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No.720
委奴国を神功皇后はイト国と判じた
2013/11/19 13:57
仲哀帝はイト氏をイソシと称えた。イソシ、石シとは金を献上した者を言うとある。漢委奴国王印か?神功皇后は鎮懐石として大岩二つを懐に、石を腰に挿み祈願しその石はイト村に在るという。
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No.189422
邪馬台国の始まりと終わり
2013/11/22 11:43
181年宗家ヤマト滅ぶ。邪馬台国の誕生。238年魏帝より印綬と黄とうを受ける。244年狗奴国と抗争。266年宗女とよ13才、女王となり終焉。
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No.189424
邪馬台国の名の由来
2013/11/22 11:55
ヤマタイ国は本来ヤマト国と魏明帝に申し出たが史家の進言により、代替わりした意味の台の旧字の至を豆変えた。
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2013/12/06 14:33
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2013/12/10 10:59
>>No. 5
夜摩海苔波区 書けない。自分流で、倭波国能真穂羅摩、畳奈豆玖阿烏垣、耶麻許母礼流倭之、迂流波之。大好きな歌だ。畳づく青垣は他国のように城柵で覆われていないヤマトの姿を見ればその美しさが際立つ。本当はヤマトの字を和と表したいけれど奈良朝以後という制約がある。後漢の和帝に関連していると思いたい。
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No.67
東征は歴史的に必然性が高い
2014/01/07 08:54
神武帝の東征ばかりではなく漢委奴国王の印綬を受け多前後より、倭人の国の統一化を目指す動きがあってもおかしくは無い。それには大陸との交易を盛んとする国らが財力と新しい文化を武器に中原を求めたと考えられる。それほど中国は強大であった。
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No.23815
行程にはあまり力点を置かないほうがいいですよ。
2014/01/10 11:16
郡使と云う役人に立つと女王国の実態を精密に報告するよりは賂いを受け、許される程度加筆する方が得である。特に女王国の位置など倭人にとって知られたくないものの一つと考えられる。現に江戸期、朝鮮使節団の行程を見ると理解できる。もし全くのでたらめでなく改ざんしたになら距離と方位を変えればいい。後で責任逃れの道があるからである。ちなみに私がその結果を求めるとヤマトになる。しかし北九州の国らのみで金品を使うだろうか?それほどヤマトに魅力が有るのか。
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2014/02/11 12:44
年代の骨子は光和年中、西暦178~183年です。大乱の前に乱、すなわち東征が始まり、6年かかって大王の交代劇がある。神武帝即位を辛酉とすれば181年となる。さらに四年以降の記事が飛ぶ(紀において)のと、征服者が皇祖を祭る行為=自分の鬼界の暗示、故にです。
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2014/02/14 09:32
陰謀は蜜なるを鉄則とする。余程の身近な者でしか漏れない。だとすると愛人の男を取るか息子を採るか相当悩んだと思う。どちらにしても先の命はないのだから。あれ?似たような話があったな。垂仁帝と后、その兄狭穂彦王の話だ。
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2014/02/14 13:16
天豊津媛に関しては卑弥呼の第二候補に挙げていました。少し年齢が合わないので、私の好きな台与とも比定もしました。台与が女王になったのは13歳で独身で明らかに処女王でした。彼女と運命を共にしたのはイトク帝でしょうか。開化帝でしょうか。何代かめの大物主には違いないけれど。
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No.181
応神元年 390年 私の計算でもそうですが・・・・
2014/03/04 17:15
ただし驚くべき前提が必要です。開化帝の在位が1年未満。つまり崇神帝の勢力によって追われて軽の地に蟄居した可能性が考えられる。その地は三輪からもそう遠うくないところです。
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2014/03/14 14:59
魏が司馬炎に国を禅譲した時点で金印そのものの効力は失われ王位継承の証しでしかなくなった。曹魏の時期は220~265年、翌年宗女、台与、13歳の女王として西晋の武帝に朝貢する。かなりの貢物だ。親晋倭王の印綬を目当てにしていたのかも知れないが、西晋側ではまだそんな余裕はなかった。孝霊帝太歳251年?台与当時7歳?開花帝太歳264年?台与20歳、結婚していてもおかしくはない。しかし崇神帝の代では早くから大物主と共に祀られている。その大物主が御霊は三輪山に埋めて欲しいと言い残して亡くなる。金印の権威と共に帝位を追われた彼の魂は台与の魂と一つになり花となる。これが今私が考えている夢物語。
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No.36
親魏倭王の金印の行方
2014/04/17 15:12
金印は卑弥呼に渡された。彼女の死後、後継者が手にするが内乱または狗奴国によって定まらないまま、台与に受け継がれた。台与は年齢と年代によって誰かは推定できる。
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2014/04/27 11:00

邪馬台国とヤマトとはどう違うのか
2013/11/19 12:03
ヤマトは後漢和帝に朝見した倭王師升らの代表国。邪馬台国は字の通り、ヤマトに代わる国。至を豆に代用した国。歴史は183年から164年ごろまで、以降宗家ヤマト復活。