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No.93
誰かが好きで、誰かを想う。 …
2017/07/20 22:21
誰かが好きで、誰かを想う。
想うことが、私の心を開くような気がした。
いつも、自分の事しか考えなくて、人を疑う。
誰かを想い、怒りと憎しみが、自分を正当化しようとする。
本当は、自分を好きになろうとした。
傷つくのが怖くて、自分へ嘘ぶき、自分しか信じようとしない。
何故なら、「裏切る」から・・。
自分の事しか興味がないはずなのに、他人を中傷し誹謗した。
人を愛しているのに、「愛している」と云えない。
何故なのか、考えると、泣けてきた。
大きな声を上げ、泣いた。
ジレンマを誰かの責任にしたくて、何かをしないと、きっと
自分は獣になると想った。 -
No.92
以前、誰かが、こんなことを想う…
2017/07/11 22:17
以前、誰かが、こんなことを想う。
数式で計算を繰り返し、答えが同じなのに、何故、計算しなければ
ならないのか?確認から、認識を探すのは、別のルート(計算式)の
状況を探す意味でしかない。目的が、多くのルートの理由を探る事で無い限り
同じ事の行為は、無意味なのではないか?という疑問である。
多くの理由が、認識への興味を刺激するというのだ。
退屈は怠惰で、マンネリは刺激にならないと、そして、その理由の是非を
問わない。
慣習の意味を問うてしまう。
怠慢の根拠だと、彼は、云う。
もし、そうした考えで、彼は、自殺と死を、選択したなら
シーシポスの神話など、愚の骨頂と映るに違いない。
死と相対して、生の意味を問う時、認識では、動物以外の理念で在っても
実際は、欲望を是認する生き物なのだ。
主の保存、以外からは、語ることが出来ないのだ。 -
No.91
同じ事の繰り返しを嫌い、何故、…
2017/06/26 02:56
同じ事の繰り返しを嫌い、何故、行為が、繰り返しになってしまうのか
疑問を抱く。聡明な人間であれば、記憶を知恵とした。しかし、繰り返すことを
「生活」とし「慣習」とした理由を、誰もが疑わない。
環境が生活を保障し、環境を疑うことは、自己の基盤を疑うことでもあった。
同じことの繰り返しは、「慣習」へ意識化され、日常へ普遍化する。
日常を脅かす動機へは、敏感になった。
もはや、欲望は、組織の理由を裏付けるものとなり、動機を陰湿なものとする。
傀儡が本来抱く、無明の欲望を意識するものである。 -
No.89
どうも、こうした掲示板は、認識…
2017/06/20 04:12
どうも、こうした掲示板は、認識の差異から、自己満足を逸脱しない。
意識しても、役に立たないという事実と、趣味の意識を逸脱しない。
物事は趣味では進まない。慢性的な意識を問うているわけではない。
理解するものは理解し、独自の発展をする。継続が、継続の理由を問うていたら
それは、発展を想像できないのだ。
自らを信じなくて、誰を信じよう?
それが、孤独の理由なのだ。 -
No.88
自分自身の感覚の中で、時々、想…
2017/06/10 03:20
自分自身の感覚の中で、時々、想う。
慢性的な感覚という錯覚だ。
この感覚は怠慢で怠惰である。
興味から志向へ失意しても、怠惰の理由を自らへ、語る。
慣習の意味への疑問から否定が生まれ、そうした根拠を証明するものだ。
実存や構造が、概念的な観念の拠り所を仮想としなければならない理由は
反目的な立場を意識することである。もともと、想像の出来ないものを
「現実」であると証明出来なければ,現実でないと想える。
方法論は、そんな意識から、現実を照らし、他者を自分へ置き換える。
怠慢を摩り替え、「怠惰であってはならない。」という形状への理由かもしれない。 -
No.87
もともと、言葉というのは、個人…
2017/05/30 23:15
もともと、言葉というのは、個人の意思を表現するものだ。
それは、他者へ向けると同時に、自分へ語っている。
言葉が社会性の意味を持つ限り、言葉は、社会性と倫理、道義、意思など
公共的な物事に対しての、意味を問うことになる。
自らの言葉の教訓が社会的な自分の立場を認識したり、意識する理由が
個人を離れ、他者を意識する動機であると仮定して、個人が個人で在る為の
証明へ繋がっていることもあるからだ。
子供の頃、テレビからアニメを見慣れた世代は、勧善懲悪という言葉を聞いたことが
あるだろう。「今」の世界を破壊しようとする者への懐疑である。
何が善で、何が悪なのか?
言葉を道義の計りに掛けたとき、打算以外で、何か観えないか問うのも面白い。 -
No.86
物事の捉え方には、あるツールが…
2017/04/27 04:15
物事の捉え方には、あるツールがある。
偶然を必然と捉えるか、また、現実の(流れ)を意識して、それへ関連する物を
払拭し得るものである。
つまり、真実である。
存在のツールの中に、理念が宿ると考えているようなのだ。
それが、実存的な想いである。 -
No.85
人が生きる理由を問う。 それ…
2017/04/22 18:48
人が生きる理由を問う。
それは、自らが精査しようとする意思だ。
情況が怨恨を生み、死後が、怨恨の連鎖だとしたら、誰もが危惧を感じる
のではないだろうか。死んでまで、意思を引きずるのか?という疑問である。
では、生きている状況のとき、何を情況としたのかを、問われないだろうか?
我々が、死を自覚した時点で、生は、現実を淘汰しようとする。
それは、目的が在るからだ。
我々が存在する目的、我々が生活する目的の果てに、見る未来である。
それは、赤子の未来を想像することだ。 -
No.84
現実から逸脱出来ない根拠の理由…
2017/04/04 23:31
現実から逸脱出来ない根拠の理由(仮想と、それへ逸脱した妄想)という展開が
本当の現実を認識できるのかという意識である。
生きる目的が認識できるという立場は、存在の根拠へ依存する。
意識下で、存在(現実)を認識出来なければ、現実が観えない。
根拠へ生きる目的が観えなければ、現実を語る理由がないのだ。
我々は、生きている。
その感動こそが、根拠だと、僕は、想う。 -
No.82
仮定の想像は、現実を照らすもの…
2017/03/22 03:24
仮定の想像は、現実を照らすものだ。
想像が現実を照らす理由が、現実の状況である。
状況は、我々の想像の核心である。
しかし、想像を生むのは、現実である。
現実への志向無くして、想像は生まれないのだ。
つまり、仮定の根拠を知ることが、方法論を生む。 -
No.81
山道を登って行くと、気づく。 …
2017/03/16 22:23
山道を登って行くと、気づく。
目的地の指標の先で、枝分かれする山道が現れる。
登坂であるのと、空気の薄いためか、予想以上に、心労を感じる。
まして、初めての場所であれば、方向性を確認できない。
磁石や太陽の方向で、方位を確認出来るのだが、如何せん、そうした
核心がないと疑心暗鬼が生まれる。
登りと坂を繰り返し、夕方を迎え、僕らは、不安を抱き始めていた。
そんなとき、山道の傍らで、黒い犬が、僕らを待っていた。
「まさか、僕らの泊まる宿の犬じゃないだろうね。もし、そうなら
道案内していることになるね。」
「そうかもしれないわ。何故か、とても、賢そうに見えるもの。」
「・・犬には、当たり前なことであっても、僕らには、必死だね。
そう考えると、あの犬は、人を救っていることになるね。」
笹藪の覆われた、直線的な坂道を登って行くと、湯煙が観えて来る。
山頂の中腹に、僕らの温泉宿はあった。
宿の玄関を入ると、傍らに、黒い犬が寝そべっている。
「お疲れ様でした。」
出迎える、女将さんらしき女性に訊ねる。
「この、犬の名前は、なんというのですか?」
「はい。クロと呼んでいます。道案内をして来ましたか?」
「・・そうですか。おかげで、助かりました。」
クロは、此方を見もせず、耳を動かす。
「ご苦労様。ありがとう。クロ。」 -
No.80
温泉郷の入り口の架橋で、黒い犬…
2017/03/16 00:48
温泉郷の入り口の架橋で、黒い犬が寝そべっている。
山道の入り口が四方へ別れる始点に在って、出店から人で賑わっている。
光が架橋を照らし、光に揺らぐ、犬の姿が、妙に、核心を匂わせた。
もちろん、勘違いなのだが、その理由は、結果だと想うからに違いない。
僕らは、自由な気を促す、景色と情景から、犬へ会釈して、目的の温泉を目指した。
山道を登り、ルートを確認し、後ろを見ると、黒い犬が後を追ってくる。
ゆるりとした四本の足で、土けた坂道を登って行く。
「きみの名前は、なんと呼べばいいんだ?(クロ)と呼べばいいのかな?」
最初は、僕らが止まると、同じように、止まっていた犬は、僕らを追い抜いて行く。 -
No.79
誰かが、「そうじゃない。」と云…
2017/03/14 23:40
誰かが、「そうじゃない。」と云う。
何かの理由から、未来が違うと想う。
現実的な状況が、生きる条件を限定し、その根拠の理由から
生きる根拠を喪失してしまう。
人を傷つけ、その理由が正当だと想える。
万民が狂気を抱え、妄想と幻想と自虐を願う構図は、ボッシュの絵を彷彿させる。
互いの血肉を食らう修羅の構図である。
快楽と享楽が、憎悪の中で増幅する。
失意へ導かれ、感動を知らない想いが、目的を失う。
しかし、「そうじゃない。」と想った想いなのだ。
その想いが現実を見つめ続ける。 -
No.877
安部公房を理由にするものは、何…
2017/03/03 21:06
安部公房を理由にするものは、何なのか、疑問を抱く閲覧者は居ると想う。
安部公房の姻戚だから、宣伝したいとか、感動の理由が公的な利害だからとか
理由を考えれば、勝手にしろ!という次元かもしれない。
それでも、面白いよ!という意味が、伝わらないと、この掲示板の意味がないよね。
実生活の中で、感動があり、それの意味を信じるとしたら、何も、公房だけじゃない。
老齢化の進む現状で、若者が価値を信じなければ、意味が無い。
僕らは、間違いを、そうした観点から認識してきた。
しかし、記憶が、人を動かしているのも、事実です。
公房は、その理由を見つめたかったのだろうと想う。 -
No.78
基本は、自己の存在理由を照らし…
2017/02/24 21:12
基本は、自己の存在理由を照らして、自らの疑問を直視することである。
興味は、疑問、そのもので、経緯の理由であり、存在の根源である。
多くの文学の目的は、啓蒙が理由である。
その理由は、画一化したものへの疑問だった。
独創的な想いに、展開の発露があるとしたら、それは、慣習の怠惰かもしれない。
もし、未来が観えるなら、答えよう。
未来を決めるのは、あなただ。 -
No.25765
理由を根拠へ代える、根拠を理由…
2017/02/11 20:07
理由を根拠へ代える、根拠を理由の意味として
現実を湾曲しても、現実は変わらないのに、そうした意識を認識できないと
したら、書く意味が無い。
認識故の書く行為なのに、慢心が故の行為なら、笑って欲しいのか?
投稿など、意に介すまい。 -
No.77
以前、会社の会議で、「前例的な…
2017/02/11 19:27
以前、会社の会議で、「前例的な実績」という解説を聞いた。
前例的の意味は、会社への実績を意味する。
つまり、利益への意識を奨励するもので、前向きな意識をテーゼするものだ。
利益還元の意味は、労力への評価である。
生産性と品質性が、個人の生きる力を評価すると信じているからである。
人が人である前に、人の意味を知ることは、多くの経験があったとしても
それの意味を評価するのは、自身である。
人のためと考えるより、自身のためと考える理由が、何処に在るかで
人の生き方が違うのだ。
我々の労力は、生きる故の、前例に過ぎない。 -
No.876
本当に、お久しぶりでした。 …
2017/02/11 07:08
本当に、お久しぶりでした。
お元気そうで、なによりです。
「認識論的存在論」「存在的認識論」を例えると
ニワトリが先か、卵が先かという発想に近いようです。
しかし、そうした発想の根拠と、また認識の理由は、現実への発展を考えて
いるからではないでしょうか。
自分自身を含め、現実の未来を予想しようとする行為に想えます。

栗色の髪の毛が短く刈られ、細面…
2017/10/28 13:40
栗色の髪の毛が短く刈られ、細面のふくよかな白い肌に太い眉が印象的である。赤いネクタイ、茶色のブレザーと短めのスカートから伸びる足首の細い足は、白いためか長く、また艶っぽく見える。駅前の雑踏の中を歩く、2人の女子高生のひとりを目で追った。ひとりはオリジナルの娘だった。