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ユーゴ内戦時に現れた異常な指導者「アルカン」。
ごくふつうの市民による「愛国」の名のもとの虐殺
[橘玲の世界投資見聞録]

 これまで3回にわたって、東欧史・比較ジェノサイド研究の佐原徹哉氏の労作『ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化』(有志舎)に依拠しながら、1990年代に旧ユーゴスラヴィアで起きた凄惨な殺し合いの歴史的背景を見てきた。

 個人でも集団でも、異常者でもないかぎり、正当な(合理的な)理由がなければひとを殺すことなどできるはずはない。ジェノサイドの本質が「歴史の修正」であるのはこのためで、「自分たちは本質的に犠牲者で、悪の脅威によって自分や家族の生命を危うくされており、自衛のための暴力はやむをえない正義の行使だ」という物語が民族のあいだで共有されてはじめて、ごくふつうの市民が、かつての隣人を平然と殺すことができるようになるのだ。

[参考記事]
●ボスニア・ヘルツェゴビナ、「スレブレニツァ虐殺」から20年の今、教訓にすべきこととは?
●ユーゴ内戦でジェノサイド=民族浄化を生み出したバルカン半島の「歴史の記憶」
●ユーゴ内戦にみる「歴史修正主義」による殺し合いの連鎖

 安倍総理による「戦後70年談話」でも述べられているように、第一次世界大戦は近代兵器を使った人類初の総力戦で、そのあまりの被害の大きさに震撼した欧州では帝国主義・植民地主義からの脱却が模索されるようになった。だが遅れて近代世界に参入した日本はその潮流に気づかず、さらなる侵略に突き進んで国土は焦土と化した。