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「豊臣秀吉は、朝鮮半島に攻め込んで来るのだろうか?」

それを知りたかった朝鮮は、使者を日本へおくって、その可能性をさぐらせることにした。その使者には、「東人(トンイン:とうじん)」と「西人(ソイン:せいじん)」の人間がいた。「東人」と「西人」は、朝鮮の官僚たちが組織した派閥(グループ)のこと。

でも、日本から戻って来た使者は、まったく違うことを言う。

西人の使者は「日本は必ず攻めこんで来ます」と言うけど、東人の使者は「日本は来ません」と言う。この2つの報告を受けた朝鮮の朝廷は、どちらか正しいのかを判断しないといけなくなった。
でもそれは、朝廷内の派閥争いで決まってしまう。

朝廷の西人に属していた官僚は「黄允吉が正しい」と主張し、東人の完了は「金誠一こそ正しい」と互いにゆずらず、言い争いをはじめてしまう。

でも、最後は力関係。
結局、影響力の強かった東人が勝って、「日本は攻めてこない」という説が採用された。

「どちらが正確な情報なのか?」ではなくて、「どちらの党が強いのか?」という国内の権力争いで国の重要な判断が決まってしまった。

「秀吉は攻めてこない」という朝廷の決定により、それまでおこなっていた築城を中断させ、戦争に対する備えを放棄してしまう。

日本軍が朝鮮に攻めんこんで来たのは、その次の年だ。←<今ここ>

国の守りをしていなかった朝鮮は負けに負けてしまったのでした。

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