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投稿コメント一覧 (149コメント)

  • 2013/03/17 22:07

    夢の中で
    君は微笑む
    君が誰なのか
    知ろうとしていた

    ちょっとした未来が観えて
    先回りをしようとした
    あやまちから傷付けることが怖くて
    先回りをしようとした
    それは
    周りのみんなが好きだったからだ
    「未来がみんなと共にありますように」
    と祈った

    あるとき
    未来を観た
    本当は過去だったのかもしれない
    目を閉じて横になっていたとき
    天井がポッカリとあいて
    夜空の無数の星々が観えた
    その中の惑星のひとつが爆発した
    爆発の中で異性人の子供が云う
    「僕は、此処だよ・・」

    身体を離れた魂が
    未来と友達を探した

    夢が現実であろうとするように
    現実が夢の続きを観るように

    夢の中で
    君は微笑む
    君が誰なのか
    知ろうとしていた

  • 「赤い月の青いうさぎ」さんの投稿は
    久しぶりに面白いと想いました。
    高杉晋作の文も感じ入る。
    以前、こうした感覚を抱いたことがあって
    今で云うところのメディアを牽制する姿勢が伺えます。
    前向きであろうとする姿勢が疑問を投げかけている。

    「日本は、小さいぜよ。
    大海の向こうには、多くの国があってよ
    まだまだ、知らなきゃならないことが一杯あるけ。
    そんとき、小さい日本の中で戦争しおって
    どうするけよ。
    いがみあい、憎しみ合って、何が残るけよ。
    国を愛するいうんは、大海へ乗り出す
    勇気のことなんじゃ。」

    発展という希望の礎が、何所から生まれて
    来るのか考えたとき、それは、現状の中で培われてきた
    苦しみと、隣人を愛し続けようとする意志があったからじゃないのか?
    という想いがします。

  • 随分と前の事なんですけど
    ある友達が運命と宿命のことを云ったことがあります。
    抽象的な命題で、ある意味、具体的な事例が想い浮かばないのですね。
    感性的な部分では、感情論的な部分があると認識しながらも
    運命と宿命の言葉を分別しなければならない。
    そうした方法は、やはり抽象性に終始してしまうのですね。

    其処で、今、現状に支配される発想の根源を注視する必要が生まれる。
    それは、彼の体験や経験と、何より、理想とするものの「残像の姿」なのかも
    しれない。逆に捉えれば、自らの課題を提示する「残像の姿」と表現すべき
    もので、即ち、自らの意志の言葉であると想えました。

    運命や宿命が経験や体験による、経時的な過程の中で、意志が言葉を
    決定しているのだとすれば、それは、言葉を代えると、時間や空間を逆行しようと
    する意志、そのものです。

    運命や宿命は、結果論である。
    しかし、それを意識した世代が結果を認識するべきでわない。
    何故なら、結果は、自らの意志が決定するものであると
    彼は、云いたかったのかもしれません。

  • 抽象名詞の代表は、「代名詞」でしょうか。
    概念や観念という言葉で統合される、記憶へ準拠する「事柄」の残像です。
    言葉の概念をソ・シュール的な、また構造的な見地から捉えるのでなくて
    真理と仮想としての暫定的な基準から、座標を創ろうと試みるものです。
    つまり、「代名詞」を統合的な視野から判断する意味で、その弊害と利便
    から、視野の模索を意味します。
    構造は、生体サイクルの過程から淘汰を予想しようとするもので
    進捗のヒントに過ぎないと想うからです。
    あなたが云われる「現代社会との矛盾と非整合」という欲望と理想が
    何所から生まれて来るものなのかを知る、ひとつの提言に過ぎない。
    それは、個の立場から発信する課題であります。
    もっとも、民主主義という代名詞の根拠が「パブロフの犬」の
    根拠だとすれば、発展も違って来るでしょうが。

  • 「わたしと哲学的な議論がしたいのだろうか。」
    ーそうでは有りません。私は「哲学」を物事の道理を理解することの
    方法だと想っています。唯物的な見地からでは、そうした意味で道理を
    自然科学と生態学から構造主義的な趣旨としました。もちろん、構造主義が
    科学を信奉し、文明の予想を担うとしたからです。
    唯物的な所見から、状況証拠を検証し、過去の経緯と推移の因果を
    考察することは、あなたが云われるトインビーもしています。
    歴史の意味を問う根拠から、前向きであろうとする意志を問うて
    いるようでならないのです。

    以降、続きを書く予定にします。

  • No.46

    虚飾

    2013/04/03 03:10

    真実を知らない
    それが観たいと欲求するまで
    僕は虚飾で身をやつす

    嘘だと想えば嘘が観え
    真実だと想えば、それを信じようとした
    本当は、心の何所かで真実など信じたくなかったのだ
    生まれた理由も理解できなかったのに
    何を信じろと云うのだ

    いっそ、人の自虐を信じ
    虚無を見つめ
    他人を殺め、自愛を殺し
    暴虐の限りを尽くす方が余程、自然な行為とさえ想えた
    だから、この世には
    何も信じるものなどなかったのだと
    信じたかった

    戦場で伏せた先で
    目の前に、一輪の花が咲いていた
    姉が花の匂いを嗅ぎ微笑む顔と
    花へ水をやる指が浮かぶ

    何故、姉は、花を愛したのだろう?
    握り締めた土を手の平へ広げ、匂いを嗅いだ
    涙が溢れ、悲しみが支配する

    死ぬために生まれてきたのか
    それとも
    生きるために死のうとしているのか
    いや
    この真実を見つめるために
    生きなければならない

    僕は虚飾を見つめる

  • 肉片の一部が答えを要求する
    まだ見ぬ未知の世界の糸口へ
    耳をたて
    息を潜め
    架空の模様を想像している

    誰もが知るはずの言語を越えて
    未知の言語を知ろうとした

    生き物の共通の輪の中で
    数字が語る
    存在の因子と発展
    そして、それがもたらす累積と底の模様

    素数が既存の概念を試しているように
    我々は自らへ問いかける

    何処から来て
    何処へ行くのか

  • コメント、ありがとうございます。
    「リーマン予想」を題材にして、答えて頂いた知識へ敬服いたします。
    私の問いであった、自己の立場の「真理」という概念の所在を
    明確化することが、自分の座標を知る試みであります。

    確かに、形而上では、現実の物事が生死を決めること、そして
    それだから他者を想うこと、また、それへ対処しようとすること
    それらを含め、義務や責任が生まれることなどの意識から
    現実の推移が生まれています。

    しかし、そうした意識を開放するとは、どういうことなのかを考えます。

  • 何かを証明しようとするとき
    誰もが、現実の物事を基準にする。
    その中で、利害が生かされる動機を生むと平衡して
    発展的な基準=数理の関連という疑問が、いつも頭を掠める。
    何故なら、概念や観念という捉え方は、既存の認識へ依存する
    発想の展開を余儀なくされるからだ。
    証明は、その事実を確認すると同時に、発展的な意味を知る事である。
    でなくして、真理への傾倒は有り得ないと想っている。
    我々が抱える概念や観念という利便や便宜、あるいは、既存の「代名詞」という
    利害へ関わる観点を基準とする視点へ疑問をアンティテーゼする意味で
    敢えて、「カオス理論」へ含まれる概念と観念の不透明性、また、「代名詞」が
    その利便から「実存主義」なる発想の展開を余儀なくされた経緯を知る意味を
    此処へ提議する。

  • きみがきみであるために
    きみが答えなければならない。
    それは
    見も知らぬ矛盾であることだろうし
    容認できない未来の姿かもしれない。
    しかし
    あるとききみは想うのだ。
    なんの変哲も無い一輪の花が
    今の命を与えていたことを知る。
    命は無限でないこと
    また、有限で在ればこそ
    輝く意味があることを知る。

    きみがきみであることを願うのは
    他ならない
    自分で在ろうとするからなのだ。

  • ちなみに、プチアトムさんの「ジャネーの法則」というのは
    19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネの心理法則で
    主観的に記憶される年月の長さは、年少者には、より長く
    年長者には、より短く評価されるという現象のようです。
    上記を含め、ウイッキペヂィアには
    生涯のある時期における時間の心理的長さは、年齢の逆数に比例する
    (年齢に反比例する)と書かれていました。

    面白いのは、(年齢に反比例する)という箇所です。
    ある想いが浮かぶのは、心理学での「滞留行動」という現象です。
    人が、ある場所で歩みを止め、計画した空間以外で偶発性が引き金となって
    年齢的な認識の濃度が浮き上がるとしたら、「ジャネーの法則」が「時間」という
    概念を浮き上がらせているのかもしれません。

  • 言葉というのは共通の意味を表現することだと想います。
    感性や感情、そして認識や意識という題材を個人的な立場から
    伝えようとする手段だと想う。
    しかし、人によっては、そうした感性を言葉にすると「目的」という立場から
    誤解が生まれることがあるようです。
    つまり、「あなたは何のために自己表現をするのか?」という疑問を含むことになります。

    それでも、感極まった想いを伝えたいというのが表現の姿(言葉)と考えて
    まず、手始めに、それを言葉へしてみようとすることは、自分を見つめることになる
    と想います。
    社会的で常識とされることより、個性的で色彩の有る言葉は、そうした想いで綴られる
    「言葉」です。

  • 食をすると味がする
    味の意味を知ると
    食へ拘る。
    本当は
    食が目的じゃないと考えていた。

    いつのまにか
    味へうんちくを語る。
    その方が
    合理と自然と想えた。

    生きることへ
    うんちくを語る。
    うんちくが「生きているから」という尻尾を噛む
    犬だった。
    まるで
    生きることが当たり前と言うように
    犬は
    尻尾を噛みクルクル回る。

    そして
    食へ目を潤ませながら
    「本当は、食じゃないんだ。」
    と嘯く。

  • 「実像」とは、何なのですか?
    「真理」ということですか?
    それとも、生きるための方法ですか?
    愚者が居て賢者が居て、中国の宦官のような立場のことですか?
    結局、批判だけで実体の無い虚栄を抱えながら、自分のことしか
    考えないというのが「実像」なのでしょうか?
    それならば、「実像」などへ誰が期待するでしょう。

  • 以前ですが、このような掲示板で
    中傷や無責任な言動、虚栄や自己顕示、ストレス解消的な無責任な発言・・etc
    などが顕著な表現をする人たちを知りました。
    掲示板の意味が、どんな立場から設営されたものなのかを知る、逆説的な意味での
    示唆だと想えました。
    つまり、「言いたい事を言う」というのは、あるいは、「言葉にして表現する」というのは
    ある目的を失うと、欲望のままの姿を見せるということへ気づいたのです。
    真摯や誠実を強制できない、いや、そうした意味を知らない、あるいは、そうした姿勢へ意味を
    見出せない情況や状況を反映しているものがあるから、「目的」が見えないのじゃないかと
    考えました。自らが経験や体験から、真摯や誠実の意味を知らない限り、少なくとも
    言葉の意味が見えないのです。
    情況と状況が誤解を招いていることの原因を知る「手掛かり」を生むものが掲示板の意味を含め
    あなたが云われる「自己表現」の手段だと想います。
    今回、此方の「先ず言葉にしてみよう」という試みは、人へ評価されることを意識する以前に
    自分自身で言葉の意味を知り、それを理解しようとすることだと考えています。
    何故なら、言葉は、「想い」在っての行動の指針であると想うからです。

  • 少しショッキングな話なのですが
    以前、ある掲示板で出会った投稿者が居ました。
    彼の言動は、尾崎豊のようにカリスマ的で、しかし何処か
    ヒステリックでもありました。
    彼と投稿を繰り返している内、彼の言動が無責任なものへ変化
    して行きました。それは彼の言葉の中で矛盾した箇所を指摘する
    投稿者への返答が感情的な表現を帯びるようになったのです。
    彼の言動へ慣れ親しんだ投稿者の中には、彼のことを心配する方も
    居ました。
    掲示板という目的が、各個人での認識を分けるものがあるとしたら
    現実の生活へ根付く、根拠というものを意識しなくて成り立たたず
    また、終わってわ成らない意識故の言動へ支えられているだろう
    というのは、誰でもが想像することでした。
    各個人の意識から生まれる疑問へ、自らが答えようとする姿勢を
    共有していると考えていたからです。
    表現や言動、そして言葉自体が、自分の欲望から成立するもので
    無いこと、しかし前向きであろうとすること、社会的で組織的であること
    だからこそ、評価されるのだろうと考えていました。

    突然、彼の投稿が途絶えて、ある事件が世間を騒がせました。
    秋葉原での無差別殺人事件です。
    投稿していた彼が、その事件の当事者でした。

  • 実像とは、自分の感性であること。
    そして、それが、前向きであろうとする自分の感性へ響くものであること。
    前向きが、現在の自分を含めた周りの状況へ示唆を与えるものであること。
    だから、現実が必要で、実像の過程を想うのだ。
    想像は、自由を許す。
    実像の進捗があれど、想いは、変わらない。
    我々は、生きる根幹を見つめるようとする。
    嘘と真実、そして、在ろうとする実像の根拠を見つめ
    それが、何たるかを自分へ問うだろう。
    そして、想うのだ。
    愛することの根拠を。
    愛が、どんな姿なのかを想うのだ。

  • 2013/07/31 11:22

    夢は扉を叩く。
    それは目の前の扉と意識しているからだ。
    本当は、扉など無くて虚無や倦怠が支配している。
    なら、どうして自分は前向きであろうとするのだろう。
    それは、自分が生きているという実感の中で考え
    その進展を模索しているからだ。
    「私は何故生きている?」という答えへ答えるのは自分であるからだ。
    そして云うだろう。
    従いたまえ、従う意味を理解したとき、生きる意味の扉を開く。
    我等輪、我欲へ従おう。
    故の、因果を問いたまえ。
    自らの内にこそ、快楽の芽吹きを意識する。

  • No.53

    殉教

    2013/08/04 22:07

    愛へ聞き耳を立てた。
    自分を愛する事ができなくて、他人を意識する。
    嫉妬や羨望、果ては、自虐を愛そうとした。
    その全てが、自分のためのポーズで
    哀れみを自分へ向けるものだった。
    遠回りして他人を意識し、それの意味が空虚であると想える。
    他人は自分を愛さない。
    しかし、自分が自分を愛す姿を想像できぬ間々、何を目的に行動
    して良いのか理解できないのだ。
    まるで、戦場の中で、互いを見つめる。
    互いの瞳の奥を見つめる。
    そして、君は云うのだ。
    「君の瞳の中の自分を信じる。
    だから、君のために死のう・・・」

  • No.54

    愛の力

    2013/08/04 22:26

    君が好きだった。
    今、在る、過去の記憶の中で君が居た。
    記憶は曖昧で、自分の行動の中を追従する。
    全ての意味が君を意識した。
    苦しみも悲しみも、君の中で眠っている。
    影に霞む、君の顔を確認したくて
    僕は、君へ質問する。
    「僕は、君を愛している。」

    物が存在という不思議を語る。
    君と僕が出会えたことの不思議を想う。
    そしてそれが、君と僕の未来であること
    また、愛する意味を教えてくれるだろう。

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