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投稿コメント一覧 (103コメント)



  •  金曜の昼過ぎだ。商工会議所の行事はひと段落していて、ここ数日あまり忙しくなかった。
     市電通りの向こうの天津商店街に大売出しがあるらしく、京劇まがいの演奏に間のびしたアナウンスが、静かな陽光にきらめく町の上空に響き、ここ洛陽会館四階にある事務室にも伝わってくる。
     恵子と同僚たちは連れだって物見に出かけて行った。取り残されたような部屋には碁をさすものや足を投げ出して居眠りするものなどなど。ときおり春めいた風が開け放した窓から階段楼の暗がりへ吹きぬけていった。




  •  夏の夕日が土間に射し込み、流し台と上り框の間に立って夕飯の支度にいそしむおまえのブラウスとスカートとほっそりした脚を赤く照らしている。こちらを振り向いたおまえは前髪がほつれ、額と首筋にうっすら汗がにじんでてかっている。街の暮らしに慣れたおまえが、こうして二人で生きるため田舎町の一軒家に起き伏しすることを喜んで受け入れたのだ。小さな百貨店が駅前に一つしかなく、今も駄馬が往来するような町に。
     ぼくは夕飯などそっちのけで、おまえを思う存分に抱きしめた。勢いあまったおまえの下駄がからんころん跳ねた。障子は開け放したままに、擦り切れた畳に二人のほっぺたが張り付いた。


  • 3 

     市電の終点がある北町から北西に斜に伸びる路地がある。その低い家並みの一軒の格子戸に「お好み焼き」の赤提灯が昼ひなか掛かっている。その隣のしもた屋の板塀の前に二人は自転車を停めた。
    「ここの肉入りお好み焼きがうまいんだ。イカ入りもあるぜ。200円だ」
     こう言ったのは坊主刈りの、おでこの広い少年だ。
    「よし、じゃあ、おれはイカ入りにしよう」
     これは目の細い、坊ちゃん風の少年だ。
     戸をガタガタ引いて中へ入ると、
    「いらっしゃい、よっ、来たね」
     割烹着姿のおかみが声をかけてきた。店の奥のテーブルには、一様に紺の事務員服を着たおねえさんが三人、顔を寄せておしゃべりしている。二人はおかみが焼きそばを炒めている鉄板の前の席に座り、品を注文した。
     土曜の昼めしどき。今から遊んでも明日も休みだ。
     店の奥とおかみの後ろの三畳間は薄暗く、入り口のガラス格子戸と脇の半開きにした窓のあたりにだけ光が射している。御近所のどこかで、NHKラジオ歌謡を聞いているらしい。
     二人は鉄板焼きの手順をようく眺めている。
    「おれのは生姜を多くしてくれ」
     おでこが言う。
    「あいよ。あんたはどうする」
     おかみが坊ちゃんを覗き込むようにして訊く。
    「ぼくは普通でいい」
     おでこの方を見てニンマリ答える。
     この路地をずっと北へ行くと、なに町があって、仲間の誰それの家がどこにあるか、二人はみなわかっている。4年生のときとも3年生のときとも何も変わっていないことをよく知っている。




  •  私たちは一日の作業を終えて、工場裏の休憩小屋で酒を傾けるのだった。7時を過ぎているというのに、夏の宵はまだ明るかった。簡易小屋の窓からは、工場のスレート壁と、フェンス越しに隣の薬品工場の広大な林のはずれが見えた。工員たちは汚れた作業着のまま、サバのカレー風味揚げとつぼ漬をがつがつ食いながら、焼酎をあおった。
      私たちは工事の難度について嘆息したり、これしきなんのそのと息巻いたりした。互いに酒を注ぎ、タバコを濛々とふかして、お客をこけ下ろし、はったりを言い、もっと酒を買ってこいの、社長から差し入れはないのかだの、言いたい放題だ。
     やがて周囲は薄暗くなり、木曽川沿いの町はずれのこの一帯はひっそり静まりかえっている。それでも話は尽きなかった。家族など顧みない。晩飯など家で食べる気がしない。自分の腕がナンバーワンだと自負している男たちが4,5人残っている。連日の疲れに打ちひしがれながら甘いささやきなど無縁の野郎どもだ。
     酒が尽きると、さて、次へ行こう、だ。みなそれぞれに車を運転して、田舎町のバーに向かう。さえない女しかいないが、気のいい挨拶を交わし合う。カウンター席を占領し、歌を歌いはじめる。
     そうした歳月が10年ほど続いた。それがいつまで続くのか、その先になにがあるのか、誰も話題にしなかった。




  •  国鉄各務原駅の吹きっさらしのプラットホームを和服姿の婦人が上下揃いの服を着た男の子の手を引いて行きつ戻りつしていた。、この一番線ホームには他に駅員がひとりいるのみである。婦人は意を決したように駅員に歩み寄った。
    「あのう、すみません。駅を乗り越してしまったんですが……、さっきの電車、那加駅には止まらないんですね」
     男の子はこの際、母の白足袋を踏みつけぬよう注意しながら横にひかえた。駅員は白手袋の手を制帽のひさしに掛けながら、
    「ああ、ええ、あれは急行ですからね。各駅停車に乗らないと」
    「切符、どうしたらいいでしょうか」
     婦人は申し訳なさそうに、おずおずと訊ねた。
    「どれ、拝見。……これでかまいませんよ。あの階段を上って、向かいのホームで待っていてください。あと20分ほどで上りの各駅停車が来ますから、それにお乗りください」
     婦人はお辞儀をした。
     桜のつぼみが膨らみはじめた三月のある日、婦人は弟夫婦が住んでいる各務原信用金庫の宿舎を訪ねていくのである。
     二番線ホームの向こうは操車線が数列並び、周囲を柵で囲われている。柵の向こうは、南口と違って平屋がまばらに建ち、この一帯は樹木が少なく、はるかな空が見渡せる。ときおり空っ風が吹いて街道の土ぼこりを巻き上げ、駅構内へ吹き寄せて、婦人を難儀させている。
    「各務原はこれだからいやだわ。由夫、早く、先に階段を上がりなさい」
     由夫は全速力で駆けていき、上り鼻で振り返って、母を待った。




  •  顔立ちといい、立ち姿といい、親子のようにも兄妹のようにも見える二人が、金華公園西口前の石碑の横に人待ち顔に立っている。居並ぶ観光バスの駐車場から乗客がぞろぞろやってきては公園へ入っていき、玉砂利を踏む音が絶えない。
     前の公園通りは、市電がちょうどカーブしていくところで、陽光にぎらぎら光る線路を茶しぶの路面電車がのろのろ過ぎるとき、警鈴に車輪のきしむ音が混じった。行楽日の満員電車の窓から、石碑の前で二人の男女と三人の親子連れがお辞儀を交わしているのが見える。なかの背広にネクタイ、頭髪をきっちり撫でつけた紳士が仰向いて高笑いし、電車の乗客の耳にまで達するかのようだ。
     ここは戦国時代の城址を残す、清流沿いの山の麓に作られた公園で、動物園あり、県立図書館あり、周囲の城下町には旅館を営む旧家が多い。最近この公園から山頂のお城にかけてロープウェーが設けられ、地元の人々も珍しがって足を向けるようになった。
     五人の一行は公園をそぞろ歩いた。テキ屋が屋台を並べ、醤油の焦げたにおいが鼻を打ち、金魚鉢から光の玉が跳ねた。ところてんの幟り旗が揺らめき、風鈴が思い出したように鳴った。夫人と紳士二人が前を、男の子は今日はじめた会ったお姉さんと手をつないだ。仮面売り場の前で彼はむずがり、三人から後れをとった。
     やがて、月光仮面のお面をつけた少年が、黒髪をひっつめにした娘さんを引っ張り引っ張り、公園のあちこちに現れるのを人々は見た。
     一行はロープウェー乗り口の行列に入った。
    「わしに任せなさい。知り合いに頃合いのがおる。顔合わせは大黒屋に座敷をひとつとろう」
     昼食は展望レストランが待っている。
     山の緑は古へゆかしく深く、空の青は目に染みるほど清かった。




  • 小さなガラスのコップに茶葉を入れ、湯を注ぐ。コップをベランダのテーブルに置いてわきから眺める。陽光にさしこまれ、向こう側には窓外の、校舎か病棟のような壁と窓がゆがんで映っている。やがて一枚また一枚と、下降していく。水槽はしだいに緑を増していく。あきらめて手を放し、力なく沈んでいって、最後は底に黙って身を横たえる。

  • >>No. 6538

    詩には散文詩があります。朔太郎にも達治にもボードレールにもランボーにも散文詩はあります。
    確かにエッセイだか小説なのかわかりません。
    海外からの送信では、いろいろ障害があるようです。

  • 私はいま中国にいます。
    中国には散文詩というジャンルがありません。詩的な散文を”散文”と呼んでいます。日本語の散文の語感とは異なります。
    かつて詩人がはじめていわゆる散文詩を書いたとき、散文詩という用語はなかったでしょう。
    レトリックは時代とともに変化します。私の書いたものは確かに逸脱しています。ただ、ある詩的イメージから出発して創造しています。わかりやすく、通常の文法で、正確に伝えたいというのが私の願いです。誰かが”詩”を感じてくれれば、うれしいです。
    ちなみに、私は以前ここに「黒いシルエット」の連作を載せています。

  • 通りに陽炎が立って黄色っぽく照り返し、向かい合った商家の甍はとろとろ焼けつき、廂の下の暗がりはうとうと眠っている。風鈴も鳴かず、呼び売りもほとほと閉口して、この時刻昼寝を決め込んだらしい。
    魚屋のわきの黒茶けた電柱に毛の禿げたブチ犬が駆け寄って小便をひっかけた。店の中からメリヤス着の親父がどなって出てきて、盥の水をぶっかけた。――クソッ、まだくたばりやがらん、ババアよりしぶとい野郎だ。ブチはきわどく避け、舌を垂らして小がけに前進を続けた。
    乾物屋のおかみは日陰の木箱に腰かけて団扇を使っている。おが屑の上を蜂の羽音が物憂くうなってよぎった。――二階の先生、またノイローゼが嵩じてるやら、そうだ、蜜まめ持ってってやろう。おかみはお勝手にとんとん入っていった。
    呉服屋のでっち小僧はどこへしけこんだのか、玄関から裏口へ水を打った通路ががらんと筒抜け、柱時計の振り子が音を刻んでいる。
    どこかで誰かが茶碗を落として割れるのを近所のみんなが聞いた。
    遥かな空の下に入道雲がわいた。ミミズが這うよりもゆっくりと静かに姿を変えていく。

  • >>No. 6570

    春の靄に包まれ、町は瞳のように潤んだ。
    桜を待ちわびて薄着になった人々は上着の襟を立て、ポケットに手を突っ込んで歩いた。通りの果てが白くかすんで海の中を歩いているようだ。
    美香はバス停に立っていた。人の列に入らず、歩道と校舎の境の柵に寄って待っていた。真紅のレインコートに黒い靴が人目を引いた。そばの地べたに農婦が果物の籠をならべて売っている。
    もうバスが何本も客を乗せて発っていった。数学講義の先生がこの曜日この時刻ここで団地行きのバスに乗るはずだった。
    大学校内にはところどころ桜が植わっている。蕾は季節を迎えてやわらかく膨らんだ。蕾は咢に守られながら開きたがっている。みるみる樹液が満ちてきて、あと少し暖かい触手に撫でられたらはじけてしまう。開くことの予感におびえながら、明るい陽射しが内に差し込むこと、それが生命の悦びであることを本能的に知っている。愛でてもらうことが快楽であり、生きがいであり、使命なのだ。遅咲きになれば花の宴も艶を失う。
    もう時刻は過ぎていた。これが返事なのだ。
    垂れ込めるヴェールに美香の気持ちは鬱々として弾まなかった。バスは若者たちを鈴なりに乗せてまた発っていった。農婦はこれを潮に店じまいをして二輪かごを引きずっていった。
    憧れははかなくも阻まれ、美香は能おもてに立ち尽くした。どこへ行ったらいいのか、どこへも行く気になれず、いつまでも立ち尽くした。

  • >>No. 6571

    原稿によって投稿できる場合とできない場合があるようです。
    やはり中国だからでしょうか。


  • 10

    「ライセデ アナタノオヨメサンニ ナルワ」
     王琳はそう言ってカラカラ笑った。高慢ちきで、普段からムラ気のある王琳がそう言ったのだ。
     職員室に居合わせた同僚たちは振り返った。赤地に金箔の標語の幕がかかる壁際で、田村氏と趙美麗と王琳が木椅子を寄せて話し込んでいるところだった。
     田村氏はそう言われてたじろいだ。そして、突如印象を改めたかのように王琳を横目に見た。背後に並ぶ窓に、向かいの農業合作社の白壁と広告塔が春のうららかを映して輝き、シナ襟服を着た王琳は深い陰影を宿していた。
     最近、同僚の一人が同郷人とお見合いをして、相手の勤務地上海に追いていくため学校を辞めることになった。三十路を過ぎて彼氏のいないのは、長春外語学院教務課では教学主任の趙美麗と運営委員の王琳だけになった。容姿に自信のある二人は目が高すぎるのだった。「ワタシタチダケニ ナッチャッタ」と言う二人に田村氏は「ニホンジンヲ ショウカイシマショウ。サンジュウゴサイグライデ イイデスカ」と訊ねた。彼女たちは日本人男性に遠慮も敬遠もしない数少ない中国人女性だった。趙美麗は田村氏に流し目を送ってから、まじめすぎるくらいに「ハイ、イイデス」と答え、王琳はそのセリフを言い放ったのだ。
     趙美麗は目を細めて王琳に微笑んだ。他の同僚たちは手もとのペンが止まったままだ。王琳は小首をかしげ、両手を前に揃えたまま田村氏を見つめている。彼は返答に窮するとともに、周囲の視線に狼狽した。いい年をして、俗人とも堅物ともつかぬ男が、若い女性たちに混じっているのは少々場違いのようである。
     折よくか、廊下から受付係の顔がのぞき、来客を告げられた王琳は、まずはご座興までにといった風情で立ち上がり、背筋をしなやかに伸ばして席を離れていった。
     みなは何事もなかったかのように再び机に向かった。

  • >>No. 6581

    これが何度も投稿に失敗した原稿です。今回は直接その場で入力し直しました。パソコンに一定期間保存したものを貼り付けると失敗するようです。以前はそういうことはありませんでしたが。字句や形式には関係ないようです。失敗するかどうかは、送信キーを押して三秒以内に決定されています。中国も関係ないかもしれません。
    しかし、ナンセンスです。


  • 11

    四時を過ぎると、港町大連の中央区は青空の下、林立するビルに一日の澱が舞い降りて薄墨に霞んだ。ビルの壁面はやつれた肌のように膜がかかっている。どの窓のなかでも背広やワイシャツが肩を落としてあっちへふらつき、こっちにちょっかい出す。残業組はあきれて腕を投げ出した格好だ。放課後の学校のように屈託がない。仕入れもビラ配りも送迎も喧噪はもう後片付けに入った。もう数日すれば肩に、腕に、上着をかけた蟻の群れが谷間を縫うようになるだろう。背丈のまちまちなコンクリートの箱が陰になり日向になって寄り集い、今日を終え、明日を迎える。みんなが息抜きを求め、浜辺の歌を口ずさみながら、紺碧とジェラルミンの休暇を夢見る。

  • >>No. 6586

    ひとつはこのスレッドへの愛着です。もうひとつは私の散文は小説でもエッセイでもないと思うからです。私のは規格はずれでどのジャンルにも属さないかもしれません。決して嫌がらせではありません。素直な気持ちで書き、素直な気持ちで投稿しています。また、素直な気持ちできみに会ってみたい気がします。一人の読者がいれば、一人の反応があれば、私は満足です。きみは少なくとも私の読者です。

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