-
No.6711
Re: 聖書の洪水伝説とは!!
2012/11/28 23:14
>>No. 6706
>それは半世紀以上も前の映画「十戒」の設定ですよね^^
チャールトン・ヘストン!!(^0^)
「ベン・ハー」
「北京の55日」
「十戒」
・・良い役者でしたねぇ・・^^
もちろん映画は、史実にもとずいた(とされる)創作(fiction)です。
ただ、ぼくが監督ならば・・出エジプトの物語に、もう一つの逸話を付け加えます。
これはローラン・ド・ヴォーという聖書学者があげている例ですが、
19世紀のはじめ、エジプトの太守ムハンマド・アリ・バシャはベドウィンを定住させようと、租税も兵役も免除し、聖書で“ゴセンの地”(現在のワディ・トミラート)と言われる土地を分配しました。彼らはそこで牧畜のかたわら桑の木を植え、絹を織る生活を始め・・そしてそれは遊牧生活という過酷な労働よりもラクチンで、かれらもそれを喜んでいたのですが・・バシャの死後、後継者が租税と兵役を課そうとしたところ・・一夜のうちに全村民と家畜が消えたそうです・・。
これは記録に残っているケースですが、モーセ以降の3千年余、記録に残っていないエクソダス(脱出)が何度起こったことでしょうか・・。^^;
>で、旧約の成立年代は、意外にも、かなり遅いようですよ。
成立年代・・これは正確に言うと、(旧約聖書が)それぞれ断片的に記述された年代、編集された年代、正典化された年代、と細かく腑分けしなきゃなりませんね。
旧約聖書のはじめの基本的な書である「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」をモーセの名を冠してモーセ五書、ユダヤ教では(トーラー・律法)と言うんですが、
現代語の“編集”と言う意味でこれが成立したのは、おっしゃるように比較的新しくて、バビロン捕囚期(BC597〜BC539)から、律法の朗読があったエズラ革命(BC444年)までの間と言われています。
そして、預言書や諸書を加え旧約聖書全体として正典化したのは、もっと遅くて、ヤブネ(ヤムニア)の宗教会議(AD90年ごろ)で、ついでAD140年のガリラヤのウシャ会議で今の旧約39書が正典化されました。それはユダヤ教での経緯のことですが、のちのキリスト教を含めて昔は正典(カノン)という概念が薄かったのでしょうね。その後カノンは重大な問題になるんですが。
しかし、最初に指摘した・・モーセ五書が断片的にせよ書かれたのは、もっともっと古くて、それぞれ元になる資料によって違います。・・(詳しく言うと五書はJ/E/D/Pと区分けされる資料によって成り立っています)
最も古いのがJ資料で、BC9〜8世紀。成立の場所はエルサレムの南方にあるヘブロンとされています。次いで1世紀程遅れてE資料が北で成立。次いでD資料ですが・・これはBC622年にヨシヤ王が神殿の修理をしていると偶然「律法の書」が見つかったという記述が見られますが、この申命記のギリシャ語訳「デウテロノミオン」の頭文字をとってD資料と呼びます。もう一つのP資料と言うのは祭司(その頭文字がP)資料で、これがバビロン捕囚時代に編纂されたものです。
・・言い飛ばしましたが、JとEの二資料は神名の違いからきています。Jはヤハウェ、Eはエロヒムです。創世記の冒頭・・1章と2章を注意深く読むと、2種類の創造神話が記されていて、人も2度創られていることが読み取れると思います・・これは1章〜2章にJ資料とE資料を併記しているためです。(^.^) -
No.6715
Re: 転載2 追加
2012/11/29 00:00
>>No. 6714
・・で、振り返って P資料(1章のほとんどと2章3節まで)7日目の最後のところ
「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさった」
というところに注目してもらいたのですが・・・
この文言が入っている事は重要です。
というのは、創世記のこの天地創造の話は、一般の日本人からしたら(あるいは欧米人でも)“神話”として受け取られても仕方がないんですが、ユダヤ人にしてみたら、これは“律法”なんです。
“律法(トーラー)”とは法律を逆さまにしたようなヘンな言葉ですが、そのとおりで、ユダヤ人のすべての生活を律する規範なのですが、現代風のひらたい言い方をすると、タルムードやミシュナの上位法に位置する法律なんです。
タルムードは膨大なもので、一般人に(ユダヤ人でも)全部読み切ることは不可能ナシロモノで、これは分かりやすく言えば“律法(トーラー)”の施行規則です。ミシュナはBC200〜AD200までの400年間の間に伝えられた口伝の律法の収録です。
あぁ・・脱線しそーになった。^^;
で、1日目に何々を造った、2日目に何々を造った、3日目には何々を・・・の、神話を思い起こすような歴史的記述が、ユダヤ人にとって何故神話でなく律法なのかは
7日目の・・「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさった」の文言がポイントです。
これを演繹するための6日間だったのです。
ですからこの言葉が重要なんです。
つまり・・・天地創造物語・・これはユダヤ人にとって安息日規定なんです。なぜ人は7日目に休まなければならないかの・・・。
生活規範を定めているものなんだから・・どうです・・律法になっていませんかね。^^;
神の名(ヤハウェ)がハナシの発端だったので、つい旧約聖書のユダヤ教解釈に入ってしまいました。
キリスト教側の解釈はまた別です。
つまり・・キリスト教では創世記を含むモーセ五書は歴史書に分類されますが、ユダヤ教ではモーセ五書は律法に分類されるということですね。
私なんかは、キリスト教の旧約聖書(創世記)解釈はいかにもポエムチックやなぁ〜と、感じてしまいますねー。本家本元のユダヤ教はキビシィイイイイ〜〜〜。^^;
でも、
かえって律法として読んだら、スルスルとモーセ五書が読めるようになると思うんですがね・・・。
イエスという“神の子”の事は、また・ということで。
P.S
モーセ五書:旧約聖書の初めにある五つの書。創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記・
五書はJ,E,D,P,という古い資料から徐々に構成されて、最終的に正典化されたというのが定説。さらにL,Nに細分化されることもある。
[19107] 別名トマス・ -
No.14210
「雨と子犬」
2012/11/29 00:29
しっかし・・この洋酒メーカー、ナンでこんなにCMがうまいんだろう・・
こういうものを聴くと・・気持ちよく寝つけるような気がします。
おやすみなさい。^^
http://www.youtube.com/watch?v=6b0cOimGSCo&feature=player_embedded -
No.14214
Re: RE 内容もやたら深刻ぶって陰鬱。
2012/11/29 23:00
>>No. 14201
>高橋和己さんを 思い出します
>うまかったのかな??
>邪宗門 を 3回 よみました
高橋和己さんの小説は読んだ事がナイと思っていたけど・・ん?まてよ・・と思って自分の書架を覗いたら・・黄土色に変色した古い文庫本(S40年代の発行本)あって・・そこに「我が心は石にあらず」高橋和己 と書いていました。^^;
手にとってパラパラ捲ってみると、鉛筆でアンダーラインを引いた箇所アリ・・読んでる!! ^^;
引いたあたりをチラチラ眺めるうちに・・ボツボツ記憶が甦ってきました。
組合活動とその挫折をメインテーマに描いた小説ですが・・そのことから、この人、現実生活も左巻きの人じゃないかな・と思ったデシ・・。
それでいて・・スターリンも毛沢東も死刑!!全世界の共産党絶滅!!の論を張ってるタイさんのお気に入りとは・・意外な事もあるもんですなぁ・・。(~_~;) -
No.6751
うちわ
2012/12/01 09:21
なんとなくBSアーカイブを見ていたら、五木寛之がフランスや中国の曹洞禅をレポートして廻っている番組があって・・。面白そうで、思わず引き込まれました。
そしたらその中で、中国の天童寺?とかの坐禅風景を映していたんですが・・なんと、何人かが・・悠々とうちわで自分の顔を扇ぎながら坐っている!
・・眼がテンになりました。^^;
あと2,3人がふつーに坐ってる・・。禅定状態によってそれぞれがそれぞれなんです。
しっかし・・ぼくらが坐禅会でお師家さんから習ったのは、まず姿勢から・だったのですが・・・・1+1=2という、初等教育で習った常識が・・破られる思いがしました・・。
たしかそのお寺、道元禅師も修行したお寺ではなかったか・・たまには本家本元も覗いてみるもんですね・・。^^ -
No.18363
Re: サンジュさん、十月に、79歳で亡くなる
2012/12/02 00:02
>>No. 18358
そうですか・・亡くなりましたか・・。
ご冥福をお祈りいたします。
ぼくが常駐してた「旧たの掲」にも良く来ていただいて・・お話をさせて頂いたのに・・。
小布施の岩松院へ、北斎の「八方にらみ鳳凰図」を観に行ったときには、サンジュさんの近くなので、逢う話になりかけましたが・・スケジュールの都合で逢えませんでした。・・これが心残りです。その代わり、息子さんのコンビニを覗かさせて貰ったのが・・懐かしい思い出です・・。 -
No.6768
Re: パレスチナ
2012/12/04 23:36
>>No. 6760
パレスチナの名が地名として定着したのは、ローマのハドリアヌス帝が第二次ユダヤ戦争を鎮圧(A.D.135年)した後に、この地をシリアと一括してローマの属州とし、“シリア・パレスチナ州”と命名した時からです。
しかし現代、パレスチナという言葉を使おうとすると・・政治的な意味合いが付着してしまって(シオニズムに基づくユダヤ人の再入植)なかなか難しいですね・・。
一般的には、パレスチナ人といえば(パレスチナに住む)イスラム教徒のアラブ人を意味しますが、それならば(パレスチナに住む)ユダヤ教に改宗したEthnicalな意味でのアラブ人は、何と呼んだら良いんジャラホイ?という問題があるし、^^; それよりも何よりも・・もともとの事を言うと、現在いるパレスチナ人は、サラセン帝国によるパレスチナ征服により、従来からいたユダヤ人がイスラム教に改宗してアラブ化した人々の末裔であるとの説があって・・それならば、DNA的にはありゃユダヤ人ということになりゃせんかねぇ・・と言う事もあるし。(~_~;)
ということで、3行目までは真面目モードで書きはじめましたが、ウィスキィがだんだん廻り始めて・・しっちゃかめっちゃかな論旨になりそうで・・。いや、もともと、この歴史的事実自体が・・日本人にしたら、しっちゃかめっちゃかなのか・・。いやいや論旨も事実も、しっちゃかメッチャカにしたのは・・一体誰だ〜?ローマか?カリフか?イギリスか?・・という問題もあるし〜 (笑)
ひとつ真面目に言うとこ。(^.^)
パレスチナの語源は、アラブ人とはまったく無関係です。
これはこのトピのNO6674で
>これはサムエル記上14章に書いてあることなんですが、イスラエル初代の王のサウルの息子ヨナタンは、宿敵ペリシテ人を撃つため、前線で密かに間道を迂回しようとします・・そこをミクマシの隘路と言います。<
と、カキコしましたが・・このペリシテ人に由来する名前です。
つまり、PLSHT(ペリシテ)なる名がパレスチナという言葉の語源です。
このペリシテ人、謎の多い民族です。・・と言うのも、彼らがなんの言葉も残さなかったからです。
これは昔、チャールズ皇太子がBBCのドキュメンタリー番組で、レポーターとしてペレシテ人の遺跡あとで報告していたことなんですが・・これはどうも、ギリシャ系の民族で・・パレスチナの海岸部に侵入し、サウルやダビデ率いるイスラエル人と血みどろの抗争を繰り広げた民族です。また彼らはは古代オリエント・ギリシャ史でいう“海の民”の一支族とも言われていて・・ラメセス三世の時にもエジプトを襲ったPLSHT(ペレシテ)と同じ民族か、同系とも言われています。
イスラエル人と血みどろの抗争・・これは詳しくは旧約聖書のサムエル記や士師記にゴリアテやサムソンの説話としても記述されていて・・たいへん、たいへん、面白いですよ・・。^^ 説話でなく旧約聖書の歴史的本筋から言えば・・ダビデのサウルからの逃亡、ダビデとサウルの息子ヨナタンとの友情、サウルの戦死、ダビデの慟哭の詩・・と続きます・・。ここらあたりのハナシになると、わたくしは止まらなくなるのですが・・いま現在は、丁度良いアルコールの廻り具合で・・コトンと・・突然、眠りに付きます。 (^0^) -
No.6790
メディネト・ハブ
2012/12/07 00:05
ワタシは、ゼニもないし^^;・・もう海外旅行することもナイやろな・と思っていましたが、今日ペリシテ人のことを書いた蔵書を読んでいるうち、 あ・ここ行ってみたい・と発作的に思いました。(^.^)
テーベ(ルクソール)の西、メディネト・ハブというところです。
蔵書に・・「ラメセス三世(BC1195~1164)の治世に建てられた、驚くほど立派なアムンの神殿の廃墟がある」とあります。
そして、
「櫓のある門、屹立した柱廊、そして広間と内廷の壁はレリーフと碑文がはめこまれ・・」と続いて・・そのレリーフの、ラメセス三世とペリシテ人との「陸戦・海戦の図」や「ペリシテの捕虜を調べるエジプトの将校の図」がその本の上段に挿画として載っています。・・ただ、いかんせん・・それ白黒プリントで、おまけに小さすぎて詳細が見えない!・・これ実物で観てみたいなぁ・・叶わぬ夢になりつつあるケド。^^;
碑文には、ラメセス三世がペリシテ人の侵攻に相当な危機感を持っていたことが書かれています。
『ラメセス三世の治世八年に、・・・いかなる国も彼らの力に対抗できなかった。ヘテ、コード、カルケミン・・・そしてクプロは一撃で倒された。民は彼らに粉砕され、その国は全然なかった如くにされた。彼らはエジプトへ進撃してくる・・・彼らは、あらゆる国に手をのばし、地の果てにまで及ぶ。』・・と。
ペリシテ人は相当強かったのでしょうね、ヘテとは強国ヒッタイトのことでしょうから・・(クプロはキプロスか・・?)。
この時エジプトのラメセス三世は、“ペリシテの捕虜のレリーフ”に見られるように・・彼らを撃退したのですが、ペリシテ人はしぶとくパレスチナのガザ地方に拠点を移し、結果的にエジプトのパレスチナへの影響をそぐ結果になります。ガザは「アフリカの外港、アジアの門扉」とか「沙漠への港」と呼ばれ、古来から一貫してアジアとアフリカを繋ぐ道の要衛ですからね・・ここを抑えられることはエジプトにとっては痛い・・。その影響をそがれた地のパレスチナでは、これを機とし・・ヨシュアに代表されるモーセの後継者たちがカナン系の族長たちを次々打ち破って,あるいはシケム契約にみられるような宗教連合体に加わった形で取り込んだりして、高地のヘゲモニーを握り・・そして最終的には海岸平野のペリシテ人と中央高地のサウル・ダビデに率いられたイスラエル人との決戦ということになります。・・・先日もちらっと書いたミクマシの戦い、サウルの敗死、ダビデの登位と反撃・・・等々です。そしてその結果、エルサレムの攻略、ユダヤ人初の統一国家の樹立・ということになります。
それにしても、ペリシテ人がなんでこんなに強かったのかと言うと・・一つには“海の民”がヒッタイトを滅ぼした時に製鉄の技術を身につけて・・これを独占して戦ったことを理由の一つにしている学者もいます。鉄は青銅器よりもはるかに武器に適していますからね・・。
聖書のサムエル記上13:19以下には次の記述があります。
『さて、イスラエルにはどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブライ人に剣や槍を作らせてはいけないとペリシテ人が考えたからである。
それで、イスラエルの人が鋤や鍬や斧や鎌を研いでもらうためには、ペリシテ人のところへ下るほかなかった。
鋤や鍬や三つまたの矛や斧の研ぎ料、突き棒の修理料は一ピムであった』
・・この民族、謎が多いにしても・・ギリシャ系であろう、という事は前に書きましたが、それらの根拠に・・線型文字Aの土板破片が一つ発見されたこと、土器がエーゲ海系の文様であること、ゴリアテ、アキシ、イッタイ、等の印欧系名がみられる・・武具や戦闘方式がホメロスの英雄たちと似ている・・等々がありますが、それよりも個人的には・・このメディネト・ハブのレリーフにペリシテ人の特徴を完璧に書きあらわしている図がるそうで・・その特徴がギリシャ系を思わすと・・私はそれを見たいのです。
彼らは
【背が高く、すらりとして、エジプト人よりほぼ頭だけ高い】
そうです。
それともう一つ、要らんこと書いとこ。素人の自由さで・・。^^;
ミケーネ文明が滅んだのは、ぼくにはどうも・・この“海の民”ペリシテ人が絡んでいるように思えるんです・・。彼らが地中海・オリエント世界を大暴れした時代と符合するんです・・。まぁ、学説ではドーリア人と言う事になっていますが・・。^^; -
No.6805
Re: メディネト・ハブ / ディディモさん
2012/12/07 17:17
>>No. 6793
>聖書のクシュちょっと教えていただけると幸いです
聖書で言うクシュはエチオピアの事です。これはどの聖書辞典でもそう書いてありますから間違いないようです。
ただ、このクシュ・・旧約聖書には5か所ほど出てきます・・。
(創世記2:13,創世記10:6,民数記12:1,歴代誌上1:8,サムエル記下18:21,)
しかしその記述が、現代のエチオピアを指す地域のことを言ってるのかというと・・これは判然としません。エチオピアやスーダン、ひょっとしたらエジプト南部も含む広い概念じゃなかったのかな・・。
おそらくそれが当時のエジプト人の地理感覚で・・上記の聖書箇所はそれをそのままユダヤ人が踏襲して書いたんではないかと思っております・・これはまぁ、私の個人的な推測に過ぎませんが・・。^^;
一つの理由づけとして言うと・・ヌビア人のエジプト第25王朝をクシュ朝とも呼ぶそうですが、王都のナパタはスーダン北部の町ですから、あきらかにここでのクシュはエチオピアを指す言葉ではないですからね・・ですからそれらを含む広い概念だろうと。
現代人はエチオピアと言うと、すぐ今のエチオピア共和国の版図を思い浮かべますが、古代人には関係ない話しですからね〜。(^.^)
>ホメロスにもエチオピア人が出てくるので、地中海沿岸にエチオピア人と呼ばれる
人々が住んでいたと思われます。
へぇ〜、ホメロスにもエチオピア人が出てくるんですか・・そこは未読ですが、面白いですね〜。^^
ただパレスチナにクシュ人が住んでいたと言う記述は旧約聖書にはあります。上記の最後にあげたサムエル記下18:21です。
ダビデの息子のアブサロムが父に謀反を起こし、敗れて敗走する場面です。(ここは文学的にも優れた物語で、キキさんが大好きなところです。<アブサロムの>歌をUPして貰ったことがあります。^^ダビデが息子を優しく扱うようにと命令していたにも拘わらず、部下の将軍ヨアブによって殺される物語です。たしか、フォークナーもこれに題材をとった一作を書いていますよ。よほど創作意欲をかき立たされるんでしょうね・・。)
【イスラエル軍(注:アブサロムの軍)はそこでダビデの家臣に敗れた。大敗北で、その日、二万人を失った。
戦いはその地の全面に広がり、その日密林の餌食になった者は剣が餌食にした者よりも多かった。
アブサロムがダビデの家臣に出会ったとき、彼はらばに乗っていたが、らばが樫の大木のからまりあった枝の下を通ったので、頭がその木にひっかかり、彼は天と地の間に宙づりになった。乗っていたらばはそのまま走り過ぎてしまった
兵の一人がこれを見て、ヨアブに知らせた。「アブサロムが樫の木に宙づりになっているのを見ました。」
・・中略・・
「それなら、お前に期待はしない」とヨアブは言った。アブサロムは樫の木にひっかかったまま、まだ生きていた。ヨアブは棒を三本手に取り、アブサロムの心臓に突き刺した。
ヨアブの武器を持つ従卒十人が取り囲んでアブサロムを打ち、とどめを刺した。】
その後に、ダビデに使わす伝令としてクシュ人が出てきます。
【ツァドクの子アヒマアツは言った。「走って行って、主が王を敵の手から救ってくださったという良い知らせを王に伝えます。」
ヨアブは彼に、「今日、お前が知らせるのはよくない。日を改めて報告するがよい。今日は知らせないでおこう。王の息子が死んだのだ」と言い、クシュ人に命じた。「行って、お前が見たとおりに王に報告せよ。」クシュ人はヨアブに一礼して走り去った。】
伝令のクシュ人はダビデの元に駆けつけ報告します。
【「主君、王よ、良い知らせをお聞きください。主は、今日あなたに逆らって立った者どもの手からあなたを救ってくださいました。」 】・・と。
それに対するダビデの姿が痛ましいです。
【王はクシュ人に、「若者アブサロムは無事か」と尋ねた。クシュ人は答えた。「主君、王の敵、あなたに危害を与えようと逆らって立った者はことごとく、あの若者のようになりますように。」
ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」】
・・・・・・・・・・。
謀反を起こし、自分を殺そうとしたにもかかわらず・・ダビデは慟哭するんですね・・。サウルの敗死の時もそうでしたが、こういう時・・ダビデはもの凄い感情の爆発をさせるんですね・・アレキサンダーもそうだったんじゃないかな・・英雄というは・・そういう者なんでしょうね。^^ -
No.6806
Re: メディネト・ハブ / ディディモさん
2012/12/07 17:35
-
No.14242
イムジン河
2012/12/10 21:22
こどもには罪はないな・・
http://www.youtube.com/watch?v=yf_bNd5c264 -
No.6852
Re: メディネト・ハブ / ディディモさん
2012/12/10 23:49
>>No. 6833
>種無しパンなどの食事の場面も一瞬ですが見えます。
didimo さんもこういう映像は興味があると思います。
didimo さんこんなんどうですか?<
そのリンク、なかなか楽しそうなペサハですね。(~_~;)
現代のペサハの式次第は、文献では知っているのですが・・一度で良いから実際に見てみたいものですね・・でもユダヤ人の少ない日本では、なかなか機会に恵まれません・・。
聖書に記されているイエスの“最後の晩餐”は、確かに当時の過越の食事(ペサハ)でしたが・・現代のユダヤ人達が執り行っているこれ↓を見て、どこがどう違うか・・あるいはカソりックのミサや、プロテスタントの聖餐式がなぜ“最後の晩餐”の文言を取り入れたのか・・等を考察してみたら面白いですね。
これが現代のユダヤ人のペサハです。
まず、聖別の祈りが終わったあと、主人が皿を持ち上げて言います。
「見よ、これはエジプトの地で私たちの先祖が口にした苦しみのパンである。すべて空腹の者は来て食べなさい。すべて貧しい者は来て過越の祭りにあずかりなさい。今年はここにいるが来年はイスラエルの地にいるであろう。今年は奴隷の身だが来年は自由の身となっているであろう。」
主人が捧げているのはマツァ(種入れぬパン)です。その皿を置くと子供が尋ねます。
「今晩はどうしてほかの夜とちがうの。いつもの晩はハメツとマツァを僕たちは食べるのに、今晩はマツァだけ。いつもの晩は別の野菜を食べるのに、今晩は苦菜(にがな)だよ。いつもの晩は一度だって野菜を浸したりしないのに、今晩は二度もだよ。いつもの晩は坐ったり、もたれた格好で僕たち食べるのに、今晩は僕たちみんな、もたれた格好だよ。」
父親は答えます。
「私たちはエジプトでファラオの奴隷だったのだ。私たちの神、主が、力強い御手を差しのべた腕で私たちをそこから連れ出してくださった。もし、聖なる者にしてほむべきお方が、エジプトから私たちの先祖を連れ出してくださらなかったら、御覧、私たちの子供も、そして私たちの子供の子供も、エジプトでファラオの奴隷だったであろう。
それだから、私たちがみな賢い者であっても、私たちみなが経験豊かな年寄りでも、私たちみなが律法に通じていても、エジプト脱出について詳しく語る者はだれでも賞賛に値するのだ」
まだまだ続きますが・・この食事を挟んだ長い言葉は・・次の最後の言葉で終わります。^^;
「過越の祭りのセデル(式次第)は、そのしきたりに従い、すべての掟と規則に従って、いまここに終わる。私たちがこれを意義深くとり行ったように、これからも意義あるものとして守るであろう。清い方は宮にお住みになり、数え切れない群れを回復される。すみやかに樹の枝を、すなわち購われた者たちを、喜びの歌と共にシオンに導いて下さい。」
その時そこにいたすべての者は一斉に叫びます。
「来年こそはエルサレムで!」
・・・・・・・・・・・・・・
この過越の食事は・・
ユダヤ人がエジプトで奴隷であった時、神により救済されて・・約束の地に導かれて行ったという歴史的体験を“追体験”するものだと言う事が解ります。すくなくとも、前半は・です・・。
ただ、最後のこの約束の地・・への帰還の文言は、あきらかに紀元70年の神殿崩壊と祖国喪失の後に定型化したことが読み取れます。まだ神殿があっって、まがりなりにも国があった頃の・・イエスの執り行った最後の晩餐とのセデル(式次第)が違うのは当然でしょうね・・。 -
No.6853
Re: ダビデ王
2012/12/10 23:56
>>No. 6834
あ・ダビデのことは・・またということに・・。
この物語は面白すぎますから。(^.^)
ダビデの狡猾さはバト・シェバの一件どころのさわぎじゃナイですよ。それでいて・・みなが彼を愛するんです。^^ -
No.6854
Re: Y染色体ハプログループ の進路!
2012/12/10 23:59
>>No. 6829
>僕もライフワークである
>アルジェリアについての研究結果を
>フローラさん始め
>ココの皆さん&ついでにトマ公に聞いて貰いたいのですが
オキタンの場合は・・演歌の研究発表ではないかい??・・・まぁ、遠慮なく発表したまえ。^^
http://www.youtube.com/watch?v=JWza1V9VM2E -
No.6868
Re: メディネト・ハブ / ディディモさん
2012/12/12 00:25
>>No. 6857
>「エクソドス」に関しては、考古学上、100万人以上が約3ヶ月にわたって
ナイルのデルタ地帯からシナイ半島まで移動したことは、エジプト側の
文献には一切ない、と思うのですが、これはあくまでも私のしっている限りでは、
という限定つきです。。
もちろんエジプト側にエクソドスの記述が一切ない・というのは、それはその通りなんです・・。
ですから出エジプトの事柄は、イスラエル側(旧約聖書)の一方的な記述であることは否めません。また、エクソドス(脱出)という行為をうかがわせるような考古学上の痕跡もありません。・・ただまぁ、これは脱出・逃亡という行為にかかることですから、後に残すモノを研究するという考古学上の発見には繋がり難いのかも知れませんが・・。
しかし、にもかかわらず歴史的事実という観点から見ると、エクソドスはあった・と個人的には思っております。勿論それは出エジプト記に誇張して書かれている様な(出エジプト記12:37)壮丁60万人+種々雑多な者・という大規模な脱出ではなくて、弱小部族奴隷のつまやかな逃亡劇といったものではなかったかと思います。先日ローランド・ボォーの、エジプトの太守モハメッド・アリ下における遊牧民のエクソダスの見解を紹介しましたが、あの様な行為は歴史上、何度も繰り返し起こったのではないかと思います。それほど遊牧民は行動の自由を希求し、束縛を嫌うものなんですね・・ヘブライ人が“入エジプト”する前(アブラハム・イサク・ヤコブ・という族長たちの時代)の素地は申命記26:5に書いてある「わたしの先祖はさすらいのアラム人であり・・」の通り、遊牧民の姿そのものであったわけです。
>エジプト関係で、ユダヤ人が出てくるのは、「エレファンタイン・パピルス」で、これはプサイテス1世(第26王朝)の時代に、ヌビアとの国境沿いに中隊していたユダヤ人の軍隊が始まりで、以後ユダヤ人コミュニティがエレファンタインと呼ばれる地域の人々の手紙やら行事やらが書かれているそうです。かかれている言語は当時の共通語アラム語だそうです。
http://lavistachurchofchrist.org/LVSermons/images/Elephantine%20Papyri%20containing%20the%20name%20Sanballat.jpg
これは聖書などの記載にはありますか?<
いや、エレファンタインの記述は聖書にはありません。
それと・・エジプト側でイスラエル人に初めて言及しているものとしては「メルエンプタハ碑文」が嚆矢ではなかったかと思います。そこには
「敗れた諸王達は「汝に平安あれ」と挨拶する。誰一人頭を上げる者はいない。テヘヌーの国は荒廃し、ヒッタイトの国は平和に立ち戻り、カナンは掠奪されて、あらゆる災いが訪れ、アスケロンは占領された。ゲゼルの地は掠奪され、エノアムは始めから存在していなかったようになり、イスラエルは荒廃し、子孫を残さない。コールはエジプトにとって後家となった。全ての国は統合され、平和に立ち戻った。不穏な者が残っていたとしても、ラー神その人のような命を与えられたメルエンプタハによって鎮圧される。」
とあります。
これは紀元前1220年頃のエジプトの戦勝碑と思われますから、フローラさんおっしゃる第26王朝の時代(紀元前664年 - 紀元前525年)よりも6〜7百年さかのぼります。
この紀元前1220年という年は、モーセのエクソダスが何時起きたか・という年代を推定するうえで重要なんですね・・というのは、その時すでにカナンにはイスラエル人がいたと言う事になり・・つまり、エクソダスはそれ以前の紀元前1200年代中ごろに起こって・・エジプトからカナンに脱出していたのではないか・・という推定が成り立ちますから。私が前の投稿でそれが起きたのはラメセス2世の時代ではないか?と言ったのはその根拠を思ってのことです。勿論その他にも根拠はあります。パレスチナのラキシ、デビル、ハゾル、エグロンなどの諸都市はBC1200年ごろに破壊され、しかも破壊占領した者の文化的水準は破壊された方より低かったことが証明されています。もちろん・・考古学は、破壊されたことは証明されても「だれが破壊したかは証明できない」のですが・・。^^; -
No.6884
Re: メディネト・ハブ / ディディモさん
2012/12/13 00:29
>>No. 6874
>とありますが、この「イスラエル」は単なるグループの呼称なのか?、または一神教を信じている人々のグループ(ユダヤ教徒)なのか?お分かりですか?
>つまりユダヤ教徒として纏まる前にイスラエルという呼称は存在したのかどうか?知りたいのですが。
メルエンプタハ碑文の中に記述されているイスラエルは、カナンの一部にいる“民”(グループ)を指しています。
ただし、その当時の彼らがユダヤ教徒かというと・・“ヤハウェを信仰する一神教徒”ではあるけれども・・それが現代にいうユダヤ教かと言うと・・ちょっと問題があります。・・口ごもってゴメンなさい。^^;(これはユダヤ教の定義にもよるんですが)その当時は神殿もなく、神殿崩壊後のようなシナゴークもなく、ましてやタルムードもなくミシュナもない。・・現在完成されたような形でのユダヤ教とは・・厳密には、言えないと思います。ですからフローラさんの
「一神教を信じている人々のグループ(ユダヤ教徒)なのか?」
というお尋ねには、前半は是としても()内は保留でアリマス。(~_~;)
ユダヤ教・・これはエズラ・ネヘミヤから始まる・とはよく言われることなんですが、このことはイスラエルの歴史では割合新しい事なんです。捕囚期(BC.6世紀〜5世紀)以後なんですね。彼ら(エズラ・ネヘミヤ)はそれまでの(ヤハウェを信仰する一神教)の宗教改革を断行したんです。厳密にはそれ以降のユダヤ人の宗教を“ユダヤ教”と言う方が良いと思います。ではそれ以前の宗教は何と呼ぶか?ですが・・M・ヴェーバーなんぞは“古代ユダヤ教”と呼んでおります。・・あんまり違いないっか・・呼び方は。(^0^)
それはともかく・・
もともとのイスラエルとは何か?といえば・・これは個人名です。
モーセの出エジプト以前には・・いや、前にこのトピで取り上げたヨセフ(兄弟に井戸に投げ込まれたあのヨセフです)等による“入エジプト”以前には・・アブラハム・イサク・ヤコブという族長の時代があり・・このヤコブの別名がイスラエルです。
ちなみに、ヤコブの12人の息子たちが後のイスラエル12部族の先祖となります。ヨセフは末子・・から2番目だったかな・・。^^;
これ↓がイスラエルの名前の由来です。
【そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 】(創世記32:23〜)
面白い物語ですが、これは一種の言葉遊びなんです。「お前の名は『神(エル)は報いたもう』(ヤコブ・エル)だが、神と争ったのだから、『神』(エル)と争う者(イスラ・エル)と変えよ」という意味です。
もう少し書いとこかな・・。北シリアの廃止丘、テル・マルディーフすなわち、古代のエブラを発掘した時、“イシュ・ラ・エル”という古代楔形文字で書いた書板があらわれたそうです。そうなるとモンダイです・・エブラはアッカドのサルゴンにBC.2275年滅ぼされていますから、それが聖書のヤコブだとすると、とんでもない年代に彼は生きていたと言う事になりますから・・。まぁ、勿論この“イシュ・ラ・エル”は聖書とは関係ない話しでしょうけどね。^^
また、現在ではほとんど同義の言葉として、イスラエル・ヘブライ・ユダヤ・・を使いますが、この使い別けは本当は面倒なんです。イスラエルにしたって、個人の名前であったものが、集団の名前になり、ついには国家の名前にまでなる・・時代により場所により・なんですね・・。
イスラエル・ヘブライ・ユダヤ・の違いについて講釈タレて、それを今日のレスの本筋にしようと思っていましたが・・眠くなりました。・・また今度ということで。(~_~;) -
No.6895
Re: メディネト・ハブ / とりちゃん^^;
2012/12/13 23:30
>>No. 6885
>だから、ユダヤ教徒=イスラエルの民
うん、フツーはそれで良いんだけれども・・僕ちゃんはヘソ曲がりやから、コップから水があふれた例をあげとこ。^^;;
ナチス・ドイツが1935年に定めたニュンベルク法では“非アーリア人”を3種のカテゴリーに分けたそうです。
すなわち、当人の信教にかかわらず、
?「祖父母の代に3人以上ユダヤ教徒を含む者」がユダヤ人。
?「祖父母の2人がユダヤ教徒」が第一種混血者。
?「祖父母のうちの1人がユダヤ教徒」が第二種混血者。
と。
この結果、1939年の国勢調査でドイツには、信教に基づく(ユダヤ教徒の)“ユダヤ人”22万人と、法律が定めた2万人の“人種的ユダヤ人”が併存することになったそうです。つまり法律上の“ユダヤ人”と宗教上の“ユダヤ教徒”が別カテゴロリーとして存在していたわけですね。
すると、自分自身は「キリスト教徒のドイツ人」としての民族的アイデンティティを持っていながらユダヤ人に区分される事もありうるわけで・・この人々も法の施行以降は差別の対象になったそうです。そして最後は強制収容所送り・という運命になったんでしょうか・・。
その彼らは、31年のヒトラーの登場の時には・・歓呼でむかえたのでしょうけどネ・・ -
No.6897
Re: メディネト・ハブ / ディディモさん
2012/12/13 23:34
>>No. 6887
>ところでこのグループが“ヤハウェを信仰する一神教徒”というのはどうして分かるのですか?
これは前にも言った通り、「メルエンプタハ碑文」が紀元前1220年頃の戦勝碑ですから、その時イスラエル人がカナンにいたということは、モーセのエクソドスがその前すなわち紀元前1250年頃(+−)に起こった証拠になるのではないか、と言う事が一つの根拠になります。
というのは、そこにいたイスラエルのグループは、モーセ後の世代の人々であり、神により律法を授かった人々だからです。モーセがシナイ山で律法を授かった事により一神教が確立したと言っても良いでしょう。なにせ十戒では(神の自己紹介の後)初っぱなで「あなたには、わたしをおいてほかに、神があってはならない」とありますからね・・。^^;これによって一神教が確立したとみます。
ですからその「メルエンプタハ碑文」に書かれたイスラエル人はヤハウェ・グループとみます。
これはイスラエル史の起点をどこに置くかと言う問題にも絡んできます。中期青銅器時代、紀元前1620年〜1550年頃(異説あり)のアブラハムに置くのか、紀元前1250年頃のモーセに置くのかという問題です。私はモーセとその後継者のカナン定着をイスラエ史のはじめとみます。それ以前のアブラハム・イサク・ヤコブといった族長の時代は前史と見ます。
アブラハムは、イスラエル人の祖であり、偉大な“信仰の父”ではありますが・・一説には異教徒と採る学者もあります。(私はアブラハムが大好きなんですがね・・。) (^.^)

Re: 聖書の洪水伝説とは!!
2012/11/28 23:13
>これ↓紅海の海割れについてなにか言っている落語です
http://www.youtube.com/watch?v=DhcuPsw42vA
ぜひ視聴してみてくださいね<
中島らもは、よー知らん人かったけど、落語・・エエ味だしとるねぇ〜^^
キキたんが、中島らもを好きな理由が解りました。
わたしも・・今から超大作を書きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・ウィキをガラガラガラ・・死んでる!!