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投稿コメント一覧 (3コメント)

  • 「ここでは宗派間による争い・罵り合い等はご遠慮下さい。」とありますが
    ひどい投稿が続いていますね。ユリと申します。

    読んでおられる人はこのs-1氏の解釈をどのように見ておいででしょうか?
    「観心本尊抄」は本門観心の真実甚深の法門を披瀝していないとは、
    いったい何宗の教えなのでしょうか?

    「本尊抄送状」にしましても、あのような解釈をする宗門があるのでしょうか?
    聞いた事がありませんけど。

    それから、さかんに「事の一念三千の当体」とか、「理の一念三千の当体」とか、「細胞」がどうとか
    と書いていますが、「五陰和合(?)」と一念三千とどんな関係があるのでしょうか?

    「事の一念三千の当体」とは、何の事なのかしら?「理の一念三千の当体」って何の事なのか
    参考資料などで説明していただきたいです。

    それから、「本尊を顕わす」のに、「木」、「画」二像とも、ご遺文にあります。
    曼荼羅で顕した本尊も、木造の仏像で顕した本尊も、本尊に違いは無いでしょう?

    四大菩薩も同じ事です。
    「曼荼羅に顕していても、木造が無い」なんて、幼稚すぎませんか?

    曼荼羅に顕わそうと、木造で顕わそうと、日蓮上人の広める本尊でしょう。
    四大菩薩だって同じ事じゃありませんか?

    曼荼羅に顕した釈迦仏と木造で顕した釈迦仏とどこがどう違うのでしょうか?
    もし、出来ましたならば、参考資料などとともに、書いてくだされば、幸甚です。

  • 「下手な考え休むに似たり」で、ここらで、一休みです。( ノ゚Д゚) 
    s-1さん、
    一念三千はね、華厳宗さんとか、真言宗さんとか、最近では大川さんところの
    幸福の科学でも、言及しています。十人十色といえます。
    それで、貴方さんの一念三千節は何宗の教えなの?と聞いているのです。
    宗派が言えないのなら、貴方さんの拝んでいる仏様はどなたなの?

    仏様ってわかる?
    少し心配なんだけれど、人形は仏様じゃないのですよ。仏教を勉強する気なら、
    人形と仏像の違いぐらい判らなくちゃ、だめですよ。
    まず、貴方の信仰している教団の人に人形と仏像の違いを教えていただきなさい。それから、投稿なさっても、遅くは無いのでは?(^o^)l

    例の、「一念三千の当体」の話。今までに「聞いた事が無い」説です、
    教団名でも、都合が悪いのでしたら、拝んでいる仏様のお名前でもよいですから教えてくださいね。

    ひょっとして、新興宗教の信者さんなのかしら?
    仏像を「人形」と言うところから察すると、仏教徒ではないかもですね。


    それから、「造立」をひつこく書いていたので、聞いてみたのですが、
    貴方の教団では、お曼荼羅と仏像の本尊では「違いが有る」と教えているのですか?(^o^)l
    そうでなければ、「造立したのか?」の一辺倒で、これではまるで、「曼荼羅は書いたが仏像は無いではないか?」と言っているように聞こえますよ。
    たとえれば、「曼荼羅本尊が勝っている」とか、あるいは「仏像が勝る」とか、
    あるんですか?とお聞きしたのです。

    自教団の教えが正しいのだからと他宗のこきおろしなら、誰でも出来ますしね。
    そんな事で、ネ、

    ①貴方さんの「一念三千論」は何教団の教えなのか?
    ②お曼荼羅と仏像の本尊では「違いが有る」と教えているのですか?
    ③「仏像」を「人形」と教えるその教団は何教団なのですか?
    と聞いたのですが、「内緒」になさらないで、大いにそこの教団を宣揚されてはいかがですか?( ^ω^)


    年寄りは早く寝ますのでね、これぐらいにしておきます。
    ただ、毎年20回ぐらいは夜が更けるのも忘れて、
    不良仲間が寄集まって、当たりもしない「予想」に夢中になるのです。(´▽`)


    「仏の境涯が存在する」と説くお釈迦様の教えを疎かにしては良い事は有りませんよ。

    s-1さん、良いお年を(*´∀`*)

  • あひみてののちの心にくらぶれば
    昔はものを思はざりけり   権中納言敦忠(あつただ)

    こんにちは、早2月です。つらいニュースが続きます。

    もう、かれこれ、25年くらいも前の話です、
    俵万智さんだったと思いますが、
    まだ、中学生の頃、この歌は、初恋の歌だとお思いになられていて、

    素敵な人に出会ってしまったら、これまでの日々とは比べようもない世界が広がる、
    口をきいたこともない先輩に憧れ、恋のできる年頃、自分の年齢に見合った解釈を
    していた。

    高校に入って、辞典で「あひみる」を引いて「男女が結ばれる」と言うことであると
    知ったと。

    この歌は、結ばれてのちの、もの思いに比べれば、それまでは何のもの思いも
    なかったようなものだ・・・・・ということになる。

    恋の入口で生まれた歌ではなく、恋の深みに落ちたところで、生まれた歌だったのだ。

    などなど、この事は実は私も同じ思い入れがあったので、とても親近感が湧いた事を今でも、思い出します。

    長くなりましたが、どうぞよろしくお願いします。

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