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投稿コメント一覧 (72コメント)

  • テレビ番組で、同時通訳者のことをやっていましたが・・・





          あなたは、知らず知らずのうちに、





            言葉のマインドコントロールに陥っていませんか???





    戦前の国際連盟や、戦後の国際連合、これを英語でなんというか?
    国際連盟は、リーグ オブ ネイションズ、国際連合は、ユナイテッド ネイションズ=UNです。

    リーグはセ・リーグやパ・リーグというように、戦前から連盟という訳が確立していましたが、国際と訳すべき対象語が全く見当たりません。

    常識的な日本人は、リーグ オブ ネイションズは国際連盟ではなく諸国連盟と翻訳するでしょうし、ユナイテッド ネイションズ=UNは、国際連合ではなく、せいぜいどうひいき目に見ても諸国同盟と訳するのが関の山でしょう。
    だって、つい先日まで日本と死闘を演じていた敵国、連合国=ユナイテッド ネイションズなんですよ。<注>アダム・スミスの名著、ウェルス オブ ネイションズは、国際民の富ではなく、諸国民の富と訳されていますが。

    では、いったいどこから“国際“という言葉がでてきたのでしょうか?
    これは、日本の役人さん、特に外務官僚が編み出したトリックで、日本国民やマスメディアをマインドコントロールするための作為的翻訳語なのです。

    国際という言葉が持つ語感から、そこになんらかしらの正義性やかすかな世界との連帯感を感じるからです。

    実は、その起源は19世紀中ごろのヨーロッパ世界での動きまでさかのぼります。マルクス・エンゲルスが共同で、あの衝撃的な「共産党宣言」を発表します。そして、マルクスは何よりも万国の労働者の団結を最優先戦略と考え、やたらめったら“インターナショナル”という言葉を、腐るほど連発します。国際共産主義運動として、今でも根強く残っています。

    マルクスのこの世界規模での言葉によるマインドコントロール作戦は、世界史上類例を見ない大変な成功を収めたと言えるでしょう。

    当時多くの知識人たちは、インターナショナル=国際という言葉に、ほのかな正義性と何とも言えない連帯感を、その言葉の語感から感じ取ったのであります。

    これは、すぐさま日本の知識人にも多大な影響を及ぼし、国際イクオール正義・連帯を感情的に連想させるようになりました。この国際という言葉は、よほど知識人の心をくすぐるもんなんですね。

    私の学生時代、周りの学生が、“ああ、インターナショナル・・・”と喚き散らしながらよく歌っているのを聞きました。ある時一人の学生に何のためにそんなへんてこな歌を歌うのかを尋ねてみたところ、インターナショナル=国際という呪文を唱えることにより、なんともいえないほのかな世界との幻覚的な連帯感を味わうことができるとの回答が、帰ってきました。

    国際共産主義運動に非常な危機感と嫉妬を強く覚えた日本のお役人さん、特に外務官僚は、“では、我々も”国際“という言葉をやたらめったら使ってみよう”という戦略に打って出ました。

    一発目が国際連盟。この翻訳が、国民やマスメディアにバカ受け。これにあじをしめた外務官僚は、二発目として、連合国=ユナイテッド ネイションズを国際連合と翻訳。たちまち二匹目のドジョウよろしくこれまた国民やマスメディアに超バカ受け。(もし当時同時通訳の人がいたら、昨日と今日とで翻訳がガラリと変わり、大変こんがらかったことでしょう。)

    国連憲章という言葉の持つ語感と、諸国同盟憲章という言葉の語感とでは、随分違うと思われませんか。前者のほうが、後者よりもなんとなく正義性が強そうに響くように思われませんか・・・

    翻訳の仕方ひとつで、国民やマスメディアの感情はかなり異なってくるということでしょう。

  • 歴史的な出来事です!!







    はじめて独立した主権国家が誕生!!






                その光がまぶしすぎて消し去りたい!!






    19世紀末、日本に学び、朝鮮の急進的な改革を目指す李朝の外務官僚・金・玉均(キム・オッキュン)は閔妃勢力各派の攻撃にあい、四面楚歌の状況になり、引き下がります。日本の在朝公使・竹添進一郎(たけぞえ・しんいちろう)も金・玉均ら開化党には冷たく接していました。

    1884年(明治17年)5月、清国がベトナムをめぐってフランスとの対立を深め、朝鮮在住の清国軍の半数が本国に異動になります。これを契機に日本政府は金・玉均ら独立派を支持する方針に転換します。清との紛争になれば日本はまだ清と戦う力はありませんでしたが、好機が到来したということです。

    朝鮮が清から離れ、しっかり独立してもらうことが日本にとっての国益だったわけです。

    日本政府の方針転換を知らない金・玉均は竹添公使に以下のような怒りをぶつけます。
    「あなたから理由なしに疑われ、そのために私の計画はことごとく敗退させられた」

    竹添公使は反論せず「もし他国が貴国の改革に賛成し援助をしようとしたら、君はどうするか」
     
    金「私は3年前から、わが国が独立して旧習を変革するために日本に手を借りる以外ない、と心に決し、そのために日夜努力を続けてきた。しかし、貴国政府の変幻ぶり、軟弱ぶりのために、わが党ははなはだしい痛恨を残すに至っている。しかるに、公使のいまの発言は、いったい何を言おうとしているのかわからない」

    竹添「およそ国の政策というものは時に従って変化し、勢いに応じて動くものだ。必ずしもひとつのところにとどまっているものではない」

    金・玉均は日本政府の方針変更を知り、クーデターのアウトラインを計画し、米公使や英領事とも会い、クーデターが起こった場合の他国の出方を探ります。国王の高宗にそれとなく打診し、高宗は暗黙の承諾を与えたといいます。開化党100名と竹添公使率いる150の日本兵はその日に向けて着々と準備しました。

    1884年(明治17年)12月4日、郵政局開局の祝宴の日にクーデターを決行。開化党、日本兵が王宮への道路の要所を固め、金・玉均は「一大事発生」と声を張り上げ王宮に入り、国王に「郵政局に変乱がおき、暴徒らが王宮に向かっているため、至急、正殿から景祐宮に移るよう奉上し、日本公使に保護を依頼するよう奉上し、親書を受け取ります。まもなく閣僚たちが王宮に駆けつけてきますが、開化党により殺害されました。

    12月5日、開化党は「朝報」をもって新政府樹立と閣僚の氏名を国民に公表し、ソウル駐在の各国代表にもその旨通知しました。

    12月6日、政府の新要領が発表になります。ここには清国からの主権独立、身分制度の撤廃、税制改革、警察制度の新設、行政機構の改編など近代的な国家を作り上げるための措置が含まれていました。

    残念ながらこの政権は3日天下となりましたが、朝鮮半島有史以来、はじめて独立した主権国家が誕生したわけで、歴史的な出来事です。現在の韓国では金・玉均は親日派(国賊という意味)といわれていますが、大韓民国は連合国から与えられた国家であり、自ら主導し独立を勝ち得た金・玉均の光がまぶしすぎて消し去りたいのでしょう。

    <注>金・玉均と・を入れないと、ヤフーのサーバーはキンたまと読んでしまい、自動的にはじいてしまうのです。

    朝鮮開化派、維新の若き志士、金・玉均

  • これは、ビッグデーターだああーーー!!!





           日本人の誰もが気がつかなかった、





    こんな客観的なデータ―があったとは!!






    韓国主要紙である東亜日報記事データベースに、「慰安婦」で検索してみた結果資料国主要紙である東亜日報記事データベースに、「慰安婦」で検索してみた結果資料
    『韓国人が書いた韓国が「反日国家」である本当の理由』  「崔碩栄」著のページ100より

    年度  日本軍慰安婦関連記事数   米軍・国連軍慰安婦関係記事数

    1951-55   1件            17件   (朝鮮戦争)

    1956-60   0件            36件 

    1961-65   0件            56件   (日韓条約賠償交渉          /反日デモ多発)

    1966-70   1件           118件 

    1971-75   5件            39件   (千田夏光が「従軍       慰安婦」造語)

    1976-80   0件            20件   

    1981-85   4件             9件   (83年吉田捏造本    出版)                               

    1986-90   5件             8件   (89年吉田捏造本韓国語で出版)

    1991-95  616件★           3件   (92年朝日新聞慰安婦捏造記事)


     この資料などは、筆者の崔碩栄さんが韓国人だからこそ見つけられる資料と言っても過言ではないでしょう。韓国国内での「日本攻撃」が強まるのが「1991年~」からということが明確にわかりますね。1990年以前の韓国での「慰安婦問題」 といえば、まさに「洋公主(ヤンコンジュ)=米軍向けの慰安婦」への補償問題でしかなかったんです。しかし、米軍も韓国政府も一銭も払ってく
    れない。

    そういう時に、「日本共産党のシンパ・千田夏光」が反日の種をまいたんです。崔碩栄さんの資料が、その後の慰安婦問題は、「日本共産党と朝日新聞の捏造に乗り換える韓国人売春婦の姿」を雄弁に語っているでしょう。 では、崔碩栄さんとはどんな人物なのか。 なかなか興味深いですよ。

    崔碩栄(チェ・ソギョン) 筆者は1972年ソウル生れ、韓国の大学で日本学を専攻し、1999年に来日。関東地方の国立大学で教育学修士号を取得後、ミュージカル劇団、IT会社などで日韓の橋渡しをする業務に従事。2009年に韓国に帰国後、著作活動を開始し、2010年に韓国で韓国メディアの反日扇動を告発した「キムチ愛国主義- 韓国言論の理由なき反日」、2012年10月に「韓国人が書いた韓国が「反日国家」である本当の理由」を彩図社から出版している。

     崔碩栄さんは著書の「序文」の中でこう書いています。

     私は日本に約10年間滞在した。その間、日本の小説、音楽、書籍、映画など、韓国ではめったに接することができない情報に触れてきた。それらの情報の中には当時の私の常識に反する内容のものが少なくなかった。 私は混乱を起こした。長年持っていた「常識」が、一夜で「非常識」になるような内容すらあったからだ。

     韓国社会で生れ、育った人は自然に「反日型人間」になるように仕組まれた社会構造、つまり、「反日システム」が形成されているということである。限られた情報だけを提供する人々、そして、それを利用する人々が構築、運営する「反日システム」の中では、日本は「悪い国」にほかならない。

    韓国の過激な反日感情を見て驚く日本人もいる。しかし、それらは自然に発生した感情ではないことを本書で説明したい。「反日型人間」として成長せざるを得ないシステムに作り上げられた「人工的な」感情が暴走しているのである。

     日本には、日本政府が留学費用を負担している韓国人留学生が2万人いますが、崔碩栄さんのような方ばかりだと日本国民も納得できますよね。 だが、残念ながらそうでもないようです。たいていの韓国人留学生は、アルバイトに精を出して、お金をしっかりためて韓国に戻り、韓国社会に順応するために「反日」になっていくのです・・・・。

  • 千年進入され、千回とも敵を撃退した!!



              しかし、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない!!



    黄 文雄(こう ぶんゆう、1938年 - )は中華民国の評論家、経済史研究者。専攻は西洋経済史。拓殖大学日本文化研究所客員教授。主権回復を目指す会顧問、世界戦略総合研究所評議員。

    1964年に留学のため来日した。早稲田大学商学部卒。明治大学大学院文学研究科博士前期課程修了。台湾独立建国連盟日本本部委員長。

    自身が台湾で誕生したという強い意識や、かつての中国国民党による台湾人(内省人)弾圧行為に対する憤りから、台湾正名運動に賛同しており、中華民国の国号を用いず、一貫して『台湾』『台湾政府』と呼称している。

    台湾のみならず、韓国・朝鮮もまた日本による統治が近代化へのステップであったとしている。また満州は中国ではなく、独立国であるという説を唱えている。また、漢民族の衰退について、原因を「儒教の猛毒性」に求め、さらに、中国人の民族性は中華思想に基づく人種差別であり、自己中心的と批判している。

    一方、韓国人の民族性は「事大主義と従属国根性が染みついた」と批判している。中国が唯一日本に勝てる要素は常任理事国である事くらいであると主張。

    日・中・韓の三者で行なわれる歴史研究会には日本側として当初から参加しているが、中国、韓国から来る代表はほとんどが政府の息のかかった人物であり、自国の歴史観を認めさせるうえで議論を始めようとすることを激しく非難し、「問題解決のためには政治問題にしないことである」と主張し続けている。

    <朝鮮半島論>
    黄は19世紀末の東アジアにおいて、清国からみた朝鮮半島観および朝鮮政策について、清国の属国であったベトナムがすでにフランスに横領されたこともあり、残る属国の朝鮮を死守しようとしていたとし、新疆や台湾のように朝鮮も中国の正式な領土にするため『朝鮮省』を設立し、郡県制とする断行案を検討していたという。

    また1882年の壬午事変の鎮圧に際して、呉長慶 は『遼東三省と左堤右挈し、実に東方の一大塀障』、つまり中国の遼東三省と朝鮮半島で守りを固めれば怖いものなし、と考えていたとしている。

    また、黄は、呉長慶の幕下にあり積極的な対外政策を論じてきた張謇の『朝鮮善後六策』について、京城帝国大学教授の田保橋潔のまとめを引用しながら、それまでの東三省から朝鮮省をも含めて『東四省』とし、清国が李朝国王を廃して監国にする、つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前にもあったと指摘している。たとえば、明の朱元璋が、李氏朝鮮をつくった李成桂に対して監国の地位を下賜し、国王の地位を与えなかったのもそのためとされる。

    なお、この「朝鮮省」設置について、朝鮮人は『小中華』から『大中華』への昇格だと喜び、「これまで大中国人やら大中華人になりたくてもなれなかったシナ人かぶれの両班にとっては、願ってもない恩寵」であったとしている。

    すなわち黄によれば、朝鮮は漢の時代から中国の一部であり、「封国」でなく「外藩」として帰属してきたし、朝鮮を建国したのは中国の箕子だと、中国人は主張していると指摘している。また、中国が中華民国になった近現代でも、中国人の朝鮮版図観は変わっておらず、たとえば蒋介石は戦後対日処理を協議した1943年11月のカイロ会談に際して船上にてルーズベルト大統領に高麗の返還を要求している。

    さらに黄は、「宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、朝鮮の両班の鉄則のようなものだ」とし、千余年来、「千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が兵を引いたという歴史事実が繰り返されている」としている。

    また韓国は秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で焦土と化し、三百年もへても立ち直れなかったとして日本を糾弾するが、「倭乱のひどさを強調したいという気持ちはわからないでもない。しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。もしあるとすれば、もっと恥を知るべきであろう。

    戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退したという自慢話と、三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己嫌悪と羞恥心はないのであろうか」と批判している。


  • 歌詞に歌われているアリラン峠は伝説上のもので、朝鮮半島各地にある同名の峠はこの歌にちなみ、後から地名としてつけられたものと考えられています。アリランという単語の語源説は、キム・ジヨンの『我離郎・我離娘、我耳聾、我難離、阿娘、兒郞偉、閼英』の6説が基本説といわれていますが、現在も多くの語言説が発表されており、未だ決定的な説はありませんでした。

    しかし、近年、歌詞に含まれる「アリラン」、「スーリ」は北方民族であるエヴェンキ族の言葉ではそれぞれ「迎える」、「感じ取る」という意があることが明らかになっており、にわかに関連性が着目されています。


    それ以外でも、

    韓国外国語大学ロシア語科のカン・トクス教授はサハ共和国南北辺境に住んでいるエベンキ人たちが使うエベンキ(ツングース)語は数字や一家親戚を称する単語が韓国語と非常に似ていると考えています。根源が同じではないかと主張しているのです。
    ●エベンキ語のデョルは韓国語のドルで「石」
    ●デュルはドゥルで「2(二)」
    ●デュル-レはドゥル-レで「周り」
    ●ムはムルで「水」
    ●アミはアビで「父」
    ●エニはエミで「母」
    ●アシはアッシで「若い女性(アガシ)」
    ●アキはアチで「おじさん(アジョシ)」
    ●べイェはべで「輩」
    ●~ンイは~ウイで「~の」を意味する。


    エヴェンキ族というのは、中国の古代の歴史書にも登場します。“鄂温克族”として。
    「諸夷の中で最も不潔である。」と。
    理由は、人尿で顔を洗う習慣があるからです。これには、中国の巡撫使者も腰を抜かすほどびっくりしたそうです。

    檀君神話で有名な檀君も、人尿で手足を洗っていたそうです。

  • 亡国の元凶??






                 いえ、慈悲深い国母です!!






                 史実など、どうでもいいじゃないですか!!






             国民感情を味方にした歴史認識こそ、すべてなのです!!






     閔妃(ミンビ、びんぴ)は李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃です。高宗の父、大院君が親戚の娘である閔妃を選び、王妃にしたのですが、とんだ誤算で閔妃は義兄の閔升鎬と組んで舅である大院君を権力から追い出し、実権を握ることになります。

    大院君は隠居。大院君系列の人々は追放・流刑・処刑等となります。この後、1875年に江華島事件が起こり翌年に日朝修好条規が結ばれ、李朝と日本の間に正式な国交が結ばれます。

     しかし、閔妃と大院君の抗争は続き、1882年壬午軍乱により大院君が再び政権を奪取、しかし、閔妃は清に援軍を求め、再び大院君を追放。1884年には金・玉均、朴泳孝、徐載弼ら開化党メンバーが大院君を奉じてクーデターを決行。しかし、またまた閔妃は清国軍に援軍を求め、政権を取り返します。そして日清戦争を経て、1895年乙未事変がおこり、訓練隊の禹範善によって殺害されます。

     この閔妃は韓国では「慈悲深い国母」「悲劇の皇后」と信じられている?ようです。実際は一族の栄達のために国費を浪費し、李朝を亡国に導いた張本人です。朝鮮の民主化、独立を推進しようとした金・玉均に刺客を放って殺害し、その墓を暴いて四股を切断し打ち捨てました。

     閔妃はさらに、ロシアに金鉱の採掘権、石炭採掘権、森林伐採権を売り飛ばし、米、独、仏、英にも資源の採掘権、鉄道建設権を切り売りし、贅沢三昧の暮らしに充てていたのです。

    これを買い戻して朝鮮を列強の干渉から守ったのは、もちろん日本です。
     閔妃は死後、大院君の提言で 身分を剥奪され平民に格下げされました。しかし、その後、特命全権公使の井上馨の尽力によって「明成皇后」という贈り皇族に戻しています。(この井上のことは、ほとんどの歴史学者がなぜか触れようとしません。)

     1970年代あたりまでは韓国人も閔妃の真の姿を知っていたようですが、その後は「慈悲深い国母」のイメージに180度転換しています。日本でも2009年、テレ朝報道ステーションがぶっとんだ報道していた通りにおかしなことになってきています。

    韓国でも50歳以上の年配の人は不思議に思っているかもしれません。韓国人ジャーナリストの金完燮(キム・ワンソプ)は閔妃のことを、朝鮮を滅ぼした亡国の元凶であり、西太后と肩を並べる人物となどと評論したところ、ソウル中央地裁から名誉毀損として閔妃遺族らにそれぞれ1000万ウォンを支払うよう命じられる判決が出ています。

     2010年は日韓併合100年。韓国の捏造、歪曲の自尊史が一層旋風を巻き起こし始めました。日本はそのようなものに付き合う必要はありません。

    この人が李氏朝鮮を壟断した閔妃 ↓

  • 一体、誰のおかげだと思っているのだああーー!!



                   この恩知らずめがああーーー!!




    熱力学第二法則、エントロピー増大の法則が・・・無慈悲に・・・



    踊り狂う誇大妄想史観



             取っては投げ、ちぎっては投げる韓国起源説



    「今の日本の繁栄があるのは全て朝鮮のおかげ」



    韓国では長い間、冊封体制下で中国の歴代王朝に事大の礼を尽くしていたこともあり、中国文明の影響を濃厚に受けており、中国諸王朝や文化の極めて強い影響のもとに文化を発達させてきた。ところが、現代において、韓国外で評価の高い主に日本や中国の事物を韓国が起源と主張する論調をしばしば取ることがあり、極端なものでは明らかに日本や中国で醸成された文化や文物と検証されている著名な歴史的事物や人物を韓民族(韓半島)起源のものであると主張することがある。

    これについては、近年中国や日本から、歴代の朝鮮王朝は自国独自の文化を排斥し中国文化を崇めていたため独自文化が近隣諸国と比べ発達せず、近代の韓国人がそれに対する劣等感を持っていることや、李氏朝鮮までの文化の継続的な継承が行われていない百済や高句麗等の歴史まで自民族史として語る歪んだ思想が原因であると指摘されている。

    「韓民族は北東アジアの覇者であった」という偽史を創作し、その定着を図っている。韓民族の活動した地域は、北はバイカル湖、南は沖縄、西はメソポタミア、東はアメリカ大陸ということになっている。

    • 2007年大韓民国大統領選挙に立候補した許京寧経済共和党総裁は、「中国諸国と連邦をしてアジア連邦を作り、失われた高句麗領土を取り戻したい」「失われた渤海の旧領と、三国時代にヨーロッパまで伸ばした韓半島の故土を取り戻すのが私の夢だ」としている。

    • 韓国KBSの番組「満州大探査」は、「満州はもともと韓民族の土地。清朝を樹立した愛新覚羅氏も、祖先は韓国人」と主張している。

    • 大田大学校哲学科の林均澤元教授が2002年12月に韓国書鎮出版社から出版した「韓国史」において、唐の時代に、高句麗、新羅、百済が中国の大半を有しており、唐の版図は雲南省や四川省などのわずかな部分に過ぎず、高句麗、百済を滅ぼしたあとの新羅の版図は、現在の東シベリア、モンゴル、華北地域など中国北部全体、華中地域、チベット自治区、新疆ウイグル自治区など広大なものとなり、唐は華中地域や華南地域をおさえるにとどまったと主張している。

    • 韓国の圓光大学校教授が広西チワン族自治区の百済郷を調査し、「この地はかつて、百済の植民地だった」と発表した。

    朝鮮民族から発現された文化はそれほど多くない。しかし韓国人が満州族や漢民族の文化を自民族の文化と捏造したり、日本から朝鮮半島に伝わった文化の韓国起源を捏造したり、日本での独自文化の発現と外国から受け入れた文化の変革と発展を無視することで、明治維新以前の日本にあった全ての文化・産業・社会は「中国→朝鮮→日本(朝鮮→中国→日本)」という順番で伝わったものであるという認識が生まれている。

    韓国のメディアでは、このような認識に基づいて「今の日本の繁栄があるのは全て朝鮮のおかげ」「そもそも韓国の文明化は中国より早い」という自民族優越主義的な論評が日常的に行われており、特に日本に対する蔑視と自民族優越主義的な視点は公教育における歴史教育でも顕著である。

  • ≪≪『強制』の定義をわざわざ広げて…≫≫



     物的証拠を発見できなかった政府は、平成5年(1993年)3月23日には、わざわざ 『強制』 の定義を広げる国会答弁までしている。談話作成に関与した当時の谷野作太郎(たにの さくたろう)内閣外政審議室長は、参院予算委員会でこう述べた。

     『単に物理的に強制を加えることのみならず、脅(おど)かし、畏怖(いふ)させて本人の意思に反してある種の行為をさせた場合も含む』

     同じ頃、政府首脳も 『精神的苦痛、心理的なものも含めて強制とする』 という見解を示した。石原信雄氏は今回、 『かなり広げた。宮沢首相や河野洋平 官房長官は、日韓関係を将来良くしようと考えたら、彼らの言い分をある程度 もう認めざるを得ないという気持ちがあった』 と振り返る。

     このようにして、慰安婦募集の “強制性” を認めた河野談話の下準備を進め、その上で臨んだのが、韓国側の要請と人選による元慰安婦の聞き取り調査だった。

     ただ、実際には調査は元慰安婦一人当たり3時間程度で、通訳や質問者が話す時間を考えると、証言時間は短い駆け足調査だった。そして、この『形式的な調査』(現在の政府関係者)のわずか5日後、河野談話は発表された。

     苦心惨憺(くしんさんたん)して韓国のために “強制性” を認めた結果、日韓関係は逆に悪化した。

  • 善良なる者を排斥し、狡猾なるものを用いて維新の大業を中断した!!






            宗臣としてこれを座視できない!!






       邪悪な輩を追い出し、維新の大技をなして500年の宗社を護ろう!!







    19世紀末、日清戦争で日本が勝利した後、三国干渉があり、日本が屈服すると朝鮮の親日派は動揺し、閔妃一派がロシアに接近し、再び力を持つようになります。

    この当時、王宮を護衛していたのは米国人指揮下の侍衛隊でしたが、ロシアは親日派一掃のため、日本人教官に訓練された「訓練隊」を廃止して武器を押収しようとしました。訓練隊は激昂します。閔妃一派では朝鮮の西太后といわれる閔妃(ミンビ、びんぴ)が実権を持っており、訓練隊は在韓日本有志と反閔妃で連合します。

    明治28年10月7日、朝鮮政府が訓練隊解散と武装解除を通告してくると、8日早朝、訓練隊と日韓有志は国王の父、大院君を擁して王宮に入ろうとし、侍衛隊と衝突します。この騒乱の中、閔妃が殺害されます。こうして再び革命政府が樹立されることになります。

    大院君の檄文
    「近年、閔妃を中心とする一派が善良なる者を排斥し、狡猾なるものを用いて維新の大業を中断した。ゆえに500年の宗社(国家のこと)一刻も猶予なき危機に直面している。余は宗臣としてこれを座視できない。したがって、このたび入闕(にゅうけつ)して大君主をお守りし、邪悪な輩を追い出し、維新の大技をなして500年の宗社を護ろうとするものである」

    歴史の流れとしては日清戦争の日本の勝利によって維新の流れになったものの、ロシアと通じて閔妃一派が改革を元にもどしはじめその不満が乙未事変となり、再び改革路線へ向かいました。

    このところ、NHKやテレ朝がこの閔妃殺害を日本人、三浦公使らの犯行として大々的に宣伝しており、NHKなどは「坂之上の雲」のドラマ中に原作には書かれていないのにわざわざ唐突に捏造シナリオを挿入するという悪質なことまで行いました。

    プロジェクトJAPANでも捏造偏向報道をやったそうです。テレ朝などは「このこと反日感情の根底」などという大嘘を番組で述べています。歴史的に誰が手を下したか、日本の有志?訓練隊?というのはあまり意味がないのですが、日本人と決め付けてプロパガンダを撒き散らしています。

    とにかく日本人に贖罪意識を植え込ませる並々ならぬ意欲が感じられます。実際には殺害は訓練隊の禹範善(ウ・ボムソン)によるものと思われ(自白している)、日本人が外国人要人を直接手にかけたとは考えにくいです。三国干渉の直後で国際問題としてこじれると困ったことになります。

    もちろん戦闘に慣れた三浦公使(陸軍中将)が作戦指揮したことは十分考えられます。しかし、日本軍人が関与しなくてもなんらか形を変えて同様の事件がおきたでしょう。

    この事件では朝鮮側の処断は厳しいものでした。訓練隊は解散させられ、同隊長・李斗(王黄)、禹範善は休職を命じられ、閔妃殺害は嫌疑者33名を逮捕して裁判を行った結果、李周会ら3名を処刑しました。

    李周会は三浦公使が日本で下獄(監獄にぶち込まれること)されたことを聞くと「日本のわが国に尽くすこと国を挙げて至らざるなし。この事変に会し、多数志士の拘送を見るに至る。義としてこれを看過すべきにあらず」といって、縛につき、刑場の露と消えました。日韓同志は固い絆で結ばれていたのです。

    閔妃は死後、大院君の提言で 身分を剥奪され平民に格下げされました。しかし、その後、特命全権公使の井上馨の尽力によって「明成皇后」という謚号がつけられ贈り皇族に戻しています。これらのことをマスコミは、意図的に隠しているでしょう。


    <余談>
    直接の 閔妃殺害犯と言われている訓練隊大隊長の禹範善(ウ・ボムソン)のお孫娘さんが、現京セラ名誉会長稲盛氏の奥様であられます。

    閔妃排斥に全力を挙げた国父大院君 ↓

  • 都合の悪い本なので・・・発売を禁止したのでしょう





            でも、アメリカでは優良図書に選ばれ





    中学校用の教材として多くの学校で使用されています





    「ヨーコの話」として知られる、
    「竹の森遠く」 (So Far from the Bamboo Grove) は、
    米兵と結婚し、現在はアメリカ・マサチューセッツ州在住の
    川嶋擁子さんこと、ヨーコ・カワシマ・ワトキンズさんによる自伝作品です。


    作者のヨーコさん自身が11歳だった第二次世界大戦の終戦時に体験した
    朝鮮半島北部の羅南からソウル、釜山を経て日本へ帰国する際、
    また帰国後の、悲惨な状況を描いています。

    「So Far from the Bamboo Grove」は経験を溶かし表した作品として、
    1986年ニューヨークタイムス「今年の本」に選定され、同じ年、
    米国英文学の教師委員会の「教師が選んだ良い本」を受賞し、
    米国教科課程の必読書として数多い青少年達に愛読されています。


    戦争の悲惨さを訴える資料として、
    アメリカでは優良図書に選ばれ中学校用の教材として
    多くの学校で使用されています。

    「竹の森遠く」は、1986年にアメリカで出版されました。
    2005年に韓国でも「ヨーコ物語」という題名で出版されていますが
    後に発売中止となりました。
    韓国にとって都合の悪い本なので、韓国政府は発売を禁止したのでしょう。

    この本の内容は、大東亜戦争末期、朝鮮半島からの引き揚げ時、
    当時11才であったヨーコさんと家族が目撃した史実が書かれています。
    韓国人らに追い回されて命からがら日本へ逃げ、
    韓国を抜けだす過程で日本人が韓国人に強姦され、
    暴力により日本人の人々が死んで行った目撃談です。

    「So Far from the Bamboo Grove」は、
    1987年から、アメリカの学校で
    社会科の教科書として採用されています。


    続編の「My brother my sister and I」も、
    ニューヨーク・タイムズ最高賞、
    Publishers Weekly最高賞等、多くの賞を受賞しています。

    彼女の著書と講演に感動した多くの学生達の推薦により、
    1999年には、ピース・アビーから平和賞が贈られました。
    この賞は、世界的に有名なガンジーやマザーテレサ等、
    平和に貢献した人達に贈られる賞です。

    下は作者の川嶋擁子さんです。 ↓ ↓

  • 賛成!!


               反対!!


                     利益を得る人!!


                             損をする人!!




     朝鮮併合後の日帝三十六年というのは日本が朝鮮を植民地化し、搾取と収奪の時代だと思っている日本人が多いようです。

    ある政策を実施するとその政策には賛成と反対、利益を得る人、損をする人と必ず居ます。反対の人、不利益をこうむったという視点のみで多くは語られてきているように思います。

    まず「植民地」という言い方が良くないでしょう。西洋の「植民地」とは全く違います。合邦国家と言ったほうが適切だと思います。チェコ・スロバキア、ユーゴ・スラビアと同じだと思います。もちろん国力が異なるので対等な合併ではありません。

     日帝三十六年は韓国に大きな変化をもたらしています。人口は960万人が2500万人に増加しています。平均寿命は二十四歳から四十八歳に延びて日本人とほぼ同じになっています。

    小学校が全部の村に設置され、両班、奴婢とわけた身分制度を廃止しています。「科挙」と言われる官僚登用制度を廃止しています。十六歳未満の「妓生」(キーセン)と言われる芸子兼娼婦を廃止しています。鉄道や道路を施設し、京城帝国大学をはじめ高等教育機関が設立しています。所有権の争いが耐えなかった土地も所有者をはっきりさせます。

     道路や鉄道や学校をたてたときにそこに住んでいた朝鮮人は土地を追われたでしょうから、日本による搾取と言うでしょう。両班などは上流階級としていい思いをしていたのに没落した人もいるかもしれません。それは日本の制度が良くないというでしょう。

    まずしい家では「妓生」はある一定年齢にならないとできなくなったので、困ったこともあったでしょう。土地改革によって土地を追われた人は日本が搾取したというでしょう。そういった不利益をこうむった人の観点だけで見る人は日帝三十六年は搾取と収奪の時代だったと言うでしょう。


     1904年ロシアによる満州と朝鮮半島の侵略に国家の安全が危ぶまれた日本はロシアと開戦します。李朝政府は表面的には日本寄りでしたが、裏ではロシアと通じていました。

    日本を支援したのは一進会と呼ばれる東学党の流れをくむ政治結社です。1905年日本がロシアに勝利し、米英の意志もあり、第二次日韓協約(大韓帝国は日本の保護国になる)が締結されます。

    李朝のハーグ密使事件がおこり、100万人に膨れ上がった一進会は大規模デモを繰り広げ、伊藤博文を大歓迎します。京城では「義兵闘争」と言われる反日派と内戦を行います。

    一進会は1909年12月「韓日合邦建議書(韓日合邦を要求する声明書)」を韓国と日本の両国に提出し、韓日合邦を要請しています。 そして1910年に「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて日本が大韓帝国を併合することになります。

     これらの歴史を見て、果たして一方的に日本が搾取した、日本が無理やり日韓併合をしたなどということになるのでしょうか。日韓併合時、大韓帝国の総理大臣であった李完用(イ・ワニョン)は2005年親日派(チンイルパ)という売国奴の汚名をきせられていますが、彼は国を愛していなかったのでしょうか。1926年死去した彼の葬儀は国葬でも無いにも関わらず、葬列が数キロに達したと言います。

    韓国近代化の父、李完用総理大臣 ↓

  •  貴公、



    パソコン通信を遣って<やって>なさるさうぢゃが、



    インターネットとやらは随分と情報を發信出來て、



    幾百萬の人が見ると聞く 



    一つ満天下の正義の為に、



    この話を發信して下さらんか







    第三國人の暴行 <三国人>

    終戦後の第三國人どもは本當<本当>に酷かった 軍の兵器を盗んで來た<来た>らしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、實力<実力>犯を中心にあらゆる悪事を重ねてゐた 

    銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、澁谷<渋谷>は臺湾<台湾>人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いて<こまねいて>ゐた 戦勝國民は治外法権だったのである。だから食管法に限らず、戦勝國民には日本法を適用出來なかった 

    斯うした<そうした>情勢に便乗し、朝鮮人は戦勝國民だの「朝鮮進駐軍」を僭称して堂々と闇商賣<商売>を行ひ、派手に稼いでゐた そりゃ儲かるだらう 取締を横目に犯罪のし放題 警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから(流石に<さすがに>銃撃戦は挑まなかった模様) 

    當時<当時>は物不足で、賣る<売る>方は素人でも出來た 仕入れこそ難しかったのだが、彼等は日本人露天商を襲って商品を奪ふのだから 其<それ>で警察が黙認して捕まへないのだから、こりゃあ損のし様が無い 

    警察が襲撃されること頻り<しきり>で、署長が叩きのめされたり、捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず 上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ國税局査察部が査察に行った際、大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから査察官は腕を切断されてしまった 

    當時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三國人の來襲によって犯人を奪還された富坂警察署事件、ついでに警官が殺された澁谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し外部との聯絡<連絡>を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚擧<枚挙>に暇有りませんでした 

    關東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つやうな勢で数多犯罪を重ねた 川崎、濱松<浜松>、大阪、神戸などが酷かった。其<その>最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に對する集團<集団>暴行・傷害事件がある 

    翁が軽井澤<軽井沢>の静養先から帰京しやうとして信越本線の汽車に乗って居たら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鐵道<鉄道>員を突き飛ばし押入って來て、俺達は戦勝國民だ、おまへら被支配者の敗戦國民が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、此<この>車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな! と追ひ立てた。 

    直後に總理<総理>大臣に成る程の大物でも如斯<かくのごとし> 況や<いわんや>庶民に於て<おいて>をや 土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、殊に<ことに>は、空襲や疎開で一時的に空いてゐる土地が片端から強奪された 今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業してゐるのは、皆、あの時奪った罹災<り災>者の土地だ。

    其でも警察は手が出せなかった 
     
    其で流石に米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担當してゐた米第八軍司令官アイケルバーガー中將<中将>が、關東と言はず關西と言はず、はたまた北九州と言はず、不逞鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機關銃を構へて不逞鮮人共にピタリと狙ひをつけ、漸く<ようやく>鎮圧した 我々は其火器の煌めき<きらめき>を間近に見た 

    此時、聯合國軍總司令官ダグラス・マックアーサー元帥の發した<発した>布告が、「朝鮮人等は戦勝國民に非ず<あらず>、第三國人なり」と言ふ声名で、此ぞ「第三國人」なる語のおこりである。だから、外國人差別用語な筈<はず>は無い 

    近頃の報道人は歳も若く、當時の経緯や語感が全然判らないのだらう 知合ひの報道人幾人かに電話して、テレヴィにでも新聞にでも出て歴史の眞實<真実>を話して進ぜやう、と申入れたら皆、検討させて下さい、と逃げてしまった 眞面目<まじめ>に報道する氣は無いのかの

    下は、日本の代表的左翼漫画“はだしのゲン”の一こま。
    戦後は、日本人は六等国民。
    朝鮮人はなぜか、二等国民。

  • マスコミと韓流ブームの正体
    (1)1960年代~
    テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題 (例えば「朝鮮民主人民共和国」を“北朝鮮”と呼んでしまった、など)に対して、 朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。

    抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に“在日枠”が密かに設けられる。
    総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。

    在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に「お願い」をしてさらに弱みを握られるなど、素人のような甘い対応で身動きがとれなくなっていく。

    (2)1970年代~
    政府を叩きさえすれば世論が喝采する狂った時代。

    在日社員の「反日番組」を「権力に対するペンの戦い」「調査報道」と勘違いした経営幹部が 社内で在日を積極登用。「日本人社員と在日社員に昇進の差別があってはならない」 などと理想論を述べたのは良かったが、結果を見れば昇進差別をしなかったのは甘い 日本人幹部で、課長、 部長と昇進した在日社員は、帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底。 異を唱えた日本人社員は徹底的にマークされ、営業や総務など番組制作の第一線から退けられる。

    (3)1980年代~90年代
    昇進した在日社員が主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など、 決定的なポストを占める。某サヨク週刊誌の編集長(筑紫哲也)をキャスターに迎えたニュース23の番組が学生時代に学生運動に没頭した団塊の世代の視聴者の支持により高い視聴率を得る。

    1989年の参議院議員選挙では「土井社会党」「マドンナブーム」を「消費税反対キャンペーン」で徹底的に援護。

    宇野総理のスキャンダルを連日報道し社会党党首を徹底して「おたかさん」と呼ぶなど、あからさまな社会党支持。社会党が地すべり的な勝利。「山が動いた」と感動の報道。

    (4)1990年代~2000年代
    偏向報道、捏造報道、取材情報を特定の勢力に提供するなど、報道機関として存在を否定されかねない不祥事が続発。

    ウチと同様に「左翼的」と呼ばれる朝日新聞、系列のテレビ朝日が、どちらかといえば「北京の意」を汲んだ報道が多く、その手法が良くも悪くも緻密で計算高いのに対して、ウチの場合、この時期に発生した数多くのトラブルは、ほとんどすべてが朝鮮半島絡み。

    不祥事の内容も、テロを実行したカルトの手伝いをしたオウム事件を筆頭に、粗雑で行き当たりばったり。(スタッフがオウム真理教幹部に坂本堤弁護士へのインタビュー映像を事前に視聴させた事実)

    バブル崩壊以降の景気低迷で、ただでさえ厳しい広告収入 が、「サラ金」と「パチンコ」に大きく依存。まさに、在日朝鮮人の資金で在日朝鮮人が運営しているのがウチの放送局。

    2005年以降は、もっと露骨なカタチで在日のスターを「作り上げる」ような番組制作が為されると思う。

    「在日は武器」-TBSに内定 ↓上記の在日の幹部のコネでの入社です。独島は韓国の領土だと言わんばかりに竹島の韓国名の独島と面接で発言し入社できる日本企業は在日企業ぐらいだ。 TBSは在日の違法入社した奴が幹部になりコネで在日を入社させているのです。(毎日新聞もそうです)

    ※下の在日の方は4,5社落ちて、関西テレビに内定が貰えた実力入社です。
    「在日は武器」-面接で 靖国や独島の質問 答えて内定  上の李民和はTBSの在日枠での不正入社だと思われます。

  • 鬼畜のなせるわざか!!


       韓国軍によるヴェトナムでの日常的な虐殺行為!!



    妊婦を跪かせて至近距離から前頭部を銃撃で吹き飛ばした。教会の修道女まで殺害した。

     銃撃された妊婦 ↓

  • 玄奘法師もびっくり!!





                    現代版西遊記か??





            92歳台湾元慰安婦、人生最後の悲痛な叫び!!




                    ”私は、旧日本軍により、インドへ強制連行された”




                        日本軍って、インドまで行きましたかね??




                  次は、孫悟空、猪八戒まで現れるのか???





    <<(引用)
    92歳最高齢“元慰安婦”が訪日へ、政治家の妄言に抗議、東京で6日から「慰安婦」展開催―中国メディア
    XINHUA.JP 7月5日(金)20時37分配信



    東京都内の資料館で6日、台湾の「慰安婦」をテーマとした特別展が開幕する。5日付で台海網が伝えた。

    【その他の写真】

    台湾籍の元“慰安婦”、鄭陳桃さん(92)が台湾婦女救援基金会の付き添いで来日し、当時受けた被害の様子を語るという。鄭さんは「昨今の日本の右翼政治家による慰安婦の史実を歪曲するでたらめな発言」に対して、抗議したいとしている。

    台湾籍の元慰安婦は現在8人が存命で、鄭さんは最高齢にあたる。18歳の時、登校途中で日本籍の警察官に拉致され、インドに連れていかれて従軍慰安婦にされた。21人の女性が一緒だったが、今でも存命なのは鄭さんだけだという。

    特別展「台湾・『慰安婦』の証言 日本人にされた阿媽たち」は、台湾婦女救援基金会と「女たちの戦争と平和資料館」の共催。

    (編集翻訳 小豆沢紀子)
    <<

    元慰安婦の方を支援されている方々へ

    ひとつお願いがあります。

    一目、一聞きで、うそ、捏造、でっち上げとわかる証言があまりにも多すぎます。
    特に韓国の元慰安婦の方の証言の9割近くに、ジープ、ヘリコプター、クリスマスパーティー
    などという言葉が出てきます。これらの言葉が出てきた瞬間、旧日本軍とは無縁の存在と
    バレます。

    もう少し、大東亜戦争史、戦闘内容を研究勉強してください。
    支援者の中には女性の方が多いかと思われますが、女性だからといって、戦史にうとい
    では、言い訳になりませんよ!!
    あるいは、戦史に詳しい人を顧問とかアドバイザーとしてつけてください。

    とにかく、韓国が世界に誇る整形技術を見習い、証言内容の整形を入念にするように
    努力してください。

    よろしくお願いします。

    こいつがウソつき自称慰安婦 ↓

  • 同胞は同胞を殺さない!





    韓国軍は虐殺などしない!






    日帝は酷いことをしたに違いない!





    ベトナムの為にも、日本からライダイハンやベトナム戦争で南朝鮮人が行った残虐行為など世界に公表するべきではないか。南ベトナムが陥落し記録や資料が失われたことをいいことに、卑怯な韓国は未だに謝罪も賠償も何一つ行っていない。

     韓国軍によるベトナム人大虐殺は推定で30万人を超すと言われている。50万人を超えるという説もある。

    朝鮮人は信じたいことしか信じない。
    見たいものしか見ない。
    現実と妄想の区別のつかない民族だ。

    ベトナム戦争での韓国軍によるソンミ村虐殺事件も忘れたらしい。
    いや問題にしたり騒いだりすると逆に国民から批難を受ける。
    だからマスコミも今更取り上げない。

    同胞は同胞を殺さない。
    韓国軍は虐殺などしない。
    日帝は酷いことをしたに違いない。
    彼らの思考回路がそうなっている。

    事実などなんの意味もない。

    ベトナム人の耳を集めて首飾り。御機嫌の韓国兵(韓国陸軍最凶悪の猛虎師団)。 ↓

  • 何のために???






              ご存知ですか??






                  舞鶴の神社乗っ取り!!






    「共有地」とされていた神社を
    勝手に自分の「土地」だとして登記するのです
    その後に偽造転売を繰り返し善意の第三者として神社に対し「明け渡し」を求める
    あるいは登記された土地を莫大な金額を提示し買い取れと迫るのです
    あるいは放蕩三昧だったり事業失敗などで元々は地元の有力者だった者から
    神社・仏閣の土地を安く買い取り
    善意の第三者を装い神社に対し「明け渡し」を求める
    あるいは登記された土地を莫大な金額を提示し買い取れと迫るのです
    昭和30年代から40年代に流行した手口です

    この「加津良神社」場合も
    土地所有者となった在日朝鮮人の孫錫雲(通名・廣村茂一)が
    森本宮司に対し
    「要求を飲まなければ神社を潰すぞ」と強要され朝鮮人を役員に招き入れる事なりました

    発覚するキッカケになったのは
    京都司法書士事務所から「加津良神社」の宗教法人名簿が変更されたとする
    「神社規則変更承認申請書」が京都神社庁に提出されたからです

    京都神社庁が申請内容を調べた所
    内規である「代表役員は宮司の職を以て充てる」に露骨に抵触する
    3人の韓国人を役員に選出していた為に京都府知事も認証を拒みました


    しかし半年後の9月
    鳥居が無残に倒され社務所が破壊された事から
    近隣住民から不審に思い神社本庁の方に電話があり
    改めて神社の役員名簿を調査した所
    承認を得ていない役員に変更されていたので
    神社庁が詳しく調べてみると
    京都神社庁の拒絶直後に
    印鑑登録証付きの「責任役員会議議事録」を提出し
    正規の手続きを踏んだと錯覚した京都地方法務局が受理したという事も解りました
    つまり
    神社本庁の認証も受けていない虚偽の報告を提出し登記したのです

    当然ですが公正証書原本不実記載で告発され逮捕されました

    在日朝鮮人が主犯格で無ければ
    単なる地面師による「神社乗っ取り」事件ですが
    在日朝鮮人が主犯だった事に加えて
    この神社が
    海上保安学校や海上自衛隊舞鶴弾薬補給所の裏手に位置する事もあり
    いろいろ陰謀論が囁かれています

    2006年4月6日ワシントン・ポストによれば
    盧武鉉大統領は小泉首相が
    海上保安庁の竹島周辺海域海洋調査を実行した場合には
    岩国や舞鶴なぞ鳥取県周辺の自衛隊基地への局地的攻撃を検討していたと報道されました
    そして
    偶然かもしれませんが舞鶴の神社乗っ取りは2006年3月に行われました…

    下は、無残にも倒された加津良神社の灯明  ↓

  • これぞ、忍法、“くノ一”!!




                  盗まれた国家機密は、数知れず!!






    哀れ!、ハメられた小沢の末路は・・・



              


    金 淑賢(キム・スクヒョン、김숙현、1972年 - )は、東北大学准教授。小沢一郎の元国際担当秘書。

    韓国ソウル特別市生まれ。大元外国語高等学校(ko:대원외국어고등학교)、韓国外国語大学日本語科・同大学院卒業後、1998年に日本に留学し、2000年に20倍の倍率を勝ち抜き自由党 (日本 1998-2003)小沢一郎の秘書に抜擢された。その後、秘書を退任し、2008年5月、東北大学大学院法学研究科准教授に就任する。

    • 小沢一郎の秘書時代は、主に国際情勢業務を担当しており、日本政界に従事するという関係から、駐日韓国大使館とも随時政局などについて情報交換を行っている。金は政権奪取を実現するまで小沢を補佐していくとしており、小沢の日韓関係に対する認識にも大きな影響を与えていることを明らかにしている。

    • 第21回参議院議員通常選挙での民主党躍進に関連して、韓国要人との会談に加え選挙期間中は全国を駆け回り選挙支援に乗り出すなど「全天候型秘書」ぶりを発揮、活躍が報じられる。

    • 日本政府による竹島領有権主張については衆議院選挙へ向けて政権の強いリーダーシップを発生させ、支持率低下を防ぐためのものであるなどの分析を韓国メディア聯合ニュースに寄稿している。


    • 在日韓国人の参政権問題については、韓国政府に日本への働きかけを強めるよう度々提言している。

  • 糞バエが群がっている!!





                   利権のクソ壺・肥溜めに!!





                日本中がクソ壺だらけ!!






    パチンコ産業は在日韓国・朝鮮人の割合が高く、韓国の中央日報によれば、日本に約1万6000~7000店ほど存在するパチンコ店の経営者に占める割合は90%という指摘があります。(2010年2月現在の店舗数は1万1600店程度に減少しています)。

    2008年、在日本大韓民国民団の代表団が、韓国の李明博次期大統領当選を祝うために訪韓し、「パチンコ産業への規制による経営の苦しさ」を訴えました。李は、小沢一郎民主党代表との会談の際、民団から聞いたこととして、この話を小沢に伝え、「関心を持ってほしい」と要望しました。小沢は「後日民団から聞く」と応じました。後日、民団と在日韓国商工会議所が母体の「レジャー産業健全化推進協会」の協会幹部たちが「遊技業業界の規制緩和を訴える陳情書」を小沢へ提出することとなったわけであります。上記と同様の陳情が2007年12月、泉信也国家公安委員長、森喜朗日韓議員連盟会長に対しても行われています。

    2011年、パチンコ店内での換金を法律により合法とすることを民主党の山田正彦元農林水産大臣によって国会で提言されました。日本の第94代内閣総理大臣菅直人(民主党・当時)に在日韓国人のパチンコ店オーナーから100万円を超える政治資金が違法に献金されていたことが発覚し国会で問題となったことは、皆さんもよくご記憶のことと思います。

    CR機導入以降は減少してはいるものの、依然として脱税が多く、業界全体として、国税庁の2004年度の調査では不正発見割合でみると、50.3%と約半数で脱税の疑いがあり、「不正発見割合の高い業種」「不正申告1件当たりの不正脱漏所得金額の大きな業種」では4206万2000円と、ともにパチンコがワースト2位にランクされています。
    その、日本国政府に納めず脱税したお金は、どこに行っていると思いますか・・・

  • 死んでも、半島には帰りたくないんだ!!






    お願いだ!



    とにかく“強制連行”ということにしといてくれ!!





           矯正も、共生もできない連中なのに・・・







    「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)にて、当時の総理大臣である吉田茂は戦後の在日朝鮮人に対して以下の見解を出しています。
    • 彼らは 総数100万にちかく、その半数は不法入国。
    • すべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待する。
    その理由は次の通り。
    • 現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能。 
    • 大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献していない。
    • さらに悪いことには、朝鮮人の中で 犯罪分子が大きな割合を占めている。
    • 彼らは日本の経済法令の常習的違反者 であります。多くは共産主義者ならびにそのシンパで最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態である。

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