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No.10
掲示板で
2013/08/30 16:37
誰かと話をしたいと思うのに
どう話しかけたら良いのかすら忘れてしまったように思う。
話しかけて先方が迷惑だと感じたら悪いなと思う気持ちと、
そうなった時、ショックを受けるだろうなと思う気持ちが先に立ち、
気がつくといつも一人で独り言のように言葉を連ねてしまう。
そんな自分を悲しく惨めに思う。 -
No.8
ニュースを読んで(記憶は脳の外にある?)
2013/08/30 15:22
先程の「脳作成」に関するニュースを読んで、以前読んだニュースを思い出しました。
ー記憶は脳の外にある? 頭部を切断されたプラナリアが以前の記憶をー
http://sankei.jp.msn.com/wired/news/130808/wir13080814000001-n1.htm
プラナリアという言葉は聞いたことがあったけど、どんなものなのかは
このニュース記事を読んで初めて知りました。
ちょっとナメクジのような感じで、気持ち悪いような・・・。
幹細胞が全身に存在するプラナリアは再生力が強く、一匹を細かく切断したとしても
切断した数だけ別の固体に再生されるようです。
しかも脳も再生されるそうで驚きです。
しかも、最初の一匹に記憶された情報を、
切断され再生された別固体の脳もそれぞれ過去の記憶として覚えているというから驚きました。
それはこの別固体同士が過去の記憶をすぐに再現させたというのとは違うようですが・・・。
しかし、私たちが学習したことを忘れてしまったとしても、過去の経験により
再度習得する時は、最初よりずっと早く習得できるように、
プラナリアにも同じようなことが起こるそうです。
最初の固体の脳と、その固体を切断させ新たに生じさせた複数の固体の脳。
記憶とは脳だけではなく、この記事は脳の外側や末梢神経にも存在するのではと書いてありました。
そして興味深いなと感じたのは
「学ぶことにより発現した体細胞内の遺伝子が、切断後に変化を含んだ中枢神経を再生し、ひょっとするとこれが“記憶”となるのではないだろうか?」
今回の記事は「運動」に対する記憶に関してのものかな?と思いました。
けどもし、感情による記憶など、そういった記憶も脳以外に関与する部分が存在するのだとしたら、
脳死とは・・・ということも考えてしまいました。
科学は終わりが無い。
研究すればするほど未知なる部分に驚かされ、定説は覆させられる。
そんな段階の危うくも脆い人間の「知識」に、人の死の判断(脳死を人の死とすること)を
委ねていいものなのか・・・私は怖い気持ちになりました。
話が飛躍しすぎかもしれませんが・・・。
そして先程の記事、ES細胞やIPS細胞から人の脳の作成に成功したニュースですが、
誰かの幹細胞を培養して作成されるのなら、
プラナリアのように提供者の記憶(心)も、どこかに残るのだとしたら、
これも怖い話だなと思いました。
これもまた飛躍しすぎでしょうが・・・^^; -
2013/08/30 14:42
こんなニュースがありました。
ーヒトの「脳」の作製に成功ー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130829-00000097-wsj-int
ES細胞やips細胞などの幹細胞から「ヒトの発達途上の脳に似た豆粒大の組織を作り出すことに成功した」そうです。
技術の進歩とはすごいなと感じると同時に、懸念も浮かびました。
直径4mmのその「脳」は、まだ不完全で完成には程遠い状態にあるそうですが
大脳皮質や脈絡叢も認められたそうです。
大脳皮質を調べてみたところこう書いてありました。
「知覚、随意運動、思考、推理、記憶など、脳の高次機能を司る。」
今後技術や研究が進み、より人間の脳に近い形の脳が作成されるようになれば、
その作成された脳には個性が生まれるのではないのか?
脳以外の身体が存在しなくても、一人の人間としての「心」が生まれるのではないのか?
そう考えたらとても怖くなりました。
私は医学のことは全く分かりません。
ただ読んだだけで感じた感想を書いているに過ぎないのですが、
現実はどうなんでしょうか・・・?
そういう可能性はあるのでしょうか?
マウスやラットなどを使っての研究では限界があると思います。
しかしもし仮に、研究用に作られた「脳」に人格が備わるようなことになったら、
そんなSFチックな想像が浮かび、恐ろしさを感じました。
今回の研究では、10ヶ月培養しても、4mmより大きくはならなかったとの事ですが。 -
No.6
朝ドラ
2013/08/30 08:43
今日の朝ドラは、少しだけうるっときた。
見ている私自身も救われたような気持ちになった。
過去の出来事に対して春子自身、どこまでの気持ちを持って過ごしてきたのか
それは春子ではないから推測しか出来ないけど、
今回の放送で、憎しみまでには至っていなかったのだと感じた。
自分の過去の理不尽さをずっと人々が無視してきたような
そんな悔しい思いも持っていたのだと思う。
もしかしたら自分の人生を変えられてしまったと思っていたのかもしれない。
だけど長い年月の間、一人ひとりの心の中には後悔があったのだと知ったことで、
救われたのかなと思った。
見ていた私も救われた。
もし自分の保身だけしか考えずに、心の中に少しの後悔も、相手に悪いという気持ちを
持たずに現在に至っていたのだとしたら、どんなに悲しく悔しくやりきれなかっただろう。
また、太巻氏も、自分の後悔を口にしても、春子が許してくれなかったとしたら、
苦しさとやりきれなさとを抱えたまま生きて行かなければならなかったのだろうな。
勿論ドラマだから、きれいに纏めるし、涙や笑いや優しさや、人の醜いところ、
人の素晴らしいところなどを上手く演出するのだろけど・・・。
それでも今回は見ていてとても救われたような気がした。
鈴鹿さんの、さっぱりとした優しさも彼女らしく好感が持てた。
実際の人間関係は、ドラマみたいには行かないだろうけど。
本当は人間ってもっと単純なんだろうなと思う。
けど、それぞれの願いや思いが違っているから、複雑になってしまうのだろうな・・・。 -
No.5
書き方と話し方
2013/08/28 16:33
書き方と話し方は似ているような気がする。
それは自分に関してだけれども。
私は書き方は勿論、話し方もダメ。
相手にわかるようにと思うあまり、全てを書こう話そうとしてしまう。
だから長くなり、結局途中で何が言いたかったのか分からなくなる。
相手が誤解しないかな?
ちゃんと伝わるかな?
そう思うと全部を説明しようとしてしまう。
これは性格も関係しているような気がする。
誤解されるのが辛いなと思うあまり、
ちゃんと説明しなければ不親切かなと思うあまり、
長い文章や長い説明で、かえって相手を疲れさせてしまうような気がする。 -
No.4
文章と読解
2013/08/28 16:24
今まではあまり気にしていなかった。
文章力が無いのは分かっていたけど。
自分が書きたいことをだらだらと書く癖が付いていたのだと思う。
先日、人の書いたものを読んでいてふっと思った。
私は読むのが苦手で、読解力も無いのだけど、
また読みたくなる文章の人と、読むのが苦痛になる文章の人がいるなと。
単に相性の問題だと思っていたけど、それだけではないのかなと思った。
そして自分の文章も、相手にとって読みにくい文章ではないのか?と思った。
何が言いたいのか分からないままに続く文章を読むのは辛い。
辛いけど読まないとと思うと内容が頭に入ってこない。
それは私に集中力と読解力が無いためなのと、
やはり要点が見えなくただ長く続く文章は読みづらいということもあるのだと思った。
そして私自身も、要点が見えない長い文章を書いてしまう。
自分が読みやすい文章は人も同じように読みやすいと思うのだろうか?

朝ドラ
2013/09/02 15:54
ドラマを見ていると、そこにいる誰かに自分を重ねたり
家族を知り合いを重ねたりしながら、
登場人物に思いがどんどん入って行く。
今日のあまちゃん。
あの日を思い出した。
私は西日本に住んでいるので、震災の揺れも殆ど感じることなく暢気なものだった。
地震が起こったことも知らずに、日常の中にいた。
昼間はあまり見ないTV。
なのにあの日はなぜかTVをつけた。
TVの画面の中が騒がしく、目に入ってきた光景がなんなのか、しばらく分からなかった。
ヘリコプターからの映像が流れていた。
川から水が溢れ、それがどんどん田んぼを飲み込んで行く映像で、
何が起こっているのか分からず、
だけどその映像を見ながら良くないことが起こっているような不安と恐ろしさを感じていた。
大きな地震が東北を襲ったのを、その後の放送で知った。
想像を超える大きな津波が町や人々を襲ったのだと知った。
衝撃だった。
今日の放送を見て、まるで自分の家族のように思っていた(と知った)出演者の人々。
その人たちの安否が気になり、涙が止まらなかった。
物語であってもこんなに心配な気持ちになるのなら、
震災で被害に遭われた方々は、どんなにか心配で不安でたまらなかっただろうか。
恐ろしい思いをされたのだろう。
悲しい思いをされたのだろう。
辛い思いをされたのだろう。
被災し、苦しみの中におられた被災者の方々の気持ちと
全く同じ苦しみや痛みを共有することは、経験の無い私には出来ないのだと思う。
だけどドラマを通じて感じた愛情にも似た気持ちを通して、
ほんの少しではあるけど、被災された方の当時の安否を心配される気持ちが
分かるような気がした。
それでも当事者が感じた思いを理解するのは難しいのだと思う。
南海トラフもいつくるのか分からない。
自分の身にもいつ災害が起こるのかは分からない。
こんな風にいつか自分も被災者になるかもしれないと教えてくれた東日本の震災。
もう一度よく考えてみたいと思った。
そして改めて震災でなくなられた方々のご冥福と、
被災された方々の復興への願いを忘れてはいけないのだと心に刻まなければと思った。