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想うことの掲示板

>>4634

〈「リクルート」川崎市誘致時 助役が関連株取得 公開で売却益1億円 資金も子会社の融資〉──1988年6月18日、朝日新聞の社会面トップに大見出しが躍る。

 株価や地価が急騰するバブル景気の真っ只中、ふつうの年収ではマイホームが買えなくなってしまった人々は、これを読んで怒りに震えた。その後、朝日のみならずすべてのマスコミが追及をはじめると、首相の竹下登、大蔵大臣の宮澤喜一、中曽根康弘・前首相、安倍晋太郎・自民党幹事長など政界実力者、官界では労働省(現・厚労省)、文部省(現・文科省)トップの事務次官、新聞社の社長やNTT幹部など財界の有力者に未公開株が譲渡されていたことが次々と発覚する。株を配った江副と、それを受け取った政・官・財の要人への悲憤慷慨は燎原の火のように燃え広がった。

 1988年11月に江副は、国会に証人喚問される。時代が昭和から平成になった翌89年2月13日、自分の会社の未公開株という「賄賂」をバラ撒いた容疑で東京地検特捜部に逮捕された。

 東京・銀座にふたつの自社ビルをもつ「成り上がりの起業家」江副浩正にバッシングを浴びせる人々の怒りを背に受けて、特捜部は、検事52人、事務官159人を動員して、延べ3800人を聴取、リクルートや関連会社など80ヵ所を捜索した。「戦後最大の疑獄」リクルート事件である。

 江副は、政財官の大物20人が有罪となった一大疑獄事件の「主犯」として断罪される。

社史から消えた創業者
 こうして、戦後もっともイノベーティブだった天才起業家の業績は、見果てぬ夢とともに歴史から抹消された。

 創業者がいなくなったリクルートは、事件後も成長を持続すると、江副が亡くなった翌年の2014年10月東証一部上場を果たし、時価総額7兆8000億円の企業となった(2020年11月時点)。だが、リクルートのホームページ上の社史には、リクルート事件のことも、創業者・江副浩正の名前もない。

「リクルート事件・江副冤罪説」を唱えるジャーナリストの田原総一朗は、当時、リクルートコスモス上場の主幹事を務めた大和証券会長の千野冝時に尋ねている。資本主義社会では株は上がりもするし下がりもする。上場前の株は「賄賂」になるのだろうか、と。千野はこう答えた。

「企業がはじめて、店頭や東証二部などに上場するときに、つきあいのある人、知人、社会的に信用のある人々に公開前の株を持ってもらうのは、当たり前のことで、どの企業もがやっている証券業界の常識ですよ」

世界の成長から取り残された日本経済
 ひとりの起業家を、社会全体で吊るし上げ、犯罪者の烙印を押した「リクルート事件」とは、いったい何だったのか。

 江副の「部下」だったジェフ・ベゾスは、アマゾンの株式時価総額が1兆5000億ドル(約160兆円)に迫り、1663億ドルを保有する世界一の資産家になった(『フォーブス』誌の世界長者番付)。アカデミー賞授賞式会場の客席に座ると、司会者が紹介しテレビで大写しになるほどアメリカを代表する名士でもある。

 コンピューター・ネットワークに未来を見たふたりのその後の明暗は、日本経済と米国経済の今に投影される。

 リクルート事件で江副が逮捕された1989年、日本企業はわが世の春を謳歌していた。その年の「世界の株式時価総額ランキング」を見ると、1位は民営化から5年を迎えたNTT。2位から5位までに日本興業銀行(現・みずほ銀行)、住友銀行(現・三井住友銀行)、富士銀行(現・みずほ銀行)、第一勧業銀行(同)の大銀行がずらりと並ぶ。三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)が7位、東京電力が9位で、ベストテンのうち実に7社が日本企業である。その下にはトヨタ自動車、日立製作所、松下電器産業(現・パナソニック)、東芝といった製造業が名を連ね、ベスト20社のうち実に14社が日本企業だった。

 30年後の2020年10月末時点の世界ランキングで、50位以内に入っている日本企業はトヨタ自動車(49位)ただ1社。トヨタの時価総額は約24兆円で、韓国・サムスン電子(16位、約40兆円)にも遠く及ばない。ベスト10には中国のアリババ・グループ(6位)とテンセント・ホールディングス(8位)が顔を出し、トップ50には実に9社(香港のチャイナモバイルを含む)の中国企業が名を連ねている。

 リクルート事件から30年。つまり平成の30年間、日本経済は世界の成長から完全に取り残されたのである。

 一方、世界のランキングの上位はこうなっている。

新しい企業を生まない国になってしまった日本
 1位アップル、2位はサウジアラビアの国営石油会社のサウジアラムコ、3位アマゾン・ドット・コム、4位マイクロソフト、5位がアルファベット(グーグルの持ち株会社)、6位アリババ・グループ・ホールディング(中国)、7位フェイスブック、8位テンセント・ホールディングス(中国)、9位がバークシャー・ハサウェイ、10位がウォルマート。10社中7社が、「知識産業」であるベンチャー企業だ。

 1989年の米国ランキングでトップ10に名を連ねたIBM、エクソン、ゼネラル・エレクトリック(GE)、AT&T、タバコのフィリップモリス、デュポン、ゼネラルモーターズ(GM)といった伝統企業はいずれも上位からはじき出されている。この30年で米国経済を構成する細胞はそっくり入れ替わった。

 新型コロナウイルスの感染拡大で消費や雇用が1930年代の大恐慌並みに落ち込んだ2020年の夏、知識産業を代表するGAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)の株式時価総額の合計が600兆円を突破し、東証一部上場企業2170社の合計を上回った。

 日本の最強企業、トヨタ自動車を含む日本の自動車メーカー9社は時価総額の合計で米国の電気自動車(EV)ベンチャー、テスラに抜かれた。年間の販売台数で見れば900万台を超えるトヨタに対し、テスラはわずか37万台。だが株式市場は、EVと自動運転によって古い自動車産業を破壊しようとするテスラに軍配を上げた。

 日本はいつから、これほどまでに新しい企業を生まない国になってしまったのか。答えは「リクルート事件」の後からである。

 リクルート事件が戦後最大の疑獄になったことで、江副が成し遂げた「イノベーション」、つまり、知識産業会社リクルートによる既存の産業構造への創造的破壊は、江副浩正の名前とともに日本経済の歴史から抹消された。

古い日本を脱ぎ捨てる千載一遇のチャンス
 だが日本のメディアが、いやわれわれ日本人が「大罪人」のレッテルを貼った江副浩正こそ、まだインターネットというインフラがない30年以上も前に、アマゾンのベゾスやグーグルの創業者であるラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンと同じことをやろうとした大天才だった。その江副を、彼の「負の側面」ごと全否定したがために、日本経済は「失われた30年」の泥沼にはまり込んでしまったのである。

 新型コロナウイルスのパンデミック禍は、古い日本を脱ぎ捨てる千載一遇のチャンスでもある。しかし正しく生まれ変わるためには、どこでどう間違えたのかを、真摯に問い直さなければならないだろう。江副が遺した大いなる成功も大いなる失敗も歴史から葬り去ってはならない。なぜなら、大いなる失敗もまた、大いなる成功への始まりになることを、人類は歴史上なんども経験している。

 私(筆者)は、江副浩正の生涯をたどることで、戦後日本が生んだ稀代の起業家があのとき見ていた景色、そして「もし」この男の夢が実現していれば、どんな日本になっていたのかを考えてみたい。未完のままのイノベーションを完成させてみたい。

 コロナ禍という人類未曾有の危機にある私たちが、今からこの国で、未来を切り開き、生き抜いていくためにも。

【前編を読む】「日本のネット広告の父」がまとめた“奇跡の買収”…ジェフ・ベゾスとリクルート、1987年の“伝説の交渉”とは

大西 康之