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投稿コメント一覧 (3848コメント)

  • >>No. 19939

    今日はすごい吹雪で、まだまだ本格的な冬にはならないと思うんだけど、
    もしかしたら?と思わせられるような天気です。


    >ムカつく言動も、
    あなたは悪くない、私の脳の働きのせいなのねって思えば
    イライラも減少するかもね(笑


    そうそう。
    昨日も、書き込みはできなかったんだけど、色々思った。
    結局、自分の価値観や経験で、培ったものを通して相手を見てる。
    相手の言動を自分なりに脳内変換して、思考するから、相手のことをかなり違う目で見ちゃうってことなんだろうなって思ったの。

    それがプラスに働けば、相手に対して好感をもてるし、
    マイナスに働けば、嫌悪感を抱くってことなのかもなぁ・・って・・

    だって、のろのろ、プラプラしてるとしか思えない人が、動いて仕事してるの見ると、え?!って驚く(笑)
    少しは好感を持って見れるようになってくる。

    以前はね、
    人がいった評価をそのまま受け入れてたんだけど、
    最近は人の評価より、自分の見方を信じるようにしてる。
    そうすると、あまり嫌な奴じゃなくなってくるんだ。
    理想はいやな人、嫌いな人がなくなる事。
    楽しく生きたいのよね。
    残り少ない人生を、さ。(笑)


    >嫌悪感つながりで、今図書館に予約してる本

    >『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか 』
    レイチェル・ハーツ (著), 綾部早穂 (監修), 安納令奈 (翻訳)


    >こちら、訳者のブログ↓

    http://officeblue.exblog.jp/18049616

    面白そう。

    わたしも何らかの方法で探して読んでみたい。

  • >>No. 19940

    >>一般的って?
    一般的な不幸のイメージってどんなのだろう?


    >貧しいとか、病いとか
    かけがえのない人の不慮の死とか
    幼いわが子を亡くすとか

    うん、そうだね。
    生老病死の、生を抜いた部分だね。
    仏教では生きてることも苦だっていってるけど。



    >一般的に「不幸」のイメージって「死」に結びつくものかな。

    死ぬことはないんだろうに、自分は不幸だ、と思い込んでる人もいるよね。


    >となると「幸福」のイメージは「生」

    生きてること自体が苦しくて苦しくて、といってた人もいた。


    >でも「生」は
    他の「死」によって得られる幸福だよね。


    >肉や魚などのほかの「生」をいただいたり
    木を切って家を建てたり

    なんだか、ヨコさんの世界っぽい(^^)


    >なんか「幸福」をイメージするとき
    「不幸」の存在が欠かせないから
    「幸福」について語るのに後ろめたさみたいなものが
    あったりするのかもしれないな。


    きっと、その後ろめたさって、不幸な人が存在するのに、自分だけ幸福でいいのだろうか?みたいのもあるかもね。
    さっきのブログに出てた、思いやりの部分で。

  • >>No. 19941

    >冬空さんが言うように
    キリスト教の思想を背景にしたものかもしれない。

    ちょっと訂正したいんだけど、
    キリスト教の場合は、復活を謳ってるんだよね。
    わたしのいう死後の世界に光が当たるというのは、仏教的なのかな?と思う。
    よくわからないけど。

    青い鳥のお話は、キリスト教的な部分は多々あるから、案外コバトンさんの解釈のほうが正しいのかもしれません。


    あちら系の物語は聖書を基にしてることが多いでしょ。

    まあ、聖書も色々な解釈があるから、難しいな、と思うよ。

    そこの宗派によっては、拡大解釈する場合もあるしね。
    人と血を交換してはいけないから手術をしないってのはまさに拡大解釈と取れるよね。

    イエスは元々、若くして磔になってるから、そんなに沢山の言葉を残しているとも思えないのよね。
    弟子たちが伝え、それをまた伝え、とやってきてるから、膨大な量の書になってるけど。
    イエス本人は博愛主義者だったから、ここで話題になった、中絶を禁止した、というのも後の世の人たちの、禁欲主義から来たものだと思われるしね。
    現代のキリスト教は権威主義になってる宗派が多いと思うよ。

    だから、コバトンさんが感じた、説教臭さがあるのかも?

    仏陀は長生きしたみたい。
    旅をしながらいろいろな人生を見て来てるから、言葉も多いと思うけどね。

    仏陀にしろ、イエスにしろ、戒律などというものは何も伝えなかったんじゃないのかな?

    先日書いた「七つの大罪」も、本来、人間に備わってるものだしね。
    罪って書くから、悪いことのように思えちゃうけど。

    おいしいものをおなか一杯食べて、怠惰な暮らしをして、権威を持ってみたい。
    そんなのはたいていの人は大なり小なり思うものだと思うし。

    人は一度権力を手にするとなかなか手放したくなくなるみたいです。
    ちょっと前に見終わった「ヒビン」は、まさにそういうお話でした。

    古今東西、人は誰でも、そういう部分があるし、
    まあ、だから、人間だ、といえるのかもしれないね。



    なんか脱線してる?(^^;)

  • >>No. 74

    というドラマのの最後に出てくる音楽。


    http://www.youtube.com/watch?v=7-WtluZe5PE


    おもしろいです♪

    工場がつぶれそうになったとき、助っ人の職人さんたちが大勢現れて、一週間で、3000個もの製品を作ったり、
    屋台を出したら、すぐに行列ができたり、
    あるわけなぁ〜〜〜い(^0^)と思いながら、久々にスカッとするドラマだなあ・・と・・
    いってみれば、本宮ひろ志の、コミック的世界?

  • >>No. 19945

    おはようございます。

    観て来ましたか(^^)

    ね。

    すごかったでしょ。

    R指定の意味がわかった。


    >PS.因みに、映画『Another アナザー』もビビりました。


    ああ。。。
    あれは観れないなあ・・・


    >因みに、↓これは、うっそー、マジ?って感じでした。
       http://www.youtube.com/watch?v=R3V8Cp4HTdg


    野球の始球式って、楽しいのが多いですけど、こんなのやったんだ(笑)

  • >>No. 19944

    で、ね。


    こういう話は止まらなくなる(^^;)



    私は、好き嫌いが多いんだけど、だから、嫌いなものを少なくしたいって思ったんだけど、
    よく考えてみたら、「好き」だから、「嫌い」になるんだよね。

    好きとか嫌いを超えなきゃいけないんだろうなぁ・・・と、思ってたら、
    すごいタイミングで、今朝の新聞に、


    「かたよらない心」
    「こだわらない心」
    「とらわれない心」


    って、載ってて、またびっくり!


    小さいときから仏教を学んできた身としては、理屈ではわかってたけど、
    実際にはなかなか・・・

    この食べ物きらい。
    これ好き♪

    あれやだ、
    これがいい・・・

    こればっかだったと思う。

    カシとずっと話しててね。

    嫌いだと思う、好きだと思う気持ちに蓋をしない、
    つまり、自分の気持ちに嘘をつかないって事なんだけど、
    それだけでいいのかな?っていう疑問があったのよね。

    なんだか、もやもやもやもやしてたんだけど、

    「あいつなんか、だいっきらいだぁぁぁ・・・!!!」と心で叫んだ後に、穏やかな、
    「あれ?
    ほんとに嫌いなの?」という気持ちが湧いてきた。

    先日書いたんだけど。


    そうしたら、

    何だ、そんなに嫌いでもないや・・・

    その人も一生懸命だったんだもんなぁ・・

    という思いが自然にわいてきたんだよね。
    いなくなってから気づいたってのもあるかも?


    つまりさ。
    以前は無理に、嫌いになっちゃいけない、と思い込もうとしてたんだけど、
    今は、嫌い!と認めることで返って本当の気持ちを知るというか・・

    こういうのが本当のこだわらない心ってことなのかな?なんて・・

    たった一人の、その人に対して蓋をしてきた、「だいっ嫌い!」が、わかって、芋づる式に?他の人たちのことも、少しだけど(笑)認められるようになってきた気がする。

    いや・・・
    まだまだだな(にがわらい)


    キリスト教はボランティア(助け合い)を普通にやる宗教で、
    仏教は自立を謳ってる。
    というイメージが私にはあるんだけど、
    どちらも間違いじゃないんだなって、思い始めてもいる。

    自分ひとりじゃ、まだまだもがいてたことを、カシと話すことによって知ったんだから。

    自分ひとりで立たなきゃいけない、という気持ちは大事だけど、
    一人では生きられないんだよな。。。という感じ・・


    今朝は、一番に雪かきをしてきました。
    すぐ融けちゃうとは思うんだけどね。

    冬将軍はもうすぐそこ・・・

  • >>No. 19948

    >>理想はいやな人、嫌いな人がなくなる事。

    >それりゃあ、人との関わりを一切断たないと
    ムリじゃない?


    そっかい?(^^)
    人と関わっててもできるんじゃないかな?と思い始めてる。

    むしろ関わらなきゃ出てこない。

    そうじゃなきゃ意味がない(^^)


    嫌いとか、好きとか言う感情が少なくなると、つまり色眼鏡をかけないで見るようにすると、それはできるようになるんじゃないかな?
    蓋をしないでね。もちろん。


    >>楽しく生きたいのよね。

    >嫌いな人、いやな人がいても
    なんだかんだと楽しいってのが私はいい。


    そうか・・・
    私はどうも、嫌いな人がいるということ自体が苦手なんだよね。
    嫌いな人がいるというだけで、心が重くなるというか。。。
    とっても重いという意味じゃないよ。
    最近は特に軽くなってきてるから、そんなに他の人が思うほどではないと思うんだけど、
    自分の心の中に嫌いな人がいるということ自体がいやなんだよね。
    「いや」と思うこと自体も好き嫌いに入っちゃうんだけど(^^;)

    もちろん嫌いな人を無理に好きになるという意味ではないんだよ。





    >>>『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか 』
    レイチェル・ハーツ (著), 綾部早穂 (監修), 安納令奈 (翻訳)


    >入荷の連絡があったから
    読んでおもしろいとこがあったら書くね(=^∇^)ノ”


    ぜひお願いね〜〜〜♪

    で、ね。
    姫野カオルコ(ツ、イ、ラ、ク)読み終わりました。

    最初は他愛のない、小学生の軽いいじめっぽい話なんだろうと思ってたら、なんとなんと、段々ハードになってきて、
    私の嫌いな言葉は出てくるし、なんなんだ?この小説は?!とちょっと腹立てて、読むのやめよっかな、までいったんだけど、
    折角お金出して買ったんだし、読まなきゃもったいない(笑)と思い直して、
    読んでみたら、後のほうは熱烈な愛の話になってきて。

    お互いに相手のことを思うから身を引く、みたいな?

    お互いに成長してから、また再会ってところで終わってるんだけど、
    まあ、まあ、面白かったかな?

    中学生ってこうだったよな、って、まさに郷愁を誘われるような、
    時代にタイムスリップするような懐かしさも感じさせてくれました。

  • >>No. 19949

    >う〜ん、「後ろめたさ」っていうのは
    他の生・命を奪って「幸福」を手に入れているという事実
    を見ないふりをしたり
    優越感を感じることによって得られる「幸福」を
    「思いやり」とする身勝手さに対してなんだ。


    なるほど。
    他の生命を奪って、手に入れた幸福は、見ないふりをしないと幸福感を得られないものなのかな?
    優越感や劣等感は、相対からくるものだと思うけど、そういう比較をしなきゃ、幸福に思えないし、思いやりももてないもの?

    つまり、相対の世界から離れた幸福感はないのかな?

  • >>No. 19951

    >プラス「DV被害者」と自己申告していても、相手の状況も違ってましたね。
    子どもにも暴力をふるっていたので、
    逆に、別れずにいる事は「私も子どもに対しての加害者になる(暴力をさせてしまう事は、自分がしているのと同列だ)」と思いました。
    結果として、実の父に殴られておびえていた子どもたちは、義理の父に可愛がられて楽しくやってますよ。


    これは、私も子供に対してまでも暴力を振るうようなら絶対に離婚してたと思います。
    なぜかわからないけど、子供に対しては優しい人だったんですよね。
    直感で、「この人はいい父親になる」と思いました。
    そこが決定的にあるさんと私の違うところですね。


    >罪の意識の話にも通じますが、冬の空夫さんが、最終的には自分の罪を自覚して謝罪した、という点が一番大きく違うのではないでしょうか。
    絶対に「罪」と認識する事はありませんでした。


    そうですね。
    そういうのも大きいと思います。



    >愛があれば許せたのか?自分のプライドの位置は?と考える所ではありますが、
    私にとって、「自分の嫌悪感、体調不良」は、相手の「毎日やりたい。生でやり放題ラッキー」よりも尊重されるべき、と言うことです。


    うん。それは、全くその通りです。
    心情としては理解できます。



    >>やっと最近なんですよ。
    そういう風に思えるようになってきたのは


    >そうなんですか。


    ああ、私の場合は、嫉妬心を持たなくなってきたという意味です。


    >押し付けがましい投稿スタイルからは、想像できないかもしれませんが(苦笑)
    私は掲示板に参加していた最初の数年で、そう思うようになりましたね。
    1つのテーマにひかれて集まっても、本当に心から共感できる場合ばかりではなく、逆に遺恨になる事も多い。
    難しい話です。


    さまざまな人がいるし、投稿の読み取り方も人それぞれなので、難しいといえば難しいですね。
    自分の文章の拙さもあったり?


    >>人の人生と自分の人生は違うんだ、ということが理解できるようになってはじめて、人の人生も認められるようになってくるのかしら?


    >「違うんだ」ではなく、「ある程度の満足ができているのか?」じゃないでしょうか?
    自分の今の人生に不満や後悔があったりしたら、「違う選択をして幸せそうな人」に対して、
    「その人を認めると、自分が間違っている事になってしまう」様な、気持ちになるのかも知れません。


    なるほど、そういうこともあるかもしれませんね。

    わたしのいう他人と自分が違うと言うのは、与えられた人生において、その人がどう考えどう行動していって、どういう人生を歩むかは、全く違うということです。
    つまり、人と比較して落ち込むのも自分だし、
    自分の人生をこれでよし、とするのもその人の考え方による。
    だから、優越感を持つ必要もないし、劣等感を持つ必要もない。

    「ただそのように決められた人生」を歩んでるだけ。
    ということなんです。



    >ちなみに私は、あなたの受け答えの仕方に対して突っ込んでいるものの、
    「離婚しなかった事」そのものに対しては、「しなくて済んだのならばそれで良かった」と思っていますよ。
    それは、逆に「して良かった」から言える事だと思いますが。


    そうかもしれませんね(^^)
    離婚してないのでわかりませんが。

    少なくとも、母が離婚して再婚してくれたお陰で、私は案外に幸せな子供時代を少しは味わえたと思っています。
    まあ、養父というものは、とても気を使うものらしくて、私はスキンシップというものをほとんど知らずに子供時代をすごしてしまいましたけど。

    ただ、わが子たちは、離婚しないでくれてよかった、と思ってる風には見えます。
    スキンシップも普通に行えるし、言いたいこともいってるようですしね。
    わたしも言いたいことを言いすぎるくらいいってますが(笑)
    まあ、最初の頃はご存知かと思いますが、言いたいこともしたいことも全く自由にできませんでしたけど。

  • >>No. 1

    自由には責任が伴うとよく言われますね。

    私は自由は自由
    何者にもとらわれない状態を指すもの、と捉えてています。

    責任が伴うなんて考えると行動を縛ってしまうから、自由ではない。

    社会生活を営む上での、ルールなどは必要であるけれど、自由に責任が伴うという考え方って変だなと思う。

    やっぱ、自由はどこまでいっても自由なんだよなあ・・・

    ルールとは分けて考えないといけないんじゃないのかなぁ?

  • >>No. 1

    昨日はひどい天気で、北海道では停電も5万6千戸あったみたいです。

    冬の季節は停電になると、暖もとれずに凍えてしまいます。
    我が家でも薪ストーブを買おうかと今朝話しました。

    JRや、飛行機、フェリー、さまざまな乗り物も運休になって。
    TVで見たら、天気の所為だから仕方がないとあきらめている人が多かったです。
    天候に左右されない乗り物があればいいですね。


    送電線の鉄塔が倒れたり、屋根が吹き飛んだり、地方では大変な災害だったようです。
    外国では、送電線は地下に埋めているところが多いと聞きました。
    北国は、雪の降り方が半端ないし、風も強い季節が長く続くので、地下に送電線を埋めるという方式はいいんじゃないかな?と思いました。
    たまに、電線に引っかかったクレーン車の被害の話などを聞いても、そういうことがなくなる方式はいいのじゃないかな?
    町並みもすっきり見えるようになるでしょうしね。

  • >>No. 75

    今年の秋のTVドラマが面白い。
    慎吾ちゃんの謎解きも面白いね。
    テーマソング探したけど見つからなかった。。。

  • >>No. 19954

    >う〜ん、「後ろめたさ」っていうのは
    他の生・命を奪って「幸福」を手に入れているという事実
    を見ないふりをしたり



    人間という動物は・・・と書くと、
    「ん、まあ!人間と動物を一緒にするなんて、キーーーー!!」と怒った人もいたなあ・・・(遠い目)

    動物も人間もある意味同じだと思ってた私は
    あの時、人間と動物を分けて考える人たちもいるんだ、とカルチャーショックだったけど。(こっち側から見たらね)

    人と動物の違いは、考える力があるかないか?って言う程度のことだと思うんだよなあ・・・


    と、また脱線しそう・・・(^^;)



    つまりね。
    自分の命を永らえるためには、他の命を戴かなきゃならない。
    動物も人間もそういう風にできてる。
    後ろめたいという感情は人間だけにあるんだろうね、きっと。
    目の前にあるえさをおなかがすいたらとって食べる。
    これは動物の世界では当たり前のこと。

    他の動物はそういうのが幸福だなんて考えてもいないでしょうね。
    その代わり、おなかが一杯になったら、えさである動物たちが、目の前を通っても知らん振りでしょ。
    でも、人間はもっともっと、と、大量にお魚を獲ったりして、消費期限が過ぎた売れない魚は廃棄処分。
    そういう部分に後ろめたさは感じるかもしれないね。
    というか、感じて欲しい。

    欲からくる食欲?・・・・
    目の前にあるものをただ食べるんじゃなく、
    おいしいものを食べたい、高価なものを食べたい、というのが欲につながる。
    それで幸せを感じるってどうよ?って言う話かな?

    冬空なりの解釈ですけど。

  • >>No. 19960

    >えっと、テーマは(って大げさだけど・笑)
    幸福をイメージするとき、あいまいになるのはなぜか?だよ。

    そうだったね(^^;)




    >おいしい魚を食べるとき、魚の側に立ってしまったら
    (この魚、つかまったとき怖かったろうとか、
    息絶える瞬間、何を思ったろうとか、
    魚の仲間はかなしんでいるだろう、とか)
    幸福ではなくなるんではないかな。


    うん、と。
    最近仕入れた情報では魚は痛いと思わないそうで。
    頭と身を離されても、別になんとも感じないんだそうな。
    怖いとももちろん思わない。

    悲しむとか言う感情は人間だけのもの。

    ああ、「考える」というほかに「感情」というものも人間には備わっているね。

    動物を擬人化して考えるのは、人間の願望なのかな?




    >自覚はないけど、魚側に立たないようにしているから、
    (無意識の後ろめたさみたいな)
    幸福をイメージするとき、あいまいになるのかもしれないなあなんて。


    うん。
    魚を擬人化していったらそうなるでしょうね。
    幸福をイメージってそういえば掴みづらいかもしれないね。

    今の私は幸せだと思うけど、なにが?あるいは、どこが?って聞かれたら、
    腰は痛いし、仕事は忙しいし・・・
    なんて愚痴ばっかでてきそう(^^;)

    それでも幸せなんだよなあ・・・

    心が満たされてる状態を幸せというから、あいまいに感じるのかな?

  • >>No. 19961

    >>他の生命を奪って、手に入れた幸福は、見ないふりをしないと幸福感を得られないものなのかな?
    優越感や劣等感は、相対からくるものだと思うけど、そういう比較をしなきゃ、幸福に思えないし、思いやりももてないもの?


    >ま、その辺は(さっきのレスもだけど)
    機会があれば、五木さんの本を読んでみてちょ ̄▽ ̄



    はあい(^0^)/






    >>つまり、相対の世界から離れた幸福感はないのかな?

    >「青い鳥」では、本当の幸福として(光をあてても、逃げないもの)
    「青空の幸福」とか「昼間の幸福」とかあったけど
    それらは、相対の世界ではないよね。

    ん?
    でもさ。暗闇とか、曇り空とかっていう相対が出てくるよ。
    暗闇や曇り空あるいは雨模様なんてのは、不幸に入っちゃうのでは?

  • >>No. 19968

    >>外国でできたのに日本でできないってのはどうしてでしょうね?

    >出来ないわけではないと思いますよ。
    電力会社からすればかかったコスト分は値上げすればいいだけですし。
    やっぱり独占企業はまずいですね。



    考えてもいなかった、ということなんじゃないかな?
    電柱を作る会社が困ることになったり、
    大規模な設備投資をしなけりゃならなかったり、と、
    そうなると人手も・・などなど・・・
    まあ、別な電力会社が数社できればいいのでしょうね。
    地中に埋めたからってすべて安全というわけではないでしょうが、
    少なくとも、自然災害からは逃れられる。

    登別という温泉街があるのですが、わたしも何度か行ったことがあります。 
    そこが今回停電になって、予約客が激減したそうです。
    福島などもそうですが、何かあると、予約が激減してしまうのは仕方のないこと?
    あれだけいた、中国や韓国の観光客も減ってますね。(これは国際問題のほうですが)


    >>一応、安いという謳い文句があっても、(どれが一番安い電気の供給の仕方なのかはわかりませんが)結局安全でもなんでもない危険なものだったわけで。

    >原子力自体が安全なわけがなく、防ぐシステムがどうだったのか、ですね。

    そうなんでしょうね。
    私たちも気をつけなければならないことだと思うのですが、なんでも鵜呑みにするというのは危険ですね。
    ここで書いたことではあるけれど、随分前に、原子力発電のことをネットで調べたら、まだ数が少なくてある程度は安心してたのに、いつの間にかすごい数に増えていてびっくりしました。
    ある場所で電力会社の人が説明して、安全だと謳っていましたが、当時から、何が安全なんだか、と思っていたけれど、信じてた人も結構いたようです。
    あの当時(10年位前?)でも、もう一部の学者?さんたちは、危険なものであるというふうに思っていたようです。


    わたしたちは、もう電気のない生活は考えられなくなってしまいましたよね。
    ネット然り、レンジ然り、
    便利なものはほとんどすべて電気に頼ってしまっています。
    いまさら、ヨコさんの言うようなランプ生活みたいのに戻れないでしょうしね。


    >「原発をなくして代替えエネルギーを」という声は多いですが
    原子力に匹敵する高出力のエネルギーは見つかってないようです。
    原発はなくしても(すぐには無理でしょうけど)原子力の研究開発は
    続けていくべきだと思いますね。

    ん〜〜〜???
    今、ちょっと思い出せないのですが、何か、エネルギーになるものがあったような・・・
    とうもろこしではありませんよ。

    人生は常に危険と背中合わせだけど、 できれば危険は少ないほうがいいような気もしますね。

  • >>No. 19969

    >本当の幸福の中には
    「雨の日の幸福」とか「星が光りだすのを見る幸福」なんかもあったよ。


    そっか。
    雨が降ると植物が助かるもんね。
    わたしの言うのは真っ暗闇のことなんだけど、真っ暗闇から、星が光るのを見つけたときは幸せを感じるっていうことだね。


    >で、ここだけど↓

    >>優越感や劣等感は、相対からくるものだと思うけど、そういう比較をしなきゃ、幸福に思えないし、思いやりももてないもの?


    >相対からくる「優越感」って「人」に対するものだよね。

    ん?
    人だけに限らないけど。
    まあ、優越感といいうくらいだから、人ですね。確かに。


    >例えば「昼間」に相対する優越感って
    時間帯に対するものじゃなくて
    昼間を知らない「人」に対するもの。


    ああ。そっかもね。


    >で、それはあり得ないよね?

    >「昼間」は誰にでも【必ず】あるものだし
    「青空」もそう。

    う〜〜ん〜〜〜

    見える人、感じる人にとってはね。


    >だから「昼間の幸福」なんていうのは
    相対による幸福ではないんじゃないのかな。



    夜が怖い人にとっては 、昼間は幸せなわけでしょ。
    昼間の明るさが苦手な人にとっては、夜の暗さが幸せ。
    どうやっても比較から離れられないものじゃないのかな?ってのが私の現在思っていること。

    相対ってのは、比較対称とするもののことをいうから、昼に対する夜。
    悲しみに対する喜び。

    世の中のほとんどが比較対象となっているように思うのよ。

    だから、「絶対ってのはない」ってのも思うこと。

  • >>No. 19973

    ネットが変?

    うちのパソコンだけ?

    投稿したら、表示できませんって出るんだけど、投稿が反映されてる。
    うっかりすると二重投稿になる恐れが。

  • >>No. 19976

    >>後、ちょっと調べてみたら、風力発電、雪氷熱利用、バイオマス、塩分濃度差発電、地熱発電、水力発電と色々考えられているようですね。

    >どれも規模に対し出力が大きくないですね。
    「小規模・高出力」の研究開発は必要だと思います。

    うん。そういうことだと思う。
    規模が大きくなれば、被害も大きくなるのは必然。
    だから、それぞれ、規模を小さくして、被害も小さく、余力のあるところの電力をすぐ借りれるような仕組みだといいんじゃないかな?



    >>地方独特の発電方法はあってもいいかもしれないですね。
    それによって電気代もまちまちになるかも、ですけど。

    >家賃や賃金、物価などが地域差があることから考えれば
    電気代が異なるのもありかと思いますが
    人が多いところ(都会)ほど安くなるでしょうから
    過疎化に拍車をかけるかもしれませんね。

    そうでもないと思います。
    定年退職した人が、田舎暮らしをしたがるようですし。

    あとね。
    人口の移り変わりを考えていくと、大きな声では言えないけれど、今ほどそんなに電力が必要になるわけではないですよね。


    人口が増え続けた結果が、受験戦争やら、交通戦争やら、さまざまな弊害も沢山あったわけだし。

    年金にしても、人口の推移は、予測できたわけだから、もっと早くに何らかの手を打てればもっと、不安感をなくすことができたんじゃないのかな?
    昨日のTVで、30代の人が年金をもらえるかどうかわからないので不安って言ってました。

    需要と供給のバランスで言えば、日本の人口は、今は土地に対して一杯一杯なんじゃない?
    具体的な数字はわからないけど。

    都会で、人とぶつかりそうになりながら、せせこましく歩くよりも、田舎も魅力的になって、バランスよくなってくれればいいですよね。
    つまり、リトル東京が日本中にあふれれば、いちいち、都会に出ようという気も起きなくなる。
    郊外に大型スーパーがあちこちにできたお陰で、いちいち街まで出かけなくても、たいていの用事は済ませられる状態ですよね。
    こちらはそうなんですが。

    どこの小さな町もそういう魅力的な町になれば、いいんじゃないかな?

    そしたら、電気の供給のバランスも良くなるでしょうし。
    地方のお金も潤うでしょうし。

    都会というか、特に東京は魅力的にしすぎ。
    一時、中央集権じゃなく地方分権にしようという話があったけど、いつの間にか立ち消えっぽい風潮。
    今はネットや、TV電話など、さまざまな便利な機種があるんだから、そういうものを使って、もっと地方分権にするべきだと思うな。

    こちらでは、作家さんや漫画家さんも結構在住しています。

    わざわざ都会(東京)まで出なくてもちゃんと魅力的な作品をかけるんですよね。
    そうすれば、もっと一人ひとりの心に余裕が出てくるようにも思うけど、いかがでしょうか?(^^)

  • >>No. 19977

    うん♪



    >相対クン「おれの彼女はこのクラスの誰よりもかわいい」

    >絶対クン「誰かと比べてかわいいとか、そういう問題じゃないんだ。
         ただ、あの子が好きなんだ。他に代わりはいないんだ。」

    >・・・だそうです。


    そうですね。全く(^^)



    >ちなみに、「相対」の使用例として

    >『ある人の感じる幸福が他の人にとっての不幸であったりするのだから
    人間の幸・不幸は所詮、相対概念ではないだろうか。』

    >ってのがあったよ(* ̄m ̄)


    うん。
    わたしのいうのはそっちのほうかも?
    幸福を感じるのはなぜあいまいなのか?って話からきたんだよね。

    「自分」は「絶対に」、「誰がなんといおうと」(たとえ誰かが見て不幸だと思おうと)幸せだと思うから幸せなんだ。
    と思える人には、絶対の幸せがあると思うよ。

    たいていの普通の人間は比較検討した結果、不幸を感じたり、幸福を感じたりするもんじゃないのかな?と思うんだ。

    どうも世の中そういう価値観に染まってしまってる気がするよ。

    だから、ナニナニした人間は、これこれこういう言動をしちゃいけない。

    みたいな話にもつながってきてしまう。

    レ・ミゼラブルのように、一度パンを盗んだ人間は、市長になってはいけない、みたいな・・・

    これなんかは、わたしから見たら全く相対の世界なんだよね。

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