-
No.958
*アホみたいにみえるんどすえ*…
2016/10/05 22:57
*アホみたいにみえるんどすえ*
ブログや掲示板を散見しますと必ず、「ご訪問ありがとうございます」の往信のやりとりがあります。その後は延々とお世辞とおべっかを繰り返し、いかに心豊かで優しく美しい人であるのかを競い合っている。
即席の焼きそばや缶ビール、インスタントラーメンの写真を貼り付けてるだけのものに「感動した、ステキ」とあっては、むしろその感性の歪みすら感じて不快になります。
1、独創的な手料理以外の食べ物紹介は、いかなるものであっても興味関心がありまへんよってに訪問を拒否します。
2、語尾に(笑)を使用するのも拒否します。何が楽しくて(笑)ってるのかが判別しにくく、むしろ対象物対象者を見下して笑ってる精神がj薄弱なのか、潜在的差別主義者だと思えるからです。
3、あの本を読んだ、この本を読んだ、というのも拒否します。著名な作家や偉人の言葉でしか学ぼうとしないのは片目だけで世を見てるバカだと思うからです。要は自慢がしたいのでしょう。それ以外に何がありまんのん?
上記、よろちこね!
-
No.959
*晴れた日は・・・* …
2016/10/06 11:40
*晴れた日は・・・*
極めて私的なおハナシなのだが、お天気予報を聞いていると、お気に入りの「ルドルフ予知子ちゃん」が懐かしくなってしまう。今の予報ねーちゃんたちも個性があって愛らしいのだが「ルドルフ予知子ちゃん」には勝てまへんで!どっこいしょのどっこいしょ、やで~!!
台風の予報が多く、その影響でわが町にも雨を降らせていたが、強い雨でもなく激しく土砂降りに降るのでもなく、普段の雨の日となんら変わりのない雨雲がメソメソして泣いているようであった。雨雲さんの生理日であったのだろうか。神戸の雨雲さんは生理不順なのかもしれない。まさに要注意どすえ。
今朝は快晴。秋の青空が広がっている。生理の痛みもヒザやヒジの痛みもおまへん。痛みから解放された秋空とワテでんねん。窓を開け、コーチーをたてると、どこかへ出かけようかナ~と思案もするのだが、どうしたことかお洗濯をしている。その合間にタイピングしている。
洗濯機くんは何一つ愚痴ることもしないし文句も言わない。黙々と働いてくれてる。
「てやんでい!あたぼうじゃねーのかい。べらぼうめ!これがオイラの仕事でい!!」
と、おかしな江戸弁でおしゃべりしているかのようである。
いつもいつも、ほんまにほんまに、おおきにどすえ。 (*´・з・`*)チュッ♪
んじゃ
(*^-^*)ノ~~マタネー
-
No.960
*と、思ったこと* 駅…
2016/10/06 16:57
*と、思ったこと*
駅前に「100円レンタカー」が出来て久しい。利用もしたことがない。パソコンで調べると車種も豊富で店頭にない気に入った車種がない場合は取り寄せをするらしい。一時間100円で借りれるという。これを借りて大阪・中之島国立美術館へ出かけてみようとしていたのである。
自動車は三台所有していた。通勤や生活で利用するのはワタシの2000GTだけ。他の二台は形見として遺していた。職場仲間から指摘され三台とも廃車した。使わない車に無駄な自動車税を払っていると言っていた。形見として残すのなら車のフェンダーなりミラーなりといった一部を残すべきだ、という指摘であった。ついでにとワタシの車も廃車したのである。イントルーダという400CCのバイクを購入した時期と重なっていたこともある。
車が無くて困るということはない。むしろ煩わしさから解放されているのではなかろうか。交通渋滞にイライラすることもないし、維持管理する諸費用に悩まなくてもすむし、駐車違反で挙げられることもない。
バイクは50CC、125CC、400CCの三台がある。主に125を使っている。ちょっとしたお買い物にはとても便利で生活の必需品である。自転車もいいのだが、坂の多い我が街では、チョッとねのチョッとねでござる。お買い物だけではなく日帰りの遠乗りもしてしていた。
バイクがあるので電車やバスを利用することがなかった。
電車に乗る際のワタシのイメージは、もみくちゃに押し込まれる我が身と、あまりの混雑で降りるべき駅でも人波に押されて降りられない想像をしてしまう。想像だけではなく何度かそんな経験をしている。大阪の環状線がそうであり東京の総武線がそうであった。痴漢やスリが多く、また痴漢に間違われる事件も起こっている。
先日の雨の日にバイクで転びヒザとヒジにケガを負った。痛みは消えたがカサブタが分厚く怪我が大きかったことをのこしている。現在もお買い物はバイクで行くのだが、とても恐くて身体全身に余分な力が入りすぎ、運転するのが恐い。かと言って、車を購入しようとは思わないのだが、やっぱ、雨の日は車があれば、と思い始める。
レンタカーの宣伝をするために書いているのではないのだが、ナビをはじめそこそこのものが装備されており、ちょっとしたドライブや旅に利用するのも好しかナ~と思って書いてみ-た。
-
No.961
*便利さのなかの不便さのなかで…
2016/10/07 10:41
*便利さのなかの不便さのなかで*
パソコンをWI‐FIという無線にしてみた。キーボードもマウスも無線ですよ。PC周辺がすっきととして広く感じる。これでコーヒーをこぼす事件も少なくなるであろう。配線がないのでどこへでも持ち運べる便利さがある。26インチのモニターをベッドの脇におき寝そべってタイピングしている。今も、そうなのだが、マウスが行方不明になるケースが多い。
ベッドのなかでパソコン映画を楽しんでいるのだが、ほとんど眠ってしまいPCをつけっぱなしのままで朝を迎えている。PCと戯れ続けるにもPCをシャットダウンするにもマウスがなければならない。そのマウスが見当たらないことが多い。ピロウに潜り混んでいたり敷シーツのなかに隠れんぼをしている。それを探すこと10分はかかっているだろう。お腹の上でタイプをするキーボードも配線がないので打ち終えると、適当なところに放り投げてしまう。そうすると腕や足が触れ、要らぬ入力をしPCの画像をおかしくしておりまする。
我も、便利さのなかの不便さのなかで生きる文明人であろうか、と思うや、ふと、原子力の安全性を神話化しているオッサンたちの奇妙奇天烈な論法と不確実で不信頼な時代に生きてる、とも思った。
#信用信頼できるものが欲しいナ~、と思った。
-
No.962
*アホみたいにみえるんどすえ*…
2016/10/07 19:25
*アホみたいにみえるんどすえ*
訪問者数やコメント数に一喜一憂し誇らしげに自慢してはるお方もいてはることを知りました。そのお気持ちは察することはできるんどすえ。以前のアタシでしたらね。今は、チョッぴ違って、記事内容との正誤性がないのに訪問者数が異常に多く、コメント欄にお世辞おべっかが多いものは読みもせずにホップ・ステップ・ジャンプなんどすえ。
ウチのあんちゃんもアタシとおんなじことを感じてはるみたい。
「アホはアホで群れる習性のバロメーター指数表みたいやな」
て、言わはるんどすえ。ウチのあんちゃん、時々やけど、面白いことを言ったりおかしなことを言わはるんどすえ。言い得て妙やな~、て思います。
生きていくためには食べなければならないでしょう。食欲は本能の一つでもありますわ。性欲も睡眠欲も、そんな煩悩を書き込んでたら、お買い物にも行けまへんわ。その煩悩を満たしたいのか、あれを食べたこれを食べたという写真を貼り付けたブログや掲示板に出くわします。そんな訪問者もいてはるんどすえ。自慢してはるのに晩餐会やパーティーなどで並べられるお料理は食されたことがおまへんのんでしょうね。テーブルマナ-があり、食べる順番もあり、ボーイさんが順序どうり運んできてくれますけどナイフやフォークの使い方がおますえ。
はっきし言って、食べ物を紹介してるブログや掲示板からは下品なことを想像してしまいます。それを、ここに書き込む論理を展開するのは勘弁してくださいね。理由は、めっちゃめっちゃカンチンどすえ。
「めんどくせ~!」
と思ってるからなんどすけど、なにか~?!!
# ちなみにアタシは食して害がないものなら何でもたべます。好き嫌いがおまへん。お刺身も自分でさばきます。だからといって他人様に自慢しようと思ったことなど一度もないWA、わっわのわdosue !
-
No.963
*ワタシの独り言* 「…
2016/10/08 11:10
*ワタシの独り言*
「ひとりごと」(独り言)と題するブログや掲示板に出会います。
独り言と題しているのに公の場に投稿するのは論理的な矛盾を感じるし、どうして矛盾した行為をとるのか疑問に思ったことがある。もちろん苦悩するほどに深く考えたことはない。さらり、と思ったしだいである。
「独り言」に類する「日記」や「戯言」、「告白」「つぶやき」といったものもある。しっかりと読んでみようと思わない。ワタシ同様に人生のつまずきや淋しさがあるからではなかろうか。かと言って、ワタシに理解する力も抱擁力もないし、解決の手段方法などある訳がない。
苦悩する者は苦しさからの解放を求めている。苦しさや悲しさや淋しさしさからの脱出を試みようと様々なことをしてしまう。アルコールに溺れる者、薬物に依存する者、自分で自分の肉体と心に傷をつける人たちもいる。その一つ一つに理由と原因が潜んでいるのであろう。人に語れぬ深い理由があるのかもしれない。
との認識もしながら掲示板やブログを読まなくなったのは、そのほとんどが自慢バナシに帰結していたからかもしれない。なかには恋の悩み苦しみを告白している愛くるしい「女学生の日記」などもあり、ほんわかとすることもあるのだが、公にしてしまうのは、如何なものであろうかと思うものもある。
ロシアの文豪トルストイも日記を綴っていた。偉大な文豪が創造するフィクションではない純真無垢になって自分に問いかけ苦悩を綴り、ロシアの混沌とする社会の現状と時代を証言している。(補足ながら、奥さんを悪妻としてえがいている)。『アンネの日記』なども日本では有名なのだが、幼い少女の目に映るドイツ・ナチズムを描きユダヤ人のおかれた社会状況を生々しく証言している。時代を証言し、歴史を証言している。
#身辺雑感を述べる自慢話の日記とは、チト違うように思えるのだが――。
-
No.964
*目糞、鼻糞を笑う* …
2016/10/08 12:41
*目糞、鼻糞を笑う*
アマチュアの文士が書き連ねるブログや掲示板には愚痴や嫉妬が多いように思う。なかには中傷非難し差別することで優越に浸ろうとしている。
プロの文士の意識価値観は計り知れないが、そのような時間的物理的空白など無く、一心に創作活動をしているのだろうか。文学や絵画といった芸術に携わる人の美点かもしれない。
芸術とは縁遠いプロのスポーツマンは、己の肉体と精神に刻み込んだ身体能力と技術をもって、そのことを『芸術』と思っている。やや異なるのは肉体の衰えが即刻、解雇の理由となり生きていくための手段方法を失ってしまう。常に崖っぷちに立ち細い糸の上を綱渡りをしている。他者を非難攻撃する暇がない。いたとすれば二流三流のプレイヤーであろう。
プロの世界ではあまり見られないが、無料で投稿できる事もあってか、時間にもて遊ばれているアマチュア文士は差別をすることでご満悦なのであろうか。
#ハナシは変わりますが、ヤフーの運営管理に関わることを書くと、いつもジャンル投稿から疎外されているのだが、理由がわからずにいる。すでに5,6,7回ほどになっている。どうでも良いのだが、言論統制をしているのか、との疑問がある。
#二日も三日も過ぎ去った新聞記事を精読しているんであろうか、信頼できる新聞記事も、今、読んでしまうと学術的調査以外は読んだりもしないであろうが、そうでもない虚構の世界もあるようだ。
-
No.965
*チョッぴ疲れてきたナ~* ☂…
2016/10/09 08:41
*チョッぴ疲れてきたナ~* ☂
読まなくなったブログや掲示板やのにアホみたいに投稿して続けてまんがな。なんでやろう?どーしてかナ~?
やっぱ、やっぱで、やっぱかな~?
「アタシは、こんなにもうつくしいのよ」
「アタシは、こんなにも聡明なのよ」
「アタシは、こんなにも優しいのよ」
て、自慢ができるからやろうか?
書店に置かれている書物の名を二つ三つあげておけば賢くみえるし、お花の写真をベタベタ貼り付けておけば、こんなにもお花を愛好してる心優しい人なのよ、と言ってるみたい。著名な人たちの言葉を紹介しておけば、文学者哲学者みたいに振る舞えるルンルン気分にもなれるし――。
何にでもなれる。英雄にもなれるし愛国者にもなれるし、偉大な作家にもなれるんやけど、全てが嘘ぽい。虚構と虚像の世界でしかおまへんのんとちがう?
チョッぴ疲れてきたナ~
-
No.966
*どこの田舎から来たんや?* …
2016/10/09 12:19
*どこの田舎から来たんや?*
田舎という言葉は差別用語なのだろうか、そんな指摘をする書物があり、文化の遅れや商業工業の遅れを指摘していた。著書名は覚えていない。新幹線か飛行機に乗ると、座席にそのような雑誌が置かれている。
書き手は、花の都・東京で何一つ不自由のない生活をしている二流三流のモノ書きであろうか、うぬぼれることと自慢することは一流であるのかもしれない、と思っている。
海と山に囲まれた小さな都市に生まれたワタシは田園風景を知らずに育っている。電車に揺られ遠出をしないと黄金の稲穂が頭を垂れ、赤い夕陽沈む、絵画のような景色を見ることが出来なかった。小学校の低学年時の遠足で車窓に額をこすりつけて眺望していた。子供心に(きれいやナ~)と思った。
田舎という言葉は大きくなって覚えたと思うが、差別用語としての観念はこれっぽちもなかったし、大人へと成長するにつれて田や畑を耕す農業を知り、農業に従事する人々の結晶が黄金の稲穂を産みお米となり我々の胃袋を満たしてくれているという社会構造を知るようになった。そのためか、田舎という言葉が差別用語であると思ったこともなければ考えたこともない。
こんな会話があった。
カミソリの刃で有名な日本支社の中年ドイツ人とゲーム機でしられている大手の若手アイルランド技師がおしゃべりをしている。
「どの山から来たんだ?」(What mountain are you from ?)
と、強いドイツ訛りの英語で聞いていた。
学校えーごでは、「Where are you from ?」で教わっているのではなかろうか。めっちゃ丁寧なエーゴを学んでまへんか?
ワタシは面白がって、このドイツ人に、
「どの山のおサルさんですか?」
と出身地を問うてみたことがある。悪意があってのことではない。各自各様で自分の生まれた美しい故郷の山河が脳裏にあっての故郷自慢がしたくて述べているのである。
と、おハナシを肯定的で微笑ましいものにして書いているのだが、ブログや掲示板を開けるとランキングとやらがあり、訪問者数やナイス数を競っているものを目にしてしまうと、そんときに思わず、
(田舎者やな~)
と、つぶやいていた。
このことは、ワタシの中に差別意識が眠っていることを示しているのだろうと思い書いてみた。
-
No.967
*カンフー* ジャッ…
2016/10/09 19:36
*カンフー*
ジャッキー・チェン主演の映画がある。「Police story 3」「Shanghai knights」とJet Li主演の中国映画を鑑賞した。
う~ん? どう言えばいいんだろう?
思ったことを述べてみる。
チャイニーズイングリッシュ特有のアクセントをしているのにとても流暢な英語で映像との違和感がなかった。ビデオショップで借りたジャッキー主演のものは中国語で和訳されており、ストーリーも善と悪が闘う単純なものであった。酔えば酔うほど強くなる酔拳というカンフー映画であった。
カンフー映画を観ていて飽きてしまうことがある。それはワタシがカンフーを知らないからかもしれない。カンフー愛好家である方々にはまことに失礼なことを書くので、無知なる者の戯れとご一笑なさってくださいませ。
ワタシにはカンフーには動作が予め決められていて、右へ左へイチ・二・サン、右足三歩下がってターターター、くるりと回ってエイヤター、右手三回突いて二―ハオ!、てなワルツを踊っているように見えてしまう。現実の武術家というのは強靭な肉体と破壊力の高い鉄拳を持っているのだろう。
清朝の末期、アヘンを押しつけるイギリスとの高官交渉があり、義憤に駆られた清国代表の高官が、高圧で無礼な言動をとるイギリスの代表団一人に決闘を申し込んだ。ボクシングとカンフーの素手で闘う約束であった。ところが戦わずして拳銃で脳天をぶち抜いている。その後の清国は林則徐が国際法にのっとり英国との交渉の任にあたっている。英国代表団であるという「犯罪者」はアヘン密売の商人であることがわかっている。その名も記されている。作家・陳舜臣さんの書物に、このことが書かれている。
もうひとつのJET LI主演の映画もコメディータッチのカンフーなのだが、笑いがわからなかった。左右対称になる目や眉毛が一寸違わぬように配置され整った美しい顔たちをしている。中国人の美意識のなかに寸分たがわぬものを左右対称に配置し装飾するという美意識があると聞いた事がある。漢詩をつくるにしても対句を意識的に用いるし、部屋の装飾品も、そのように配置するらしい。
中国映画がハリウッドで製作上映されているのかはわからないのだが英語で演じてるところがおもしろい。日本の『水戸黄門漫遊記』をコメディー風にしてえーごで演じれば、どうなるのだろう。
-
No.968
*ほろ酔うと思っちゃうこと* …
2016/10/09 21:47
*ほろ酔うと思っちゃうこと*
夜になってグラスを傾けると、いつしかクセになってるのが、ほろ酔うこと。
チョッぴほろ酔い始めると、
「ほろ酔うて想いしは・・・」てな、上の句を考えたりするんどすえ。
なのに下の句は出てきまへん。
(なんでやねん! ボケ!!)
て、思うこともあるんやけどね。
チョッぴほろ酔うとサ-、いつも思うんやけど。
(おどりてーナ~!、キッスしてーナ~!)
と、これまたいつも思う。
https://www.youtube.com/watch?v=ycR-fsQrfWc&list=RDycR-fsQrfWc
-
No.969
*あのね、でんがなまんがな* …
2016/10/10 16:33
*あのね、でんがなまんがな*
月曜日はね、Kスーパーでは全商品が10%引きなんどすえ、ルンルン気分で出かけましたんや。ところが、でんがなまんがな、そんな気分などどこかへ行ってしまいましたワ。玉ねぎ一個が68円でしたんやで!どないなってまんねん!お~い、責任者出てこい!!、て怒鳴りたくなりましたんやで。今まではサー、三個98円どしたさかいカレーライスもお安くつくれたのに~~~!
ジャガイモも人参も高くなってはったえ。(値段は忘れちゃった)。
いくら高高給とりのサラリーマンでも生命をつなぐ食費が値上がってると栄養補給も思うがままには成りまへんのんとちがう?どないでっしゃろうか?
毎日が豪華なお料理で食卓を飾ってはると写真投稿をされてはるブログや掲示板のお金持ちのクソばば、クソじじには関係もなく影響もないんでしょうけどね。やぱ、アホみたいにワッハッハーと笑い、やっぱ、語尾に(笑)をつけてはるんやろうか?
んでも、なんでか羨ましいとは思へんし、なんでかアホに思えるのがチトおかしい。
#玉ねぎ一個の値段で嘆いている「眠れる森の美女アンポンタン・タンポン姫」より
-
No.970
*なんでやねん、て思ってること…
2016/10/10 23:49
*なんでやねん、て思ってること*
最近のウチのあんちゃん元気がおへんのんどすえ。雨の日にバイクもろとも転んだからかもしれへん。
お部屋のなかでは短パンをはいてはる。傷に触れると痛いからって言ってはる。
そこそこ、まーまー、ええ男なんやけど、もうひとつ何ぞたらへんのんやろうね。なんやろうか~?
一つやのうて二つ三つ抜けてはるんやろうか、もっとかナ~?
どないしたら、ええんやろう?
おせーて!
んじゃ
おねんねしますえ。
(*´・з・`*)チュッ♪
-
No.971
*お化粧をしてはるの~?* …
2016/10/11 10:41
*お化粧をしてはるの~?*
学生時に読んだ書物によれば、人がお化粧をするようになったのは害虫から身をまもったり、寒暖の激しい太陽の高熱から皮膚をまもったり、先祖供養のシャーマニズムや成人を意味する儀式や、狩猟や戦闘に赴く勇者の印として顔や身体に鮮やかな色彩でペイントしていた、と書かれていたと記憶している。太古の昔からのようである。
俳優さんや役者さんは役柄を演じるというお仕事のためにお化粧をしているのだが、このような目的から大きく道を外れてしまった風変わりで悪趣味なオッサンたちが女装をしお化粧をしているのを見たり聞いたりする。化粧をするのは何も女性特有の専売特許ではないようだ。
女性が化粧をし始めた起源も理由も太古のシャーマニズムと深い関わりがあるものと思われるのだが、近現代人がもつ美意識価値観がお化粧をする目的と意図を大きく発展させているのか後退させているのかはわからないが昔の化粧とは大きく異なっている。
女子中学生や女子高生が愛らしくお化粧をしてプリクラという簡易な写真を撮って楽しんでいる。この機器は撮った写真を好みに加工できるらしく、美しくお化粧をしたおとめごをさらに美しく加工化粧ができる代物である。細表顔、ぽっちゃり顔、目を大きくしたり、思うがままの加工ができる。素っぴん顔のものと比較した雑誌を見ると別人である。化粧とは、まさに「化ける」ことにあり、という現代人の美意識を表していると思った。
女性が化粧をするのが当たり前と思われているのだが、そうでもない女性もおり、短期であったが同じ職場で働いたことがある。化粧をしなくても美しい頬紅肌をしていたし、なによりも高貴な気品と品性で身を護っていた。
東京葛飾立石にある大きな商店街を友人に案内されて歩いたことがある。十代の女性であろうか、元気いっぱいで快活な言葉で働いていた。透き通るような美しい白い肌をしていた。お化粧はしてなかった。目と目が合って、ほんのチョッぴ見つめていたが、目を伏せてしまった。(きれいな人やな~!)と思った。
現代人にとって化粧をするのは当たり前のことかもしれないが、心は化粧できず、自然ににじみ出る品性や気品には勝てやしまへんやろう。
#文を綴るのも同じことではなかろうか。
-
No.972
*じじ様、ばば様へ* …
2016/10/12 07:59
*じじ様、ばば様へ*
昔のお年寄りは嘘っぽい威厳をもって「訓示」を垂れることで若者を恫喝するじじいが多くいた。今思えば、学無き者の能書きであることがよくわかる。どこかで聞き覚えた孟子孔子や論語の切れっ端を語って優越に浸っていたのであろう。「先生」と呼ばねばならない人たちに多かった。
父母を敬い、お年寄りを敬う、という長幼之序という道徳観は、中華の儒教思想が江戸初期の徳川幕府時代の日本へも流れ込んで来たのであろう。上級武士階級の必修一般教養でもあった。今風に言えば、武士として身につけておくべき「テーブルマナー」として履修させられていたものである。長州藩然り、薩摩藩然り、佐賀藩然りである。大小を問わず各藩校がマナ-のお勉強をしている。
江戸も後期に入ると教育熱も高まり寺子屋で文字を習得する下級武士の息子や富農なお百姓さんの子供たちが増え、行儀よく、「子、曰く・・・」と素読していたのであろう。識字率は高まり人文科学知識の花が咲き誇っている長所も見られる。
といっても訓示を垂れることがスキな先生は多く、明治以降からは教育勅語や軍人勅語を持ち出しては若者を恫喝し萎縮させている。先生と呼ばれる政治家や学校の先生の社会犯罪は後を断たず、その弊害いかに大きく多いことか――。
お年寄りだからといって立派なことでもなければ社会に貢献しているとは言えないクソじじ、クソばばもいる。全ての人がそうではなく極めて一部の人たちなのだがワタシたちは高齢化社会を迎えてしまった。
きわめて狭い世界のハナシなのだが、ブログや掲示板を開けると、ひとつふたつと訓示を垂れる少数の投稿が見られる。義憤に駆られているのだろう。当然のこととして「我が身をも振り返っている」と信じたい。
推測で述べるのだが、お年寄りと思われる投稿を見ると、若者への能書きは無いのだが若者への配慮も存在も眼中には全く無く、「お陰様で無事定年退職をした」「楽しい旅をし豪華料理を満喫」「心優しい娘息子に感謝」などなど、毎日が愛に溢れれ、このうえない幸福を得たことを皆様に感謝します、と述べている。モノを書くという行為をもって面識もない見知らぬ者たちへ論じるものであろうか。
昔のクソじじ、クソばばと今のクソじじ、クソばばの違いは何であろうか?
学べるものはあるのであろうか、それは何であろうか?
-
No.974
*ぴーちくぱーちく小雀大名* …
2016/10/13 08:29
*ぴーちくぱーちく小雀大名*
朝、朝、朝、また朝――。
喜んでいようが怒っていようが、悲しんでいようが楽しんでいようが、朝が訪れてくる。朝を迎えいれている。幾つ目の朝を迎えているのだろうか。
野に咲く名も知らない草花も人も陽が登れば朝陽の恵みを全身に浴び活動を始めている。身体の半分がを隠れてしまう赤やピンクや青や黒の大きなランドセルを背負ったちびっこ通学班がいるぞ。友の集まりを待っているのだろうか。じゃんけんをしたり、おしゃべりをしたり、ケンケンをしている。小さな夢と勇気と未来が大きなランドセルにはいっているのだろうか。
ぴーちくぱーちく小雀大名が通るぞ――。
-
No.975
*アホみたいにみえるんどすえ*…
2016/10/13 12:11
*アホみたいにみえるんどすえ*
満員電車のなかで見知らぬ人へ向かって、ご息子自慢娘自慢、恋人自慢をするのでしょうか。写真までとりだして見せつけてはる。酔ってるのかしら。アルコールを飲まなくても酔える<自己陶酔>というものもあるもんね。なかには、こんな本を読んだのあんな本を読んだの、とまくし立てている。書店勤めの小僧っ子さんが一生懸命に宣伝してはるのかしら。こんなん食べたぞ、と叫んではる方もいてはる。
鏡に向かって喜悦をあげながら自慰行為に励む「似非文学者」が多いのかしら?
車内が異臭で包まれてるみたい。
-
No.976
*ワテの笑いとガイジンさんの笑…
2016/10/13 18:57
*ワテの笑いとガイジンさんの笑い*1
『Mr.Bean's holiday』(ビ-ンさんの休日)というパソコン映画を観ていた。コメディーなのだが大笑いするものではなく、少し人の愚かさと哀愁を感じさせる。ハチャメチャな吉本喜劇を見慣れてる者にとっては物足りなく感じるのは、関西弁特有のダジャレがないからかもしれない。吉本喜劇では意図的に言葉を低俗化させたり下ネタすれすれをねらったりしているようにも思える。個人的には面白くないのだが、大衆うけはいいようだ。。
この映画は、無音声では無いのだが主人公のビーンさんのセリフはほとんどない。イギリスの片田舎のオヤジがクジに当たり初のフランス旅行へ出かけるおハナシになっている。言葉が通じないという設定なのである。食事をするにもタクシーを乗るにも身振り手振りのジェスチャ-で伝えようとする。理解をしてもらおうと必死になればなるほどジェスチャーは派手になりずっこけたり転んだりするドタバタ喜劇のようである。文化の相違を懸命に理解しようとするコミカルさがある。
主人公のビーンさんは日本でも名が知れた俳優なのであろうか。五年も十年も前に聞いたことがあるような気がする。雑誌や何かで写真もみているのかもしれない。世で騒がれる流行とやらに疎く当世風な人間でないことから大きな興味関心はなかった。巷では、すでに流れ去ってしまった「流行」に出会い楽しんでいるのであろうか。
つづく
-
No.977
*ワテの笑いとガイジンさんの笑…
2016/10/13 19:01
*ワテの笑いとガイジンさんの笑い*2
えーごでスピーチをしたことがある。聴衆は皆さん本物の金髪茶髪の紳士淑女たち。アマチュアのクラブであったが、あれよあれよと優勝してしまいタキシード着用のパーティーが催された。かなり酔っていたのだが、ワタシのえーごに聴衆がクスクスと笑いはじめ大爆笑をはじめた感覚を覚えている。
司会者が前触れもなくワタシを指名した。このチームのキャプテンを任されていたので挨拶をしなさいということであった。汗はタラタラ流れるは心臓の鼓動はパクパクと速くなるはの頭のなかは真っ白であった。下手な「えーご」で話すのが恥ずかしいというコンプレックスがあったからであろう。
やむを得ず壇上に上りマイクを手にとりブライアン氏のことを語った。一年間を補佐してくれたからである。毎夜毎晩、電話をかけては練習に参加出来る者、試合に出場できる人数の確認をしてもらっていた。彼を副キャプテンに任命し連絡網をつくらせ、金曜日までに報告するようにしていた。
そういう当たり障りのないおハナシをしていた。ブライアンが結婚して間もないことを承知で毎晩電話をするのは辛かったよ、とその労をねぎらう言葉を探していると、会場のあちらこちらから女性たちのクスクスと笑う声が聞こえてきた。(今になって思うのだが、お笑い芸人が欲するのは、この感覚ではなかろうか)。
ワタシの下手な英語も充分に通じている自信とお酒に酔っていた勢いと聴衆の笑いに気をよくして、
「今回の優勝はブライアンに負うところが大きく結婚しばかりの奥さんには多大なご迷惑をおかけし、ワタシの電話を嫌っていたでしょう」
会場はクスクス笑いからおっさんまでが笑っていた。
「この場を借りてブライアンをMVPに推奨し、そして、ささやかながら奥さんにもお礼がしたいので今晩いかがでしょうか?」
と言ってしまったと思う。(プレゼントをしたいという意であった)。
途中から司会者があわてて近づいてきてマイクを要求していたが、ノーと制止し、マイクがポロリと落ちるハプニングもあり会場が大笑いしていた。
イギリス人やアメリカ人の笑いは、ドタバタとする場面よりも、その場面に至るロジック(論理)を楽しんでいるのではなかろうかと思い書いてみた。

*ざつかん*☂ 愚者は…
2016/10/05 21:04
*ざつかん*☂
愚者は多くを語り多弁であるのだが、論理も論証能力は無く、自慢をしたがる。
賢者は寡黙で無口なようだが、確証あることを論理的に証明する。
文学は差別するために自己を誇示自慢するためにあるのだろうか。