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イオングループの2026年2月期第1四半期決算は、表面上の数値とその背後にある戦略との間に大きなギャップがあることを示していた。営業収益は過去最高の2兆5,668億円、営業利益も562億円と増収増益を達成したにもかかわらず、親会社株主に帰属する四半期純損益は65億円の赤字となり、前年同期の黒字から転落している。この「増収増益なのに最終赤字」という構造は、一見すると矛盾しているように見えるが、事業の不振ではなく、将来の収益基盤を構築するための積極的な先行投資が要因であると捉えられる。具体的には、国内のDX基盤強化や物流網の刷新、そして成長著しいアジア市場でのインフラ整備などに大規模な投資を行っており、これが短期的な利益を圧迫している形だ。
決算後も通期の業績予想を据え置いたことから、経営陣がこの赤字を想定内、すなわち計画的な戦略投資の結果と位置づけていることは明らかである。イオンは現在、成熟した国内市場での収益力を最大化する国内事業の構造改革、新たな成長エンジンを確立するためのアジア市場への本格進出、そして企業価値そのものを高めるESG(環境・社会・ガバナンス)を軸にした経営の3点を柱とする中期成長戦略を展開しており、それぞれの動向に注目が集まっている。
■プライベートブランドとDXによる国内の構造改革
国内事業では、プライベートブランド(PB)「トップバリュ」とデジタルトランスフォーメーション(DX)の両輪で再成長を図っている。
年間売上高1兆円を超えるPB「トップバリュ」は、もはや単なる廉価品の枠を超え、イオンの収益性と顧客吸引力の中核を担う存在である。特に、長引く物価高騰を背景に、徹底した低価格を追求する「トップバリュベストプライス」が節約志向の強い消費者の強い支持を集め、客数増に大きく貢献している。その一方で、オーガニック食品や環境配慮型素材を使用した商品を展開する「トップバリュ グリーンアイ」も着実に売上を伸ばしており、健康やサステナビリティへの意識が高い層のニーズを的確に捉えている。このように、価格志向と品質・価値志向という二極化する消費者ニーズの両方にきめ細かく対応できる商品開発力が、トップバリュの最大の強みとなっている。
DX戦略の中心には、グループのあらゆるサービスを繋ぐ共通アプリ「iAEON」が据えられている。これは単なる決済アプリではなく、買い物、金融(イオン銀行・イオンカード)、ヘルスケア、エンターテインメントなどをシームレスに統合し、顧客の生活全般を支える「イオン生活圏」の中心的な役割を果たしている。
決済機能「AEON Pay」を軸に、NEXCO東日本やスギ薬局といった外部有力企業との提携も拡大しており、利用シーンの多様化を進めている。また、AIが需要を予測して最適な価格を自動で提示するツール「AIカカク」の導入など、データ活用による収益性改善と食品ロス削減の両立も図られており、リアル店舗網とデジタル技術を融合させるOMO(Online Merges with Offline)戦略が着々と進んでいる。
特に、顧客体験の向上には多大な投資が行われている。2025年6月には従業員向けの統合業務アプリを導入し、バックヤード業務を効率化することで、従業員がより多くの時間を顧客への接客に充てられる環境を整えた。さらに、同年8月には「iAEONレポート」機能を追加し、利用者が自身の支出傾向や節約額を可視化できるようにした。これは家計管理ニーズに応えると同時に、顧客との継続的な関係性を深める狙いがある。もっとも、この壮大なDX戦略が成功するかは、最終的にアプリの使いやすさに依存する。現状ではユーザーから動作の重さや複数の関連アプリを使い分ける煩雑さに対する不満も聞かれており、この「最後の一歩」であるUI/UXをいかに洗練させていくかが今後の重要な鍵となるだろう。
■成長市場アジアへの本格進出
国内市場が人口減少により成熟期に入る中、イオンは中期的な成長の軸足を明確に「アジアシフト」へと移している。そのビジョンとして掲げる「アジア50億人の心を動かす企業へ」という言葉通り、単に日本の店舗モデルを輸出するのではなく、現地の文化やライフスタイルに深く根差したエコシステムの構築を目指している点が特徴的だ。
その最重要拠点と位置づけられるのがベトナムである。ここでは、巨大なショッピングモールから食品スーパー、コンビニエンスストアまで、多様な店舗形態を展開するマルチフォーマット戦略が進行中であり、2025年までにモールの数を3倍に増やすという野心的な計画が発表されている。これは、急速な都市化と共に多様化する現地の消費者ニーズに柔軟に対応し、都市部から地方都市へと商圏を面で押さえるドミナント戦略に他ならない。
一方、マレーシアでは、ECプラットフォーム「myAEON2go」の展開に加え、現地の大多数を占めるイスラム教徒の慣習に配慮し、イスラム金融の方式を取り入れたデジタルバンクの営業許可を取得した。これは、地域社会の文化・宗教的背景を深く理解し、それに寄り添ったサービスを提供することで、単なる外資系小売企業ではなく、地域のインフラとして不可欠な存在になるという強い意志の表れである。
このアジア戦略の根底には、日本国内で成功してきた「ショッピングモールを核とした集客→小売→金融→デジタル連携」というビジネスモデルを、現地のニーズや法規制に合わせて最適化し、再設計して移植するという狙いがある。この現地適応型エコシステムをどれだけ地域社会に深く浸透させられるかが、アジア戦略の成否を分けることになる。
■サステナビリティ経営の強化
イオンはESGへの取り組みを、企業の社会的責任という側面に留めず、事業戦略そのものと不可分なものとして捉えている。その象徴が「脱炭素ビジョン2040」や食品廃棄物の大幅削減といった、具体的で高い数値目標の設定である。
最近の注目すべき動きとして、電子レシートの普及促進が挙げられる。2025年春から本格的に提供を開始したこのサービスは、わずか半年で1,500万枚を超える発行実績を記録した。これは年換算で紙レシート38,000ロール、CO2排出量にして約37.5トン、樹木に換算すると約4,260本分に相当する環境負荷の削減効果を生んでいる。さらに、この電子レシートは「iAEON」アプリ内で家計簿機能と自動で連動し、支出管理を容易にするという利便性も提供する。また、長年支持されてきた地域貢献活動「幸せの黄色いレシート」キャンペーンにも対応しており、環境配慮、顧客利便性、社会貢献という複数の価値を同時に実現している。こうした取り組みは、ブランドイメージの向上に繋がり、サステナビリティを重視する新しい世代の顧客からのロイヤルティを高める効果も持つ。
■今後の展望と資本政策
イオンの現在の戦略は、国内のPBとDXで安定した収益基盤を固め、そこで得たキャッシュを成長市場であるアジアへ再投資するという、明確な好循環モデルを描いている。これにより、低成長の国内市場で収益性を確保しつつ、高成長市場でのシェア獲得を狙う、バランスの取れた戦略が成り立っている。
しかし、この戦略の道のりは平坦ではない。国内ではアプリのユーザビリティ改善が急務であり、異業種からのデジタル参入もあって競争は激化の一途をたどる。アジアでは、現地の複雑な法規制や商習慣、地場大手や欧米資本との厳しい競争といった課題が待ち受ける。先行投資型のビジネスモデルは短期的な利益を圧迫するため、株主や投資家への丁寧な説明責任もこれまで以上に重要になる。
こうした事業戦略を着実に進める一方で、イオンは資本政策にも着手している。2025年9月1日付で1株を3株にする株式分割を実施した。これは、1単元あたりの投資に必要な金額を引き下げることで、2024年から拡充された新しいNISA(少額投資非課税制度)を利用する個人投資家層をさらに拡大し、株式の流動性を高める狙いがある。株式分割自体が直接的に業績を押し上げるわけではないが、イオンの店舗やサービスを日常的に利用する顧客を株主としても取り込むことで、より安定した株主基盤を築き、長期的な視点での経営を後押しする効果が期待される。
営業最高益でありながら最終赤字という状況は、イオンが「次の収益の柱」を育てるための産みの苦しみを経験していることの証と言える。この赤字が将来の力強い収益拡大へと転換するのか。それを見極める鍵は、戦略の巧みさだけでなく、地道な実行力と、アプリの使い勝手から店舗での接客に至るまで、あらゆる顧客接点をどこまで磨き込めるかにかかっている。
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