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>>3404

やっぱり今も昔も日本人は日本人ですね。一部しかまだ読んでいませんが、とても面白いです。

「スイカを盗もうとする旧日本兵は地元の人々に追い払われた」
日本兵は農民虐さつしてませんね。
「中日双方も大きな損失をこうむった南窖戦争で、重傷を負った約18、9歳の八路軍に水を飲ませる斉藤さん」
勝敗が付けば、敗者にも敬意を示す。慈悲の心は今の日本人も持っています。

私の知っている情報では、
「中国で八路軍に捕虜にされた日本兵は、かなり良い待遇を受けて大抵共産主義者になった」
「人民解放軍空軍の生みの親は日本人(林弥一郎)で、戦後日本陸軍の飛行機が赤化日本兵操縦のもと国民党軍を攻撃したという」

ポツダム宣言第9項では「日本軍隊は完全な武装解除の後、故郷に帰り、平和な生産と生活の機会を得ることが許される」と謳われて、帰国が保障されていた。

でもシベリア抑留ばかりが有名ですが、中国でも抑留されました。
一般日本人だけでなく技術のある軍人も留用された。元関東軍第四錬成飛行隊の林弥一郎(はやしやいちろう)少佐とその部下たちは帰国を許されず、1945年10月、瀋陽(しんよう)の八路軍司令部に呼び出された。林少佐の部下たちは、戦闘機パイロットから航空機整備兵、通信兵など当時の航空技術の最先端を行く技術者集団であった。
中国共産党員は日本人家庭を徹底的に調べ上げ、家族構成から職業、学歴までをリストにして、医師と看護婦、工場や鉱山の技師と熟練工、鉄道技術者、科学者、映画人、放送局職員をピックアップ。職場ぐるみや個人指名で留用していったのだから、日本人に逃れる術はなく、直接留用された日本人は1万数千人、家族をも含めると2万人を優に超える人数だった。
 中国側の資料によると、八路軍に属する医療要員は1600人だったが、留用された日本人の医師・看護婦など専門職員は3000人、このほかに補助要員が2000人いたという。