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投稿コメント一覧 (47371コメント)

  • 一石さんのおっしゃる通りです。無限大は数ではないのだから、xという数が数ではない無限大に近づくはずはありません。

    まさにその通りでしょう。一石さんの考え方は正しいです。無限大は、数学でも定義不明のあいまい用語です。でも、数学は無限大を手放したくなかった…だから、最後の手段として「無定義という新手(荒手というべきかもしれませんが)」を思いついたのだと思います。線も面も無定義にし、無限大も無限小も無定義にし、実無限も可能無限も無定義にし、ついでに命題の真偽も無定義にして、命題を真か偽のどちらかに分類しなくなった…これによって、平行線公理を真と偽に場合分けできるようになったのです。すべては「数学を曖昧な学問のする」という方向でつながっています。これが、ヒルベルト数学の正体です。ヒルベルト先生、申し訳ございません。ⅿ(__)m


  • 返信をありがとうございました。

    具体的に数学理論の仮定を次のように置きます。

    数学理論の仮定:E1,E2,E3,E4,E5

    この5つの仮定を持っている数学理論から矛盾が証明されたとします。問題は、どの仮定から矛盾が証明されたか、それを判定する方法がありません。

    > 判定しないw

    あなたは「真理を求めようとする姿勢がない」のでしょうか?矛盾を生んだ真犯人を追究しようとしないのですね?

    > E1∧E2∧E3∧E4∧E5が否定されるのだから、証明されるのは¬E1∨¬E2∨¬E3∨¬E4∨¬E5

    ¬E1∨¬E2∨¬E3∨¬E4∨¬E5が真であることが証明されたのです。これは、¬E1,¬E2,¬E3,¬E4,¬E5の5個のうち、最低限1個の命題が真であればいいのです。つまり、E1,E2,E3,E4,E5のうち1つが偽であればいいのです。しかし、これだけではどれが偽の命題かがわかりません。

    >で、上記はE1∧E2∧E3∧E4⇒¬E5と同値、というだけのこと

    そんな難しいことを言う必要はありません。もっと簡単に「E1,E2,E3,E4,E5のうち、最低1個は偽の命題である」と言えばいいのです。

    >誰も、 「E1,E2,E3,E4は真だ、だからE5は偽だ」なんて決め付けてない。ヒデが式を読み間違っただけw

    私も言っていません。E1が偽の命題であっても、E1,E2,E3,E4,E5から矛盾は証明されます。全部が偽の命題であってもかまいません。でも、私たちは数学の真理を求める数学者ですから、別の方法を使ってもよいから、それが偽の命題かを突き止めなければなりません。ギャングの集団を逮捕しても、誰がリーダーかを検察側が明らかにしなければ、そそのかされたり指示されたりして逆らえない状態の共犯者が重い罪を負わせられてしまいます。

    実際、対角線論法ではリーダーの「実無限」を逮捕できなかったので、一番下っ端の「自然数全体の集合Nと実数全体の集合Rの間の1対1対応」が逮捕されて、100年以上も独房に入れられています。あなたは、この冤罪事件を何とかしたいと思いませんか?

    対角線論法は数学における冤罪事件なのです。裁判をやり直さなければなりません。そして、最大のボスである実無限を逮捕すべきです。

  • >ヤマカズは「空間の存在」を「より高次元のユークリッド空間への埋め込み可能性」で判断したいらしいがバカ丸出しw 昔、トポロジーがそうまとめてあったからなw―――そんなことは数学者は誰もいってないw

    「埋め込む」とは何でしょうか?

    【埋め込む】
    読み方:うめこむ
    別表記:うめ込む、埋めこむ
    (1)あるものの内部に他のものを納める。固定的に設置する。「スピーカーを壁に埋め込む」「インプラントを埋め込む」などのように言う。
    (2)コンピュータ関連の技術で、あるものの上で外部の機能を利用可能にする。プログラムを追記する。「文書に画像を埋め込む」「ウェブページに所定のタグを埋め込む」などのように言う。

    数学で使う用語の「埋め込む」は、国語辞典に掲載されている「埋め込む」と、どう違うのでしょうか?

  • 返信をありがとうございました。

    証明を始めるときには、仮定となる命題は真の命題でなければならない。これが大切です。

    > 全然必要ない。むしろ仮定が偽であることを示す形で、証明を全て背理法の形で表してもかまわないw 

    いいえ、背理法も真の命題を仮定しています。あなたに見えないだけです。ところで、あなたは本当に数学教授なのでしょうか?

    >この場合、証明の結論、つまり仮定の否定は「¬(公理∧¬定理)」となる。

    論理は、仮定から証明を介して結論を導く一連の流れです。「仮定のない論理」「証明のない論理」「結論のない論理」は存在しません。

    論理=仮定+証明+結論

    最後の「結論」が証明から出てきた結果です。ところが、あなたは何年間も、おかしなことを主張し続けています。それをもう一度、ここにアップいたします。

    【あなたの主張】
    証明されたのは「結論」ではない。証明されたのは「仮定→結論」である。

    つまり、あなたは論理を使って最終的に出てくる「結論」を、「仮定→結論」に改ざんしたのです。この「結論の改ざん」を行なったのは、あなた個人でしょうか?それとも、「ヒルベルト派の習慣だから、改ざんしたのはヒルベルト本人である」というのでしょうか?

    【結論の改ざん】
    仮定から出てきた結論を「ただの結論」とはせずに、「仮定→結論」と置き換える。

    こんな複雑な改ざんを行なう必要はありません。数学はもっと単純な学問だと思います。結論は結論です。「仮定→結論」が結論ではありません。

    > 否定されるのは公理でも、定理の否定でもないw

    背理法がすべてではありません。「証明は、すべてが背理法である」という極端な考え方は、あなた個人の信念でしょうか?それとも、ヒルベルトの受け売りでしょうか?先人たちの数学をそもまま受け入れるのも大切ですが、先人たちを超えることも重要です。受け売り数学もほどほどに…。ヒルベルト先生、申し訳ありません!ⅿ(__)m

  • 相対性理論を論破するために必要なのは、人間としての良識です。

    「物理理論は論破できない」という悪い風潮を作り出したのは、おそらく矛盾した相対性理論が最初でしょう。理論を根本から破壊できるのは、パラドックスのみです。つまり、その理論が自己矛盾していることを証明することです。これは、数学理論でもあてはまるし、物理理論でも言えることです。パラドックスが見つかった理論は、数学理論でも物理理論でも潔く「参りました。降参です」と白旗を掲げて、学問から撤退することが大事です。矛盾したまま、いつまでも学問内にとどまっていることは良くありません。失礼な表現がありましたら、大変申し訳なく思います。ⅿ(__)m

    カントールのパラドックスが見つかった素朴集合論はすぐに破棄し、双子のパラドックスが見つかった特殊相対性理論もすぐに破棄すべきでした。でも、このときにフロギストン説のときのようなアドホックな仮説が生み出されて、矛盾した理論を100年以上も維持してきたのです。

  • 素朴集合論は公理的集合論という形でアドホックな仮説を作り出し、特殊相対性理論は一般相対性理論というアドホックな仮説で矛盾した理論を消滅させずに来たのです。

    素朴集合論 → 公理的集合論(素朴集合論に対するアドホックな仮説)
    特殊相対性理論 → 一般相対性理論(特殊相対性理論に対するアドホックな仮説)

    そもそも、証拠(観測結果)という形では、物理理論を完全に肯定することも、完全に否定することもできません。

    あなたは「ニュートン力学が間違っている証拠がある。だから、ニュートン力学が間違っている」と思い込み、人類が今でもニュートン力学を使って宇宙船を飛ばしていることを「ニュートン力学の間違いの程度が低いから使っている」と言い訳しています。

    どの無矛盾な物理理論も、極端な条件下では現実(観測結果)と合わなくなります。これは物理学の常識です。

    ただ、矛盾した物理理論にはこの常識は通用しません。矛盾した物理理論は、何でも説明できる潜在能力を持っているからです。この能力は、矛盾した数学理論からきているのかもしれません。矛盾した数学理論は、何でも証明できる(どんな命題をも証明できる)潜在的な能力を持っています。つまり、矛盾した数学理論や矛盾した物理理論のほうが生き残りやすいと言えましょう。そして、それが現実のものとなったのが無限集合論と相対性理論です。

  • ところで、『任意の~』は残りを許します。「すべての自然数を集めた」というと、集めるという行為から漏れている自然数はありません。しかし、「任意の自然数を集めた」というと、集められていない自然数が残っています。

    有限と無限は異なります。記号を使う際も、有限で使える記号が無限でも使えるとは限りません。「任意の○○」は有限でも無限でも使える表現ですが、「すべての○○」は有限で使える記号であって、無限では必ずしも使えるとは限りません。○○が無限に存在する場合、「すべての○○」という日本語は、慎重に用いる必要があります。

    要は簡単なメカニズムです。実無限が間違っていれば、実無限から構成されている対角線論法も間違いです。任意の実数についで必ずある自然数が割り付けられるような写像を構成する必要など、サラサラありません。

  • 同時という事象は、人類が地球上に誕生するずっと前から起きています。天体Aと天体Bが衝突したとき、「天体Aが天体Bにぶつかった」という事象と「天体Bが天体Aにぶつかった」という事象は同時に起きています。同時という事象には観測者は不要であり、なおかつ、観測という行為には依存していません

    「AとBが衝突する」は1つの事象ですが、これを「AがBに衝突する」と「BがAに衝突する」の2つに分解できます。これは、第3の目から見た「AとBが衝突する」を、Aの目から見た「AがBに衝突する」とBの目から見た「BがAに衝突する」に分けただけです。分ける前と分けた後でも、衝突の本質は変化していません。主語が複数か単数かの違いです。衝突自体にはまったく相違はありません。

    ナンセンスなのは、「AがBに衝突する時刻」と「BがAに衝突する時刻」が異なっていても構わない、という固有時間を導入した相対性理論のほうでしょう。

  • 私は「矛盾が証明されない」という主張は曲者であると言っているのは、「矛盾が証明されない」の中身が2つあるからです。

    (1)矛盾を導き出す証明が存在していないから、矛盾が証明されない。
    (2)矛盾を導き出す証明が存在しているにもかかわらず、その証明を発見できないから矛盾が証明されない。

    つまり、「矛盾が証明されない」の一部に「矛盾が存在している」が含まれているのです。これより、「矛盾が証明される」「矛盾が証明されない」という分類は、不完全な分類であって、「矛盾が存在する」「矛盾が存在しない」が完全な分類です。

    これより、次なる結論が出てきます。

    理論を「矛盾が証明される理論」と「矛盾が証明されない理論」の2つに分類することはできない。なぜならば、あいまいな意味だからである。これより、理論は「矛盾が存在する理論」と「矛盾が存在しない理論」で分類しなければならない。

  • 過去に起こったできごとは事実であり、現在起こっているできごとも事実です。しかし、未来に起こるできごとは事実とは言えません。まだ、確定していないからです。

    ボールを投げてある地点に落ちると予測をしても、実際に落ちるかどうかはわかりません。物理学では予想もできないできごとが起こるのです。犬が走ってきて、その落ちる直前のボールを加えて走り去ってしまうこともあります。そのとき、放物線の後半で奇妙な動きをしたボールの軌跡を説明するためには、動物心理学も関与してくるかもしれません。

    過去は紛れもない事実であり、100%の真実であり、これは誰にも変えられないし、誰も否定はできません。そして、過去は毎日のように大量に作られています。でも、どんなに大量の過去が作られても、それは「記憶」ないしは「記録」でもしていない限り、毎日大量に忘れ去られています。

    過去は変えられないけれども、過去の記録を正確に書きとっていれば、それは未来への財産になります。文字も紙もなかった時代は、伝承だけで過去を次世代に伝えていました。伝えられる世代はせいぜい1~2世代です。しかも、伝言ゲームのように過去は形を変えて伝えられます。

    文字ができてから、かなり正確に過去を未来に残すことができるようになりました。それでも、土地と交通手段の制約上、範囲は限られています。やがて、紙が発明され、印刷技術が確立すると、大量の過去が未来に伝えられるようになりました。

    ティコ・ブラーエは膨大な天体観測記録を残し、ケプラーの3法則を生む基礎を作りました。そして、これをもとにニュートン力学が生まれました。

    無限集合論も相対性理論も、ともに矛盾した理論ですが、これらは永久に「遺産」として残すべきです。原爆ドームを永久に残すと同じく、矛盾した理論に私たちが一時的にでも熱狂した記録を遺産として残したほうが良いと思います。

    もちろん、原爆と矛盾した理論では被害の程度が全然違いますが、これから数学や物理学を志す者にとっては「忘れてはならない教訓」となるのではないのでしょうか?

  • 悪いことをした集団では、基本的には子分を逮捕するのではなく、親分を逮捕しなければなりません。これをやり遂げないと、親分はのほほんと暮らして、また、次から次へと子分を作って、悪事を働き続けます。この場合の悪事とは、パラドックスを発生せしめるという意味です

    >残念だが、「集合の要素は有限個」というヒデの直感が公理的集合論における定理であるという証拠がない以上、無限集合からパラドックスが導かれるというヒデの主張は認められない。

    無限は完結しないものです。これは、無限の定義です。よって、実無限(完結する無限)は、矛盾した概念であり、無限集合はこの実無限による産物です。つまり、無限集合そのものがパラドキシカルであり、それゆえに素朴集合論からは大量のパラドックスが発生したのです。これが、偽らざる数学の歴史です。無限集合というものは「完成しない集合」です。

    無限集合…完成しない集合
    無限小数…完成しない小数
    無限数列…完成しない数列

    現代数学においては、無限数列は完成しない数列を扱っていますが、無限集合と無限小数はそれぞれ「完成した集合」「完成した小数」を扱っています。つまり、無限集合の無限は本来の無限ではなく、無限小数の無限も本来の無限ではありません。

    「無限」集合の「無限」は本来の無限ではなく、ゆがんだ無限としての実無限である。
    「無限」小数の「無限」は本来の無限ではなく、ゆがんだ無限としての実無限である。

  • 相対性理論は、運動している物体の時間経過の遅れ、長さの短縮、質量の増加を主張しています

    しかし、その物体が停止したとき、長さと質量は完全にもとに戻ります。しかし、時刻だけはもとには戻りません。どうしてでしょうか?

    (1)運動している物体の長さは短縮する。運動を停止すると、長さは完全にもとに戻る。
    (2)運動している物体の質量は増加する。運動を停止すると、質量は完全にもとに戻る。
    (3)運動している物体の時間経過は遅れる。運動を停止すると、時間経過は完全にもとに戻る。
    (4)運動している物体の時刻は遅れる。運動を停止しても時刻はもとに戻らない。

    どうして時刻だけが例外なのでしょうか?

  • 返信をありがとうございました。

    >ヒデは「合成命題の真偽を考える場合、(合成)命題の中に現れる原子命題Pの真偽が決まらなければ、合成命題の真偽は決まりません」とほざくんだろうが、これも全くの誤解

    例外はあります。

    >Pの真偽に関わらず、P⋀¬Pは偽で、¬P⋁Pは真。それが論理のルール

    Pの真偽が真と偽しかなければ、P⋀¬Pは偽で、¬P⋁Pは真です。これはルールではなく、論理演算の結果です。

    >逆にいえば、P⋀¬Pは偽で、¬P⋁Pは真、というルールさえ満たせばいいのだから、Pの真偽値は「真か偽か」のいずれかに限られる必要はない

    あなたは「P⋀¬Pは偽で¬P⋁Pは真というルール」が先にあって、「命題Pの真偽値は真か偽のいずれかに限られる」を否定するのですね?

    > ヒデは論理に関して小学生並のウ×チ臭い誤解にまみれている。 ま、う×ちの俺様がそんなことをいうのも如何なものかとは思うがw

    (1)命題Pの真偽値は真か偽のいずれかに限られる。
    (2)P⋀¬Pは偽で¬P⋁Pは真である。

    (1)から(2)が証明されますが、それは無視でしょうか?

    x^2=4は、xの値が決まらなければ、真か偽かも決まりません。しかし、(x=2)→(x^2=4)はxの値とは無関係に常に真です。

  • 無限小には、はっきりとした定義がありません。敢えて言うならば、次の2つでしょう。

    (1)無限小は0である。
    (2)無限小は0ではないが、0に限りなく近い数である。

    結局、どちらも使用可能です。あるときは(1)を使用し、別のときは(2)を使用します。この(1)と(2)を使い分ける基準は「使いやすいほうを使う」です。つまり、数学的な難問に出会ったとき、解けるほうの解釈を採用します。

    でも、この方法は、私から見れば…ちょっとずるいかな…と思います。

  • 今現在生きている私たちは、子どものころから「相対性理論は正しい」という周囲から言われ、学校では先生や先輩から「相対性理論は正しい」と教えられて育ちました。

    >いいえw  小学校や中学校や高等学校では相対性理論なんて教えません

    しかし、どこかで相対性理論は出てきます。

    >どこで?w

    親兄弟との日常会話やらで。

    > いいやw 私は両親からそんな話聞いたことないなw

    アインシュタインの話題を家族で一度もしたことがないのでしょうか? テレビの番組やコマーシャルでも舌を出したアインシュタインが出てきます。学校の先生との雑談や…

    > いいやw 私は学校の先生からそんな話聞いたことないなw

    あのベロを出した写真をテレビで見たことがないのでしょうか?友人同士の遊びを通して、…

    >いいやw 私は友人からそんな話聞いたことないなw

    いったい、どんな話をしていたのでしょうか?「世界中で一番頭の良い人は誰か_」というような話題をしていないのでしょうか?アインシュタインかノイマンか?などです。モンティホール問題などの話もしませんか?アインシュタインを知らない小学生は、おそらくいないでしょう。

    >アインシュタインは知ってても、相対性理論がどんな理論かなんて大抵知らないよw

    それはそうです。矛盾した理論がいかに正しいかなど、誰も知りません。相対性理論の専門家でも、本当は相対性理論を理解していないのです。大変失礼なことを言って、申し訳ありません。ⅿ(__)m これを言ったから、ソクラテスは死ぬ羽目になったのですよね。「理解できないが正しい」という内容の数学や物理学は、いたるところに見られます

    >「理解できないが正しい」なんて書くバカはいないよ 相対論の本を書いてる人は相対論を理解している

    いいえ、ちっとも理解はしていません。その理由は実に簡単です。人間は相対性理論を理解できないようにできているのです。

    > ついでにいうと、相対論が理論として無矛盾だとしても  それだけでは物理学的に正しいとはいえない

    残念ですが、相対性理論は矛盾しています。

  • >物理学的に正しいとは、現実と矛盾しないという意味

    それはあなたが勝手にこしらえた「捏造された意味」に過ぎません。ⅿ(__)m

    >そして相対論は現実と今のところ矛盾していない

    それは、あなたが双子のパラドックスの本当のメカニズムを知らないから、言えることです。

    > つまり「物理的に間違ってるとはいえない」 今云えるのはここまで  「正しい」という言葉が誤って使われたとしても その真意は「間違ってるとは言えない」という意味

    命題は「正しいか間違っているか」の二者択一です。この基本を忘れてしまうと、矛盾の世界に突入してしまいます。非ユークリッド幾何学のように…。相対性理論からはパラドックスが嫌と言うほど、見つかっています。決して、素朴集合論には負けていません。

    >ヒデのナイーブでイノセントな「良識」とやらとのパラドックスはね  しかしそんなものはヒデ一匹が狂信する「良識」を否定すればいいだけのことw

    相対性理論は100年以上も人類をだまし続けてきました。このまま何も手を打たないでいると、相対性理論は今後、500年も1000年も生き続けますよ。無為無策は後世にとって「先人たちの恥」に変わります。アインシュタイン先生、申し訳ありません!ⅿ(__)m

  • もう1つの隠された考え方があります。それは、『無限先で止まる』ということです。これが実無限です

    >「無限先で止まる」の意味が全く明確でない。

    それはそうだと思います。矛盾している概念だからです。それが実無限の特徴です。「平行線は無限先で交わる」というのも実無限の思想です。これは、意味がわかりますか?「絶対に交わらない」ではなく、「無限先で交わる」です。

    >ある瞬間において、無限個のプロセスが全て完了している、ということはある

    それが「無限先で交わる」の一例ですでも、それは、無限の定義上あり得ません。

    >アキレスとカメの話は、まさにそのようなものだ。

    それは誤解です。あなたは、「アキレスがカメのいた地点に遅れて着く」という行為が無限先で完了する、と思い込んでいるのです。これは、「1/2+1/4+1/8+…が無限先で1に一致する」という実無限そのものです

    >しかし、上記の場合に、 「カメのいた位置にアキレスが辿りつく」最後のプロセスとしての「無限先」は存在しない

    そもそも「ある瞬間において、無限個のプロセスが全て完了している、ということはある」という実無限の発想が数学では認められないことなのです。

    ところが、矛盾した実無限では何でもありなのだから、「無限先は存在する」も真であり、「無限先は存在しない」も真です。だから、「カメのいた位置にアキレスが辿りつく最後のプロセスとしての無限先は存在しない」というあなたの主張もまた正しいのです。

  • >ヒデは、 「有限個であれ無限個であれ、プロセスが完了するなら最後のプロセスがある筈だ」と思い込んでるようだが、実はそんなものは存在しなくてもよい

    「完了」は「最後の操作が完了する」という意味です。

    >「実無限」という言葉が「無限個の集まりが存在する」という意味なら正しいが「無限個の集まりから1つづつ要素を取り除いていったら、必ず最後の要素が現れる」という意味なら、そんなことは誰も前提してない、というまでである。

    それは実無限という矛盾した世界の中で行なわれる「Aである」「Aではない」という矛盾した水掛け論です。結局、矛盾した数学理論の中では、決着のつかない無意味な論争が行なわれるようになるのです。

    「インフレーション理論は、ビッグバン理論を維持するためのアドホックな仮説である」「インフレーション理論は、ビッグバン理論を維持するためのアドホックな仮説ではない」という水かけ論も、結局はもとをたどれば相対性理論の矛盾に行き着くのです。

    相対性理論こそ、科学における諸悪の根源です。相対性理論は、科学を根底から壊したのです。

    >それは、アインシュタインに失礼だぞ!

    申し訳ありません ⅿ(__)m

  • 偽の命題を理論の仮定に置くことは絶対に許されません。その理論を含む学問自体が壊されます。

    >許されないことはない 単に無意味だというだけのことw

    無意味と矛盾は違います

    >なんだって?

    「無意味な理論」と「矛盾した理論」は、まったく異なった概念です。でも、似ていることは事実です。「相対性理論は矛盾しているから、相対性理論はナンセンス(無意味)な理論である」で、十分に通用します。

    >で無限集合論が無意味だというなら無限集合論の公理のみから矛盾を導いてくれ なぜやらない?できないのか?

    あなたのお望みは、素朴集合論でしょうか?それとも公理的集合論でしょうか?

  • 一定の速度でお互いに接近しつつある2つのロケットを考えます。ある時点で、この2つのロケットに同一の時刻を設定したとします。そして、このときからお互いに接近しつつある相手の時間の遅れはまったく同一であり、それゆえに、お互いに「相手のロケットの時計のほうが遅れている」と観測できるはずです。

    では、この2物体がそのまま衝突して合体したら、どうなるでしょうか?例えば、ドッキングした後に、お互いの宇宙飛行士が移動し合い、お互いにロケットの時刻を比較します。

    相対性理論によれば、合体した時点でもお互いに相手の時刻が遅れているはずです。つまり、一方のロケットから見れば相手の時計の時刻が遅れており、もう一方のロケットから見れば同じように相手の時計の時刻が遅れています。これは、双子のパラドックスそのものです。

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