-
No.134
Re: 空と虚ろ
2012/12/23 08:50
>>No. 130
>>わかろうとすることをやめたら そこにわかることと
わからないことの関係がよくなったみたい。
>なるほど〜〜〜
そうか、そうか
>わたしはちょっとセッカチでグイグイ向かいすぎなのかな^^;))
参考になります
年齢かなあ?
僕もセッカチでグイグイというのやったんですが、それをやめたら、あきらめたら、じぶんのなかのほんとのわかりたいが出てきたように思います。
そうすると
風景や人たちやことばやできごとなんかが、それまでとちがってすごーく素敵に思えたりしてきて
>以前、不調だった頃の数少ない功績は「ぼーっとする」ことが
できるようになったことです
それ以前は、ありがちですが、常になにかしてないと不安でした
そうそう!常になにかしてないと不安というのはありました。
>ぼーっとする以外何もできなくなって、最初はつらかったけど、
次第によさがわかりました
はい
>しかし、こんどは「ちゃんとぼーっとする」ことが難しくなってりして(笑)
「ちゃんとぼーっとする」というのは顕在意識をリラックスさせることじゃないかなあ?
顕在意識をリラックスさせると潜在意識が浮かび上がってくる。
うまくいけばふたつの意識が良い関係をむすぶことができる
>空っぽじゃないと入らない器、ってことでもあるのでしょうが、
...この空っぽって、でもいわゆる低俗な虚ろさとは、
若干、ちがうわけですよね(笑)
豊穣な無がはいっているんですね(笑) きっと
>「あんた何も考えてないでしょ!?」
>なんてセリフは...えーそれは、す、すごい!とも、
ほんとしょーもない、ともとれるんですね^^;)
顕在意識では考えてはいないんでしょうね。 -
No.135
Re: ドラマ
2012/12/23 11:42
>>No. 131
太極拳は7年?ぐらいやっています。
80歳をすぎたおばあさん先生を中心に20人ぐらいの集まりです。
おばあさん先生はえっちな話しがすきで気品があって、そのむかしシングルマザーでクラブ歌手だったなんてはなしを聞くとうれしくなります。
集まってくる人がみないい人になってしまう 不思議な場所です。
>わたしはヨガをやってみたい
じぶんが何をやりたかったのかはそれをやりはじめてからわかるような気がします。
僕は太極拳をやりはじめたらすぐにああこれがやりたかったんだ!と思いました。それくらいぴったりくるものでした。
まわりの人たちからみたらとても太極拳なんて思えないほど自分流にやっていますがとても気持ちがいいものです。
>ところで、表現て、やっぱり人間の独特な世界ですよね
なんだろう、せずには生きてられないひとっている....
むかし、というか、いまもそんな生き方にどこかあこがれます
はい
表現できない、あるいはうまく表現できないことがとても苦しかった時もありましたが、今はわりあい無理をせずに表現できるようになったのはうれしいことです。
>求愛ダンスの鳥も表現チックですが、本能に組み込まれたもの
はい
鳥はわざわざ表現などする必要はないと思います。
本能にしたがって行動すれば世界とのあいだになんの齟齬もないでしょうから
人間の表現は本能から逸脱したものだと思います。
>ひとの表現って、どう考えてもしぜんなかんじがしない(笑)
むしろ、反対なことのように思えます
ほんと ほんと!わざわざしょうもないことやって苦しんでる(笑)
だけど最近は苦しいばっかりじゃない楽しいこともあるような気がして
人間として生まれてきたことはトータル(まだ終わってない(笑))としてよかった か な? -
No.139
Re: いのちのリレー
2012/12/26 06:47
>>No. 136
ってのはたしかにそうですね。
孫がいてくれるだけでじぶんがこの世界に生まれてきてよかったなんて思う時があります。
だけど孫がかわいいと思うのとおなじくらい他所のお孫さんもかわいい。
奥さんはなかなかいいね!なんて思う時もあります。
だけど他所の奥さんもまたおなじくらいいいね!なんて思うときがあります。
奥さんとはもとは他人です
他所のおじいさんやおばあさん、少年少女なんてもまたいいね!なんて思う時があります。
ハトさんやぶんちょさん(笑)やめごちさんもいいね!なんて
植物や風景や鉱物さらに人間が自然物質に無物質をはたらかせてつくったモノのなかにもいいね!があります。
いのちのリレーによって伝えられていくものこそ先人達がたましいと呼んでいるものかもしれない
ひょっとしたら鉱物にもたましいというものがあるのかもしれない そんなかすかな予感 があるような
大きな石を見て感動するのは石のたましいと人のたましいが呼応しあっているのかもしれない なんて
鉱物にもたましいがあるかもしれなということはこれからおいおいこのめごちが証明していきます(笑)
>>「もどれるよ しんぱいない」なんて超能力?を発揮します。
>うーん、こどものことばってほんとおもしろいですよね
ふつうの人が知りえないことをピタリとあててしまう。だけど不思議でもなんでもないよくあることなんだと思う。
なぜわかるのかがわからないだけで
だれでも程度の差はともかくあるんじゃないかな?
>>僕もそのじぶんの年頃に戻ってじぶんの欠落したものを
うめてもらっているような気もちになる。
>あー、なるほど
もちろんいっしょじゃないけど、ペット愛好なども
そんな効果があるのかも...
そうそう! 風景でもいい
僕は建築物をみてると
http://www.youtube.com/watch?v=Xy-M9FyuNV8
http://www.youtube.com/watch?v=z9H1qn84V_I
>かわいいとか好きとか、大事とか、大切、そんな気持ちを
思い出させてくれるのかな、愛玩動物に
そんなかわいいものが好きなじぶんが好き、となっていくから
そうそう!
>このループは「手放せなくなる」=依存、でもこのくらいは
違和感を与えてもあまり弊害はないのかな。。。
すてきなひととき たとえ弊害はあってもいい 手放せない
>そんな平野から眺めたら、エゴなんてほんとうにちっぽけ、だけど、
エゴなき人生は味気なくて、でも苦しくて、やっぱり放棄したくなりますよ(弱音;)
エゴは大切なものなんじゃないかな?
それはそれで大切にしたまま、、、という視点があるそうな
そんな場所に立ってみたい -
No.141
Re: 願望と潜在意識
2012/12/26 16:18
>>No. 138
>>じぶんが何をやりたかったのかはそれをやりはじめてからわかるような気がします。
>よく「願望達成」ということと潜在意識は関連されて語られますね
やりたいことって、ふしぎですよ
「やりたい」ことってふたつあると思う
ひとつは親やまわりに人たちの期待に沿うようなやりたい。
よい成績でよい大学を卒業してよい企業に就職する なんての
あるいは清く正しく美しく
もうひとつはじぶんのやりたい
潜在意識のほうに追いやられていてさがしだすのに手間がかかるほう
>すべての願望は目の前の現実が答えで、つまり、
じぶんのやりたいことはすでに達成されているという
考え方があります
はい
顕在意識のやりたいではなくて、その時のじぶんのとった行動が潜在意識と顕在意識のトータルのやりたいということなのかな?
たとえば顕在意識ではきらいと思っている相手でも結婚という行動をとったとすればトータルでは好きということになる。
だけど潜在意識が顕在意識の場所から追い払われたものだとすれば(これには一部異論があるけど)潜在意識と顕在意識が公平に話し合える場、たとえば境界領域あたりまで顕在意識が歩み寄らないとね
今の時代は顕在意識がいばっていすぎるから
>それがすべてで、あとはすべて「妄想」
「妄想」をもっと大事にしたほうがこころの健康にとってよいと思う。
>だから夢や希望を語ることは実はまやかしを強化することで、
「夢をもて」とか「志高く」なんてのは欺瞞の始まりだって話です
>けっこう洗脳ってありますものね
「夢がないのはダサイ」とか
うん ぼーとなんてしていられないね
親やまわりの人たちによって洗脳されたから
ハトさんや樹木や鉱物的視点に立ってみるのもたまにはいいと思う
>「個性」なんてのも洗脳ですが、それで経済が発展したという
側面もあります
>「1人に別々な一個を」みたいな
結局、資本主義的大量生産なんですが...
はい 個性を求めすぎると行きつく先はどういうわけかマスにいってしまいます
とてもせかされてあわただしい
みんなちがってみんないい
というのがゆっくりのんびりなんですけどね
>ご無礼ながら、めごちさんはすっかり老成されているような印象も
ありますが、人に「使命」を生きるとか、あるとお考えですか?
老成という気分ではないです。
一応は平穏なくらしですが、ようやっとここまできたという感じです。
それだっていつやってくるかわからないわけのわからない不安やひとりぼっちの恐怖なんてのに乗っかった平穏ですから
から元気 で す(笑)
「使命」ってのはどうなんだろう
じぶんのこころに沿った生き方というのができれば、それがそのまままわりの世界のながれに沿うことになるんだろうと思う。それが「使命」のような気がする。
じぶんのこころに無理をするのは「使命」を果たしていることにならないんじゃない か な? -
No.145
Re: しくみ
2012/12/28 19:14
>>No. 142
>いいですねー
うっとりできますねー
素敵な巣穴(笑)
>そうか、建築物もペットと同列か(笑)
うん そう
建築物もペットも人もお月様もとてもエロティックです
こころがふるえる
>趣味は人生を豊かにする?とよく聞きますが、
趣味が人生のすべてのひとはどうするんだろう?
>人生が趣味っていうのもありそうですが....
そうなると、やっぱり「人間じゃない」ですね(笑)
うん 「人間じゃない」ですね(笑)
すべてとなると趣味でなくなる。
趣味が成立するためには趣味でないもの(たとえば仕事)があってこそ と思うんだけど どうなのかな?
さとりの人なんてどうなのかな?
>そういえば、仏教をすこし知ってホッとしたのは
前提として「人間の枠」を軽々と超えたところから
はじまってる気がしたから
そうそう!
人間をやっていくためには「人間の枠」が必要なんじゃないかな?
だけどその「人間の枠」が苦しみのもとになる
その「人間の枠」を軽々と超えるためには修行なんかしなくちゃならない。
修行するためにはまた別の「人間の枠」が必要になる?
そのあたりの加減が どうも うまくつかめない
軽々と超えたところから、、、という気分はとてもよくわかるんですけどね
>たまたま、ひとをやってます、という視点がほかった
でも、掘っていくとこれがまた、きびしかった(笑)
うん そうそう!
>>鉱物にもたましいがあるかもしれなということは
これからおいおいこのめごちが証明していきます(笑)
>お、注目発言^^))
あはは! もしかしたら!こんどこそは!なんて気分になっていた注目発言したあの時
今は集中がきれてしまって やっぱり(笑)
証明の階段をとんとんとんと上がっていって
あともう一段のステップはそれまでのものとはぜんぜん別のものをつかわなくてはならないものかもしれない?
なんか方法があるはずなんだけどなあ?
だってそんな人はわりといる気がして
また今度やってみよう!
>隕石に乗ってやってきたという説もありますね
あるある(笑)
>エゴの燃料は欲、だそうです
そんな気がします
>欲とは所有です
「こんな自分を持っていたい」からはじまるような
はい
>すべて幻想ですが、それは五感が幻想だから
でも、五感で味わうこの世界が現実
だから現実は幻想だけど....
>あーこのややこしい「しくみ」どうにかして(笑)
色即是空で ほんでもって 空即是色で ほんでもって 空不異色で ほんでもって色不異空
なんだろうけどね
なんていうか その 実感がほしい気がする ややこしくてもいいから -
No.146
Re: 還って来たヨッパライ
2012/12/29 10:07
>>No. 143
>関心が向かないことって「足りてる」ことだったりします
おお たしかに!
願望が満たされるとその瞬間はとてもきもちがいいけどあとは、、、なんにもないようなあるような
関心が向かないってことは「足りてる」ってことですね たしかに
悪くない状態のようにも思われます なるほど!
さとりのひとたちが言っているのはこのことなのかな?
>親鸞やらは真宗、わたしは禅宗派ですね
親鸞さんにひかれるのはしょうもないじぶんでもそのぶんだけ阿弥陀様がすくってくださるからしんぱいするな!というところ
空海さんにひかれるのは山や川や草や木や鉱物なんかはみーんなほとけさまでとてもえっちだ
えっちをたよりたどっていけばじぶんもまたほとけさまなれる(笑)
>禅宗が入りやすいのは表象が少なくて、必ず
「いまここ」に戻ってくるから、かな?
そうそう 表象が少ない たしかに
そのぶんだけはっきりを迫られる気がして
あいまいがすきな僕としては「修行がたらん!」なんていつも怒られて気分がして
天才たちのためにはいいかも
なにものにもとらわれない「絶対自由」なんてあこがれます。
公案ってのはすきです。
>真宗の教えがキリスト教とかなり似てるというのは
有名ははなしですが、阿弥陀とか如来を拝むからでしょうか
問答無用で「拝めば(信じれば)救われる」と念仏するのが基本形
うん 拝めば(信じれば)救われる
信じることができればそのことによって救われる。
信じること信じられることはすごいことなんだろうと思う
>わたしの見解では、いまのところ、
阿弥陀とかなんやらはやっぱり潜在意識を指してる気がします
擬人化、表象化するとああなるだけ
>念仏は祈りで、潜在意識へのアクセスなんでしょう
そうそう!
>やっぱり、ひとの発想っていつでもいっしょかもしれません
呼び名や見かけがべつなだけ
うん そうそう!
じぶんの気にいったきもちにあった呼び名をつければいいと思う
他の人がおなじような呼び名をつけていれば うん そうそう!なんて
>すてきな酔っぱらいでいたい
うん そうそう!
>酔えないひとって、酔う必要のないひとですよ
すでに「出来上がってるから」(笑)
あはは! たしかに
>泥酔してる
>ときに、悪夢に....
むかしは悪夢ばかりで -
No.147
Re: 境界領域
2012/12/29 13:42
>>No. 144
>なるほど、手間か
天才的だと手間ないじゃないですか?
うん 天才は途中省いていきなりだもんね!
>むしろ、ズムーズすぎることが悲劇的、とか
そうそう こんどは他人に理解してもらうのに手間がかかる 悲劇でひとりぼっち ひやくねんぐらいして本人が死んだころに理解される。
>凡人の場合だと、潜在意識が追いやるのは
いろんな「おそれ」「防衛」「否定」「拒絶」
という事情が反映されるから?
凡人はじぶんも理解できない
だから世間に負けて
世間とじぶんの両方説得しなくちゃならない 時間がかかる
>自分が自分のことをいちばん、知らない、とか
そう じぶんがじぶんの外にでることができない
天才はそれをやってのける すごい!
>だってなかなかむずかしいですよ、ほんと
直感してもどこか納得感がないから、理念や信念に頼るのだろうし
理念や信念は直感を弱らせます。
天才の直感は世間の理念や信念をねじふせてしまう
凡人の直感は世間の理念や信念にねじふせられてしまう
直感はけっしてまちがわない まちがっているのは世間 です(笑)
>感情は好き嫌いのお知らせ
おおっ!
>意思は情熱
おおっ!
>あ、恋愛と似てる?
おおっ! ぶんちょさんは恋愛中ですか? -
No.152
Re: しきそくぜくう
2012/12/30 12:45
>>No. 148
>トシもおしせまってきました
>かんけいないけど、おそばは好きです^^
僕はコロモのパリッとした濃いつゆのかかったカツどんがすきです^^
うなぎもすき
>しかし、クリスマスよりましですが、
>年中行事のそわそわ感が苦手です==:)
うん ふつうの日がいい
きのうとおんなじきょうでいい
きょうとおんなじあしたでいい
>なるほどエロか、そうか、やっぱりそうなのか(笑)
>生きようとさせる、ものごとですね
そうそう
生命が生まれた時のことを思えば
なんだかんだといっても生きているってことはすごいことだと思う やっぱり 鉱物的見地から言っても(笑)
>「あそびをせんとやうまれけむ」って、
子ども頃からすごくヒットすることばでした
ちいさなこどもたちはあそびの天才です。
まわりがよけいな口をはさまなければじつにみごとにあそぶ
僕らには見えない妖精たちといっしょにあそんでいるみたいだ
>>なんていうか その 実感がほしい気がする ややこしくてもいいから
>あーそうなんです
実感があれば、
...って、この「もとめる」のが煩悩?欲?(笑)
>求めなければただ「感じる」だけ
ああ そうだね! きっとそんな感じなんだと思う
わざわざ「もとめる」ってのは煩悩なんだね きっと
おのずからっていうか、あちらからやってくるってかたちがいいのかもしれない
「もとめる」ところにはやってこないんだよ(笑)
やってきてからはじめてそれが「もとめて」ことがわかるのがいいのかな?
修行するというのは「もとめて」いるのかな? -
No.153
Re: 信じる
2012/12/30 20:05
>>No. 149
>>えっちをたよりたどっていけばじぶんもまたほとけさまなれる(笑)
>「みてみたい」「のぞきたい」「さわってみたい」
>なんてかんじですか?(笑)
でも、エロって単純にその引力みたいな引きつけ感ですよね
空海さんのところに般若理趣教というのがあります。
このお経は人間のなかのさまざまの欲望を、えっちなんかもそうですが、つかってじぶんのなかにあるほとけさまを引き出そうという教えです。
とくにえっちのぶぶんを強調したのが真言立川流だそうです。
チベット仏教やヒンドー教のなかにタントラなんて呼ばれているのがそうだそうです。
>あれ?ほとけさまになれるっていうのは?
エロスというのは潜在意識をふるえさせるんじゃないかな
あるいは固くこわばった顕在意識の防御のとびらをひらくちからをもっている
うまくするとそのなかからほとけさま(すてきな潜在意識)がででくる(笑)
>わたしもあくまでもロジックというか、
論理的思考でいくと性に合うってだけかも
論理的思考でいけるのはとちゅうまででそこからさきは論理的思考の力だけではいけない と 思う
だからといって論理的思考でそこまでいけたからこそというのはもちろんあります。
>何かあれば、いともかんたんに仏像にすがってしまうかかも(あはは〜)
仏像(潜在意識)は信じればいつでもどこでもどんなひとでも受け入れてくれます きっと
>ごく最近ですね
「信」ってことば、
ことばを考えられるのは
>なんだろう、すごく気になる
>信じるってすごく気になる
>以前は「そのままいく」って、
じぶんのなかでは定義してたんです
>まったくわからない言葉だったんです
信じるというのは無条件なんじゃないかな?
たとえば好きなひとが裏切り行為をしてもやっぱり信じる そこのところはかわらない。
たとえば孫がやったことはなんでもとーたるとしてそのまんま受け入れられる。
それの規模をおおきくしたようなものかもしれない。
>でもいろいろ考えて
「あ、結局ケチつけないでそのまま先に進む」ってことかなと
そうそうそう!
>でもまた最近変わってきた
>これ、やっぱり言葉じゃ伝わらない言葉だなって
言葉以前のままでとめておいてもいいし先に行ってすてきな言葉がみつけられたらそれもいい -
No.154
Re: 悪夢の世界
2012/12/30 20:22
>>No. 150
>じぶんの気にいったきもちにあった呼び名をつければいいと思う
他の人がおなじような呼び名をつけていれば うん そうそう!なんて
>あぁ、きもちにフィットすることが大切なわけですね
呼び名をつけるのは顕在意識それに同意するのは潜在意識
ふたつが一致すればきもちのいい呼び名になります。
>同じことをいってるのに、
言い方がちがうというだけでモメたりしてますね
ちがうということでいっそうよい呼び名がつけられるときがあります
>「逃げ」と混同してしまいがちな自分がいます
「ご都合主義」「ことなかれ主義」
>あー悩ましい(笑)
たのしいことなかれ主義をやっていれば いつか きっと たぶん(笑)
>「インセプション」というハリウッド映画は
ご存知ですか?
>最先端の脳科学と?禅の融合を感じます
>もしおヒマなら、お正月映画におすすめです^^)
ありがとう!しらべてみます。 -
No.155
Re: 天才論
2012/12/31 07:58
>>No. 151
>やっぱり、めごちさんは
おもしろいなー
話せてよかったー
僕もよかった
とてもたのしい
>めごちさんも天才ですね
天才のことをわかるのは天才だけですよ(笑)
だれでもなにかしら天才なんじゃないかな?
ぬすみの天才 うそつきの天才、もてもての天才
だれでも潜在意識のなかに天才をかくしもっていて、それをなんらかの方法で顕在意識のところまでひきだしてくる
いのることによって かんがえることによって よっぱらうことによって 狂うことによって 愛することによって
>直感て潜在意識がストレートでやってくる?ってことかな
純粋なひらめきに突き抜けられるような
詩人であれば「言葉によぎられる」とか
直感というのは潜在意識からのおしらせみたいなものじゃないかな?
ふだんは顕在意識のガードがかたくてでてこれない
潜在意識はことばをもたないから直感というかたちででてくる。
それに顕在意識がことばをつける。
潜在意識がそのことばに同意すれば両者の会話が成立する
>メンドクサがったら人生つまらないでしょうか?
>しかし、たしかに恋愛っていうのもかなり謎が多い現象ですよね
>さっき書いた「信じる」にも通じる
>じつに興味深いテーマのひとつではあります
じつは人をすきになるということがどういうことなのか僕にはよくわからない
人のはなしや物語で聞いている「すき」と僕が思っているすきとちがうような気がして?
僕はほんとにだれかをすきなんだろうかわからなくなるときがある。 -
No.160
Re: お遊び人生
2013/01/02 10:32
>>No. 156
>はい、こどもはひとの本質をシンプルに表現しているといえるのかも
こどもはひとの本質を迂回路をとらないでそのまま、ためらわずに表現しているのかな?
おとなになると見えなくなるものがまだ見える
おとなになると見えなくなるということは社会に適応?
でもやってみたけどなんだか楽しくないので
目から自分でくつけたウロコなんかを何枚もおとしながら元のこどもの見えるところまでかえってくる やっぱり!なんて
人間やるってことは不毛なむなしいことなのかしらん?
そうではなくて
くるしかったりたのしかったりしながら人間やるのはそれなりのものがあるのかもしれない なんて思う今日この頃
こうしてこんなことをぶんちょさんとはなしをするのはたのしい
>「あそび」って、だけど、だから、ある意味さとりの境地
でもあるようなことかなと感じます
うん そう思う
>なにやっても悲惨でも、あそびでしかないっていう...
クモをふみつぶしたり ネコさんに石をぶっけたり
あれはあそびなのかなぁ?
それともおとなになるのがいやでその不満をぶっつけているのかな?
悲惨というのは人間のつくりだしたもので、鉱物的見地からすればなんでもないことなのかなぁ?
我が家にハトさんの夫婦がすんでいます。とてもいい声でなきます。
かれらはあそびをするのかな?
>五感を超えた境地から、五感をたのしませて、
遊ぶという境地がきっと望ましい生き方と思えるから...
そうそう!
むずかしいみたいだけどやれそうな気もするね 時々ならば
それにやってる人は多いと思う 時々だけれど(笑)
おとなになってもこどもはまだどこかに(たとえば潜在意識のなかに)残っていてそれが助けてくれるのかもしれない。
>その境地って、時間の澱で?どんどん濁ってみえなくなる
そうそう!
>肉体=物質との条件的な制限もあるし、
いろんな記憶や自我の鎧で重くてゴミがたまって
子どもにような軽やかな遊び心がなくなる
(そこをも、遊べるのでしょうが)
そうそう! それがおとなになるってことさ なんて教えられて
>与えられたじぶんという「素材」をつかって
どう生きることを味わい、楽しむかが、
自我をこえて(ともに)人生を遊ぶこと、
そんな気がします
いいね!
>でも、たしか一休さんなどはそれで?
俗世にまみれての方丈生活で生涯をすごしたのかな?
うん 晩年の一休さんは自分のお寺に盲目のガールフレンドを連れ込んでいましたね
一休さんはちいさいころからお母さんとはなれて暮らしていたからそんなことも関係しているのかしら?
僧侶としての戒律なんて無視してますね
禅のそんなところはひかれます
>「まだ死にとうない」ってのが、末期のことばだったとか
ぜんぜん、ふつうじゃんて(笑)
あはは! いいね!
>「さとり」ってきっと、現代では自我のある
「ふつうのひと」になるってことかな
なりきること
そうそう!
僕はなりきらなくてもほどほどでもいい か な? -
No.162
Re: 話法
2013/01/02 16:43
>>No. 158
呼び名(ことば)はこころを入れるうつわです。
潜在意識と顕在意識がいっしょにつくります。
すてきな呼び名(ことば)をつけることがそのまんますてきな世界をつくることになります。
目の前に現れる世界はじぶんが呼び名(ことば)をつけることによってできたものです
おなじように他の人たちもそれぞれが世界をつくっている。
世界と世界のうまい関係がてきたらいいなんて思います。
>気づくと発話しちゃってるというのは
潜在意識が「だだもれ」てるのかな〜?
潜在意識と顕在意識のあいだに緊張関係がないからじゃないかな?
>オバチャンの会話は「無意識の垂れ流し」とか
揶揄されますが、こわさがあるのはそのせい?(笑)
あけっぴろげ
時にはそれが顕在意識にとってこわい
男のひとは潜在意識を押し殺して会社ではたらいているからかな?
>つくづく話法というのはむずかしいですね
>こうして書いてるのはたのしいし、らくです
潜在意識で話しているから(笑)
>直接だと対話が独話になってたりするし
顕在意識で話しているからかな? -
No.163
Re: 死角
2013/01/03 07:40
>>No. 159
>>じつは人をすきになるということがどういうことなのか僕にはよくわからない
人のはなしや物語で聞いている「すき」と僕が思っているすきとちがうような気がして?
>>僕はほんとにだれかをすきなんだろうかわからなくなるときがある。
僕はなぜこんなことを言い出したんだろうなんて考え込んでしまった(笑)
だれかを「すき」になったり、だれかから「すき」になられた時の落ち着かなさのことをいいたかったのかな?
奥さんや子どもたち、友人知人たちとの間にはそんなことないのにね
ほどよい距離があるから か な?
僕があこがれているすきは距離がぜろなのかもしれない
それは果たされない夢みたいなものなんだろうか?
>「ぜんぶじぶん」だから、じぶんでじぶんをすきって
いう感覚がすこしおかしいと感じるのかもしれないですね
うん
>じぶんが受け取っていないものはわからないとか、
与えられていないものは人にも与えることができないとか、
>いいますね
うん そうそう きょりがぜろというすきはもしかしたら赤ちゃんと母親との関係のなかにあるのかもしれない
僕はその体験がなかったのかもしれない
>それをずうーーーーっと、じぶんの外側にもとめて
くるしくなったりしてきたと思います
>「すきになってもらうために、これをする」とか
そんなわけないから
>でも「上げ底」スタートだとなかなか気づけないし
ああそうか
ひとはだれかをすきになることができてもじぶんでじぶんをすきになることはできない
それなのにじぶんで自分を好きになりたいと思っていたということかな?
>そういえば、むかしつきあってた相手に
深刻なムードで「じぶんはモノしか好きになれない」
って内情を吐露されたことがありますが、
まったくハラは立ちませんでした
「...ですよね」って感じで(笑)
うん モノならば距離ぜろでもだいじょうぶな気がする
どうぶつでも
>樹木でもモノとなら心中できそう
車や楽器、服や刀?アイテムいろいろ
すべて「杖」みたいなものかな
うん きもちはわかる と 思う
>ちなみに、ほかのひとのすきってどんな風にみえますか?
時々みかける きょりぜろなんじゃないかと思えるような関係
人間でも母子とか友人とか男女とか
僕はそういうのが欠落してるのかもしれないなんて気がして -
No.169
Re: 無と空
2013/01/06 08:11
>>No. 165
>はい、だけど、欲望って生そのものだから、
生きることを抑えることになりますね
そう ずいぶんむずかしいみたいな気がする
欲望というのは人間がつくりだしたものなのかな?
ハトさんは欲望をもたない たぶん?
ハトさんのもっているのは本能にもとついた欲求 たぶん?
>でも、だから、出家なのか
現世を離れるということですね
目の前に現れる世界は欲望がつくりだした幻想の世界である。
幻想だとしてもなかなか素敵だ!なんて思えるときもあるしそうでないときもある
出家して欲望をなくしてみればほんとうの世界が見えてくる
その世界はそれはそれは安心の世界であるというのかな?
修行の天才たちはほんとうの世界を見たんだろうか?みたんだよね きっと
我が家の庭のハトさんを見ているとそんな気がしてくる
>最近はもっとクールで抑えない
英語圏の人たちが「クールな奴だぜ!」なんてつかっているいる場面ではなるほど!なんて思う
欲望にたいして熱くならない奴 かっこいい! みたいな意味なのかな?
>南米の成人の儀式もそうだったけど、たしか麻薬を吸って森に入り、
一度死ぬっていう
つまり、森も山も子宮に見立てて、再生して大人になるっていう儀式
とても納得できる儀式だと思います
>女性が入山禁止なのは、必要ないから、と聞きました
うん そうなのかもしれない
>安心を得ようとして逆を呼び込んでるのかなって
例えば、経済的安心を得ようとして「不安」を利用することになる
「もっとないと不安だ」「まだ足りない」「このくらいないと安心できない」って
不安をかきあつめて、安心をめざすって、なんか変?って
預金残高が増えてもそのぶんだけ安心というわけではない。
欲望が満たされていれば安心する。
だけど不思議なんだよね
欲望が満たされるとその瞬間はきもちいいけどあとは目の前に無とか空があるだけみたいな気がして
さとりの境地というのはいつもいつも目の前に無とか空がひろがっているだけなのかしらん?
いくらなんでももっときもちのよい安心なんだろうね
>この場合、あくまでも恋にはおちない。。。んですよ
ただ、カラダをひらくことでココロのガードがゆるみ、
潜在意識との通りがよくなることもあるっていう、
ああそうか! なるほどね! 納得です
>>「祈るということは心をからっぽにすることだ そうすればこころは神でいっぱいになる」
>>仏教の教えととても似ている!なんて思う
>ほんと、そうですね
>瞑想=無
>じぶんなんて、どこにもいない
いないことで成り立つ、じぶん=空、か?
なんとなく雰囲気はわかるんですけどね
修行の天才でないからほんとうのところはわからない。
雰囲気を味わうだけでも楽しめる
イチロー選手になれなくても草野球をたのしめる -
No.170
Re: コミュニケーション
2013/01/06 08:29
>>No. 166
>コミュニケーションって、だから不思議に思えます
>つくづくなんでこの世はじぶん独りだけじゃないのかな?なんて
>逆にいえば、なんで独りずつ分かれてるんだろう
>なんで交信しなきゃいけないのか
>このしくみは何なのか....いつもそこへもどる
もともとはひとつだった
そこにどういうわけか自我なんてものがでてきた
じぶんと他人がわかれた
いつのまにかじぶんのなかから出られなくなってさびしくなって
他人を求めるようになった
じぶんでいるかぎりそれはかなわない
じぶんを無くせば(無我)それまでじぶんだったところは他人でいっぱいになる
もとのむかしのひとつになれる めでたしめでたし! かなぁ?
>そうか、たとえば仕事は顕在意識を駆使した
エゴの競い合いですね
>数字の取り合い
数字を取ってもしあわせになれない
でも数字がないと生活が成り立たない
数字はそんなにたくさんなくても楽しく暮らせる 無理することないのになんて思う -
No.171
Re: スピの根拠
2013/01/06 14:37
>>No. 167
>はい〜、そんな気がしてました(笑)
こちらも少しあわてた
...けど、おもしかった
そうですね じぶんで考えているとは別のことばが出る 思わず
それが思わずでもないようなあるような
あとになってみればちゃんとつながることもある
>ここで知る限り、めごちさんの本質には「一体感」とか「同化」とか
「融合」という「夢」をもとめるような衝動が常にあるような気がします
はい
>わたしも以前、破局した恋愛経験ですが、
「お前だけには距離がとれない」
って困惑気味にいわれたことがあります
僕は奥さんに「もっと距離をとってくれー!」なんていわれたことがあります。
いざ距離をとってみればそれなりに快適にはなります。
でもどこか物足りない それで別のところで(笑)
別のところでは相手が人でもモノでも動物でもけっこう距離ゼロの関係ってつくれるんですね
それで今気が付いたんだけど僕はわりとめぐまれている 今は
むかしのめぐまれていなかった時の残存記憶があとをひいているのかもしれない?
>あと、水にはいるとけっこう一体感、同化(笑)
はい 水のあるところはおちつきます
>親しき仲にもナントカが、この世の社会通念で、
でも、好きになると距離なんかいらないって感じが
わたしにもあって、いまはそれが特徴的なことだという
自覚ありますが、当時は何をいわれてるのか気づけませんでした
そうそう!ほんと 何をいわれてるのかわからなかった。
相手のせいというより僕のほうでガツガツ飢えていたんだと思う。それで相手かまわず
相手は閉口していたんだね
今は初めて会った人でも動物でもモノでも
距離ゼロの関係にもっていける相手かどうかはわかる。
3秒あればすてきな恋もできる(笑)
>その「いっしょだった」記憶をDNAに強く刻まれている類型
があれば、それが同化願望という傾向を持つことはあるのかな、なんて
勝手に直感してます
はい
>わたしもあまり母親と親密感がないほうです
これは「母親」っていうのがキーワードになってくるのかな
やっぱり、そういう実体験としての想いにも重なるってことかな
肌と肌が触れる経験って乳児にはすごーーく
重要だって話も聞いたことあります
性行為はあかちゃんと母親とのあいだでなされる行為ととても似ている気がします。
感情はどうあれ身体の接触は魂にとってとてもだいじな時があります。
>>ひとはだれかをすきになることができても
じぶんでじぶんをすきになることはできない
それなのにじぶんで自分を好きになりたいと
思っていたということかな?
>ん?これはどういう意味ですか?(笑)
めごちさんは、じぶんが好きじゃないですか
伝わってきますけどね^^)
自分の顔はみることができない
じぶんは自分の外にでれない。じぶんのことはわからない。それでもだれかがすきになってくれれば間接的にじぶんのことはもしかしたら好きになれるのかもしれない
だけどじぶんのことはじぶんではわからないというのはそうかなと思う
離人感というのかな?じぶんがじぶんにしっくりこない しっくりこなかった。
今はわりとしっくりしている
これも過去の記憶の残存にひきずられているのかもしれないです。
>>うん モノならば距離ぜろでもだいじょうぶな気がする
どうぶつでも
>うん、ヘンタイまだあと一歩ですね(笑)
ヘンタイに乾杯!
>>僕はそういうのが欠落してるのかもしれないなんて気がして
>いえいえ、99%の人類はその欠落感、共有してると思いませんか?
そうは思うんですけどね それがときどきわからなくなる -
No.177
Re: さとり
2013/01/07 20:36
>>No. 172
>なんとなく、そんな状況をクールと言ってみたのですが
娘のだんなが外国人でその孫たちがクールなんてことばを使うんですよ。
まあ「かっちょいい」なんて意味で使うんでしょうがその使う場所が問題です。
世間いっぱんでつかう「かっちょいい」とは別の場所でつかう。
すこし反体制てきなところがある(笑)
>子どものように「未来」という「今」だけがある
という感覚は近いのかも
自我の破綻をモノともしないような
子どものよろこぶような社会をつくったらそれが大人にとっても素敵な社会になるように思うんですけどね。
素敵な社会のつくりかたは子どもがいちばんよく知っている。
子どもが壊すのを喜ぶのはこんなせかいはきにいらねぇ!っていってる気がして
>過去の記憶が増すと、なんだろう、
独自の技術や工夫がないと、
どんどん処理が追いつかなくて悪夢に
飲み込まれるようにしばられていきますね
そうそう!記憶の消去もしくは選択ということがとても大事になっていると思います。
今は情報と言った方がいいのかな?
>ある種のドラッグ...薬物体験ではきっと、
いいかんじで現世のすべてにピュアに強烈に
コミットできるような、至福感を
ともなう感触が得られるのかな
得られた感触を日常のなかにいかにして着地させるかが問題なんだと思います。
そうしないとつかのまの夢になってしまいます。
いつもいつもドラッグをつかわないではいられなくなる。
>ベジタリアンとか、要は感覚を研ぎすますための
節制?習慣、ということでしょうか
集中することかな?祈るとか 考えるとか
>しかし、懐かしいですが、
はい 素敵な世界をつくろうとみーんなが一生懸命でした
それがむだではなかったと思います。 -
No.178
Re: 自然の枠
2013/01/08 06:50
>>No. 173
>壊すのがこわくなるんですね
おとなになると
守りに入って
...ってかなりふつうの感想ですが(笑)
あたらしい世界をつくるためにはふるい世界をそのまんまというわけにはいきません。
ふるい世界をこわすためには新しい世界のビジョンが必要です。
子どもたちにはそのビジョンが見えているんじゃないかな?だから壊せる
>そっかーそうですね、壊すのってたのしいんだ
久しぶりに感覚を思い出しました
うん たのしいと思う
ただ壊すんではなくてあたらしいせかいをつくるんだから
>>「枠」のなかで最強最善の枠は自然という枠です。
>「自然」という言葉、概念が日本人には明治以前なかったらしいですが、
自然=カミと呼んでいたんでしょうね
カミはパーフェクトですからだあれも文句は言いません。
ただ従うだけです。
原発をつくった電力会社や政府には文句をいいますが、地震に文句を言う人はいません。
>>「人の枠」はあちこち不備がある。
そのなかで人は自由にいきられない。
「鬼」や「鬼畜」や「狂気」は「人の枠」のなかで
自由に生きられない人たちの魂の叫びなんだろうと思います。
>はい、本能がこわれている、ですね
はい そうだと思います。
>言葉が世界をつくっているわけです
よいことば、が難しい
潜在意識に聞きながらなんて思っていたけど
ここにきて動物、植物、鉱物すべての物質がもっている?魂なんてものをもちだしたくなるきぶんになってきました。
>言葉は自然の産物、ということでもあるかな
言葉はとてもふしぎ
>そもそも「ことば」は、人は伝えるだけで、
人がつくったわけじゃないですもんね
あ、伝えるって...このカラダはやっぱり
遺伝子ってだけの乗り物って、
そういうことかな?
その乗り物に乗ってどこにいこうとしているのか

Re: 鉱物の世界
2012/12/23 06:54
>人間界(自我=目的)
動物界(感情=好き嫌い)
植物界(生命体=感応)
鉱物界(肉体=ミネラル)
>地上から天界へ向かう順
なるほど!いろんな表現の仕方ががありますね
世界はふるえでできている
無(物質)がふるえると世界が出現する なんて
>そういえば、マヤ暦で大騒ぎの南米を始め、
世界中には太陽崇拝ってありますね〜
>地球存続の核ですもんね、太陽は
ひとのカラダで言うと心臓なのかな?
中心で燃えてるかんじ
宇宙全体がひとつ(ひとりの)の生き物だったりして(笑)
>>「死からの視線」というのは鉱物からの視線ということになるのか知らん
>五感での快感、飲み食べ、かっこいい車やきれいなおべべ...
その「感覚」を捨てずに鉱物的視線で生きる、ということでしょうか
そうそう!
その「感覚」を捨てずというところがポイントなんだと思います。
「そんなむしのいいはなしが、、、」なんてどこぞのだれかから言われそうですが
なんだかありそうな気もします
>ご夫人はいま、水太りされてませんか?
水は電気を通しますからね
>ご夫人はいま、水太りされてませんか?
水は電気を通しますからね
>霊媒体質というのでしょうか....
ぽちゃぽちゃした方が多いような気もします(笑)
電気ですか ? 奥さんは今はそんなに太っていないかな 高血圧恐怖症で食事制限してますから?
水は沢山飲んでいます 便秘のくすりだそうです。
電気は僕の中にたくさんあるみたい あちこちさわるたびにぱちぱち音がします。