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No.4
額田王と柿本人麻呂は同時代の人
2014/10/04 08:38
額田王は三輪を地盤とする古豪族の流れ、柿本人麻呂は出雲地方出身、歳は数歳違いだが共に宮廷歌人としても有名。余談だが出雲には額田臣氏が在していた。そしてどちらも晩年は悲しい運命であった。
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No.5
人麻呂と額田王との確執
2014/10/04 08:46
人麻呂はなぜ大和朝廷によばれたのか。それは記紀編纂の下地となる大和歌の監修である。そして次第に真意とは離れた書物になって行く。そのやり切れなさが万葉集の原動力となる。
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2014/10/04 09:47
勿論、国書の創意は大化の改新を果たした天智帝の遺志うぃ継ぐものである。その底流には政治権力の新しい秩序も含まれている。多くの消されし歴史伝えられしもの、その大切さを知っていたのが額田王である。
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No.8
では古事記と日本書紀との関連は
2014/10/04 11:11
古事記は従来偽物説が延々とあった。まず筆頭が稗田阿礼である。明らかにペンネームらしき人が全て聞き取り暗記した内容を太安万侶が編纂し女帝に奉じたとされている。その多安万侶の墓誌が発見されたことでほぼ、時代と信頼性が得られた。後は誰が何の為に、そして日本書紀へどう繋がるのか。
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No.9
稗田阿礼は何者
2014/10/04 12:53
勿論、言い伝えを丸暗記したと言われる、お婆さんではない。稗田阿礼が読み解くところの様ざまな古文書、全て漢文だが詠める人は男性である。ある先生は漢文に通じた不比等を比定されたが、重要な事は大和歌、古き歌謡がふんだんに取り入れられている事である。不比等は大和歌には愛着がなかった。さらに記紀の歌は次の万葉集の歌、万葉仮名へと発展して行くのである。
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2014/10/05 09:11
その万葉仮名の古い時期に柿本人麻呂の歌がある。初めは漢文調から次第に万葉仮名」に発展して行くのが見て取れる。つまり古事記への流れである。一方日本書紀は正式な国書である故もあるが漢文体である。これは明らかに不比等の意向を示唆していると考えて差し支えがない。
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No.12
では額田王が記紀とどう関わりがあるのか。
2014/10/05 09:36
前回で柿本人麻呂が記紀の特に大和歌に関して深い関わりが有ったことが読み取れる。ここに額田王が絡んでくる。人麻呂より数歳年上と思える女性。698年まだ60歳至らずで急死。ほぼ同じ年代、同じ宮廷にて大和歌を愛し、晩年は同じ皇子を共にこよなく愛して居たのに二人には相聞歌がない。むしろ、お互いに反目し合っていた節がある。内心は気が通じていても可笑しくはないのに。これが歴史を紐解く鍵となるのである。
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No.15
天皇制による律令国家を目指す
2014/10/06 10:24
律令国家を目指す主たる要因となったのはやはり、白村江の敗戦であろう。以前より強固な天皇制を描いていた天智天皇と鎌足。道半ばでお二人ともこの世を去られた。この遺志を継いだのが天武帝と藤原不比等である。特に不比等はその境遇と運命の強さを得て果敢に断行して行く。その過程での一こまが額田王に象徴される、古豪族の歴史の再編であり、柿本人麻呂の運命であった。
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2014/10/06 11:11
ことは661年、百済の援軍要請に始まる。いまだ強権力を把握していない朝廷は古豪族を懐柔させる一手としてまだ二十歳にも満たない額田王を同行させる。そのときに読んだ歌が、「熱田津に・・・」の歌である。それは全軍に訴えて居るのである。
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No.17
記紀には幾つかの作為がある
2014/10/06 15:34
細かい事を挙げれば切りがないが、大きな点としては大和朝廷は武力に依って建国され、天照大神より正統に引き継がれた皇統である事を国書として全国に知らしめる事にあった。
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No.18
崇神帝について
2014/10/06 15:44
崇神帝はヤマトを中原の国家として最初に治めた王の血筋であるが傍系の神武帝の英雄的魅力が皇統には必要であった。それが天と地、神と人民を治め得る天皇制につながるのである。
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No.20
額田王の出自
2014/10/08 10:13
額田王の実在性を疑う人はいないと思う。しかし歴史の好きな人の中にはそれさえ自分の史観に合わなければ否定するのが常套である。
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No.21
額田王の父は鏡王
2014/10/08 10:34
鏡女王は姉か叔母は微妙。鏡女王の亡くなった時、額田王は30歳少し手前。ここで有り得ない話をする。天智帝の隠された落し種。まさか。
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2014/10/09 11:00
皇族で有っても出自、生没年の判らない人達も有っただろう。しかし額田王は当時の花形の女性であり皇族の端に連なるとしても早くからの天武帝の妃の一人とも云える愛人である。位階を得ていても不思議ではない。なのに、その人物、実在し、尚且つ単なる愛妾ではなく、政治の一角を担っていた人。詳しい事が判らないとは解せないことである。明らかに出自を含めて秘匿すべき事実が存在していたと推測される。
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No.25
鏡王は曽我氏系なのか
2014/10/09 11:30
大化の改新以来曽我氏の本家筋は滅んだ。ではその数年前の生まれた、額田王、鏡女王、鏡王は本家筋でなければ傍系?どちらも有り得ない。だとすれば古い、古い皇統の流れを引く豪族.の家系を担っていると思われる。三輪山を愛して。
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No.27
天智帝、当時は中大兄皇子。都を近江に遷す。
2014/10/10 09:56
ヤマトを離れ近江に都を遷さなければならなかった訳。.皇位を継ぐのに時期を要したこと。全て、内憂外患の為せる業。ヤマトを愛した人々の心中や如何に。ここで額田王を近江に召す事に依って古豪族達を懐柔させる一手となる。
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No.31
大化の改新は何故起こったのか。
2014/10/10 12:40
曽我氏が皇統の狙う。これは後の藤原氏が外戚として君臨した事と表裏一体なのである。曽我氏の祖を辿るに皇孫の血を引くもの、従って皇位を得るに相応しい氏族だと考えた。そしてその事の危機感を覚えた中大兄皇子、中臣鎌足達が打ち滅ぼす事に成功する。そして二度とこの様な事態に陥らない為に本辞、皇紀をわが皇統と後の藤原氏に叶う様に糺す必要となり記紀、特に日本書紀に繋がるのである。
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No.34
663年白村江の敗戦後
2014/10/10 15:06
天智帝(中大兄皇子)は直後から三年半掛けて北九州、生駒などに土塁を設け、まさかの時に備えて背後が湖である近江に都を遷す。その時額田王、召されて詠める歌 長歌並びに反歌一首
味酒 三輪の山 あおによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隅
い積もるまでに つばらにも しばしばも 見る放けむ山を 情なく (巻一・一七)
雲の隠さふべしや
反歌
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなむ 隠さふべしや (巻一・一八)

額田王は三輪系一族宗家の流れを引く最期の女王
2014/10/01 14:35
額田王には天武帝との間に十市皇女がいた。しかし若くして亡くなるり、ゆずり葉は枯れる。自然死であろうか?後のゆずり葉、一葉、弓削皇子も額田王死後、程なくして突然にこの世を去る。