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投稿コメント一覧 (601コメント)

  • >>No. 23

    哲学も似てるよな。どちらかといえば、いや明らかに欲望の産物なのに、何故か頼みもしないのに聖人君子化w物は原子でできている、さらに素粒子・・・不思議に思わない?w不思議に思わない方が難しいだろうw空間と時間って不思議じゃない?意識って不思議じゃない?不思議がるのが普通の感覚じゃないか?w

  • >>No. 25

    ( ^ω^)

    いつもいつも、無縁さんはよくもまあさわやかな画像を集めてこれるもんですね。

  • >>No. 27

    無縁さんからリクエストがありました( ^ω^)

    でも、残念ながら知らないんですがその人w有名人ですか?

    せめて、動画で発言がわかればいいんですが、ネット露出度も控えめの人みたいでお手上げです。

    パンク右翼?まあ普通に考えたらキワモノ系じゃないでしょうか?

  • >>No. 29

    人畜無害、そういうの以外はいないんでしょうかね。

    日本人馬鹿説、最近これが真理とも思えてきたw

    この馬鹿性はどこからくるのか?まずもって、経済力、といっても「地経済力」のことだが、これが弱いのではないだろうか。これが欧米に比肩しうるほどの経済力を得ることがそもそもおかしかったのではないか。ちょうど大日本帝国を見ればわかる。その軍事力だ。海軍力は最低で見ても世界第三位。短期的能力で見るならば、開戦から半年1年ぐらいまでは世界最強の評価をしてもいいのかもしれない。太平洋戦争開戦時の戦力だけで戦い続け、両陣営いっさいの新造艦がなかったとしたら日本が勝っていたかもしれない。とにかく、スタミナはなかったが、ピンポイントでは世界最強クラスであったのだ。

    陸軍は、海軍ほどの華々しさはないが、やはり強かった。アメリカの物量に比べるとどの国でも見劣りするのは仕方ないとして、また、機甲戦力の面で見れば、ドイツやソ連などに見劣りするし、英仏と比べても見劣りするかもしれが、そこまで酷いわけでもないだろう。開戦時、Tー34やKV以外は大した戦車はどこも持っていなかった。そこから大戦終結までの間の重武装化重装甲化競争に日本陸軍は乗り遅れた感があるが、戦局的に見て、それは海軍優先もあるだろうからいたしかたない。おそらく、多少の不利は得意の精神主義で補って、やはり少なくとも短期的には強さを発揮できたと思う。欧州やロシア戦線のような機甲戦力が物を言うような環境だと、ちょっと苦しいかもしれないが、そうでなかったら、かなり頑強な能力を発揮したと思うし、総合的に考えて、英仏とはまともにやりあっても互角以上の戦いができたのではないか。ソ連もノモンハンを見てもわかるとおり、お得意の精神肉弾主義である程度はその機甲戦力にも対抗しうるであろうし、ドイツ相手ですら、ひょっとしたら電撃戦にもお得意の精神主義でそこまでたじろがず対応できたかもしれない。やはり日露戦争は伊達ではない。強いのだw

  • >>No. 31

    そう、日露戦争は兵器技術的には第一次大戦とほぼ同水準であったのだ(と思う)。本当なら塹壕戦で硬直してもおかしくなかったのかもしれない。並みの軍隊ならw。しかしお得意の精神主義でどうにかなってしまったw

    もし並みの国同士の戦いであれば戦車の登場はもっと早かったのかもしれないw

    とにかく、日本陸軍も弱くはなかったと言えよう。南方戦線やソ連参戦時の惨状などを見ると弱いイメージが先行するが、完全制海制空権下の物量に物を言わせた米軍相手にあそこまでできる時点で凄い。当時のソ連も、おそらく装備経験共に世界最強であり準備万端。あれではドイツ軍はもちろんアメリカ軍ですら蹂躙されて当たり前の状態。劣化してガラパゴス化もしていた末期の関東軍では必当然の結果。

    日本陸軍のピンポイント能力は独、ソ連にはちょっと見劣りするかもしれないが、英仏には互角以上。アメリカは戦時体制になかったから英仏以下と考えてもよいのでは?(動員かけたら凄いけど)

    ということは、世界三大陸軍と僭称するくらいも許される?レベルかもしれない。最低評価でも、これら独ソ米英仏に次ぐ世界ランキング六位以下ということはあるまいし、どう考えてもイタリア陸軍よりは俄然強かったはずであるし、東部戦線の助っ人としてイタリア、ルーマニアではなく日本陸軍がそこにいたら、科学技術のドイツと精神主義日本陸軍の最強コンビで歴史は変わっていたかもしれないw

    結論として、やはり世界有数の陸軍国でもあった。

    随分長くなったが、やはり「無理しまくっていたのである」←これだけがいいたかったw

  • >>No. 32

    そう、もともと地力はあまりない国が、世界有数の軍事力や戦後は経済力を獲得できた。無理するのが得意な国民なのである。

    そして様々な弊害は無理した結果が出ているだけとも考えられなくもない。日本人がアホなのも経済優先させているだけの話である。

    もともと華奢な奴が、ステロイドでマッチョになって副作用で体ボロボロというわけだ。

    そもそもマッチョが目的化しており、自然に、あるいはスポーツ活動の結果としての筋肉、プロポーションではなしに、ボディビル的なプロポーションであり、不自然なのである。

  • >>No. 33

    かつてのサヨクも結局経済に演出されたものだった。ここで言う「経済」とは有機体に必要とさ環境適応の側面、パーソンズのAGIL4機能のAに相当するような意味であり、狭義の経済ではない。例えば、大日本帝国も戦争経済という経済性格を持っていたのであると捉えるような「経済」であり、もっと単調的には下部構造とも捉えられるものである。やはりマルクス主義的な経済構造のごとき単純な下部構造に規定されるというよりは、それをも含め、歴史的環境、地政学的環境、偶発的環境に適応するものといった捉え方が社会にはなされるべきだと思うし、また、単なる下部→上部への規定ではなく、上部→下部といった影響関係、因果関係もあると考えられるべきであり、今や、これが一般的な社会の見方ではないだろうか。しかし、上部→下部の運動が何かこうさわやかで素晴らしいものとも限らない。それどころか、主体性を持ちうる精神といったものは、私はそうではないが、昨今のネトウヨ現象のように一部の人にはグロテスクに思える形で現れ出る場合が多く、下手な精神の勝利よりは物質に溺れていた方がよいといった意見もあるだろう。

    日本は、このA(adaptation)の適応によって基本的に説明される社会、国とはいえないか。

  • >>No. 34

    戦中は、アウタルキー的な戦争経済、戦後は自由主義経済による貿易。適応した結果がサヨクであったわけだ。考えてみたら当たり前の話で、見え見えの黒幕、経済界と官僚が実権者であって、サヨクなど都合のいい妾にすぎない。戦後の「適応」に右翼が都合が悪いことはすぐにわかる。本当に革命まで起こされたら困るが、そうでなければゲバ棒振るぐらいならいくらでもやりなさい程度のものである。結局、金をばら撒いていくばくかの権利を認めてやればこいつらは黙るのである。パンとサーカスで十分対処できるのは大昔から知られている。右翼は下手な左翼より立ち悪く、国民を塗炭の苦しみの下に置くと、左翼以上に体制を攻撃するし、左翼は物さえ与えれば大人しくなるが、変なこだわり価値まで持っている。どっちが手懐け易いのかは明らかだろう。実際、私も基本左翼であり、天皇・・・これまでの人生ではどうでもいい存在だったが・・・程度であるw日本文化・・・まあ嫌ではないがそんなに好きでもないwカツ丼とか牛丼とかB級グルメを始め、食い物はいいもんが多いと思うw。日本女性もいいかも。でも最近のアホ化ぶりであんま立たんなwまあとにかくそんなもんだな。ただ、日本的な情緒をもったいい人物がたまにいる。ホントたま~であり絶滅危惧種かもしれないが。でも、そりゃどこの国にも凄いいい人はいるだろうしwとにかく特にいい国とも思わないw

  • >>No. 35

    とにかく私の趣向はおいといて、日本という国は適応が全てではないのか?左翼全盛期?そんなもん最初からなかった。寄生していただけ。日本で精神が適応から主導権を奪うなんてできたら凄いよ。ほんと小市民でこすっからいだけというか。何百冊と本読んだところでやってることは、おばちゃんたちの、必死に空気読んで世間の噂話&陰口するだけじゃないのか。そういうグループだけだろうツイッターなんざw結局、多数派からは離れたくない。他人志向型人間のバラエティにすぎない。

    ネトウヨとはなんであろうか?2チャンネルがその巣窟なのか?私は検索で2ちゃんサイトにたまに行き着くだけで、基本利用はいまだしたことない。投稿はゼロ。そこでネトウヨ発言に触れたら危機感や嫌悪感を感じるのかもしれないが、多分そこまではないと思うけどな。基本的にどんなグループであろうと大抵は低レベルで躾育ちの悪い奴が多いのが当然であり、しかも政治の話題でそういう下品さや下劣さが目立っていたとしても当たり前じゃないかと思う。お行儀よく話し合いで解決しましょうなんて程度の動機づけなら政治の話なんかしなけりゃいいじゃないのw
    日常生活でイラつくことはいくらでもある。アホな同僚、アホなドライバー、アホな店員、アホな家族。しかしそういうことは文句言うほどじゃない、ケンカばっかしても仕方ないからただ受け流して耐える、こうして日々送れるならそうすりゃいいじゃない。お行儀いいグループってのは結局ある階層に好まれる意見に集っているだけという可能性もあるわけだな。過激な発言があるということは、過激な奴もいればそうでないのもいるということで、より意見の開示性が強いとも言えるわけだ。

  • >>No. 36

    熱心な視聴者である東京都在住無縁さんからありがたい投稿がありました( ^ω^)

    >よりはよほどいい国だと思う

    無縁さんにしては珍しく日本を評価されるんですね。ちょっと意外でした(^^)

    やはり西部先生あたりがしょっちゅうおっしゃってるように、アメリカもソ連も左翼なんですね。国内にとどまらず国外にも体制をゴリ押ししようとする。

    私も基本左翼ですw

    ネトウヨとは曖昧で、私もそう言われてもまあ否定はしない。別に自称してもよいだろう。とにかくね、宮台先生、好感度アップとはいえ、感情の劣化とネトウヨを結び付けるだけで社会を切るのはいくらなんでも乱暴&稚拙ではないかなあ。

    ネトウヨもこのくらいのタカ派はどこの国でもいるし、売国行為の抑止にはなるだろうし、いてもいい勢力だと思うね。一個の理想的人格を目標にしてそれだけが可ってわけではまさかないだろうけど、どうも宮台先生の論はそう見える。乱暴な奴もある程度はいて当然じゃないかなあ。

  • >>No. 38


    執着=理念=左翼=思想。

    この連関で見ると、欧米人の執着が災厄の元といった見方も可能かもしれないが、だから日本人の無執着がいいとも言い難い・・・、幼いころから朝はカフェオレとクロワッサンで育った私のような者にはw

    しかもホントに無執着ならよいが、どうでもいいものには執着してこすっからいことこの上ない。

    いずれにせよ、宮台ファンもネトウヨも、そして私も、基本左翼なのであり、快適な物質生活が満たされることが一番なのである(^^)

    ただでさえ言論界の水準が低いうえに、複雑な事情で問題が見えにくくなっているが、本来右翼と呼ばれるべき日本スペシャル、土着右翼は、戦後体制からも嫌われる。戦後体制というものは国内的には自由主義経済論者の政財官。+メディア、言論界はなんちゃって体制批判のポーズだけはするが基本この路線、体制批判もCIA他にコントロールされてたりという可能性もありだな(個人的疑惑)。

    冷戦期はねじれ状態だったわけだ。世界の左翼のボス=ソ連との軸で見れば、アメリカは右のボスだが、日本国内的には左か、右であったとしても、右っていうと基本自己中だから、個人が自己中同士仲良くならないのと同様に仲良くなる道理はないwもちろん左同士も仲良くなるとは限らないが。中ソや中べトナムみたいに。

  • >>No. 39

    私も戦後直後ならば、日本国憲法を抱きしめたかもしれないwありがたや~とwとにかく土着右翼はよくないと。そしてあとはダンマリだったわけ。日本もここまで悪玉にされる必要あんのかと思いつつも、国と個人は別、自分自身の名誉ではないからダンマリ。とまあこういう人間がほとんどだったし、こういう人間を適応環境も求めていたわけだ。政治も言論も組織力。発言権のあるメディアや学者だけが言論の保持者。普通の庶民は新聞の読者欄に投稿して人畜無害なのだけが掲載されるかどうか。言論人、こいつらもしがらみで大体言うことが縛られ自由ではない。土着右翼封じ込めのために国内勢力とアメリカの利害が一致したわけだ。アメリカは日本を飼い犬にしたいし左翼的理想主義の拡散欲求もあったろう。だから人権も労組も言論も与えた。サヨクなんてアメリカが与えたんだな。行き過ぎて革命なんて万が一なるとは思ってないだろう。今で言う中二病学生のごっこぐらいに思っていたであろうし、万万が一そうなっても自衛隊と米軍が間違いなく介入していただろう。さらには土下座外交路線もこの構造によるのだ。土下座外交も自由なビジネス&アメリカ日本骨抜き願望の産物であり、あとは戦後レジームの神話による軛の産物。

    この辺の様々な思惑のベクトルが錯綜している。

    典型的なネトウヨならどう考えるのだろうか?けっこうマシなこと言ってるんじゃないか?韓国はアメリカの同盟国だから親分が言うから渋々仲良くするなんてもう嫌だ。と、これは親分への反抗として立派じゃないか?w同盟国でなくとも、中国なんかに対しても親分はスタンドプレーは基本好ましく思わないだろうから、主体的で立派じゃないかw

    少しは逆らおうとしていると評価すべきところはあると思うね。今までは社長に靴なめろと言われても舐めかねない卑屈さの奴が、少しはNOと言い出したのだから。

  • >>No. 41

    熱心な視聴者の無縁さんから、深夜にも関わらずありがたい投稿が届きました( ^ω^)

    見上げた愛国者のようですね無縁さんは(^^)

    やはり外面から入りますか・・・かなりの通ですね(^^)

    日本人はやはり欧米人にならないといけませんね。せめて猿真似だけでも(^^)

  • >>No. 42

    ネトウヨに対する印象操作は自覚的戦略としてだけなされているとも限らないのではないか。ホントにそう思っているという面もあるだろう。そしてこれによってまさにそう思っている者のメンタリティの程度がわかったりもするのであるwつまりは公共心の欠如ということであるがw言論のその言論者自身への効用を考えてみよう。プロの言論者の効用は言うまでもないだろう。あと金にはならないが衒学趣味の誇示欲求というものもあるだろう。彼らはネトウヨが何の動機づけでやっているのかわからないのであるwどうして日本の名誉にこだわるの?自分が払うわけでもない賠償に文句つけるの?w???であるw「ネトウヨは惨めな生活の憂さ晴らし。強いものとの一体感」←こういった苦しい説明でないと説明不可能なのであるwこれはそのまま、直接利害の関係ない日本全体に関しての問題で声を上げるのは自分の場合憂さ晴らしとしてだけしか考えられないと白状しているということだw彼らは実は極めて受動的である。彼らにとって政治の言論とは政治家や行政府へのイチャモンなのである。それが悪いとは言わない。もちろん基本そうであろう。民主主義のもう一方の側面、自身が政治主体という面が決定的に欠けているのである。要するに、【公共性が完全に最初から欠落しているのだ。彼らの辞書には最初からないのだw】といっても世間体はあるし、空気は人一倍読んで穏やかで良好な人間関係は築いたりするwでもこういう人間がよからぬ組織に身を置いたら、空気読んでセクショナリズムに徹するんだろうなw

  • >>No. 43

    「環境適応のための無理な努力」←これがこの国の正体であるとして、これが非常に得意な国でもあるようだ。確かにこの民族の才能で特技である。

    マスの力、人海戦術はやはり強いのだ。一騎当千なんざウンカのごとき大群には敵わない。とりわけマスの力の発現たる近代国家にとっては力の本質でもある。

    戦前戦中は経済力+軍事力で、戦後は経済力オンリーでこの日本の伝家の宝刀で乗り切って世界に存在を誇示しえたのである。

    19世紀から20世紀に入りWW2までは圧倒的にマスの力は軍事において核心的なアドヴァンテージとして働く。その後ようやく、核兵器登場と兵器のハイテク化の進展によってマスの力はそれほどでもなくなった。とはいっても、無意味になったわけではないが。

    経済も同様であろう。猿真似後追いでも、マス化できれば高度経済成長を実現でき、それはいまでも中国を見ればわかるとおり、威力抜群である。しかしこれは一旦成熟してしまえばその威力は失われる。

    さて問題は、将来に関しては、これから日本の得意技、マス化が有効な分野が残っているのかというところである。これはもうないんじゃないだろうか?w

    そして過去に関しては、当然にマス化はいい結果だけをもたらしたのではなく、負の側面も当然にあるであろうし、その正と負を合わせた総合的な結果は本当に良い結果と評価できるものであろうか?といった疑問である。これもマイナスの方が多い気がするw

    無縁さんが昨晩示唆されたように、どうにか基礎体力を得て、あとは猿真似で外面を装うことを考えないといけない
    のだが、そこまで達観している愛国者は極めて少ないようだ( ^ω^)

  • >>No. 44

    個人=無、社会=有といった線で考えると、かつての経済サヨクが無化を推進したところ、個人が有を求め始めた、ともいえないか?。まあ、この線で試しに考えていこう。三島由紀夫なんかも言っていた。「人間は自分だけのために生きれるほどには強くはない」。確かにそうである。エゴイストになりきるのも人為的な努力がいる。普通に生きていると自然と利他的なものでもある人間は。パーソナリティシステムといえど、外的なシステムのごとき性格も持っている。染み付いた性格というものは外的なモノ以上に変えるのに苦労する。個人が望む以上に強制的に個人化自由化させようとしたのが経済サヨクだったとも見ることができる。そこに抵抗を覚え、反発し始めたのがネトウヨ現象ともいえないか。無の方から有を求めたのである。孤独もほどほどにしたい。エゴもほどほどにしたいと思い始めたのである。ならばいいじゃないかw

  • >>No. 45

    ネトウヨでもサヨクでも保守でも真正右翼でもカモフラージュ保守でもなんでもいいが商売人はともかく、個人の利害に直結する奴なんていないわけだろ。なんだかんだで、日頃の鬱憤晴らしやなんかのよからぬ五十歩百歩のさもしい動機づけでやってるやつらなんじゃねえか?w無で生きろなんて言ってるやつは社会のことなんか考えずに自分のことだけ考えてりゃいいだろ。なんか自己矛盾してるよな。

  • >>No. 46

    そもそも国家というものが、しかも正しい理念に基づく国家というものが、弱い者が結集して強くなるというものだ。惨めな境遇の憂さ晴らし。自然で真っ当な流れじゃないか。自由、自由なんて煽られて、いよいよカラクリに気づいてきたんだな。しかも自由のありがたさは不自由と相即的であり、単なる自由ほど空虚なモノもない。梅宮アンナがw「何でもできるという自由に泣けてきた」いうようなことを言っていたが、これも人間の真実である。セックスもそうである。セックスセックスばかりじゃ立たなくなるw

  • >>No. 47

    「人間は万物の尺度」

    年収一億でも不平を言えるのが人間であるし、

    逆に100万でも大人しくしてられるのが人間。

    どこまでも傲慢にもなれれば卑屈にもなれる、そういう存在が人間である。

    人間とは絶望的希望である。絶望と希望が同居している。これが真理だと最近分かってきた。

    どこまでいってもユートピアではないと言えるし、すでにユートピアだったともいえるわけだ。

    エゴ(無)が国家愛へと繋がることは不思議ではない。もちろん国の中でも敵はおり闘争はあるが、自分の所属する国や会社が悪く言われるのは自分が悪く言われることにも通じる。

    これを批判するならば、少なくとも無条件個人主義の立場は撤回されねばならないであろう。

  • >>No. 48

    無縁さんから今日もありがたい投稿がありました( ^ω^)

    >むしろ商売が狭すぎるんだと思う。欲望の寸止めみたいな。

    鋭いですね(^^)まさに形式的自由みたいなまやかしやらせ無理やり自由であり、誰のための自由だかわからないんですよね。檻の中の「自由」。

    >哲学や数学や禅なんてのは欲の塊。もっとなんかねえの? これだけか? ともがく

    やっぱ哲学ですよね(^^)

    社会問題なんてカス、オマケにすぎないんです(^^)

    素朴実在論でよく窒息しないもんですね(^^)

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