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投稿コメント一覧 (3056コメント)

  • 掲示板が終りという事で続きは5ちゃんねるで。
    ここと同じ「高天原にある卑弥呼の墓」というスレッドを立ててます。

    昨年5月頃、何度も訪れてる高天原(御所市高天)で、
    「卑弥呼の墓の殉葬された奴婢って土蜘蛛か…」と突然閃きました。

    日本でここ以外に明確な奴婢埋葬痕跡が有る場所はない。
    私は「見つけた」と思ってます。

    奴婢埋葬痕跡がまったくない箸墓説者、馬鹿ではないかと思ってます。

  • 庄内0  AD177+18   纏向石塚
    庄内1  AD222     二口かみあれた
    庄内2  AD240     下田
    庄内3  AD258     二口かみあれた
    布留0
    布留1
    布留2
    布留3
    布留4  AD389     宇治市街 須恵器

    庄内3が年輪年代でAD258と出てるのだから、
    布留0古相時期に建造開始の箸墓がAD258より古くなることはあり得ない。
    つまり箸墓はAD248に死亡した卑弥呼の墓ではない。

  • 920日本@名無史さん2019/01/25(金) 12:19:29.10
    7世紀に蘇我が敗れた。

    蘇我の出自は高天原のある葛城。
    つまり本来の天孫とは蘇我であった。

    しかし蘇我が敗れた。
    そして瀬戸内海洋民の物部ごときが天孫を名乗った。

    921日本@名無史さん2019/01/25(金) 13:44:27.33
    蘇我は一応「皇別氏族」に分類される。

    しかし神武天皇の末裔なんて言われても嬉しくなかっただろう。

    高天原に住んでいた出雲系の神々の末裔、それが本来の蘇我の姿だ。

    神武なる男は高天原では下界の黄泉の国で奴婢を束ねてた男。
    それが証拠に神武の住んだカシハラは今も奴婢の末裔が住み、
    日本の部落解放運動の原点となる水平社博物館がある。
    それは神武天皇社の隣だ。

    https://www.progoo.com/bbs/data/himehultukenn/img/40_tn_61c33f808a.png

  • 卑弥呼:Bēi mí hū / Bei1 mi2 hu1

    古事記表記の比咩后(Bǐ miē huh)、比売后〈Bǐ mài hòu〉

    さしずめヒメ后といったところであろう。
    ヒミコのコが后( huh)という可能性がある

  • 画像が小さく分かりにくかったですね。

    加茂岩倉と兄弟銅鐸である淡路の松帆銅鐸が炭素測定でBC4世紀~BC2世紀。
    この時代に出雲の神々の流竄があった。
    流竄した理由はBC3世紀、海の向こうで始皇帝が超大国「秦」を建国したことでしょう。
    想像を絶する数の軍隊を持つ大国と対峙するために出雲の神々が立地的に安全な大和盆地を中心とする畿内・中部に移住した。
    そして筑紫、瀬戸内に防人を配置、その防衛線は半島南部にまで達した。
    だから筑紫、瀬戸内から出る青銅器のほとんどが銅剣、銅槍など武具であるわけです。

    こんな状況で筑紫に女王がいるわけなどない。

  • >>No. 7670

    > 大和地方への移住
    >
    > ①出雲から大和へ・・・大物主
    > ②吉備から大和へ
    > ③筑紫から大和へ・・・饒速日
    > ➃日向から大和へ・・・神武


    ①出雲から大和へ・・・大物主
    ②吉備、筑紫、播磨。讃岐から大和へ・・・饒速日
    ③日向から大和へ・・・神武

    出雲から大和へというのはかなり古いです。
    それは加茂岩倉や荒神谷の銅鐸の拡散からBC3世紀ごろと推定されます。(画像)
    この頃、故・梅原猛さん風に言えば「神々の流竄(るざん)」があったようです。
    出雲の神々の流竄です。
    今でも各地にカモ、カミ、カマ、カン、コウ、クノ、クヌなどの地名を残してるようです。

  • 天照大御神が卑弥呼なら2世紀末には即位してた。
    その「娘世代」の万幡豊秋津師姫がトヨなら時代が合わない。

    AD248年、かなり高齢まで生きた卑弥呼の死後に一度男王が立って国乱れ、
    そして13歳のトヨが即位だからね。

    卑弥呼が20歳の時をおおよそAD200年
    トヨが20歳の時をおおよそAD260年

    約60年の時代差がある。
    これは約3世代、曾祖母つまり「ひい婆ちゃん」の世代だ。

    ハイ論破、安本説はもう無茶苦茶。

  • 現代中国語でのピンインでの表記
    卑弥呼:Bēi mí hū / Bei1 mi2 hu1
    (俾彌呼:Bǐ mí hū / Bi3 mi2 hu1)

    今のところ卑弥呼の発音に関して日本側の古事記表記の比咩后(Bǐ miē hòu)、
    比売后〈Bǐ mài hòu〉以外には類似する名称は存在しない。

    ビミホなんて人は古代日本にいない。
    考えられるのは「hi」、つまりヒミ、ヒム、ヒメに関わる名前。

    ならば
    ひめこ(日女子、姫子) - 駒澤大学教授の三木太郎の説。
    ひめこ(比咩子、比売子) - 古事記における音読み表現
    ひみか・ひむか(日向) - 松本清張が唱えた、日向(日向国)と関係するとの説。
    ひみか・ひむか(日向) - 原田大六、古田武彦が唱え説。

    このあたりになりアマテラスの別名ヒルメであるという安本説は音韻的にも消える。
    さようなら。

    そしてヒメ、ヒムなら候補はいる。
    崇神天皇4世紀前から6世代前、すなわち2世紀末、
    ヒメ(踏鞴五十鈴)媛と日向賀牟度美良姫 ( ひむかのかむとみらひめ )だ。
    この二人以外に卑弥呼候補はいない。
    この二人が住んだのは葛城である。
    したがって邪馬台国は葛城である。

  • 大神神社が崇神時代に創建、それを4世紀初頭から前半として、
    それ以前、3世紀の卑弥呼やトヨ、
    そして2世紀前半の其国の男王までの王権はどこにあったか、
    つまり神々はどこに住んでたか、
    これは大神神社以前の式内・名神大社をみればいいだけ。

    高天原のある葛城に複数の式内・名神大社が集中している。
    葛城以外にはない。
    3世紀の卑弥呼やトヨ、そして2世紀前半の其国の男王までの王権は葛城にあったのである。

    高天原最有力地であり、日本最古にして大和盆地の最高位置にある高天彦神社の境内に、
    魏志倭人伝の記述通り奴婢(土蜘蛛)が埋葬された径百余歩の塚がある。
    邪馬台国論争は終了である。

  • 邪馬台国論争は卑弥呼が誰なのか、その一点。

    応神陵=誉田御廟山(5世紀初)
    神功皇后陵=五社神(4世紀後半)
    景行陵=渋谷向山(4世紀前半)
    崇神陵=行燈山(4世紀初~前半)

    崇神の数十年前にトヨがいてその3世代前に事代主神の娘ヒメがいます。
    住んだ場所は葛城、墓は高天原。
    神武東征紀とはことさら武勇伝を強調し、女王国時代を男王国に見せかける事を意図したものでしょう。

    卑弥呼が分かればその100年前の帥升も分る。

    日本の歴史がAD107年後漢皇帝・安帝へのスサノオの土下座から始まる、
    その屈辱的史実を覆い隠すために記紀は編纂されました。

  • 高天原(御所市高天)を追放され、
    少し下った御所市鳴神にある高鴨神社のご神体・神山に埋葬されたスサノオこと
    迦毛大御神(かものおおみかみ)さんのお墓。

    迦毛大御神(かものおおみかみ)=アジスキタカヒコネ=スサノオ

    剣を持ち暴れるというキャラ、これは同一人物でしょう。

  • >>No. 249479

    > アマテラスとヒミコは似ている。
    > しかし違う所もある。

    似ているのは魏志の卑弥呼をモチーフにキャラクターを創ったからです。
    独身で弟がいて性行為なしに5人の子供を作るなんてのはもちろん創作。
    時代を変えてはいますが、実際のアマテラスとは高天原(金剛山)にいた高姫。
    天照(アマテラス)と下照(シタテルヒメ)にキャラを別けて、
    天照(アマテラス)には神話としての虚像を、
    下照(シタテルヒメ)には実際に生きた実像を託したのでしょう。

    実際の高姫=シタテルヒメ=アマテラスには夫(アメノワカヒコ)がいて兄アジスキタカヒコネがいたという事になります。
    アジスキタカヒコネこと 迦毛大御神(かものおおみかみ)、剣を持ち暴れてますのでスサノオだと分ります。
    墓は高天原(御所市高天)から少し下った御所市鳴神にある高鴨神社のご神体・神山でしょう。
    高天原を追放されたという事になります。



    > 天照を2世紀、その後裔の卑弥呼を3世紀とすれば筋書きとして納得が行きやすい。

  • >>No. 209

    刀良(とら)って酔っ払いのおばはん?

  • >>No. 249396

    >そう考えると、記紀に卑弥呼らしき人の記載が神武の頃に無いので卑弥呼は九州にいたことになろう。


    【年已長大 無夫壻】
    生涯独身だと決めつけてるバカが多いが寡婦も含まれる。
    夫の神武に先立たれた神の娘ヒメの姿。

    【有男弟佐治國】
    中国には女弟という表現もあるので、
    この男弟とは「徒弟」の弟、つまり臣下・部下と見る。
    ならば彼女に代わり政治を行ってた実兄の天日方奇日方命(食国政申大夫)の事。


    【唯有男子一人 給飲食 傳辭出入】
    この男子一人とは、神武の連れ子であり、
    ヒメの義理の息子であるタギシミミ。


    2世紀前半から3世紀後半のトヨまで続いた王権を日本人が忘れているわけがない。
    今も神々として信仰されてます。
    卑弥呼とは「えべっさん」こと事代主の娘ヒメ。
    蹈鞴と五十鈴は7世紀に付け加えられたのでしょう。
    その理由は付け加えないでヒメのままだとヒミコだとばれてしまうからです。

  • また前期古墳の特徴が山稜にあることは考古学的にもほぼ鉄則なのにも関わらず、大和盆地においてはほとんどの人が平地の纏向古墳群に意識を引き付けられ、誰も大和盆地の山稜・高天原(御所市高天)に注目してこなかったのが実情ではないでしょうか。

    もし「神話の世界などありはしない」などとの意識が根底にあるのならば、トロイアを顕現させたH・シュリーマンの否定にもつながるのではないかなどと素人ながらに思ったりします。

    「近代以降の文献史学による記紀批判」とはむしろ記紀からの逃避ではなかろうかとも思います。

  • 私の説の主旨は、

    ・崇神天皇4世紀前半として「国宝」中平銘鉄刀の保持者・和邇氏系図から導き出される3世紀後半のトヨとはトヨ津媛、卑弥呼とはヒメ(踏鞴五十鈴)媛である

    ・ヒメ(踏鞴五十鈴)媛はじめ鴨(神)族の墓は高天原にあり、日本最古の高天彦神社境内に奴婢(土蜘蛛)とともに径百余歩の塚に埋葬されている

    ・後漢書東夷伝の倭國王帥升とはヒメ(踏鞴五十鈴)から約5世代前のスサノオであり、記紀はスサノオの後漢・安帝への謁見要請、つまり土下座という屈辱的史実を覆い隠すために大きく時代を変え、その結果神武127歳などとなった

    ・神武東征紀は女王国時代を隠ぺいするために意図的に武勇伝を強調し男王国に見せかけ、そして天皇・皇后という新称号は魏志に書かれた真の女王を隠ぺいするための物である


    先日、大変高名な考古学者の方にお手紙を差し上げたところ、返信のおハガキをいただきました。
    その御主旨は「あなたの説は近代以降の文献史学による記紀批判がなされていない」というものでした。
    先代旧事本紀についても同じであるというご意見でした。
    まぁ早い話が神武やニギハヤヒなどの実在を簡単に言ってくれるなということでしょう。
    しかるに崇神天皇4世紀前半がおおよそ確定的である事から考えるに、大和盆地で土師器や古墳造営が始まる大変革期の庄内0期が最新編年で2世紀末にくるようなので、ならばプレ崇神というべきか崇神以前の王権を想定はできるはず。
    しかもおおよそ崇神から庄内0期まで120年として世代で言えば6世代、記紀は崇神以前を親子継承として9世代ですが、先代旧事本紀の鴨や物部の系図では6世代。
    先代旧事本紀の鴨や物部の系図は考古学とぴたり符合するわけで、先代旧事本紀という史書の信憑性がむしろ高くなってるのではないでしょうか。
    また考古学者では森浩一さん、文献史学者では上田正昭さんなど先代旧事本紀の重要性や復権を言われていた方もおられたわけで、私は素人ですがなにも臆することなく神武やニギハヤヒなどの実在を言い続けたいと思ってます。

    (続く)

  • 804日本@名無史さん2019/01/05(土) 12:53:02.57

    訃報です。

    zarakoku氏におかれましては元旦の初日の出を見に行ったおり、
    風でカツラを飛ばされ、初日の出の日光が頭を直撃、
    その沈殿した臭い脂、もうほんとにくっさいくっさい汚泥のような脂に引火、
    ボッと燃え上がり、帰らぬ人になったんちゃいますかねぇ、知らんけど。

  • 初詣に高天彦神社に行ってきました。
    拝殿左にある土蜘蛛塚。
    すぐ東にある蜘蛛窟にも土蜘蛛の石碑があり、日本書記の高尾張邑の伝承地だという説明があります。

    日本には王が死ぬたびに奴婢を殉葬したという惨たらしい習慣はありませんので、
    卑弥呼墓の奴婢百人余りの記述は一つの事件でしょう。
    崇神=4c前半以前に奴婢を大量に征伐した人物が一人だけいます、それが神武です。

    神武と、卑弥呼墓の奴婢百人余りの記述は関わっているのです。
    神武軍が征伐して埋めた近くが卑弥呼の墓という事でしょう。

    上記、蜘蛛窟の隣に径百余歩の塚があります。

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