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No.15788
Re: 「飛ぶ」
2012/11/21 23:37
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No.15789
Re: アメリカ大陸に残された縄文人の痕跡
2012/11/22 00:03
>>No. 15781
> えっ、マンモスやサイを狩るのに棍棒を使用する?誰がそんな珍説を言っているのですか?
石刃、細石刃技法の系統については、多くの石器時代研究者が既に結論を出しています。<
棍棒に石刃を埋め込んで使ったのでしょ?
>>2万年前にシベリアに貝塚があったのですか?
と聞かれれば、貝塚は海岸に近い地域にしか出来ませんから、2万年前の貝塚は、当時の海退期の陸地沿海部に形成されたと考えられる以上、現在はそれらの地域が海没しているので、見つかるはずが無い、と答えざるを得ませんね。<
湖や川の近くにも貝塚はありますよ。
> ?「犬の家畜化」で,Googleで検索しても、そんな「通説」はどこにもありませんでしたが?前にも書いた様に、一般科学雑誌での私の記憶では、シベリア〜モンゴリア、中東、インド、中国・モンゴリアを含む東アジアなどは読んだ覚えがありますが。
ほんとに、私が既に結論を述べているのに、すごく遅れたレスで、拍子抜けしてしまいます。
検索の仕方が悪い。
東アジア発祥でも中東の犬はアジアから行ったのでしょ?
中東に犬を連れて行ったのはアジア人ですよ。そのアジア人がヨーロッパ人になった。
> サフル系集団(メラネシア人)にネアンデルタール人の遺伝子流入が、南米先住民や東アジア人より少なかったのであれば、かれらが南米先住民の先祖であった可能性は無い(あれば南米先住民からデニソワ人の遺伝子流入が検出されるはず)事を示しています。
必ずそうなるとは言えませんよね。東南アジアには様々な人種がいっぱいいた。一部は交雑したけれど交雑しないグループも居た。
> 勿論、アマゾンなどの孤立集団から、デニソワ系遺伝子が新たに発見されれば、メラネシア人の渡航を考えてもも良いでしょうが、現時点でのデータを前提にする限り、mutouhaさんの下記のような変な思い込みは、無理筋でしょう。
南米に初めて渡ったのはアボリジニですから私の考えが正しいでしょうね。
> 「必要も無いのに」と言うのは、現代に生きるmutouhaさんの「思い込み」でしょう。現にある年代の遺跡が発見されて(例えばモンテ・ヴェルデ)、それ以前の北米の最古の遺跡の年代が、南米遺跡の年代に近かったら、「急速に南下」したという「事実」が有り、その解釈が求められるわけであり、自分の解釈に合わないからといって、遺跡が確かなのに「事実を否定」するわけには行きません。
陸行説を取る限り急速に南下したとするしかないだけでしょ?
急速に南下したなんて事実はありません。
水行説をとればいいだけの話。
>「必要が無い」と言うのは、「心理的な理由」です。物理的に不可能であるならばともかく、現代人の心性で旧石器時代人を推し測るのは、避けるべきでしょう。
人間ではなく自然の動物だと思えばいいのです。動物が必要もないのに急速に移動しますか?パナマのような細い険しい道を通って。 -
No.2427
極悪野田の親殺し
2012/11/22 22:23
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No.25546
Re: 畿内系古墳
2012/11/23 21:13
>>No. 25544
>何の縁もない赤の他人が、顔に刺青を入れた久米という恐ろしい男を先祖代々祀り続けるわけありません。子孫たち以外にありません。
というか久米の居住地ではないと否定してる人なんていませんが。<
久米族は居たのでしょう。久米が九州からやってきたのも事実でしょう。
しかしその説話が正しいわけではないでしょうね。
多分、邪馬台国の時代には女性も含めて倭国のほぼ全員が顔に刺青をしていた。
倭人という名前は顔に刺青をした人という意味である可能性が高い。
東夷伝の序文に「異面の人」と言うのが出てきます。異面の人の異と倭は同じ発音だったと思われます。異面の人は即ち顔に刺青を施した人の事。
倭人ではなかろうかと思います。
異面の人を見慣れた人は目が大きくされているような刺青を見てびっくりなんかしないでしょう。
>そんな事考える方がオカシイのではないでしょうか?
高倉下なんて高句麗人そのものですよ。
>戦争と土器は関係ないし、建国と土器も関係ありません。
日本では4世紀末から須恵器が登場しますが戦争や建国と関係ありません。<
渡来人とは関係するでしょうね。半島からその技術を持ってきた人がいる。
新羅・伽耶でも建国時には大規模な戦争があったらしい。戦争で勝利したのは内モンゴルあたりから来た騎馬民族的集団だった。その集団が陶質土器の技術を持ってきたと想定されるのです。
>>箸墓は早くても4世紀後半というのが妥当ですから、
>妥当ではありません。
で、卑弥呼は誰なんですか?<
さあね、九州王朝は史書を残していないか、残した史書は機内王朝に簒奪されたのですから、わからないというのが正しい。
記紀に書いてある人物から候補者を探すのは無理でしょう。 -
No.2440
Re: 松下政経塾出身
2012/11/23 21:44
>>No. 2434
>鳩山氏の財力、小沢氏の腕力、連合の集票力
これらを全部利用して政権を獲った、<
大恩ある人たちなのに用済みになればバッサリ切って捨てる。
>野田さん、サラリーマンの人生でも
国内営業本部長(執行役員)程度には出世できた人物に思うが・・
(杉下電器の場合ね)<
そうね〜。
リストラ首切り専任役員として登用されるでしょうね。
実際に野田は自ら首切り専任役員になることをかってでたのかもしれません。
影の社長はもちろん財務省の官僚。
昔は会社の社長は会社が苦しくなると先ず、自分たちの給料を下げ、それから社員に減給をお願いしたものだった。
今の経営者は苦しくなると先ず社員の首を切ることを考える。自分たちの給料は一時的には下げるかもしれないが、すぐに戻して何もなかったかのように平然としている。
クビにされた元社員がどれだけ悲惨な目にあっているか一顧だにしない。
すぐにリストラするから、社員の会社に対する忠誠心は無くなり、その結果会社の力も衰えてきた。
韓国や中国の企業が力をつけたのは日本企業をリストラされた社員を積極的に採用し、その技術力を吸収したからだという。
これもアメリカが「日本の終身雇用制度が問題だ。」として、グローバリズムの名のもと日本の雇用体型を壊したから。
アメリカは日本が上手くいっている事が我慢できなくて、アメリカの悪い体制を押し付けてくる。
「日本人が日本語を使うのは貿易障壁だ」なんて言う輩の言うことを聞いていたら日本は破滅ですよ。
松下政経塾の連中はアメリカの言うことをなんでも聞く連中ばかり。
松下幸之助は自分が育てた政治家が売国奴になることを分かっていたのでしょうかね〜。 -
No.15793
Re: ヤタガラスの足は何本だ?
2012/11/23 21:49
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No.25555
Re: 畿内系古墳
2012/11/24 11:17
>>No. 25550
>ならば神武もいたでしょうからそれでいいわけです。
久米が九州から来たのは5世紀中葉くらいだと思います。
>そういう刺青してるのは安曇と久米だけですから驚いたでしょう。
三世紀の倭国ではほぼ全員がやっていたので、安曇と久米だけになったのは、それも畿内限定で、6世紀くらいではないでしょうかね。
7世紀でも倭国では多くの人が男女多黥臂點面文身ですからね。
>>高倉下なんて高句麗人そのものですよ。
>残念、物部系です。
物部が高句麗系でしょう。
>陶質土器は中国南部がルーツですが。
対馬や壱岐で新羅伽耶陶質土器が見つかっているのでやはり、半島南部経由でしょうね。
>結局分からないのですかw
モモソ姫やジンコウ皇后でないことは確かじゃないですか?
>平均在位からしてヒメタタライスズ媛しかいません。
架空でしょう。 -
No.15797
Re: 質問は、ヤタガラスの足は何本だ?
2012/11/24 11:30
>>No. 15794
>質問は、ヤタガラスの足は何本だ?
言うまでもない。三本だが。
>お写真の四番目の足の指は、点の様にしか跡がつかない。
http://ord.yahoo.co.jp/o/image/SIG=12ir6jgc0/EXP=1353810566;_ylt=A3JvdVQGMbBQOz4AgSmU3uV7;_ylu=X3oDMTAyN3Vldmc1BDAD/*-http%3A//pds2.exblog.jp/pds/1/200801/19/93/f0100593_14511237.jpg -
No.15798
オロチは大蛇
2012/11/24 11:46
>>No. 15796
日本語で蛇を「チ」という場合がある。
一般的には「ヤマカガシ」と言う蛇がいるけれど、「カガシ」でも蛇だ。「かが」だけでも蛇だ。
「カガシ」は「カガチ」から変化したものと考えられ、「カガ」が先にあり、あとから来た蛇の「チ」を説明するために「カガ」が追加されたのだろう。
「サイド」という言葉を説明するために「横」が追加され「横サイド」なんて言葉になったりするのと同じだ。
「チ」は中国語で蛇から龍に変化する前の聖獣とされる。
その「チ」に「大」を付け、「大蛇」=「オオチ」と呼んだのが、いつの間にか訛って「オロチ」になったのだろう。
言葉は千変万化だね。
ロシア語に「カガ」とか「チ」に対応する言葉があるかね?
「ヘビ」とか「ハミ」とか「ハフ」との類似でもいいよ。 -
No.15802
Re: 馬鹿無理無頭!
2012/11/24 12:30
>>No. 15800
>カガチのだ。意味は、赤いもの。
血や炎<
モンゴル語では血とか赤は「ウラン」ではなかったかね。
たしかウランバートルは「赤い戦士」。
この解釈も変だけれど、「ウラン」赤なのはいいとしても、「バートル」を戦士と言うのは英語からの連想だろう。
問題は「ウラン」だが、「かが」とは結びつかない。
「カガ」は「h/k」交代で「母はは」にもなるし、蛇が太地母神の象徴であることを考えれば蛇そのものだ。
「神」が「カム」なのも蛇由来だろう。縄文時代から蛇は神様で、ヘビがカムの音韻変化することがあっても不思議ではない。
>サルマタイのシンボルの蛇は、戰の軍旗には、火をはく蛇として描かれている。
ドラコンだよ。
そのサルマタイでは蛇はなんと呼ばれたのかね。
「k」音、「h」音、「m」、「b」音を持っていれば同源である可能性がある。
韓国語では「pami」だから「p」音でもいいかな。 -
No.15806
Re: ヤマタノオロチ
2012/11/24 13:45
>>No. 15801
>八股あるなら、頭は九
二股をかけるという時、三本足を思い浮かべるかね?
八岐は八つの頭でいいのだよ。
http://www1.ttcn.ne.jp/~kitasanbe/a_sub_kagura_yamatanooroti.html
川上からはし(箸)が流れ下ってきたので、人が住んでいると思い川を上ってみると、大きなお屋敷の内で、おじいさん(老父:足名椎:アシナズチ)とおばあさん(老母:手名椎:テナズチ)が美しい娘(櫛名田比賣、奇稲田姫:クシナダヒメ)を囲んで泣いていました。
スサノオが、泣いてる訳を聞くと「娘が八人いたのですが、毎年、ヤマタノオロチ(八俣遠呂智:八岐大蛇)が現れて、一人ずつ食べられてしまい今年は残ったこの娘が食べられる時期になり、悲しくて泣いています」とのことです。
八岐大蛇は、八つの頭と八本の尾を持ち、目は、あかかがち(赤加賀知:ホオズキ)ように真っ赤で、背中には苔や杉が生え、腹は血でただれ八つの谷と八つの峰にまたがるほど巨大な怪物です。 -
No.15807
Re: なんでモンゴル?笑
2012/11/24 13:59
>>No. 15803
>モンゴルなど関係なかろう。
赤の別名クレナイはモンゴル語と関係ありそうだ。
ウクライナの語源はどうだ?
>北朝鮮では、どうなんだ?
高句麗語語彙は80語くらいしか分かっていないから、赤を探すのは難しい。
鉄をサヒというのが赤に通じるのではないか? 緋ひと関係するのではないかという人もいる。 -
No.15808
卑弥呼は「蛇王」
2012/11/24 14:47
>>No. 15806
老父:足名椎:アシナズチ・老母:手名椎:テナズチ
の「ズチ」というのは「ツチ」のことで、やはり蛇だったのではないか?
であれば櫛名田比賣は蛇の娘だ。
八岐大蛇(実は現地の王)が蛇の娘(縄文人の娘)を妻にしょうとしたのを、渡来人の素戔嗚が横取りした事を書いているのが八岐大蛇伝説だろう。
卑弥呼というが、この古代の読みは「ピミヲ」で、「ヒミコ」ではない。
卑弥呼を「日の巫女」などと読むのは頭がよほど可笑しい奴で、
「pimi」は多分「蛇のこと。
倭国へ漢より贈られた金印に蛇が刻んであった。
渡来人素戔嗚は先住民の王・八岐大蛇を滅ぼして征服王朝を築いたのだろう。 -
No.25559
Re: 畿内系古墳
2012/11/24 20:37
>>No. 25556
>一緒に大和入りした大伴氏の、継体天皇擁立に尽力した大伴金村が5世紀後半ですからそれはありません。
どういう論理かわかりません。
>點面と言っても目の周りに刺青を入れてたので驚いたという話ですから。
三世紀には刺青を全員がやっていた。その中で目が大きく表現されていたくらいで驚きませんて。すぐに刺青とわかります。
>弥生時代、伽耶で鉄を採ってた倭人でしょう。
伽耶に北九州系の土器が大量に出てる製鉄遺跡がありますから。
高句麗は全く関係ない。<
5世紀には全国あちこちに高句麗由来と思われる積石塚が現れます。
私は記紀に書かれたことは5世紀以降のことだと思っていますから。
神武天皇にまつわる逸話は積石塚を作った高句麗由来と考えると全部がよく符合する。物部の祖先フルミタマのフルは高句麗朱蒙神話に出てくる沸流とよく合っています。
朱蒙神話で沸流国の王に国譲りを迫るという話も神武がフル御霊に国譲りを迫るという話と一致しています。沸流というのは鴨緑江の支流で、今の卒本川(桓仁)のこと。本当に最初の高句麗の出発地はカソヴァルと言って旅順の近くだったと思われます。旅順から東征して桓仁沸流国に行き、国譲を受け高句麗を建国した。
カソヴァルは橿原によく似ていますし、布留と沸流も同じ、東征も同じ。
これほど似ている話はありませんから、コピーでしょう。
>久米が九州から大和入りしたことは認めて、
その久米の顔に驚いたヒメタタライスズ媛を認めないと言うのは話がバラバラですね。<
普通に考えればヒメタタライスズ嬢は畿内にいたのではなく、どこからか畿内にやってきたと考えるしかないのでは?
何しろ、三世紀の倭国は全員が黥面していたのですから、倭国が畿内にあったのなら、ヒメタタライスズ嬢が黥面で目が大きかった大久米を見て驚くはずがない。
そういえば朱蒙も夫余で結婚したのに、妻を置いて扶余を出て、高句麗を建国してから別の奥さんをもらっている。
このあたりも朱蒙神話と似ていますね。 -
No.15814
Re: ウクライナのクライは、暗い、黒い
2012/11/24 20:52
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No.25561
Re: 畿内系古墳
2012/11/25 08:32
>>No. 25560
>「久米が九州から来たのは5世紀中葉」などと言っておられるなら大伴も同じでしょうから、
大伴氏ぐらいにの豪族なると、神武と共に行動した大伴道臣から始まり、味日、稚日命と続く立派な系図があるので、
金村の前あたりの5世紀中葉から「突然」始まらないと言ってるわけです。<
大伴は応神天皇に付随して現れた氏族でしょう。
応神天皇の別名にも鞆があり、大鞆から大伴になった。
もちろん、大伴が無から生まれたのではないでしょうから、応神天皇が外国から来たのなら外国での系図もあるでしょう。
>目の周りに入れるのは久米と安曇くらい。
どうしてそう言えるのでしょう?
>思うのは勝手ですが5世紀ではありませんから。
文字による記録がない時代に500年もの記憶があるはずもないでしょうね。
記紀は明らかな偽装がたくさんありますから、偽の系図くらいいくらでも作ったでしょう。
>お母さんは大阪の茨木ですが。
もし、大阪で黥面が普通に行われていなかったとするなら、畿内は倭国で無かったということなのでしょう。 -
No.15872
Re: オロチは大蛇
2012/11/28 21:30
>>No. 15859
>初耳です。上代日本語「チ」には、「霊」の語義がある事は有名ですが。
縄文時代に蛇が霊的なものであったことを忘れているのではないですか?
http://blog.goo.ne.jp/isaq2011/e/1154618e321bd50855a09519b0db8ebb
縄文土器によくある渦巻きは蛇だし、土偶の頭には明らかに蛇が描かれているものがたくさんある。http://lgsac.exblog.jp/12848464
http://footprint.life.coocan.jp/P2150190.jpg
http://footprint.life.coocan.jp/P2150204.jpg
http://kisetusiyasin.yu-nagi.com/medousa/neriinauman/seisin/8/clip_image003.jpg
http://jomontaro.web.fc2.com/img194.jpg
http://jomontaro.web.fc2.com/img442.jpg
http://jomontaro.web.fc2.com/img443.jpg
http://jomontaro.web.fc2.com/page106.html
中国南部と日本で共通の蛇信仰が存在し、女媧と伏羲のように蛇は中国人の始祖神でもある。前にも言ったことがあると思いますが、中国でも蛇が龍に進化する前の霊的な蛇のことを「ち」と呼んでいた。
http://kisetusiyasin.yu-nagi.com/medousa/neriinauman/seisin/8/clip_image007.jpg
「ち」と「じゃ」も音韻的に遠くはない。語源は同じか?
同じように日本でも霊的な蛇を「ち」と呼んでいた可能性があるということ。
カガチの「チ」が蛇を表しているという推測に間違いはないでしょう。
同じように日本には「へび」と近い呼び名もあり、蛇は「かか」とも「はは」とも呼ばれた。
「かか」「はは」は蛇が大地母神の象徴で、農耕が行われるようになった時、神様になった可能性もある。「へみ」から「かみ」や「かむ」に変わる可能性もあるし、「はは」にもなった。「はば」は「母はは」の語源である可能性もある。
だから「かか」と「ち」が合成されて「かかち」となり、同じく蛇を意味したと考えて問題ない。合理的でしょう。
>「大蛇」は「ヲロチ」ですし、「大」は「オホ」です。
「オホチ」が「ヲロチ」に訛ることは無いでしょう。
地方によって大きな訛りの違いがあるわけで、発音のちょっとした違いをことさらに厳密に言うのには反対です。8世紀以降、大和朝廷が日本を統一する前には様々な発音があったことでしょう。
大和一元主義の弊害がhnさんのとんでも発言にたくさん現れています。
蛇の呼び方に、これほどたくさんの変化が見られるのですから、奈良時代よりはるかに昔の縄文時代からの言葉ではどれほど変化したか想像もできない。 -
No.25589
Re: 3王朝交替説と騎馬民族説
2012/11/29 22:37
>>No. 25581
>だからと言って高句麗が出てくる要素なんてありません。
文献上ははっきりと高句麗は出てきませんが、五世紀になって高句麗由来の積石塚が九州から関東・東北までたくさん作られています。大きなものはありませんが、大きな積石塚は石を沢山使うので作れなかったのだと思います。
これほど沢山の積石塚が日本全国に作られたのに、5世紀の高句麗人渡来について記紀がこれを書いてないのは逆に不自然でしょう。高句麗隠しが行われたのだろうと思います。
纏向遺跡は高句麗と関係があると石野博信氏はおっしゃっています。
日本書紀にイザナギにアドバイスする役目を持った神として菊理媛が出てきます。「ククリ姫」と発音します。「高句麗姫」という名前が訛ったのでしょう。
神武を導いた高倉下も「高句麗下」なのでしょう。
文献にはなくても高句麗がかなりヤマト王朝に強い影響を与えた事は間違いないと思います。
>刑罰なら個人で済むけど、子孫まで続けてたから安曇目と言われてたのでしょうね。
昔からあったものでしょうね。九州には7世紀まで存在した。それが畿内王朝は刑罰として行ったと書いている。埴輪を見るとどうやら低い身分の人がやっていたらしい。すると刑罰として顔に刺青をしたということは身分を奴隷に下げたことを示している。
倭国の風習ではないようです。
>文化的には大きな変化でしょうが、土器が大きく変わったわけでもなく、
勾玉も刺青もそのままだし習俗的にもさほど変わらないでしょう。
刺青は下層階級のものになった。刺青を蔑む集団が政権の座についたという証拠でしょうね。
勾玉のようなお宝は渡来人もこれをお宝としても有りうる事でしょう。 -
No.15879
Re: オロチは大蛇
2012/11/29 22:54
>>No. 15874
>蛇のカガチは、ヤマカガシ のこと
>山椒魚のように水辺を好み、出血毒を持つ。
マムシのように攻撃のための毒ではなさそうだ。
子供の頃、山で遊んでいてヤマカガシと何度も遭遇した。
シッポを捕まえても向かって来ない。ひたすら逃げようとするんだ。
毒蛇と知らずに捕まえては遊んでいたことになる。一度も噛まれたことはないな。むしろ毒のないシマヘビの方が攻撃的で怖かった。近づくと噛み付いてくる。一緒に遊んでいた子供がシマヘビに噛まれたことがあるよ。
マムシは怖い。山で遊んでいて遭遇すると逃げることにしていた。
ちょっと調べたら食用にしたヒキガエルの毒が溜まって毒になるらしい。ヒキガエルが居ないところでは毒を持っていないそうだ。
毒はヤマカガシ自前のものではない。だからヤマカガシは大人しくて臆病な蛇だ。
血とは無関係だな。ヤマカガシは滅多に人を噛むことはない。

Re: 畿内系古墳
2012/11/21 23:34
>書紀の年代はおかしいですが、高天原などの神話の時代は別としても、
正史の事跡を崩すのはよっぽどの反証がない限り無理ですよ。<
なんで神武は朱蒙とそっくりなんですか?
神武なんて架空であり、朱蒙神話をベースに創作されたと考えた方が良い。
そう考えられないと言う人はオカシイのではないでしょうか?
>神武はやっぱり日向であり、欠史8代は存在したし、四道将軍もヤマトタケルも結局実在でしょう。
日本武尊は宋書の倭王武の話から創作された。
>神功皇后の三韓征伐は、仁徳あたりの時代の帯方郡侵入の事跡が神功皇后時代に混入されてたりしてるのでしょうし、
(身重のまま海を渡ったかどうかは疑問ですが)これもほぼ事実でしょう。<
女が大将になってやってきたら、三国史記に書いてあるでしょう。
新羅の善徳女王を参考に創作された?のかもしれない。
>陶質土器のはっきりした時代が示せてない韓国の考古学が遅れてるのですよ。
日本のトンデモ学者がトンデモナイ年代を出すから引きずられた面があるのは認めますが、中国の文献や考古と比較しているので日本ほど大幅には狂いません。
>庄内式を九州発祥なんて言ってる人は「いない」という事ですね。
考古学者では誰も居ないかもしれませんが、考古学者が間違っている可能性が強いと言っています。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku257.htm
■ 庄内式土器
「土器は日常の道具であり、土器の移動は人が移動したことをを示す。庄内式土器は、畿内で作られた土器だが、畿内から西、とくに九州で大量に発見される。これは畿内から九州への人が移動したことを意味する。
畿内からは、各地へ土器が移動している。厚甕とよばれる弥生時代の伝統的な土器は東に広がり、薄甕と称する庄内式土器は、西に向かって九州まで移動した。
3世紀の九州の土器はほとんど畿内に入っていない。3世紀の九州の人間は出不精で、そのかわり外のものを寛容に受け入れた。畿内人はでしゃばりだった。
九州の庄内式土器は筑前型庄内甕といわれ、畿内の型式の土器を九州で製作したものである。
朝鮮半島南部で出土する日本列島の土器は九州や山陰タイプであり、畿内の土器は半島に行っていない。邪馬台国の時代に朝鮮半島と交流があったのは、九州であるといえる。」
石野先生の話ですが、こう言う見方は実に変ですよね。
邪馬台国は九州にあったと言う事が考古学的にははっきりしています。
庄内式甕を九州で作った人は、畿内から生口として送られて来た人。あるいは、九州に広く分布している庄内式甕を持って畿内に帰り、畿内でも庄内式甕を作ったとする方が自然でしょう。
土器は威信材ではありませんから、庶民レベルの人が作り、使った物です。
畿内の年代が九州より遅れていたら、九州発祥とするのが当然です。