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No.6591
詭弁を弄し、自己中で、皆から無…
2015/04/19 18:13
>>No. 6590
詭弁を弄し、自己中で、皆から無視されている、気の弱い自信の無さで虚勢を張って、脆弱性、こうした判断がつまりきみが潜在意識で自己判断するときに用いている言葉です。
きみは今これを読んでいますね。そうです、きみは必ず私の書いたものを読みます。今度わたしの書いたものがどんな形式であるか、読んでやろうという好奇心にきみは勝てません。それでいいのです。きみはすでに私の読者です。 -
No.6594
町 12-1 週末詩人…
2015/04/24 09:28
町
12-1
週末詩人の田村氏は町の散策につかれ、木陰のベンチでうとうとしたあと、遅い昼食をとることにした。
小学校に上がったばかりくらいの女の子がひとりでチャーハンを食べている。四人掛けのテーブルのどこにも家族の荷物がない。
田村氏はカウンター席の向こうで仕込みをしている馴染みの主に目配せして訊いた。
「誰の子だい」
「いや、知らない。ひとりで入ってきて、チャーハンをくださいって言うんだよ」
二人は女の子のほうをそっと見た。身なりはどこと変わったところはない。入口を背に、行儀よく椅子に腰かけ、足が地べたに届いていない。目の前の器に身をかがめ、ひと口ひと口をおいしそうに食べている。周囲を気にせず、無心に食べている。どこか、ぬくもりのなかでチャーハンと秘密の話をしているかのようだ。
栄光軒は昼の二時を過ぎて、店の中には入口わきのテーブルに労務者が二人、カウンターの端に学生らしき男女が一組いるのみである。入口ドアの上にテレビが置かれ、野球のデーゲームが中継されている。――二塁に走者を置いて、四番バッター長嶋……。
「お嬢ちゃん、お母さんはどうしたの」
田村氏はそう訊いて、ほかの客の手前ちょっとどぎまぎした。
「どこへ行ったか知らない」
「お金はあるのかい」おやじが訊く。
「なんだよ、チャーハンぐらい」
「そうじゃねえよ、どうやって来たんだかと思って」
「ある。はい」
少女はシャジを置いて、ポケットを探り、五百円札を一枚取り出して見せた。
「ゆっくり食べていいんだよ」
田村氏はカウンター席の丸椅子に少女のほうを向いて腰かけた。みんなが注視している。
「迷子かしら」女子大生が言う。
「おうちはここの近くなの」田村氏が話頭をとった。
「分からない。電車に乗ってきた」
「この後どこへ行くんだい」おやじも努めて気さくに話しかけた。
「分からない」
「……」
「捨て子かもしれないぞ」
「交番に届けなきゃ」
労務者たちが色めきたった。少女は食事を妨げるもののほうに頭を向け、首をすぼめて悲しそうな顔をしたが、また残りのめしをかき寄せては口に運んだ。それは人間の行いにして、また動物の最も基本的な姿であった。
「待て待て、ようく事情を確かめなきゃ」
ひょいと転がり込んできた椿事にみんなは対処にあぐね、ただ見守るのみだった。 -
No.6595
町 12-2 やがて少…
2015/04/26 09:44
町
12-2
やがて少女は満足そうに一人前を平らげた。田村氏は急に熱いものが込み上げてきた。子供がめしを食うのは当たり前のことだ。好きなだけ食べさせてやるのは当たり前のことだ。子供が無防備に咀嚼だけにかまけるのは当たり前のことだ。いや、やんちゃを言って散らかすのが普通だ。そばにだれかがついていてやるのが普通だ。
少女はコップの水を飲み干すと、テーブルの上の五百円札を握り、席を立っておやじに差し出した。おやじはカウンターを回って出てきて、手を前掛けで拭って受け取り、釣銭を黙って少女に渡した。と、男子学生ががばっと立ち上がり、何かを言いだそうとするが、言葉が出てこない。少女はどこかこの世のものとも思えぬ風情で店を出ていく。
「おい、このまま行かしちまっていいのかよ」おやじが言った。
少女が間口の光から消えると、田村氏ははたと思い立って、暖簾の下を駆けて出た。
日差しのなかに立つと、脳天がぐらっときて、何もかもが白くなってしまった。何も見えず、追うことができない。
「おーい、どこへ行ったァ、どこへ行くんだよォ。待ってくれェ……」 -
No.6597
町 13 「お茶をいれ…
2015/05/01 20:35
町
13
「お茶をいれよう」そう言って、媛媛の背後をすり抜けようとしたとき、彼女は脇目に私の動きをとらえ、身にふりかかる椿事を警戒して、身をかため、黒い笑いを口もとに浮かべた。それで分かった。花はたちまちに萎んでしまった。
無理もない。それなら、さよならしよう。
私たちはこれまで街角で、ロビーで、レストランで、お互いの言葉のレッスンをしてきた。でも、もう終わりにしよう。
「すまない。仕事の都合でもう時間が取れなくなった」
恋の夢を追い求めすぎて老いさらばえ、気がふれて廃園をさまよう媛媛を、かつて私は見てしまった。きみはいつも才気がまなこに溢れ、彼方の理想をつかみとろうと、白い手脚を伸ばしていた。 -
No.6598
町 14 夜も更けて、…
2015/05/09 20:42
町
14
夜も更けて、父の運転する車で家に帰りつくところだった。母が助手席に、ぼくは後部席に座り、みんな黙して前方を見、過ぎゆく夜色に浸されていた。アーク灯が人気のない通りを橙色に染めていた。――やがて夜のしじまに茶の間の明かりがともるだろう。父は新聞を手に取り、母は翌朝の米をとぐだろう。ぼくは二階へあがって月曜の時間割を確かめればいい。
車が家の近くの十字路を折れるとき、車内の影がカーブにつれて形をゆがめながら手の上を、膝の上をすべっていった。そして、橙色の直線は民家の陰に消えた。
通りはさぎ山通りといい、町は当時、楠木町と呼ばれていた。 -
No.6599
町 15 巷に雨はしと…
2015/05/19 21:06
町
15
巷に雨はしとしと降り、日はとぼとぼ暮れた。
もう帰らなければいけない時刻だ。二人は廊下を横切って階段を下りていく。裸電球が幻灯のように爛れた壁を照らし、二つの影法師が小さくなり大きくなりした。女のかかとの硬い音が階上に咎め立てするように響いた。一階の受付の老婆に男は目配せだけして外に出た。雨は宵の口より少し強くなったようだ。道端に雨水が水流となって枯れ葉のくずを流している。
軒先の石段で二人はためらった。女はレインコートの前をしっかり合わせ、うなじの頭巾を引きかぶった。
「あなた、使いなさいよ。私はこれで平気だわ」
男は厚地の詰襟服に身をかためている。
本通りから分かれる上り坂の途中にある、名ばかりは「水晶ホテル」と称する簡易宿は、こんなところにこんなものがと道行く人は訝しむ。南山街の場末のこの辺りは、家電修理店と裁縫店、それに水晶ホテルを最後にその先は老朽した公営アパートが続く。
二軒はもう店じまいをした。路地に外灯とホテルのネオンサインだけがともり、ネオンの蛍光管の一つが壊れて間が抜けたように点滅している。 -
No.6600
二人はまた会ってしまった。 …
2015/05/19 21:13
二人はまた会ってしまった。
若いころ、意に満たぬ家庭を持った。その年齢に達したという理由で、男は同僚の一人を娶った。ストーリーのない人生を送ってきた。思い出すだに気も滅入るような失態の人生を送ってきた。年とともに童年の夢が世の移り変わりに裏切られる人生を送ってきた。今、四十を越して、ようやく束縛を解かれた欲望にせめてもの慰めと潤いを与えるのだ。見よう見まねに飾るまでだ。思いを後先考えずにふくらますまでだ。勢いにまかせて偽りを重ねるまでだ。自身が歌を感じられるならそれでいい。気持ちが華やぐならそれでいい。
「唐変木はともかく、娘は気づいていないか」
「どうかしら……。でも、大人になればきっとわかってくれるわ」
男は闇の雨空を見上げた。
「煤煙を洗い落としたな。明日は青空がひろがるかもしれない」
傘を開き、骨からめくれ上った布地を気休めばかりに整えた。女の目に先ほどの男の張りを失った手の甲と垂れた瞼がよぎった。二人は互いの瞳の奥にあるものをとらえようとしたが、定かではなかった。
本通りで警笛がつんざき、次第に小さく遠ざかった。男は片手を心なしか挙げてあいさつし、坂の上に踏み出した。女は坂下のバス停に向かって歩みかけて振り返り、男の背を見送った。
また会うなら会えばいい。老いて嫌気がさすまで会ったっていい。添い遂げられぬから泣くのじゃない。気が咎めるから泣くのじゃない。ただ、しとしととやる瀬なく、とぼとぼと当てどない。
自分の男が、ぬかるみを避けるのか、物怖じする少年のように踏み迷い、そして跳躍した。外灯の傘の明かりはそこで尽きて、もうあとを追えなかった。 -
No.6602
夏の陽にぬるむ池の橋の下 若…
2015/05/24 10:10
夏の陽にぬるむ池の橋の下
若かりしわが影をなつかしむ
みなそこに淡くたゆたう川もずく
時代を知らず古情に親しむわれありき -
No.6612
町 17 木漏れ日の…
2015/05/30 20:38
町
17
木漏れ日の下、池の端をずっと先まで行った妻は、橋の上で欄干にもたれているぼくを振り返り、
「ナニシテルノ ハヤクキナサイ」と叫んだ。
妻に追いつくと、ひょうきんな風が吹いて、妻は帽子をあおられ、あわてて手で押さえた。ぼくは笑って、
「イケニオチタラ モウオシマイダ」
妻は鼻をふくらませた。ぼくは手で帽子を押さえる仕草をしてみせ、これは中国語でなんというのかを訊くと、
「ウーヂャ、ウーヂャ」と教えてくれた。
「ズット テデオサエテ テヲハナサナイデ」ぼくは言ってやった。
植込みの間を縫うて歩いているときも何度も飛ばされそうになった。
「ヒモツキノハ ナイノカ」と訊くと、
「コレデイイノ」と言いきかせ、幅広のひさしをこねくり目深にかぶった。
五月のはやい夏隣り、大連の若者はもう半袖で池のしだれ柳に吹かれていた。ぼくは麦わら帽子が欲しくなった。あごひも付きで、農民がかぶるような形のを。そうでなければかぶる気がしなかった。この夏も二人はこの半島の遥かな野道をたどるのだから。 -
No.6615
町 18 「活動見に行…
2015/06/06 20:04
町
18
「活動見に行くか」
由夫は父に連れられてガード下の映画館に入った。父の好きなアメリカの戦争映画だ。
先にトイレに行くと、男たちが段の上に並んで溝の中に小便を流している。いたるところ吸殻が撚れて灰汁ににじんでいる。蛍光灯に蜘蛛の巣がはっていて薄暗い。隅を土ネズミが今にも駆けていきそうだ。
席に戻るともう始まっていた。館内はおじさんばかりで、みんな煙草をくゆらせていた。父も吸いはじめ、背広を伝って大人の香りがした。由夫は父が買ってくれたチョコレートを下に落としてしまった。
「見つかったか。大丈夫だ」
由夫はちょっと払って口へ入れた。
銀幕では大男たちが劣悪な環境に耐えていた。右横に白い文字が躍っている。聞き慣れぬ発音がいっそう架空の世界を盛り上げた。大音響に列車の通過音が混じって館内を圧した。父やおじさんたちの顔の前が光り、影が走った。
見終わって由夫にわかったことは、いちばん活躍した男が最後に死んだということだった。父は、「これだから日本が負けるわけだ」と言った。
外へ出るとまだ昼間で目がチカチカした。時間を得したように由夫は感じた。
ガードの上を黒い車両が地響き立てて通っていった。その通りをガードを越えて向こうへ行ったことはなかった。車道と狭い歩道の境にぬかるみができていて、もう何日も乾いていないかのようだ。錆びた自転車が電柱に寄せかけてあり、壁にポスターが重ね貼りされ、また剥ぎとられていた。派手なワンピースを着て、頭にタオルを巻きつけた女がゴミバケツを空けていた。
由夫にはなにもかも居心地のいい町だった。ヨーロッパ戦線もこの通りの果てもこれからの自分に待ち受けている。大人になれば、自分もこれと同じ世界に生きるのだと信じた。 -
No.6616
町 19 雨が上がって…
2015/06/13 08:00
町
19
雨が上がって陽が射しはじめ、濡れたアスファルトに緑の並木と白い空が映った。
バス停のひさしの下にたたずむ田村氏のよこに、小柄な娘がやってきて立った。緑と白のきらめきは日活映画のように若々しく、小学校のプールのように素朴だった。
田村氏は支店へお使いに行くところだった。39番がやってきて、娘が先に乗っていった。彼は彼女の後ろ姿を見送りながら、職業やら身の上やらを思いめぐらした。身なりからしてデパートの売り子で遅番か、美容師か、はたまた異郷にいる娘と同年輩かを考えているうちに、目的の16番がやってきて、感覚はとぎれた。
バスに揺られていくうちに陽射しが次第に強くなっていき、水がひいて路面のきらめきも失われていった。田村氏は何かもったいない気がした。もう先ほどの懐かしさを呼び覚ますことができない。わずか数分しか褒美をもらえなかったかのようだ。彼は努めて先ほどの感覚に立ち返ろうとした。雨上がりの天気が娘を連れてきたのか、あの娘が懐かしいイメージを誘ったのか、娘とイメージの順序の後先はどうだったかをもう一度確かめずにいられなかった。きらめきを目にしたときの一瞬の感覚は、言葉の比喩を俟たない。自分が思い至ったイメージにおあつらえ向きに青春の娘があらわれ、アクのない娘の姿がイメージを持続させた、壊さなかった、といえるかもしれない。
ひとときは行ってしまったが、異国の模糊たる空の下、それでも生きている手応えはあったのだ。 -
No.6619
町 20 撮影詰所二…
2015/06/20 15:13
町
20
撮影詰所二階の大部屋をバタンと出て、哲也は三階へ駆け上がった。今日はあいにくの雨で街頭撮影は中止になり、急きょ室内シーンに切り替えることになったが、配役の調整がつかない。三階に並ぶ個室の一室に、昨夜台本のすり合わせが深夜に及び、決着がつかずに泊まりになった裕次郎が途方に暮れて待機している。
ここは戦前にあった消防署の払い下げを撮影所が全盛期のころに買ったものだ。
「アニキ、無理だ。撃たれ役のスタント、腹こわして寝込んでる」
「クソッたれめ、また予算オーバーしちまう。助監は劇団と連絡取ったのか」
「どうですか、いま下の倉庫で美術と打ち合わせしてます。まったく、段取りの悪いことったらない」
ソファーにふんぞり返る裕次郎の足をまたいで、哲也は窓辺に行ってほてる頭を外気にさらした。正面の目抜き通りに二階家の老舗が並ぶ。いつも乱雑に延べられる歩道の露店は、今日は幌付きの小屋だけが点在している。通りの先のほうは道幅が拡張されて三階建の商店がつづき、歩道は片側はアーケードに片側は若い銀杏の並木になっている。雨ガッパがオート三輪から荷卸しをしていた。バスに女が駆け込み乗車し、黒煙を吐いて出発した。
下の敷地では、ズボンの裾をまくりあげ下駄ばきの若いもんたちが撮影隊のバスに機材の出し入れをしている。撮影所の門のところで守衛とあいさつを交わしてこちらに歩いてくる女がいる。ポプラの下で女は黄色い傘をかたむけて顔をのぞかせた。
「あれっ、ルリちゃん」窓から身を乗り出した哲也が言った。
「はーい、てつやくん」ルリ子は素顔を白くほころばせた。
二階からもランニングシャツ姿の男たちが手すりに掛けた手ぬぐいの上に折り重なって顔をだし、頭をひょいと下げてまたひっこんだ。
「今日はルリちゃんの出番はなかっただろ。うわっ」頭上の樋から雨が滴って、哲也はのけぞって顔をしかめた。老朽したどの窓枠の下にも雨だれの錆びた跡がついている。
「さし入れに来たのよ。裕さんもそこにいるんでしょ」
「ええ、にっちもさっちもいかなくって…」哲也はなかの裕次郎をわき目に見て、「天を仰いで、“夕陽の丘”うたってる」
〽 かえらぬ人の 面影を
遠い他国で 忘れたさ
いくつか越えた 北の町
眼がしらうるむ たびごころ -
No.6620
「思ったとおりね。ハッハッハ」…
2015/06/20 15:14
>>No. 6619
「思ったとおりね。ハッハッハ」弾む声に玄関先のアジサイのしずくもパラパラ落ちた。
「天津飯店の“犬も食わぬ肉まん”買ってきたわ。三人で食べよ」
「ええ、どうも…」
どの部屋も窓があき、北側の廊下も開け放してあるのか、哲也の背後の天井も箪笥の角もルリ子の位置から見える。ルリ子は哲也もいてくれて助かった。最近、裕次郎との間でバツの悪いことがあったのだ。
「あれえ、西の空が明るくなってきたな。アニキ、何だか雨やみそうですよ」
「なにっ」裕次郎はがばと跳ね起きて、ワイシャツをはだけたまま頭を突き出した。西の空を眺め、目抜き通りに目を移し、そしてルリ子を見た。
「ルリ子っ、雨上りの舗道のシーン、今日できるかっ」
ルリ子は傘をおろし、空を見上げた。
「準備オッケーよ。まかしときな」
「おう、これだからな、ルリ子は。ハハッ、愛してるぜ。テツ、潮は変わった。監督に連絡つけてくれ。いや、待て。おれが行く」
「セリフ、いいんですか」
「そんなモンどうにでもなる。ぶっつけ本番さァ」
裕次郎の勢いのいい声が詰所に鳴り渡った。やりとりが耳に入っていた大部屋も撮影隊もにわかに活気づいてきた。若いもんの鼻歌もやけに調子づいた。
〽 夕陽の丘の ふもと行く
バスの車掌の 襟ぼくろ
わかれた人に 生き写し
なごりが辛い たびごころ -
No.6623
町 21 特色的社会主…
2015/06/27 19:06
町
21
特色的社会主義国の会社は資金繰りにあえいでいた。取引が鈍くなった。
人々は相変わらず出勤し、道は相変わらず渋滞した。
風琴と魚の町のような風が手持ちぶさたに吹きぬけた。港の見える事務室は白茶けた海岸通りの小屋がけの下で漁師のかかあが日がな一日お客を待っているみたいだ。
上級日本語班のS嬢は言ってしまった。「私は日本人が嫌いなんです。中国人は永遠に日本人を許しません」通訳業の彼女は最近、転職を考えている。
ランチの上にハエが一匹たかり、人の手に払われても逃げとぶ力がなかった。
ビルの通用口からひんやりした鉄階段に出ると、隣のビルとの境の先に陽光に照りつけられた本通りが見えた。遊園地のような町の音楽が遠くこだまして聞こえた。
田村氏は奥さんに米と小麦どちらが安いかと訊いた。
2015年6月のことだ。 -
No.6626
町 22 下町の春柳…
2015/07/04 17:09
町
22
下町の春柳大通りには青空市場でにぎわう劉家橋バス停がある。その西側、扇状に小路が分かれる角に二階建ての人目を引く建物がある。田村氏は勤めの行きかえりにここを707番バスで通り過ぎるたび、あれは戦前からある茶楼に違いない、斜めの道なりに並ぶ窓に近代風な装飾があり、なかはきっと木目ゆかしい板張りだ、周囲は卑近な下町だからまさか店員が清朝風の制服までは着ていないだろうが、郷土色のある饅頭ぐらいは食わせるかもしれない、そこに座って市場の女たちを眺めながらゆっくり茶を飲んだら、さぞ楽しいだろうなと想像した。小路の先も何があるのか見てみたい。なんといっても道の交差の角度がいきで、現代の利便とは無縁、建造当時は何を以ってこのような設計を企てものか。いかなる地形、いかなる土地の利害が絡んだものか。いずれにしろ革命前の長衣を着た老紳士が町角で昔語りをしていそうな風情だ。
しかし自宅から遠く、そのうちにと思いながら数ヶ月が経ってしまい、その後勤務地が変わって、もう707番に乗るついでがなくなってしまった。 -
No.6627
あるとき、農民がかぶるような麦…
2015/07/04 17:10
>>No. 6626
あるとき、農民がかぶるような麦わら帽子が欲しくなって、妻に訊いてみると、そんなものは町には売っていない、今どき誰もかぶらないという。田村氏は、どうしても欲しい、下町に行けば必ず売っていると言い募った。そのとき即座に思い付いたのが、あの春柳大通りの青空市場だ。そうだ、ついでにあの茶楼にも行ける。
妻が休日出勤し、ひとりきりにされた日、週末詩人の田村氏は烈日を押して出かけた。バスを降りていの一番に向かったのは、無論あの茶楼とおぼしき建物だ。
田村氏の歩みはたどたどと止まった。それは、すでに飽きられた玉突き屋で、廃業していた。一階は間口の狭い食い物屋が軒を並べ、けっこう繁盛している。しかし二階は、右から左へ、確かに凝った造りの窓が埃にくもり、うちから窓に寄せかけたがらくたが透けて見えた。小路に目を移すと、並木が鬱そうと茂り、先が見通せないが、いずれ住宅街につながるのだろう。どこにでもある通りだ。田村氏の見上げるうなじは、あのまぼろしの茶楼をしばし離れなかった。鞄をたすきに掛け、そこに立ち悩む姿は、土地の人にはとんきょうな外国人と映ったに違いない。小路の奥から出てくる車が本通りに出るのに苦労し、じきに数台が詰まってしまった。田村氏は背後から車椅子の親子に声を掛けられ、道をどかされた。 -
No.6628
田村氏は気を取り直して第二の目…
2015/07/04 17:12
>>No. 6627
田村氏は気を取り直して第二の目的へと向かった。
右手の青空市場に入ると、そこは生鮮野菜と魚介類ばかりで衣料品は見当たらない。思った以上の広さと奥行きで、ごった 返す人々の肩や日傘の露先をよけながら進んで、結局一区画を回ってしまった。最後の一角でついに地べたに帽子を広げているのを見つけたが、男物はパナマ風の帽子しか置いてなかった。値段を訊いてみると驚くほど安いが、買うのはやめた。そのとなりでヒマワリの種を売っている男が、ちょうど田村氏お目当ての帽子をかぶっていたが、どこで買ったのかと問うのはいかにも間が抜けていると思い、これもよした。
肩を落として歩きながら惜しまれるのは、あの茶楼だ。以前、バスの中からどうしてあのように見え、空想させたのかが不思議でならなかった。慣れぬ異国の旅ごころというものなのか。 -
No.6629
数日おいて、仕事のあいまあいま…
2015/07/04 17:14
>>No. 6628
数日おいて、仕事のあいまあいまにあの茶楼と小路の錯覚がかえすがえすも偲ばれた。現実の建物と小路はともかく、惜しむべきはあの錯覚だ。そして、あれはもう一度バスの中から見てみなければならない、バスの中からだからこそあのように見えたのだと思い至った。上りのバスか、下りのバスか。春柳大通りは対面で10車線もあり、バスは市内周りと長距離が10路線以上あり、ひっきりなしに行き交っている。煤煙むせぶ道のこちら側と向こう側とでは印象が変わる可能性がある。田村氏は先日訪れた日の鮮明な印象を消して、無理に数年前の印象に立ち返り、あの場所に視界が南から近づいて行ったか、北から近づいて行ったか、距離感はどうであったかを推し量り、また出勤時と帰宅時の心理も思い合わせて、結局反対車線から、つまり遠くから見たものだと結論付けた。
決行の日は来た。田村氏はやや得意になって会社を早退し、バスを乗り継いで707番の下りに乗った。近づいた。そして見えた。行き交うトラックやバスの合いさに、数秒間、沈みゆく夕日に目をしばたたきながら見た。まぎれもなく同じ角度であった。夕暮れの買い物の雑踏の上にあの茶楼は立っていた。しかし、それは先日の鮮明な茶楼とも記憶のなかの茶楼とも違っていた。なにか生活感がありすぎた。落ち着きがありすぎた。恋する女に振られたような感じがした。なんの感興も与えなかった。行き過ぎるマンションやら空やら、そして車内の少なくなった乗客の後頭部やらを呆然と眺めながら、われとわが身の頼りなさを田村氏はしんみり感じた。――そうだ、生活力のない空想家があこがれにあこがれて訪ねていったあげく、現実の美女はいかなるものか誰もが知っているように至って即物的な生き物に過ぎぬことを知る。この生き物は、お門違いだとばかりにぴしゃりとこちらをたしなめる……。

批判の観点は自己を映す鏡です。…
2015/04/19 09:53
批判の観点は自己を映す鏡です。
判断の基準、用語は日ごろの自意識から生まれます。
きみの言っていることは、実は自分自身を表しているのです。
文は人なりと言いますが、きみの一語一語がきみのイメージを形成していきます。