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投稿コメント一覧 (926コメント)

  • こんにちわ
    僕もかれこれ43年間ピアノやっています。
    小学校の頃は、家に先生が来てレッスンでした。
    結局中学3年まで習い続け高校受験で辞めましたが
    その後は自分で小品集などを練習し続けていますよ。

    小学6年の時、僕もベートーヴェン弾きました。
    発表会でベートーヴェン「ロンド」、「ソナタ テンペスト」
    を演奏しました。余談ですが、前日全然寝られなくて発表会で
    が当時の「渋谷公会堂」大ホールであがってしまい、なんと
    おじぎをせずにステージに出るなりピアノの前に座り
    楽譜めくってくださる先生が小声で「おじぎ!おじぎ!」
    と言っていたのも無視!演奏を始めてしまい、父は
    大爆笑!母親は呆然でした。笑
    話がずれました。

    ピアノを弾くのに今重要だと思うことは
    1.脱力(脱力により運指の自由度が増します。)
    2.着想記号に留意しつつも自分の弾き方を見つけること。
    3.演奏テクニックばかりではなく「楽典」を勉強すること。

    です。
    特に「楽典」(音楽理論)は、僕も小学校3年から
    本格的に始めました。(実際にはやらされた)
    それと同時にJSバッハの「インヴェンション」を
    弾きました。これがつまらなくてもう「いやだ!!」と
    先生に言いましたが、とりあえずやれ!と怒られました。笑
    ドレミファの読みは、C(ツェー)D(デー)E(エー)F(エフ)
    G(ゲー)A(アー)B(ベー)てな具合です。現在のドイツ語
    のアルファベットの読みです。僕も音大付属受けて合格
    しましたが、近所の仲良し友達が公立中学行くから!って言って
    公立中学に行きました。またまた母親呆然でした!

    今になってみれば、この楽典が作曲をする僕にとっては非常に役に立ちます。音大付属への進学を勧められたのであれば、貴方ももやっているかも
    ですね。またギター等のコード構成の理論、和音と展開などもやっておくと
    いいと思いますよ。音楽理論など重要でないと言う人もいますが、絶対に必要です。

    最後に 月光の演奏をされているとのことですが、ついでにベートーヴェンの人物像、来歴、曲にまつわるエピソード等を楽譜の巻頭の説明文や
    ネットで調べるとおもしろいですよ。

    更も色々な曲の形式、例えばアンダンテカンタービレとか
    プレスと等を知ることもお勧めします。

    決して無理をせずに頑張ってくださいね。
    何よりもピアノが好きであることが大切です。

  • お気持ちはわかりますが、そもそも男女平等は男女に性差があることを前提に語られているものだと思いますよ。

    シュプレッヒコールを声高にしている女性も様々です。
    きちんとした論拠、きちんとした良識で女性の権利を主張している方もいれば、そうでない方も当然いるでしょう。
    しかし、無責任な権利主張は、社会的に受け入れられないのが現実です。

    一方、賢明な女性や、時としてメディアの報道がきっかけでこれまで見逃されてきた女性蔑視がクローズアップされることもあります。

    大切なことは、基本的に歴史的な事実として女性が蔑視されてきた事実をきちんと認識すること。男性、女性が相互に互いを思いやることに尽きると思いますよ。

    女性っであろつと男性であろうと、唯我的な権利主張をする輩は社会から受け入れられないことを認識することです。

  • >>No. 1

    > > 靖国を参拝することをとやかく言うのは、思い上がりも甚だしい事。
    > いい加減、顔色見ておどおどする日本を卒業しよう。

    中国、韓国等が日本の政治家(公人)の靖国参拝を取り上げ、ややもすれば半日キャンペーン的に振る舞うことは現実にあります。
    仰る通り主権国が行うことを逐一他国から評価され、非難されることは、その国の国民としては残念なことです。
    では、なぜ日本はことあるごとに隣国の非難を受けるのでしょうか?
    私は、これを考えるとき日本の先の大戦に関する国民的な議論、合意の形成努力の欠如を感じます。

    先の大戦を同じ枢軸国として戦ったドイツは、時のヴァイツゼッカー大統領がナチスドイツの犯した事柄について、演説をしています。つまり「公人」が戦争についての総括を試みています。現実的に考えればそれが、ドイツ国民の「合意」とはならないでしょう。しかし国を導くリーダーが行ったこの行為は日本には「無い」ものです。

    これは、国民性の違いだとか、文化の、あるいは宗教の違いでは説明できないことです。歴史をどこかの段階で、きちんと総括する、国を代表する指導者が、日本はこういう大義で大戦を戦ったのだという「意見表明」が戦後70年たった今日にいたるまで表明されていないことが、戦争関連の事柄をすべて曖昧にしてしまっているのだと感じます。

    それでいて、広島、長崎の原爆投下をはじめ、シベリア抑留等日本人は「こんなひどい目にあったのだ」ということだけが、メディアを始めとして広くアナウンスされていることにもバランスの欠如を感じます。
    歴史的な事実は、ある程度の時間経過がないとその史実を公正に分析することはできないと思います。天皇制、既存の憲法等の是非を国民的な議論の土俵すら醸成されていない、それを醸成する努力、向き合おうとする努力が必要なのではないでしょうか。

    過去を取り繕うことはできませんし、逆に自虐的になる必要もない。

  • よくわからない混乱でしたね。

    A案で決定となりましたが、一体あの大騒ぎって何だったのでしょう?
    「木と緑」?オリンピックの競技場はオリンピックで使い捨てではないはずです。
    以前掲示板にも書きましたが、ザハ氏のデザインにコストで大騒ぎし、今回の結果となりましたが、この競技場、将来的にどのように利用していくのでしょうか?
    政府の言い値に限りなく近いコストで、そして期日で建設可能と言っていますが、1500億弱という巨額がかかっているばかりか、サッカーW杯の座席数を満たしていない、将来的に「民間」に運営を委ねる上でコンサートスペースとして重要な全天候型(可動式屋根の設置)など、すべてが未決定のまま。
    維持費+機能追加で一体どうなるのでしょうか?
    結局ザハ氏の提案したものの建設コストに限りなく近づくだけでしょうね。
    民間が果たして、そのコストを自前で負担するのか?あり得ませんね。

    この新国立競技場は、この他近未来に必ず訪れる首都直下型地震等の大規模
    広域災害の非難スペースとしての機能も当然想定されなければなりませんね。

    加えて、「木と緑」大いに賛成ですが、この競技場がレガシーになるかどうか甚だ疑問。
    それは、先のオリンピックで建設された代々木の競技場の今になっても尚新鮮、斬新な佇まいを見れば暗澹たる気持ちになります。

    以前も書きましたが、コスト意識は非常に大切。しかし同じくらい大切なのは、文化遺産として何を残せるかだと思います。

    いづれにせよ決まったもの。うまく運ぶといいですね。

  • よく、近年ではナショナリズムが世界的に高まっていると言います。
    日本でも、そういう傾向、仰る「右傾化、国粋主義」が高まっていると言っても間違いではなさそうですね。

    ただ、ネット上で騒ぎ立てているものの多くが匿名性を利用した発言であることが多いのも事実。書いているご本人の真意か否かを考慮する必要があります。

    少し前までは、「だから日本はダメなんだ!」的な少々自虐的な世論がはばをきまかせていました。これは日本の経済状況とリンクしているように思えます。それが、最近は「○○日本!」といった日本を誇らしく表現する雰囲気に変わっています。メディアを見ても一目瞭然。テレビ番組では日本のサービス品質の高さを検証する番組などが放映されています。

    つまり、ナショナリズムの高まりと低下は国の状態にリンクして交互に訪れるということができまそうです。

    また、皮肉なことに、国際化が進展するとその反動で内向的な志向が頭をもたげるという傾向は、これまでの歴史を見ても明らかです。

    「右傾化」という言葉ですが、これまでのような右、左といったステレオタイプ的な考え方では説明できない志向が出現しつつあると思います。
    これまで、人が啓蒙される要素として、国策的なプロパガンダや偏向的な教育がはばを利かせていましたが、今日のような情報化社会では、もはや人の志向は、国策やプロパガンダではコントロール不能です。
    個人の志向として、保守的な志向と革新的な志向が複雑に入り混じった様態がこれからどんどん増えていくと思います。

  • >>No. 1284

    にわかに信じがたいですね。
    よくぞ、この惨憺たる結果を公表したと変に感心していしまいます。

    このような事案が起きるたびに「殆どの警察官はきちんとやっている」という議論になりますが、捜査書類、証拠品の管理がここまで杜撰なのは「個々」の警察官の事柄ではなく、「組織」としての問題と言わざるを得ないと思います。

    4000件以上の殆どが時効を迎えてたものだとする反面、現在も捜査対象となり得る事案もあるという。
    こうなると、一体「事件化」する、しないの峻別はきちんと行われているのかについても、大いに疑問が生じる。このことは重大ですね。
    類似事案で事件化されたり、されなかったりといったことが起きていることすら疑わなければならなくなり、「法の下の平等」ひいて法治体制の根幹すら揺るがしかねないものだと思います。

    今日では、社会的に企業は「コンプライアンス」「コーポレートガバナンス」が求められています。

    今回のことを見ると、大阪府警だけだとは到底思えませんし
    警察組織には、コンプライアンス、組織としてのガバナンスが全く
    機能していないと言われても、言い訳はできなとも思います。

    ここまで酷いのであれば、外部監査が必要ですね。
    また今回のことについても警察庁のトップが国会で説明する義務
    があろうと思います。

    事件、事故等で日々の捜査には機動力が必要で、文書管理などは追いつかないという現場の現状も当然あるのでしょう。

    しかし、そのことを考えても遥かに常軌を逸した組織の在り様だと思います。

    本当に、警察にネット犯罪等を任せて大丈夫?
    警察の個人情報管理って無きに等しいのでは?

    笑えないですね。

  • はじめまて。

    僕は昭和41年生まれです、
    今思えば、この頃って「まぁ、細かいことはおいといて~」ていう
    感じで、ひたすら「前へ!」という時代だったと思います。
    それでいて、暢気、のんびりしていました。

    今じゃ信じられない光景も・。。

    僕が当時住んでいた家の近くに、それなりに幅の広い川がありましたが
    当時幼稚園に通っていた僕も含め、子供たちが釣りをしたり、あるいは泳いだり
    していました。
    ところが、当時の東京は酷い公害で、川の水質も最悪。

    そこで、とんでもない看板が登場。
    「この川にはカッパが居ます!入らないように!」。
    かなり大きな看板で、ご丁寧に緑色のカッパが踊っている
    絵馬で書いてありました。

    効果のほどはわかりませんが・・・。

    また、家の近くの医院(クリニックなどとは言いませんでした。)
    の駐車場には
    「来院者以外の人は駐車してはいけません!言うことの聞けない人には先生が
    注射します!」と大きな赤文字で書いた看板がありました。

    かっぱの看板は当時の僕も笑いとばせましたが、この注射の看板は
    笑うことができず、「ママ!注射痛いかなぁ?」って買い物のたびに母親に
    訊いていた記憶があります。
    母親も「痛いわよ!きっと、死ぬかもね!」って
    真面目に受け答え?してました。

    もう昔の話ですね。

  • >>No. 11558

    kaoruさん。

    こちらこそ、よろしくお願いします。

    子供の頃の10年って果てしなく永く
    このゴ年になっての10年ってあっという間
    だと感じますね。

  • >>No. 11557

    たっくさん

    田舎での生活またしてみたいという気持ち
    僕も同じです。

    たしかに、東京の生活は地方より便利だったりしたと
    思いますが、当時はとにかく「公害」「交通戦争」という
    言葉が毎日のように聞こえてきました。

    今と比べると、少なくとも2K(汚い、危険)でひsたが
    みんな気楽にノンビリ生活してたような気がします。

    僕の生まれた家などは、東京大空襲でも残った大正建築の家
    で、当時ご近所に建ち始めた綺麗な家が羨ましくて、よく見上げて
    いました。

    でも、今思えば大正の洋風建築のその家は天井が高く、鎧戸があって
    ひし形にデザインされた窓枠や暖炉まであり、結構オシャレでした。

    しかし、そこは大正建築。昭和40年代では築60年程度
    経っているわけで、幼稚園の頃、台風襲来時は家自体が揺れていて
    怖くて寝られなかったのを憶えています。

    街も汚くて、嫌だなぁ~って思っていましたが
    今となっては、もう一度あの頃の生活をしてみたいと
    思いますね。

  • >>No. 11566

    kaoru さん

    こんばんわ
    私の出身地は、東京の世田谷区
    太子堂というところです。三軒茶屋という駅の近くです。
    昭和40年ごろは、下町のような風情が残っている町で
    したが、あのバブルで一変しました。高層ビルが経ち
    なんだか冷たい冷凍食品のような匂いがしてくろような街に変わりました。

    ところで、昭和40年代、流行った歌で
    殿様キングスの「あなたぁ~のため~にぃ~♪」って
    いうのがありましたよね?

    この曲の中に、「女の操」っていうくだりがあるのですが、僕が小学3年の時、友達が担任の女性の先生に「先生!女の操ってどーいう意味ですか!」って帰りの会の時に訊いたんですね。笑

    僕も当然、その歌詞の意味がわからず、なんだろ?って思ってましたが
    その女性の担任の先生は、「女の人にとって大切なものよぉ~」って
    説明していました。笑

    当時って、今に比べて結構歌詞がヤバイ曲が多かったですね。笑

    山口百恵さんの「あ~な~たに女の子の一番大切なものをあげるわ~♪」とか。笑

    kaoru さんは富山ですね。
    僕は、以前富山の砺波、チューリップ祭りに行きました。
    もの凄くきれいでしたよ。
    その後、石川県を周遊する旅でした。

  • >>No. 11568

    たっくさん

    こんばんわ

    何かに当たって家を新築~すごいですね。

    「当たる」と言えば、昭和40年当時僕は森永チョコボールの
    おもちゃの缶詰に、おふくろは密かにブルーダイヤの金銀パール
    に凝っていました。笑

    その他にも

    「ハリハリ仮面」っていうオマケにステッカーシールが入っている
    お菓子や、「チョコボール」というタマゴ型をしていて中にタマゴの
    きみをかたどったカプセルが入っていて、そこにおもちゃが
    入っているお菓子もありました。

    今ってそういうお菓子あるのだろうか?

    当時僕は、グリコのオマケもコレクションしていたのですが
    親父が、勤めの帰りによく、ケロッグコーンフレークを買って
    きました。これにもオマケが付いていて、なぜか「猿の軍団」の
    ミニフィギアでした。笑

    当時僕は、幼稚園の時も、小学校の時も朝食を
    食べない子供でした。母親がそれを心配して考えた
    作戦が、「お菓子」でした。笑

    朝、起きると、チョコ、ポテチ、ケロッグ、それに子供のくせにコーヒー
    とんでもない朝食でした。笑

    後に母親から訊くと、「お菓子でもなんでも食べないよりはマシだと思ったのよねぇ~」と言ってました。

    おかげで、オマケがいっぱいたまりました。笑

  • >>No. 11578

    こんにちわ

    昨晩ボケーっとTV見ていて最近のCMってつまらないなぁ~と
    思いました。昭和40年代のみならず、結構最近までCMから流行語が
    生まれたりとかしていたように思います。

    昭和40年代のCMで強烈に憶えているのが、たしか桂三枝さんがやっていた東芝のカラーテレビのCM「いっちにー~さんしーごっくろーさん!」っていうCMですね。笑

    当時我が家はカラーテレビではなく、まだ白黒テレビでした。
    たしか日立の「末広」とかいうテレビで、これが真空管のテレビで
    映るまで時間がかかる、しかもロータリーチャンネル(回すチャンネル)
    で移映りが悪くて、人の顔など2重、3重に映るんですね。笑
    突然映らなくなることなど日常茶飯事。
    ご近所は当時カラーテレビの家もチラホラ。
    映りの悪いテレビを見て、母親が「何が末広よ!」って怒っていました。笑

    その後、カラーテレビ買うときに、母親が「ここまで我慢したのだから!」って当時最新だったソニートリニトロン20型を買ったとき、その
    画質に家族中感動ものでした。笑
    「月賦終わるまで、週末はカレーだからね!」と母親が言っていたことも憶えています。笑

  • 北朝鮮のミサイル問題。
    これは、IS(イスラミックステート)を始めとした宗教の名のもとに起こっている紛争、耐えなばうテロと根源は同じだと思います。

    20世紀、第一次、第二次世界大戦の中でアラブ諸国に対して行われた二重外交(二枚舌外交)、その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン、軍事侵攻をめぐる代理戦争。すべては現在世界の「正義」を謳っている大国がそれぞれの国を共産化、資本主義化という自国の都合で介入しました。

    その結果、これらの国々にはそこに住む国民の意思とは別の運命が課せられそれは同時に、反共、反資本主義の「憎しみ」の種を撒いたことは事実です。

    21世紀は、前20世紀にやりたい放題に搾取を繰り返した大国がその代償を払わされているに過ぎないのだと思います。

    核武装やテロリズムを正当化など当然できませんが、歴史の真実をないがしろにして、「正義」を振りかざして「お前は間違っている」と押さえつけることでは絶対になにも解決しない。

    こう考えると、人間愚かなもので、行くところまで行かないとわからないのではないのだろうかとも思えて。寒々とします。

    北朝鮮のミサイル問題についても、アメリカが「それはまかりならん!」と
    いったとこころで、冷戦時代の米ロの核競争などの現実を考えると全くもって「説得力」はないと思います。

    所詮、「勝てば官軍」「早い者勝ち」といったところでしょう。

    イギリスの二重外交が今日の中東パレスチナ問題の根源となっているのに当の当事国は、ロイヤルベビーが云々と・・・。

    やはり愚かな人間は核で滅びるまでわからないのかもしれませんね。

  • イクメン議員が不倫で辞職。

    もうこれで終わりでいいのでは?

    この大騒ぎこそ、僕は「病的」だと思います。

    昨日TBSの夕方のニュースを見ていると
    この件で、女性からの意見として女性弁護士の方などがコメントを
    していましたが、一体どんな必要があって、何の為にコメントしているのか
    さっぱり理解できませんでした。

    コメントを求める側にも問題がありかすが、もう辞職して、しかも
    こと夫婦間で話をしている個人的問題に全く関係のない輩がグチャグチャと
    非難すること自体病気ですね。

    ご自分の立場を極めて高みに昇華させて、「許せない」とか人格そのものを評価するがごときのコメントを平気で広く伝播する公共の電波に
    載せて何も感じないコメントする輩。不倫した政治家に劣らない病人ですね。

    20世紀は嘘と、欺瞞の世紀だったと振り返る論調を目にしたことがあります。
    このままでいくと21世紀の日本は、似非と偽善の世紀になってしまうのではと思えますね。嘲笑

    コメンテータ屋や評論屋さんも、自らが発する言葉の重みを
    思い知った方がよいと思いますね。

    本当にチャチで幼稚だと思う。

  • >>No. 11589

    たっくさん、みなさま
    お久しぶりです。

    ずっと現場作業で、殆ど家に帰っていませんでした。笑

    昨日、自宅に戻り、両親の墓参りをしました、

    で、子供の頃、よく両親から言われたことを思い出しました。笑

    それは、「お前は橋の下で拾ってきた子なんだよ!!」っていう
    父親の脅し?文句です。

    きまって、土曜、日曜の夕食を囲む本来「家族の団欒」の時に
    父親から飛び出す言葉。笑

    いやぁ、間に受けましたね。

    考えてみれば、当時の父親って平日は仕事で帰りは午前様、土日以外は
    まともに顔を合わすことなどありませんでした。

    でも、そんな父親も仕事柄か音楽が好きでお土産にいつも
    買ってきてきれたのがレコードでした、

    映画音楽が多く、「太陽がいっぱい」「第三の男」「会議は踊る」などの、今で言えばサウンドトラックのレコードを買ってきましたね。笑

    おかげで、幼稚園に行っていたころ、聴いていた曲はこれらの映画音楽やジャズ、クラシックタンゴなどでした、爆

    僕が幼稚園時代h、天地真理さんなどが大ヒットしていたのに、幼稚園の卒園文集の「好きなうた」に、「第三の男」「ムーンリバー」と書いて
    母親が渋い顔をしていたのを憶えています。笑

    そんな父親、母親も僕が大学に入学したとき、「志は高く持ちなさい!」
    とお説教言葉も変わっていました。

  • >>No. 11593

    たっくさん
    こんにちわ

    あの時代の親ってどこも同じようですね。
    それに比べて、今の子供たちは幸せ!?なのでしょうね。

    土日だけ父親と顔を合わせる僕でしたが、小中高校の頃までは
    なんて家庭的じゃない父親なんだと思っていましたが、今思えば
    父親と遊んだことをたくさん思い出すことができます。

    「かっぱが出る」という川で釣りをしたこと、父親が作った飛行機
    を飛ばしたこと、ある時はハナミズキを庭に植えようと掘り返していたら
    水道管を壊してしまい大騒ぎ、当の本人は「石油が出た!」と思えば縁起がいいと豪語していたことなど~笑

    それと、今じゃ考えられないことですが、当時(昭和40年代後半)
    はちょっと変な商売をするいかにも怪しいオジサンが出没
    していました。僕が強烈に憶えているのは「紅茶キノコ」です。
    母親とおつかいに行ったとき、いかにも怪しいオジサンが売っていました。

    それと、「宇宙ゴマ」というコマが流行りました。やはり怪しいオジサンが
    路上で、コマ回しの実演をやっていて、母親にせがむと
    「こういうところで売っているのはインチキだからダメ!」って却下。

    ところが、その後父親が酔って午前様帰宅した際に
    この「宇宙ゴマ」を買ってきました。笑

  • みなさん こんばんわ

    今回は、昭和40年代のTVのお話しをしようと思います。

    当時は、当然子供ですから「アニメ」をよく見ました。
    しかし、僕が通っていた幼稚園では、なんといっても「ウルトラマン」と
    「仮面ライダー」が流行っていました。

    ところが、僕は怪獣ものには全く興味がなく、仮面ライダーも
    たまたまやっていたら見る程度でした。

    今思えば、3歳年上の姉と「魔法使いサリー」や「アタックNo,1」
    「ひみつのアッコちゃん」等を見ていました。笑

    そんな僕が好きだったのは「いなかっぺ大将」でした。
    なぜそれが好きだったのか?
    当時アニメなどサザエさん以外まず見ない母親が「いなかっぺ大将」
    だけは、家事を休んでも見て爆笑していました。
    おそらくそれを一緒に見たからだと思います。笑

    小学校に入ってたしか小4の頃だったと思います。「ロボコン」に
    ハマりました。笑
    お年玉はたいて当時流行っていたロボコンの「超合金」を
    買いましたが、その超合金のパッケージにロボコンが大嫌いな
    ゴキブリのゴムフィギアが同梱されていました。
    これが妙にリアルなんですね。ゴキブリ恐怖症の母親から
    「そんなの捨てなさい!!」と怒られたのを憶えています。笑
    「ロボコン」の大ヒットでその後継として放映された
    「バッテンロボ丸」はさっぱり面白くなく全然見ませんでした。
    子供でもきちんと嗜好性がありmmですよね。笑

    その意味で
    「怪傑ライオン丸」
    「レインボーマン」
    も僕にとっては却下でした。笑

    レインボーマンのOPソング
    「♪インドの山奥で~修行して~♪」は
    子供心に「なんじゃこれ?」で終わりました。

    あと、山口百恵さんの「赤いシリーズ」を姉と見ていました。
    中でも「赤い疑惑」が強烈で、自分も白血病になるのでは?と
    不安になりました。笑

  • こんにちわ

    仰ること理解できます。

    ただ、TVのコメンテータ屋さんに期待しない方がよいと
    思います。
    TBSに限らず、日本のTVは安易にコメントしすぎ。
    そもそも論、コメントが必要、不要といったフィルタも全くなく
    デスクに座っているコメント屋さん一人ひとりにコメントを求める
    必要性などはなはだ疑問です。

    それと、これは英国BBCに勤務していた方が、そもそも
    TVにばかり出演している評論家は、もはや評論家でもコメンテータでもない
    と仰っていました。その理由は極めて単純な理由で
    TV出演にばかり時間を割くことは、自身の専門分野の深い研究を
    犠牲にしているにすぎず、番組向けの知識の詰め込みといった局所的で
    薄っぺらい知識のガラクタを詰め込むようなものだと説明していました。

    僕もその通りだと思います。
    名前は挙げませんが、一昔前TVに毎日のように登場していた
    評論家(評論屋ですね)は、ある時は宇宙開発について評論し
    ある時は医療に関して評論。あり得ない話です。
    評論させるTV局の見識も知れたものです。

    つまりきちんと精緻化された論拠と知識をもって評論、コメント
    できる方はTVなどにホイホイ出演しないということだと思います。

    また、もっとまずいのは、物事の問題点をコメントしているだけなら
    よいのですが、評論、コメントする対象の人物の人格そのものを安易に
    批評するタイプのコメンテータが増えていることです。

    井戸端会議とは違います。軽々に口走ったことが、たちまち電波に乗り
    伝播、拡散します。

    今日のような状況になったのは、おそらくニュースショーの
    登場にその起源があり、当初はニュースの「解説」だったものが
    ニュースの内容を批評するスタイルになったのだと思います。

    議論すること、批評することは大変重要です。
    しかし、それには十分な論拠と知識が不可欠です。
    その論拠と知識が明らかに不足しているからこそ、議論は無意味は論争に
    批評は非難に変質してしまうのだと感じます。

    それが政治的な問題であっても、巷の芸能人のスキャンダルであっても
    事実を伝える以外に、TV常連コメンテータ屋さんが、コメントを述べる
    ことは、今の状況を見ると僕には不要に思えます。

  • >原発は事故が起きた時しか危険ではないし

    そうだとすれば、明らかに認識不足です。

    原発の利用で、一番問題なのは、昨今発生した福島原発の事故以前に
    原発稼働の結果排出される「核のゴミ」の処分が全くと言ってよいほど
    決まっていないことにあります。
    この「核のゴミ」問題は原発が日本で稼働を開始した1960年代
    から当然解っていたことです。
    「核のゴミ」(高レベル核廃棄物)をどのように扱う、処分するという課題を何も解決しないまま、原子力を利用し続けることに最大の課題があります。

    福島原発事故が起きても、なおこの高レベル核廃棄物の処分方法が何ら解決しないまま、また原発を再稼働させているのが現状です。

    仰る通り、化石燃料を短時日で使い尽くすことも愚かなかとだと思いますがそれと等しく、処分方法も決まらないまま原子力を使い続けることも、これと同様なことだと思います。

    更に、「事故が起こらなければ危険でない」など全く精緻化されない論拠です。
    ご存じとは思いますが、原発はウランの核分裂の時に発生する膨大な発熱
    (エネルギー)を使った発電方法ですが、核分裂の際に爆発的に発生する中性子線び制御方法、燃料プールに保存している核燃料の保管方法も水による放射線遮断という極めて原理的な方法のみで行っているのが現実です。
    原子炉を停止状態にしても絶えず核燃料を冷却する必要があり、それには冷却装置を稼働させるための電力も必要です。
    1980年代にソ連のチェルノブイリ原発の事故が起きましたが、この時には結局事故直前に作業員が原子炉を緊急停止したものの核燃料に対し制御棒を投下したものの、ホットスポット化した格納容器内の核分裂を制御することができませんでした。

    つまり、人類は、原子力を利用するについて、その完全な制御方法、また少なくとも日本では、高レベル核廃棄物の処分方法が未完成ということです。

    化石人惠良の発電所が事故を起こしても、消火作業で事故処理はできます。
    しかし、原発は違います。

    寧ろ、原子力を使うのなら、その制御方法、処分、リサイクル方法を
    きちんと確立する方が先です。

  • 書きっぱなしになるので、最後まで
    記しておきたいと思います。

    僕は「原発反対!」と断じるつもりはありません。
    しかし、あの福島の事故以来、やはり原発の利用は今の人類の科学力では「してはならないもの」だと思っています。

    化石燃料を燃やsぐてエネルギーに転換する方法から、次世代のエネルギーを生産する方法として原子力は「あり得ない」ということです。
    理由は人類と「今のところ」は共存できないからです。
    再生可能エネルギー、例えば太陽、地熱、風力、水素などによる発電と
    おそらくこれらのエネルギーを安定的に供給する仕組み(蓄電)の技術革新
    に依存するしか方法はないのだと思います。

    僕は少なくとも日本は、今ある原発の廃炉、核廃棄物の処分方式の確立に
    に注力するべきだと思います。
    理由は意外なもので、もし核を安全に扱う技術が確立できたとすれば
    その時こそ原子力をエネルギーとして利用できるようになると考えます。
    但し、これは至難の業ですね。

    放射線が生物の細胞の遺伝情報を司る染色体を破壊する粒子である以上
    人類、動植物には相容れないものだから。

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