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投稿コメント一覧 (61コメント)

  • 【英EU離脱の関連話題】…その5〔前段からの続き〕

    ○『言語戦争』(大修館書店、1978)、228~229頁。
    「私ははじめて東欧を旅行したとき、各国いずれもドイツ語が極めて広い範囲で通用し、こうした歴史をあらためて思い知らされた。通常のホテルなら英仏語が通じなくてもドイツ語なら用は足せる。戦後の若い世代はロシア語を必須科目として教えられ、ドイツ語を知らない者も多いが、戦中・戦前派の中・高年層の中にはドイツ語をこなせる人がかなりいる。しかもスターリン時代がすぎて東欧各国ともロシア語を必須科目からはずしたため、ドイツ語は再び優勢となりつつある。何といっても、東欧と接して存在するのはドイツ・オーストリア・スイスのドイツ語民族であり、政治体制は異なるといっても、経済・学術・文化の交流や旅行など、実際の接触はやはり、これらの国々との間でひんぱんに行われるからである」

     けれども、時代は移ります。ドイツ語の凋落です。

    ○朝日新聞、1990年1月4日朝刊1面「ボーダーレスの時代」から。
    「エコロジー図書室に備えられている本や新聞のなかに、一つの薄いガリ版刷り雑誌がある。「グリーンウエー」(緑の道)という。1985年にハンガリーで生まれた情報誌で、東欧各国での環境問題への取り組みを互いに伝え合う唯一の手段といってよかった。東欧圏の雑誌なのに英語で書かれている。「ロシア語はみんな学校で習うけどきらいだ。北のほうでは通じるドイツ語も、南の国では分からない。英語なら、下手でもみんな何とか使える」と、編集長のガボール・フラスコさんは説明する。彼の本職はブダペストのコンピュータ技師だ」

     このように、ロシア語も凋落します。次の記事がそうです。
    [次へ続く]

  • 【英EU離脱の関連話題】…その6〔前段からの続き〕

    ○毎日新聞、1990年7月31日夕刊6面「進む東欧の教育革命」から。
    「昨年から始まった東欧の変革は誰もが予想できなかった急激な展開をみせている。〔中略〕ロシア語が必須から選択に変わり、マルクス・レーニン哲学の時間が廃止され、〔中略〕高校のコレナ校長は、ロシア語が選択になったことでロシア語の先生があまって困っているという」

     以上、EUその他を含めた、ヨーロッパの言語の話題でした。
     近年、EUが東欧へ拡大しました。それ以来、英語の重みが増えた、と聞きます。
     現在、東欧の外国語学習はどのようでしょうか。もっとも、スラブ系、ラテン系(ルーマニア、モルドバ)、アジア系(ハンガリー)が併存するので、一口に「東欧」と呼ぶのは荒っぽいでしょうけれど。状況をご存じの方から伝えていただければ、と思います。
       *  *  *
     話を戻します。イギリスのEU離脱に関連した話です。
     もともとイギリスは大陸(=イギリス以外の欧州)と異なるところがあります。昔からの宿命でしょうか。この宿命がEU離脱を導いたのでしょうか。
     イギリスと大陸とが異なる。よく知られた事例に、車の通行があります。道路の右側を走るか左側を走るか。日本はイギリス式です。更に、笑い話みたいですが、イギリス製のヘリコプターとフランス製のヘリコプターでは、回転翼の回る向きが異なるそうです。
    [次へ続く]

  • 【英EU離脱の関連話題】…その7〔前段からの続き〕

     日本国内に居ても分かる違いがあります。いわゆる洋書です。書籍の体裁がイギリスと大陸とで異なります。洋書を利用する人はご存じでしょう。
     まず背表紙です。英語の書籍では上から下へ書きます。これを英語式と呼びましょう。これに対して、フランス語では下から上です。これを大陸式と呼びましょう。ちなみに、フランス革命200年記念の式典で、エッフェル塔に、下から上へ、「200an」とありました。背表紙に限らず、縦書きの際の流儀でしょう。
     ドイツ語書籍の背表紙も大陸式ですが、レクラム文庫だけが何故か昔から英語式です。また、最近になって、英語式の書籍が目に付くようです。「アメリカ化」でしょうか。
     イタリア語は昔から両者半々の混合です。以前、昭和の時代のこと、東京のイタリア文化会館の図書室を訪れた時のことです。書棚の前で、館職員(日本語の達者なイタリア人)に背表紙について尋ねました。「上から下と、下から上と、どちらが多いか」と。「考えたことがない」という返事でした。ただ、「書店で背表紙を眺める時はややこしい」とのことでした。30年ほど前はこのようでしたが、最近の出版物は英語式ばかりに思えます。これまた「アメリカ化」でしょうか。東京・神田のイタリア書房の書棚からはそう感じます。
     ロシア語は大陸式です。ただ、2年前に見かけた医学用語辞典は英語式でした。前半が英露、後半が露英の対訳辞典です。英語を含むので英語式なのでしょうか。手元にある仏露露仏辞典は大陸式です。
     現代ギリシャ語の書籍は、古書店で1冊見たことがあります。大陸式でした。
     欧州語ではありませんが、トルコ語は、知る限りでは大陸式です。また、右横書きのアラビア語、ペルシャ語は、知る限りでは、上から下です。
    [次へ続く]

  • 【英EU離脱の関連話題】…その8(最終)

     背表紙に違いがあるほか、目次の位置も異なります。日本の書籍は目次が最初にあります。英語の書籍も目次が最初。しかし、大陸式では最後にあります。もっとも、最近は、背表紙と同じく、大陸式の目次にも「変化」があります。
     このような体裁面での違いのほか、表記面での違いもあります。小数点をピリオドで書くかコンマで書くか。また、和文のカギ括弧に当たる引用符号など。“○○○”は英語式です。大陸式はドイツ語とフランス語でも異なります。云々。
     ちなみに、エスペラント書籍の体裁は、どのような経過・事情で(=何を元に)決まったのでしょうか。ご教示いただければ幸いです。
       *  *  *
     ところで、本来の話題に戻ります。全人類がエスペラントを(補助語として)使う。これに私は(今のところ)賛成しません。しない理由は過去に(当掲示板でクドクドと)述べました(古いため今は消滅か)。もっとも、海外の古書の入手のためエスペラントを割合に利用していた私には、そう述べる資格はないのですが…。
     ただ、全人類でなく欧州人の補助語であれば賛成します。同じ(欧州)文化基盤の延長上に(エスペラントが)あるからです。もっとも、この見方(=全欧州は同一基盤上)にも荒っぽいところはありますが。例えば、ドストエフスキーが、「西欧にとってロシアは日本より異質だ」という趣旨のことを述べていますから。「中国の首都は東京か」と発言する西洋人の荒っぽさに等しいかもしれません。「こんな発言をする西洋人はいくらでもいる」と芹沢光治良氏が述べていました(割りと昔の話です)。
     それはともかく、共通の基盤があれば補助語も有用です。けれども、ない場合はどうでしょうか。私の過去の「クドクド」も要するにこのことです。これについて、いろいろな考えを聞きたく思います。
     なお、私は、エスペラント運動は有用と理解します。欧州補助語になる可能性があるからです。この運動にEU共通語を目指す働きかけはあるのでしょうか。あれば、その実現を望みます。
     以上、久々しぶりに投稿しました。乱筆多謝

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の1番目〕

     大石五雄『英語を禁止せよ』(平成一九年、ごま書房)にはこうあります。
     「太平洋戦争の戦時下において、日本では英語は敵性語、敵国語として禁止・追放された」「日本とは全く対照的に、敵国アメリカでは、特に軍隊において日本語学習が盛んに行われ、多くの日本語専門の情報部員が育てられていった」(三頁)。
     そして、日米比較に基づきこう述べます。
     「どちらが戦略的に望ましいことであったかはすでに明らかであり、アメリカ側に軍配が上がったことは誰もが認めるところである」(三頁)。
     この種の議論は以前からあります。しかし、妥当な比較でしょうか。
     なるほど、著者の言うよう、「誰もが認める」傾向はあります。例えば、
    (一)柴田武、「日米戦争が始まると、日本では、英語は“敵性語”だから学校教育からはずすようなこともした。米国では、反対に、敵を知るために軍に日本語班を作って日本語を学ばせた」(『朝日新聞』平成六年一月二一日夕刊、一五面「出あいの風景」)
     ところが、こういう認識は不正確です。柴田氏は、「学校教育からはずすようなこともした」と述べますが、そうではありません。本書『英語を禁止せよ』(六八~六九頁)および、本稿の引用(一五)によれば、随意または選択科目になる程度で、授業は続いていました。どうやら行き過ぎの認識があるようです。似た事例を挙げます。
    (二)澤地久枝、「私は英語授業ゼロ。敵性語だからっていって、アルファベットも教えなくなる教育の仕方っていうのは、日本人の思想の本質、貧しさという気がしますね」(『文藝春秋』平成九年九月号、「昭和五年生まれ、この指とまれ」三一一頁)
    (三)澤地久枝、「敵性語ということで、私は旧制高等女学校三年(いまの中学三年)夏の敗戦まで、一時間の英語授業も受けていない」(『本の話』平成一八年七月号、「家計簿の中の昭和」六七頁)

    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の2番目〕

    (四)新聞評論、「太平洋戦争中、日本では、敵性語である英語の使用を禁止し、英語教育も廃止した。一方、米国は同じ時期に、日本語教育に力をそそぎ、日本語を理解できる要員の大幅増加を図った。戦争に勝つという一点に絞っても、米国の教育方針は正しく、日本のそれは間違っていた。わずかに海軍兵学校において(中略)英語教育が続けられたのが救いであった」(『朝日新聞』平成九年六月四日夕刊、一一面「経済気象台」)
    (五)六九歳女性、「学校で英語の授業が禁止された時代に育った私たち」(『朝日新聞』大阪版、平成九年六月一八日朝刊、投書欄)
    (六)七五歳男性、「戦時中の、英語は敵国語で、それを学ぶのは非国民だ、とまで言われた時代」(『朝日新聞』大阪版、平成一六年六月一五日朝刊、投書欄)
     何らかの混線があって、これらの誤認が生じたのでしょう。次のような過激な反応もありました。
    (七)原卓也、「通っていた中学が極端でね。米英相手の戦争が始まると、敵の言葉だというので英語の教科書を燃やさせてしまった」(『朝日新聞』平成六年七月四日朝刊、八面「おやじの背中」)
     これが組織的な対応であったかどうか。次のように、授業は続いていたのですから。
    (八)妹尾河童、「僕の神戸二中ではね、松本先生という先生がいて、工場と授業と一週間おきだったけど、終戦まで英語の授業があった。(中略)もう敵国の言葉を教える授業は廃止されるという噂があったのに」(出典は前記(二)に同じ)
    (九)小林信彦、「『え? 太平洋戦争中に、中学で英語を教えていたんですか?』むかし、片岡義男さんと雑談している時に、そう訊かれた。『ええ…』とうなずいたものの、こうした事実は次第に埋もれてゆくのだな、とぼくは思った。(中略)なにしろ、野球でさえ、英語=敵性語を使ってはいけない。〈アウト〉は〈駄目〉、〈セーフ〉は〈良し〉という時代である。/そんな時代に、教室の中でだけ、英語を教えているのも異様なもの」(『週刊文春』平成一〇年二月一二日号、「人生は五十一から」七四頁)

    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の3番目〕

    (一〇)小林信彦、「敵の本土上陸が迫っている時に、その敵の言葉を勉強したなんて、創り話だろうと、後年、よく言われたが、冗談ではない」(『波』平成一六年六月号、「東京少年」七五頁)
    (一一)佐野洋、「戦争中、英語の授業がなかったというのは嘘である。週に四時間程度はあったし、海軍諸学校、高等学校(旧制、現在の大学前半にあたる)の入試にも英語はあった」(『本の窓』平成一五年五月号、「ミステリーとの半世紀」三一頁)
    (一二)木田元、「(昭和二〇年)四月十日に入校式がおこなわれ、それから四ケ月の兵学校生活がはじまった。むろん英語・数学・国語・物理・化学といった授業もあったが(後略)」(『青春と読書』平成一六年六月号、「新人生論ノート」八四頁)
    (一三)大谷泰照、「彼(海軍中将井上成美)は、陸軍諸学校とは違って、海兵入試科目から英語を外すことをしなかった」(『英語教育』平成九年五月号、「なぜ、いま第二外国語なのか」九頁)
    (一四)赤坂真理、「英語は戦時中敵性言語とみなされ当局に禁止されていた、というのがこんにち私たちが歴史の授業で学ぶことだが、実際には、学校ごとに融通は少しきいたようだ。母の通っていた女学校では、5組のうち、2組に英語がカリキュラムとして組み込まれていた」(『朝日新聞』平成一六年六月六日朝刊、一一面「時流自論」)
    (一五)新聞記事、「英語の授業そのものは、中学校で選択制が取り入れられるなどしたが、戦時中も続けられたという」(『朝日新聞』大阪版、平成一七年七月一五日夕刊、一面、「軍色 戦中の英語教科書」)。「戦争中に英語教科書があったことすら知らない人も多い」(同記事中、和歌山大学教育学部教授の言)。「旧制の中学校や実業学校、高等女学校などでは戦時中も英語が教えられていた」(『朝日新聞』東京都内版、平成一七年七月二四日朝刊、七面)

    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の4番目〕

    (一六)五八歳女性、「高女一年生の時に第二次世界大戦が始まり、授業科目に英語はありましたが『敵性国家の国語など学ぶ必要なし』との思想の時代でした」(『朝日新聞』大阪版、昭和六二年一〇月一八日朝刊、投書欄)。
     これらが正確な認識でしょう。しかし大抵の人は、授業がなくなった、とまで思い込むようです。この思い込みが米国の「日本語研究」と対比され、「アメリカ側に軍配」(本書三頁)を上げるというような主張になります。
     比較するため、日本における英語の排斥状況を持ち出す。この場合、比較の対象としては、米国における日本語の排斥状況を持ち出すべきです。ところが、英語は日本で広く学習される外国語ですが、日本語は米国で広く学習される言語ではありません。学習状況が異なり過ぎるゆえ比較は不適切で、判断保留とすべきです。
     本書にはこうあります。
     「日本では英語に由来する芸名、学校名、会社名などが変更させられたが、アメリカではそのようなことはなく、(中略)このような日米の敵国語をめぐる相違が、戦争の動向にどのように影響し、どちらが戦略的に望ましいことであったかはすでに明らか」(三頁)
     この議論は、日本語に「由来する芸名、学校名、会社名など」が米国に同程度あることを前提として成り立つ議論です。しかし、日本語に「由来する芸名、学校名、会社名」などが米国に同程度あったはずはない。つまり、比較しようにもその対象がありません。にもかかわらず「比較」されます。

    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の5番目〕

     また、戦争遂行のための敵国語研究について日米比較する、というのであれば、当時の日本には英語の専門家が既に大ぜいいました。それゆえ新たな使い手を大幅に養成する必要はありません。教育の拡大も不要です。他方、米国には日本語の専門家が極少、それゆえ緊急に大量養成する必要が生じたまでです。つまり比較するものが二つ揃いません。これまた判断保留とすべきです。
     要するに、日本における英語の状況と、米国における日本語の状況が異なりすぎるため、比較に適しません。そこを強引に対比させ、一方に社会状況を持ち出し、他方に軍事方針を持ち出すという、同一次元にない二者の「比較」に走っています。本書には、「どちらが戦略的に望ましいことであったか」(三頁)とあります。この論理で押せば、「英語に由来する芸名、学校名、会社名などが変更」(三頁)されずに残ることが「戦略的に望ましい」となります。つまり、英語の芸名を残せば戦争に勝てる…こういう珍妙な論理になります。比較に適さない二者を比較するからです。
     このような見当違いの比較は、本書のほか、右の(一)や(四)の他にも見受けられます。
    (一七)「これと対照的なのが、アメリカが敵国語たる日本語に対して取った態度である」(太田雄三『英語と日本人』二二七頁)
     こういう主張にはよく出逢います。(四)に至っては、「米国の教育方針は正しく、日本のそれは間違っていた」とまで主張します。軍事と学校教育とを混同しています。
     さらに、敵国(または、対立する相手国)の言語への態度が狭量になるのは日本も米国も同じです。
    (一八)トミ・カイザワ・ネイフラー、「政府のポスターには『英語で話せ。敵の国語を使うな』と書かれていた」(『引き裂かれた家族』尾原玲子訳、三三頁)。「戦時中は日本語の手紙を出すことは禁じられていた」(同、一〇三頁)
    (一九)アイザック・アシモフ、「第一次大戦中、アメリカ人は敵国のドイツ語をきらい、キャベツ料理のザワークラウトを、自由キャベツと呼び、犬のダックスフントをけとばす者さえいた」(新潮文庫『アシモフの雑学コレクション』星新一訳、二八八頁)
    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の6番目〕

     米国のイラク政策をフランスが批判した結果、次のようになりました。
    (二〇)新聞評論、「米国のあるレストラン経営者がメニューからフレンチフライという表記を一掃したそうだ。(中略)名前だけフリーダムフライ、つまり自由フライに変えたという」(『朝日新聞』平成一五年二月二五日朝刊、一面「天声人語」)
    (二一)新聞記事、「(米)下院の食堂のメニューにある『フレンチトースト』と『フレンチフライ』をそれぞれ『フリーダムトースト』、『フリーダムフライ』に改めると発表した」(『朝日新聞』平成一五年三月一二日夕刊、二面)。
     以上のように、狭量さは日米とも同じです。また、言語を研究する態度も同じでしょう。戦中の新聞に次のような書籍広告、宣伝文句が掲載されています。
    (二二)『會話文典語彙 最新 馬來語要諦』…「軍用語多數を收録」(『朝日新聞』大阪版、昭和一六年一二月一七日、一面、下段広告欄)。
    (二三)『かなつき日露會話』『かなつき日滿露會話』(『朝日新聞』大阪版、昭和一六年一二月二二日、一面、下段広告欄)。
     さらに、NHKのラジオ講座があります。
    (二四)新聞記事、「(昭和)六年に始まった中国語講座、八年のブラジル語(ポルトガル語)講座は、中国大陸や南米に対するわが国の関心ないし交流の深まりと切り離せない。そして一七年には、これらの講座も、敵性語として中止される」(『朝日新聞』昭和五九年三月二六日朝刊、一二面)
     以上の資料からは、海外往来に伴う学習の広まりが想像できます。これは需要に応じた供給です。日本語の専門家に乏しい米国が人材育成を始めるのも需要に応じた供給です。両者の態度・方針は同じです。
     ともあれ、比較に際して一方に学校教育や社会状況を持ち出し、他方に軍事方針を持ち出すのは的はずれです。それならもっと単純に、英語を排斥したのは狭量だ、と批評するほうが論理的でしょう。

    ----次段へ続く

  • 「英語は敵性語」における日米比較は妥当か  ---〔7分割の7番目〕

    ちなみに、参考として、以下のように引用します。
    *江利川春雄『英語と日本軍』(NHKブックス、2016)
     ・211~212頁

     一般には、「太平洋戦争中の学校では英語教育が禁止されていた」という言説をよく耳にする。たしかに、日中戦争後には戦意高揚のプロパガンダとして、駅の看板から英語が消されるなどの英語禁圧の動きが強まった。しかし、文部省は太平洋戦争下でも国民学校高等科を含む中等学校以上で英語教育を継続しており、そのために一九四四年に至っても英語教科書の発行を続けていた。ところが、英語教育を行おうとしていた中等・高等の学校でも、悪化する戦局のもとでは、勤労動員や学徒出陣によって授業停止状態になる場合が多かった。/そうした状況下でも、陸軍幼年学校や海軍士官学校などでは敗戦時まで英語を含む教育を続けていた。

     ・236~237頁
     英語は「鬼畜米英」の「敵国語」とみなされていた。内閣情報局発行の『写真週報』第二五七号(一九四三年二月三日号)では「看板から米英色を抹殺しよう」というキャンペーンを特集し、一般国民に対しては野球のストライクを「よし」に、カレーライスを「辛味入汁掛飯」に言い換えさせた。/そうした中にあっても、陸海軍の士官養成学校では高度な教育が続けられており、そこでは英語も堂々と教えられていた。海軍兵学校では一九四五年五月の野球の試合で、審判が「ストライク!」「ボール!」と普通に英語を使っていたという(菅原完『海軍兵学校 岩国分校物語』)。
    〔了〕

  •  韓国での冬季オリンピック大会について。式典その他の場内放送は、フランス語・英語・韓国語(※)の順に行なわれました。気づかれたしょうか。
     これは、フランス語が「国際語」であった頃の名残でしょう。オリンピックはその頃に創設されましたから。また、創設者はフランス人です。IOC会長の挨拶もフランス語で始まりました。大会全体を通じて、何やら古風に感じられました。
     フランス語が「国際語」であった時代の影響は、(少ないですが)今でも見られます。
     オリンピック憲章の正文は、フランス語と英語です。疑義が生じた時はフランス文で解釈する、という規定が憲章の末尾にあったように記憶します。
     このほか、万国郵便連合の憲章がフランス語です。航空便の青いシールを郵便局に置いています。フランス語で「PAR AVION」と大きく記し、「BY AIR MAIL」「航空」と小さく記します。今は変わったかと思いますが、税関告知書や、「小型包装物」に貼付する緑色の票の説明文は、フランス語と日本語でした。また、外信はがき(船便)はとうの昔になくなりましたが、フランス語で「CARTE POSTALE」とありました。これには往復はがきもあって、「avec réponse payée」(返信支払済)と添え書きされていました。今では船便のはがきはなくなり、航空便のはがきだけで、「POST CARD」の表示です。
     また、美術の方面(画商)では、絵画の名称をフランス語で統一的に呼ぶそうです。各言語で呼ぶと、同一の作品か別の作品か判別できない場合があるためです。そういえば、美術ではありませんが、米映画の邦題名で、『遊星からの物体X』と『遊星よりの物体X』が別作品であることを知りませんでした。
     『ニュルンベルク裁判の通訳』(武田珂代子訳、2013)によると、「(第一次世界大戦)以前は、外交の場における公式言語としてフランス語のみが使われていた。(中略)ウィーン会議の参加者は、フランス語を完璧に操る外交官か、フランス語の知識があるという理由で選ばれた政府高官のいすれかで、万国郵便連合の会合でも状況は同じだった」(12頁)。
     言語の「勢力」には衰退があります。「英語支配」は今後どうなるでしょうか。
    ※「韓国語」という呼称を使いました。この言語の呼称については私見がありますが、省略します。

  • 【映画の中での言語の扱い】 …2分割のうち1つ目
     外国人が邦画に登場し外国語を使う場面があります。英米人なら英語を使う、中国人なら中国語を使う、などとなるはずのところ、なかなかそうでもない映画があります。
     溝口健二『楊貴妃』(1955)の設定は、場所が中国で人物が中国人ですから、台詞も中国語のはずですが、全て日本語です。これはかまいません。邦画であるから使用言語は日本語、ただし中国語であるという設定だ、というわけです。『十戒』や『クレオパトラ』の台詞が英語であるのと同じです。いわば特殊な「吹替え」です。ここに不自然さはありません。ところが、2言語が使われると、ややこしくなります。
     最近の米映画『沈黙…サイレンス』(2017)は英語と日本語です。この場合の英語部分はポルトガル語だ、という設定です。米映画だからこれでいいわけです。邦画『楊貴妃』の日本語と同じ趣旨(=特殊な「吹替え」)です。
     ところが、邦画『鉄砲伝来記』(1968)となると趣旨が違います。日本人はむろん日本語ですが、ポルトガル人は英語です。これはおかしい。米映画『沈黙…サイレンス』の英語はポルトガル語である、という設定は米映画だから自然なので、邦画では不自然です。特殊な「吹替え」とならないからです。いかにも手抜きというか、外国人だから日本語でなければそれでいいのだ(外国語は全部英語で行け)、という印象です。
     平成の時代になっても、この手の映画があります。邦画『スパイ・ゾルゲ』(2003)がそれです。外国語の部分は全て英語です。いまだこういう状況かと思いました。同じ思いの人は結構いるらしく、雑誌で指摘されています。『言語』2003年10月号、116頁、「映画『スパイ・ゾルゲ』の言語的リアリティーのなさ」という記事です。一部を引用します。
     「東京のドイツ大使館の中で、大使と秘書など、ドイツ人同士が英語を話しているのは困る。また、モスクワのシーンで、ゾルゲとロシア人の恋人をはじめ、出演者全員が英語で話しているのも大いに困る。そんなことはあり得ないことだからだ。〔中略〕ここはドイツ語とロシア語もできる役者を探して(あるいは部分的に吹き替えてでも)、大使館の中ではドイツ語、モスクワではロシア語で通すべきだったのではないだろうか。」
     同感です。   ……〔次へ続く〕

  • ……〔前から続く〕
    【映画の中での言語の扱い】 …2分割の内2つ目
     映画により、言語(外国語)の扱いが粗雑な作品と、厳密な作品とがあります。古いものが粗雑で最近のものが厳密というわけでもありません。テレビドラマで挙げると、米国のドラマ『タイムトンネル』(1967年に放映。タイムマシン物)では、古代ギリシャ人も中世モンゴル人も現代アメリカ人と英語で話していました。他方、同じく米ドラマ『コンバット』(1962~67に放映。第二次世界大戦末期、ノルマンディ上陸後のフランス戦線が舞台)では、ドイツ人はドイツ語を、フランス人はフランス語を話します。米部隊にはフランス語の通訳兵がいました。日本での放映では英語の部分だけを日本語に吹き替え、他は独・仏語のままでした。
     「リアリティ」を徹底する映画もあります。メル・ギブソン監督の作品がそれで、『パッション』(2004)では、ユダヤ人はヘブライ語を、ローマ人はラテン語を話します。『アポカリプト』(2006)の台詞はマヤ語です。恐れ入った徹底ぶりです。
     ただ、一般的には、映画(やドラマ)における言語の扱いには、或る程度の不自然さは残ります。新旧の事例を引用します。
     古いところでは、日仏合作『忘れえぬ慕情』(1956)があります。ヒロイン(岸恵子)がフランス語を話すのは、その役割設定から自然ですが、造船所の技師長(山村聡)までが滑らかに話すのは不自然でしょう。
     最近では、『海難1890』(2015)があります。日本人(明治時代の医師)はトルコ軍人と英語で話します。日本語やトルコ語での会話はどう見ても不自然ですから英語にしたのでしょう。しかし、現実はどうなのでしょう。当時の日本人医師はドイツ語に通じていたでしょう。また、当時のトルコ人はフランス語がいちばん身近だったでしょう。
     ところで、『テルマエ・ロマエ』(正続編)の日本語とラテン語の使い分けは効いています。不自然な感じはありません。肩ひじ張らない喜劇映画だからうまく出来たのでしょうか。〔了〕

  •  言語勢力の盛衰に関連して、スレッド「エスペラント語とは」の2016年の投稿から転載します。
     * * * * *
    【英EU離脱の関連話題】…その1(8分割の1)

     欧州連合(EU)の件。イギリスの離脱(なぜか脱退と言わない)について、早速esperplenaさんが言及されました。今後の動向について、私も注目します。言語面でどう変わるか、という点です。もっとも、あまり変わらないようにも思えますが。
     まず、EUの公用語は減らないでしょう。加盟国アイルランドが英語国ですから(厳密には、そもそもケルト語の国ですが)。では英語の「比重」は減るでしょうか。つまり、esperplenaさんの言う「言語格差」の縮小です。今後、私はここに注目します。
     以前、EUではフランス語優勢の時期が続いた、と聞きます。また、戦後においても、国際連合や外交の面でフランス語の「比重」が大きいようです。これについて、単行本や新聞などから話題を拾います。

    ○『法と日本語』(有斐閣新書、1981)から、小田滋「外国語の悩み」203頁。
    「過日、私はルクセンブルグにあるヨーロッパ共同体裁判所を訪れたが、そこでは実に七カ国語が公用語として用いられており、すべて判決なども七カ国語で公刊されるが、他方、裁判官合議はフランス語のみで、一切の通訳なしであるという。フランスがもっとも強力であった初期のヨーロッパ共同体の伝統を受けついだものであるが、従って、事実上は、フランス語の素養がその裁判所の裁判官の要件といえよう」

    ○吉田康彦『国連広報官』(中公新書、1991)201頁。
    「私がWHOに着任したのは、そんな状況下だった。広報部長は、オーストラリア厚生省の大臣秘書官だったというアン・カーン女史。〔中略〕どうも部長の威厳がない。しかし、そうした外見よりも、彼女はオーストラリアなまりの英語一本槍で、フランス語を一言も解さない(これはジュネーブでは致命的)。」
    [次へ続く]

  • 【英EU離脱の関連話題】…その2〔前段からの続き〕

    ○朝日新聞、1986年7月25日朝刊7面。
    「モロッコ政府は、二十四日午前、同国のハッサン国王とイスラエルのペレス首相との間で行われた首脳会談に関する共同声明を発表した。声明の正文はフランス語で、イスラエルでも同時刻に発表された」

    ○シドニー・ベイリー『国際連合』(庄司克宏ほか訳、国際書院、1990)35頁。
    「ペルーのビクトール・アンドレス・ベラウンデという外交官は、そのときの気分次第で、好む言語を選んで演説した。すなわち、正確を期する場合にはフランス語で、控え目に話したい場合には英語で、誇張したい場合にはスペイン語で演説したのである」

    ○朝日新聞、1986年6月11日朝刊6面、「欧州の本家意識」から。
    「ジュネーブはフランス語圏だが、国連の専門機関では、どこでも第一の国際語は英語である。現地採用職員との会話を入れてもまず六〇%、機関によっては八〇%が英語といわれる。ところが国連の本体の事務局だけは圧倒的にフランス語なのだ。日常会話、記者会見はむろん、掲示板や記者用の発表文書もフランス語優勢。「本家」を守ろうとする事務局の意思の表れである。これを側面から支えているのが記者会だ。かつてデクエヤル国連事務総長との会見で、「ニューヨークの資料は、まずフランス語で配布を」という要求が出たことがある」
    [次へ続く]

  • 【英EU離脱の関連話題】…その3〔前段からの続き〕

    ○朝日新聞、1987年3月8日朝刊7面、「欧州の十字路で」から。
    「月曜から金曜までの毎日、正午からEC委員会の定例記者ブリーフィングが始まる。〔中略〕経済摩擦から東西交流まで、この雑多なブリーフィングに、ただひとつ共通点がある。すべてフランス語で行われるということだ。〔中略〕せめて英語をフランス語と併用してはどうかという声が、記者の間で日ましに強まっている。ECもそうした空気は理解し、最近も英語併用を原則として受け入れようとしたことがある。しかし、それをつぶしたのはフランス語系の記者グループだった。ECは何といってもフランスのリーダーシップの下に生まれ、育ってきた。それがなお長い影響を引き、フランス語主流の背景をなしている」

     このようなフランス語の勢いは十数年後に変わり始めます。

    ○朝日新聞、2002年4月3日朝刊6面、「特派員メモ」から。
    「『英語が尊重されすぎている。フランス語と平等に扱うべきだ』。ジュネーブの国連欧州本部で、仏語圏の記者48人が先月、連名で国連広報担当に申し入れをした。国連記者会の『公用語』は英語または仏語だが、最近は記者発表資料で英語の情報が優先され、仏語訳が遅れるケースが多いことに仏語圏ジャーナリストが反発したのだ。〔中略〕実は、英語圏出身の記者は仏語を理解できることが多いが、仏語圏組には英語が苦手な記者が多い」

     フランス語後退の表われです。欧州共同体EC時代のドイツ語も冴えません。
    [次へ続く]

  • 【英EU離脱の関連話題】…その4〔前段からの続き〕

    ○朝日新聞、1992年1月11日朝刊6面。
    「年明け早々、コール独首相は欧州共同体(EC)のドロール委員長に書簡を送り、EC内ではドイツ語を英語やフランス語と同等に扱うよう改めて強く要請した。コール首相はその理由として、ドイツが統一によって大きくなったこと、政治的にも重要な立場を占めるようになったことをあげた。同首相は昨年秋にも同じ趣旨の最初の書簡を送っていた」

    ○朝日新聞、1993年5月15日朝刊9面。
    「欧州会議の公用語は英語とフランス語だが、コール独首相は今年二月、同会議を訪問した際に、ドイツ語の公用語化を正式に要請した。〔中略〕仏ストラスブールの欧州会議で十一日に行われた投票では、二百二人の議員の過半数がドイツ語の公用語化に反対して、ドイツ語派はあっさり敗れてしまった」

    ○朝日新聞、1999年7月3日朝刊9面。
    「欧州連合(EU)の新議長国フィンランドが会議でのドイツ語使用を認めず、シュレーダー独首相が抗議していた問題でドイツ政府は2日、フィンランドのオウルでこの日から始まった非公式産業相会議をボイコットした。AP通信によると、同じドイツ語圏のオーストリアも、独政府に同調して閣僚の出席を見合わせた」

     こういう現況ですが、昔はそうでもなく、ドイツ語は東欧に広まっていたようです。次にその事例を引用します。
    [次へ続く]

  • 【英EU離脱の関連話題】…その5〔前段からの続き〕

    ○『言語戦争』(大修館書店、1978)、228~229頁。
    「私ははじめて東欧を旅行したとき、各国いずれもドイツ語が極めて広い範囲で通用し、こうした歴史をあらためて思い知らされた。通常のホテルなら英仏語が通じなくてもドイツ語なら用は足せる。戦後の若い世代はロシア語を必須科目として教えられ、ドイツ語を知らない者も多いが、戦中・戦前派の中・高年層の中にはドイツ語をこなせる人がかなりいる。しかもスターリン時代がすぎて東欧各国ともロシア語を必須科目からはずしたため、ドイツ語は再び優勢となりつつある。何といっても、東欧と接して存在するのはドイツ・オーストリア・スイスのドイツ語民族であり、政治体制は異なるといっても、経済・学術・文化の交流や旅行など、実際の接触はやはり、これらの国々との間でひんぱんに行われるからである」

     けれども、時代は移ります。ドイツ語の凋落です。

    ○朝日新聞、1990年1月4日朝刊1面「ボーダーレスの時代」から。
    「エコロジー図書室に備えられている本や新聞のなかに、一つの薄いガリ版刷り雑誌がある。「グリーンウエー」(緑の道)という。1985年にハンガリーで生まれた情報誌で、東欧各国での環境問題への取り組みを互いに伝え合う唯一の手段といってよかった。東欧圏の雑誌なのに英語で書かれている。「ロシア語はみんな学校で習うけどきらいだ。北のほうでは通じるドイツ語も、南の国では分からない。英語なら、下手でもみんな何とか使える」と、編集長のガボール・フラスコさんは説明する。彼の本職はブダペストのコンピュータ技師だ」

     このように、ロシア語も凋落します。次の記事がそうです。
    [次へ続く]

  • 【英EU離脱の関連話題】…その6〔前段からの続き〕

    ○毎日新聞、1990年7月31日夕刊6面「進む東欧の教育革命」から。
    「昨年から始まった東欧の変革は誰もが予想できなかった急激な展開をみせている。〔中略〕ロシア語が必須から選択に変わり、マルクス・レーニン哲学の時間が廃止され、〔中略〕高校のコレナ校長は、ロシア語が選択になったことでロシア語の先生があまって困っているという」

     以上、EUその他を含めた、ヨーロッパの言語の話題でした。
     近年、EUが東欧へ拡大しました。それ以来、英語の重みが増えた、と聞きます。
     現在、東欧の外国語学習はどのようでしょうか。もっとも、スラブ系、ラテン系(ルーマニア、モルドバ)、アジア系(ハンガリー)が併存するので、一口に「東欧」と呼ぶのは荒っぽいでしょうけれど。状況をご存じの方から伝えていただければ、と思います。
       *  *  *
     話を戻します。イギリスのEU離脱に関連した話です。
     もともとイギリスは大陸(=イギリス以外の欧州)と異なるところがあります。昔からの宿命でしょうか。この宿命がEU離脱を導いたのでしょうか。
     イギリスと大陸とが異なる。よく知られた事例に、車の通行があります。道路の右側を走るか左側を走るか。日本はイギリス式です。更に、笑い話みたいですが、イギリス製のヘリコプターとフランス製のヘリコプターでは、回転翼の回る向きが異なるそうです。
    [次へ続く]

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