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投稿コメント一覧 (90コメント)

  • 「言葉」という語意を知ると、言の葉、言霊、コミニケーションとしての意思の表現、
    組織に意思を伝える方法という意味があるようです。
    また、個の意思や意識や認識、物事の有り様、時空を隔てた過去や現在と未来の状況と情況を
    記述する記録の表記手段を「言葉」とするようです。
    意思を伝える方法と、記録の手段、という役目の他に、「言葉」には、どんな意味が
    あるでしょうか?「言葉」が現実と対峙することから来る、矛盾から、言葉が理解されない
    ケースがあります。それは、言葉が、実際に目に見えないものを表現するとき、現実を
    検証しなければならないときです。
    「言の葉」の「言」は、「事」の状況が「葉」として派生して行くという意味に捉えると
    そうした、状況は、人の情況の内面にも似たものがあります。
    また、「言霊」は、呪文の魂の情況を表します。
    状況の認識が情況を理解させ、理解が現実へ指針を与えるのを「言葉」の役目としても、
    現実を理解することが、もっとも肝要なことのように想います。
    地球が地平線では無いように、時空がひとつでは無いように、目に見えないものが目に
    見えないからという理由から、否定するのは、想像の根拠を否定し、想像の出来ない
    言葉を否定することになります。肝要なのは、何故、想像を許さないのかという情況です。

  • 以前、仏教の経典で、何故、梵語の音(サンスクリット)で経を
    唱えるのか、とても疑問でした。理解出来ない言葉を聞いた処で、意味が
    無いように感じました。
    仏教が偶像崇拝と批判されたのは、教えの偉大さを身近に感じようとするものです。
    しかし、そうした教えを必要としなければ、ただの仏像です。
    そして、どんなに良い教えでも、実践的な理解が生まれないと、教義の意味が
    生かせない。其処に、慢心が生まれたとしても、不思議ではありません。
    「実相」の伴わないものは、「義」を仮想することになります。
    其処で、経典を日本語に翻訳し、意味が理解出来る言葉として、音律で、読みの経典
    も作られました。

    最後にひとつ。
    言葉は、仮想です。
    しかし、意思は、内在の現実です。
    それを現実としなくて、意思の目的が見えない。

  • 反論をしようとは、想いません。
    あなたが好きな文章を投稿すれば、良い。
    私は、それを受け入れるし、否定はしない。いや、否定しても答える理由がない。
    私は私だし、その理由を自らに問うていない。
    ならば、あなたが自らへ答える、私の存在だと認識するだけである。
    あなたの答えは、既に、知っている既存の意識の投影なはず。
    それに、私は答えられない。
    慢心が故の生命を、祈ります。

  • 誰かが言った。
    驚いたことや、美しいこと、感動を目にすることが
    あれば、それだけで、生きる理由が生まれる。
    そうした、想いが在る限り、自分を信じたいと願う。
    例え、想いが現実と違っても、理解する友が居る限り
    現実を見つめようと想うのだ。
    秘めた想いが有る限り、あなたを見つめたい。

  • きほん、誰かと側に居て欲しくて、自分の事を想像した。
    独りでは、想像出来ないことを夢見ていたのに、人の事が嫌いになっていた。
    面倒臭くて、自分の義務が、日常の興味でしかなくなった。
    信じない事が、美徳のように想え、信じない孤独に涙した。
    孤独に慣れれば良いだけなのに、目的が観えない。
    遠い展望台を眺めながら、肩を叩く人に気づかない。
    そんなこと、あるはずもない。
    いずれ、気づくのだ。
    過ぎ去った記憶の中で、ふっとした、動作に重複して、自らへ答える
    「気掛かり」を抱える。
    想像の理由を探す。

  • 僕たちは、完全ではなかった。
    そうした不安が、いつも心を過る。
    自分が、何故、存在するのかも理解出来ずに、自分の子供を産もうと
    していた。この世の現実で、自分が理解したことや、感情を、これから
    生まれる子供へ説明しなければならない。
    「犬や猫も、子供を産む。そうした行為の想いの理由は不安だ。
    動機があるから、存在の理由があった。」
    完全など、鼻からない。生きる情況から希望し、捏造しているだけかもしれない。
    ただ、想うのは、自分の子供へ期待するものは、自分の想いだということだ。
    この世に生を受け、憎しみを宿し、生の意味を問い、人の指針を問う人の言葉が
    多くの人を救うとしたら、それは、人のためでなく、自分のためである。
    自分の存在の根源への疑問こそが、疑問の答えかもしれない。
    人への愛を、祈る。

  • 「愛してる」

    唇を重ねた感触の記憶から
    きみを想う
    出会いが弾むような感動を与えた
    目に観えたものが、感覚に重なり
    きみとぼくの不思議を問うた
    「愛してる」
    何回、きみの耳元で囁いただろう
    そして、何回、身体を重ねただろう
    互いの想いが肉体の結実を希望し、そのことを想像した
    愛おしさと刹那さ、悲しみと喜び、感動と失意、裏切りと希望
    この現実の感覚を知るのに、自分の内側を見つめ
    きみの瞳の奥のきみと、見つめられる自分を見つめる
    重なる舌の感触が切なさを呼び覚ます
    「愛してる」


  • 「どうすれば、あなたを知れる?」
    そんな言葉が脳裏を過る。
    「生きるのは、捨てたものじゃない。ただ、感動がないと、生きてても
    つまらないのよ。理解なんて必要ない。感じるだけでいいの。」
    酔いの回った自分の顔を、叔母の辛辣な目が、私を見つめる。
    そんな目が、何を意味するのか、想像した。
    「あなたに、何処かで会った気がします。」
    「そうなの?でも、あなたは、初めてよ。」
    「何処で会おうと、関係無いかも知れない。
    要は、何かの目的のためです。
    不思議の想いを探すためかもしれない・・」
    「・・」

    あれから、叔母は、死んだ。
    気持ちの強い、九州女の意思が、僕の記憶に残った。
    叔母は、私の意思を示せと、夢で語りだす。

  • 1+1=2を証明するものは、十進法である。
    二進法では、1+0=1である。
    数の概念は、代数を数式化することで、軌条の便宜を図るものである。
    演算の理由が、進法を短縮したのは効率を図るためだった。
    しかし、それが演算の効率を阻害する。
    二進法が、十進法の概念を受け入れなかったのだ。
    矛盾が、生まれてしまう。

  • 言葉は、肉体を表現する。
    しかし、肉体は存在しても。言葉を持たず
    また、言葉を理解しても、肉体を持たない者もいる。
    言葉は、実践を指示するもので、嘘や自己満足や、自己欺瞞の理由を作るものじゃない。
    言葉を表記に書くと、その理由が、何処から来るのか、きっと、個人は理解するだろう。
    肉体の経験が、また、理想とする希望の理由から、何を目的にしているのかが理由で
    結果、肉体に影響のないものなど、言葉の意味を成さない。
    実践の理由から、言葉が存在し、その理由を問うのは、道理で
    道理無くて、何を問うかである。
    言葉あり、そして、行動がある。

  •  突然の投稿をお許し下さい。先日は失礼致しました
    度々、投稿させてもらいます。
    この掲示板へ興味を抱いたのは、面白いと想ったからです。
    その理由は、自分の感情を発露している点です。
    知識なんて、どうでもよいのです。
    文章の核心は、真実ですが、そんなもの、誰も期待していない。
    井戸端の話で、個性的な話が好かれるように、常識から逸脱した価値観や
    観方や冗談と映る、奔放な発想を期待していると想えます。そうした考えが
    人を引き付けるような気がします。
    よろしく、お願い致します。

  • 幼い頃、奈落の底へ落ちる夢を、よく観るようになった。
    金縛りや、崖から足を踏み外す、フワッとした感覚と
    下へ引っ張られる違和感から、肉体の芯が痙攣し、多量に発汗した。
    自分の中に眠る、何かが、表層を突き破って出てくるような感覚を
    恐れると同時に、現実の世界とは違う、何者かが、存在しているように想えた。
    暗闇の中で、何かが蠢く気配を見つめながら、話し掛けてみた。
    「きみは、いったい、誰?ぼくと遊びたいの?」
    「なんだ?何か云ったか?」と隣でテレビを観ていた父親が振り返ると
    耳の中でド~ンと響き、足首を誰かが掴む。
    そんなことが何回か繰り返されてから、ある時、不思議なことが起きた。
    寝ている自分の顔を見つめている。その横で、テレビを観ている父親やいびきを
    かいて眠る母親と兄、おばあちゃんたちを中空から見つめていた。
    奈落へ落ちる感覚が、中空を飛ぶ感覚に変化していた。
    意思で、空を飛ぶことができる。
    「おまえ、きのう、サツマイモ、喰いながら寝ちゃったろう?」
    「え?」
    「きのう、おまえの家に行ったんだ。」
     それから、その友人と、ある実験をすることにした。
    自分の浮遊する存在を確認する実験だった。

  • 辛いダンゴの話で、ハクくんの部落へ遊びに行った。
    自宅近くに、朝鮮部落があった。
    近在の大人たちは、部落へ行っては、駄目だと云っていたが
    自分の両親は、無頓着だった。
    ハクくんと自宅で食事したときは、いけないことは叱り、良いことは
    褒めた。ハクくんは、そのことが、とても不思議そうだった。
    他人の子供に、優しくする姿が理解できなかったのだ。
    共同の炊事場に、多くの女性が集まり、何かを話していた。
    そのひとりに、ハクくんは声を掛けると、自分を指差した。
    鋭い眼をした、その女性の顔が笑顔に変わり、自分を抱き寄せる。
    「ありがとう」と耳元で囁くと、他の言葉は、理解できない。
    「バクダン、食べちゃったんだって。今度、作っとくって・・」
    「バクダン?」
    「そう、バクダン。辛いバクダン、美味しいバクダン、バクダン、バクダン・・」
    とハクくんは踊り出した。女性たちが笑顔で、彼を見つめる。
    一緒に、「バクダン、バクダン・・」と云いながら踊る。

  • >>No. 121

    そうですね。努力致します。
    国が傾いたら、大変ですからね。

  • >>No. 125

    おっしゃる通りです。
    正解過ぎて、答えようがありません。
    恐縮であります。

  • 先生は、石川啄木の「いちやくの砂」を説明した。
    こういう状況を、みんなは、どう想う?と問い掛ける。
    「そんなの、関係ねえいし・・」と彼は、シンナーを吸いながら答える。
    「臭いんだよ!馬鹿野郎!」という罵声。
    しかし、何も起こらない。
    「はい!先生!」
    「・・はい、どうぞ。」
    「(いちやくの砂)は、サドイズムの快楽表現で、こんな風に、行動を
    示せない、ゲス野郎の言葉です!」と云うと、突然
    シンナーを吸っている学生の頭を、横蹴りするが、蹴りは空を過る。
    「甘いんだよ・・」と云った瞬間、先生の蹴りが、顔面を捉え
    彼は、泡を吹き、倒れる。
    「みんな、協力を感謝する。・・しかし、これは暴力だから
    責任を負わねば・・」
    「先生、何か勘違いしていませんか?俺らは、勉強しに来ていて
    それ以外は、関係ねいっす!」
    「そうだね、理念を環椎するのが、私の責務だ。」

  • 「ほんと?」
    と答えると、「そうだけど、何で、そう想うの?」
    「だって、素敵です。信じられない。」
    「もし、嘘だと云ったら、どうする?何を信じる、何を観たい?」
    何を見つめているんだよ!

  • 自分的な考え方では、運命とか宿命とか云っても、結果が状況を
    限定している。そうした中で、何を語ろうが、現実へ何を求めるかである。
    行動の原理を知らない限り、野放図や混沌であれ、生死の状況を知らないとは
    語るまい。生存の理由が今を語り、語る理由である以上、それ以上の言葉は
    無いのだ。
    その教訓は、今を生きることだ。
    その生き方が、希望を宿す。

  • 私の中では、「こがねむし」の金子さんしか記憶しない。
    あれほど、驚きに満ちた言葉を知らないし、わたしが
    生きる根拠でもある。
    こんなにも人の情感が豊穣な人を知らない。
    既知と機微に富み、因果の根拠は、きっと個性で、だから
    無性に暖かいのだ。
    わたしは、彼と知り合ったことを感謝することがある。
    わたしの生き方を決めたのだ。

  • 幽体離脱の理由から、自分の存在の根幹を知る手掛かり、いや、目的の
    因果の系譜だとして、現象を現実と捉えるしかなかった。
    無知の理由を、根性だとか、意地だとか、誰かが説明する度に、何が
    本当で何が嘘なのか、その基準を知れたらと願った。
    だから、自分の感じる事を信じるしかなく、どうでもよい話しには
    必ず、裏があった。利害から、人を利用しようとしたり、そうした人々の
    意識の下劣さを呪うこともあった。
    それでも、人を想う純粋さに感動する自分が居た。
    もし、自分の存在を否定するなら、人でないものを肯定してほしいのだ。

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