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投稿コメント一覧 (64コメント)

  • かくして、神話と起源説は作られる!!





    これが、韓国起源説、第一号だあああーーー!!!





    朝鮮戦争の折、テコンドーの生みの親、崔泓熙(チェ・ホンヒ)は、徴兵されそうになった時、小さな漁船で釜山から日本に密入国し、トンズラしてました!!
    休戦協定締結後、のこのこと韓国に帰り、陸軍に入隊し、将官にまで出世した、実に厚顔というか、恥知らずな人間ですが! 
    まあー、日本で言えば非国民ですが、韓国では・・・

    1955年4月11日、「テコンドー」という名称が、崔泓熙(チェ・ホンヒ) が日本留学中に学んだ松涛館空手を元に独自の工夫を加えて、正式に命名された。

    「テコンドー」命名以前 、1940年代中盤の朝鮮半島では、韓国併合後に日本から伝わった空手が「コンスドー(空手道)」、「タンスドー(唐手道)」などの呼称で普及しはじめた。当時の主な道場勢力は以下の通りである。

    青涛館(1944年 - )
    初代館長は李元国(イ・ウォングク)。日本留学中に松武館の盧秉直とともに松濤館へ入門、船越義珍に師事。朝鮮戦争勃発時、軍の召集を拒み日本へ密航した。青涛館の分館として4つの道場が派生。

    吾道館
    館長は崔泓熙(チェ・ホンヒ)陸軍少将。軍隊内でその教義を広め、民間道場とは一線を画していた。「テコンドー」の名称が決まるまでは自らの雅号「蒼軒」に因んで「蒼軒流唐手」と称していた。ベトナム戦争時は657名のテコンドー師範を同地に派遣した。

    国武館

    正道館

    青龍館

    松武館(1946年 - )
    館長は盧秉直(ノ・ピョンジク)。日本留学中に青涛館の李元国とともに松濤館へ入門、船越義珍に師事。後に大韓テコンドー協会の第5代会長に就任。

    朝鮮研武館空手道部 / 智道館(1946年 - 1967年)
    館長は田祥燮(チョン・サンソプ)。 柔道道場内に発生。後年、智道館に改称。

    YMCA拳法部 / 彰武館(1946年 - )
    館長は尹炳仁(ユン・ピョンイン)。後に智道館と親交を深める。後年、彰武館に改称。この分館として講徳院、韓武館等がある。

    武徳館
    館長は黄琦(ファン・ギ)。鉄道局内のクラブとして発生。黄琦は南満州で中国武術を学んだとしている。後に「手搏道(スバクドー)」の名称で普及、大韓手搏道会の前身にあたる。

    「テコンドー」命名 ;1950年代、韓国内の武道団体統治の動きは武道自体の名称統合の流れを生み、「テコンドー」が命名される。国政の動乱の中で一度は解体されるも、命名者崔泓熙の活動により復活を果たす。

    1950年 - 朝鮮戦争が勃発。臨時首都のあった釜山で「大韓空手道協会」が創立される。中央審査委員の資格が付与されないことを理由に、武徳館館長の黄琦と青涛館館長の孫徳成(ソン・トクソン)が脱退。

    1953年 - 黄琦、「大韓唐手道協会」を独自に発足。

    1954年 - 崔泓熙陸軍少将を含む第29歩兵部隊が李承晩大統領の前で演武を行う。空手を知らない大統領はテッキョンと断定したままこれを賞賛、軍内での普及を宣言。崔泓熙は反日の立場を取る大統領に向かって日本の武道である空手とは言えず、またテッキョンとも違うことから自らが創始した武道であると伝える。

    ここから、韓国起源説の、第一弾が始まったのですよ!!!

  • 史実は歴史家に任せておけばよい!!




        
          政治家に必要なのは、歴史認識だ!!





             史実と歴史認識は、違っていてもいいのだ!!





                           かくて、歴史は物語となった!!





            浪曲師、 女講談師が、うんかのごとく誕生させられた!!!




    ソウル大学名誉教授安秉直(アン・ビョンジク)を代表とする「挺身隊研究会」は韓国挺身隊問題対策協議会と共同で1992年7月から12月にかけて慰安婦と名乗り出たうちの生存者55人中約40人に聞き取り調査を行なった。一人あたり5、6回以上の長時間の面接調査、記録資料との確認、スタッフは報告書を3回以上輪読、その後の再面談を経てまとめられた。

    調査の結果は半数以上が「意図的に事実を歪曲していると感じられる」などの理由から脱落し、最終的に証言集に掲載できたのは19人であった。


    現代朝鮮研究者の西岡力は安秉直調査による証言集に掲載された19人のうち、官憲等による「強制連行」だったと証言する女性は4人だけであり、その4人のうちの2人が語ったのは日本内地の富山県と釜山の「慰安所」であった。しかしいずれも戦地ではなく、現地には公娼にいた遊郭があったため、軍がわざわざ強制連行する必然性がなく、信ぴょう性がないとした。

    残り二人は金学順と文玉珠であり、文玉珠は当時2万6145円を貯金していた(当時の3万円は現在での約1億3606万)慰安婦であるが、高木弁護士の作成した訴状ではビルマの慰安所に連行されたと証言しているのに、安秉直教授らの調査ではビルマの前に満州に連行されたと異なる証言をしたが、訴状作成の時点でなぜ満州への連行を陳述しなかったのか、その合理的理由が不明であり、信ぴょう性にかけると西岡は指摘している。

    また両名共、日本政府を訴えた裁判の訴状では元「キーセン」であったと自ら認めていると西岡が『文藝春秋』1992年4月号に発表した「慰安婦問題とは何だったのか」(以下、西岡論文)で指摘したところ、西岡の指摘後、金学順は「キーセンに売られて中国に連れて行かれたのだけど、業者の人と北京の食堂でご飯を食べていたら日本の軍人が来て連行された」とそれまでの証言を変えた。

    金学順は1991年12月の訴状作成の時点では「養父に連れられて中国に渡った」と証言していたのを、1992年7月からの安秉直教授らの調査では「北京で日本軍人に暴力的に連行された」と証言を変更しており、西岡力は裁判に有利なことを訴状で意図的に隠すとは思えず、こうした証言の変化は西岡論文での指摘を受けて付け加えたものとみるのが自然であると指摘している。

    西岡力はこのように、信ぴょう性のある証言を行った日本軍に強制連行された朝鮮人慰安婦は一人もいなくなるとしている。

    安秉直ソウル大学名誉教授は2007年3月にも「私の知る限り、日本軍は女性を強制動員して慰安婦にしたなどという資料はない。貧しさからの身売りがいくらでもあった時代に、なぜ強制動員の必要があるのか。合理的に考えてもおかしい」と発言し、当時兵隊風の服を来たものは多数いたし、日本軍とは特定できない、と発言している。

  • コリアン型ポスコロに狂い、




    我が国に執拗な破壊と名誉毀損を繰り返し、





    目に余るので、




    事実を突きつけておこう。


    なお、コリアン型ポスコロとは

    「旧植民地人のコリアンは、
    旧宗主国の日本人に対して際限のない搾取をすることが許される」

    というカルト宗教。
    植民地解放が終了した今は、

    「日本人は朝鮮人の奴隷、
    朝鮮人は日本人の主人」

    の、“逆・植民地”時代が到来したとする。

    これが「反日」の理論

    本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波書店)
    姜尚中編『ポストコロニアリズム』(作品社)
    などを参照。


    なお、
    ポスコロは国家意識を消滅させるイデオロギーなので、
    ポスコロに犯されると、
    日本の子供たちは日本国民であることの認識ができなくなる。
    不用意に、
    上に上げた本を読まないこと


    日本は日本らしく
    我々は我々らしく

  • ギガ領域に達したコンプレックスは、


                          恨に生まれ変わる!!


                  度を越えた恨は、


                         常軌を逸した怒りに相転移する!!


                  現代医学における不治の精神病とされる!!





    火病(かびょう、ひびょう、ファッピョン、朝: 화병)は文化依存症候群(文化結合症候群)のうち、朝鮮民族特有の精神疾患と指摘されている病気。韓国の会社員の35.2%が、好ましくない上司と後輩を見た時に、火病になる。

    火病という用語は、中国明時代の漢方医・張介賓が使用したもので、李氏朝鮮時代に朝鮮半島に伝わった。
    韓国の民俗的症候群で(憤怒症候群)英語ではanger syndromeに当たる。

    火病または鬱火病は、怒りの抑制を繰り返すことでストレス性障害を起こす精神疾患を指す。アメリカ精神科協会では、火病を朝鮮民族特有の文化依存症候群の一つとして精神障害の診断と統計の手引きに登録している。

    かつては患者の80%が女性だったが、近年は男性の患者も増加傾向にある。2012年現在、韓国の小・中・高校生648万人のうち105万人(16.2%)は、うつ病の兆候や暴力的な傾向を示す「要関心群」で、そのうち22万人は、すぐに専門家の診断や治療を受けるべき「要注意群」であることが分かっている。

  • 徹底的に、ディスカウントさせろ!!





           容赦なく、ディスカウントさせろ!!





                      何を??    誰を??





            日本そのものだよ!!





              これが、“ディスカウントジャパン運動”作戦だ!!!





    韓国は、慰安婦問題、竹島問題、日本海呼称問題、靖国神社問題、歴史教科書問題、旭日旗、など様々な問題で、韓国国内だけでなく世界各地で、反日宣伝を行っている。国際連合安全保障理事会改革でも日本の常任理事国入りに反対している。

    2012年夏から世界各地で、体操のユニフォーム、電子機器のデザイン、美術展、格闘技の道着、弁当のパッケージ、プロモーションビデオ、菓子の広告、など様々な物が旭日旗に似ているとし、旭日旗はナチスのハーケンクロイツと同じく軍国主義や侵略の象徴である「戦犯旗」であるとして、韓国人が非難する動きが相次いでいる。

    Voluntary Agency Network of Korea(略称 VANK)という会員数10万人の団体が、2005年から、世界で日本の地位を失墜させるための「ディスカウントジャパン運動」を開始し、日本海呼称問題、竹島問題、慰安婦問題、歴史教科書問題、などで、インターネットを通して、世界各地で反日宣伝を繰り広げている。2013年からは「アジアで日本をのけ者にさせる」戦略を拡大し、真珠湾攻撃、バターン死の行進、南京大虐殺、などの宣伝を通して世界各国で日本のイメージを悪化させようと図っている。

    米国で、「ニューヨーク韓人会」、「韓国系米国人権利向上協会」、「韓米公共政策委員会」(KAPAC)、「KACE」(korean american civic empowerment)、「korean american coalition」などの在米韓国人団体が、従軍慰安婦非難決議採択、慰安婦記念碑建立、などの反日プロパガンダ、反日ロビー活動を行っている。

    ソ・ギョンドク(徐敬徳、誠信女子大学教授、)は、竹島問題、日本海呼称問題、慰安婦問題、などで、ニューヨーク・タイムズに広告を掲載したり、タイムズスクエアにも大型広告を掲示している。第3回ワールド・ベースボール・クラシックでも、在米韓国人によって、準決勝と決勝が行われるサンフランシスコの球場のそばに、竹島の韓国領有を主張する大型広告が設置された。

    韓国でも稀に反日主義を批判し日本を擁護する人物が現れる事があるが、「親日派」とされて強烈に攻撃され、社会的な立場を失い、法的な措置が取られる事さえある。韓国では「親日派」とは売国奴の同義語である。「親日反民族行為真相糾明委員会」や「親日派リスト」を作って「親日派」を糾弾し、「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を制定して、「親日派」の子孫の財産を奪っている。

  • 悲劇的に述べてひきつけておいて、






    問題点をあげ、「今後」につなげていく






    ちゃんと今後の自分の飯の種を撒いておく






                    ディス イズ ザ “差別ビジネス”






    凶悪犯罪、金嬉老事件(きんきろうじけん)に群がる差別ビジネス。


    昭和43年(1968年)2月20日夜、静岡県の清水市のバーで借金返済を迫る暴力団員3人のうち二人をいきなりライフルで撃ち殺した無職・金嬉老(キム ヒロ 39)が車を奪い闘争し、温泉旅館ふじみやに押し入り、宿泊客ら16人を人質に88時間に及んで篭城した事件です。

    金嬉老は清水市の生まれです。父親は建設労働者でしたが、昭和6年に事故死し、母親は2年後に再婚しますが、生活は苦しく、小学校は5年で中退し、丁稚奉公にでます。その後、盗みをやり清水警察につかまりますが、姉とともに鈴与レンガで働き、軍関係の飛行機工場で働き、清水に帰るとまた窃盗で捕まります。少年院に送られますが、終戦によって出所。その後も窃盗、詐欺、強盗の犯罪を繰り返しますが、冒頭に書いた殺人事件を起こします。そして記者に変装した刑事が飛び掛って取り押さえます。

    金は静岡地裁で意見陳述を行い「日本の皆さんに迷惑をかけたことを謝罪する」と述べています。一方「私たち民族に対する醜い偏見や差別、ひどいことが多々あるんだと、それはあってはいけないんだと・・・」 これはもう知識人やマスコミが飛びつくような内容で、当時やはりそうでした。

    金は無期懲役でした。面会は自由で、房内には金品、ラジオ、カメラ、包丁、ヤスリ、エロ写真まであったといいます。そして70歳で仮釈放され、支援者に導かれて故郷釜山に帰りました。韓国では「差別と闘った在日英雄」として迎えられました。おそらくこの当時としても「差別」だけクローズアップして偏向報道していたのでしょう。素行をよく見ると擁護する気にもなれません。

    この金を擁護する意見の中に、現在よく知る有名人に姜 尚中(カン サンジュン 東大教授)や辛淑玉(シン スゴ)が目につきます。


    姜 尚中 1999年9月7日毎日新聞

    「金氏は当時の在日韓国・朝鮮人が共有していたものを、自滅的にアピールした。在日韓国・朝鮮人はその姿に自らの内なる『金嬉老』を感じた。(略)最近、日韓が急速に接近し、よい関係にあんって(?)いるが、金氏を生み出した構造は残ったまま。事件から学ばず、歴史の中に封じ込めれば、今後、第二、第三の金氏が生まれる可能性がある」

    ちょうど、金氏が釈放されたときのコラムと思われます。さすが「差別ビジネス」で飯を食っているだけのことはあり、悲劇的に述べてひきつけておいて、問題点をあげ、「今後」につなげています。ちゃんと今後の自分の飯の種を撒いています。このコラムで一番苦々しく感じたのは善良な在日韓国人ではないでしょうか。自らの内なる『金嬉老』を感じた、と述べているあたり、日本人の警戒心は高まります。姜尚中氏のエゴイズム的発言といえます。

    さて、金氏は平成11年(1999年)に仮釈放され、獄中に結婚した韓国人女性と同居します。この妻が翌年には現金や預金通帳など持ち出して行方を絶ちました。同じ年に金は釜山市内のアパートに押し入り、部屋にいた男を手製の竹やりで脅し、1時間にわたって監禁します。

    金はこの男の妻と親しい関係にあったといいます。金は殺人未遂と放火容疑で逮捕され、懲役2年6ヶ月の判決をうけ、治療看護所に収容されました。どうみても根っからのワルですが、こういうのはもう報道しないか、飯の種を見つけた「差別ビジネス」がまた日本の差別のせい、として取り上げるかでしょう。

    2010年、金氏から入国申請があったようですが、どうなったのでしょうか?被害者アイデンティティに人生の根拠と動機を見出している人間には自己責任の感覚がない、といいます。


    ※金嬉老氏は入国許可申請ニュースの1月後3月26日に前立腺がんのために釜山市の病院で死去していました。享年82。本人の希望により、遺骨は静岡県掛川市に納められています。祖国韓国より故郷日本がよかったということで、差別されたイヤな国ではなかったということです。また、ことのほか、石川啄木の歌集を愛読したことが知られています。ご冥福は、あえて祈りません。

  • これは、現在進行中の人身売買である!!





                    そして、現代における奴隷制の一つである!!






    <米政府・米軍の勧告>
    2010年にアメリカ国務省は韓国の米軍基地周辺のバーで働く女性達の状況について、現在進行中の人身売買であるとする報告を行っている。2012年に在韓米軍はジューシーバーで高いドリンク代を支払うことは現代における奴隷制の一つである人身売買業を支援することであるとする動画をユーチューブに投稿した。


    <基地村浄化キャンペーン>
    全斗煥政権(1980年 - 1988年)の時代には、全斗煥大統領による基地村浄化キャンペーンが実施されると売春婦とアメリカ兵との関係の発展を目指して、エチケット講義が行われるとともに頻繁に薬物療法が行われるようになった。医師免許を持たない医者達の前で脚を広げることを強制され、抗生物質を打たれて死にいたる女性もいた。女性達が逆らうと医者達に暴力を振るわれて監禁されることとなっていた。


    1990年代から現在まで
    朝鮮戦争時に設置された束草の慰安所は休戦後、私娼の集娼地が形成され、1990年代まで軍の慰安所として機能していた。1990年ころも、軍の訓練所の外に 俗に「毛布部隊」と呼ばれる私娼窟があった。

    韓国では旧日本軍慰安婦問題だけでなく、在韓米軍を相手にした慰安婦(売春婦)の問題も、在韓米軍慰安婦問題として社会問題にもなっている。1990年までに韓国における米軍相手の売春婦は25万から30万にのぼった。

    ○尹今伊殺害事件
    1992年10月には、米兵のケネス・マークル(Kenneth Markle)が米軍専用クラブの従業員で「洋公主」の尹今伊(ユン・クミグミ)を殺害し、ちつにコーラ瓶、肛門には傘が刺され全身に洗濯用洗剤がまかれたままの遺体で見つかるという尹今伊殺害事件が発生し、反米運動にまで発展し、翌1993年には駐韓米軍犯罪根絶運動本部が設置された。
    <注>ちつを漢字で書くと、この掲示板では投稿を拒否されます。

    <韓国と米国に対する慰安婦訴訟>
    2009年、韓国系アメリカ人の元慰安婦らが米兵との性的行為を1960年代から1980年代にわたり強制されたとして、米軍と韓国政府に対して損害賠償をもとめてアメリカで提訴した(在韓米軍慰安婦問題)。原告の慰安婦らは韓国政府は米軍のためのポン引きだったと批判している。
    その後、謝罪と補償を求める女性たちもいるが、韓国最高裁は売春である不法行為に基づく損害賠償請求であるとして棄却している。

  •  韓国全土が震撼!!



                  巨大竜巻か???



               雷鳴とどろく



                    驚愕の稲妻寄稿文!!




               ついに、学会の重鎮、重い口を開く・・・




    「中央日報」05/03/04

    「日本の植民支配は祝福すべきこと」高麗大教授が寄稿文

    市民団体「自由市民連帯」の共同代表であり高麗(コリョ)大名誉教授の韓昇助
    (ハン・スンジョ)氏(75)が、日本の月刊誌「正論」4月号に、「日本の植民地
    支配は不幸中の幸いで、むしろ祝福すべきこと」という要旨の寄稿文を載せ、波紋が
    広がっている。

    「正論」は産経新聞が発行している雑誌。 今回の寄稿文は、韓教授が運営するイ
    ンターネットサイト「賢明な少数のためのサイバー討論の場」(www.wisemid.org)
    に先月9日付で掲載された本人の文とほぼ同じ内容だ。

    韓教授は「共産主義・左派思想に根差す親日派断罪の愚かさ:韓日併合を再評価せ
    よ」という寄稿文で、「盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が今回『親日反民族行為真相究
    明特別法』を制定した理由は、次期大統領選候補として出てくることが予想される朴
    槿恵(パク・クンヘ)ハンナラ党代表の政治的土台を崩すためのもの」と主張した。

    また「韓日併合は民族的に不幸であるが、不幸中の幸いか、または不幸そのもの
    だったかは、注意深く見るべきだ」とし、「当時の情勢を見ると、韓国がロシアに占
    拠、併呑されなかったのはむしろ幸いだった。 万が一、ロシアに併呑されていれ
    ば、1917年のロシア革命で韓国は共産化を免れなかったはず」と主張した。

    寄稿文は「韓国の民族文化は日本の植民統治期間を通じてもっと成長した。 韓国
    学研究の基礎を築いたのも日本人学者と韓国人の弟子たちだった」とし、「こうした
    点を考えると、日本の植民地支配はむしろ幸運、祝福すべきことであり、日本人に感
    謝しなければならないこと」と主張した。

    寄稿文は特に、従軍慰安婦問題について「水準以下の左派的な心性表出の一つが従
    軍慰安婦問題」とし、「戦争中に軍人が女性を性的慰安物として利用したのは日本だ
    けのことではなく、日本が韓国女性を戦争中に利用したのも一時的で例外的な現象
    だった」と主張した。

    さらに「それほど大きな被害でなかったにもかかわらず、屈辱を受けたという老婆
    を前面に出して何度も補償金を要求する」とし、「これが高尚な民族の行動といえる
    のか」と反問した。

    一方、市民団体とネチズンらは韓教授の寄稿文について、「日本極右派の妄言が韓
    国の教授の口から出てくるとは信じられない」とし、一斉に非難した。

  • 現代史上最高のプロパガンダ!!



                 もっともっと、煽り立てろ!!



            相手の奥深く、協力者を、どんどん潜り込ませろ!!



                 宣伝・扇動こそ、外交的勝利への早道!!!



    自国にも慰安婦が存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国(韓国軍がベトナム戦争時に現地女性を多数強姦し、私生児を残したことが社会問題になった)や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用するプロパガンダであるとの主張もある。また日本に対する道徳的優位を誇示することで得られるナショナリズム的な「民族的快感」のために韓国は慰安婦問題を国際社会において利用しているとする見方もある。


    韓国系アメリカ人の研究者でサンフランシスコ州立大学教授のサラ・ソー(C.Sarah Soh)は2009年の著書で、慰安婦を「性奴隷」や戦争犯罪とむすびつけて描写するのは不正確であるとしたうえで、韓国政府と韓国議会が日本軍慰安婦問題を扇情的に扱い、異論を許さないまま「日帝による被害の物語」を国民に押し付け、誤導したと批判している。

    ソー教授は「慰安婦が強制連行された」という物語は陳腐な教義であり、韓国政府の政治戦略的な誇張が慰安婦問題の深い理解とその解決を妨害しているとして、韓国社会が被害者意識から脱却すること、また韓国もまた元慰安婦にトラウマを与えた共犯者であり、慰安婦制度それ自体は戦争犯罪ではなかったことを受け入れるべきだとした。テンプル大学のジェフリー・キングストン教授はこの本について、勇気あるこの著書は慰安婦問題への理解を深めるものであり、また日本と韓国の和解を期待させると評した。

  • 孤高の鷹は、あまりにも高く飛びすぎたのか??






            あまりにも高すぎて、誰も追いつけない!!







                半島の歴史学の泰斗、ここに絶言を残す!!






         嗚呼!! 君これを聞かずして現代史のページをめくることなかれ!!





    崔基鎬(チェ・キホ、1923年 - )は、韓国の大学客員教授。
    明知大学校助教授、中央大学校、東国大学校経営大学院教授を経て、加耶大学校客員教授。

    私は80歳になります。ここまで生きてきて、やはり韓国のためにも日本のためにも、自分の思うことを正直に語りたい。それが本音です。ご承知の通り今の韓国では、植民地時代の日本統治を肯定的にとらえて発表することは、相当の覚悟がいります。極端な話、身の危険も覚悟しなければなりません。しかし私の使命として、どうしても言わなければならないと思っています。なぜなら、歴史を歪曲するということは、国の進むべき方向を間違わせてしまうからです。

      実のところ韓民族は、いつも身勝手な解釈で歴史を解釈し、これがもとで幾度も実態を見誤り、国を滅ぼしてきたのです。とくに危惧するのは、それが韓民族の宿痾であるということです。だからなおのこと私は、歴史の真実を見る重要性を訴えたいわけです。

      一つ最近の現象をいえば、北朝鮮寄りの韓国政府の動きがそれです。日韓併合前の朝鮮は李氏朝鮮によって支配され、それが500年続きました。その時代がどんなであったか。日本人はそれを知らなすぎます。大多数の国民が飢餓に苦しんでいても、一切顧みることなく自分の体制を守ることだけに専念する、そういう時代でした。いうならばいまの北朝鮮と同じです。
      北朝鮮は日本時代の遺産をすべて壊し、李氏朝鮮の時代に戻っているにすぎません。

    中国のいう歴史認識の共有は、中国のいう通りにしろということです。そんなことはすべきでないし、できるはずもない。支・那事変というのは、日本が中国共産党と戦った防共戦です。これをはっきりと認識しなければなりません。向こうはアジア、中国、日本を共産化しようとしていた。背後にはソ連のコミンテルンの野望がありそれと日本は戦った。日本の軍隊がいたからこそアジアは、日本が敗れるまで共産化されなかった。日本が敗れたために中国も満州も朝鮮も共産化されてしまった。

      それを知っている人は世界にいなかったわけではありません。ローマ法王のピオ11世はよく分かっていた。支・那事変が始まった年の10月にメッセージを出しています。全世界の3億5千万のカトリック信徒に対して、日本の支・那事変は侵略戦争ではない。共産党と戦っている。共産党が存在するうちは、全世界のカトリック教会、信徒は日本軍に遠慮なく協力せよといっています。だからこそ戦後マッカーサーが靖国神社を解体しようとしたときに、カトリックのビッター神父、バーン神父は反対した。

      靖国神社の近くに白百合学園という女学校があります。靖国神社の前を横切るときに生徒は頭を下げる。どうしてかと気になっていた。それはローマ法王にお伺いをたてたら頭を下げるようにと指導があったという話でした。

      結局中国共産党は戦争を一番望んでいた。昭和7年、満州事変の2年後に対日宣戦布告を出しています。昭和9年にも同じようなものを出しています。蒋介石の国民党軍と日本を戦争をさせて、その間に自分たちの勢力を伸ばして中国を共産化するという戦略だったわけです。

      支・那事変が始まった後、毛沢東が出した指令があります。日本との戦争では、七分の力をもって党勢を拡大せよ、二分の力をもって国民党と妥協せよ、残りの一分の力をもって日本と戦争せよというものです。

  • 日本統治は、韓国人の命を救った
    2013/09/15 00:00

    「下水道は、市内の汚水を昼夜絶え間なく城外へと排泄したている。
    そのため、下水道の泥は真っ黒で、遥かな昔からの汚水によって
    染められ悪臭を空気中に放散して旅人を悩ましている」
    「ソウルは汚いことと臭いことでは世界一である」
    これは、イギリス人のイザベラ・バードの
    「30年前の朝鮮」に記されている言葉です。


    韓国では、17世紀から19世紀にかけての200年足らずの期間に、
    年間10万人以上が死ぬ規模の疫病が6回もありました。


    日本が韓国を保護国としていた1907年、
    韓国総監の伊藤博文公は、大韓医院を創設、
    朝鮮総督府の前身である韓国総督府は、
    1909年、慈恵病院を設立することを定めた官制を発布しました。
    韓国での本格的な医療が開始されたのです。


    日韓併合の1910年から厳しい防疫や検閲が実施され、
    コレラやペスト、天然痘などの流行は、
    1918年から1920年を最後に絶えたのです。
    また、ハンセン病患者のために、
    6000人収容という世界的規模の小鹿島更生園も造られています。

    朝鮮半島の人口は、1753年には、約730万人、
    1850年には、約750万人、1906年には、約980万人、
    1912年には、約1400万人、1938年には、約2400万人となり、
    日韓併合により、韓国人の人口は、倍増したのです。

    現代の韓国人は、日本が半島から人命を奪ったと言いますが、
    史実は、日本により、韓国人は命を助けられたのです。

    2012年10月12日付けの朝鮮日報は、
    「ソウル大学医学部のシン・ドンフン教授と檀国大学医学部の
    ソ・ミン教授の研究チームは10日、景福宮の垣根や光化問広場にある
    世宗大王像のほか、市庁舎、宗廟の広場などの場所で、
    14世紀~19世紀の地層から回虫、鞭虫、
    肝吸虫などさまざまな寄生虫の卵が発見された」と報じています。

    シン教授は「ソウルの四大門の内側に当たる場所から
    寄生虫の卵がたくさん出てきたということは、街に人糞が散在し、
    多くの人が寄生虫に感染していたことを示す証拠」と語っています。

    今も当時の面影を残す慈恵病院 ↓

  • 韓国人にハングルを教え、韓国語を守ったのは日本
    2013/09/18 00:00


    韓国では世宋時代の1443年にハングルの28文字が創出されました。
    これは日本の平仮名などを参考としています。


    何故、韓国が独自の文字の創出に時間がかかったかといえば、
    中国の属国であったため、嫌疑を避けるためと思われます。
    1504年、学府の成均館ではハングルの教授が禁止され、
    燕山君の時代になると正音書籍を燃やし、ハングルは厳禁となりました。


    日本人によるハングル研究は、
    1872年対馬厳原に朝鮮語学所を設置したことに始まります。
    近代朝鮮語を科学的に体系化したのは、
    金沢庄三郎氏と小倉進平氏です。
    漢字交じりのハングルは、福澤諭吉氏の提案です。


    ハングルが韓国国民に教えられ始めたのは、日韓併合後です。
    識字率が低かった韓国人にハングルを教えるため、
    1911年8月、朝鮮教育会が発足し、「朝鮮語及び漢字」
    「諺文より始めて漢字交じり文及び平易な漢字」
    を教育することが決まりました。


    現在の韓国人は、日本がハングルを奪ったと主張しますが、
    朝鮮総督府の教育政策は、ハングルを禁止するどころか、
    日常の手紙すらハングルで書けない韓国人知識者のためにも、
    ハングルを教えたのです。


    1938年、玄永燮は、南次郎総督と会見し、朝鮮語全廃を提案、
    しかし南総督は、「日本語使用は良いが、朝鮮語排斥は好ましくない」
    とし、朝鮮語を守ったのです。

  • 台湾日本語世代が語る真実の歴史
    2013/10/15 00:00

    日本の侵略が云々と言っている輩がどれほどかつての
    台湾同胞の心を傷付けているのか気付かないのですか?
    彼等はかつて日本人であったことに誇りを持っているのです。
    自ら志願して、大東亜戦争に参加したのです。


    貴方は、国旗や国歌に反対のようですが、
    烏来にある「高砂義勇軍慰霊碑」には
    毎日「日章旗」が翻っていることをご存じですか?


    「飛虎将軍廟」では毎日「君が代」を歌って、
    日本の兵隊さんを祀っていることをご存じなんですか?


    台湾の戦友会の年老いた方々が毎年、
    靖国神社に参拝にいらっしゃっていることをご存じなんですか?
    日本が敗戦したと同時に、我々台湾も敗戦しました。

    靖国神社には台湾の元日本兵士2万8千柱が眠っておられます。
    私は勿論、台湾人の英霊だけでなく、全ての英霊に黙祷を捧げました。
    英霊達は、侵略しているんだ、という気持ちを持ちながら
    戦いに出られたのでしょうか?

    違います。

    多くの兵士は、自分の祖国を守る為に、
    あるいはこれからのよりよき世界を作る為に、命を捧げられたのです。
    日本政府は台湾を無視し続けて、
    どうして中共の顔色ばかりうかがっているのですか。

    これが2万8千人の台湾人が尊い命を捧げた国の招待ですか。
    日本の国会が謝罪する事は、日本の戦死者の冒涜ばかりではありません。
    台湾人の戦死者への冒涜でもあることも銘記してもらいたいと思います。

    (平成6年8月15日、黄昭堂氏)


    高砂義勇軍慰霊碑 ↓

  • 李登輝先生の「靖国論」
    2013/10/12 00:00

    当時の軍隊の中では、
    「死んだら靖国で会おうな」と普通に会話していた。
    台湾出身であろうが、朝鮮出身であろうが、
    同じ日本の兵士として御国のために命を捧げ、
    死んだら靖国神社で会おうというのが、
    私たちの日常の感覚だった。


    戦死したら当然 靖国神社に祀られるはずだったのだ。
    それが裏切られるとはつゆほども疑わなかった。
    一種の安心感の源だったのだ。

    先ほども述べたように人様々だから、
    今となってはそんなことも思い出したくない人が
    いても不思議ではない。
    だが私はそうだったのだ。
    だから今なぜ「靖国神社問題」が起きているのか、
    私には理解できない。
    日本人はまた中国共産党の謀略に引っかかっているのではないか。

    国のために戦い死んだ兵士、指導者を悼み、
    参拝するのがなぜ悪いのか。
    彼らが取った手段や判断に批判があっても良い。
    すべてを正当化するわけではない。
    批判は批判としてあるべきだろう。

    しかしいま 我々が生きている国を守ろうと
    命を捧げてくれた人に対して、
    感謝の気持ちを 抱くことのどこが悪いのだろうう。

    昭和20年ルソン島で戦死した兄、李登欽も靖国神社に祀られている。
    私はそれが今でも兄とつながる支えだ。


    李登輝元台湾総統

    靖国神社を参拝される李登輝先生 ↓

  • 朝鮮人の現金収入を守るために奔走した日本人
    2013/10/18 00:00

    「近来、朝鮮人は、米価暴騰に伴って、
    地方に多数の成金を生じ、都会に出てくる者が続々と出ている。
    彼等は、金にまかせて高価な家屋を買い求め、
    日本人等は、家屋を高く売りつけ、
    地方に引っ込むという、珍現象が起こっている。

    預金も、近来は著しく増加し、
    工業も次第に盛んになろうとする傾向がある。

    組織的に資金を投資するまでには、まだ至っていないが、
    早くその域に到達しようと、朝鮮人の態度も最近は一変している。」
    (朝鮮銀行総裁・美濃部俊吉)


    朝鮮の米は、1918年の米騒動に伴なう、
    米不足のときを唯一の例外として、日本にとって不必要であった。

    それ以外では、日本は米が過剰で、
    価格の暴落防止のため、 内地の日本人農家にとって
    朝鮮米の日本への移入は、「敵」であった。

    現実に、1930年と1931年には
    大豊作によって米価は暴落した。

    日本の農家は朝鮮米の移入制限を強く要求した。
    1934年、この日本の農家の要望に応じた
    臨時米穀移入調節法案が策定されていた。
    この法案の国会上程を阻止したのが、
    朝鮮米の品種改良の大功労者である石塚峻であり、
    また朝鮮総督府であった。

    当時の朝鮮農家は米を日本に売って
    高額の現金収入を得ていたから、
    朝鮮農業を愛し自らの人生を朝鮮に捧げた石塚や総督府は
    朝鮮人のこの現金収入を守るために奔走したのである。
    朝鮮総督府は日本農民にとって「反日」権力であった。


    中川八洋氏著 「歴史を偽造する韓国」より

  • この国の正体は一体どうなっているのか??






                老躯を駆って、正鵠を射る!!






    日本の侵略が云々と言っている輩がどれほどかつての
    台湾同胞の心を傷付けているのか気付かないのですか?
    彼等はかつて日本人であったことに誇りを持っているのです。
    自ら志願して、大東亜戦争に参加したのです。


    貴方は、国旗や国歌に反対のようですが、
    烏来にある「高砂義勇軍慰霊碑」には
    毎日「日章旗」が翻っていることをご存じですか?


    「飛虎将軍廟」では毎日「君が代」を歌って、
    日本の兵隊さんを祀っていることをご存じなんですか?


    台湾の戦友会の年老いた方々が毎年、
    靖国神社に参拝にいらっしゃっていることをご存じなんですか?
    日本が敗戦したと同時に、我々台湾も敗戦しました。
    靖国神社には台湾の元日本兵士2万8千柱が眠っておられます。

    私は勿論、台湾人の英霊だけでなく、全ての英霊に黙祷を捧げました。
    英霊達は、侵略しているんだ、という気持ちを持ちながら
    戦いに出られたのでしょうか?

    違います。

    多くの兵士は、自分の祖国を守る為に、
    あるいはこれからのよりよき世界を作る為に、命を捧げられたのです。

    日本政府は台湾を無視し続けて、
    どうして中共の顔色ばかりうかがっているのですか。

    これが2万8千人の台湾人が尊い命を捧げた国の正体ですか。
    日本の国会が謝罪する事は、日本の戦死者の冒涜ばかりではありません。
    台湾人の戦死者への冒涜でもあることも銘記してもらいたいと思います。

    (平成6年8月15日、黄昭堂氏)

    この人が“最後の正直者“の黄昭堂氏 ↓

  • 長い間眠っていた自分達の祖国を自分達の国にしよう





    どうして、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう





    マレーシアの国定教科書には、
    日本軍は、マレーシア解放軍と書かれています。


    マレーシア外務大臣 ガザリ・シャフィ氏

    「日本がどんな悪い事をしたというのか。
    大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本はすごかった。
    わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、
    我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。
    私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやって来たと思っていた」


    マレーシア首相 マハティール

    「もし日本なかりせば、世界は全く違っていたでしょう。
    富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと
    言っても過言ではない。
    北側のヨーロッパは、英園に世界を支配しただろう。
    マレーシアのような国は、ゴムを育てて、スズを掘り、
    それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けたでしょう」


    マレーシア上院議員 ダト・ノンチック氏

    「私達は、マレー半島を進撃していく日本軍に歓喜の声をあげました。
    敗れて逃げていくイギリス軍を見た時に
    今までに感じたことのない興奮を覚えました。
    しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで、
    将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、
    それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育を行ってくれたのです」


    マレーシアのラジャー・ダト・ノンチック元上院議員は、
    山下大将率いる日本軍に対し、次のように証言しています。

    「私達アジアの多くの国は、
    日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立出来たのです。
    日本軍は長い間、各国と植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、
    とても白人には勝てないと諦めていたアジアの民族に、
    感動と自信を与えてくれました。

    長い間眠っていた自分達の祖国を自分達の国にしよう、
    という心を目覚めさせてくれたのです。
    私達はマレー半島を進撃していく日本軍に歓呼の声を上げました。
    敗れて逃げていくイギリス軍を見た時に、
    今まで感じたことのない興奮を覚えました。

    しかもマレーシアを占領したヤマシタ日本軍は日本の植民地としないで、
    将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、
    それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を行ってくれたのです。

    先日この国に来た日本の学校の教師は
    「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。
    その事実を調べにきた」と言っていました。
    私は日本人はマレー人を一人も殺していませんと答えてやりました。

    日本軍が殺したのは、戦闘で戦ったイギリス軍や、
    そのイギリス軍に協力した中国系抗日ゲリラだけでした。
    そして日本の将校も血を流しました。
    どうして今の日本人は自分達の父や兄達が残した、
    正しい遺産を見ようとしないで、
    悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう」

    マレーシアの教科書で紹介される山下奉文氏
    イギリス軍が日本軍に降伏している様子 ↓

  • どんな悪い事をしたというのか




             アジアに行ったらペコペコ謝って




                    そんなはずではなかったのに




    マレーシアの人々からみた日本



    マレーシア外務大臣 ガザリ・シャフィ氏

    「日本がどんな悪い事をしたというのか。
    大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本はすごかった。
    わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、
    我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。
    私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやって来たと思っていた」


    マレーシア歴史学者 ザイナル・アビディーン

    「日本軍政は東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、
    その種をまき成長させ、
    マラヤにおける民族主義の台頭と発展に大きな役割を果たした」


    マレーシア上院議員 ラジャ・ダト・ノンチャック氏

    「私達は、マレー半島を進撃していく日本軍に歓喜の声をあげました。
    敗れて逃げていくイギリス軍を見た時に
    今までに感じたことのない興奮を覚えました。
    しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで、
    将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、
    それぞれの民族の国語を普及させ青少年の教育を行ってくれたのです」

    「かつて日本人は親切で心豊かだった。
    アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命尽くしてくれた。
    おおらかで真面目で希望に満ちて明るかった。
    戦後の日本人は自分達日本人の事を悪者だと思いこまされた。

    学校でもジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから
    真面目に自分達の父祖や先輩は悪い事ばかりした
    残虐無情なひどい人達だと思っているようだ。
    だからアジアに行ったらペコペコ謝って、
    私たちはそんな事致しませんと言えばよいと思っている
    そんな今の日本人が心配だ。

    本当にどうなってしまったんだろう。
    日本人はそんなはずではなかったのに。
    本当の(昔の)日本人を知っている私達はいつも歯がゆく、悔しい思いがする。
    自分勝手な行動ばかりしているヒョロヒョロの(今の)日本人は、
    これが本当の(アジア解放の為に身を捧げた日本人と同じ)日本人だろうか?
    どうして・・どうして・・
    日本人はこんなになってしまったんだろう」

    1989年4月 マレーシア首都クアラルンプールにて


    マレーシア首相 マハティール

    「もし日本なかりせば、世界は全く違っていたでしょう。
    富める北側はますます富み、
    貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。
    北側のヨーロッパは、英園に世界を支配しただろう。
    マレーシアのような国は、ゴムを育てて、
    スズを掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けたでしょう」

    1992年10月14日 香港で開かれた東アジア経済フォーラムにて


    マレーシアの国定中学校歴史教科書は
    日本のアジア解放戦争を肯定しています。
    日本軍はマレーシア解放軍と記されているのです。 ↓

  • 余りにも当然すぎることです!!




               相手国、他国の戦歿者に敬意を払おう!!




                        怨讐を超えて!!





    国立ソウル顕忠院は、大韓民国ソウル特別市銅雀区にある国立墓地である。

    この墓地には日本の植民地時代における独立運動家や国家功労者、朝鮮戦争、ベトナム戦争の戦死者、朴正煕元大統領など歴代大統領が祀られている。

    2009年5月には新潟日赤センター爆破未遂事件(1959年)に係わった工作員12名が戦没者として祀られた。(北朝鮮への帰国事業を破壊するために日本に密入国し破壊活動を行ったテロリストである。) 

    1955年に朝鮮戦争で戦死した軍人・軍属を埋葬するための国軍墓地として作られ、1965年3月に国立墓地に昇格した。1996年6月に国立顕忠院に名称変更した後、2006年1月に国立ソウル顕忠院となった。

    現在、顕忠院には16万9千人が眠っており、このうち埋葬されているのは亡骸がある5万4444人である。

    埋葬者には、ヴェトナム戦争で30万から50万人とも言われているヴェトナム民間人を虐殺した韓国陸軍及び海兵隊の軍人も多数含まれている。

    日本からは2006年10月9日に安倍晋三が内閣総理大臣として、そして2011年10月19日に野田佳彦が内閣総理大臣として公式に参拝し献花している。

    国立ソウル顕忠院で献花する安倍総理(2006年10月9日) ↓

  • 六月七日は「顕忠日」




                  午前十時、全国民が黙祷を捧げる




    韓国の戦没者慰霊施設

    ・国立墓地 在ソウル:広さ十五万坪、靖国神社の五倍、狭くなったので大田市
    に百万坪の墓地を用意。
    韓国動乱の戦死者や、国家のために殉難した人々の墓が並ぶ。遺体のない
    人々は、中央の顕忠塔に名前を刻んでいる。

    陸海空三軍が交代で衛兵に立つ。二時間おきに交代。
    六月七日が「顕忠日」で、午前十時、全国民が黙祷を捧げる。式典には大統領
    をはじめ、三権・三軍の長、遺族等が参列、各地方でも同様の式典が挙行される。

    ・顕忠塔 地方毎

    ・太平洋戦争犠牲韓国人慰霊碑 在釜山 永楽霊園:日本軍人を志願して戦死
    した朝鮮人二万一千余柱は靖国神社に祀られている。(徴兵されて戦死した者
    は朝鮮・台湾ともに皆無)。しかし韓国、台湾では祀られなかった。そこで
    韓国では昭和四十七年頃から石井光次郎衆院議長を代表に慰霊碑建立が発議され
    たが、頓挫していた。

    その後、特別見習士官であった鄭●永氏が私財を投じ
    戦友会の協力によって先づ「霊璽清め祓い式」を靖国神社で行った。その位牌
    を釜山に持ち帰り、上記慰霊碑を一九九七年(檀紀四三三〇・平成九)年三月
    一日、「三・一節」の国民記念日に建立した。

    ・第二次大戦歩兵第八十聯隊韓国人犠牲者慰霊碑 大邸 聖華禅寺:大邸聯隊
    に所属し、主としてビルマ、ニューギニア戦線で戦死した韓国人二百七十二柱
    の慰霊碑が金道榮元大佐や日本の戦友会の協力によって、一九八五(昭和六十)
    年建立された。
    ※ ●は玉へんに其という漢字


    相手国、他国の戦歿者に敬意を払おう!!
    下は、国立ソウル顕忠院  ↓

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