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投稿コメント一覧 (234コメント)

  • >>No. 1674

    >寒い日が続きますので暖かくしてゆっくりお休みください。

    pataはん、これが常シキのある人の文章。

    しかるに

    >「ウーン、憎まれ口の減らん奴」、マスターから石が飛んできそうだけど、それを巧みに避けるのじゃ。この辺り過去の経験から学んだテクニックじゃ。

    この憎らしさ。ビョーキがふんトンでしまったわい。
    といいたいが、ここのところあまり、アタマをつかっていない。
    いま、すこし具合がいい、と思うのでペタペタとキイを打っているのだ。

    ほんとに寝ていた時間が多い。
    そこで見たものを考えてみたが、ろくなものがない。
    題名すら忘れているのだ。

     さて、「リスボン特急」
     これは昔、ドロン映画のひとつとして耳にはいった。しかるに見ていない。
    なにしろドロンが立て続けに日本向けに仁義だとかサムライだとか、
    制作。当時どれも、敬遠していた。

    ただ、この「リスボン特急」というのが「どんなかなー」とアタマの隅に残った。
     ネット上でこれを発見。見てみたがやはり、はずれだった。
    銀行強盗一味をお縄にかけようというのだが、あまりにも弱そうな警部。
    警部というのは犯罪者を捕らえ、さらに刑事を率い、なにかと貫禄が必要。
    しかるにドロンにその気配はなく、ウッソーといったところが多い。
    やはり受身の演技。これがメルビィルの最期の作品らしい。

     まあ、当時でもアラン・ドロンはフランスで人気がなかった。ベルモントのほうが人気があるという噂だった。
     この二人がでた「ボルサリーノ」、これは第二作のみ見て、肝心の一作目は見ていない。たしか、ベルモントの死で終わったと。
     まだドロンはこの二作目のほうがいい。炭炊き罐に身体ごと放り込まれるギャング。結構残酷でした。
     ボルサリーノというのは帽子屋の名前で、日本でも流行ったかな?

    ジャン=ビエール・メルビィル
    このCASTをクリックすると彼の作品に出た俳優の一覧がでる。
    http://melville.nomaki.jp/unflic.html

    「リスボン特急」
    リチャード・クレンナ Richard Crenna の文字が配役に出ていたので、見ることにした。
     ランボー・シリーズで、ベトナム戦争時の上官といった役どころで「昔みたような気がする」と思っていたが、ここで見つけた。

     カトリーヌ・ドヌーヴが出ていた。金髪がかなり見事。看護婦に化けた(えーとmichiさんではありません)彼女、瀕死の病人の点滴になにか混ぜるのだったか、殺す役。大した出番ではない。ま、ひとつの楽しみで、みどころは余り無い。

    メルビィルは「影の軍隊」が一番ではないか。


    貶していないで、なにか面白いものを探そう。

     続く……と書こうとしたが、肝心の作品名が出てこない。

      また、来週のこころだ。おやかましう。

  • >>No. 1675



    昨日、載せたつもりが失敗していた。改めて載せます。
    「リスボン特急」原題「A Cop」英訳。これは「刑事」という訳があった。
    なお、一部重複しているかも知れませんが、御容赦を。

    冒頭の銀行強盗シーン。強風の港の銀行。いわくありげな男たちが集まってくる。出だしはよいのでずがこの後は…

    http://www.youtube.com/watch?v=TlrBK3ncUtE


    シモン Simon:
    リチャード・クレンナ Richard Crenna
    カトリーヌド・ヌーブの髪はプラチナ・ブロンドというのかな。
    かなり髪の柔らかさがめだっていました。ただ、それだれの印象。


    Http://www.youtube.com/watch?v=IuRNQoRhYvY

    「ボルサリーノ」の冒頭、これは一作目でしょう。2時間5分あります。
    フランス語堪能の方、もしくは、音楽程度に聞き流せるかたはチャレンジしてみてください。

    borsalino 2  10分

    http://www.youtube.com/watch?v=2DTVekMnCrM


    あちこち引用しましたが、一作目でベルモントは死亡。二作目はドロンによる復讐譚。さて一作目を超えるか。一作目を見ていないので興味シンシン。

  • >>No. 1677

    ためしに前の文を入力してみました。ただの実験的ズルです…その意図はすこしある。

     それよりもreubenさんともども温かい愛の、季節外れの暖冬の応援歌。
    そうおもってないと、ドスでぶちゅり。ながらく愛されているとおもっていたが、今宵限りか……夜空を仰いでいて、このまま本所割下水「横丁」八文蕎麦の
    箸をわって「ボク死ぬ」とズルズル啜っていると、michiさんが「ふ、ふ、ふ」隠亡掘の冷水をしぼって、「覚悟はよろしくて」

     こうして冷水殺人の犠牲者になるところだった。
    ころっと行くと葬式が一回だけ。だから死にそうになると、「こんどは大黄色シャ心湯ぱらぱら」
     そしてきわめつけは砒素のトロピカル粉末渡辺のジュースのもと」

    ああ、やってられない。

     なんだかエンジン全開。一面暗黒の夜空の真ん中、フルスルットルでふっとばせ。

     ええ、香典、弔問料、お花代、寒いので防寒ヒートテック。

    皆々様の錠剤でまかなっております。

     経理? ウーンとやはりmichiさん。女性のほうが安心です。

    tsubakiさんは暗算がかなり自己流。やはりpataさんに頼まねばなんめい。

    「おやじ、全部でいくらかな」

    「呑んだビールが五万両」

     「たっ、タケッー」ドスを呑んだtsubakiダンナ。夜空の月をまっぷたつ。

     それにしても   

       
     みなさんの声が聞えてうれちいな。

    これからは、みなさんの文をコピーして、天下の災厄にそなえましょう。


    「嘆きのテレーズ」Therese Raquin
      製作年 : 1952年
       製作国 : フランス
    ルイ・ジューヴェ、アナベラほか
    http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD12630/
     
    http://jp.youtube.com/watch?v=qGxb-sC0aIM


    「北ホテル」はかなり気になっていた作品。ルイ・ジューヴェの雰囲気がよろしい。
    フランスは中年男と娘。または年上の女と少年。この組み合わせがよく現れる。
    さすが、恋愛の達意の国。
     「嘆きのテレーズ」はラフ・バローネとシモーヌ・シニョレの組み合わせがよろしい。
    どちらか一方だけだと、ややモノ足らず。このふたりが組み合わさって犯罪にはしる感覚が
    ただよう。ラスト、手紙を出しにいくホテルの小女(メイド)が撮しだされる。これは後に
    よく使われる手法になったと思う。皮肉なラスト。

  • >>No. 1679

    「霧の波止場」Quai des brumes

    この作品で唯一ミシェル・モルガンが明るい表情をみせるシーンがあります。
    それはホテルのベッドで朝を迎えるところです。そこは幸せそうなミシェルの笑顔があり
    記憶に残ります。
    http://jp.youtube.com/watch?v=37mq2FpQZF4&feature=related

    「霧の波止場」はどことなく妙な作品で、ミシェル・モルガンこのときいくつでしょうか。
    たぶんかなり若い。笑い顔がすくなく、物足りなかったが、ラスト近くのホテルの朝。満ち足りた表情で寝たままギャバンを見上げる。この嬉しげな表情がよかった。
     港ちかくの小さな酒場。ここのシーンは面白かった。つどう人々にそれぞれ過去が影を引く。
    あの絵描きはなぜ死んでしまったのか。
     さて、「狂恋」をみました。ギャバンとディートリッヒの共演。ギャバンの表情が格段によい

    。ただ、後半ディートリッヒを殺してからはあまりよくない。ディートリッヒはあいかわらず中

    年顔。目と目のあいだが開いている。吉行センセイ曰く「骨っぽい感じ」。
     脚線はみごとで、フレアのスカートから延びている脚はそれだけ頂戴して、抱えて寝る…とい

    うのはどうか。彼女、保険はかけていたかな。この脚にギャバンは惚れたか?
     はじめのうちはディートリッヒが主人公かと思ったが、ギャバン映画だった。ひょっとしたらディートリッヒの声質がよくないのかも。ギャバンはよい。
     この声質、よくワタクシ書きますが説明しようにも、不能。「味」とでもいったもので、味の

    ない声は役者として失格。なにしろセリフがいのちですから。
     本邦でも声に特徴があると目をつむっていてもダレダレと分かる。←ご贔屓役者だけですが。
    歌舞伎の歌右衛門や新派の水谷八重子など悪性の代表。ただ芸や立ち姿でそれを凌駕している。
     やはり舞台出身の俳優は声がよい。
    滝沢修の朗々として含みのある声。
    宇野重吉の渋いが飄逸味のある声。
    原節子は美声ではないが性格のよさが出た声質。
    彼女も二十頃の声はさほどでもない。
    小津が使い出したころには彼女の声はよくなっている。
    この手の声では中年以降の八千草薫の声がよくなっている。
    「雪国」豊田四郎版で冒頭「駅長さーん」と
    呼びかける声は大した声ではない。(
    最近のCMでは高齢からか、声質が落ちていました)
     女性も声がよくなるのは内面が出来てからとわかる。

    がんばってニューストリームに書き込もう。

  • もう消えてしまうので、古いところから再掲しています。
    こういうことをよくやるよなーと自分で驚愕。
    ま、次への記録として載せておきます。
    pataさんも、やるかな。なんか、やりそう。
    ほらほら目が耀きだして…やるう?
     
      ☆
    名文「バー・横丁」 2008/12/10 21:12 [ No.12 / 1681 ]

    引越し疲れです。
    もう、これは適当にやりましょう。順不同で書き込みごとに入れないと
    参ってくる。ほんと疲れる。pataさんもぼちぼちやりましょう。

     さて、tsubakiさんは確かに書き込まれましたよネエ。
    「無頼より 大幹部」とワタシが書いた後、渡哲也と聞いては黙っていられないとか
    おっしゃって。これは、ハイ、しっかり記憶しております。
     
     さて、お古いところで以下の名文の一部を。←もう消えてしまったのでナんとでもいえるのです。


    ボ、僕たち、あ、愛しあっているんです。新宿のババ曰く「若いときは二度ない。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」というが、青春はベルを鳴らさずに通りすぎていく」
    ぐっぐっぐっ。←一応、嗚咽。

    「大人は判ってくれない」と、「二人の銀座」をとぼとぼと。ああ、あれが青春だったなあ。

    さっき、つっと通ったでしょう。
    あれがウチの花売り娘。もう六十は超えているんですが、娘といわないと機嫌が悪い。

    昨日、お梅さんと一緒に出て行った客二名、そのまま行方不明。

    お梅さん。紙人形で封印しちまいな。

    はかられたと聞こえたら、そのまますぐに塩を縁にしたタンブラーに。


    テケーラ。テキーラと間違えると即死します。

    客は手に持ったる血判状、ぎゅっと握りしめグビと一口。
    名づけて「卒塔婆小町のリューマティスム」
    お客さん。飲みますよねぇ。

    ドルの時代は終わった。これからはベトナムのドンの時代だ。

    チャリーン。おっ、銭の音。お客さん、憎いね。すっと出すとこなんざ。あっしは惚れたね。
    よっ、後家殺し。

    カクテル、二合半徳利にいれときましたから。え? いらない。フーン、いらないねえ。えっ、お持ちになる。そうこなくっちゃね。

    お梅さん、封印解いて。お客様のお帰りだよ。お足もと。おきょーつけなすって。またのお越しを。

    モウ来ルワケナイヨナア。

  • こんなものは載せなくてもよいのですが。
    読んでいるうちにmichiさんの紹介、ご本人の文など目に付きました。
    では…

    2008/12/11 4:26 [ No.22 / 1682 ]
    tsubakiさんのギャラントリー精神に敬服。
    ついでに乾杯 チァーズ。
    題名で遊んではいけんぞなモシ。ところで、
    tsubakiさんは「無頼より 大幹部」をアツク方っておられましたよネェ。
     ↑ コダワッテイルのだ。

     さて、新装半開店「バーともしび」←ぐっとクールでんな。
    一応、世間の目を欺く、仮の宿り。ナニをかくそうその中身は気分一新、
    中身最悪。常駐ソフトお梅。ふぃっしんぐ詐欺師お竹。そして怪奇お松御寮人。彼らの百鬼夜行を許してなるものかと、マスター美貌のグラス磨き師。
     そして風来坊tsubaki氏。
     つねに犠牲者の道をたどる「当代一の人気者pataさん」
     ほのかに慕う大看護婦、注射器のmichiさん。

     ♪ みんな輪になれ、踊ろじゃないか。ハイ・ハイ・ハイ・ハイ(キンキン声で)

     シュレジンガー音頭を踊っていた男が「ハァ」と目いっぱい口をあけたとたん、みずからがつくった吸気の虚、その対称性の破れにスポンと吸い込まれた。
     これがボコボコおきている。

     ウーン。益川センセイ、小林誠センセイそして南部陽一郎先生を呼べ。
     あら、めでたやなと、寿三姉妹の「ヒト喰い音頭」は夜を徹して続くのでありました。
     
      花輪ご辞退。現金は元、ドン(VMD)、りヤルのみ受け付けます。
     
    似せマスター
    「いまなら、たったの五千ドン。かわいこちゃんがイタレリ尽クセリの肉弾サービス。ただ、寿三姉妹だけど。」


     さて、みなさん。急遽の引越し。ご協力ありがとうさんでがす。
    たぶん、マスターもクサバの蔭でないていることと。

     新時代感覚でおおくりする、言語不明、意味老獪、腹皮よじれの当トピ。
    カワイガッテくだせと、三姉妹、申しておりました。


  • Re: 引越し 2008/12/11 19:14 [ No.25 / 1683 ]
    映画で方言がうまく使われている例はないか考えてみた。小津の「浮草」「小早川家の秋」あたりは秀逸だ。品のよい関西弁が見事だ。もっとも関西弁といってもかなり地方色があり、和歌山あたりと神戸あたり、また丹後あたりでは違うのだろう。
     「飢餓海峡」では左幸子が下北あたりのコトバを巧くつかっていた。恐山のおどろおどろしいシーンもあったが、これはやりすぎ。内田吐夢の力作だとは思うが、コドモは魘される。大人でもウナサレそうになる。
     「はなれごぜ(この字が出ない)おりん」という岩下志麻の作品があったようだ。未見。これなども東北弁が使われているのではないか。「竹山ひとり旅」こんな作品もあったか。
    津軽三味線の話だと思う。盲人が世をわたるタヅキとして角付けがあったとわかる。
     恐山のイタコもそのひとつで、奥の細道にはいろいろ文化の深みがある。
     京以西の文化圏と関東以北の文化圏で大きく異なるのは、食文化ではないか。今では似たり寄ったりだが、その昔は東京のメシですら不味かった。東北は凶作になると娘を女衒に売った。
    吉原、浄閑寺とは遊女の投げ込み寺で、眠狂四郎の仮寓でもある。女郎たちの末路もこのあたりだろう。
     東京は蕎麦ですらまずかった。醤油をぶちこんだ立ち食い蕎麦に代表される味。京都の立ち食い蕎麦を食べたが、ダシが違う。こりゃ文化的に西高東低だなと、そのとき思った。
     京都は菓子がうまい。また漬物も千枚漬けなどがある。イモボウという食べ物があり、これは清張のミステリーに出てくる。
     これら加工食品であります。押し鮨もおなじ。
     江戸は生きのいいのが身上。鮨などどうみても早食いの産物。てんぷらは傷みそうな魚をその場で揚げて、捨ててしまうのをふせぐといった意味合いがなかったか。
     しかし、そのうちに鮨、てんぷらにも工夫がこらされ今日にいたった。
     明治になるとすき焼で、牛肉と葱、シラタキなどで文明開化の味がする。
     本所の鉄(金ヘンに夷)っあんは軍鶏鍋だが、江戸後期にこれはかなり異風なものではないか。
    まあ、小説の中なのでそれはそれ。

     最後には「日の丸弁当」というのはどうか。幕の内弁当ぐらいでかんべんしてホシイなぁ。

     話がコトバから食い物にいってしまった。この続きはいつか…きっと?

    お約束の気分転換映画。こういうの好きなんですネ。西欧中世の戦いもよいが、なかなか迫力が出ていてチャイナも宜しい。しかし赤壁の戦いがRed Cliffとは。

    http://jp.youtube.com/watch?v=F-cyPGI1Kgw

    「砂の器」 
    http://jp.youtube.com/watch?v=-5owh1euEco

  • >>No. 1685

    私の履歴書 文化人11

     喜多六平太 11。

    (十九歳のとき)
    さて、「道成寺」を舞うということになると、乱拍子百日の稽古といって、当時ようやく出来たばかりの飯田町の舞台で,紀喜和に百日の間稽古を受けた。さてそのうえで、小鼓を幸流の三須錦吾さんにおねがいして、鼓と呼吸を合わせなければならない。錦吾さんの方では、喜多が「道成寺」を初演するならばうちでも息子の平司に初役をさせようということになっていたので、今度は錦吾さんのお宅へ毎日のように通ってそこで平司さんと一緒に教えてもらうことになった。

    この平司さんの養子が今の幸流の幸祥光さんである。
      (略)
     乱拍子の教わりはじめは、まず錦吾さんが私の手をぎゅっとにぎって、二人とも腹の中で乱拍子の鼓を打つ。鼓には掛け声が必ずつくが、乱拍子の気合いは格別なもので、グーッと息を引いておいて、刹那にはげしい気合いが声になって出る。この声が二人同時に出るようになれば及第で、ちょっとでも間がちがえば落第になる。錦吾さんにそうやって教わったものを、次には屏風を二人の間に立てて、顔も見えず姿も見えぬ状態で、やはり二人同時に掛け声が合わせられるようになるまで稽古をする。 
     このようなきびしい稽古のおかげで、当日はどうやら無事に舞おさめることが出来たが、シテが鐘にとびこむと同時に引き綱をはなして鐘をどっと落とす役−−この役の呼吸がちょっとでも

    狂うとシテに大けががおこりかねない大切な役だが、この役を山内容堂侯に出入りしていた久(ヒサ)与三という人がやってくれた。この人は別に謡や能をやる人ではなく、いわば素人なのだが、鐘だけは実にじょうずで、失敗したことがなかった。どういうコツがあるのか、それを聞いても教えてくれなかったが,宇都野の父は、あれは槍の呼吸に似ていると言って、後にまた私が「道成寺」をつとめたとき、申し合わせ(舞台稽古)のとき久の手もとをじっと見ていたが、何かさとることがあったと見えて、久の家に行って久の話から呼吸を会得し、後には私どもの弟子にそのコツを教えたりしてていた。

  •  四谷の舞台を失った私どもは、戦後も染井の能楽堂に大いに世話になった。他にも舞台を焼いた流儀は多く、一時はここの舞台で東京の能の大半以上が演じられた。水道橋の宝生さんの舞台が、建物はともかく、舞台だけは残っていたため、まもなく復興したので、改まった催しはそこを借りて行なうようになったが、、私どもの例会は毎月第四日曜日に染井で演じられた。この舞台は椅子席がなく、客席は戦前風の畳敷きで、相撲とおなじような桝席の面影が残っていた。桝席は今では京都の金剛さんの舞台にしかないが、戦前は四谷の舞台にもあったもので、なつかしい気がした。
    ただ、ここはいかにも舞台が暗く、それに天井が低くて「道成寺」の鐘をつる設備がないのだった。
    二十九年の一月、文化勲章受領の祝賀能が企画され、私は「翁」の「白式」をつとめることになった。これは翁の面ばかりでなく、狩衣・指貫(さしぬき)といった装束をすべて白にするもので、「翁」の間は橋がかりの揚げ幕も白布にするのである。

  • 目黒の出来た年、前田青邨さんが私を「石橋」の獅子のモデルにとのぞまれた時、私はその場で衣服をぬぎすてて八十二歳の老体を下帯ひとつで獅子の型の骨組みをお目にかけた。この時の画は現在皇居の新宮殿の壁面をかざっている。


     ※ 幸祥光とは小鼓方の名人で、実はむかし最晩年のこの人の芸をみることがあった。力を抜いて軽く打っていたという記憶があるが、理解できたとは思っていない。しかし、この名は懐かしい。

     前田青邨は日本画家。この人の名が出たのは戦後だそうで戦前はそんなに高名ではなかったと聞く。ちなみに剣客商売の小兵衛のいでたちはこの青邨のすがたを借りたと、池波正太郎は書く。セイソンと呼ぶ。青邨の「青」といわれ見事な青が使われている。武具に興味を持ち、地方の寺でも遠路を遠しとせず
    出かけていってスケッチに残した。そのためか、この人の描く武人はみごとではある。

    「屏風を二人の間に立てて、顔も見えず姿も見えぬ状態で、やはり二人同時に掛け声が合わせられるようになるまで稽古をする」
     これは凄い稽古です。むかしの人はこういうことを平気でやった。相撲の呼び出し小鉄も、夜の隅田川で呼び出しの声を張り上げて練習したという。
     こういう名人気質は見ていて気持ちのよいものです。


    秋田のコトバで忘れていたのが「麦秋」(この麦は別の字)でした。
    原節子と淡島千景が「まんずまんず云々」と会話をしていました。これは前にも書いたのですが、東北地方の言葉をバカにすることなく、そのユーモラスな面を押し出したみごとな演出かと思います

  • マスター、パタさん、まいど

    『無頼より大幹部』の書き込み嬉しい~です

    引越しもうまく行ってるみたいで、嬉しい~です
    小生には引越しさせるだけの書き込みがないので、
    代わりにミチさんの荷物を移動させます

    越権行為かな?

    はじめまして、ミチと申します。
    こんな懐かしい情報がいっぱいあるトピがあったのですね~!!

    「記念樹」は私の大好きだった作品でした。
    孤児院で育った子ども達が規定の年齢に達して孤児院を巣立っていくのですが
    巣立っていった孤児達一人一人のその後の人生を描いた一話完結の物語だったと思います。
    毎回泣きながらも心に浸みる物語ばかり
    また観ることができて感激でした!
    テーマ曲も途中までは覚えていたのですが最後が思い出せなかったのですがこれでスッキリしました。
    感謝感謝です!!

    渥美清さんが床屋でカミソリを鞣し革(だと思いますが…)で研ぐところは
    同じ頃に観た「私は貝になりたい」のフランキー堺さんの映像と重なりました。

    「おやじ太鼓」も懐かしい。
    ど田舎で生まれて、物心が付いた頃には映画館が潰れてしまっていた時代に育った私は
    木下恵介ドラマとアメリカのコメディー(「ルーシー・ショウ」など)・アニメをTVで観て育ったのだと改めて感じた次第です。

    西田佐知子さんの「赤坂の夜は更けて」の歌詞で
    ”むなしい未練とは知りながら~”は子供心に大人の世界を感じたものです。(笑)

    とにかく懐かしい映像に出会えて嬉しかったです。
    ありがとうございました。 


    アバターは移せませんな、やはり

  • お松御寮人 2008/12/13 17:50 [ No.38 / 1689 ]

    >マスターさんで宜しいでしょうか?

    当トピのマスターは虎の檻記念病院に入院中。その後をこの偽マスターが預かっております。
    たしか「脳偏平足症」という恐ろしいビョーキで、映画と現実の見分けがつかない。今日はハリマオ、明日はローン・レンジャーの心意気ナノデス。おいたわしいと、お梅がもうしておりました。

     ☆

    ちょっと前に書いたもの。そのまま。なお、お梅さんの初登場はこのあと思い出した。その一部はすでに載せました。←しかし、映画となんの関係がアルノダロウ。

    >“ボヤキ漫才”で一世を風靡した人生幸朗・生恵幸子がツッコミを入れた曲第1号がこの「リンゴの唄」であり(歌詞を述べた後、「当たり前や!リンゴが物言うか!」と怒る)

     なるほど、「りんごは何にも言わないけれど」に人生幸朗は怒っていたんですネ。ずいぶん昔からこの師匠は、この手のネタをやり続けていたわけです。

     tsubakiさん。なんとかお梅さんの初登場の巻、思い出そうと努力しております。
    この手の文章は即興が命で、また書けといわれてもまず出来ない。はかないものでごす。
     書くのはかなり大変なんですが、読むほうはフザケテルと文句をいう。よくてpataさんのようにゲタゲタ←こんなに品は悪くないが。ともかく読み飛ばされておしまい。
     ええい。お松どのに頼んで打ち首にしてくれるワ。
     お松御寮人さまは、実は口裂け女の元祖。クラーい夕暮れ時、子供が家に帰ろうと路地を曲るとそこにマスク姿のお松さまが立っていて「坊や、私キレイ?」
     坊主がぎょっとするとマスクをはずす。そこには耳まで口が裂けたお松どのがニターッ。

     なにしろ則天武后が泣いて謝ったというコワーイ姐さん。西太后が思わずお漏らしをして七転八倒。それよりはるかにオソロシイお姐さんなのです。
     眉目秀麗なのに口裂け女。髪は長く、目は切れ長で唇は朱い。しかも耳まで切れているのだ。

     
     霜が降る銀沙の夕暮れ、街角にあり得ぬ牛車が一台。供の者は人間の姿だが魂は離れている。

    烏帽子の男がうつろな顔で御簾をあげようとする。そこから燃えるような緋の衣がこぼれる。目はランランと耀くお松の方さま。
     「ぐっぐっぐっ」
     耳を覆いたくなる魔界のつぶやき。おお、お松さまの車軸が壊れていく。ここはゴールデン街入口。その先にあり得ざるサイズで牛車は曲っていく。バー「横丁」の灯火が揺れる。
     屋根で黒猫がフゥーッと息を吐き、ギャッと飛び退った。
     「オ松サマノオ通ーリ」
     そのとき「横丁」で、お梅が震えた。花売り娘お梅。姉じゃびとの軋る車箭。耐え難い臭気。
    そして心臓まで凍る冷気。
     お梅はすうっと細くなり、僅かな隙間に(たった二ミリ)身体を縮ませた。

     マスターがグラスを拭く手をとめ、じっと耳を澄ます。
     ギュイと木彫のドアが音を立てる。
     まさかと、思う間もなく緋の衣が蛇のように店内にすべり入る。

    「卒時ながら」

     その声を聞くまでもなく空瓶が棚から落ち、激しく床に叩きつけられる。
    椅子が叫び、テーブルが喚く。店内はすでに魔女の手におちなんとしている。 
     助けに来るものはもはや誰もいない。
    白い手が伸び、一枚の紙を差し出す。

    <求人。美女もとむ。委細面談。年齢不問> そう書かれたポスター。

    爪がスルッと伸び、文字をゆびさす。銀鈴の声と思いきや割れ鍋の声で

    「この年齢は千歳を超えてもよいかえ」

     マスター「ゾーっ」

     この美貌の魔女、ナニを考えてるのか。横丁亭主にはナニモワカラナイ。
    ただ、暗い夜空にカァと鴉が啼く。
     
    チャイニーズ・ゴースト・ストーリーⅢ 
    この爪ほど下品ではないと、お松さま申しておりました。
    http://jp.youtube.com/watch?v=BDtNArzjzKM

  • 題名はtsubakiのおっちゃんのつけたもの。

     簡単なごあいさつ。いま、もう疲れてしまってます。
    こんなに移転して精も根も尽き果てた。

     かわいそうにね。さて再スタート。


    michiさん、おひさしぶりです。
    古いのをみていたら、tsubakiさんのmichiさん紹介文がでてきました。
    題して「デコボコmichiさん」
    それで記念?にupしておきます。

    たぶん古い文はねこそぎ消えてしまうのでしょう。

    前にワタシが「流れる」成瀬を傑作と書きましたが、そのときは山田五十鈴 をイメージしていたので、どうも褒めすぎたようです。宮口精二の「鋸山の伯父さん」という人物が出てきて、自分の姪っ子のためと称して山田にタカるシーンがあります。
    このあたり、どうも類型的になっていけません。どうも成瀬は男の描き方が単調で小津と比べるとやや物足りなくなります。
     えーと、別にごらんになっても構わないのですが、すこし値引きしておきます。
    たぶん、これはお気にいらない作品かも知れません。
     勝手な推測です。

         もっと面白いものをさがしてみます。

  • >冷水を浴びせるようなことを書きます

     おっ、つべ(冷)ていな。
    なにかの情報らしい。たぶん、エールの交換。
    とりあえず、ありがとうさんです。
    しかし、もとのトピが消えても使えるのかな。
    なあに、そのときはそのときのココロだ。

     tsubakiさんの声を聴くのはひさしぶりだな。
    なんだか、マイケル・ケインに会ったみたい。
    メガネはどうさんれましたか。

    夜霧の中に提灯ひとつ。
    「おやじ、酒をたもれ」
    「おやおや、ダンナ。メガネがねぇ」
    「ん?江戸時代にメガネはあったはず」
    「大久保彦左衛門がかけていた?」
    それらはミンナ、老眼鏡。
    Tsubakiさんのは遠近両用メガネのはず。
    ちがう? やっぱ遠眼鏡……。
     
    そろそろ引越し作業も終わりにしようっと。
    これはキリがない。そのうち気に入ったものがみつかったら、
    忘れたころに出しましょう。
    さて
    御身お大事に。

  • >>No. 1681

    >『有りがたうさん』 清水宏

     見ました。前にNetでみつけていて、ちょうどいいタイミングで
    みることができました。
    川端康成作品とはじめにあり、あれれと思った。
    そんなに川端に詳しくないので、こんな作品も書いていたとは。
    いま調べたら川端の「掌の小説」のひとつ、これは知っていたが読むのが
    ためらわれた小説群。


    さてこの映画作品1936年とあり、これは2.26事件の年、昭和11年にあたります。

    1922年11月頃、原田を介して栗島すみ子の口利きで松竹の蒲田撮影所に入社。池田義信監督に助手として付くが、先輩の助監督に成瀬巳喜男がいた。翌1923年、小津安二郎が松竹に入社し、清水と小津は終生の親友となる。
    映画は軽いタッチで、いまの世相で見るのにマッチしていそうです。
    この作品のなかにも「不景気」という言葉がでます。
    そんなに明るい話題でもないのですが、リズムが軽快で特に音楽が鳴りっぱなし。

    また、「このバスはどこを走っているのかな」と疑問に思いましたが、
    どうも伊豆半島ではないか、そう思っていると「河津」と地名がでました。
    あとに、踊り子らしい二人の女の姿。
     そして、そのあと「天城街道」の文字。

    世相は暗くなり始めた頃、愉しく見せてもらいました。
    トーキーとターキー、確かに桑野通子と上原謙の間で交わされていた会話。
    みましたで。
     ほかに、道行く農村の人々。大きな柴を積んでいてその光景は昔観たような気がしています。

     清水は静岡生まれで当地に詳しいのだと、知りました。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

  • 今日は不出来で、「殉愛」しか書くことがない。
    いまさらですが、小津と原節子のお話。
    その本を下に紹介。
    http://www.shinchosha.co.jp/book/303934/
    ただ、この人の本は、映画世界に入りすぎて、どうもワタシには
    違和感を感じます。
     藤本真澄が、原節子にあこがれていて、その引退後も
    財産管理などをしたと。
     このあたりは知らなかった。
     山口瞳と藤本真澄の対談が引用されて、ふたりとも
    原節子ファン。ただし山口の話術はそんなにたいしたものではない。
    やはり吉行にかなわない。
     これは山口と藤本が同じサイドで語っているため(つまり同じ視点)、
    それで、同好の志になってしまっている。
     吉行対談の見事さは、人間の深い部分を探ろうという姿勢が感じられる。

    註*対談というのは、ふらっときて好き勝手なことを喋り、それでおしまいという、
    簡単なものではなくて、吉行はかなり神経をつかっている。
     山口の語るところによれぞ、吉行は「話のオチ」までつくるといっている。

    これは吉行と山口の対談で、「あまりに呼応している」と読書当時、
    感じたもの。
     つまり、こんな具合。
    山口「あなたは詩人だから」
    吉行「言うてくださるな。詩人の兄だろう?」
    山口「もしかしてナオミってんで」
    吉行「痴人の愛か」(笑)
     現実にはこういう見事な会話はないだろうと思ったことがある
    しかし、山口はタブンこれを吉行の付け加えた「落ち」だということだ。

    ながくなりました。さて再掲の文を以下へ。


    横丁戦線・屋台篇 2009/ 3/19 19:33 [ No.206 / 1695 ]
    ≫吉行淳之介が青春時代に憧れた女優がこのジーン・アーサーだそうで、吉行のエッセイにときどき登場しています。

     そうだったですかねぇ。吉行センセイの趣味は変わっていますから、にわかに思いだせない。
     しかし、pataさん、ご無事でなにより。pataさんのいないあいだ、tsubakiさんが好意から盗み食いをし、「横丁」はしっちゃかめっちゃか。これをハカなんで、マスターは「初心に戻るのだ」と屋台「横丁戦線」をひっぱり夜な夜な、大手町から銀座界隈をながして歩いているのです。
     フィルムセンターからでてきた年の頃なら五十五、六。渋いネクタイにストライプのシャツ、銀のカフスで、ニターッとしているのがtsubakiさん。たしか、持ち場は浅草のはずだがな。
    よくみるとメリヤスのオーバーの裾を踏んでいて気づかない。

     「旦那、一杯いかがです」
    「ああ、シモーヌ・シニョレがよかったなぁ」

      「だ、旦那」
     「おおっ、これは今、巷で噂の移動式カクテルバー」
    「横丁戦線」
    「そうだったねぇ」
    「ま、いっぱいいきやしょう」
    「屋台の感じはまた格別だのぉ。さて、つくねと大根と」
    「まず、カクテルを」
    「クロポトキンのへその胡麻・カッパドキア風」
    「へぇ、おつですね。いまどき河童巻とは」
    「つまみは」
    「いなごのてんこ盛り」
    「ぐう、エクソシスト2で、きたか」

     かかるところへ、森蘭丸の衣装でpataどの、通りかかる。
    「ふむ、マスターも零落したなあ」と落涙。

    「あっ、pataの旦那、よっセンセイ。一杯のんデっておくれでないか」
    「あれは、荒れ野の枯れすすき。いまいるのはコオロギだけ」
    「しかし、なにも屋台にするとは」
    「世界情勢厳しきおりから、じっと我慢の子」

    服部時計店の大時計がゴーンとゼロ時をうつとき、銀座四丁目は大鴉に覆われる」

     ここで中断。きりがない。

  • No.1697

    再掲*

    2013/02/15 22:18

    ョセフ・コットンをうまくつかった例として「疑惑の影」ヒッチコックがあります。
    いかにも善良そうでありながら、未亡人殺しのお尋ね者。ただ、証拠にとぼしい。
    テレサ・ライトが気づく。このテレサ・ライトの使い方もうまい。ハイ・スクールの生徒
    といったところか。おしゃまな妹も事件に口をだす。
     毒殺について、架空の殺人を話す父親とその友人。また、本格スリラー作家に完全犯罪の毒物についてたずねるコットンとか、好事家のこころをそそります。
     あの車庫での一酸化炭素中毒つまり排気ガスによる殺人未遂など、だんだんコットンの手がテレサ・ライトに伸びてくる。
     そして、図書館での叔父の殺人の調べもの。
      やはり、ヒッチはいいなぁ。

     ラストは列車で、というお話です。このオジサンは悪役ですからケイリー・グラントでも、ジェームス・スチュアートでもまずい。このコットンがやはり適役。
     監督によって、役者のみえない味が露わにされる好例でしょう。

     さて、恥ずかしながら「歴史は夜つくられる」は未見。はるか昔から関心はあったのですが、なんとなく見過ごした。うむ、クヤシーイ。
     
     ☆
     
     屋台をひっぱるマスターのあとを人影がおう。もう銀座にはひとっこひとりいない。
    車も走らず、ネオンもチカチカと消えそう。とおくで狼の吠え声。ああ、これが銀座の終わりか。
      「ちょっと、屋台のカクテルよ」
    おそろしげなオカマ声で叫ぶ。
     「おや、お姐さんがた。いま、お帰りで」
     「ケケケ、ナニイッテンノヨー。あんた、モスコー・ミュールできる」
    「できんでか」
    「まあ、イバッテルノネー。たかが、屋台のくせに」

     「オイ、オイ、オイ」と涙声。おかまに罵られた。そこへ一台のリムジーン。
    ずいぶん長いリモだ。うしろは新橋駅のほうにあるらしい。
     その車からひとこえ。
    「ああ、マスター。お元気」
     みると、ラシアン・セーブルの長コートに身を包んだソフトの男。その唇にハバナ葉巻を咥え、愛猫のペルシャを抱え、ニカッと微笑む。
    「あっ、pataダンナだ」
    「そー。ボク。マスターこそ無残にも身を落として、カワイソー」
    (pataさんはさっき森蘭丸の衣装で出てきたがなー)
     グッ、グッ、グッ。もう銀座に朝はこない。屋台のカクテルがなにが悪い。
    日本一の屋台引きになって、日本一の成金になって、この恨みはらさでおくべきか。

      三愛のビルに寄りかかっていたtsubakiダンナが、どんごろすのマフラーを風になびかせ、
    「マスターの時代は終わった」

     「では、では、では」とpataどのは成田エアポートへ。かのカンヌ映画祭に主賓として招かれているという。

     tsubakiどのは「三原橋アングラ映画祭」の審査委員長。ニタニタと走り去る。

     かくて、オカマに嘲笑されながらマスターは汐留めざして屋台をひいて行くのでした。
    このあとのことを、おそろしくて書く気がしない。

     お松御寮人が呪いをかけ、成田発三原橋行き747ボーイングは、錦糸町で墜落。
    その後のことをワタスは知らない。

      ↑最近にない傑作じゃ。しかし、こんなことを書いていて屋台のもうけになるのだろうか。

     まずは、pataさんのこえが聞けてうれしい。よよいのよいと、三本締めでおひらき。
    ありがとうござい。

  • 嵐寛の項

    山口 おいくつでいらっしゃいますか、奥様。
    嵐   二十七です。
    山口 えっ、二十代ですか。
    嵐   はあ。
    山口 それはずるいなあ。(笑)わたしは三十四、五かと思った。
     以下、(略)
    嵐寛は1903年生まれ。小津と同い年。没年は1980年だった。
    女はみんな玄人とのこと。「母親がその出でっしゃろ。ついそうなっちゃう、はい。」

     ほかには山口、競馬の鼎談などしている。杉本清、井崎脩五郎
    。オグリキャップ、ハイセイコー、テンポイントなどが出てくる。
    これはpataさんへのサービス。

    かろうじて映画の話につながった(というほどでもないか)
     
    本日はここまで。Michiさん「疑惑の影」よかったですねー。そういって笑いながら去る。やゆ

  • ああ、ずいぶん時間がたった。
    michiさんのカキコミから一週間、なまけぐせが治らない。

     映画と関係ないのですが(すこしはあるか)
    「山口瞳対談集」というのを読んでいます。
    いろいろな雑誌で、ホストの時もあれば客人のようなときもある。
     おもしろそうな処をひらくと<嵐寛寿郎><池波正太郎><吉行淳之介と色川武大>ほかにもあるが、意外だったのは池波と対談していること。
    なんとなく、山口は池波を敬遠していたと思いこんでいた。
     また、色川は雑誌編集者だったようで、三人とも昔の作家のクセや人間味などを面白く語っている。
    「山口瞳対談集」は論創社というところから出ていて確か、五冊ほどあるはず。
     <柴田錬三郎のニセ結核事件>というのがあり、以下引用。
    吉行 彼を新宿二丁目の赤線に引張っていったことがある。そうすると、ああいったところの店は、入ったところに大体植木鉢がある。そこにカッと痰を吐いて、「今日は血が混っているかな」なんて呟いている。時にはハンカチに痰を取って、調べたりね。いかにも結核で余命いくばくもないって風情なんだ。それから二十年くらい経って、奥さんに「柴田さんの結核は治ったんですか?」って聴いたら、「主人は一度も結核になったことはありません」。(笑)

  • 「来し方を 思う涙の 耳に入り」 「山口瞳対談集3」収録
     別冊小説現代1974年陽春号 講談社がオリジナル。

      藤本真澄 ふじもと・さねずみ1910-1979

    藤本 あのね、監督がみな割合に惚れましたね。島津保次郎って監督ね、
    原節子を、「藤本君ねえ、女優さんは多いけれど、こんな別嬪はいないよ、きみィ」って言って、どんなことがあっても原節子だけは怒らないんだ、絶対に。助監督ばかり怒られちゃう。(笑)
    ある時ね、ぼくが助監督についてね……。(略) それでね、椅子持ってかないと怒るんだよ。原節子のところへ。
    「きみね、女優さんがね、立っていたら、体のコンデションが崩れるじゃない。きみ持っていかなきゃ駄目だよ」ってんだから。(笑)何を言っているかと思ってね。てめが惚れたんなら持っていきゃいいじゃないかって(笑)
    ある時ね、ラッシュって、写真ができたら写して見ますね。前の日に写った時は、原節子はスーツかなんか着ているんでね、ハンカチが引込んでるんですよ。翌日はハンカチが出てるんですよ。
    山口 そりゃまずい。
    藤本 ラッシュ見たらわかっちゃったんだ。こんなのは明らかに女優が自分で考えなきゃいけないことでしょう。そうしたら助監督が怒られちゃうんだからね。(笑) 「きみたち何してんだ。きみたち大学出てなにしてんだ」大学は関係ないよ(笑)
     (略)
    キャメラマンがどこから撮っても取れる顔だってことを言いますね。
    大体日本の女優さんっていうのはね、十人のうち八人はね、右から撮らなきゃいけないんですよ。
     それが原さんはどっちから撮ってもいいってことをキャメラマンが言いましたね。


     山口「東宝の便所にありて思うこと入江たか子もここでするかな」
    だけどね、これね、原節子じゃ駄目なのよ。入江たか子ならちょうど頃合いっていう感じが…(笑)

    山口 小津さんはやっぱり原さんに惚れてましたか。
    藤本 ああ、まあそらア。ぼくとね、小津さんで独身協会というのを作った。彼が会長でね、ぼくが副会長なんだ。二人しかいない。(笑) それで「木下(恵介)君を入れたらどうだ」「ありゃ一回結婚してるんだ」。あれはセカンド・ハンドだから駄目だよって。(笑) それで会長が亡くなったゃったから、福会長だけになっちゃった。

     だけど節ちゃんをよく生かしたのは、島津さんが初めに手ほどきをして、まあそういう傑作はなかったけど、「光と影」とか、「嫁ぐ日まで」とかありますけどね、それであと小津さんが引き継いで、「晩春」とか……。

    山口 「晩春」とか「麦秋」とかねえ。


       ☆

    この藤本との対談をみつけるために、山口瞳対談集をひっくりかえした。
    1974年の対談で、「これはそんなに前だったのか」とびっくりしているところ。
    私事だか指が冷たくて縮んでいます。キイの感触がわずか。
     
     さて、島津保次郎は最近「婚約三羽烏」を見たばかり。
    松竹の若手人気俳優の佐野周二、上原謙、佐分利信の豪華キャスト。
    ストーリーは途中でうつらうつらしている間にすこし飛ばしてしまったので
    まあ喜劇といったところ。
     ずいぶん昔、「松竹三羽烏」と耳にしたことがあり、往時の映画界の人気が分る。高峰三枝子もあこがれの令嬢役として登場。
     佐野周二の下宿のオバサンが飯田蝶子、恋人役が三宅邦子なども若い時の顔がみえて興味シンシン。

     こんなところで寒い日を暮らしています。

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