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投稿コメント一覧 (1889コメント)

  •  掲示板のタイムリミットが迫ってまいりました。
    あまりにぎりぎりでは心配なので、
    この辺でおいとますることに致します。

     最後にこちらを一人で汚してしまい、ごめんなさい。
    しかし、お言葉に甘えて、いろいろ吐き出させていただき、
    これまでの日本が有形無形に浸潤されつつある危機感を
    強く感じていることを再確認できました。

     それはもはや、去る10月4日のアメリカの
    ペンス副大統領の演説からも明らかです。

    h ttps://www.youtube.com/watch?v=bmgSFzIyDZs

    少なくとも、しばらくはネットを離れたいと思います。

    また、ネット上に出てくることがある場合には、
    必ずフローラさんのおられるところにご挨拶申し上げます。

    本当にお世話になりました。
    フローラさんからの恩恵は、
    直接のやり取りではなかったところからのものも
    膨大です。心から感謝いたします。
    遠くからは、いつも拝見しております。

    では、よいお年をお迎えください。
    合掌礼拝

  • アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンの主著「文明の衝突」によれば、
    世界は、西洋文明・東方正教会文明・中華文明・日本文明・イスラム文明
    ・ヒンズー文明・ラテンアメリカ文明の7つ
    、あるいは、アフリカ文明を加えた8つの主要文明からなり、
    この意味の文明的観点から見れば、
    日本は一国一文明の孤立国家・孤立文明である、とされます。

    激動する世界情勢は、またそっくりそのまま自業であり、
    内なる「文明の衝突」は、心の葛藤として立ち現れています。

     この葛藤を抑圧して無意識の中に閉じ込めないように、
    しかし、その葛藤に振り回されないように、
    グッとこらえて消えるのを待つ
    ・・・・どう昇華されるか、あるいはされないかはわかりません。

    その流れの只中という感じ
    ・・・・うまくいくとは思えませんが、そこにとどまる
    ・・・・逃げ出さないで、中途半端になってもいいからそこにいる・・・・・。

  • 仏教的なものと神道的なものとヘブライ的なものが、
    言葉にならない、感性的直観的なところで、
    混沌として、揉み合っている。
     こころは、そこに集中しているのに、
    なぜか、日々身辺が忙しい。
     掲示板も終局間近である。
    全てが間に合わず、わからないまま、
    カラッポでいるのが一番落ち着くのを
    再確認しているようでもある。

  • 成田空港の南に位置する、芝山古墳群という遺跡があります。

    そこから発掘されたものが「はにわ博物館」と、
    そこに隣接する「芝山仁王尊観音教寺」のお堂内にある博物館
    に展示されているというので、行ってきました。

    h ttps://ja.wikipedia.org/wiki/芝山古墳・はにわ博物館
    h ttp://haniwakan.com/

    h ttps://ja.wikipedia.org/wiki/観音教寺
    h ttps://www.jalan.net/kankou/spt_12409ag2130011909/

    イスラエルでも日本でも、古来、ユダヤ人の一部が日本に渡来同化した
    のではないかと考える流れがあり、
    旧約聖書・言語的共通部分・遺伝子・その他歴史的痕跡など多角的に
    論じられているようです。

    芝山古墳出土の埴輪もその根拠に加えられているらしい。

    h ttps://www.youtube.com/watch?v=JoilXU-ILxE

    ふ~んといった感じ、歴史のロマンです。

  • 民主主義的な先進国であったはずの民主主義が
    今や極めて少数の者によって支配され、
    実質的に先進国の民主主義自体が危機であることについて。
    (アメリカ在住の政治学者伊藤貫の話)

    h ttps://www.youtube.com/watch?v=AASIieUMZh8

  • >>No. 2517

    > こういうのって、保守的な感覚・・・・、
    >
    > 即今非思量では、サラサラ流しちゃうのか・・・・
    > それになり切っちゃうのか・・・・・
    >
    > 花は紅、柳は緑・・・富士山は富士山、エベレストはエベレスト
    > ・・・・絶対差別でしょ
    >
    > でも、花は紅であることを主張するのでも、守ろうとするのでもなく、
    > ただ、紅である、紅でいるだけ・・・・・


    白鳥は 哀しからずや
     空の青 海のあをにも 染まずただよふ

  • >>No. 2516

    こういうのって、保守的な感覚・・・・、

    即今非思量では、サラサラ流しちゃうのか・・・・
    それになり切っちゃうのか・・・・・

    花は紅、柳は緑・・・富士山は富士山、エベレストはエベレスト
    ・・・・絶対差別でしょ

    でも、花は紅であることを主張するのでも、守ろうとするのでもなく、
    ただ、紅である、紅でいるだけ・・・・・

  • >>No. 2515

    > 何の前後の脈絡もなく、
    > 突然これだけがポッと湧き上がってきました。
    >
    > Let it be! は、
    > 「神聖にして侵すべからず(神聖不可侵)」
    > って訳したらどうなんだと・・・・・・。
    >
    > なんだろう、
    > なにが気になっているんだろう。
    >
    > 侵略されるんじゃあないかな、という危機感かな・・・・・。

     イスラムが大量に流入してきたヨーロッパの人々こそ、
    こういう危機感を強く感じているはずですね。

  • 何の前後の脈絡もなく、
    突然これだけがポッと湧き上がってきました。

    Let it be! は、
    「神聖にして侵すべからず(神聖不可侵)」
    って訳したらどうなんだと・・・・・・。

    なんだろう、
    なにが気になっているんだろう。

    侵略されるんじゃあないかな、という危機感かな・・・・・。

  • 全体性直観でいうと、
      ゴーンさんは、醜悪です。
      こんな強欲な人は、日本文化に合いません。
      二宮尊徳が日本文化なんです。
      理屈ではなく、全体性直観で判断すればだまされることはありません。
     
      日本の刑事手続にケチをつけているフランスの論調も
      醜悪です。日本の刑事手続がいいの、悪いのという話にして、
      犯罪から目をそらそうとしている、そこを直視しないようにしている。
      論点をすり替えているだけ。
      司法・法治主義の元祖の国だと思っていましたが、
      こんな論調みていると、フランス文化って何なんでしょうか。

      今や、日本文化の危機です。
      全体性直観を中心にすえないで、
      頭の先っぽの理屈で動かされると、
      足元をすくわれます。

      全体性直観を中心に据えれば、
      日本人は間違えることはありません。
      簡単です。

      理屈ではなく、こういう分かりやすいことを
      表面にしっかり出して対峙させていかないと、
      危ないな、というのも、全体性直観です。

      客観的根拠がどうこうを問題にする必要はありません。
      自分の立脚点を決めるのは自由なんですから。

      知性・言葉・論理というのは、複雑な事実の前に弱いのです。
      捏造と力と数と繰り返しのまえで、どんどん歪められます。

      日本人同士ではなく、国際化というのは、とんでもない文化と
      関係するわけですから、腹を立てずに淡々と、しかし、丁寧に
      いろいろな次元でそれをやっていかないといけないかな、と思えてきました。

      ・・・・・・いままで続けてきた仏道修行が台無しになってしまうとしても。
      自分の仏道修行など、もうどうでもいい。

      まして、中国・朝鮮半島は、フランスどころではありません。

      土台をしっかり固めないといけません。
      そのうえで、自分たちの指導者を信じて託さないとだめです。
      細かいことに首を突っ込んで、指導者の手足を縛ってしまうのは最悪です。
      土台のところで指導者を支えるんです。
      その信頼関係の上に日本文化は成り立ちます。
      相互に疑い合ったら、分断されます。
      全体性直観から判断すれば、こんなのはあたりまえです。

      そういうところまで、落ちようかというのが、今の心境です・・・・。

  • >>No. 2467

    > 「神は存在しない」 ホーキング博士、最後の著書出版
    >

    雑談風にいきましょうか。

    仏教感覚では、
    『神の中では、・・すべては、神の中にあるのですが、あるいは、神の中に現象するのですが・・本来的には(現象する以前には)「ある(=存在)」ということはない、現象したときに、「ある(=存在)」ということになる。
     すなわち、「ある(=存在)」ということは、現象していることである。
    現象するとは、分別して抽象しているということである。


    神は、仏教感覚ではとりあえず「空(くう)」でいいんでしょうか。
    「~の中に」という言い方もありますが、「~の根底に」という捉え方もできます。

    『一切(万物)の根底は、神である。一切(万物)は、神から現象する(創造される)。この意味で・・本来的には(現象する以前には)「ある(=存在)」ということはない、現象したときに、「ある(=存在)」ということになる。
     すなわち、「ある(=存在)」ということは、現象していることである。
    現象するとは、分別して抽象しているということである。


    すなわち、混沌の中から「光(明るさ)」を分別します。
    すなわち、旧約聖書創世記冒頭の「光あれ」と分別・抽象がおきます。
    「光」と「ある(あれ)」が、同時に現れます。現象します。
    ですから、それ以前には、「ある」ということもない。

    混沌があるではないかということが問題にされるかもしれませんが、
    これも「混沌」ということを分別・抽象しているので、
    そして、そのうえで「混沌」という観念を使っているので、
    「混沌」と「ある」がセットで前提されてしまっているだけ。

    その意味で、神(根底)は、現象するもの(被造物)とともにあるので、
    現象以前には、その根底=神も「ない」といえる。
    ただ、神(根底)から、被造物が現象すると論理する場合、
    神(根底)が論理的に先立つことが前提されてしまい、
    根底が創造すると理解・表現されるので、
    先に神(根底)がある、ともいえる。
    これは、分別論理的には、先である、先にあるということである。

    「ある」ということは、こんな感じに見えます。
    どこか、おかしいかな。

  • >>No. 2506

    > ティーカップレンタル掲示板がありますね。以前愚さんが使っていた掲示板だと思います。
    >
    > h ttps://www.teacup.com/fbbs/
    >
    > ここにあなたの掲示板をたてられて、その後そのリンクをここにアップしておくといいと思います。
    >
    > h ttps://9217.teacup.com/root/bbs
    >
    > 黙々さんのダイレクトリーです。避難所の場所がわかります。
    >

    ありがとうございます。
    必要なときに使えるように、この情報は保存しておきます。

    ただ、即今に成り尽くして、
    次の即今(次の瞬間)がどうなりゆくかは手放して思いを巡らさないように
    している・・・・次の即今のことは、次の即今にまかせる、
    というように刻んでいるので、
    その時々でどう展開していくか、全く白紙というか、
    手放してコントロールしない、そのときの気分・なりゆきでしょうか。
    ・・・でも、転換点は目前に接近しつつありますね。

  • >>No. 2504

     字数制限のため、ここに続けます。

    ただ、「全体性直観」というのも困ったもので、
    絶えず精神を浄化して健全に保っていないと、健全な「全体性直観」が出てこない
    という土台の浄化みたいなことがありますね。

    雲さんに言わせると、グッと(如是と)受け止める、
    そのうち、般若の智慧が湧いてくる・・・・。

    この辺のエネルギーの流れ、サラサラ流す、グッと(如是と)受け止める、
    吐き出して浄化する、いろいろあってむずかしいです・・・・。

  • 2018/12/19 11:45

    >>No. 2503

    > 水月様
    >
    > なにか書かれたいことがありましたなら、どんどん書かれてください。
    > このトピは何でもありです。
    >
    > どうぞお気兼ねなく・・・

    「通常(普通)」の主体が解体しかかっているんでしょうか、
    ・・・・そうではないかもしれませんが・・・
    知的(観念的)活動に対して、不信であるという
    状態なんですね。

     とりあえず、最後の砦というか、信用できるのは「全体性直観」しか
    ないな、という感覚なんです。
     その全体性直観から表出されるものは、知的(観念的)形式をとりますから、
    通常の思考とその表現として、あるいは、そうであるかのように表現として
    外観的に表れるので区別がつきにくいですが、論理の積み重ね・連鎖なく、
    「全体性直観」から、脈絡なく湧出するだけっていう感じかな・・・、
    だから、独断そのものっていう感じになっちゃいます。

     いわゆる、政治的にいわれるリベラルに対する批判
    ・・・まともな内容ある批判を見たこと・読んだことがないんですが、・・・
    リベラルは、知的に抽象(=同時に、無限のものの捨て去りを表裏に行う)された「何らかの観念的枠組みとその当てはめ」に過ぎないので、その対極が「全体性直観」という位置づけになり、そのままリベラルに対する批判ということになります。

     これって、きわめて独断的で、かつ、論理的根拠がないといわれれば
    そうなんですが、
     愚さんがいわれる「感覚(これを全体性直観という表現に重心を移している)」の直接的表現(第一念)ていう感じで、
     内容が全体的に無限に繋がっている事柄の全体構造的直観であるため、
    知的観念的表出という形をとる場合は、
    たくさんの論理の積み重ね・連鎖の結果であるかのような外観になってしまう、
    というようなことでしょうか。

     そうすると、表現しだすとエネルギーが一気に噴き出して止まらなくなります。
    そこで、逆にそれは独断的・破壊的な感じがするので、
    抑制してしまうことにもなります。
     なにか引っ掛かりがあって、すっきり全体性直観としてまとまらないうちは、
    表現することに抵抗と葛藤があって抱え込んでいるということになってしまいます。

    ほんとうに、扱いづらい現象が「ここ」で起きています。
    こうやって吐き出しているのがいいんでしょうか。
    ほんとうに「ここ、この当体」というのは、困ったものです。

  • >>No. 2499


    > 私は個人的には上記の2つの思想よりも、イスラム教徒が蔓延する世界が恐ろしいと感じています。
    > 不思議なことに英国にいる2世、3世も、親の時代と異なり、西洋文化に溶け込もうとせず、
    > より一層、彼らの思想であるイスラムの世界にのめり込んでいるような気がいたします。
    >

    その通りですね。
    無制限な流入をもたらすグロ-バリズムは問題です。
    あえて混乱を作り出しているようなものです。
    ナショナリズムというんですか、ローカリズムというんですか、
    無理のない、混乱が生じないような合理的フィルターが絶対に必要だと思います。

  • 調べていただきありがとうございます。

    いろいろ書いていたら、妄想が次第に膨らんで
    恐ろしいことが増幅し、闇の世界に限りなく
    引きずり込まれていく感じになってしまいました。

    今、世界で展開していることと
    二重写しになっていくようで・・・・
    こんなこと、書いて載せたくないな、という気分
    になってしまいました。

    その気分をいじらないで、じっと味わいつくすのかな、
    って思えてきました。

    そうなるということこそ、全部がつながっているということであり、
    それから逃れられない切り離せない、それこそが自業なんで、
    そのままじっとそれになりきっているんでしょうか。
    よくわからなくなっています。

    しばらく、じっと動かずに見ていることを試みてみます。

  • 2018/12/16 21:32

    >>No. 2477

    > こんにちは
    >
    > ホーキングさんの仰る「神」とは創造神、宇宙以前から存在していて、宇宙を想像したいうと
    > キリスト教などの宗教の「神」です。
    >
    > 彼の著作の一つ『グランドデザイン』等では、重力の法則のような物理法則によって神が存在しなくとも
    > 宇宙はできたと科学的に言えるということでした。
    >
    > レクチャー等では冗談で「宇宙をつくるまで神は何をしていたんでしょうね?」というようなことも
    > おっしゃっていたように思います。
    >
    > 彼にとっては「神」は不要なのです。
    >
    > 余談ですが、キリスト教発生以前の古代ギリシャの劇の』中で、脚本家等は話に収拾がつかなくなると
    > 突然「神」を出し、無理やり話をまとめてしまう方法がよく取られたようです。水戸黄門の葵の御紋的
    > 利用法です。 こういう脚本家をアリストテレスは『詩学』の中で、批判的でした。
    >
    > 宗教における「神」も、古代ギリシャの戯曲のように、むりやり辻褄を合わせるために出してきた、ギリシャ劇と同じようにワタクシには思えます。

    フローラさんのこのトピを少し拝見させて戴いておりました。
    私は、仏教(禅)の側からですので、見え方は物理学の方からとはちょっと違うものもあるのですが、このあたりになるとほとんど話は共有できる感じがします。

     そして、キリスト教の表面の教義的な見え方は、フローラさんの感覚に近いもの
    を感じます。
     ただ、oli***さんが書かれていることを読むと、
    禅とかなり重なるところがあるように思えてきて、
    カトリックとの関係を見極めてみたくもなるのですが、
    如何せん、力量不足は否めません。

    愚さんとoli***さんが書かれていることを対比して見ていると、
    面白いです。
    愚さんの書かれることは、私には馴染むというか、
    少なくとも、ほとんど感覚的に抵抗はありません。

  • 坐禅トピの御投稿拝見致しました。
    御親切にありがとうございます。

     Biglobe の愚さんのお話は、拝読し続けるつもりですが、
    何かひと段落したような気がしており、
    これからどうしていくか、全く白紙でおります。

     フローラさんの多方面にわたるハイレベルな教養は、
    その一端ですら持ち合わせていないので、
    とても話し相手にはなれないんですが、
    逆に私が何かわからないことがあった場合に、
    フローラさんに教えていただけることは
    多いのではないか、と思います。

    高齢化して精神の方は、鈍化硬直化していくばかりですが、
    今、自分なりにわかればいいなと思っていることは、
    宗教・歴史・政治が交叉するところに関することなんですが、

    (1) 日本にはなぜキリスト教が入ってきにくいのか
     (歴史的にも、現在でも、キリスト教徒の割合は、
      他国に比べて、低いとされています)・
      他方、韓国はなぜキリスト教徒と相性がいいのか、
      ということ
    (2) 西欧の5~600年間に渡る植民地時代において、
    キリスト教(カトリックかな)は、
      植民地支配の先兵としての機能を果たしました。
      それは、世俗勢力に騙されたにせよ、そのことに気づき、
      悪徳悪質勢力に利用されないようにするあり方というものを
      問題にしなかったのかということ。
       一般化すると、仏教も含めて、
      宗教の純粋性と悪徳悪質勢力に利用されないようにするあり方
      ということ。
    (3) 西欧近代の人権思想は、異人種に対しては全く適用されませんでした。
    一体、そういう西欧近代思想、あるいは、それを生み出した西欧人とは
      なんであったのか、あるいは、なんであるのか。
       よほど、日本的受け止め方、あるいは、日本人の受け止め方の方が、
      その本旨に適っているではないかということをしきりに感じています。
    (4) 世界史におけるユダヤ人の役割・位置づけ、
      また、ユダヤ思想対中華思想の両危険思想
      の二つの危険思想が気になっております。
     
    但し、すべて直観的に感じているだけで、
    空っぽの知識で言っているに過ぎません。

     ただ、気力がなくなって、探求力がゼロに等しいので、
    フローラさんの広範にして、深い教養のなかで、
    折に触れ気づかれたところを教えていただけると
    たいへんありがたいです。

  • 皆さん、お世話になりました。
    お元気でお過ごしください。
    ありがとうございました。  
    合掌・礼拝

    水月

  • >>No. 22360

    >庭前の拍樹子は、暴力団の中国・朝鮮、
     ならば、まずは暴力団そのものになりきるところから
     入るしかないでしょう。

     つい、理系的には、物理学が一番難しいのだろうと思ってしまいますが、
    愚さんによると、最も単純化したところ、
    その意味で、もっともやさしくしたところでさえ、
    解きがたい難しさなんだというように、言われます。
     医学のように人体などは、それどころではない複雑な問題範囲を
    扱っているので、より解き難い複雑さであるということです。

    従って、三悪道(地獄・餓鬼。畜生)環境での対応対処というのも、
    一対一の巌流島モデルもあれば、・・・・・これは最も単純化されたモデル
    ・・・法律の世界のように、一対一の売買レベル、
    さらに、多数者・多事項が介在・混入してくると、解き難さが累乗化します
    ・・・まして、政治レベルはなんでもあり、
    しかも、膨大な、無限といっていい次元と事柄が関係します。
    単純な理屈の当てはめで対応し乗り切れるわけがありません。
    全身全霊・全直観・全歴史観などが総動員されるでしょう。
    限られた側面の判断でしかない理屈の当てはめでは、
    とんでもないことになるでしょう。

    お施餓鬼は、たった一人の餓鬼に対して、大勢の菩薩が関与しなければならない、
    ということを示しています。応用問題は限りなく難しいです。

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