ここから本文です

投稿コメント一覧 (233コメント)

  • >>No. 925

    しゃるび~さんへ

    ここをしばらく閉鎖しますね。
    あなたのことではありませぬのでわかってください。
    チョッぴ理由を書いておきます。

    1.掲示板には、「そう思う」と「そう思わない」がありますね。否定と賛同を意味してるようにも解釈できますが、何のためにあるのか理解できないものでもあり、不快感がのこらないでしょうか。賛同するなら賛同するで、反論をするのなら反論するなりの理由を論述し、客観的な視点でフェアに述べることのほうが良いと思われるのだが、ワタシの掲示板に二つ三つの「そう思わない」が見られます。精神の構築過程で公平性と客観性を学ばなかったのか実践できない人が安易で手軽に押しているのでしょう。そのように受け取っています。ワタシ自身は利用したことがありません。

    2.駄文であれ駄作であれ、それがおふざけであれ詩を吟じたり小説を掲示したりするものだと当初は思っていましたが、今はそうでもないように感じております。

    3.あなたの投稿文に「そう思わない」とクリックされています。ワタシではありません。

    #お昼ごろから、投稿記事を一つ一つ削除していますが、とてもシンドィ。
    #お元気にしておられますか?


    んじゃ
    (*^-^*)ノ~~マタネー

  • * easy day *

    The sky still shows off her summer blue with white clouds. It's a lovely day. And so
    Summer blue sky makes me warm and comfortable. New morning has just started.
    Please have a nice and easy day, and take your chance, take it easy.

    # Just to say "Good morning"



    https://www.youtube.com/watch?v=HgxsgHn-TZg&list=RDHgxsgHn-TZg&index=1

  • *携帯電話とたこ焼きが買えるzeyo!*


     東京五輪(パラリンピックを含め)にかかる費用は3兆円を超えるものになると都の調査報告があったという。詳細な見積もりと費用対応計算の内容はわからない。古代ローマオリンピックから先日終えたリオ大会までを経済学の側面から総括したレポートもあるはずであろう。都の職員は、それらの資料にも目を通し、その上で調査報告をフエアに行っているものと信じたい。

     一方で、ワタシの頭のなかでは、(三兆円て、やっぱ、大金なの?)と思っていた。10個300円のたこ焼きを買うとしたら何個買えるんだろうか、大型トラック数百台で配達してもらうかもしれない、お部屋のなかに運び込めるんだろうか、運び込んだとしても、朝から晩まで、たこ焼きだけを食べてるのはチトアホっぽい、と実感が湧かない天文学的な数字である。東京都は、その費用をどのように産出するのか、駅周辺3KM以内歩行税てな税法が都民におっかぶってくるのだろうか、と考えていた。

     つい先日、国民年金の運営資産の損益が10兆円を越しているニュースがあったばかりどすえ。この10兆円という数値からすると3兆円は足元にも及ばない小僧っ子数字、10-3=7兆円も優っているやおまへんか、という錯覚に陥ってしまう。年金を眠らせておくのはもったいないということで株なんぞに投資するという発想は自分のお金ではないから着想できたのであろう。着想発想も軽ければ責任も軽いのであろうか、責任の所在も責任もとらないかのようでもある。

     ワタシは携帯電話を失くしてもっていない。必然性がないので今のところ欲しいとは思ってない。雨の日の秋の夜長になると、時折、おしゃべりがしたいナ~とおもうことがある。そんときだけ、(けーてーわんで)が欲しいと思う。上述した消えた10兆円の年金のなかに、ワタシのお金が入っていたのかもしれないと思うと、めっちゃめっちゃハラがたってまっせ!!


    ほんまにアホちゃうか!
    ボケ!ぼけ!!ボケ!!

  • *ブログ,掲示板の世界の一断面*


     嘘がつける、自慢ができる、詩人にもなれる、作家にもなれる、美術家にも芸術家にもなれる。革命家にも成れれば英雄にもなれる。そんな夢と幻影が実現可能なブログの世界であるのに基盤として信頼できるものが感じられない。うぬぼれと偏見と自慢、暴言と傲慢と差別と脅迫、虚像と虚構の世界をもとめて人は集まり群がり呻吟しているかのようだ。

    (*^-^*)ノ~~

  • https://www.youtube.com/attribution_link?a=iIKX8aqYx4U&u=/watch?v=c0i8Q_7s9XI&feature=share


    *beieveと惚れる* 

     この二人の歌唱力、音程の幅の広さ、伝えようとする詩の理解力、そして聴衆の心のなかに訴える明瞭な発声と音楽的センス、次元の高い実力に驚き感動してしまう。

     この歌詞の全訳はあるのだろうか、なければワタシが訳してみようかと思いながらためらっている。いくつかの語に躊躇しているからである。

     ここに歌われている<believe>は(信じる)という訳でいいし日常生活のなかでも使われるのだが、これが信仰化し信念化し宗教的解釈も成り立ってしまうのである。

    「I love you」(愛している)という表現以上の表現を日本語で探せば「惚れている」という語が頭に浮かんでくる。身も心もとろけてしまうのである。このような心理状態にある者は惚れた相手を自分の命のように愛する。自分が感じるこの世の喜びを伝え分け与えようとする。精神的にも肉体的にも自分以上の喜びを知ってもらおうとする心理運動をもつに至ってしまう。自分以上に惚れた相手を愛してしまうのである。<惚れる>という言葉は<愛する>という心理行為を超越するのである。なかなか出来るものではない。

     ここでいう「I believe you」「when you believe」とは、そういった愛の信仰化信念化を述べており、文中に出てくる「miracles」(奇跡)と結ばれ歌の世界を<宗教化>していると思い、訳をとるのを躊躇し戸惑っていた。

     一般に英語では、believeに類似する語としてtrust, depend, relyを用い、頼るとか心を許すという意味があるものを使っているようだ。しかしながら, 「I believe you」という人生体験をお持ちの方がいるのならば、敬意をもって羨望してしまう。

     歌詞を載せておきますが、とても素晴らしい歌詞であり、素晴らしい歌唱でありますよ。

    #ちょい酔っぱのなかで

  • *How to 思考では、ムリかもね*


     本を読み感動してる書店の小僧っ子は本を読めば、プロサッカ-選手にでも成れると思ってるのかしら?
     100年かかっても無理だべサ~!、自慢がしたいのかしら?

     書物は多弁ではあるんやけど、水に触れた時の冷たさや転んでヒザをすりむき血が流れ痛くて泣きそうになり、そして生きてるという実感はおせーてくれまへんで。

  • *『思うこと』を思いながら*


     あの人、アタシの関西弁というのか京都弁をわかってはるんやろうか、えーごでないとあきまへんのんか?ちっともお返事くれはりませんね。なんでやねん。アホちゃうの?

     アンタがえーごで書いてはったさかい、えーごがわかりはるんやと、ずっとず~っと思ってましたんやで。そやのにナンもお返事がありゃしまへんがな。どう思ってますの?ボケ!!

     思うことを書こうとしたら、こんなものしか思うことがおまへんし、アンタの「思うこと」を読んでみたけど、はっきし言って、へたっぴーどすえ。んでも、めっちゃ新鮮で、めっちゃ個性的で、めっちゃ惹かれてしまうんどすえ。

     なんでやろうか?、どうしてやろうか?
     んぶた(たぶん)、自分で考え、自分の言葉で、素直な気持ちを書かはってるからかもしれまへん。パクリやおまへんし、ヨソ様の文体をなぞったり真似たりしてまへんさかい安心して読めるからかも知れまへんな~。チョッぴ褒めすぎかもしれへんけど、やっぱチョッぴねのチョッぴねかも。

     結語を書かなきゃね。
     思うことを書いてるアイツはあんちゃんが思ってる思う人なんやろうか、と思いながら<思うこと>を書いてるんやけど、思うことって自由やし勝手に思うことも出来ますさかいに、やっぱ思うことって単に観念的なものではおまへんやろうかと思う。そんなことを思いながら<思うことを>書いてみましたんや。

    お元気?

    んじゃ
    (*^-^*)ノ~~マタネー


    #ちょい酔っぱのアタシから。

  • *ぐつどないと!やで~* 


     夏の高校野球開幕とリオオリンピックの放送が始まった時期にテレビのブラウン管に亀裂が生じ正常な映像が観れませんでした。購入しようとしたところ、それが、でんがなまんがな、パソコンでテレビが観れることを知り、テレビを買うことを控えました。なんら問題なく綺麗に映ってますよ。ところが、でんがなまんがなパソコンを使っている間はテレビが観れまへんのんどすえ。かといってチッとも困りませんえ。あんましテレビは観まへんし、観るとしてもスポーツ番組ぐらいなんですよ。

     てなことを言っておりまするが、たまに国会中継を観ながら野次を飛ばしたり、アホちゃうとため息をついたりして楽しんでいたのでがんすよ。んが、今国会中継は見てまへんのんや。おかしなことなんやけど、国会中継をみれなかったことへの心の起伏は何もなく、今日という一日が昨日と同じように過ぎ去っていく当たり前の事実を当たり前にうけとっているワタシを考えていた。イライラすることのないワタシが存在していることに気づいた。政治に興味関心が薄らぎ「遠のいたのではなく、ワタシは法を立案する政治家ではないという極めて当たり前の事実に気づいた発見があった。国会の論戦に参戦できるものではないということの事実である。なぜかしら、そのことのほうが嬉しく思えた。

     いっちょまえにテレビを買おうかナ~と思っていたが、しばらく買うのを再び控えてみようと思い、こんなことを書いているのだが、<けーてーでんわ>も買い控えているものの一つなのでごわす。必要なのだろうかと今だに迷っている。

     秋の夜長、チョッぴお電話をしたくなるね。
    「もへもへ~、あーし、あーしよ、わかるりこんこん、こんばんWA!の、わっわのわでごわす!」
     て、ケーテーワンデがしたくなる時もありまする。するするゾ~、でんがなまんがな!


    #ちょい酔っぱで言行不一致で、どーしようもねーなと思うワテでがんした。


    んじゃ
    (*^-^*)ノ~~
    おやちゅめなすっておくんなましっておくんなませ~~~

    ぐつどないと!(*´・з・`*)チュッ♪

  • *『日本の歴史11・戦国大名』を読もうとしたのに* 

     昨夜はとてもよく眠れた。熟睡ができたのかもしれない。十時間以上は眠れたのかもしれない。寝すぎのような気もするが、なんとなく身も心もスッキリ・クッキリとして爽やかである。睡眠の大事さとよく眠れたことへの嬉しさがありまする。

     あまり読書をしないワタシなのだが時折ベッドへ書物を持ち込み読書を楽しもうとすることがある。昨夜がそうであった。持ち込んだのは『日本の歴史11・戦国大名』杉山博著(中央公論社)である。ところが、どっこいどっこいしょで、でんがまんがな、二三行も読まずして寝入ってしまったのである。魔法にかけられた森の眠れる美しいお姫様になってしまうので御座候。(てな感じやけど、ワテの寝相からして眠れる森の醜いアンポンタン、タンポンであろう、そう思う)。

     世界史のなかで日本の戦国大名史をとらえると、日本特有の特異な封建時代が浮き上がってくる。
     戦国大名の研究は、明治政府樹立後の軍人や政治家によってすすめられ、陸海軍では戦略戦術の教材として講義され演習訓練をおこなってきたものである。後の明治二十七年から大正十三年にかけて『日本戦史』(全二十八巻)として参謀本部で編集刊行されている。

     軍人が政治に関与するようになった大正末期から昭和の初めの頃になると、戦国大名の統治能力。民政能力、教養面をとりあげ、軍人は、すぐれた民政家であるという裏付けをするためにも利用されてきた。軍人の大陸進出にともない戦国大名の外征史領国統治を美しく語りはじめ、日本軍人の模範として政治的に喧伝されてきたものでもある。

     1945年の終戦は、これらの軍事的研究から解放され、純粋な学問として戦国大名のありのままの姿を国民の前にあらわす研究がなされている。日本の封建制度の成立の過程で、戦国大名がどんな役割と働きをしてきたのか、歴史的位置ずけと評価が成されはじめている。(残念ながら、質・量ともに一般化普遍化されてはいない)。

     数冊の歴史小説を目にしてみたが、歴史のエキスを我田引水しているものに出くわし、興醒めることもあり楽しくはなかった。

     ベッドのなかで本を開く前から、そんなことを考えていると数行も読まずして、いつも眠ってしまう。

    #書物は、ワタシにとってモーツァルトが子守唄をかなでてくれているかのようである。

    んじゃ

  • *あのね、どすえのどすえはどすえどすか?*


     夜の八時を超えると生鮮食品のほとんどが半額になるんですよ。お刺身などは100%の確率で半額ですよ。たんまに30%の赤札の時があるんどすえ。その理由は値札を貼るおじいちゃんの手作業が遅いということに原因があるみたい。このおじいちゃんの時は、(ん、も~う!)て、牛になってつぶやいてしまうんどすえ。いつもは若い人がタッタっタて素早く手慣れた手つきで貼っております。

     この若いにいちゃんとほんのチョッピ立ちバナシをしたんでっせ。
    「へ~、サンマをさばけるんですか、しかも三枚におろして刺身にするんですか」
     と驚いてはりましたよ。この若いにいちゃん生鮮をあつかってはるのにサンマをさばいたことがおまへんらしい。ワタシはチョッピ有頂天になって、ちおっぴおふざけもしてみたんや。
    「そうよ、ズンポでいただくのよ。お酒のアテに最高ですよ」
     と、言ってみた。

     そしたら、この兄ちゃん、スケベ面してニタニタと笑ってはった。すぐさまピンときましたよ。ワタシが言ってる<ズンポ>は<ポン酢>のことやのに、この兄ちゃんはちがうことを想像してはった。その兄ちゃんの想像を分析すると<ズンポ>の<ズ>のところに<チ>を置き換えてはると思いました。そうすると<ズンポ>が<・・・>になってしまう。関西弁がわからないと理解できはらへんかもしれませんが、とても卑猥な言葉で男性の一物を述べるスケベな俗語になってしまうんどすえ。

     笑いにもいろいろな笑いがおますけど、スケベ笑いはねっとりして下品で、何かを隠し持っているようで不気味でもありんしたよ。ワタシのおふざけを、そんな風にとってはったと思うのでござりまする。アホちゃうか!

     ところで、チミ住む町では、どう言うでっしゃろうか?

     おせーて!

  • *一人ほろ酔うて*☎

     
     秋も深まり人恋しく・・・、てな書き出しをしてみたくなりまへんか?
     秋を修飾する言葉もたくさんありますさかい、読書の秋とか芸術の秋とか、食欲の秋とか、つくろうと思えばいくらでもつくれそう。作れそうやけどワタシには縁遠いハナシやモノばかりで、つくる気もなければつくる気もしまへん。みなさんのように秋を楽しむ心の余裕というものを持ってないみたい。秋に関わらず、春も夏も秋も冬も、四季を愛でる精神のゆとりと豊かさがおまへんのんやろうナ~、お金もおまへんけどもね。ほんま、どないしたらよろしおまんねんやろうかね。

     戯れに、「ほろ酔うて想いしは・・・」と上の句を考えても下の句は永遠に出てきそうもおまへんナ~、どっこいしょのどっこいしょのどっこいしょ!、でんがなまんがな、やで~。

     けーてーワンデを買っちゃおうかナ~。
    「ワテがワテというもんだす。ワテというのは大阪弁でワタシということでんねん。そのワテが大阪のあきんどの街ワテで生まれ、このように商いをさせてもってまんねん」
    「そーどすか、ワテワテとなんべんも言わはるもんやさかい宇宙のワテ星から来はったワテ星人かと思ってしまったんどすえ。ウルトラマンやゴモラやゼットンとお友達かと思ったんどすけど、どうなのかしら」
    「グワッはっはっはっ、おもろいこと言いまんがな。で、コイさん(お嬢さん)の御名は何と」
    「ワテどすか、ワテがワテだ、のDengana Manga Dosue's Ne-Chanと申しますんどすえ」
    「けったいな名前でんな」
    「そうどすか」

    ちょい酔っぱといえど、意味のないことを書いてることには気付いておりますが、この秋の夜長、誰かさんとおしゃべりがしたくて、こんなことでも書いているので御座候。でんがなまんがな!

    んじゃ
    おやちゅめなさ~い
    (*´・з・`*)チュッ♪

  • *こどもたち*

     数ヶ月も前のことで月日も定かでないのだが小学生のラグビーの練習風景があった。ちびっこおんなラガーたちの勇ましくか弱く愛らしいプレーが見られた。休憩時間に入ったのか子供たちはワタシのサッカーボールで遊びたがっていた。条件として、ワタシのドリブルからボールをとらねばなりませんよ、と付け加えた。ちびっこたちは、ウン!との元気良いお返事をし、五、六名でとり囲み追いかけてきたが、ワタシも半分はおふざけで半分は真剣になってフェイントを入れボールをリフティングがしたり、マンチェスター流の<また抜き>を披露して遊んでいた。(また抜きてわかります?説明省略)。

     それを見ていたちびっこ監督さんがおハナシをしてくれた。おハナシによると、日本のスポーツ界に女子のラグビ-文化を広げるために活動をしているとおっしゃっていた。女子のラガー人口も増え、<ジャパン・桜>という大人の女子チームもあると述べられていた。先のリオオリンピックに出場をはたしたラグビーチームであることを後でわかった。アマチュアの学生、教師、OLたちで結成されている。

     練習場所が変更になったのか、ちびっこ女子ラガーの姿はみられない。
     テレビで高校野球が放送されれば公園では野球をする団体が現れ、テニスが放映されればテニス選手が増え、サッカーがテレビ放送されれば、わが町の公園はサッカー選手であふれている。その刹那的な流行に一億人が一人の如し右へ左へと流され動いているように感じる。

     線香花火のような刹那的で短な楽しみ方からは多くを体得できそうでもないようだ。生まれ持った運動能力を秘めた者もいる。しかしながら、人間は先天性な能力よりも後天性の生き物で家庭や社会環境で大きく成長しているのである。

     言いたいことを要約してしまうとプロ・アマを問わず、スポーツは継続するなかで目に見えぬ何かを体得している、と述べたいのである。それが何であるのかは個人によっても異なるであろう。老いて健康のためにという限定されたスポーツにも言えないだろうか。

     ワタシは頚椎を痛め、やむなく泣きながらサッカーを諦めざるを得なかったが、人生の三分の二ほどの時間を費やすることができたスポーツでもある。。クソ生意気なことを言うようだが、物事は何事においてもフェアであるのが善いという物の見方・考え方をこやつに教わった気がしている。

  • *思想への酔っぱらい*

     「愛国」精神、「英雄主義」という言葉を使っている掲示板があった。辞書を開き、この言葉の社会的汎用と定義を知り、ワタシが思い描いている語感との相違を述べるのも一案であるのだが、そんなことをしなくても小説の一つや二つを読みこなせる義務教育を受けていれば誰しもが、その言葉の意味を理解することができよう。

     中国の古文書を開いてはいないのだが遡れば秦の始皇帝時代からすでに用いられていた言葉であろうと推測する。小さな国々が割拠し離合集散を繰り返す国盗りの戦国史があるからである。調べて述べているのではないので確証はないが、江戸後期における日中関係を知ろうとず僅かばかりの中国史資料を集めていた頃があった。そのなかに中国の近代革命の父と呼ばれる孫文の演説や著作物もあり和訳ながら愛国を叫び、中国には英雄が求められているという演説趣旨が載せられていた。

     日本では江戸後期の尊王攘夷志士が嘆き悲しみ「愛国」「英雄」という言葉を用いて、美しい日本の山河を涙のなかで吟じ、攘夷敢行の排外思想を美しく詩にしている。若い頃の高杉も木戸孝允もく久坂玄瑞久もそうである。激高し咆吼し、英雄として愛国を謳っている。これらは日本の思想史のひとつとして「尊王攘夷思想」が哲学思想としての研究があっても良さそうなもおなのだが研究は為されているのだろうか、勉強不足で申し訳ないのだが今日に至るまで手にしたことはない。

     書物の上でのワタシの感想を記しておきたい。
     日本の右翼左翼も漢字を用いる漢字文化体質があるのか、勇猛果敢な表現は、まさに文字どうり、英雄・愛国者気取りが憂国を憂い、過剰なまでに高ぶる気持ちを鎮めるために用いる思想的自慰行為の文学表現であり、きわめて酒に弱い自己泥酔の酔っぱらいアレルギー体質をもっているのだろう。

     ・・・と締めくくりたい。

  • To Miss. Dengana Mangana Dosue's ne-chan

    Do you have the same cakes as you had yesterday ?
    There were 4 cakes in the picture, weren't there ?
    Are you OK ?

    me?
    me also I like cakes Dengana Mangana.

    Anyway, don't have too much.

    PONPON GA PONPON DE PONPON DOSUE !

    good night.

    OYACHUME.
    (*´・з・`*)チュッ♪

  • *As usual な日曜日*


     気候や天候は私たちの生活に大きく影響している。農業を営むお百姓さんや荒波に揉まれながら漁をする海の男たちにとっては死活問題でもある。晴れの日もあれば雨の日もあり、強い風で木々は飛ばされ家屋の倒壊もあり、頬に触れる柔らかなそよ風に誘われおしゃれをして外出する日もあろう。凍てつく冬もあれば、酷暑の夏もある。きのう、きょう始まった珍しいことでもなかろう。太古の昔から人は雨に泣き、また雨に喜び、生きていくがための労働に従事し、豊かな社会を構築してきた。自然現象に泣かされながらも自然に依存もしているのである。

     肌で感じうる自然界の天候なのだが、ブログや掲示板では月の変わり目もあってか、あそこにもここにも雨霰の如し気候のおハナシをしている。暑いの、クーラーをつけたの、10月ですね、と書かれている。身辺雑事や身辺雑感は文学ととしての芸術的なものへと昇華しにくいものであるのに文学ジャンルへ投稿なされている。あまりにも多くの人が同じような天候気候の記事をかいているのを見ると、そのことのほうがまさに天変地異のように驚いてしまう。

     雨の日にバイクで転びケガをしたヒザとヒジの傷も治りかけ痛みは消えた。
     大阪・中之島へ出かけてみようと思っていたのに、しっかりと忘れてしまい、陽はとっくに沈み、お買い物も終え一人手酌のほろ善いになって思い出している始末である。理由として考えられるのは美術館で秦の始皇帝時代の兵馬俑を見学したところでワタシの生活に何らの影響もないからであろう。雨や酷暑だという天候気候のほうがワタシの生活に直接的な影響を与えている。

     もう一つ理由として考えられるのは、一人で出かけても楽しくもなかろうという消極的な姿勢にあるものと思う。


    #まー、そんなんやあんなんやで今日も日暮れてしまったということで御座候。
    でんがなまんがな!

  • *モノを書く行為* 


     「モノを書く」には書くための、それなりの情報や知識を備えておかねばならず、その知識や情報を吟味精査する作業するプロセスをとっている。そのためには質の高い信頼できる情報と裏付ける論拠を確保しているものであろう。情報をインプットする量と質がモノを書く準備段階で行われているのだろう。

     インプットした情報はアウトプットしたくなる。アウトプットするための表現技法も求められるが、むしろ伝えようとする内容と中味の重要性が主観に陥らず客観的な立場で書かれているのかで作品の善し悪しもきまるのであろう。底流に豊かな文芸思潮がとうとうとながれているものであろう。そして、その文芸思潮には時代を証言できる論述能力と社会を証明する客観的情報を集約論証する能力も求められよう。そういったプロセス通して記事や作品は創作されているのであろう。

     そのように出来ないがゆえに、花鳥風月を愛でてみたり、お子様自慢お孫様自慢をしたり、お花を貼り付けたり、自慢バナシをしたり、私信のやりとりで著名な作家や著作物を述べ読書量と知識量を誇ろうとしているのであろう。情報収集するインプット段階で問題があるのかもしれない。

     情報をアウトプットするということは、その段階で書き手の内面世界の品性が問われてもおり、さらけ出された記事情報に嘘や過大評価がないのか第三者によって常に評価されているのであろう。金銭収入のないブログも掲示板も同じではなかろうか。

  • *ヨンパツ(散髪)* 

     これを書くにあたってタイトルを1、「頭を切りました」2、「髪をカットしました」3、「カットしました」の三つを考えたのだが、1の「頭を切りました」では中世フランスのギロチンという処刑台に登ったみたいだし、2の「髪をカットしました」では髪を肩や腰あたりまで伸ばしてる美しい女性のような響きがあってなじまないし、3の「カットしました」ではテープをカットしてるのか紙をカットしてるのか、何をカットしてるのかが明瞭でないと思い、しばらく考えていた。

     理髪店や美容院へ行く時は、目的がはっきりとしてるので、「カットする」「散髪をする」で当方の意思を容易に伝えることもできよう。ワタシは100円ショップで買ったクシ状のものでx火勇魚カミソリがついているもので髪に沿ってブラッシングするだけの我流の髪切りをしている。雨の日や退屈な時にカットをしている。

     若い頃は高いお金を払ってサイドバックにしていたのだが、どうしてか、今はヘアスタイルにこだわりがなくなっている。と言って見苦しく不潔なのもイヤなので自分で短くカットしている。そんなに見苦しくないと思う。(まー、自己採点ですがね)。近所に1000円散髪屋さんが数軒ありますがスキではない。

     床屋さんや美容院では8000~13.000円ほどを払ってたと思う。定かな記憶でもないし十年は軽く流れてるので現在の価格もわからない。が、間違いなく一万円はうかっているものと思う。鏡にワタシに向かってパチンコへでも行かない?、と誘っているのでござります。

     夕刻にカットをしシャワーを浴び、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出してパチョコンと戯れていると眠ってしまった。バスタオルいっちょうのスッポンポンでござりました。寒くて起きました。

     今はパンツをはいておりますよ。

    #てなアホみたいな一日どしたんや。


    ちゃんちゃん

  • *文章美人になりて~!* 

     街中を歩いているとハッとするような目の覚める美しい女性とすれ違うことがある。なぜかしら心がときめく。とても爽やかで、その日の一日が爽快感につつまれている。思わず振り返っている自分に気づく。

     文章もそうではなかろうか。
     そんなドキがムネムネする文章美人になりたい。


    #けばけばしいお化粧をした人は、けばけばしい化け物に見える。

  • *Religeon*

     飛行機に搭乗すると、スチュワーデスさんが小さな黄色い用紙を一人ずつに配っている。簡易なもので名前(Name), 国籍(Nationality)、性別(Sex)、宗教(Religeon)を記入させている。国内線での経験はないので国際線だけのことかもしれない。

     どうでもいいようなものとも思え「宗教欄」を空白にしておいた。ところが隣席のちびっこレデイーが不思議な面持ちで、「ここに、書かなきゃダメよ」とお叱りをするのである。フランス人形のような愛くるしい金髪をした5、6歳のませたガキなのだが、その隣の母親に告げ口をしていた。

     その母親によれば、
    「飛行機が安全な乗り物であるのは期待していますが何が起こるのかわからないでしょう、事故があるかも知れないし、墜落するかもしれないし遭難するかも知れないでしょう。そういう場合に身元を確認したり、宗教に準じて葬儀を行うので宗教欄に書かせてるのよ。優先してくれものですよ」
     と、教ええくれた。

     しばらく考えて「Buddhisit」(仏教)と書き込んだ経験を覚えている。若い頃のことである。若い頃のことといえど、なぜ空白にしておいたのか、宗教とは何でるのか、ワタシにとっての宗教とは何であるのか、を再考してみようかと思い書き始めている。

     鎌倉期の兼好法師が述べる「仏道」が何であるのかをも考えてみるのだが、ご本人は至極当然なるものとして書き綴られており、今日のワタシからすると説明不足ですよとも思われる。「鎮護仏教」が背景にあると解釈すれば法師様の論述にもいささかの反論がしたくもなるものである。

     空海や道元や親鸞を引っ張り出したり、本家本元のお釈迦様の「無の思想」や「悟り」が語られている書物にも触れるが、物欲画約我欲旺盛なワタシには理解することも近づくこともできない。理解することも出来ない者が論じれる筈がないのである。

    #お酒に酔いながら書くテーマではないのに書き出してしまった。
    ちょい酔っぱではない、かなりの酔っぱのなかで――。


    今夜はここまでにする。

  • *夢をみた*


     夢のなかのワタシは大きなバスの運転手をしている。京都へ向かっている。運転をしながらガソリンメーターがほぼゼロを示しているのだがポケットにはお金が入っていない。

     バスの運転をする羽目になったのは、父兄でもないのに小学校の運動会を見学していると、酔っ払ったおっさんが乱入し、席に座って元気いっぱいに応援している子供たちに暴言、罵声を浴びせながらナイフを振り回し、子供たちを殴っているのを見て、居てもたってもおられず、この酔っぱらいのオッサンにケリ(蹴り)を入れ右ストレートパンチをいれたか。このオッサンは子供たちを送迎する優しくて親切な学校の送迎バスの運転手なのである。

     蹴りをいれたとき、オッサンの足からポキッと音がしたので骨折したのだろう。ご父兄方が幾重にも取り囲み、これまたわんやわんやと罵声を浴びせていた。問い詰めると、愛娘がいじめにより精神を患い苦しんでいる姿を見るのは家庭崩壊をもたらし、いじめた奴が憎くて殺してやろうと覚悟を決めて入ってきた、と叫んでいた。

     罵声は止むことはなかったが、警察へ突き出すことで事は一件落着したのだが、子供たちを送迎する運転手がいないのである。名乗り出るものがいないのでワタシが運転をすることになったのである。



    #夢のなかでも思ったのだが、普通自動車免許しかもってないのに、これでいいの?、との疑問はあった。

本文はここまでです このページの先頭へ