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  • 「富士曼荼羅図」

    室町時代の富士信仰を探る上で重要な資料で、正式には「絹本著色富士曼荼羅図」といいます。
    富士宮市の富士山本宮浅間大社の所蔵で一般公開はされていません。

    富士曼荼羅図は 下から下記の様に描かれています。

         富士山頂には 薬師如来、大日如来、阿弥陀如来。
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             左側には 月輪。右側には日輪。
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                 御室大日堂
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                 中宮八幡宮
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               村山浅間神社と興法寺
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              富士山本宮浅間大社と湧玉池
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                  清見寺
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                  駿河湾
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                 三保の松原(当時は島でした)


    ※ 以下はコピー貼り付けです。
    この絵画は狩野元信の壺形朱印があり、また本宮の社殿が浅間造でないことから、多くで室町時代作と考えられている。
    当時の富士信仰を探るにおいて非常に重要なものである。近藤喜博氏は『神道史学』にて以下のように述べている。
    この画家は少なくとも現実に大宮の社地を一度は踏んだことがあり、富士山の縁起や地誌的事を耳にして、筆をとっていると考えている。

    このようにこの曼荼羅図はデフォルトされた部分とは別に、信仰面においてはリアルな描写がされている。
    白衣姿の道者が登拝を行う姿、富士山本宮浅間大社の湧玉池にて禊を行う道者、その湧玉池の神聖な湧水の流れ(神田川)…当時の登山風俗をよく示している。

    この図の中心にある水辺は「湧玉池」であり、それほど禊を重視しているとも取れる。
    また道者が火を灯しながら登山をしているため、夜行登山であることも分かる。
    頂上にある三峰、阿弥陀如来、薬師如来の描写も重要な部分である。「参詣曼荼羅試論」で大高氏は「本図の作成が富士登山信仰を絵解くことに目的があった」としている。
    富士山は山頂に至るほど神聖とされていたが、本図もそのような意識があったと考えられる。1つ1つの空間を意識させる構成のように思える。

    当図は全体で237人の人物が描かれている。子供を除くと男性が209人、女性が22人であるという。道者とそれ以外の居住者が描かれており、各人物が如何様な身分であったかについて「参詣曼荼羅試論」では詳しく説明がなされている。

    〇清見寺付近
    清見寺と境内の三重塔が描かれている。門前の門については、ほとんどの文献で「清見寺関」であるとされる。「海の東海道」にはこの関所について以下のように説明している。

    船に乗った道者の着いたのは「蒲原船関」であろうという指摘があるが(永禄11年、駿府浅間神社文書)、それよりも吉原湊であると考えた方が、より直接的である。
    つまりここで「清見寺関」「蒲原船関」「吉原湊」の説があると言えるが、やはり「清見寺関」と考えるのが素直なように思える。
    他、「船(駿河湾で八隻)」「道者」「海水を汲む者」や「連歌師」などが描かれている。

    〇茶を販売する様子
    船にも道者が乗っていることから、地上にいる道者も船でやってきたことを示している。

    〇潤井川で禊をする者
    これらの図示から参詣曼荼羅試論では「参詣ルートを意識して描いていることが指摘できる」としている。

    〇富士山本宮浅間大社付近
    湧玉池で禊をする道者が描かれており、すべて男性である。

    〇流鏑馬神事
    この白馬であるが、参詣曼荼羅試論では「白馬の前方に腰から空穂をさげた二名の者がおり、彼らが弓を携帯していることから、この図像は本宮の流鏑馬神事を示していよう」としている。本宮と流鏑馬の関係を示すものは、文書では「武田勝頼判物」が初見であると思われる。

    〇村山浅間神社と富士山興法寺付近
    富士山興法寺の各建造物を示し、拝殿では巫女が舞う姿が見られる。
    その前に見える道者数名は女性である。僧とそれに同行する数人の者が居る。
    また下部の「竜頭滝」には注目である。この中で1名のみ、巫女の前に立つ道者と同様の格好をした人物(女性)が禊をしている。
    解釈としては「女性でも禊を行なっていた可能性がある」ということになる。

    〇上の僧の格好をした人物とその一行について、「この一行は、村山に文明18年(1486)に来訪した聖護院道興の一行を想起させるものがある」としている。服装が異なり、身分の高い高僧を意図している可能性は高いと思われる。

    〇3名の女性(中宮八幡宮と御室大日堂の間)
    またこの3名の女性が居る位置より上では女性が見当たらず、これが女性が登拝できる限界点を示している。つまり「女人禁制」である。

    御室大日堂より上は白装束であり、またそれより上はすべて白装束姿であることから参詣曼荼羅試論では「この場所で全ての富士参詣者が白装束に身を包むことが、形式化していたことがわかる」と述べている。


    富士山本宮浅間大社の湧玉池では数人の男が裸で池水につかり、垢離をとっている。
    その上方には村山浅間神社が描かれて、ここでも水垢離をとる道者が表現されている。
    登山者はここから俗界との縁を切り、森林中の踏みわけ通を登り始める。

    このように「俗界」とそれらとは異なる「聖地」の境界があったとしている。
    その接点となる場所に浅間神社が存在するのである。なので、浅間神社は「門」にあたると言える。
    登山道でいうところの起点である。
    だから浅間神社境内またはそれに隣接する形で必ず禊の場があるし、道者は水垢離を行なってから登山に入ったのである。
    その世界観を示したのが「富士曼荼羅図」である。
    また村山に関しては「今川義元判物」にて「村山室中」と表現され、同判物の中で村山を聖域とする旨が示されている。「村山室中」という聖域としての空間があり、そこは世俗とは一線を画す特別な空間であったのである。

    この仏の世界をわが目で見、自らの体で触れることができるということを説くために、このような「俗界」「神域」「聖地」という三区域に分けた図柄がつくられたのではないかと思われる。

    この曼荼羅図は富士山信仰を広める目的があり、富士信仰を絵画という形で説いたものとしている。



    画像は「富士宮市立中央図書館」の2階にある原寸大のレプリカを 店長が撮影したものです^^

  • 画像は 毎年5月5日に、富士山本宮 浅間大社で行われる流鏑馬まつり^^

    1193年。源頼朝が富士の裾野で巻狩りを行った際、武将を率いて浅間大社に詣で、流鏑馬を奉納したのに起因するといわれる。

  • 村山浅間神社と富士山興法寺大日堂(富士宮市 富士山世界文化遺産構成資産)

    平安時代末~鎌倉時代に、富士山頂に大日寺(大日如来を祀る)を建立したと伝わる末代上人(まつだいしょうにん=村山修験の祖)あるいは、末代上人にかかわる修験者が、富士山興法寺を創建し、村山浅間神社と共に神仏習合の地として発展しました。

    村山浅間神社の祭神(富士山信仰の神様)は、江戸初期までは「赫夜姫」(かぐやひめ)。

    富士講が栄えた江戸時代には、村山三坊(池西坊・辻之坊・大鏡坊)が 興法寺や村山浅間神社、集落と共に、大宮・村山口 登拝道や富士山 山頂の大日堂(本地仏の大日如来を祀る)を管理していました。
    さらに富士講では富士山の神様が「赫夜姫」から「木之花咲耶姫」(このはなさくやひめ)に変わります。

    江戸時代中頃に富士講が繁栄し、庶民の富士山登拝が盛んになると、関東からの登山者は、須走口(東口)、須山口(南口)、吉田口(山梨側)を使うようになり、静岡側の村山口はおもに関西からの利用者に絞られます。

    登山期間が終わると、村上三坊の修験者(山伏)が各地を回って火伏せや虫封じ、安産などの祈祷をしたり、お札( 護符) を配ったりしていました。

    しかし、明治初年の神仏分離令で、村山三坊の修験者は僧籍を離れ民間人になりました。 
    興法寺は廃寺となり、興法寺の中心的な堂社であった本地大日堂と村山浅間神社は分離され、村山浅間神社と大日堂は境域を分けられ、間に柵が設けられました。
    往時には富士山本宮浅間大社と肩を並べるほど隆盛した村山浅間神社は、富士山本宮浅間大社の摂社に組み込まれました。

    村山が管理していた富士山頂の大日堂は富士山本宮浅間大社へ売却され、富士山本宮浅間大社奥宮に変身。
    登山道の雲霧不動堂は雲霧神社へ改称されました。
    明治5年の修験道の禁止、明治7年の廃仏毀釈では、国家神道政策、明治天皇の神格化などに伴って「富士山山掃除」と称して山中の仏像はことごとく破却されてしまいました。

    現在でも、村山浅間神社境内には、富士山興法寺大日堂が残っており、富士山中で破却を免れた仏像等が展示され、神仏習合の姿をとどめています。


    画像は 江戸時代中頃に、村上浅間神社・富士山興法寺が発行した護符です。(店長のコレクションですw)
    富士山は、“庚申(かのえさる)の年に一夜にしてあらわれた” という言い伝えがあることから、護符に申が刷られています。

  • 投稿No.16に続き、富士山の神様、「木之花咲耶姫」が刷られた護符を紹介します。
    護符とは..版木を使い和紙に刷ったもので、災厄から身を守り、幸福を招くと信じられているお守り札のことです^^
    この様に、歴史をたどりながら富士登山すると、また違った感覚を覚えます^^

    画像は 村山三坊(※)の辻之坊が発行した護符で、江戸時代中頃の物です。(店長のコレクションですw)

    ※村山三坊とは..池西坊・辻之坊・大鏡坊の三坊が 興法寺や村山浅間神社、村山集落と共に、大宮・村山口 登拝道や富士山 山頂の大日堂(本地仏の大日如来を祀る)を管理していた。

  • 店長のコレクションから、大正15年の富士山 山頂の御朱印を紹介します^^
    ちなみに、大正15年は大正時代最後の年で、1926年12月25日までが大正です。
    この時は 同日から昭和となったので、昭和元年も12月25 日からです 。

    吉田口・須走口登山道の頂上に鎮座しているのが、富士山本宮浅間大社の末社である「久須志神社」です。
    ( 標高3,715mに位置する神社)

    画像の御朱印(左側)は大正時代の久須志神社で拝受された朱印です。
    右側の印は 九合目山室の印で、ここから胸を突つくらい急な登りが頂上まで続きます。

  • 画像の御朱印は 昨年の2017年8月26日に須走口から登頂し、久須志神社で拝受した御朱印です。

    投稿No.18の大正時代の久須志神社朱印と比較すると、時代の流れを感じますよね^^

  • 画像は 久須志神社の神職さんが朱印を押してる姿です^^

    富士講の名残が今も残っており、様々な朱印を拝受することが出来ます^^

  • 画像は投稿No.19・20と同じ日に拝受した御朱印です。
    見開きで戴きました♪^^

  • この画像と投稿No.19とNo.21の画像は 宮司さんから拝受した貴重な御朱印です^^

    今年は平成最後の日付になりますから(7月10日~9月10日の開山時期のみの拝受)今年も頑張って富士山に登り、浅間大社奥宮と久須志神社に参拝します^^

  • ついに7月10日(火)、富士宮ルート・御殿場ルート・須走ルートが山開きしました^^
    早速11日(水)店長は富士宮ルートから登って来ました^^

    夜勤が終わって0時30分に帰宅。そのまま寝ないで早朝3:00に家を出発。5:00に2合目の水ヶ塚公園駐車場に到着。
    (7月10日~9月10日までマイカー規制のため富士急のシャトルバスに乗り換えます。ちなみに往復1,800円です。)
    始発の朝6:00の便に乗り込み、6:30に富士山五合目駐車場に到着。
    朝日を浴びると体内時計がON!軽く準備運動して6:45に登山開始しました^^

    画像は富士山五合目です。
    お天気は絶好の登山日和^^但し午後から崩れる予報..

  • 画像は 富士山 表口五合目、富士宮ルートの登山口です。

    標高2,400mまでは木々の緑があり、マイナスイオンたっぷりです^^(富士山の森林限界は およそ標高2,400m以上で五合目辺り以上となる)

  • 登り始めて10分。すでに森林限界に到達。
    振り向くと雲海が..「下界からは 富士山の姿は見えていないんだろうなぁ」と思いながら、黙々と登る店長^^

  • 画像は 九合目の「萬年雪山荘 海抜3,460m」から見上げた景色です。
    左手に万年雪、上手の凹み部が富士山の頂上です^^

  • もうすぐ九合五勺の「胸突山荘」です。
    ここから、胸を突くくらい急な登りが頂上まで続きます^^

  • 画像は 胸突山荘(3,590m)にて。
    「お天気に恵まれます様に!」と、御来光を見る宿泊登山者の願いが込められた「てるてる坊主」

  • いよいよ頂上です^^
    画像は 表口富士宮ルート頂上入口の鳥居です。
    ちなみに八合目から上が浅間大社の境内となります。なぜ八合目か?というと、火口の大内院の深さが八合目まであり、江戸時代頃までは大内院はお賽銭箱だったそうです。

  • 画像は 富士山頂上の浅間大社奥宮(標高3,715m)にて^^
    6:45に出発して11:20に頂上到着。所要時間は店長のペースで4時間35分でした^^

  • 早速、浅間大社奥宮に参拝^^
    頂上で水が貴重なのか..手水舎はありません。

    奥宮は 表口(富士宮口)から上りつめたところの山頂に鎮座します。
    開山期には、神職が奉仕(一週間交替)し、国家安泰、氏子・崇敬者・登拝者の安全を祈念するほか、家内安全等の諸祈願、結婚式の奉仕、お札・お守りの授与、金剛杖・行衣等の御朱印の授与も行っています^^
    浅間大社奥宮の御扉には大きく金色で「※國鎮無上嶽」と書かれています。

    ※國鎮無上嶽とは
    國を鎮める 国をしずめる
    無上 それ以上のものはない
    嶽 たけ やま
    いつまでも美しい日本一の山でありますように。国も平和で安全な国でありますように。

    という願いが込められています^^

  • 画像のブルで、物資、関係者や神職さんを運びます。
    五合目~頂上まで登りは2時間半、下りは1時間弱らしいです。(胸突山荘の人に聞いた話です)

  • 富士山最高標高地点の「剣ヶ峰」と「火口(大内院)」を眺めながら、のんびりと昼食^^

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