことがあります。

    そのときの私が本当で、ああ、私はこんなところにいるのかと

    そら恐ろしい気持ちになったことを覚えています。

    疲れていて、誰を見ても生気を感じなかった。

    子供の頃、そんな眼で、人間を見ている(いた)のかもしれない。

    東京にいたころの話。




    最近感じた、それの類は、もう一昨年になってしまいましたが、

    東日本震災のことです。

    人と人とが助け合っていく姿が本当に姿だと感じたことです。

    今の社会は、まったくそうなっていません。

    今の社会は論外です。




    世の中に革命が起きなければ、自分の中に革命を起こすのみです。

    風が西に吹いていようが、東に吹いていようが、

    わが道を行くのみです。




    どんなものにも、価値はない。

    そう思えることは、すばらしいことだと思います。

    (自分で言っていて、あれあれ、なんでこんなこと言ってるのかな、と思いますが。)



    で、ところで、つばめさんの確信ってどんなことかしら?

    きっと、つばめさんらしいことのように感じます。

    是非お聞きしたい。




    人に気を遣いしすぎること。

    大雑把な私ですが、気を使う場所ではものすごく気を使う。

    それが、大げさな言い方かもしれませんが、生きる手段だったのだと思ってます。

  • >>No. 4998

     
     
     
     
     
     


    やっふー、やっほー。


    鳥の声はこんな感じだったのでしょうか。

    つばめさんとのそれとは違うかもしませんが、

    二十歳の頃、私の故郷に海があって、その浜辺にすわっていると、

    とても確かな海との合一感みたいなものを感じました。

    そして自分は海の中からやってきたんだ、

    海の中から生まれてきたんだという確信を抱きました。

    はっきりとした感情だったので、その記憶は鮮明に覚えています。

    海との合一感。

    海面の浮遊する波の一つ一つが

    自分の内面のうごめく感情の一つ一つと呼応していることを感じたこともありました。

    自然というものは、いろんな驚きをもたらしてくれますね。

    つばめさん、多感ですね。




    すみません。

    窮屈なところと自分で言ってましたね。

    いろいろと忙しくなると、同じに二つのことができない私は、

    混乱してくるのです。

    それでとても窮屈な思いをしてしまうんです。



    昔は高いところは平気だったんですが、

    あるとき、どこかのタワーで外張りがガラスで、足元からすぐ地上が見え、

    くらくらするくらいの恐怖感を覚えてから、

    すっかりダメになりました。

    高いところにいると、どうしてもそこから飛び降りたいという衝動にもかられ、

    3階以上の窓から外を見るのも、ちょっと・・・です。

    橋の上の欄干から川を眺めても、そういう衝動に惹かれます。




    空間的に狭いところは、やはり窮屈ですが・・・。



    新年あけましておめでとうございます。

    今年もすでに、自分の発言のことを忘れてしまう、

    早くも私の忘念会が始まっています。(笑)

  • No.997

    黒銀の月

    2013/01/04 00:59

     
     
     

     
     
     
     

     
            風雪の夜のただ静まりて白銀の野に黒銀の月

  • No.4994

    私の呼吸

    2013/01/01 07:54

    >>No. 4977

     
     
     
     
     

     
      
     






            もう生きるのはおよしなさいと、不思議なことをいう。

            人は生きることを願うばかり。

            道を逆に歩こうとする人もいたっていいだろう。

            生きることからドロップアウトして、

            生きることとは関係ない場所に棲息することがあってもいいだろう。

            すでにその道を歩き出して、何十年。幾年ものこと。



            心が呼吸をしたいから。

            心が人生の主人公となれるとき。

            それに比肩すべきものは何もない。

            心が呼吸して、心が本当に飲み込むことのできる酸素と、

            心が本当に吸収できる養分吸い込んで、

            ああ、この生きているという平野さえ、私の漲っているところだと気づく。

            世界は私でできていると。



            それが私の世界との和解、合一、世界認識なのかもしれない。

            そして世界なんてどこにもないと思う。

            私が呼吸するところ、この場所に、私のいちばん広いところがあり、

            この私の心からあふれる、二酸化炭素や、窒素の群れと共に、

            私の生きていてることの暖かさとぬくもりと、安堵と、安らぎの森が

            また私の前に新しい森を築こうと、新しい息の城を築こうと

            改めて生活できる心の家や庭や生活の街を構築しようと、

            私の息が立ちのぼっていくのだ。



            私は口から火を噴くドラゴンのように、

            私の身に合わないものを燃やしつくし、

            燃え残った、私の劫火などでは決して滅びることのないものだけが

            この世に屹立し、私の新しい地図ができるだろう。



            私は私の心の吐く息を、手探りで歩くこの暗闇の中の灯りとして、

            この世を渉猟していく、支えにしたい。

            私の息が吹きかければ、足元に詩のミューズが微笑み、

            私の呼吸の中のまあるい空気が

            私の暖かい暖かいひとつぶの宇宙です。















            

           ※  つばめさん、トピの皆様、あけましておめでとうございます。

              狭いところって何なの?

              おいらはこれでも、高所恐怖症だし、ちょっぴり

              閉所恐怖症でもあるんだい(えっへん、笑)

  • 2012/12/07 02:40

     
     
     
     
     

     
             今日はやさしい悲しみをだいて眠ることができる。

  • >>No. 4955



     
     
     
     
     






    こんばんは。

    多分、この前の投稿は3,4か月ぶり。

    お久でした。(これ、お灸とも読めるね。


    元気ですとは言い難い状況です。

    でも、私の心底を知っている人には、私が辿っているところが

    どういうところがわかってもらえるかしらん?



    あは。10月一回、救急車で病院に行きました。

    手が震えて119を押すのもままならなかった。

    しんどいのに、救急隊員ってどうして、氏名、年齢、住所など訊くんだろう?

    今が何時なのか、何年で、何の季節かもわからなくなっていた。

    でも、そのときは本当に怖かった。

    魂が掠め取られていく気分。・・・・・

    たった一日で退院したけれど。

    心臓が痛いとは言っていないのに、いつのまにか、胸は痛いですかとか聞かれて、

    心臓麻痺の疑いあり、ということのみの可能性を探られた。

    今でも、あの時の苦しみはなんだったのかということに

    不安を感じる。

    その後、その感覚を惹起させるようなものを、

    この寝入りばなに感じることが何回かある。

    私特有の、自律神経からくるものと思っています。



    今、いろいろとブログ書いてます。

    ここ、数日間で、心痛が重なって、頭の中が、しっちゃかめっちゃかです。

    その節は、お世話になりました。

    なんか、改まっちゃった(笑)

    つばめさんって、楽天家ですかあ、今、読んだときに書いてあった。

    それと詩。詩人だねえ、・・・・。

    つばめさんの詩って、独特の色と調子があるよね。

    私は人の詩を評する(嘘つけ、今やってただろ、って、心の裏側がつっこんでくるが、それはそれとして(笑)

    なんてことはほんとの意味でできないんですが、ただ好きか嫌いかに

    帰結してしまうので・・・・・。

    昔、誰かが言ってましたが、

    (女性のみなさま、失礼)・・・男は失恋すると詩人になるが、女は失恋すると男狂いになる、

    何て言葉を聞いて、なるほどなあと思ったことがあります。

    これ、自分のことを当てはめて思ってたことなんですが。



    ごめんなさい、とんだぶしつけなことを書いているかもしれません。

    今窮屈なところにいるので、心が散らかっています。

    実は小心な私は、あの詩、白い足跡をここに書いてから、

    ついさっきまで、この掲示板を覗いていませんでした。

    小心者ゆえ、ときどき吠えたりするのでしょう。



    あは、今度は黒い足跡かも。おやすみ〜〜〜〜〜。

  • No.4954

    白い足跡

    2012/11/27 01:01

     
     
     
     

     
     
     

            時は白い足跡をつけていく。

            私の胸にも、あなたの胸にも。

            その足跡はちっちゃくって、見えないほど。

            でも、どこまでもどこまでも延びている。

            時々、悲しみや痛みの黒い足跡も続くけど、

            いつのまにかその足跡の上を別の足が歩いて、拭い去ってくれる。




            私の中のただれた道の、泥だらけの足跡たちも、いつの間にか

            白い足跡に変わっている。

            時というものは、透明な靴を履いているのでもなく

            ただ淡々と裸足のままで、私の中を横切っていく。

            いつの間にか私の中の道が整頓されて、彼の白い足跡だけが続いてる。




            いつか夜も寝ないで、その足が歩いていく様をみていよう。

            じっと、時に振り返られないように息をひそめて。

            雪の中をさくさくと歩いていくその足跡のように、

            それは静かな晩に通り過ぎるのだろうか。

            私の瞳の中で、私の心の中で、真っ黒い中を、

            白い足跡がいたわるように歩いてる。

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