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政府系企業の掲示板

総理!それは本当に「新しい資本主義」なのですか?
島澤諭エコノミスト
1/6(木) 5:01

岸田総理は4日の年頭の記者会見でご自身が掲げられる「新しい資本主義」について次のようにお話しされました。

「新しい資本主義」では、市場や競争に全てを任せるのではなく、市場の失敗や外部不経済を是正する仕組みを成長と分配の両面から資本主義に埋め込み、資本主義の便益を最大化していかなければなりません。市場や競争に任せるだけでは、次なる成長に不可欠な分配や投資が不足がちになるからです。

岸田内閣総理大臣年頭記者会見(令和4年1月4日 首相官邸)からの抜粋

これまで「新しい資本主義」という言葉だけが独り歩きし、具体像がいまだにつかめないなか、なにか新しい発見があるかと期待したのですが、残念ながら今回も空振りでした。

資本主義は誕生以来、様々な欠陥があることは広く知られています。そうした欠陥-岸田総理は「市場の失敗」と的確に言及されていますが-を正すために、経済学は様々な概念を発見し、政府もその成果を現実の経済に応用してきました。

そもそも、現代の世界において、「市場や競争に全てを任せる」経済運営を行っている国が存在するのか?という疑問は置くとして、「市場や競争に任せるだけでは、次なる成長に不可欠な分配や投資が不足がちになる」「外部不経済(過剰生産・過剰消費)」「外部経済(過少生産・過少消費)」に対しては、すでに、厚生経済学の生みの親、A.C.ピグーによるピグー税やピグー補助金、分配に関しても、累進課税や社会保障など、経済学者の英知の結集の末、答えも解決策も、経済学の入門レベルのテキストにも掲載されていますし、日本を含めた各国政府も様々具体的な施策として展開してきているはずです。

また、「資本主義の便益を最大化」するためには、市場の失敗を政府が補完するなどして、余剰を最大化する必要がありますが、結局、最終的には、市場や競争に任せる必要があります。

もし、市場や競争に全てを任せず、市場の失敗への対応以外にも政府の介入があるのなら、「資本主義の便益」は「最大化」されないことも、やはり、経済学の入門レベルのテキストにも掲載されています。

つまり、「資本主義の便益を最大化」するには、政府の役割は抑制的にならざるを得ないのです。

上の岸田総理年頭会見からの抜粋の内容が「新しい資本主義」だとすると、大仰な表現に過ぎず、なんのことはない、すでに日本を含む各国政府は取り組んできたことに過ぎなくなってしまいます。

百歩譲って、日本でもこれまで新自由主義的な「市場や競争に全てを任せ」る政策が行われていたとしても、市場や競争には全てを任せずに、本来の政府のやるべきこと(「資源配分(市場の失敗への対応)」「所得再分配」「景気安定化」)をやれば解決するのであって、20世紀半ばには経済学的に解決された問題の解決を指して、何ら新しい哲学や理念を付加することなく「新しい資本主義」であると仰るのであれば、大変失礼な言い方になるかもしれませんが、世界中の笑いものとなるかもしれません。

筆者の理解では、資本主義とは、大胆にまとめると、(1)自由競争、(2)私有財産、(3)利益の追求などを保障する政治・経済の仕組みだと思うのですが、先にも申し上げた通り、現在の資本主義はこの3つの点をある程度修正しつつ進んできたわけです(修正資本主義)。

ですから、「新しい資本主義」が、この3つの原則を修正しコントロールするのであれば、繰り返しになりますが、全然、新しくなくなってしまいますので、極端な話、この3つの原則を全く別の原則で置き換えていくしかないのだろうと思います。

ただし、上の3つ全部を一気に置き換えようとして失敗したのが「社会主義(計画経済・社会的所有・平等の追求)」であることに思いを馳せれば、3つのいずれか1つか2つを置き換えていく、もしくは新たな要素を付加する作業こそが「新しい資本主義」の構築と言えるのではないでしょうか?

したがって、「新しい資本主義」構築の道は、大変な難題であることは、容易に窺い知れます。なぜなら、3つの要素の修正を間違えれば、「新しい資本主義」ではなく、「新しい社会主義」になってしまうかもしれないからです。

しかも、冷戦終結後、サッチャー流の新自由主義(新保守主義)への反動と社会主義崩壊から、資本主義でもない社会主義でもない第三の道が欧州各国で模索されたものの、結局は失敗したことにも思いを馳せれば、絶望的に困難な事業であるのかもしれません。

実は、この第三の道路線は、橋本龍太郎内閣での構造改革路線の修正を試みた小渕内閣により設置された経済戦略会議の答申「日本経済再生への戦略」(国立社会保障・人口問題研究所へのリンク)でも提唱されています(答申14頁)。

経済戦略会議は、(略)、アングロ・アメリカン・モデルでもヨーロピアン・モデルでもない、日本独自の「第三の道」ともいうべき活力のある新しい日本社会の構築を目指すべきであると考える。

結局、日本の第三の道も小渕総理の急逝と、小泉・竹中構造改革路線への転換によりとん挫することになりました。

このように、これまでの内外の歴史を振り返ると、「行き過ぎた資本主義」を是正しようとする動きは、「行き過ぎた資本主義」の暴走により所得格差が拡大すると、ポスト資本主義が模索されるのですが、社会主義然り、国家資本主義然り、第三の道然り、うまくいった試しがありません。リーマンショック後のスティグリッツ委員会や日本の民主党の新しい公共もそうした流れの中に位置づけられるのかもしれません。

要するに、チャーチル元首相の名言を借りれば「資本主義は最悪の経済システムといわれてきた。他に試みられたあらゆるシステムを除けば」となるのでしょう。

とはいうもののやはり、「新しい資本主義」の構築は、知的好奇心を痛く刺激するロマンあるテーマでもあると思いますので、経済学や哲学、法学、歴史学、人類学、人工知能分野等、文系理系の垣根を越えた世界中の顕学を日本に集めて、大いに議論してもらい、その成果を世界に発信すればよいと思のですが、いかがでしょうか?