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投稿コメント一覧 (1053コメント)

  • ヤフーの掲示板を愛用されていた皆様がたへ、ご縁がありましたらまたお会いしましょう。ヤフーの職員の皆様がた、長い間、たいへんお世話になりましてありがとうございました。ヤフーの掲示板の固定費がかさむことは承知していますが、それをいきなり減らそうと掲示板の廃止をすることは変動費の縮小とともに売り上げも減少し、利益も縮小するのではないですか。別の資源に投資拡大ということですが、掲示板を廃止するリスクよりそのリスクが大きければむしろもとに戻したほうがよいのではないですか。利益を産まない掲示板を利益を産む新しい投資としてよみがえらせることも可能ではないでしょうか。やりかた次第だと思いますが。

  • <凡事徹底>
     正確に統計をとったものではないが、私のはだざわりの経験的直観では、だれもかれも自分を天才だと思っているということだ。だから自分自身を天才だと名乗るものはどこにでもいる凡人なのだ。名乗らないにしても自分を何らかの天才と思い込んでいるひとが普通なのだ。ここまでありふれてくると、自分を天才ではなく平凡だという人が貴重に思えてくる。昔、小津安二郎という映画監督がいたが、名画『東京物語』では市井の平凡な人々の日常生活が描かれていて、時代や国々を超えて愛されている不朽の名作を産んだ。私は特殊な天才よりもどこにでもいる平凡な人々の気持ちをくみとることのできる人のほうが人間心理の普遍性を発見するのではないか、と考えている。

  • >>No. 76

    訂正
        Ⅹ 公務員の給料は投資ではないので費用である。
        ○ 公務員の給料は利益は出ないので費用である。

  •    カントによれば人間の認識能力の全体は感性、悟性、理性という構造をもっている。
    ①感性は、感官を通して事物を表象として受け取る能力(直観の能力)

    ②悟性は、感性的直観による多様な表象をまとめあげ、判断をもたらす能力(概念的判断の能力)

    ③理性は、悟性による対象の判断から、推論によってその全体像を導く能力(主として推論の能力)

    認識不可能な物自体を理性は推論によって、自由に思索することができるし、またそのことによって現象上の真理に達することが可能なのである。物自体が認識できないからといって思考停止する必要はない。私はその視点から宗教のことも自由に考察している。

  •   色即是空、空即是色とは物質の無限分割はゼロの無であり、それの逆はゼロの無からすべての物質が創造されていることを示している。無そのものというより、無のもつ有の性質が有の形を創り出しているのではないか。形はないが、たしかに存在するものといえば無の性質ではあるが、霊魂も同じ性質を持っている。無のもつ有の性質の世界に霊的世界は存在するのかもしれない。あるいは神仏の世界もそこに重なるかもしれない。

  • 岡目八目で仏教界をみていると、自力本願と他力本願の対立がいまだ解消しない。そこで深く考えてみた。自力も他力も本質は同じではないかと。自我の根本にある無我としての無の世界は宇宙の広大な無の世界と地続きであること、神仏の世界が宇宙の広大な無の世界と一体であるなら、無としての自己は宇宙と一体ということになる。そこでは、自力は即ち、他力なのだ。特に区別する必要はないのではないか。

  • 売り上げを一定として固定費を下げると、赤字を解消し、利益がでてくる、という損益分岐点分析計画には疑問がある。固定費と変動費を完全に切り離すことができるのならいいが、難しい。3工場の賃借料の固定費を減らそうとして2工場を閉鎖すると固定費は減るが、材料などの変動費も減って、売り上げも落ち、利益が減少してしまう。
     営業部社員の給料である固定費を減らすために、人員を半分解雇すると、固定費は減るが、売り上げが半減し、利益もかなり減ることになる。固定費と変動費は連動しているのである。
     公務員の給料は投資ではないので費用である。しかし民間企業の給料は利益を産む投資である。固定給だと売り上げに関わらず一定の給料では売り上げを伸ばすモチベーションが出てこない。もっと投資としての側面を活かすシステムがのぞましい。

  • >>No. 67

    お金の使い方には二種類ある。ひとつはcost経費としての使い方であり、もうひとつはinvestment投資としての使い方である。前者はかかる費用であり、どちらかというとconsumption消費に近い。消費のぜいたくに対し、節約という反対概念がある。だからcost節約なのだ。たしかに不況の時に固定費をさげて、損益分岐点をさげることは利益をうむ。赤字を黒字にすることも理論上はできる。しかし実際上はcostカットが売り上げ低下をまねくこともあるのだ。損益分岐点分析では売り上げを一定と仮定して、costをさげると利益が出ることになるのだが、はたして売り上げは一定にたもてるのか。たとえば人件費を減らすと、具体的にいうと営業部の社員を半分を解雇すると人件費は減るが売り上げも半分に減るので、利益も半分になる、ということになり、余計にひどくなる。固定費としての人件費は消費ではなく、投資として利益をうむもとでとして機能している。むろん人件費ばかりではなく他の費用もそうだ。利益をうむ投資と考えるか、利益を減らす費用と考えるか、なのだ。お金の使いかたが投資であるなら、節約ばかりが能ではあるまい。人件費のカットが社員のモチベーションの低下になり生産性の低下になり、売り上げも落ちてくる、そういうことも考慮しなければならない。損益分岐点分析の盲点だと思う。日本の長い停滞はそのへんも原因ではないか。

  • >>No. 969

    ↓(つづく) 白人ですが、それだけジャズには普遍性があるということですね。普遍性というと誤解があるかもしれませんが、ここでは拡がりのある個性の共同性ということです。たとえば、民族の個性は他の民族との比較でいえば個性ですが、その個性を構成している集団は共同性なのです。個性と共同性は対立しているように見えますが、共同性は個性なしに成り立たないのですね。普遍性もある個性のもつ共同性のことです。ある個性の共同性は他の個性を排斥し、嫌います。村八分がそうですね。そこでは個性と個性の対立はすなわち、個性的対立は同時に類的結合であるという原理が働くのです。ナショナリズムの問題はそこにいきつくのですね。

  • >>No. 972

    お詫び   リンク貼り付けができなくなりました。故障かもしれません。あしからず。

  • >>No. 970

    歴史小説の作家吉川英治は自分の作品の影響力を最もおそれている、と記している。いまの私の心境もそれに近い。HMを使っているのだから私自身に影響はないはずだが、目に見えない世界ではつながっていて、微妙に影響を受ける。影響というより反響というべきか。いかなる自由にも責任がともなう、ということか。自由な発言はその影響も考慮して責任をもって発言せよ、ということか。カントもいっている。
     「汝の人格の中にも他のすべての人の人格の中にもある人間性を、汝がいつも同時に目的として用い、決して単に手段としてのみ用いない、というようなふうに行為せよ」(カント著『人倫の形而上学の基礎づけ』中公クラシックスp298)
     支配欲に基づく衝動的発言は自然因果性であるが、それを我慢して理性的発言することが、自由因果性につながり、非決定論的世界に達することができる。私は支配欲による発言を否定し支配ー被支配のない対等な関係を目的にしていてそれは市民社会のルールだと考えている。カントの意に沿っていると考えている。

       ↓(つづく) 非表示です。Django Reinhardt - Minor Swing

  • >>No. 969

    Jazzは差別され虐げられた黒人の生み出した文化遺産です。アメリカという地域性のみならず世界的に拡がりをもった、ある種普遍的ともいえる音楽です。社会的抵抗音楽であると同時に庶民の喜怒哀楽を表現する豊かな音楽です。私はフリージャズが好きですが、緊張感の連続では神経がもちません。ときにはスウィングジャズもいいのではないでしょうか。ジャズは個性的音楽であると同時に普遍的音楽でもあるのです。

      ↓(つづく) 非表示です。 Sidney Bechet - Petite fleur

  • >>No. 967

    (訂正)  偏向性の強いナショナリズム

        → 偏狭なナショナリズム

      グローバリズムはなぜ多様性を尊重するかといえば、世界的な市場主義の拡大ということが目的にあるからだ。市場の本質は、以前にも述べたが個性的結合と同時に類的対立なのだ。物々交換の市場においては、質の異なる商品同士がつながるが、類似商品とは競争し対立する。これが市場の本質なのだ。市場は多様性を求める。だから多様な民族の共存は可能なのだ。ただあえて欠陥といえば、市場競争の結果、拡がる貧富の格差である。それに不満をもったのがナショナリズムなのだ。しかしそれは共同性であって、ナショナリズムである必要はない。人類的ヒューマニズムでもよいのだ。ヒューマニストが容易にナショナリストに転嫁しやすいのも本質が同じだからだ。個性を基盤とする主張にも正当性があり、普遍性つまりは共同性の主張も正当性がある。どちらもまちがっていないところが事の複雑さを象徴している。折り合いをどこでつけるか、そこが問われている。

  • >>No. 964

    EUにおける移民、難民とナショナリズムの軋轢はグローバリズムとナショナリズムの問題であり、本質的には個性と普遍性の問題である、と考える。グローバリズムにおいては多様性が尊重されるが、ナショナリズムにおいては共同性が大事にされる。民族個性としての共同性だ。前者は個性の違いが民族の多様性の尊重となって、多様な民族の共存となるが、後者は自己の民族の優越性が働き、他の民族の排除へとつながる。つまり、普遍性が個性を圧殺するのである。共同性は普遍性の象徴であり、多様性は個性の象徴となる。一方は違いを認め、一方は違いを認めない。矛盾もある。多様性の尊重は違った個性はそれぞれ民族という共同性によって形成されているということだ。共同性は多様性を嫌うので、矛盾が噴出するのだ。グローバリズムにとって大事なのは多様性と共同性のバランスだ。偏向性の強いナショナリズムに対してグローバリズムが生き延びるにはナショナリズムのもつ共同性を一定認めるしかないのだ。そういった寛容さが必要なのだ。矛盾があることを承知のうえで、バランスをこころがける、どこかで折り合いをつける、といったことが平和的解決に繋がると思うね。普遍性も個性もどちらも大事なのだから。

      ↓(つづく) 非表示です。Tommy Dorsey,Frank Sinatora - The One I Love

  • 2019/01/05 09:38

    >>No. 1070

    ↓(つづく) Tommy Dorsey ,Frank Sinatora - The One I love

    https://www.youtube.com/watch?v=OnF2BdX1MdI

  • EUにおける移民、難民とナショナリズムの軋轢はグローバリズムとナショナリズムの問題であり、本質的には個性と普遍性の問題である、と考える。グローバリズムにおいては多様性が尊重されるが、ナショナリズムにおいては共同性が大事にされる。民族個性としての共同性だ。前者は個性の違いが民族の多様性の尊重となって、多様な民族の共存となるが、後者は自己の民族の優越性が働き、他の民族の排除へとつながる。つまり、普遍性が個性を圧殺するのである。共同性は普遍性の象徴であり、多様性は個性の象徴となる。一方は違いを認め、一方は違いを認めない。矛盾もある。多様性の尊重は違った個性はそれぞれ民族という共同性によって形成されているということだ。共同性は多様性を嫌うので、矛盾が噴出するのだ。グローバリズムにとって大事なのは多様性と共同性のバランスだ。偏向性の強いナショナリズムに対してグローバリズムが生き延びるにはナショナリズムのもつ共同性を一定認めるしかないのだ。そういった寛容さが必要なのだ。矛盾があることを承知のうえで、バランスをこころがける、どこかで折り合いをつける、といったことが平和的解決に繋がると思うね。普遍性も個性もどちらも大事なのだから。

      ↓(つづく) 非表示です。Tommy Dorsey,Frank Sinatora - The One I Love

  • >>No. 963

    pipitさん こんにちは 。長くかつ詳しい返信ありがとうございます。

     > 第二確定条項の中でカントは、『諸民族合一国家』のことを否定しています。

    諸民族合一国家って、世界が一つの国となるということでしょう?

    でも、、、カントは世界が一つになるという理念自体を否定したわけではなく、
    それを実行に移すと、結局は血なまぐさい結果になる、と、記述してるのかな、と、思いました。<

     第2確定条項のp47の3行目
     「たがいに関係しあう諸国家にとって、ただ戦争しかない無法な状態から脱出するには、理性によるかぎり次のの方策しかない。すなわち――諸民族統一国家を形成して、この国家がついには地上のあらゆる民族を包括するようにさせる、という方策しかない」 これが理想の最善策であることをカントは認めているわけです。ただ諸国家は、理性が正しいと認めることでも具体論としては斥けるから、世界共和国という積極的理念のかわりに、独立した諸国家の国際連合という消極的な代替物が次善策として望まれる、とp47の12行目に記述されています。世界共和国はカントが否定しているのではなく、諸国家が否定しているのですね。むしろ理想的な形で望んでいるわけです。世界共和国は国境がないことだと、カントは記していませんが、常備軍の廃止は国境のない世界共和国でこそ可能なのです。
     EUの脱国境システムはカントの理想を求めたものだと、私は認識しています。世界中でそれぞれの地域統合がすすめば世界共和国は理想ではなく現実となります。もっとも各国は独裁制ではなく、共和制であることが前提になりますが。

  • >>No. 956

    pipitさん ひさしぶりです。レスありがとうございます。
     
     永遠平和を確定するための6つの条件である予備条項の第3条で常備軍は時とともに全廃されなければならない、とあるわけですが次善策である平和連合つまりは国際連合で実現しましたか。いまの国連で常備軍の全廃はありえないですよね。国連では不可能というのが現実認識です。予備条項を実現するための3つの条件である確定条項のひとつ第3確定条項で世界市民法は普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない、とあるわけで世界市民という概念は世界共和国を前提にしたものと考えられるわけです。アメリカの州境のように形式上は国境は存在しても実質的には存在しないように、国境警備を前提とした常備軍は実質的に国境がなくなれば、不必要になり、全廃へと向かうのです。カントの予備条項を実現するためには、世界共和国という脱国境システムが必要になります。国境がある限り、軍備はなくなりません。カントが平和連合を現実的としつつも、理想として世界共和国を置いたのも理解できるような気がします。EUの脱国境のシステムはカントの世界共和国に近づいたものなのです。EUのような地域統合が世界中で生まれ、それらが統合すれば世界共和国は実現します。

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